Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年05月16日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-411
 定理二三 人間が非妥当な観念を有することによってある行動をするように決定される限りは、有徳的に働くとは本来言われえない。彼が認識「*妥当な認識」することによって行動するように決定される限りにおいてのみそう言われる。
 証明 人間が非妥当な観念を有することによって行動するように決定される限り、その限り彼は働きを受ける(第三部定理一 我々の精神はある点において働きをなし、またある点において働きを受ける。すなわち精神は妥当な観念を有する限りにおいて必然的に働きをなし、また非妥当な観念を有する限りにおいて必然的に働きを受ける。により)、言いかえれば、その限り彼は自己の本質のみによって知覚されえないある事(第三部定義一 ある原因の結果がその原因だけで明瞭判然と知覚されうる場合、私はこの原因を妥当な「*十全な」原因と称する。これに反して、ある原因の結果がその原因だけでは理解されえない場合、私はその原因を非妥当な「*非十全な」原因あるいは部分的原因と呼ぶ。および、第三部定義二 我々自らがその妥当な原因となっているようなある事が我々の内あるいは我々の外に起こる時、言いかえれば我々の本性のみによって明瞭判然と理解されうるようなある事が我々の本性から我々の内あるいは我々の外に起こる時、私は我々が働きをなす「*能動」と言う。これに反して、我々が単にその部分的原因であるにすぎないようなある事が我々の内に起こりあるいは我々の本性から起こる時、私は我々が働きを受ける「*受動」と言う。により)、すなわち(この部第四部の定義八により)自己の徳から起こらないある事をなすのである。これに反して彼が認識〔妥当な認識〕することによって行動するように決定される限りその限り彼は働きをなす(同じく第三部定理二により)、言いかえればその限り彼は(第三部定義二により)自己の本質のみによって知覚されうるある事、すなわち(この部の定義八 徳と能力とを同一のものと私は解する。言いかえれば、人間について言われる徳とは、人間が自己の本性の法則のみによって理解されるようなあることをなす能力を有する限りにおいて、人間の本質ないし本性そのもののことである。により)自己の徳から妥当に起こるある事をなすのである。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。
 記:スピノザの徳が単に自己保存の努力を指すものであれば、人類社会には精神の正邪の分別無く徳の人で埋まります。たとえ妥当な観念を持った自己保存の努力を指すものとしても不足感は否めません。スピノザ哲学が人間の本性に理性があることを前提にした性善説と捉えられる所以です。



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最終更新日  2022年05月16日 06時03分37秒
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