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CAROLが来ると笑いあり、
CAROLが来ると楽しいぞ~
CAROLが来ると福がくる!
関西初!CAROLはワンちゃんの写真館
すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます

田中一村という日本画家がいた。知っている吾人もおられるかと思うが私はこの田中
って脚光を浴びる事になる。人は彼を孤高の画家、日本のゴーギャンとも今では呼ばれる
が、そんな生易しく簡単に彼の生涯を語る事はできない。明治41年に栃木県に生まれ、
彫刻家の父を持つ彼は幼い時より実力を発揮、神童と呼ばれ東京美大に入学、同期に
あの東山魁夷がいた。しかし一村は家庭の事情で3ヶ月しか在籍していない。ここからの
彼の生きざまが凄まじい。中央画壇や友人との絵画の激論でことごとく絶交していく。若い
頃から自分の才能をひたすら信じ、アルバイトをしながら両親、病人を養ってきた。絵を描
きお金がなくなるとまたアルバイトに精を出す繰り返しで、結局何度と日展に出品するも連
続で落選する。飢えと闘いながら自分の信念を押し絵をひたすら描いてゆく。彼は50歳に
なって奄美に移住することになる。ただ一人で・・・トタン屋根の小さな借家を借りて大島紬
の染工として働きながら・・・そして69歳で生涯を閉じる。誰にも看取られずに・・彼は生前
語っていた「紬工場で、五年働きました。紬絹染色工は極めて低賃金です。工場一の働き
者と云われる程働いて六十万円貯金しました。そして、去年、今年、来年と三年間に9
0%を注ぎこんで私のゑかきの一生の最期の繪を描きつつある次第です。何の念い残す
ところもないまでに描くつもりです。画壇の趨勢も見て下さる人々の鑑識の程度なども一
切顧慮せず只自分の良心の納得行くまで描いています。一枚に二ヶ月位かゝり、三ヶ年で
二十枚はとても出来ません。私の繪の最終決定版の繪がヒューマニティであろうが、悪魔
的であろうが、畫の正道であるとも邪道であるとも何と批評されても私は満足なのです。そ
れは見せる為に描いたのではなく私の良心を納得させる為にやったのですから。 そし
て、その繪は全部、又奄美に持ち帰るつもりでもあるのです。私は、この南の島で職工と
して朽ちることで私は満足なのです。私は紬絹染色工として生活します。もし七十の齢を
保って健康であったら、その時は又繪をかきませうと思います。」同期でありながら東山は
日本画壇の大御所になり、一方は己の信じるがままに貧しいながらも生涯走り向けた。一
村は没後3年にしてようやく世間に認められる様になる。果たしてどちらが画家として幸せ
だったのか・・・我ら凡人には一概には判断出来ないが一村の様に周りに流されずただひ
たすらに日本画に打ち込む人生もまた趣があって良いのではないか。