Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年11月06日
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カテゴリ: 霊魂論
真相から見た宇宙の進化
第4講 月期における地球の内的側面-Ⅰ
ベルリン 1911年11月21日 
 私たちは、我々の世界観における困難な側面について、ある程度なのですが、 外的・感覚的な世界の顕現の背後に横たわる精神的な現実を見ることを学ぶところまで追求してきました。とはいえ、私たちは、感覚的な世界の中で私たちが見るものの背後には精神的なものに特徴的な形態が実際に立っているという本当の事実は外的に見ただけではよく解からないものであるということを私たちの魂の生活の中で経験します。けれども、私たちは、そのような外観の背後には、精神的な活動、精神的な性質や特徴が本当に立っているのだということを認識するようになりました。例えば、私たちは、今や私たちの通常の生活において、暖かさ・熱、あるいは火の性質として現れるものは犠牲の精神的な表現であるということを知っています。そして、私たちが空気として出会うもの、それが精神的なものであるということは、私たちの概念の中では、ほとんど明らかになりませんが、その中には、私たちがある特定の宇宙的な存在によって与えられる徳と呼ぶところのものが認められます。水の中に認められるのは、私たちが諦め、拒絶と呼ぶところのものです。私たちが日常的に使うスピリット(エキス)という言葉、此処では簡単に触れるだけにしますが、以前の世界観においては、当然のことながら、外的、物質的なものの内にある精神的なものの存在は、もっとすみやかに直感され認識されました。このことの証拠は、今日、私たちはそれをスピリチュアルなものに関して特別な仕方で用い、特別に揮発性の高い物質を表しているということにも見られるでしょう。私は「スピリット」というよりも、むしろ「スピリチュアル(精神的なもの)」と言います。けれども、外的な世界においては、人々は「スピリチュアル」という言葉を必ずしも真に精神的な現実あるいは感覚を超えたものには適用しません。 皆さんの何人かは、かつてミュンヘン精神主義者協会に宛てられた手紙が、誰も精神主義者協会とは何かを知らなかったために、「スピリット」つまりアルコール飲料協会本部に届けられたことがあったのをご存じですね。さて、本題に戻りますと、今日は、地球惑星の進化が古「太陽」から古「月」にまで進展したときに生じたその発達における重要な移行について見ていくことにしましょう。そうすることで、私たちは別の種類の精神的な発達について考察することになるでしょう。私たちは、前回の講義で取り上げた点、拒絶という行為から始めなければなりません。私たちは精神的な存在たちがこの拒絶、あるいは「差し控える」という行為の中で、犠牲、私たちはこの犠牲を、意志あるいは意志実質を捧げることとして認識しましたが、それを受け取る機会を諦めるのを見てきました。ある存在たちがその意志実質を捧げたいと望み、一方で、より高次の存在たちが、その差し控えるという行為によって、この意志を受け取るのを拒むところを見るとき、私たちは、この意志実質、それをこの存在たちはより高次の精神的な存在たちに捧げたいと望みましたが、それを許されず、それを捧げたいと望んだ存在たちとともに留まらざるを得なかったのだという概念へと容易に上昇することができるでしょう。ですから、宇宙的な文脈の中には、犠牲を捧げる準備、自分たちの最奥の存在の中に安んじているものを献身的に捧げる準備ができているにもかかわらず、それを許されず、そのために、自分たちの内にそれを留めなければならない存在たちがいるのです。あるいは、別の言い方をすれば、これらの存在たちは、 その犠牲が拒絶されたことで、もし犠牲を捧げることが許されていたとしたら生じたであろうのより高次の存在たちとのある種の結びつきを確立することができませんでした。聖書の中で、カインがアベルに立ち向かう場面は、この「拒絶された犠牲」の意味のいくらかを、強調された仕方ではありますが、擬人化し、歴史的に象徴するものとなっています。カインもまたその犠牲を神に捧げたかったのですが、その犠牲は神の喜ぶところとはならず、神はそれを受け取ろうとはしませんでした。 一方、アベルの犠牲は神によって受け取られました。私たちがここで注意を向けたいのは、その犠牲が拒絶されたことを知ったときのカインの内的な経験です。このできごとに対する最高度の理解 へと私たちが至るためには、通常の生活の中においてのみ意味を持つ考えをここでお話ししている、より高次の領域に持ち込むべきではないということを鮮明にさせておかなければなりません。犠牲の拒絶は欠陥や悪行によって生じたのだというならば、それは間違いでしょう。これらの領域においては、私たちが通常の生活において知っているような罪や贖いに言及することはまだできないのです。そうではなく、私たちは犠牲を拒絶したより高次の存在たちの観点からこれらの存在たちを見なければなりません。言い換えれば、より高次の存在たちは、単に犠牲の受け取りを差し控え、それを譲り渡したに過ぎないのです。私たちが先週特徴づけた魂の雰囲気の中には、欠陥や失敗を示すようなものは何もありません。寧ろ、諦めや拒絶の行為はあらゆる偉大で意味深いものを包含しています。とはいえ、私たちは、犠牲を差し出そうとしたあの存在たちの中に、たとえそれが極めてかすかな反対であったとしても、彼らの犠牲を拒否したあの存在たちに対する何か反対のようなものを始める雰囲気が確かに生じるのを感じ取ることができます。ですから、この反対の雰囲気が、例えば、カインの場合のように、後の時代になって私たちの前に提示されるとき、それは増幅されたやり方で提示されることになります。カインの中に見いだされる雰囲気と同じ 雰囲気を、「太陽」から「月」への移行期に発展したあの存在たちの中に私たちが見い出すことはないでしょう。この存在たちの間に反対の雰囲気が生じるといっても、それは異なる程度においてなのです。ここでもまた、私たちが信頼できる仕方でこの雰囲気を知るようになることができるのは、前回の講義でもそうしたように、私たち自身の魂の中をのぞき込み、私たちが自分に、私たちは、私たちの魂の中の、どこにそのような雰囲気を見い出すことができるのか、そして、どのような魂の状態がそのような雰囲気、つまり、その犠牲の捧げものが拒絶された者たちの中に醸し出されたに違いない雰囲気を私たちに気づかせてくれるのかと問うときだけです。私たちの中のあるこの雰囲気は、そして、ここで私たちは地上的な人間の生にますます近づいてきました。実際、その不確かさにおいて、同時に、その苦しみあるいは苦痛において、どの魂にも馴染みあるものなのですが、それについては次の木曜日の公開講演「魂生活の隠れた深み」(GA61)の中で十分に取り上げるつもりです。どの魂にも馴染みがあるこの雰囲気あるいは態度は、魂生活の隠れた深みを支配し、恐らく、その雰囲気があまり苦しみを生じさせないときには、その表面に向かって押し上げてきます。けれども、私たち人間は屡々この雰囲気の周りを巡っているだけです。私たちのより高次の意識の中では、私たちはそれをそれと気づくことなく担っているのです。私たちは、「あこがれを知っている者だけが私の苦しみを知る」というある詩人ゲーテ「ウィルヘルム・マイスター」の言葉を思い出すかも知れません。これらの言葉は、漠としているけれどもしつこい魂の苦痛、同時に苦しみの感情を伴う苦痛をよく捉えています。これは魂の雰囲気としてのあこがれを意味しています。それは、単に魂があれこれのことを熱望したり、それらに向かって苦闘したりするときだけではなく、人間の魂の中に、魂の雰囲気として絶えず生きているような憧れです。



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最終更新日  2023年11月06日 06時10分07秒
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