「霊魂論」エチカ詳解171 ピタゴラスは魂の輪廻(metempsicosi)あるいは転生(trasmigrazione)という教義を説いていたように推測できますが、はたして、此の教義が忠実に伝承されたものであるのないのか、彼の系統を引くヴィルギリウスやオヴィディウスがなしたような註釈から引き出されたものであるのかを知ることに確証はありません。此れはシッダルタの覚りと教えを教義として宗教にまで高めた上座仏教、其の語る真相を究めんとした大乗哲学に相似します。何れを取るにしても再生(palingenesi)と転生(trasmigrazione)は別ものだということになります。何故なら、再生(palingenesi)という語句は「新約聖書」でも使われているように、復活を意味する「アナスターシ(anastasiと)」いうことばを多言語其々に訳したものであって、たとえアナスターシということばが「福音書」の中でいろいろな意味に用いられているにしても、これは再生(palingenesi)の意味合いは持ちません。事実「聖書」に著されるの幾つかの節では「死者たちの復活」が語られており、別の節では「死者たちのもとからの復帰・帰還」が、また他の節では「肉の蘇り」が語られています。この三つ目の観念は曖昧最たるなもので、これには公然と聖パオロが反駁を加えているにせよ、この卓れてヘブル的な観念は教会博士たちの教えにおいては、他の二つの観念を凌駕するとともにそれらを包摂したものとなっています。この「肉の蘇り(復活)」は、オルヴィエートの大聖堂の中にルカ・シニョレッリ(Luca Signorelli)が描いてみせたように、唯一、真の再受肉です。これによってのみ、個人は自ら望むと望まないとにかかわらず、先にそうあったようなからだと魂であるところのものに戻るのであるから。こうして「第二の誕生」はまさに「先の状態(statu quo ante)」への帰還となるのがピタゴラス派の主張に想われます。ナザレがの大工ヨハネの息子が教養・知識もなく闇雲に神を語ったとは信じ難く、恐らくは、至高の神性を自己の身に体現すると主張したグノーシス主義との関わりを疑うのは飛躍しすぎるかも知れないが突っ込みを入れたい問題です。