「思考と直覚」青年ヘーゲル派フォイエルバッハの一(百二十四) 青年ヘーゲル派の基督教批判は、ヘーゲル批判の先鋒ダーフィト・フリードリヒ・シュトラウスが1835年出版の著書「イエスの生涯」で述べ、其れを要略すると、キリストは「イエスという個人」によってではなく、人類全体が神の子であり救世主になることを実現することによって、真のキリスト教のあり方であり、其の真意を理解できると説いたのに始まり、その基督教批判の完成は青年ヘーゲル派の代表的な存在であるルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ(Ludwig Andreas Feuerbach/1804年-1872年)の1841年の著書「キリスト教の本質」で完成されます。彼はヘーゲルの哲学から出発し、のちにはヘーゲルの観念論を捨てて決別、唯物論的な立場から、特に当時のキリスト教に対して激しい批判を行います。唯物観を抱く後世の論者からは甚く支持される其の説くところは、人間を理性の持ち主としてばかりでなく、「感性」大別して,即ち認知的と情動的感受性の二つです。感性知覚に基づくものと,情動的感受性、色彩,形や音の特性、匂いや香りについての感覚を豊かにしてくれる感覚性で、より全体的なものであり,快楽や苦痛の感情を受けいれる能力あるいは状態のことでこの場合には感情性とも呼ばれるものを人間に捉えることを要求します。其処には神の観念は入り込める筈もなく、神の観念は地上の人間の惨めさの鏡面であり其れを天上に反映させたものに他ならず、人間の創造乃至は想像の幻影だとします。