Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年09月10日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-165
 スピノザ著「エチカ」の定理三三の備考二の後半部前項の次いで後半部の項では、神の完全性への一神教からの批判、特に神の意志に関してのを予期した体裁で、神の完全性が語られています。
 しかし彼らは言うであろう、物それ自身の中には完全性も不完全性もなく、物の中にあってそのため物が完全とか不完全とか善とか悪とか呼ばれるところのものは神の意志にのみ依存する、したがって神は、もし欲したなら、現に完全であるものをきわめて不完全なものであるようにすることができたろうし、また反対に、現に物の中にあって不完全性を意味するものをきわめて完全なものであるようにすることができたであろう。しかしこれは、その意志することを必然的に認識する神が、自らの意志によって、物をその認識するのとは異なった仕方で認識するようにすることができると公然と主張することに他ならない。これは前述したように、甚だしい不条理である。それゆえに、私は彼らの論証を彼ら自身に投げ返して次のように言うことができる。一切は神の力に依存する、だから物が異なったようにありうるためには神の意志もまた必然的に異なっていなければならぬ、ところが神の意志は異なったようにあることができない。我々が今しがた神の完全性に基づいてきわめて明瞭に示したようにである、そのことを理解すれば物は異なってあることができないと肯んずる筈である。
 世界の全ての一切を神の勝手な意志に従属させ、すべては神の裁量に依存すると主張するこの意見は、神がすべてを善の考慮のもとになすと主張する人々の意見ほどは真理から遠ざかっていないと私も認める。なぜなら後者は、神に依存しないある物、神が行動に際して理想と目し・あるいは一定の目的としてそれに向かって努力するようなある物、そうしたある物を神の外に立てているように見えるからである。これはまったく「神を運命に従属させる」のにほかならぬのであって、我々が示したように万物の本質ならびに存在の第一にして唯一の自由原因たる神についてこれ以上不条理な主張は全くあり得ない。ゆえに私はこうした不条理を反駁するのに時間を費やすことはないのである。
 我々人間は神の意志を理解する能力が備わっているのであろうか。哲学・神学・仏学・物理科学は勿論のこと、精神分析学をはじめとする生理学にも期待が寄せられます。次項では神の「有り方」の一つの顕れを検証します。



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最終更新日  2021年09月10日 06時10分04秒
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