Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年10月03日
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カテゴリ: 霊魂論


ルドルフ・シュタイナー「精神科学と医学」
第六講-4/上部と下部ではまったく別様の治療が必要である
テーマ4要項 人間のなかには一面において、上に向かって根を張るもの、下へ向かって成長するものである逆転した植物的なものがあり、そのまわりを取り巻いている下から上への傾向をもった物質的なものがある。人間の健康も病気も、そうした力の共同作用のなかにある。人間の生体組織は上部と下部ではまったく別様に扱われなければならない。
 皆さんが人間の観察をなさるなら、すでに先日来の議論により、ここで人間も両極的に方向づけて考えなければ、うまくいかないことがおわかりになると思います。と申しますのも、一方で私が皆さんに示しましたのは、植物において下から上へと成長しているものが、人間の場合は上から下へと成長していて、そのため人間の場合、性的なものと排泄プロセスにおいて、花的なものと種子的なものは下へ向かい、根付くものは上に向かうということです。ただ、これは人間の場合、機能的にそうなのであって、植物の場合はこれは物質的なプロセスなのです。人間も植物のように上部と下部というふうに両極的に方向づけてとらえる必要があるということは、この講義の最初から述べられていたことですが、人間においては、植物生成のプロセスとは180度逆転したプロセスが「機能的」に働いているのだといいます。植物における花、種子のような下から上へと成長するプロセスが、人間のにおいては上から下へと成長していて、植物における根のような下へと向かうプロセスが、人間においては下から上へと成長しているのだといえます。しかし、そうしたプロセスは植物においては「物質的」であるのに対して、人間の場合には「機能的」にそうなのだということが重要です。このことからすでにおわかりでしょうが、人間のなかには、植物のなかに存在するものとは反対のものがあるのです。けれども人間のなかに単に反対のものがあるというのではなくて、この反対のものを担うものがあるのです。従って皆さんは次のように言わなければなりません。すなわち、人間のなかには一面において、機能的に、いわば上に向かって根を張るもの、下へ向かって成長するもの、つまり植物的なものがあり、そしてその回りを取り巻いて、今度は下から上への傾向を有する、物質的なものがあるのだと。そのため、本来植物の場合は、上の領域から取り出してくることと、下の領域に沈降することが、巧妙に行なわれているのに対し、人間の場合は継続的に行なわれているのです。そして本来、人間の健康な生も病んだ生もこの相互変動のなかにあるのです。よろしいでしょうか、今示しましたように、一方で、地球から上に向かって作用する担い手が存在し、他方で、上から下へ作用するものがこの担い手のなかに押し込まれているわけです。人間のなかには植物のなかに存在するものと反対のものがあるのですが、それだけではなくて、その「反対のものを担うもの」があります。人間のなかには、「機能的」に植物的なものがある一方で、「物質的」にその回りを取り巻いて、下から上へ傾向をもった担い手があるというのです。ですから、植物の場合は、天の諸力が毎年、花・実的なものを根的なものに沈降させていくような循環があるのに対して、人間の場合は、その「反対のものを担うもの」があることによって、それが常に継続的に行なわれています。地球から上に向かって作用する「物質的」担い手があり、その担い手の中に上から下へ作用するものが押し込まれているのだというのです。人間は、そうした力の相互作用のなかにあるのだということを認識しなければなりません。健康な状態も病気の状態も、人間の生はこれらの力の共同作用のなかにあるということを容易に見て取れるのは、いわばなかば絶望しつつ、ひとつの重要な事実の前に立つときです。つまり、人間の生体組織は、上に位置する部分が考察されるときと、いわば心臓の下に位置する部分が考察されるときでは、まったく別様に扱われねばならないという事実です。この場合、人間は別の原理に従って観察されねばならないとすら言えます。このことはいくつかの事実、たとえば、そうですね、頭蓋ろう(Kraniotabes)の通常のくる病(Rachitis)に対する、多くのひとにとって謎めいた事実のなかに現われているのです。この両者は、人間を統一体として観察するひとにとっては、互いに近接している一方、人間の対極的に異なる領域から出ているために、まったく異なった原理によって観察されることもやむを得ないのです。このことは重要な意味を持って治療プロセスにまで及んでいます。ですから、くる病において何らかのやりかたで、燐療法によってある種の成果を示した医師たちは、おそらく頭蓋ろうの場合この療法によっては全く成果をあげられないでしょう。この場合は、炭酸石灰か何かによる治療によって反対の処置がとられなければならないのです。けれどもこれは、まったく一般的な事実を表わしているにすぎません。この事実はあまりここちよくないことを表明しなければなりませんが、これはまったくの真実なのです。つまりこれは、次のような事実なのです。人間の治療の場合、つまり医学の領域に入っていく場合、何かが言われると、その反対のこともまた、常にある場合においては正しいことがあるということです。そしてこれは宿命というものなのです、皆さん。誰かが何らかのことに対して、まったく正しい治療法を示し、生体組織における一見まったく同じ症状に対して適用されると、この治療法はまったく治療法にはならず、反対の治療法が取られねばならないということも、十分起こりうるのです。そのため、ひとつの治療法で処置することができるのは人間の一部のみで、人間の他の部分はまた別の治療法で処置せねばならないということを意識していなければ、医学においては常に、ある治療理論を別の治療理論によって撃退してしまう可能性もあるわけです。人間を上部と下部というふうに両極的に方向づけてとらえる必要があるのは、人間の生体組織は、心臓を中心として、その上部と下部では、別の治療法が必要になるからです。上部と下部では、人間は別の原理に従って観察されねばならないのです。治療においては、そのことは非常に重要なことで、ある正しい治療が行なわれたとすると、生体組織における一見まったく同じ症状に対して、反対の治療法が取られねばならないということも、十分起こり得ますから、それぞれの治療法が人間のどの部分について有効であるかに意識的でなければならないのです。
   第六講●解説テーマ解説4-了
参照画:植物と人間の形態




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最終更新日  2024年10月03日 14時28分00秒
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