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今年早々に刊行されて「面白い!」と評判になっている、作曲家藤倉大さんの自伝、「どうしてこうなっちゃったか」を読みました。 確かに面白いです。語り口だけでもとても。これだけ「書ける」方はなかなかいない。自然に書いていても面白おかしくなってしまうのかも。才能ですね。 とはいえ、もちろん、なんと言っても中身が面白いわけで。 まず、現役の、それもまだまだ若い世代(40代)で、国際的に注目されている方の自伝というのがそもそも貴重です。その方が、これだけ「書ける」ということも含めて。この本で、そんな藤倉大さんの何がわかるか、というと、1 天才であるということ。 子供の頃、ピアノのお稽古をしていて、他人が描いた楽譜を弾くのがつまらなかった。必然性を感じなかった。自分で弾きたいように弾いたらピアノの先生から怒られた。それで自分で書いてみたら面白かった。曲を書きはじめたらどんどん音符が出てきた。それをピアノで弾いてみたら、いいじゃん!こんな音楽が弾きたかったんだよ! ということで、それを現在まで続けている。作曲最優先だから、教えることはほとんどしないし、コンクールの審査員もほとんど受けない。 才能は情熱の量である、とよく思うのですが、やはり天才というのはまず才能があって、それを情熱で生かすわけですね。当たり前なんでしょうけれど、そのことをこういうふうに自然に書ける方はなかなかいない。2 早くから外国に渡ったことがよかった。 藤倉さんは15歳でイギリスに渡り、現地の高校に入学。いらいイギリスが本拠です。 これは絶対によかったと思う。読んでいると、イギリスの学校はとにかく一芸に秀でていればいい。藤倉さんの場合、英語ができなくとも、音楽ができたからそれでOK。で、高校に入ると、その才能を活かして高校のPR?をするわけですね。何かの時に曲を書いたり演奏したり。そういうことで「この高校にはこんな生徒がいる」という宣伝になるし、優遇されるんです。 もちろん、これも才能があったから、なんですが、日本の学校に通っていたらとても無理。日本にいたらこれほど飛躍できなかったかも。 3 周囲にいる才能のある方達の描写が素晴らしい。 学生時代から作曲コンクールに応募し、また憧れの作曲家に作品をおくって認められたりしてキャリアを築いていった藤倉さん。彼の師や、憧れの作曲家たちも一流で、そういう方達の描写も抜群に面白い。あったこともないのに、作品を送ったらいろんなところに紹介してくれたエトヴェシュ。目をかけ、指導してくれたブーレーズ。そういう伝説の人たちがいかに頭がいいか(一を聞いて十を知ると言いますが、100、二百を知る方達なんでしょう)。魅力があるか。坂本龍一さんなんかも、超忙しいのに藤倉さんと会う時はいくらでも時間がある、というふうに振る舞うらしい。多分誰に対してもそうなんでしょう。すごいことです。4 「どうやって作曲家になるのか」がよくわかる。 などなど。 最高のそして絶妙の語り部が、なかなか知ることができない世界を教えてくれた一冊。ワクワクがいっぱいでした。「どうしてこうなっちゃったか」
April 12, 2022
80代の現役名エッセイスト、関容子先生の最新作「銀座で逢ったひと」。 関先生は雑誌記者からエッセイストに転身され、主に文学者や俳優の聞き書きエッセイで、エッセイストクラブ賞、講談社エッセイ賞、読売文学賞など数々の賞を受賞された名手です。最新刊は、「銀座百点」に連載されたエッセイ「銀座で逢ったひと」をまとめたもの。文士から歌舞伎役者、俳優、落語家、画家、音楽家まで(音楽家は岩城裕之さんと五十嵐喜芳さん)37名の著名人との交流が、南伸坊さんの雰囲気のある似顔絵と共に紹介されています。直接お話ししたことがないので、あくまでご本からの印象ですが、関先生はとてもチャーミングな方のようです。