Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年08月15日
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カテゴリ: 霊魂論
「四次元/Die Vierte Dimension」数学と現実
多次元空間 1908年10月22日、ベルリン 空間の概念 1-2
 空間に関する概念に次いでの問いは、果たして我々の概念的な思考様式は、空間を出発点として、より高次の現実へと拡張し得るかというものです。数学者たちにとっては、そのような思考様式に包含されているのは数字を含めた計算だけです。これは許されることなのでしょうか。これからお示しするように、数字を用いて空間の大きさを計算するということは、非常な混乱の因ともなります。何故そうなるのでしょうか。ひとつの例を上げれば充分でしょう。この平面図形は両サイドをどんどん広げていくことができます。そして、ついには、二つの線に挟まれた無限に広がる平面図形が得られることになります(図56)。
図56:この平面図形は無限に広い幅を有していますから、その大きさは無限大です(∞)。さて、他の人々が、この二つの線に挟まれた領域は無限に大きいという話しを聞くとしましょう。当然のことながら、これらの人々は無限大について考えるでしょう。けれども、もし、あなた方が無限大について触れるならば、彼らはあなた方が言おうとしていることについて全く間違った考えをもつかも知れません。それぞれの四角の側にもうひとつの四角をつけ加える、つまり、無限に多くの四角を有するもうひとつの列をつけ加えるとしましょう。その結果得られるのはやはり無限大ですが、最初の無限大のちょうど二倍とななる、大きさの異なる無限大なのです(図57)。したがって、∞=2∞となります。
図57:同様に∞=3∞もなり立つともいえましょう。数字を用いた計算においては、無限は、何らかの限定された数字と同様、容易に用いることができます。最初のケースにおいて、その空間は無限大であるというのは真実ですが、それ以外のケースでも、空間が2∞・3∞等々であるということもまた真実なのです。数字を用いて計算するときには、このようなことが起こり得ます。お分かりのように、無限大の空間という概念が数字計算に結びつけられる限り、より高次の現実へとさらに深く貫き至ることは不可能となります。数字というものは、実際、空間とは無関係なのです。エンドウ豆やその他の物体と同様、空間に関して、数字は全体として中立なのです。ご存じのように、数字による計算が現実の状況を変えるということは決してありません。もし、私たちがエンドウ豆を三個もっているとすれば、掛け算がその事実を変えることはありません。その掛け算が正しかったとしてもです。三×三=九の計算が九つのエンドウ豆を作り出すことはないでしょう。このような場合、何かについて単に考えても何も変わりません。そして、数字計算は単なる思考なのです。たとえ私たちが正しく掛け算をしたとしても、手元に残るのは三個のエンドウ豆であり、九個ではありません。同様に、数学者たちが、二・三:四あるいは五次元に関して計算を行ったとしても、私たちの前にある空間はやはり三次元です。あなた方がそのような数学的な考えを巡らしたいという誘惑に駆られるのは分かりますが、それらが証明するのは、高次空間に関する計算を行うことは可能であるということだけです。数学によってでは、高次空間が実際に存在することを証明することはできません。その概念が現実に有効であるということを証明できないのです。私たちはこの点に関して厳密に明確でなければなりません。この課題に関して数学者たちはその他の非常に巧妙な考えを巡らしてきましたが、そのいくつかを考察してみましょう。私たち人間は三次元空間のなかで、考えたり、聞いたり、感じたり、等々を行います。二次元空間中でのみ知覚することが可能な存在がいると想像してみましょう。彼らの体的な組織は彼らが平面のなかに留まることを強要し、そのため、彼らは二次元を離れることができないでしょう。彼らは左右と前後に関してだけ、動いたり知覚したりすることができるでしょう。彼らは、彼らの上と下に存在するものに関しては、いかなる考えももたないでしょう。とは申せ、三次元空間中における私たちの状況も同じなのかも知れません。私たちは、私たちの体的な組織が三次元に適合しているために、第四の次元を知覚することができず、ちょうど二次元存在が第三の次元の存在を推論しなければならないように、それを推論しなければならないのかも知れません。