Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年06月09日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-435
 定理三九の人間身体の諸部分における運動および静止の相互の割合が維持されるようにさせるものは善であり、これに反して人間身体の諸部分が相互に運動および静止の異なった割合をとるようにさせるものは悪であるとの文言は、人間の身体を構成する肉体的な滅びである死、身体的機能を維持しつつも精神的機能の停止状態を指し示します。詰まりは、スピノザ思考が無神論や唯物主義と看做される所以です。然し乍ら、彼は神を否定するのではなく、神なるものに神格性を、それも人格性を付与することには批判的であり、神を「法」として認識していることに間違いありません。「法=神=世界=宇宙≧人間精神≒認識」をスピノザは限られた生命の人間の最高の幸福、大乗の成仏と捉えているふしがあります。何故なら、日本が誇る「善の研究」の著者、西田幾多郎の思考にスピノザ思考の影響が多く見られるから、スピノザは亜細亜仏教にも携わっていたと思えるからです。
 備考 このことが精神にとってどれだけ害になりあるいは益になりうるかは第五部で説明されるであろう。しかしここで注意しなければならぬのは、身体はその諸部分が相互に運動および静止の異なった割合を取るような状態に置かれる場合には死んだものと私は解していることである。つまり、血液の循環その他身体が生きているとされる諸特徴が持続されている場合でも、なお人間身体がその本性とまったく異なる他の本性に変化しうることが不可能でないと私は信ずるのである。なぜなら、人間身体は死骸に変化する場合に限って死んだのだと認めなければならぬいかなる理由も存しないからである。かえって経験そのものは反対のことを教えるように見える。というのは、人間がほとんど同一人であると言えぬほどの大きな変化を受けることがしばしば起こるからである。私はあるスペインの詩人について次のような話を聞いた。彼は病気にかかり、そしてそれは回復したものの、彼は自分の過去の生活をすっかり忘れきって、自分が以前作った物語や悲劇を自分の作と信じなかったというのである。それでもし彼が母国語も忘れたとしたら、彼はたしかに大きな小児と見なされえたであろう。もしこうした話が信じがたいように思えるなら、小児について我々は何と言うべきであろうか。成人となった人間は、他人の例で自分のことを推測するのでなかったならば、自分がかつて小児であったことを信じえないであろうほどに小児の本性が自分の本性と異なることを見ているのである。しかし迷信的な人々に新しい疑問をひき起こすような材料を与えないために、私はむしろこの問題をこのくらいでやめておこうと思う。



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最終更新日  2022年06月09日 06時06分58秒
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