知的で好奇心に富んでいて、「人」への興味が深く、温かい。(でなければ交友録で本はできないし、丸谷才一から中村勘三郎、池部良から古今亭志ん朝まで、錚々たるメンバーが心を開くはずがありません。究極の「聞き上手」なんだと思います。人を上手に慕う方なんですね。爪の垢を煎じたい。そして、「人」からたくさん学ばれる。丸谷才一さんからは、「文章はテクニックの問題ではなく、生き方の姿勢」ということを、井上ひさしさんからは、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書く」ことを学ばれたという。全くその通りで、これにはただただ頷いてしまいました。 この本の大きな魅力は、人と人との交流の手触りでしょう。相手の雰囲気、空気感、その人との間に紡がれた時間を、滑らかですが「はっ」とさせる文章で綴ります。その背景がまた華やか。文壇バー、帝国ホテルでの出版パーティ…まさに、古き良き時代。 最近読んだあるベストセラー作家の作家指南の本に、「長者番付の上位には、一滴もお飲まない作家が大勢いる」「文壇バーは、出版社のお金で飲みたい作家の行く場所」「出版パーティは、自費出版するお偉いさんのもの」とあって、確かにそうだよな〜とこれも頷いていたところ。正直、そういう時代になりつつあるので、この御本を読んで、「文士」の時代の空気を思い出したのでした。 関先生の聞き上手の出発点は、51歳の若さで亡くなられてしまったお兄様との関係にあるようです。小さい頃、お兄様が、夜寝る前に色々な話を聞かせてくれて、それがとても楽しく、お兄様にとっても妹の反応が良くて張り合いがあったよう。「思えばこれはインタビューの極意で、興味を示して話し手を励ますこと、感謝と敬愛を惜しまず話すこと。そうすればもっと素敵な話が聞ける、ということを、私はここで学んだのかも知れなかった」。 素晴らしい。 関先生は、このお兄様のことを一度きちんと書きたい、と思っていらしたそうなのです。それをこの本で「ようやく果たすことができました」。 お兄様、あちら側で、さぞお喜びのことでしょうね。 本の詳細はこちら。 銀座で逢ったひと
February 19, 2022
大変貴重な一冊。知る人ぞ知る名プロデューサー、広渡勲さんの回顧録です。 広渡勲さんは、東宝を経てNBS(旧JAS)で、海外のオペラハウスやバレエの公演を数多く手がけられ、スカラ座、ウィーン国立歌劇場、ベルリンドイツオペラ、ウィーン国立歌劇場など、伝説になった来日公演の裏方として奮闘なさり、質の高い公演を実現した立役者となった、伝説の名プロデューサー。その仕事ぶりと気配りで、クライバー、バレンボイムをはじめ著名なアーティストの絶大なる信頼を受けたことでも有名です。クライバー、バレンボイム、メータなどは家族同然、バレンボイム、メータとは「三兄弟」の仲だそう。 この本を読んでいると、なるほどなあ、という場面が何度も出てきます。素早く仕事をこなし、満遍なく気配りする。仕事においても人間関係においても、とにかく「機転がきく」のです。演目や演出の交渉といった公の部分から、来日公演中に主役キャストの一人が浮いていると折を見て食事に誘うような、目に見えない部分での細やかな気配りまで、それはすごいのです。 最晩年、体調が芳しくないカール・ベームを、ファンにもみくちゃにされないようこっそり楽屋口から出したら、本人がファンに囲まれたくて機嫌が悪くなったので、その次の公演の時にはファンの「エキストラ」!を楽屋口に十人揃えた!とか。公演中に揉めていた演出家と歌手を、最後の最後の打ち上げパーティで一緒に鏡割りをさせて仲直りさせたとか。。。。そんなエピソードを読むと、つくづくその気配りの素晴らしさに感じいってしまいます。この人となら一緒に仕事がしたい、と思うアーティストが続出するのは当然でしょう。 