Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2015年04月24日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」経験概念の理解(百五)
 英国におけるジョン・ロックの思想の唯物論的思考の側面を取り払い、「経験」における観念論を取り上げて。保守的傾向が強かった同国でジョージ・バークリーとディヴィット・ヒュームが経験における観念論を説いていますが、そもそも「経験」を我々は彼等と同様に理解しているのかが問題になります。通常一般には、経験とは人間の意識が人間身体の各感覚器官を通して外界と接することによって生じると理解しています。この時の「理解」は意識から独立した存在と見做され、意識から、独立した外界の存在を承認し、経験とは人間意識と外界を結び付けるものであり、外界が意識内に反映したのだと捉えます。ところが、主観的観念論の立場で「経験」を理解しようとすると、人間は意識内の事実として想起する経験から出発して意識の外に何ものかが存在するかどうか、ルネ・デカルトの「コギト・エルゴ・スム」的懐疑心が起こります。此の観点の経験を基底に置く限り経験は人間の意識内の或る事実と他の意識内の事実関係が経験として理解され、意識の外界への接続が断ち切られます。しかし、此の視点に立てば直覚知を志ざす修行の思考方法への利点もが「思考と直覚」を正しく認識し「直覚霊知」の瞑想に入るにしても物質的外世界況んや内的経験の継起を断ち切れず挫折する可能性があり、其れには「主観的観念論」の思考方法が参考になります。英国には経験論の伝統があると言われますが、ベーコンやホッブスは経験とは人間の意識が人間身体の各感覚器官を通して外界と接することによって生じるとしたものであり、幾分、唯物論に傾いていますが、ジョージ・バークリーとディヴィット・ヒュームはジョン・ロックの思想の不徹底さを利用して主観的観念論を唄います。

george-berkeley1
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最終更新日  2015年04月24日 07時13分04秒
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