Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年03月19日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-353
 愛と憎しみの精神感情の経緯は、各人は容易に希望および恐怖に適用しうること。恐怖なき希望というものはありえずまた希望なき恐怖というものもありえないこと。人類が古今東西、史上如何に其れ等と対面するも、一縷の望みを掛け希望を託して戦ってきたかは衆知の事実です。また、呪いや迷信は希望および恐怖から生じると言っても過言ではないでしょう。:記
 定理五〇 おのおのの物は偶然によって希望あるいは恐怖の原因であることができる。
 証明 この定理はこの部第三部の定理一五と同じ方法、精神感情の起因・反応・結果で証明される。同定理をこの部第三部の定理一八の備考(単略:我々は希望、恐怖、安堵、絶望、歓喜および落胆の何たるかを理解する。すなわち希望とは我々がその結果について疑っている未来または過去の物の表象像から生ずる不確かな喜びにほかならない。これに反して恐怖とは同様に疑わしい物の表象像から生ずる不確かな悲しみである。さらにもしこれらの感情から疑惑が除去されれば希望は安堵となり、恐怖は絶望となる。すなわちそれは我々が希望しまたは恐怖していた物の表象像から生ずる喜びまたは悲しみである。次に歓喜とは我々がその結果について疑っていた過去の物の表象像から生ずる喜びである。最後に落胆とは歓喜に対立する悲しみである。)と併(あわ)せ見よ。
 備考 偶然によって希望あるいは恐怖の原因たる物は善い前兆あるいは悪い前兆と呼ばれる。ところでこれらの前兆は、希望あるいは恐怖の原因である限りにおいて喜びあるいは悲しみの原因である。したがって我々はその限りにおいてそれを愛しあるいは憎み、また)それを我々の希望するものへの手段として近づけあるいはその障害ないし恐怖の原因として遠ざけるように努める。その上この部第三部の定理二五(我々は、我々自身あるいは我々の愛するものを喜びに刺激すると表象するすべてのものを、我々自身および我々の愛するものについて肯定しようと努める。また反対に、我々自身あるいは我々の愛するものを悲しみに刺激すると表象するすべてのものを否定しようと努める。)から分かる通り、我々は希望するものを容易に信じ・恐怖するものを容易に信じないようなふうに、また前者については正当以上に・後者については正当以下に感ずるようなふうに生来できあがっている。そしてこれからして、人間がいたるところで捉われているもろもろの迷信が生じたのである。
 なおまた、希望および恐怖から生ずる心情のさまざまの動揺をここに説明することは無用であると私は信ずる。なぜなら、単にこの両感情の定義だけからして、恐怖なき希望というものはありえずまた希望なき恐怖というものもありえないことが明らかであり、これは適当な場所でいっそう詳しく説明するであろう。その上また我々は、あるものを希望しあるいは恐怖する限りそのものを愛しあるいは憎み、したがって我々が愛および憎しみについて述べたことを各人は容易に希望および恐怖に適用し得るからである。



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最終更新日  2022年03月19日 06時09分39秒
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