Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年06月08日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-434
 定理三九 人間身体の諸部分における運動および静止の相互の割合が維持されるようにさせるものは善である。これに反して人間身体の諸部分が相互に運動および静止の異なった割合をとるようにさせるものは悪である。
 証明 人間身体はその維持のためにきわめて多くの他の物体を要する(第二部要請四 人間身体は自らを維持するためにきわめて多くの他の物体を要し、これらの物体からいわば絶えず更生される。により)。しかし人間身体の形相を構成するものは、身体の諸部分がその運動をある一定の割合で相互に伝達することに存する(第二部定理一三のあとの補助定理四の前にある定義 同じあるいは異なった大いさのいくつかの物体が、他の諸物体から圧力を受けて、相互に接合するようにされている時、あるいは(これはそれらいくつかの物体が同じあるいは異なった速度で運動する場合である)自己の運動をある一定の割合で相互に伝達するようにされている時、我々はそれらの物体がたがいに合一していると言い、またすべてが一緒になって一物体あるいは一個体を組織していると言う。そしてこの物体あるいは個体は、構成諸物体のこうした合一によって他の諸物体と区別される。により)。ゆえに人間身体の諸部分が相互に有する運動および静止の割合が維持されるようにさせるものは人間身体の形相を維持するものであり、したがって、また、(第二部要請三 人間身体を組織する個体、したがってまた人間身体自身は、外部の物体からきわめて多様の仕方で刺激される。及び、同じく第二部要請六 人間身体は外部の物体をきわめて多くの仕方で動かし、かつこれにきわめて多くの仕方で影響することができる。により)人間身体が多くの仕方で刺激されうるようにさせ、また、人間身体が外部の物体を多くの仕方で刺激しうるようにさせるものである。ゆえにそれは(前定理 人間身体を多くの仕方で刺激されうるような状態にさせるもの、あるいは人間身体をして外部の物体を多くの仕方で刺激するのに適するようにさせるものは、人間にとって有益である。そしてそれは、身体が多くの仕方で刺激されることおよび他の物体を刺激することにより適するようにさせるに従ってそれだけ有益である。これに反して身体のそうした適性を減少させるものは有害である。により)善である。次に人間身体の諸部分が運動および静止の異なった割合を取るようにさせるものは人間身体が異なった形相を取るようにさせるものであり(第二部の定理一三のあとの補助定理四の前にある定義と同じ定義により)、言いかえれば、それ自体で明らかでありまたこの部の序言の終りに第四部序言の後半部:善および悪 善および悪に関して言えば、それらもまた、事物がそれ自体で見られる限り、事物における何の積極的なものも表示せず、思惟の様態、すなわち我々が事物を相互に比較することによって形成する概念にほかならない。なぜなら、同一事物が同時に善および悪、ならびに、善悪いずれにも属さない中間物でもありうるからである。例えば、音楽は憂鬱の人には善く、悲傷の人には悪しく、聾者には善くも悪しくもない。事情はかくのごとくであるけれどもしかし、我々はこれらの言葉を保存しなくてはならぬ。なぜなら、我々は、眺めるべき人間本性の型として、人間の観念を形成することを欲しているので、これらの言葉を前に述べたような意味において保存するのは我々にとって有益であるからである。
 そこで私は以下において、善とは我々が我々の形成する人間本性の型にますます近づく手段になることを我々が確知するものであると解するであろう。これに反して、悪とは我々がその型に一致するようになるのに妨げとなることを我々が確知するものであると解するであろう。さらに我々は、人間がこの型により多くあるいはより少なく近づく限りにおいて、その人間をより完全あるいはより不完全と呼ぶであろう。というのは、私が「ある人がより小なる完全性からより大なる完全性へ移る、あるいは反対により大なる完全性からより小なる完全性へ移る」と言う場合、それは「彼が一つの本質ないし形相から他の本質ないし形相に変化する」という意味で言っているのではなく、なぜなら例えば馬が人間に変化するならそれは昆虫に変化した場合と同様に馬でなくなってしまうから、単に「彼の活動能力、彼の本性を活動能力と解する限りにおいて、彼の活動能力が増大しあるいは減少すると考えられる」という意味で言っているのであって、この点は特に注意しなければならぬ。
 最後に私は、一般的には、完全性を、すでに述べたように、実在性のことと解するであろう。言いかえれば、おのおのの物がある仕方で存在し作用する限りにおいて、その物の本質のことと解するであろう。そしてこの際その物の持続ということは考慮に入れない。なぜなら、いかなる個物も、それがより長い時間のあいだ存在に固執したゆえをもってより完全だとは言われえないからである。事物の本質には何ら一定の存在時間が含まれていない以上、事物の持続はその本質からは決定されえないのだから。むしろおのおのの事物は、より多く完全であってもより少なく完全であっても、それが存在し始めたのと同一の力をもって常に存在に固執することができるであろう。したがってこの点においてはすべての物が同等なのである。
 *有を持続として捉えられる時間の特性。注意したように、人間身体が破壊されるようにさせ、したがってまたそれが多くの仕方で刺激されるのに全然適しないようにさせるものである。ゆえにそれは悪である。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。 特筆:成仏史観:死んで、この世に未練を残さず仏となること。また、死ぬこと。「安らかに成仏する」とは大乗仏教では最後の修行を終えた菩薩が悟りを開いて仏になるとき、諸仏から智水の灌頂を受けて成仏するものとされた。仏は真理界の帝王(法の王)であるから、成仏を法王の位に即(つ)く、物理学的に捉えれば物理法則に擬(なぞら)えたとも想われます。



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最終更新日  2022年06月08日 06時01分33秒
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