気配りの広渡さんと、本物へのこだわりと眼力が凄まじかったというNBSのトップ、故佐々木忠次さんの組み合わせで、NBSは80−90年代にかけて、伝説的な来日オペラ公演の数々を実現させることができました。新国立劇場もなかったし、日本も上向きだったし、ある意味いろんなタイミングが重なって、クライバーの「オテロ」や「ばらの騎士」、フリードリヒ演出の「リング」日本初演など、語り草がいくつも生まれました。 もう、そういう時代ではありません。「人」もいなければ「お金」も回らない。また海外の歌劇場にしても、当時のような、自分たちの名誉をかけて日本公演を、という気概は感じられない(日本に持ってくるのは現地でのBキャスト、ということが珍しくありません)。ビジネスライクになった、というようなことを広渡さんもこの本の中で呟いておられます。 広渡さん、「スピーディSpeedy」というニックネームをお持ちで、そのことは前から存じていたのですが、その由来も本書にありました。スカラ座の総裁一行を京都に案内していた時、立ち止まって話してばかりいるので、「歩きながら話してください」と頼んだところ、機智があってすばしこい人気キャラ、「スピーディ・ゴンザレス」みたいだ、と言われ、それがニックネームになったのだそう。なるほど。 広渡さんと海外出張に行かれたある方から伺ったのですが、ウィーンに行ってもベルリンに行っても、劇場に行くと「スピーディがきた!」と大騒ぎになったそう。(当時全盛期だった)「カサロヴァが、私のところにきてちょうだい、って言ったり、ベルリンではルネ・コロが、「スピーディがきているなら僕が空港まで送っていく」と言い出したりするんですよ」。で、「とにかく仕事が早いんです。数歩歩く間にいくつかのことをしている。僕の何倍ものことをしてるんです。「スピーディ」って呼ばれている理由がわかりました」 このお話、とても印象的だったのですが、この本を読むと、よくわかります。 名プロデューサーと伝説の公演、日本のクラシック音楽受容史の重要な1ページですね。中身の濃い本で、特にオペラ好きにはたまらない、ワクワクドキドキの一冊です。 もし「クライバーって誰?」という読者も意識するのだったら、構成はもう少し考えたほうがよかったかもしれません。最初から延々とクライバーとのエピソードが出てくるより、広渡さんの経歴や当時のクラシック、オペラ、バレエ界の状況から始める手もあったかもしれません。本の詳細はこちらから。マエストロ、ようこそ
March 7, 2021
最近話題の音楽書からもう一冊。 発売即重版。クラシック音楽界きってのエッセイストとしても名高い、オーボエ奏者、指揮者の茂木大輔さんの新刊「交響録 N響で出会った名指揮者たち」(音楽之友社)。 およそ30年におよぶN響時代に出会った数々の指揮者の肖像は、それだけで日本の演奏史の1ページ。演奏も態度も威厳そのもののカリスマ指揮者サヴァリッシュから、明快で無駄がなく、迷いがなく、高速で直進する、21世紀のIT時代が生んだ新しいタイプの指揮者パーヴォ・ヤルヴィへ。LP時代(それよりは新しいけれど)の指揮者からネット配信時代の指揮者へ。音楽界も時代とリンクしていることがよくわかります。国際的な活躍をしている指揮者は皆それぞれ個性的なのでしょうが、著者の観察眼と知性、ユーモアのセンスで極上の、時に抱腹絶倒、時にニヤリとさせられる読み物になっています。そして、「指揮者って何をしているの?」という素朴な疑問にも、これ以上ない答えをくれているのです。 ちなみに、「終わって欲しくない」と思った演奏会は、スクロヴァチェフスキとプレヴィンだったそうです。 もうこれは、何箇所かご紹介して、唸ったり、腹を抱えたりしていただくことにしましょう。 小澤征爾。 「とにかくものすごく指揮がうまくて、ため息が出るほどだった。全ての合図、動きには音楽としての意味があり、見ているだけでどうすればいいのかが本当によく理解できた。。。 その演奏の精密、絢爛、迫真は、全く体験したこともない高い水準だったことも疑いがない。」