Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2022年02月16日
XML
カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-323
 定理二五 我々は、我々自身あるいは我々の愛するものを喜びに刺激すると表象するすべてのものを、我々自身および我々の愛するものについて肯定しようと努める。また反対に、我々自身あるいは我々の愛するものを悲しみに刺激すると表象するすべてのものを否定しようと努める。
 証明 我々の愛するものを喜びあるいは悲しみに刺激すると我々が表象するものは、我々をも喜びあるいは悲しみに刺激する(この部第三部の定理二一 自分の愛するものが喜びあるいは悲しみに刺激されることを表象する人は、同様に喜びあるいは悲しみに刺激されるであろう。しかもこの両感情が愛されている対象においてより大でありあるいはより小であるのに応じて、この両感情は愛する当人においてもより大でありあるいはより小であるであろう。により)。ところが精神は(この部第三部の定理一二 精神は身体の活動能力を増大しあるいは促進するものをできるだけ表象しようと努める。により)我々を喜びに刺激するものをできるだけ表象しようと努める。言いかえれば(第二部定理一七 もし人間身体がある外部の物体の本性を含むような仕方で刺激されるならば、人間精神は、身体がこの外部の物体の存在あるいは現在を排除する刺激を受けるまでは、その物体を現実に存在するものとして、あるいは自己に現在するものとして、観想するであろう。および、その定理一七系 人間身体をかつて刺激した外部の物体がもはや存在しなくても、あるいはそれが現在しなくても、精神はそれをあたかも現在するかのように観想しうるであろう。により)そうしたものを現在するものとして観想しようと努める。また反対に(この部第三部の定理一三 精神は身体の活動能力を減少しあるいは阻害するものを表象する場合、そうした物の存在を排除する事物をできるだけ想起しようと努める。により)我々を悲しみに刺激するものについてはその存在を排除しようと努める。ゆえに我々は、我々自身あるいは我々の愛するものを喜びに刺激すると表象すかすべてのものを、我々自身および我々の愛するものについて肯定しようと努める。また反対の場合は反対のことに努める。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。
 以上は、たとえ「愛」そのものを共有する集団であれ、「愛」の対象が複数に跨がれば敵対性を帯びる集団意識の危険性に警鐘を与えたものともとれます。



哲学・思想ランキング





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022年02月16日 06時10分04秒
コメント(0) | コメントを書く
[絶対存在論] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: