Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2015年06月25日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」西田幾多郎の親友(百六十七)
 臨済宗国泰寺派の大本山雪門禅師に鈴木大拙に次いでの参禅したといわれる鈴木大拙は日本を代表する宗教思想家です。西田幾多郎と同じ年(1870年:明治3年)に郷里も同じ石川県で生を得、金沢の第四高等中学校予科では同級生として学門を通りぬけ、二人は奇しくも哲学と宗教の違いはあれども其の後の人生を共有します。加賀百万石は蓮如上人の一向宗をみても歴史的に宗教性の高い精神風土を持ちます。越前永平寺があって、禅も盛んです。このような精神風土の中で西田も鈴木も若い頃から、自然によく参禅したのも当然かもしれません。まして明治初期、第四高等中学ができたばかりの頃に若き西田と鈴木が編入学し机を並べて切磋琢磨する。二人は共に若き頃より肉親の死に立ち会います。近親者の死を体験した人は大きな喪失感があらかた3年は悲しみの中に陥いりまる。暫くは誰もがうつ状態の中になり、時には江藤淳のように、立ち直る事ができずに自死する者も現れるのは特異ではありません。喪失体験から立ち直るには、悲しみを、例えば言語化する事によって、身体から切り離し「思い出」化していくような作業が必要になります。である。天才であればそれが優れた芸術作品にもなり、人生を飛躍化させることもあります。深淵なる悲しみから人生の無常を悟り、詩人、求道者、哲学者、宗教家になっていく天才人もいます。道元は8歳の時に母を亡くし、世の無常を感じ14歳で出家し、偉大な禅導師となりました。西田幾多郎の最初の肉親との死別体験は1883年の次姉である尚のチフスによる病死でした。当時13歳だった幾多郎は4歳年上の聡明な姉の死に大きな衝撃を受け。「余が初めて骨肉の死を実験したのは、余が十三四歳の頃、余が姉の病死せし時であった。余はこの時初めて人間の死がいかに悲しきものなるかを知り、人なき所に至りて独り涙を垂れ幼き心にも、もし余が姉に代わりて死し得るものならばと心から思ったこともあった。今度余の弟の死は余をして、また当時の感を新たにせしめたのである。」と言わしめます。片や、鈴木大拙も6歳の折に父良準が54歳で亡くなる。その2年後に次兄・利太郎が11歳で早世、大拙の母の増はこの二人の死に強い精神的衝撃を受け深い悲嘆の中に陥ります。その癒しを求めて鈴木大拙は、様々な宗教的行動を取るようになり、自然大拙も母の行動に感化されていったことは当然です。「深く己の無力なるを知り、己を棄てて絶大の力に帰依する時、後悔の念は転じて懺悔の念となり心は重荷を卸した如く、自ら救い、また死者に詫びることができる」「人生の悲哀という事実を見つめて行く時、我々に宗教の問題が起こってくる。」その悲嘆体験が西田幾多郎の「善の研究」の完成に繋がっているとみます。要するに金沢の歴史的宗教風土の中で西田と鈴木は共に肉親の死による深い悲しみの中で、幾多郎は哲学を大拙は禅を究めていくことで、超克していったといえます。世の「無常」を感じ其れを哲学思考として極めていくかは、宗教的神秘主義を抱くかはここのないの奥底に眠る霊魂の覚醒の仕様で決まります。

鈴木大拙1
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最終更新日  2015年06月25日 06時31分47秒
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