うーん、見てみたい。 チョン・ミョンフン (世界で一番好きな指揮者だそうです) 「練習場に出てきただけで自信、余裕にあふれたその態度というのは頼もしく、セクシーでもある。「仕事だ、仕方ない、また音楽でもやるか」と言わんばかりの、ちょっと音楽嫌いそうな感じは、朝イチのオケの気持ちと完全にシンクロしていて、それだけで心を捉えられる。。。。 。。。ある瞬間から、急に両肘が前に張られて心臓あたりを両手で持ち上げるような独特の気合が入って、音も「ぐぐぐ!!!」と変わる。。。。 。。。。もう、楽譜などというものは遠い昔のどこかで消えてしまって、全ての音は世界に初めからあったのだ、というような作品との一体感。。。。」 目に浮かぶリハ風景。そして「作品との一体感」の奇跡は、チョンマエストロの場合、東フィルとのマーラー5番で体験しました。。。。深海を漂っているようでした。 ネルロ・サンティ (抱腹絶倒ナンバーワン!!!) 「よく歩けるな!と思える縦横前後に大きなお身体に、国家元首の如き貫禄ある笑顔が乗っている。指揮台に上がると「ボンジョルノ!」と大きなよく通る声でおっしゃるのだが、この瞬間に、高輪練習場を出た外はすぐアドリア海で、真っ青な海、白いテーブルクロスのかかった古城レストランからトマトとニンニクをを煮込む匂いがしているのではないかと思えるほどに、全てがイタリアになってしまうのであった。同じイタリア人でもファビオ・ルイージ氏やジャンナンドレア・ノセダ氏、、、のような若い世代の場合は、もう少し国際的で、練習も滑らかなる英語、良き時代のサンティ師匠はほとんどがイタリア語で、「バ ベーネ ファッチャーモ シンフォニー クワットロ プリモ テンポ ダカーポ!」と高らかにお告げになる。。。。 。。。さらに笑えるのは、これになぜか時々英語やドイツ語が交じることであって、そこかで「国際的指揮者」の片鱗が顔を出すのだが(失礼)、一番すごいのは、「こう思うんですが」と言う時の、「アイデンケ」。英語のIとドイツ語のdenke が同居している。。。」 すごいですね、これ、お分かりですよね?ドイツ語なら Ich denke 英語なら I think が同居しているわけです。たまりません。爆 茂木さん、サンティ師匠と共演した「アイーダ」や「シモン・ボッカネグラ」(演奏会形式)は楽しかった、と回想しています。 ヴェルディ生誕200年2013年の「シモン」、よくやってくれました。素晴らしかった。ヴェルディ好きにはたまらないオペラなのに、日本ではなかなかやってくれないので。。。 最後を締めくくるクリストフ・エッシェンバッハと著者のエピソードも感動的です。24歳の若い頃、バンベルク響で共演したとのことですが、そのマエストロと、著者の退職の直前にN響で共演できた。その演奏は「音楽愛のある」、「ここまで心のこもった指揮者というのは長いN響体験の中でもほとんどなかったのでは」というものだったそう。 そのエッシェンバッハ氏は、著者に、一流指揮者とたくさんの曲を演奏したい、という夢を抱かせてくれた、「自分に初めてはっきりとした人生の夢を見せてくれた指揮者の一人」でした。「時々、全部が夢で、それが醒めたら24歳のフリーに戻っていて、またオーディションに行かなくてはならないのではないか?と思うことがある。 そうじゃない。全部、本当のことだったのだ」。 いいなあ、人生。 本書で、著者が「古楽に目覚めるきっかけ」になったと書いているブリュッヘンのベートーヴェン。死蔵していた「第9」を引っ張り出して聴きました。確かに超名演! 本の詳細はこちらから。 茂木大輔 「交響録 N響で出会った名指揮者たち」
February 7, 2021
