Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年12月02日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-247
 デカルトの心身二元論では精神と身体は異質なものとして取り扱い、隔絶させているため両者の合一を説明するのは原理的に不可能でした。スピノザはこの問題を解決するために精神と物体を実体と看做すことを破棄し、デカルトがその曖昧さ故に排除した「自然」へと回帰します。スピノザは身体と共に理性の表出根拠も同一の自然の中に求め、こうした精神と全自然との合一の認識は「神への知的愛」と呼称されます。この精神と身体を算出する自然は「能産的自然」、その創造性から「神」と看做されています。これがスピノザの汎神論を表す「神即自然」であり、神のみが唯一の実体、東洋哲学に云う「有」とされます。精神と身体は「思惟」と「延長」という二つの仕方での表出であるという考えを示し「心身平行論」を掲げます。また「観念」と「物体」の秩序と連結は同様であるとして、自然的身体の中にその根拠を求めることで心身結合を説明しました。だがここにおいて心身は神の投影された延長と様態であるがために、個体性を認められず精神の自由の問題が生じます。
 定理二六 人間精神は自己の身体の変状(アフェクトゥス)「刺激状態」の観念によってのみ外部の物体を現実に存在するものとして知覚する。
 証明 もし人間身体がある外部の物体からいかなる仕方でも刺激されないなら、人間身体の観念もまた(この部第二部の定理七 観念の秩序および連結は物の秩序および連結と同一であるにより)、言いかえれば(この部第二部の定理一三 人間精神を構成する観念の対象は身体である、あるいは現実に存在するある延長の様態である、そしてそれ以外の何ものでもない。により)人間精神もまた、いかなる仕方でもそうした物体の存在の観念に刺激されない。すなわち人間精神はそうした外部の物体の存在をいかなる仕方でも知覚しない。これに反して人間身体がある外部の物体からある仕方で刺激される限り、人間精神は(この部第二部の定理一六 人間身体が外部の物体から刺激(アフィキトゥル)されるおのおのの様式の観念は、人間身体の本性と同時に、外部の物体の本性を含まなければならぬ。および、その系一 この帰結として第一に、人間精神は自分自身の身体の本性とともにきわめて多くの物体の本性を知覚するということになる。により)外部の物体を知覚する。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。
 系 人間精神は、外部の物体を表象する限り、それの妥当な認識を有しない。
 証明 人間精神がその身体の変状の観念によって外部の物体を観想する時、我々は精神が物を表象すると言う(この部第二部の定理一七の備考我々は、しばしば起こるように、もはや存在しないものをあたかも現在するかのごとく観想するということがいかにして起こりうるかを知る云々を見よ)。しかも精神は他の仕方では(前定理 人間身体のおのおのの変状(刺激状態)の観念は外部の物体の妥当な認識を含んでいない。により)外部の物体を現実に存在するものとして表象し得ない。したがって精神は外部の物体を表象する限りそれの妥当な認識を有しない。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。



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最終更新日  2021年12月02日 06時03分35秒
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