Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年06月06日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-432
  定理三七備考一及び備考二
 備考二後半
 記:人間は必然的に常に受動に隷属し、また自然の共通の秩序、宇宙=世界or宇宙>世界、及びマルチバース論に従えば世界>宇宙。スピノザの世界観に従えば、神=宇宙=世界そして物理法則>生命秩序>社会法)に従い、これに服従し、かつこれに対して自然が要求するだけ順応するということになる。しかも彼は最高の自然権として、真と偽、善と悪を識別する能力。美と醜を識別する働きさえも理性に帰せられることがある「理性」を取り上げ、受動的諸感情への対応を示します。
 しかもそれら(記:世界に存在する本性に付随する付帯の諸感情)は人間の能力ないし徳をはるかに凌駕するのであるから(この部第四部の定理六 ある受動ないし感情の力は人間のその他の働きないし能力を凌駕することができ、かくてそのような感情は執拗に人間につきまとうことになる。により)、そのゆえに彼らはしばしば異なった方向に引きずられ(この部第四部の定理三三 人間は受動という感情に捉われる限りにおいて本性上たがいに相違しうるし、またその限りにおいては同一の人間でさえ変りやすくかつ不安定である。により)、また相互扶助を必要とするにもかかわらず(この部第四部の定理三五の備考 要項:相互扶助の価値論により)相互に対立的であることになる(この部第四部の定理三四 人間は受動という感情に捉われる限り相互に対立的でありうる。により)。それゆえ人間が和合的に生活しかつ相互に援助をなしうるためには、彼らが自己の自然権を断念して、他人の害悪となりうるような何ごともなさないであろうという保証をたがいに与えることが必要である。しかしこのこと、すなわち諸感情に必然的に隷属し(この部第四部の定理四の系 抜粋:人間は必然的に常に受動に隷属し、また自然の共通の秩序に従い、これに服従し、かつこれに対して自然が要求するだけ順応する、ということになる。により)かつ不安定で変りやすい(この部第四部の定理三三 人間は受動という感情に捉われる限りにおいて本性上たがいに相違しうるし、またその限りにおいては同一の人間でさえ変りやすくかつ不安定である。により)人間が、相互に保証を与え相互に信頼しうるということがいかにして可能であろうかといえば、それはこの部の定理七および第三部の定理三九から明らかである。そこで述べたところによれば、どんな感情も、それより強力でかつそれと反対の感情によってでなくては抑制されえないものであり、また各人は、他人に善悪を加えたくてももしそれによってより大なる害悪が自分に生ずる恐れがあれば、これを思いとどまるものである。そこでこの法則に従って社会は確立されうるのであるが、それには社会自身が各人の有する復讐する権利および善悪を判断する権利を自らに要求し、これによって社会自身が共通の生活様式の規定や法律の制定に対する実権を握るようにし、しかもその法律を、感情を抑制しえない理性(この部第四部の定理一七の備考 抜粋:なぜ人間が真の理性によってよりもむしろ意見(オビニオ)によって動かされるか、またなぜ善および悪の真の認識が心情の動揺を惹き起こしかつしばしばあらゆる種類の官能欲に征服されるかの原因を示したと信ずる。かの詩人の言葉はここから来ている、「我はより善きものを見てこれを可とす、されど我はより悪しきものに従う」。伝道者〔ソロモン(Solomōn)〕が「知識を増す者は憂患を増す」と言っているのも同じことを念頭に置いたものと思われる。  (オヴィディウス、ソロモン)
 しかし私がこうしたことを言うのは、それから無知が知にまさるとか、感情の制御において愚者と智者の間に差別がないとかいうようなことを結論しようと思ってではない。むしろ、理性が感情の制御において何をなしえ、また何をなしえざるかを決定しうるには、我々の本性の能力とともにその無能力をも知ることが必要だからである。により)によってではなく、刑罰の威嚇によって確保するようにしなければならぬ。さて法律および自己保存の力によって確立されたこの社会を国家と呼び、国家の権能によって保護される者を国民と名づけるのである。     (相互援助、国家)
 これからして、自然状態においては、すべての人の同意に基づいて善あるいは悪であるようないかなることも存在しないことを我々は容易に知りうる。なぜなら、自然状態における各人はもっばら自己の利益のみを計り、自分の意のままにかつ自分の利益のみを考慮して何が善であり何が悪であるかを決定し、またいかなる法律によっても自分以外の他人に服従するように義務づけられないからである。したがってまた自然状態においては罪過というものは考えられない。しかし一般の同意に基づいて何が善であり何が悪であるかが決定されて各人が国家に服従するように義務づけられる国家状態においてはそれが考えられる。すなわち罪過とは不服従にほかならず、それはこのゆえに国家の権能によってのみ罰せられる。これに反して服従は国民の功績とされる。まさにそのことによって国民は国家の諸便益を享受するのに価すると判断されるからである。 
 次に、自然状態においては、何びとも一般的同意によってある物の所有主であることはない。また自然の中にはこの人に属してかの人に属さないといわれうるような何ものも存しない。むしろすべての物がすべての人のものである。したがって自然状態においては各人に対し各人の物を認めようとかある人からその所有のものを奪おうとかする意志は考えられえない。言いかえれば自然状態においては正義とか不正義といわれうる何ごとも起こらない。しかし一般の同意に基づいて何がこの人のものであり何がかの人のものであるかが決定される国家状態においてはこのことが起こる。以上のことから正義ならびに不正義、罪過および功績は外面的概念であって、精神の本性を説明する属性でないことが判明する。しかしこれらのことについてはこれで十分である。  (自然状態 原始共産主義)
 記:スピノザが定理三七 徳に従うおのおのの人は自己のために求める善を他の人々のためにも欲するであろう。そして彼の有する神の認識がより大なるに従ってそれだけ多くこれを欲するであろうでは、彼の出自ユダヤ民族の民族宗教である旧約の教えと制度へのしがらみが思いの外推し量れます。



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最終更新日  2022年06月06日 06時00分33秒
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