これは、とてもいい本です。 「つながりと流れがよくわかる」というタイトルは、本物です。 「西洋音楽史」に限らないですが、「なんとか史」の本というのは、ともすれば史実(?)と有名人(の業績?)の羅列になりがち。そこに年号(いらないよ年号!)でも挟まろうものなら、もうお手上げ。紙に書いた記号の連続みたいなものです。この手の「教科書」を使わされて、歴史嫌いになった人も多いことでしょう。 「西洋音楽史」もかつてはそうでした。大昔ですが、某音楽大学で、「西洋音楽史」の講義をかなり長い間持っていたことがありましたが、そのころは東京書籍から出ていた「西洋音楽の歴史」を教科書にしてました。それは当時としてはかなりわかりやすい、と思って使っていたのですが、それでも学生からは「難しい」と言われた。まして、私が大学時代に受けていた「音楽史」の相棒は、コルネーダーやグラウトの「西洋音楽史」でした。いえ、勉強になる、いい本ですよ。でも翻訳物というだけで限界はあるのです。元々の文章だって相当硬いですからね。やはり自分の言葉で書かないと。グラウトは必読ですが、その前にもっと読みやすい「教科書」が必要です。 で、その後、日本人研究者の方による「音楽史」の本が続々出てきました。以前ここにも投稿した岡田暁生先生や久保田慶一先生などはお一人で書き下ろしているし、複数の著者による「西洋音楽史」もずいぶん出てきました。岡田先生の本は読み物としても大変面白く、おすすめですが、やはりお一人で書かれているいい点と、偏りという、まあ欠点と言えば欠点もあるわけで。複数の著者による本は、各人の得意なところが発揮され、視点も含めて、広がり、ヴァラエティがあるという利点があります。 この本も、その一つではあるのですが、どちらかというと主要著者の岸本宏子先生の御本、という色が濃い。それが、プラスに作用しているのです。 まず表紙のイラストに描かれている音楽家がびっくりです。表表紙がモンテヴェルディ!とベートーヴェン。裏表紙がジョスカン・デプレ!!!とモーツァルトです。モンテヴェルディはまだしも、ジョスカンですよジョスカン。ジョスカンの曲聴いたことある方手をあげて!なんて呟きたくなります。 狙いは明らかですね。「音楽史」は、まあ岡田先生の本にもありましたが、どうしてもルネッサンス以前と20世紀以降が弱い。それはいわゆるクラシック音楽のレパートリーが19世紀中心だからなんですが、これ、例えば美術史と比べるとすごく困るんです。だってルネッサンス美術(ジョスカンの時代)ってすごく豊かではないですか。それに引き換え、ルネッサンス音楽に親しんでいる、というか、そもそもルネッサンス音楽と言われて、イメージできる人ってどれくらいいるんでしょうか?難問です。 この本は、その点も含め、「流れ」を見事に解き明かしてくれます。まず、ヨーロッパ文化の土台となっている古代ギリシャ、古代ローマからの遺産について。現在のヨーロッパ世界は、古代ギリシャからは「学問、芸術」を、古代ローマ帝国からは「キリスト教」を受け継いだ。そして、ヨーロッパの3つの宗教の解説(ユダヤ、キリスト、イスラム)。そしていよいよ本編が始まるわけですが、全体を3つに区切り、「バロックまで」がまず長い。約240ページの中で、ここまでで150ページです。区切りの最初は中世〜ルネッサンスで「神の音楽」、区切りの二つ目はバロック〜古典派で、「神の音楽から人の音楽へ」。そして19世紀以降はひとまとめにして「西洋音楽のたわわな実り、そして」となるわけです。19世紀以降が短い?そうですよね。でもね、時間的な長さからいったら、結構これが正解かもしれない、と思うわけです。だって「西洋音楽の始まり」は、本書によると、カール大帝が神聖ローマ皇帝に即位した800年なのですから。「西洋の音楽は、バッハより何百年もさかのぼる歴史を持っている」(「ごあいさつ」より)。だから表紙がモンテヴェルディでありジョスカンなんでしょう。 「中世、ルネサンス」の章を担当し、巻頭言にあたる「ごあいさつ」、序章、そして「終わりの始まり」と題された終章を担当した岸本先生は、「西洋音楽は1960年台代から「終わり」に差し掛かっている」と総括します。