「思考と直覚」青年ヘーゲル派フォイエルバッハの二(百二十五) ヘーゲルの哲学から出発し、のちにはヘーゲルの観念論を捨てて決別、唯物論的な立場から、特に当時のキリスト教に対して激しい批判を行ったフォイエルバッハは「神学の秘密は人間学であり、神学の本質の秘密は人間の本質である」とまで断言します。但し、此の主張には唯物論者からはフォイエルバッハは、人間の本質を自然主義化して、社会の歴史発展の枠外で固定するするきらいがあり、神学の批判を政治への批判にまで及ぼすことが出来なかったと非難いています。人間社会の歴史を唯物論的に理解することが徹底されなかったとまで言わしめます。其のわけはフォイエルバッハの理論的根拠がヘーゲルの観念論のみならず弁証法まで投げ捨てて、社会的現実を世界として受け止めると同時に、其の環境に働きがけて能動的に変化させる主体革命実践の行為主体とは成り得ることが出来ず、人間は環境の産物であるというエルヴェシウス(Claude-Adrien Helvetius/1715年-1771年)フランスの徴税請負人を務めヴォルテールなどの手ほどきを得たこともあるが、関心は哲学に移り、1758年には「精神論 De l'esprit」を公刊、魂は肉体の一部であるとして、肉体の死による霊魂の消滅を主張、高等法院によって焚書に指定された人物の影響下にとどまり、人間の本質を魂の不滅を否定し個人的欲望と公共福祉の調和させる道徳論を主張している範囲にあって、唯物論者からは実践的に観念論に陥っているとして批判されます。此処に唯物主観を風潮とした現代21世紀の外感覚中心主義、物理的世界観を基底にした人間の精神を卑小化する傾向が生じます。狂信主義も極端になれば人間を危うくしますが、極端な物質至上主義も人間精神其のものを卑小化してしまいます。現代人は東亜細亜大陸の「中庸思想」を再発見することも自己の認識論理に加味することが必要でしょう。