Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年02月20日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-326
 定理二七以降の前半の証明・備考・系の内容の一部は、恰も仏教の教え、世の衆生がその名を唱える音声を観じて、大慈大悲を垂れ、自らの解脱、衆生に救いを得させるという目的を持つ菩薩及び観音、即ち修行中の生(聖)者を連想させます。
 証明 事物の表象像とは人間身体の変状「刺激状態」のことであり、そしてその変状の観念は外部の物体を我々に現在するものとして思い浮かべさせる(第二部定理一七の備考要約: 我々は、しばしば起こるように、もはや存在しないものをあたかも現在するかのごとく観想するということがいかにして起こりうるかを知る。により)。言いかえれば(第二部定理一六 人間身体が外部の物体から刺激(アフィキトゥル)されるおのおのの様式の観念は、人間身体の本性と同時に、外部の物体の本性を含まなければならぬ。により)その変状の観念は我々の身体の本性と同時に外部の物体の現在的本性を含んでいる。ゆえにもし外部の物体の本性が我々の身体の本性に類似するならば、我々が表象する外部の物体の観念は、外部の物体の変状に類似した我々の身体の変状を含むであろう。したがってもし我々に類を同じくするあるものがある感情に刺激されたことを我々が表象するなら、この表象は、この感情に類似した我々の身体の変状を表現するであろう。だから我々と類を同じくするあるものがある感情に刺激されることを表象することによって、我々はそのものと類似の感情に刺激される。しかしもし我々と類を同じくするものを我々が憎んでいるなら、その限りにおいては、我々は(この部第三部の定理二三 自分の憎むものが悲しみに刺激されることを表象する人は喜びを感ずるであろう。 これに反して自分の憎むものが喜びに刺激されることを表象すれば悲しみを感ずるであろう。そしてこの両感情は、その反対の感情が自分の憎むものにおいてより大でありあるいはより小であるのに応じて、より大であり、あるいはより小であるであろう。により)そのものと反対の感情に刺激され、類似の感情には刺激されないであろう。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。
 備考(備考1) 感情のこの模倣が悲しみに関する場合には憐憫と呼ばれる。しかしそれが欲望に関する場合は競争心と呼ばれる。ゆえに競争心とは我々と同類の他のものがあることに対する欲望を有すると我々が表象することによって我々の中に生ずる同じ欲望にほかならない。
 系一 その人に対して我々が何の感情もいだいていないある人が、我々と同類のものを喜びに刺激することを我々が表象するならば、我々はその人に対して愛に刺激されるであろう。これに反してその人がそうしたものを悲しみに刺激することを我々が表象するならば、我々はその人に対して憎しみに刺激されるであろう。
 証明 この系は、この部の定理二二が定理二ーから証明されたのと同じ仕方(感情の比較衡量)で前定理(定理二六 我々は、我々の憎むものを悲しみに刺激すると表象するすべてのものをその憎むものについて肯定しようと努める。また反対に我々の憎むものを喜びに刺激すると表象するすべてのものを否定しようと努める。)から証明される。
 系二 我々の憐れむものの不幸が我々を悲しみに刺激するからといって、我々はそのものを憎むことはできない。



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最終更新日  2022年02月20日 06時06分11秒
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