Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年11月08日
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カテゴリ: 霊魂論
真相から見た宇宙の進化
第4講 月期における地球の内的側面-Ⅲ
ベルリン 1911年11月21日
 よく知られた現象を取り上げてみましょう、町に住んでいる人たちはそれにあまり影響されませんが、それでも、他の人たちの中にそれを認めるかも知れません。つまり、私が言いたいのは「ホームシッック(
 Homesick)」と呼ばれる感情のことです。もし、皆さんがホームシックとは本当は何なのかを探求するとしたら、皆さんには、それが基本的にはそれぞれの人間によって異なるものであるということが分かるでしょう。ある人にとってはあれやこれであり、別の人にとっ ては何か別のものです。ある人は、家で聴いた親しみのある物語にあこがれますが、本当は家を恋しがっているのかも知れません。個々の人の中に生きているのは、とりとめのないあこがれであり、 方向性のない望みです。別の人は故郷の山や、あるいは、さざ波を見るときにはよく遊んだ川にあこがれます。これらすべての異なる性質は、魂の中で、しばしば無意識に働いていますが、「ホームシック」という言葉で括(くく)ることができるかも知れません。そして、それは何千もの異なった仕方で演じられますが、それでも、一種のあこがれとして最もよく記述されるような何かを表現しています。さらに漠としているのが切望ですが、それは多分、人生において最も人を苦しめるものとして生じます。人はその関連に気づきませんが、それでもそれはあこがれなのです。とはいえ、このあこがれとは何なのでしょうか。私たちは、犠牲を捧げることを望みながらそれを諦めなければならなかった存在たちの雰囲気にそれを関連づけることによって、それが一種の意志であることを示唆しました。そして、私たちがこのあこがれを検証するときにはいつでも、それはある種の意 志である、ということが分かります。けれども、それはどういうタイプの意志なのでしょうか。それは成就され得ない意志あるいは意図なのです。と申しますのも、もし、それが成就されたならば、それは憧れであることをやめるからです。それは実現され得ない意志なのです。私たちは憧れをこのように定義しなければなりません。ですから、私たちは、その犠牲が拒絶されたあの存在たちの雰囲気について、次のようにすれば、いくらか特徴づけられるかも知れません。私たちが、私たちの魂の深みにおいて、憧れとして感じ取ることができるものは、私たちが今お話ししているあの太古の時代から受け継がれてきたものとして、私たちの中に留まっているものです。ちょうど、私たちが別の性質を、別の太古の発達段階からの遺産として受け取るように、私たちが古「月」の進化段階から受け取るのは、魂の深みに見いだされるあらゆる形態の憧れ、あらゆる形態の成就され得ない意志、阻止された意志なのです。この発達期の間に捧げられた犠牲が差し戻されることによって、 抑制され阻止された意志を持つ存在たちが創造されたのです。彼らは、この意志を抑制し、それを自分自身で保持しなければならなかったために、非常に特別な状況に置かれました。そして、ここでもまた、これらのことがらを感じ取り、経験したいのであれば、人は自分自身の魂の状態の中に身を置かなければなりません。と申しますのも、単なる思考はこれらの状態に貫き至るためにはあまり十分ではないからです。意志を捧げることができた存在は、ある意味で、その犠牲が生じた相手の存在とひとつに結ばれることになります。私たちはそれについても、つまり、私たちが犠牲を捧げる存在の中に、いかに私たちが生きて、自分自身を織りなすかということ、すなわち、その存在がいることによって、いかに私たちが充足感と幸福を感じるかということについても人生の中で感じ取ることができ得ます。ここで私たちがお話ししているのは宇宙的な存在を含むより高次の存在たちへの犠牲です。彼らに犠牲を捧げる存在たちは全くの喜びの中で上方を見やるのですが、正にそのために、阻止された意志として、憧れとしてその存在たちによって差し戻されたものは、その犠牲を完遂することがされたとしたらそうでなったであろうものとは、内的な雰囲気、魂の内容において決して同じものではあり得ません。と申しますのも、もし、犠牲を捧げる存在たちがその犠牲行為を許されていたとしたら、それはそれとは別の別の存在の一部になっていた筈だからです。ですから、比較という方法で語るとすれば、もし、地球やその他の惑星存在たちが太陽への供儀を許されていたとしたら、それらは太陽とひとつに結ばれていたであろうと言うことができるでしょう。けれども、もし、それらが太陽への供儀を許されず、それらが捧げたはずのものを保持せざるを得なかったとしたら、それらは離れたままになり、その犠牲を自分たちの中 へと引き戻すことになったであろう筈なのです。私たちが今お話ししたことを一言で把握するとすれば、私たちは、宇宙という総体の中に何か新しいものが入って来ているということに気づきます。それは何か別の方法で表現することはできないものだということをはっきりと理解してください。つまり、自分の中に生きているものすべてを、別の存在に捧げようとする存在たち、宇宙的な存在に自分を捧げようとする存在たちは、その供儀が受け入れられなかったとき、その犠牲を自分自身の内に担うように導かれるのです。皆さんはここで、私たちが「エゴ(自我)」あるいは「自我性」と呼ぶよ うな何か。そして、それは後に「エゴイズム」としてあらゆる形態において顯れるのですが、そのような何かが煌めくのを感じないでしょうか。こうして、私たちは進化の中に流れ込んだものが、あの存在たちの内部で、遺産として生き続けるのを感じ取ることができます。私たちは、憧れの内部に、たとえそれが最も弱められた形においてであるとはいえ、エゴイズムが稲妻のように光るのを、そしてまた、あこがれが宇宙進化の中に忍び込んで来るのを見ます。こうして、私たちは、あこがれに身を任せる存在たち、つまり、自分のエゴイズムに屈服する存在たちが、もし、何か別のものが介入しなかったとしたら、いかにある意味で、一面性の中に突き落とされるかを、 自分たちの中だけに生きるようにさせられるかを見ることになるのです。



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最終更新日  2023年11月08日 06時10分07秒
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