「霊魂論」エチカ詳解80 人間が「自由意思」と思いがちなのは普段の生活にあっては何の疑問も抱かずに自己の意志で決定していることに起因します。果たしてそうなのか。「自由意思」とは自己が外在から強制・拘束・妨害などを受けないで行動や選択を自発的に決定しうる意志であり、意志の自由(freedom of will)を意味します。プラトンは「国家論」の「エルの神話」のなかで、人間には死後の運命に対する選択の余地があり、その内容は道徳的行為によってきまると述べたましたが,他方では人間は神の「遊び道具」であるともいっています。信仰に関して人間に自由意志をみとめた最初の人はシリア西部の都市ホムスの旧称エメサ(Emesa)のネメシオス{Nemesios(359ころ没)}であるとされますが、「自由意志」とは人間の精神のうちにあって、自然法則の因果の必然によって規定されずに自発的に発動する能力が自由意志であるとします。そうした能力の存在は、選択とか意志決定の自由として意識されるのです。其れをスピノザは、人間が自由意志をもつと確信するのは行為の真の原因について無知であることによるのであって、人間の意志や行為もすべて因果の必然によって規定されている。このように自由意志の存在を否定するのが決定論で、現代の科学者や科学哲学者のにも決定論者は数多く存在しています。スピノザの「目的論」批判は専ら哲学的思考の「目的論」に焦点を当てているのであって、スピノザの実践倫理学では「目的論」が復活しますが、其処には空白概念を持った自由意思ではなく、或る定まった目的概念があります。スピノザの哲学思考の目的論と実践倫理学での目的的志向は矛盾に陥らな訳です。