理由は、神聖ローマ皇帝の子孫が絶滅し、カトリック教会が変容して「神聖ローマ帝国と教会」という二頭立てが完全に消滅したことと、テクノロジーによる世界の変容です。興味深い。(そう、今は転換期かもしれない、ということは、コロナ禍でも思いました。) 本書を貫いているのは「西洋音楽の基盤となる社会、文化的な要素」を理解することの重要性です。それがわかって、初めて「流れ」が見えてくるからです。そういう構想の原点は、岸本先生ご自身が学生時代に「音楽史」の授業で、「ストーリーが見いだせない」ことに悩んだことのようです。岸本先生、歴史好きだったそうですから、なおさらでしょう。 この本は、岸本先生が大学で実践してらしたことの集大成、のようです(ご講義を聞いていないので確かなことはいえませんが)。他の著者の先生方の文章も読みやすく、知識を得られる点でも過不足ありません。 本書は岸本先生が、初めて編集者のご主人と作られたご本だそうですが、ご主人は途上で旅立たれ、そして岸本先生も、本が書店に並ぶ前に逝かれたそうです。遺言ですね。でも、遺言が残せるって、お幸せなことだな、見事なことだな、と感じました。 クラシック音楽好きな方に限らず、ヨーロッパ文化に関心のある方、ご一読をお勧めします。 つながりと流れがよくわかる 西洋音楽の歴史
February 5, 2021
これは名著です。「私を変えた、世界を変えた、あの絵画」という謳い文句は嘘ではありません。 原田ファンなら、「楽園のカンヴァス」などの名作の原点となった名画と著者との出会いを知りたいだろうし、ファンでなくとも西洋美術に関心があれば、「世界を変えた=美術史を変えた」名画のいくつかを知ることができます。ジョットの「小鳥に説教する聖フランチェスコ」、カラヴァッジョの「聖マタイの招命」をはじめ、ダヴィンチ、ボッティチェリ、フェルメール、ゴッホ、ピカソ、ムンク、ルソー、マレーヴィチ、カーロ、東山魁夷まで、26作の名画が並んでいます。(ちょうど「生きるぼくら」という小説をkindleで読んだばかりだったのですが、東山魁夷が好んだ蓼科の御射が池が出てました)。近現代がやや多めでしょうか。欲を言えば、絵の順番を時代順にして欲しかった。これは編集側への要望ですが。 とりわけ、「アッシジの聖フランチェスコ」という一人の聖人が、「ルネッサンスの潮流の起点となった」という見方は新鮮で、うなずいてしまいました。 この本が「名著」だと思う理由はいくつかありますが、作家の目で美術史の流れをたどれる(もちろん文章の素晴らしさも!)ことに加えて、 絵画から聞こえてくる「声」を聴いている ことが一番の肝かと思います。 著者は、アートを専門にしていた時(学芸員時代)は、どうしても仕事の目で見てしまうため、「雑音ばかりが聞こえてきた」と言います。けれど作家になった今では、アートに向き合う時間は減ったものの、少女時代に聞こえていた「声」がまた聞こえるようになったという。 その「声」は、美術史を変えた「声」である時もあれば、著者の人生を変えた「声」である時もある。その双方が重なり合うと、小さな奇跡が起きて、しばしば作品につながるのですね。 そして、生きること、芸術を愛することへの肯定がひしひしと伝わってくる点も、すばらしい。 この肯定感は、原田マハの多くの作品にも共通する、彼女の真骨頂と言える部分ではないでしょうか。 さらりと読めるけれど、繰り返し読むと、深くて、惹きつけられます。おすすめです。 原田マハ「いちまいの絵」集英社新書
January 17, 2021
