「霊魂論」エチカ詳解245(生と死76) 霊はただ単に、其処(太陽系)其の存在で「在り続けたい」と欲する力ですが、それだけでは何も変化は生まれないことは予期される通りです。そこに「変わりたい」且つ「成長したい」という欲望が宿り、魂の濾過構造に霊が流れ込んだもの。それが「命」と呼ばれるものの正体なのかもしれません。我々人間が精神の内奥に秘めている力は、自己が何者であるのかを覚するのは「霊」であり、自分が何ものであるかを認識し成長及び滅びを齎すのが「魂」の仂きであり作用だと云えます。霊自体には生前経緯の記憶すらなく、専ら其の人間の生前行為の既歴や善悪を世界理法に照らして神の摂理に適うものなら其の認識を霊に付加し、適わぬものならシュレッダーとして全てを滅却します。「魂」が古今東西「炎の玉」として描画される由縁です。詰まるところ、我々理知を持った人間は霊でもあり、且つ魂ですが其の人間精神の構成分担が相違し、「自分が何者であるのか?(Remember who you are)は霊が受け持ち、自分が生きる目的は何か?(Remember your purpose)は魂の受け持ち分野です。世界理法に照らし合わせての正常な判別が出来得ない濾過器としての魂は一定期間は存続、つまりは世界への未練として存じますが、表現としては酷いですが世界哲理に照らして劫火で滅却されます。