Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2015年06月26日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」西田幾多郎の門下生(百六十八)
 第一高等学校は、現在の東京大学教養学部及び千葉大学医学部や其の薬学部の前身となった旧制高等学校である旧制一高とも呼ばれる一高在籍時に、西田幾多郎の「善の研究」に強い感銘を受け、京大で哲学を学ぶことを決心する人間が輩出します。当時は一高を出れば東京帝国大学のコースを敢えて京大に進むことは極めて異例でした。ところが、三木清を始めとして、其の後には、戸坂潤や西谷啓治、梯明秀など多くの俊英がこの同じコースを辿ることとなります。三木清はマルクス主義思想を単に社会観として受け入れられていたのを哲学として理解するという三木の思考は当時の日本の思想界に大きな反響を呼びます。彼は西田幾多郎の「行為的直観」を「心の技術」にとどまるものとして観想的立場に陥る危険性を有していることを指摘しています。このことから三木がこの『構想力の論理』において西田哲学の唯物論化、乗り越えを試みていたと推測できるかもしれません。人間学としてののマルクス的形態を模索していたとも言えます。その三木の後輩に当たる戸坂潤は三木によって唯物論への目を開かれた後に、「京都学派」という呼称を最初に与え、「無の論理」は論理であるか等の西田への批判論文をも著述し、唯物論の原理的な解明に努めその普及に努めています。しかし、幸いかな幾太郎は、和20年の8月にに三木が、続いて9月に戸坂が共に獄中で病死、知らずに昭和20年の6月に天寿を全うしています。此の状況が、当時には哲学は死んだと嘆かせ義思想を哲学として至上とする人間には、ニーチェではないけれど「マルクス主義哲学、ニーチェでは神」は死んだと嘆かせます。然し乍ら、偉大な禅導師である道元の修道法を敢えて実践し、其の結果を思索すれば哲学は死んだと嘆くことはなかった筈です。

道元1
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最終更新日  2015年06月26日 06時06分35秒
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