人間にはただその方法しかないと考えることは実際に可能であると数学者たちは言います。もちろん、その結論は正しいとしても、それは単に間違った説明であるかも知れないと言うことも確かにできるでしょう。ここでもまた、より正確なアプローチが必要とされるのですが、この問題は、空間の無限性を理解するために数字を用いようとした最初の例ほど簡単ではありません。今日の私の説明は、わざと単純なものに限ろうと思います。この結論に関しては、最初の純粋に技術的、算術的な線に沿った理論づけとは状況が異なります。この場合には、何か本当に把握しなければならないものがあるのです。平面のなかで動く物体だけを知覚することができる存在がいるだろう、ということは十分に考えられます。そのような存在は上と下にあるものにはまったく気づかないでしょう。その平面内の点がその存在に見えるようになると想像して下さい。もちろん、その点が見えるのは、それが面内にあるからに過ぎません。その点が面内を動いている限り、それを見ることができますが、その面から外に出るやいなや、それは不可視となります。その平面存在に関する限り、それは消失してしまうのです。さて、その後、その点がどこか他のところに現れると想像してみましょう。それは再び見えるようになり、また消失し、等々です。その点が平面から出ていくとき、その平面存在は、それを追っていくことはできませんが、「その間、その点はどこか私には見ることができないところにいる。」と言うかも知れません。平面存在の心の中に入り込みながら、ふたつの可能性について考えてみましょう。それは、一方で、「三番目の次元があり、その物体はその中に消えたが、後でまた現れた。」と言うかも知れません。あるいはまた、それは「バカな奴が三次元などと言っているが、その物体はただ単に消えて、その度に再び現れたのだ。新しく創り出されたのだ。」と言うかも知れません。この場合には、その平面存在は論理的な法則に違反している、と言わなければならないでしょう。もし、それが、その物体は繰り返し解体され、再び創り出される、と仮定したくないのであれば、その物体は平面存在には見ることができない空間のなかに消えたのだ、ということを認めなければならないでしょう。彗星が消えるとき、それは四次元空間のなかを通過しているのです。さて、この問題に関する数学的な考察のなかにつけ加えられなければならないものを見てみましょう。私たちは、私たちの観察の場のなかに、繰り返し現れたり消えたりする何かを見いださなければならないでしょう。超感覚的な能力は必要ありません。もし、平面存在が超感覚的な能力をもっていたとすれば、その存在は第三の次元があるということを、推論によってではなく、経験から知っていたことでしょう。人間についても似たようなことがいえます。超感覚的な能力を有していない人は、「私自身は三次元に限定されているけれども、周期的に現れたり消えたりするものを観察するやいなや、四次元が関係していると言っても間違いではない。」と言うほかありません。
 ここまで述べてきたことはすべて完全に明白であり、それを肯定するということは、あまりにも簡単なことなので、現代の盲目状態にある私たちにはそのようなことは起こりそうもありません。「繰り返し消えたり、再び現れたりするものは存在するか?」という問いに対する答は非常に簡単です。ときとしてあなた方のなかに現れては再び消え、超感覚的な能力を有していない人にとってはもうそれを知覚できなくなるような喜びについてひとつ考えてみて下さい。それから、同じ感情が、何か別のできごとのために再び現れます。この場合、あなた方は、平面存在のように、二通りある方法のうちのひとつの方法で振る舞うことができます。あなた方は、その感情はあなた方がついていけないような空間の中に消えたのだ、と言うこともできますが、その感情は消え去り、それが再び現れる度に新しく創造されるのだ、と主張することもできます。しかし、無意識のなかに消えるいかなる思考も、消えて再び現れるものがあるということの証拠になるというのは本当です。もし、この考えがあなた方にとってありそうなことのように見えるならば、次のステップは、唯物的な観点から持ち出されそうなあらゆる異議を定式化してみるということです。私は今、最も手強そうな異議に触れてみようと思います。その他の異議はすべて簡単に反駁することができます。人々は、この現象は純粋に唯物的な言葉で説明することができると主張するかも知れません。私はあなた方に物質的なプロセスという文脈において消えたり再び現れたりするものの例を提示したいと思います。