Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年12月01日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-246
 定理二五 人間身体のおのおのの変状(刺激状態)の観念は外部の物体の妥当な認識を含んでいない。
 証明 外部の物体が人間身体をある一定の仕方で刺激する限りその限りにおいて人間身体の変状(アフェクティオ)の観念はその外部の物体の本性を含んでいることを我々は示した(この部第二部の定理一六人間身体が外部の物体から刺激(アフィキトゥル)されるおのおのの様式の観念は、人間身体の本性と同時に、外部の物体の本性を含まなければならぬを見よ。)。しかし外部の物体がもともと人間身体と関係のない個体である限りにおいては、それの観念あるいは認識は、神が他の事物云々。本性上外部の物体自身に先立っているような(この部第二部の定理七 観念の秩序および連結は物の秩序および連結と同一である。)により、観念に変状(アフェクトゥス)したと見られる限りにおいてのみ神の中に在る(この部第二部の定理九 現実に存在する個物の観念は、神が無限である限りにおいてではなく神が現実に存在する他の個物の観念に変状(アフェクトゥス)した〔発現した〕と見られる限りにおいて神を原因とし、この観念もまた神が他の第三の観念に変状した限りにおいて神を原因とする、このようにして無限に進む。)により。ゆえに外部の物体の妥当な認識は、神が人間身体の変状の観念を有する限りにおいては神の中にない。すなわち人間身体の変状の観念は外部の物体の妥当な認識を含んでいない。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。
 我々の身体は物理的宇宙の一部としてここに生み出され、我々の精神は無限知性の中に帰結する身体の真なる観念だということになるのか。さすれば同じ理由ですべてのものに精神があることになるのであろうか。何方にしても身体と精神は同じものの反復的な二つの表現なので一致する、心身合一とはそういう一致のことだと捉えます。



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最終更新日  2021年12月01日 06時10分05秒
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