Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年08月30日
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カテゴリ: 霊魂論


ルドルフ・シュタイナー
「精神科学と医学」 第四講 1920年 3月23日 ドルナハ*1998.11.21.改訳 本講:本文・解説
第四講解説 ●7 マクロコスモスへの視点の重要性
7.顕微鏡での観察は、真のプロセスから目をそらせるマクロコスモスへの視点が重要である
記:通常、最近を顕微鏡を使って観察することによって、生命を把握しようとすることが行なわれているのですが、むしろ、私たちに関わる真のプロセスは、マクロ的な視点で研究されなければならないことをここで、シュタイナーは強く示唆しています。
 ここで、世界全般を観察できる人にとって奇妙なことが起こってきます。そういう人には些(いささ)か外交的でない言い方となることをお許しください。私がお話することは一見反駁される可能性もあるにもかかわらとなること、これはそもそも共感も反感も無いという意味でまったく客観的なことなのです。顕微鏡で観察することすべてに対して、微小な世界の観察全般に対して、一種の激しい怒りをおぼえるのです。なぜなら、顕微鏡での観察はそもそも、生命と生命を妨げるものとを健全に把握する可能性に導くやいなや、むしろそこから逸脱させるものだからです。と申しますのも、健康であるにせよ病気であるにせよ人間において私たちに関わってくる真のプロセスはすべて、顕微鏡的なものにおけるよりも、巨視的なもののにおいてはるかによりよく研究できるからです。私たちはマクロコスモスのなかにこそ、こういう事柄を研究する機会を探さなければならないのです。
第四講解説 ●8 鳥は、人間の生体組織のマクロコスモスにおける写像である
8.鳥は、人間のより精妙な生体組織のマクロコスモスにおける写像である。人間は鳥よりも下降した存在であるといえるが、光を変容に導く活動において、つまり膀胱と大腸に関わるエーテル体に関しては、人間は鳥と同じ位置にある。
 鳥類の体内には、腸菌群落がなく、それに対抗する必要がありません。膀胱と大腸の発達が未発達で、食べたものを体内に蓄積しないのです。ある意味で、私たち人間は、鳥よりも下降した存在であるといえます。しかし、エーテル的なものを変容させる活動、光を変容させる活動に関しては、私たちは鳥と同じ位置に立っているのだといえます。大腸や膀胱に関わるエーテル体に関して、私たちは鳥なのです。鳥は、人間の「より精妙な生体組織のマクロコスモスにおける写像」だといえます。ですから、人間をそういう視点で研究しようとすれば、マクロコスモス的に鳥を研究しなければなりません。このように、人間の外部にある植物相と動物相に起こっていることと、人間の生体組織のなかの腸内の動物相と植物相で起こっていて、克服されねばならないこととの対応を調べていくことが重要になります。そして薬と器官との関係を明らかにするためには、こうした一般的特徴や原理から、個別的なものを見ていく必要があります。この講義の最初で、単に経験的-統計的な方法からではなく、病理学から治療法を取り出す理性[Ratio]の重要性ということが言われていましたが、経験的-統計的な方法が帰納法的なのに対して、病理学から治療法を取り出す理性[Ratio]というのは、演繹的な方法です。マウス実験などを繰り返したりしてそこから治療法を見つけだすのではなく、病気という現象の根底にある原理そのものから、個々の治療法を取り出してくるということであり、さまざまに応用の可能性が開かれているということだと思います。ですから、この章で述べられているような病気に関する原理を認識することで、個別の治療法へと進んでいくことができるようになります。皆さんに注意していただきたいことは、鳥類は、膀胱と大腸の発達が不十分であるために、摂取と排泄との間に絶えず持続的な平衡状態を保っていることです。鳥は飛翔しながら排泄することができます。鳥は食べたものの残りを体内にとどめて蓄積するということはありません。鳥にはそうする機会がないのです。もし鳥が食べたものの残りを体内に蓄積したとしたら、それは即座に病気であり、鳥の体をだめにしてしまうでしょう。私たちが人間である限り、物質的な人間である限り、私たちは、いわば、今日的な見解に沿って言うならば鳥よりも進化したわけですが、もっと正確な言いかたができるとすれば、鳥よりも下に降りてきたと言えるのです。鳥は実際のところ、腸菌群落に対して激しい戦いを展開する必要はありません。高等動物や人間には必要なこの腸菌群落が鳥の体内には全く無いのですから。けれども私たちの、より高位に置かれた活動と申しますか、例えば先ほどお話しましたエーテル的なものを変化させる活動、光を変化させて変容に導く活動、こういう活動に関しましては、私たちは鳥と同じ位置に立っているのです。私たちは物質的な膀胱と物質的な大腸を有していますが、これらの器官に関わる私たちのエーテル体に関しては、私たちは鳥なのです。実際こういう器官は宇宙において動的に存在してはいないのです。そこでは私たちも光を受け取って直接これを加工し、排泄物としてまた排出するということに頼っているのです。ここに支障が起こると、この支障に対応する器官がないために、私たちは健康を損なうことなしに難なくこの支障に耐えるということはでません。ですから、この小さな脳を備えた鳥というものを観察する際に明確にしておかなければならないことは、鳥は、私たちのより精妙な生体組織のマクロコスモスにおける写像であるということです。したがって人間というものを、鳥よりも下に降った粗雑な組織に写し取られた、より精妙な組織ということに関連して研究しようとすれば、皆さんはまさにマクロコスモス的に鳥の世界の出来事を研究しなければならないのです。ただここで申し上げておきたいことは、これは括弧付きで述べるのが望ましいことかましれませんが、人間が物質的組織において鳥類に比較して有している特性を、そのエーテル的組織においても持っているとしたら、実際人間の生活は悲しむべきものになるでしょう。なぜならエーテル的組織は物質的組織のようには外界から遮断されることができないからです。そうなると変容させた光を貯蔵する時には、それを感じとる臭覚器官がもし存在するなら、人間の共同生活はかなり悲惨な状態になるでしょう。もっとも先ほど申しましたとおり、これは括弧付きで述べるべきことです。私たちが羊を死後解剖して、その内部の匂いをかいだときに経験するのと同じことが起こってくるわけです。一方、エーテル体的なものに関しては、実際のところ私たちが人間としてお互い向き合っているやりかたは、たとえば腐肉を食する鳥でさえそれを解剖する際に不快な匂いを発散しませんが、この全く不快でない匂いに比較されます。もちろんすべては比較的、相対的にそう言えるだけですが。この不快ではないというのは、私たちがとりわけ反芻動物、ようやく反芻動物への素質を持ち始めた、たとえば馬のような動物でも、馬は正確には反芻動物ではありませんが、その組織において反芻動物への素質が見られるのです。これを解剖する時に発散される匂いに比較してそう言えるのです。つまり重要なことは、外部の植物相と動物相に起こっていることと、人間の生体組織のなかの腸内の動物相と植物相において起こっていて克服されねばならないこととの対応を調べていくことなのです。そして何らかの薬と器官との関係を確定しようとすると、私たちは、きょう展開してまいりました一般的な特徴付けから、明日以降の講演での個別的な特徴付けへと進んでいかなければなりません。
参考画像:Phoenix



   (第四講解説●7・8 了)

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最終更新日  2024年08月30日 06時31分00秒
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