Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2019年04月01日
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カテゴリ: 夢有無有
「霊魂論」エチカ詳解154
 16世紀にスペインの圧政から解放と自治を目ざして独立戦争を起こしたオランダは、その建国の理念をローマ・カトリックの強権に対する宗教の自由においていました。このことは、宗教的・倫理的には信教・思想の自由を、世俗的には市民参加による自治行政を熱心に擁護する国民性に現在に至るも繋がっています。商業資本に基盤を置き海洋国家として発展するにはの自由性が必要でだったのです。同時にローマ・カトリックに対抗して独立運動の思想基盤をつくったプロテスタントのカルバン派の運動は、16世紀後半以降ヨーロッパ各地で迫害されていたプロテスタントの思想家や研究者を受け入れて彼らの研究や思想に場を提供してます。それ等はやがてプロテスタント信仰を超えて啓蒙主義の発展を促し、オランダは近代思想の揺りかごの役割を果たすこととなります。如何にスピノザが「真の神」を絶対存在・絶対意識・絶対意思の存在だと主張しても自由都市王国ネーデルランドでは許容され、教会権威と云えども表立っては迫害が許される環境ではなかった。だのに、スピノザはエチカ公刊を自重します。実際のところ「正教会」からの圧力は感じていたでしょうが、自己の身の危険は然程には深刻では無かった筈です。スピノザの家族がオランダ移民に際して選んだ地はアムステルダムのユダヤ人共同体でした。彼はユダヤ教に縛られず一度はラビとしての聖職を志すも断念、自己の信念に従い立法とかけ離れた思想を示したから共同体からは締め出し破門(ヘーレム)され、狂信的なユダヤ人から暗殺されそうになったこと屡々だったのでしょう。ユダヤ教徒から見れば最悪の人間に見えたのでしょう。日本では此の様な者を「ころり」と言い、キリシタン弾圧の踏み絵を制作した元神父を蔑すんだ例があります。其れ故にもはや怨念となりスピノザは住地を定まることさえ不可能事となり、「エチカ」は地下水脈へと移動します。以降、スピノザのゆく先々ではユダヤの怨嗟の声が満ち溢れます。







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最終更新日  2019年04月03日 06時32分13秒
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