これは、とても貴重な本です。 2018年に急逝された、世界的なバッハ学者で、解説、評論、放送、啓蒙、学会の会長など、幅広い分野で活躍された「スター研究者」の礒山雅先生。その重要なお仕事の一つが、大阪のいずみホールのディレクターでした。作曲家など、アーティストがホールの企画に加わることは他でもありましたが、「学者がコンサートを企画する」というのは日本では初めての試みだったと言います。ずっと礒山先生をサポートしていらしたいずみホールの森岡めぐみさんは、ドイツの各劇場を研修で訪れた経験から、礒山先生の役割はドイツの劇場でいうところの「ドラマトゥルク」=劇場運営を学術面から支援するスタッフ、だったと結論づけました。 この本は、礒山先生といずみホールの30年を振り返る内容で、主部は礒山先生がホールの会報誌である「Jupiter」に連載していたエッセイですが、単なるエッセイ集ではなく、先生とホールのあゆみを森岡さんが振り返る部分が付け加えられています。これがとても重要です。まさに「ドラマトゥルク」としての礒山先生のお仕事がまとめられているからです。学者、そして熱心な聴衆(放送のお仕事もされていた礒山先生は、熱心な聴衆でもありました)としての視線を生かした人気のシリーズが何本も出ているのは驚きですが、中でも、オルガンのコンサートとしては稀有なことに毎回満員の人気企画となった「バッハ・オルガン全曲演奏会」は、その集大成といえましょう。解説付きというのもバッハ学者ならでは。また、バッハの作品が「1パート一人」で演奏されていたと唱えているジョシュア・リフキンと組み、自ら結成した団体「バッハ・コンチェルティーノ大阪」の活動も瞠目に値するものです。その結果、いずみホールには「素晴らしいお客様」(礒山先生の言葉)が育った。それが、何よりの財産です。 礒山先生のエッセイももちろん内容豊かなのですが、読書家の森岡さんの文章も素晴らしい。滑らかで過不足なく、内容がスッと入ってきます。ご本人のお話によると、先生からも厳しく添削?されたそうです。羨ましい?? もうすぐ先生の3回忌。どんな献花にもまさる献本です。(生意気で恐縮ですが、タイトルはもう一考欲しかったですね) いずみホールは新シーズンから、礒山先生の薫陶を受けたシューベルト研究家の堀朋平さんをディレクターに迎えます。新しい展開が楽しみです。 本の詳細はこちらから。 「神の降り立つ楽堂にて」
December 31, 2020
今、早稲田大学エクステンションセンターで「バッハ 三大宗教曲超入門」のオンライン講座を担当しているのですが、今週末の「ヨハネ受難曲」の講座に合わせ、Facebookに投稿した礒山雅先生の遺作「ヨハネ受難曲」の感想を共有いたします。 どうしてもご紹介したかった一冊、「ヨハネ受難曲」(筑摩書房)。ご存知、礒山先生の遺作です。「マタイ」、(翻訳ですが)「ロ短調」ときて、「ヨハネ」で三大宗教曲が完結。素晴らしいお仕事。この本で「博士号」をとられたそうですが、日本の博士号のシステムっておかしいですよね。あの皆川先生ですら、「博士号」を取られたのは晩年でした。。。まあ、お二人の大先生の「時代」がそうだったのでしょうが。。。(文化系の「博士」の基準が確立されていない時代) 美しい本です。中身も装丁も。これを遺して逝かれた、というのは、(「不慮の死」という亡くなられ方で、それは残念ではありますが)礒山先生らしいというか。生き方として素晴らしい(羨ましい)。若桑みどりさんが「クアトロ・ラガッツィ」を遺して逝かれたように。ご自身にとっての集大成的な、そして誰もが納得するお仕事を遺す。バッハのようです。 礒山先生(そんなに近しくしていただいたわけではないので、遠くから拝見していただけですが)が素晴らしいのは、お話にしろ本にしろ、必ず何かしら「発見」があったことです。入門編であろうが、誰でもわかることから入り、かなりなマニアも「へえ、そうなんだ」と思わせるところまでお話をつなげていく。初心者を対象にしていても手を抜かない。本当に感服でした。情熱的な「聴き手」でもありましたし。 「ヨハネ受難曲」。難物です。美しい自筆総譜が残っている「マタイ」とは違い、決定稿がない。そこには上演をめぐる様々な事情も絡んでいるのですが。