Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2015年06月23日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」西田幾多郎の人物像(百六十六)
 廃藩置県後の現在の石川県宇ノ気町に生を得、初中校を経て、のちに金沢の第四高等学校となる高等中学を経て目を病み中途退学する破目に、その後、東京帝国大学文科大学哲学選科にて学ぶも、生家の没落及び家庭的な事情の不幸,自らの素志の挫折等々が西田幾多郎の青春を弄びます。目を病み中途退学した金沢の第四高等学校に職を得て再起し,西洋哲学の研究に努めるとともに臨済宗国泰寺派の大本山雪門禅師に鈴木大拙に次いでの参禅、座禅に専念し号「寸心」を得ます。学習院教授等を経て1910年(明治43)に京都帝国大学に招聘されて京都帝国大学文科大学助教授となります。1913年(明治45)には教授となり退官した後に近代日本の最初の独創的哲学としてあたためていた「善の研究」を刊行します。西欧的思惟と自身の禅体験を「純粋経験」によって融合させた本書、幾多郎の言う主客未分の状態における直接的な経験としての「純粋経験」、西洋的にはこの純粋意識としての体験を基礎に置く哲学には、マッハおよびアベナリウスの経験批判論、ジェームズの根本的経験論、ベルクソンの純粋持続の哲学など実証主義から形而上学までその立場に違いはあるものの「哲学の思考方法」は共通する基本的立場です。此の立ち位置は新カント派などにみられる主知主義的傾向およびデカルト以来の物心二元論に対する根本的な批判の姿勢を有すること、純粋経験をもっとも基本的な実在としてとらえ、唯物主観とは一線を画し合い入れません。世界理法と自己の内精神の深層に眠る霊的実体とが一体化し合一した意識状態を西田幾多郎は「偽我を殺し尽して一たび此世の慾より死して後蘇る」と表現しています。西洋の論理を追求しながら,根底に東洋の思考,日本人の心性を踏まえた思考方法であり禅道とはいえ宗教的な盲信を排除していることに特段の価値を持ちます。

Nishida-Kitaro-House1
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最終更新日  2015年06月23日 07時24分51秒
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