Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2016年02月18日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/イマヌエル・カント-15(三百六十七)
 「思考と直覚」の直覚とは世界の理法に自己の精神理法を同化させることを云うのですが、其の前提には先ず、外感覚が捉える表象、取り分け正しく受け止め得る能力を持って知覚表象を自己内意識と統合し統一する「統覚」が必須となります。ルネ・デカルトのコギト・エルゴ・スムの我の意識即ち「自我」をデイヴィッド・ヒュームは自我そのものを解体し、其れ其れの個別的経験にすぎない経験から観念の主体を束ね想定した「私の感覚」「私の観念」とすり替えた抽象観念だと決めつけます。ヒュームのデカルト批判を受けてカントは全ての表象に「我思う』」が伴いうるのでなければならない」と考え、「私は直観において与えられた多様な表象を一個の意識において結合することによってのみ、これらの表象における意識の同一性そのものを表象できるのである」とヒュームが否定した経験の原因を肯定したうえで、多様な表象を結合する能力こそが「統覚」であり、それをカントは悟性のもつ先駆的な能力であると主張します。言い換えるとヒュームが個別の知覚に分解した「自我」を其れ其れの「知覚」に統一を与える能力としての認識力、即ち「悟性」を提示し其の統覚こそが人間の思考に悟性の統覚の能力を与え、後にはフィヒテらのドイツ観念論によって超越論的自我と定義されています。但し、注意すべきは此の超越論的自我を「魂」とは表現していることを、宗教的な意味合いで捉えては誤謬に陥ります。其れは世界内存在に物質的に在るようなものではなく、世界を自我の中に同化する能力であり、世界の理法に自己の精神理法を同化させることを云うのです。其の実体とは外感覚的で物質世界の奥底にある創造力そのものの存在を意味します。「思考と直覚」は其の基本的思考への「テーゼ」となります。
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最終更新日  2016年02月18日 07時22分54秒
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