Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年06月12日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-438
 定理四二 快活は過度になりえず、常に善である。反対に憂鬱は常に悪である。
 証明 快活は(第三部定理一一の備考におけるその定義推論:我々は、精神がもろもろの大なる変化を受けて時にはより大なる完全性へ、また時にはより小なる完全性へ移行しうることが分かる。この受動が我々に喜びおよび悲しみの感情を説明してくれる。こうして私は以下において喜びを精神がより大なる完全性へ移行する受動と解し、これに反して悲しみを精神がより小なる完全性へ移行する受動と解する。さらに私は精神と身体とに同時に関係する喜びの感情を快感あるいは快活と呼び、これに反して同様な関係における悲しみの感情を苦痛あるいは憂鬱と呼ぶ。しかし注意しなければならないのは、快感および苦痛ということが人間について言われるのは、その人間のある部分が他の部分より多く刺激されている場合であり、これに反して快活および憂鬱ということが言われるのは、その人間のすべての部分が一様に刺激されている場合であるということである。を見よ)喜びの一種であって、この喜びは身体に関する限り、身体のすべての部分が均等に刺激されることに存する。言いかえれば(第三部定理一一 すべて我々の身体の活動能力を増大しあるいは減少し、促進しあるいは阻害するものの観念は、我々の精神の思惟能力を増大しあるいは減少し、促進しあるいは阻害する。により)、身体のすべての部分が相互に運動および静止の同じ割合を維持するような仕方で身体の活動能力が増大しあるいは促進されることに存する。したがって(この部第四部の定理三九 人間身体の諸部分における運動および静止の相互の割合が維持されるようにさせるものは善である。これに反して人間身体の諸部分が相互に運動および静止の異なった割合をとるようにさせるものは悪である。により)、快活は常に善であって過度になりえない。ところが憂鬱は(同様の思考経緯を示す第三部定理一一の備考におけるその同上定義を見よ)悲しみの一種であって、この悲しみは、身体に関する限り、身体の活動能力がすべての点において減少しあるいは阻害されることに存する。ゆえに(この部の定理三八 人間身体を多くの仕方で刺激されうるような状態にさせるもの、あるいは人間身体をして外部の物体を多くの仕方で刺激するのに適するようにさせるものは、人間にとって有益である。そしてそれは、身体が多くの仕方で刺激されることおよび他の物体を刺激することにより適するようにさせるに従ってそれだけ有益である。これに反して身体のそうした適性を減少させるものは有害である。により)憂鬱は常に悪である。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。
 記:此処で注意すべきは、所謂、躁鬱の一方の躁状態をスピノザは快活とは捉えていないことです。「躁」状態とは、気分が高揚し、万能感に満ちあふれます。 異常なほどの気分の高揚が持続していますが、接触した人間が見れば理性の片鱗さえ見得ない状態であり一種の狂気と看做されることです。



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最終更新日  2022年06月12日 06時10分08秒
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