Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2015年09月16日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-27(二百三十一)
 哲学史上「在る」という言葉の語彙は、一般的に生活で使用される「在る乃至有る」とは次元を異にしています。哲学上に現れる「在る」という言葉の語彙は、物事の本質を意味する「何であるか」に対応するもので、ソクラテス・プラトンの説く「在る」という言葉の語彙は、アリストテレスの説く「在る」という言葉と定義上において意味持つところが異なっています。「存在」に関しては19世紀の20世紀大陸哲学の潮流における最も重要な哲学者の一人とされるドイツの哲学者マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger/1889年-1976年)が「存在者」(Seiende)と「存在一般」(Sein)を区別し定義したことは広く知れ亘っていますが、アリストテレスは形而上学的見地から「何であるか」の問に物の本質、実体性を指意していると其の本質を付与します。アリストテレスは「何であるか」の問には、大きく在るとか小さく在るとかは「在る」という見地からは除外して、彫像であるとか人間であるとかが第一義的に「在る」ものであって「実体」だと主張します。だが此処に問題が生じます。彫像であるとか人間であるとかといっても、指し示される個物としての対象と個物における類、言い換えれば個物に共通の本質が浮かび上がります。然し乍ら、アリストテレスは個物としての対象と個物における類よりも指し示される個物としての対象を重視して、其れについて他のものごとは述語されるが、其れ自らは他の何もの術語にもならないそのもの自身」を実体と成さしめ、個物を傘下にする「類」を第二実体として区別しています。此処から導き出されるのは、イエス・キリストは実体ですが、「神」一般は普遍的であり「類」としての対象と捉えられることに成り得ることにも注視すべき課題が残ります。

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最終更新日  2015年09月16日 07時34分02秒
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