Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年01月25日
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カテゴリ: 霊魂論


内的霊的衝動の写しとしての美術史
第2講  ルネサンスの三人の巨匠 レオナルド ミケランジェロ ラファエロ
ドルナハ  1916年11月1日-6 ミケランジェロ
 世界をまるごとミケランジェロはローマに携えていき、それからまたフィレンツェに行きますが、実際のところ、秘蹟(サクラメント)的性格の代わりに商業的性格を置くとでも申し上げたい潮流によって追い立てられて、彼はフィレンツェに戻るわけです。なるほど重要な作品を制作させられ、メディチ礼拝堂(153-161)の中でも制作させられています。けれども、全体の背景には、実際ミケランジェロを企画すべてに対して悲観的な気持ちへと駆り立てた何ものかがあります。それはメディチ家称賛というものであり、そのうちに強大なものとなったメディチ家の称賛は、当時フィレンツェにおいてよりフィレンツェ以外のイタリアにおいてまず起こったのです。そして、マラテスタ・バグリオーニの背信を通じてもたらされた状況によって、つまりマラテスタの再度の侵攻、フィレンツェでの自由の終焉によって、彼がまたもローマへと追い返されると、彼は画家として直接、謂わばひとりのフィレンツェ人の抵抗(プロテスト)から描くように「最後の審判」のなかに、人間の個に逆らうものすべてに対する人間の個の、偉大な人類的抵抗を描きます(162-166)。これは「最後の審判」に彼の人間的な偉大さを、ミケランジェロの手から生み出されたまさに直接の発露であるあの人間的偉大さを与えています。今はその一部は完全に損なわれてしまいました。けれどもここでまた彼は、魂のあらゆる感情衝動のなかに深く深く飛び込んでゆくものを体験します。すでに彼は、彼の世界観像の発展にとって重要な意味を持っていた出来事から、すべてを体験していたのです。こんにちでは抽象的にとられていますけれども、ミミケランジェロの魂のなかでまったく深い魂衝動であった重要な事柄を私は皆さんに示しました。これに付け加えなければならないのは、サヴォナローラの登場によってフィレンツェに起こった急変を彼が共に体験したということでしょう。これとともに、キリスト教全般に関連して当時を特徴づけていたものに対する異議申し立て(プロテスト)が、教会生活のなかで起こります。レオナルドにおいて実現され、その他多くの種類のあれほど自由な芸術精神(Kuenstlertum)、これはゴルゴタの秘蹟に連なっていたキリスト教の表象、つまり三位一体についての表象、晩餐についての表象、地上的なものと超感覚的なものとの関連についての表象が、道徳的な要素から引き上げられたことによってのみ発展することができたのです。これらの表象は、道徳的な要素から引き上げられて、イマジネーション(*芸術的創造力)の性格を獲得していました、世俗的なものとともに働くときのような、ただし内部には聖なる姿を有した自由なイマジネーション的性格を獲得していたのです。それは道徳的なものから解き放たれて、客観的にされていました。そうすることによって、道徳的な表象から解き放たれたキリスト教的表象が、純粋に芸術的なものへと、まさに滑り込んでいくのです。まったく当然の如く、それは滑り込んでいくのですが、それに加えて、この滑り込んでいった行き方のなかには、いわば道徳的なもののこうした逸脱というものも含まれます。サヴォナローラは、この道徳的なものの逸脱に対する偉大なプロテストです。サヴォナローラが登場します、道徳から自由な、私は不道徳なと言わず、道徳から自由なと言います。芸術に対する、道徳のプロテストです。そして、サヴォナローラから発して、サヴォナローラが引き起こしたものから発してミケランジェロのなかにあるものをも理解したいと思うなら、サヴォナローラの意志することを研究しなければなりません。けれどもミケランジェロはさらにまた別のことも体験しました。その最も内なる心情において、実際のところキリスト教的に考える以外考えたことはなかったこのミケランジェロという人物は、単にキリスト教的に感じただけではなく、世界秩序をもキリスト教的な意味で具象的に思い描いていたわけですが、彼はキリスト教的な表象が客観的なものになっていき、それによってあれほど容易に芸術の領域に滑り込んでいくことができるようになったとでも申し上げたい時代、そういう時代のなかに置かれていました。其のような時代に彼は置かれ、同時に彼は、宗教改革という北部のプロテスト、これは比較的速くイタリア中に広がりましたが、そういうプロテストも体験したのです。それから彼は、カトリックの側から宗教改革に対する反宗教改革として起こされた全体的な急変を体験しました。彼は、当時のローマに、道徳的には高い位置にいないかもしれないけれども、カトリシズムに新たな形態を与えることにまったく同意していた自由な精神の持ち主たちが生きていたのを体験しました、この人たちは、サヴォナローラのようなことまでするつもりはありませんでしたが、カトリシズムに新たな形態を与えたいと思っていました、カトリシズムが当時宗教改革のなかに現れてきた形態をとることなしに、けれども持続的に自らを発展させていけるような形態をです。こうしてこの宗教改革は、サヴォナローラープロテストの別版とでも申し上げたいものとして勃発しました。このときローマにおいて人々は不安に駆られ、人々はかつての生を貫いて脈打っていたもの全てに別れを告げたのです。たとえばヴィットリオ・コロンナのなかに集中していたような理念には、ミケランジェロも大いに期待をかけていました。芸術的に高みに到達したものの道徳化、そしてこの道徳化されたカトリシズムを世界にゆっくりと新たに入り込ませようという理念です。ローマの権力者たち、カトリックの権力者たちは、今やこのまったく自由なカトリック的理念のなかに、イエズス会の原理を押し込み、パウロ4世が法王になりました。これをもってミケランジェロは彼にとって明らかに恐るべき何かを体験しました、まだ彼がキリスト教として知っていたものとの断絶が萌芽のなかに芽生えてくるのを見たからです。イエズス会的キリスト教が始まったのです。このようにそれは彼の晩年に入り込んでいきました。私は彼がフィレンツェをローマに携えていったと申しました。ラファエロの場合はまた事情は異なっていました。

参照画:メディチ家礼拝堂はこのサン・ロレンツォ聖堂の拡張建造物として、 16世紀 から 17世紀 にかけて建設された。 聖堂内部の新聖具室( Sagrestia Nuova )は、 ミケランジェロ の設計による建物である。




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最終更新日  2024年01月25日 06時54分20秒
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