作動している蒸気ピストンを想像して下さい。ピストンに力が加わっている限り、私たちはその動きを感知します。さて、反対方向に働く同様のピストンでその動きに対抗すると想像して下さい。その動きは止み、機械は静止します。動きが消えるのです。同様に、人々は、喜びの感情とは脳のなかの分子の動き以上のものではない、と主張するかも知れません。分子が動いている限り、私は喜びの経験をもちます。何か別の要素が分子に反対の動きを生じさせると仮定してみましょう。喜びは消えます。この線に沿って考えをずっと先まで追求しない人は誰でも、実際、これは先に示された考えに対する非常に重要な反論であると考えるかも知れません。しかし、この反対意見を詳しく見てみましょう。ちょうどピストンの動きが反対方向の動きの結果として消えるように、分子の動きに基づく感情は反対方向の分子の動きによって打ち消されると云われます。ひとつのピストンの動きが別の動きに対抗して作用するとき、何が起きているのでしょうか。最初の動きと二番目の動きの双方が消えるのです。第二の動きは、自分をも除去することなしに、最初の動きを除去することはできません。その結果は動きの完全な不在です。いかなる動きも残りません。このように、私の意識のなかに存在するいかなる感情も、それ自身をも除去することなしには、別の感情を除去することはできません。ですから、ひとつの感情が別の感情を除去することができるという仮定は全くの間違いなのです。その場合には、いかなる感情も残らず、感情の完全な不在が生じることになります。それでもなお言うことができるのは、最初の感情は第二の感情を無意識のなかに追いやるかも知れないという程度のことです。けれども、そう言ってしまえば、私たちの直接的な観察の網にはかからないけれども、それでも存在する何かがあるということを認めたことになります。
 今日は、超感覚的な知覚については全く考察せず、純粋に数学的な考えについてのみお話ししてきました。四次元世界が存在するという可能性を認めたところで、私たちは、超感覚的な能力なしに四次元物体を観察することは可能かと問うかも知れません。その種の投影が私たちにそれを可能にします。私たちは平面図形の向きを変えて、それが落とす影が直線になるようにすることができます。同様に、直線の影は点に、三次元の立体的な物体の影のイメージは二次元の平面図形になり得ます。こうして、四次元の存在を認めてしまえば、三次元図形は四次元図形の影のイメージであるというのは全く当然のこととなります。これは四次元空間を想像するひとつの純粋に幾何学的な方法です。けれども、幾何学の助けを借りてそれを視覚化する別の方法もあります。二つの次元を有する正方形を想像して下さい。今、その境界を構成する四つの線分がまっすぐに延ばされてひとつの直線を形成すると思い描きましょう。あなた方は正に、二次元図形の境界をまっすぐに引き延ばして、それらが一つの次元のなかに横たわるようにしました(図58)。このプロセスをもう一歩前に進めてみましょう。ひとつの線分を想像して下さい。ちょうど正方形に関して、一つの次元を取り除くことで行ったように、その図形の境界が二つの点へと倒れ込むようにするのです。私たちは一次元図形の境界を正にゼロ次元において表現しました。私たちはまた立方体を展開して、それを六つの正方形へと広げることができます(図59)。私たちは立方体の境界を広げて、それが平面のなかに横たわるようにしました。こうして、線は二つの点として、正方形は四つの線分として、そして、立方体は六つの正方形として表現することができると云うことができます。一連の数字:二、四、六に注意して下さい。
図59;次に、私たちは八つの立方体を取り上げます。ちょうど、前の例で、幾何学図形の境界が展開されたように、八つの立方体は四次元図形の境界を構成するのです(図60)。それらを並べると、結果として正四次元図形の境界を示す二重の十字架が得られます。ヒントンはこの四次元立方体をテサラクトと呼んでいます。
図60:この作業はテサラクトの境界についての心的なイメージを与えてくれます。この四次元図形についての考えは、二次元存在が立方体の境界を平坦化して、つまり、それらを展開して、立方体についての考えを発展させることに比肩されます。(了)



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最終更新日  2023年08月15日 06時10分08秒
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