Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年08月25日
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カテゴリ: 霊魂論
「四次元/Die Vierte Dimension」数学と現実
第二部 質疑応答 シュツットガルト 1920年3月11日 - Ⅰ-①
記:答弁は第2の質問からされている。
◎第2の質問:虚数(虚数とは2乗するとマイナスになる数です。)の領域についての生き生きとした観点を獲得することは可能なのでしょうか。そして、この領域には実際の実在が基盤として存在しているのでしょうか。答弁:第2の質問から始めることにしましょう。その答えを定式化するのは容易ではありませんが、その理由は、私たちがそれを行うためには、視覚化の領域から非常に大きく離れなければならないということによります。数日前にミューラー博士の質問に答えたとき、皆さんは、私が数学的な事例に具体的な関連を与えるために、長い骨から頭骨への移行に向かわなければならなかったとはいえ、それでもやはり図象的な例示は有効であるということをご覧になりました。少なくともあの場合には、対象を視覚化すること、したがって、ひとつのものから別のものへの移行が可能でした。
 虚数の領域を精神的な現実として眺めようとするときには、私たちは、私が最近行った物理学についての連続講義において示したように、正から負へと移行する必要があります。私たちがいわゆる考え得るものと考え得ないものとの間の一定の関係を理解しようとするとき、この移行は私たちの考えを現実にとって真なるものにしてくれます。けれども、通常の領域を視覚化するときでさえ、私たちはそれらを図示するいつものやり方を超越する必要があるということが理解できます。ひとつだけ例を挙げてみましょう。通常のスペクトルを平面上に描く際には、赤から緑を経て紫まで直線を引くことができます。けれども、そのような描画方法は、赤を表示するために、多かれ少なかれこの(*保存されてはいない。図を指し示しながらの模様。)平面内に曲線を描くときにのみ包含されるところの関係するすべての側面を示してはいません。次に、紫を表示するために私たちは黒板に向かい、その裏側に廻るのですが、そうすれば、上方から見たとき、赤は黒板の前面にあることになります。紫を内側、すなわち化学的な作用に向かうものとして、そして、赤を外側、すなわち熱に向かうものとして特徴づけるためには、私は、赤に関しては、平面から出て、紫に関しては、その中に戻らなければならないでしょう。ですから、私はここで直線を拡張し、通常の仕方で描かれた私の図を実際に描くべきものの投影として見るように強いられます。高次の現実に関わるある種の現象について明確であるためには、正の物質的側面から負の物質的側面へと移行するだけでは不十分なのです。赤から緑を経て紫へと至る直線上を動くことが不十分であるように、それは正に不十分です。私たちが、正と負によってそれぞれ示されるような、空間的な領域から非空間的な領域へと移動するときには、私たちは空間と非空間のより高次の形態へと移行しなければなりません。この過程は、円周上を回って出発点に戻る代わりに、螺旋上を移動するようなものです。私たちは、ちょうど、別の場合に、ふたつの異なるタイプが、両方を含むひとつの統合体として総合されるように、空間的であるとともに非空間的である何らかの存在を思い描くこともできます。私たちはこの第三の要素を探さなければなりません。より高次の現実の領域では、物理的な現実を正として記述するならば、私たちが空間を離れ、精神の領域に入り始めるところのエーテル的な領域を負として記述しなければなりません。けれども、アストラル的な領域に歩を進めるとき、正と負の空間はもはや十分ではありません。私たちは、正に定型的な数学において、虚数が正と負の数に関連しているように、正と負の空間に関連する第三の要素に向かわなければならなりません。そして、次に、私たちがアストラル領域から自我という真の存在に歩を進めるとき、虚数との関係でいえば、超虚数的な概念が必要となります。ですから、私は超虚数の概念に対するアカデミズムの反感には決して満足しなかったのですが、それは、私たちが自我のレベルにまで上昇するためには、この概念が本当に必要なのであって、それは私たちの数学的な定式が現実の領域を離れることを望まない限り、省略することができないものであるという理由によります。単に、純粋に定式的な数学においてその概念をいかに正しく用いるかが問題なのです。今日、私が会った人物は確率の問題を議論していましたが、この問題は数学的な操作を現実に関連づけることの大いなる難しさを非常に明確に示すものです。保険会社はある人がいつ頃死にそうかを計算することができますが、その数字は集団に適用されたときには非常に正確なものです。しかし、保険会社の出した数字から、特定の個人が予測された年に確かに死ぬと結論づけることは不可能です。このように、これらの計算は現実を欠いているのです。その計算結果は定式的な関連においては屡々正確なものですが、それでも現実には対応していません。私たちは、ある場合には、数学の定式的な側面を、そのような超経験的な現実についての結果に一致させるように、矯正しなければならないかも知れません。例えば、a×b=0が成り立つのは項のひとつが零であるときだけであるというのは正しいでしょうか。aかbが零に等しいときには、その答えは確かに零でしょう。けれども、両項とも零でなくても、答えが零に等しくなる可能性があるのではないでしょうか。実際、現実の状況が私たちを超経験的な現実に対応するところの超虚数に向かうように強いるとすれば、それは可能かも知れません。私たちは本当に、現実と虚数の関係、超虚数と虚数や実数との関係を明確にしようとすべきなのですが、同時に、計算を支配する法則を変更しなければならなくなるでしょう。



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最終更新日  2023年08月25日 06時10分08秒
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