Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2016年03月14日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/イマヌエル・カント-32(三百九十一)
 カントは認識できない「物自体」は存在するかもしれないが、それは人間には不可知なもの、単に人間理性の「理想」に過ぎないと述べています。たとえ「物自体」が絶対者で創造主であるにしても人間が其の実体に見合うことは不可能、信仰以外には、精神が「認識」として意識すること、更には自覚するのは甚だ困難だと云えます。「神が絶対者で創造主である」ことの根拠は、カントが云うように人間理性の「理想」に過ぎないとするのが妥当だとも言えます。デカルトによる定立あるいは措定(そてい)観念、何かをそれとして立題すること、事態や対象の存在を想定したり肯定したりすることであり、狭義には、ある命題を証明なしに直接に主張する思考の働き、将又、其の様に主張されう命題です。定立・措定は推論の開始をなし、フィヒテでは自己や対象を生み出す自我の活動が其れで、ヘーゲルでは弁証法の第一の契機(モメント)が措定と呼称されていますが、構想ととった方が解りやすい。何れにしても何かをそれとして立題すること、事態や対象の存在を想定したり肯定したりすることの二つの意味を併せもっています。フィヒテとヘーゲルの両者とも措定・反措定・総合という運動を考えたが、フィヒテが措定を絶対的であるとするのに対し、ヘーゲルは総合に強調点を置きます。対して神の存在証明「神とは全能である。全能であれば、存在という属性も備えているはずである。故に神は存在する」には、カントは定立に対立するのがアンチテーゼ(Antithese)、肯定的主張に対応する否定的主張を反定立をもって応えます。認識論によれば「検証」されないものは存在するものではないとします。それ故、フォイエルバッハの「キリスト教の本質」という著書に「神は私たち人間の作った空想の産物」というのも不可知なものを人間が認識出来ないという語彙としえ捉えるべきものなのでしょう。此処にカントの思考法である二律背反が俎上します。
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最終更新日  2016年03月14日 10時22分42秒
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