Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2015年05月23日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」英国19世紀の思想ダーウィンの2(百三十五)
 チャールズ・ダーウィンの玄孫(孫の孫)1948年英国はケンブリッジ生まれ、経済学者のジョン・メイナード・ケインズは大叔父(祖父の兄)にもつランドル・ケインズ(Randal Keynes)が、彼の思考であった生物の「死」が「神や罪」とは何の関係もなく,自然の過程のひとつにすぎないのだというチャールズの秘めたる信念を決定づけたと指摘しています。1851年のアニーの死が「最後の一押し」「悪魔に仕える牧師」(Devil's chaplain)を現出させたと「種の起源」に代表される著作や書簡を傍証として挙げながら指摘するのですが、成程、1851年のアニーの死は失われつつあったキリスト教信仰への終わりを意味したでしょうが、その後も彼は地元の教会の人々とともに教区の仕事を手伝い続け、家族が日曜日に教会に通う間は会堂に入るのを避けて散歩に出かけています。そのころには痛みや苦しみを神の直接的な干渉と考えるよりも、一般的な自然法則の結果と考える傾向が強まっていたようです。1870年代に親族に向けて書かれた「自伝」では宗教と信仰を痛烈に批判していますが、妻エマと息子のフランシスによって削除され、1958年に孫娘ノラ・バーロウによって出版された新しい版で削除された全てのセクションが元通り復刻されます。彼の1879年に書かれた書簡では、自分はもっとも極端な考えに触れた時であっても神の存在を否定すると言う意味においての無神論ではなく、不可知論が私の心をもっともよく表すと述べています。即ち、神が実相としての意味合いで観想出来得ないということです。晩年のダーウィンは、自然選択説、自然淘汰とも呼称される後には自然淘汰とも呼称される進化論を唯物論的に捉えようとする一部の自身の支持者の動きについて、非常に嫌悪感を示すようになっています。「ダーウィンと家族の絆」では長女アニーとその早すぎる死が進化論を生んだとしています。死病とされるアニーの病気は何だったのか、其れは十九世紀半ばの当時の子供の肺病は死刑判決に等しかった肺病、加えて、チャールズ・ダーウィン生前には3人の子供を亡くしています。当時の医学的資料に「ダウン症」の記載はありませんが、ダーウィンの研究者の間では彼の息子がダウン症であったことは共通の見解となっている享年1歳6ヵ月で猩紅熱が原因で亡くなり、かわいそうな小さな赤ちゃん知能が少なく生まれたにしても。 父と母は彼に対し無限の愛で接していた此のことが、無神論ではなく、「不可知論が私の心をもっともよく表す」よいう言葉に言い尽くされています。その当時のダーウィンは、進化論という名称が含む意味合いの一人歩きや、自然選択説を唯物論的に捉えようとする一部の自身の支持者或いは自己の唯物主観に利用する動きについては、非常に嫌悪感を示すようになっていました。彼は霊魂其のものを否定した訳でもなく、まして絶対意思を拒否したのでもなく、彼が育成された教会権威の神格性どころか人格姓をも賦与された「神」の配剤に幻滅したのであって、世界理法の根元たる存在を否定していることは考慮の外です。自然淘汰論こそが「理法」の絶対性を保証するものであって、其れを支える背景が「不可視の実体です。

Annie_Darwin1
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最終更新日  2015年05月23日 06時49分18秒
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