Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2017年07月29日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ68
 スピノザの「神」存在を比較検討するには、新約聖書が最適でしょう。特にハネ福音書の初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった(ヨハネ1:1)。言葉は肉となった(ヨハネ1:14)の四つの命題はヨハネ福音書の枠組みが見事に要約させています。此処で云う言葉とは、所謂、人間が話す意味での「言語」ではなく、ソクラテス以来の言(ロゴス)です。ロゴス(logos)とは、元来(がんらい)は古典ギリシア語の音写で、 概念や意味、論理や説明と理由、理論及び思想などを指しますが、 キリスト教では、人語では理解不可能な「神のことば」世界を構成する論理としてのイエス・キリストの表現を意味します。 哲学的にはロゴス(logos)は真を語る言語、論理、真理の意味、転じて「論理的に語られたもの」「語り得(う)るもの」という意味で用いられることもあります。キリスト教的には「自己」の創造への神の語りかけであり、その救済意志の表現です。ヨハネの福音書の示す、これが「神と共に」ありつつ、同時に「神である」存在として、天地創造の前から存在したという信仰告白は、驚くべき「神の秘義」を自らの言語で、未来を予言するに非ず、通常の人間には、皆目、わからない「神のことば」を預言「通詞・翻訳」しています。更には、そのロゴスが「肉となった」。詰まるところ、人間イエスとして受肉したと解く信仰告白は、旧約聖書の示すユダヤ教的神観の思考では成り立ち得ぬ信仰的逆説です。神が一部とはいえ受肉して人となった。この事実に基づいてこそ、かくまで身を低くして世に来られたロゴスなるイエスを拒否し、十字架に架けた、あの人間の反抗の姿を通して、罪の実態が極点に至るまで噴出したのであり、この様な罪を身に負って死んだイエスの十字架を通してこそ、神の救済意志が貫徹されるとし、神の最終的勝利が宣言されるのです。同じ「ロゴス」にしても信教的に云う「ロゴス」とエチカが捉える「ロゴス」とに同一側面は見い出し得ません。
Logos1

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最終更新日  2017年07月29日 07時33分37秒
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