そのような専門的なことについても情報の宝庫ですが、個人的に一番ありがたかったのは「ヨハネによる福音書」の成立や性格について、丁寧に解き明かされていることでした。同じ「受難曲」でありながら、なぜ「ヨハネ」の音楽が「マタイ」とこれほどまでに違うのか、その根底には福音書の性格の相違があるからです。これを理解しないと最終的には音楽も理解できない。バッハはあくまでテクストに忠実に曲付けをしているのですから。礒山先生は、この研究のためにギリシャ語を勉強されたという。 また、受難曲」の前史が詳しく説明されているのもありがたかった。「聖書研究とジャンル史研究の長い前置きを経て作品に到達するのは、作品が抱える多くの問題意識や謎が、そうした登攀路を経ることによって本来の姿を現すからである」(「まえがき」より)「ヨハネ」は、4つの福音書の中では一番新しい福音書です。他の3つとは明らかに違う、というか、成立事情が違う。「ヨハネ」が成立した1世紀末、教団は迫害などによって危機に直面していた。それに団結して対処するために作成された福音書だという。 だからこそ、「ヨハネ」は屹立していて、厳しいのです。ここでのイエスは、超越している絶対者です。「マタイ」で感じられるような、人間的な弱さはほとんどない。だいたい最初の1行、有名な「初めに言があった」という1行がそうですよね。だからバッハの音楽も、激しい。コントラストがくっきりして、ダイナミックです。そしてイエスの受難も、予言が「成し遂げられた」という点で、「勝利」なのです。 「ヨハネ受難曲」の前史も充実の一語。まずジャンル論では、16世紀の「応唱受難曲」と「通作受難曲」の対比(特に後者については、作例として出されているロングヴァル作品を含めてほとんど知りませんでしたので勉強になりました)、17−18世紀の「オラトリオ風受難曲」と「受難オラトリオ」の違い〜実は明確な線を引くのは難しい〜といった点に注目。そして、バッハの「ヨハネ」のテキストに影響を与えている、ボステル台本の「ヨハネ」や、バッハの「ヨハネ」のテクストの源流であり、何人もの作曲家が曲付けした、いわゆる「ブロッケス受難曲」(ブロッケスのテクストによる「世の罪のために責め苦にあい死に至るイエス」)の解説は必読です。 バッハ自身の「受難曲体験」や、決定稿がない「ヨハネ」の伝承の問題(まずもって、1725年に行われた初演の自筆スコアがない。パート譜がやや不完全に現存)、その背景にある上演事情も、当時のライプツィヒでの礼拝音楽の上演がどうだったか、ということが手に取るようにわかり、スリリングでした。本当は1739年に行われるはずだった上演ために、バッハは自筆総譜を準備したのですが、市参事会の要請で上演がなくなってしまったので、途中で放棄されてしまった。ここでスコアが完成していれば、1736年の上演で作成され、現存している、とても美しい「マタイ」の自筆スコアのようなものが残ったはずだったのです。 結局その上演は(おそらくテクスト上の理由で)流れ、それきり長い間「ヨハネ」の上演はなくなりました。最後の上演はバッハの死の前年の1749年。生前に上演された最後の自作の受難曲になりました(当時の慣習として、他人の受難曲も上演しますので)。 それが、礒山先生の遺作のテーマというのは、やはり何か「神の配剤」のようなものを感じざるをえません。そして礒山先生とその研究に惚れ込み、「マタイ受難曲」をはじめ多くの本を出し続けた編集者の鳥谷健一さんとの出会いも、それに近いものを感じます。 本書の「肝」は各曲解説ではありますが、上にあげたような前半部分だけでも一冊の本ができる内容。バッハ好き、必携です。 礒山雅「ヨハネ受難曲」筑摩書房
November 17, 2020
これは稀有な本です。パヴァロッティの晩年(多分全盛期の最後の方から)に付き添った、「アシスタント」(身辺世話係で何分の1か息子)によるパヴァロッティの伝記、というか観察記。そう言う立場の人間(そもそもとても珍しいケースでは?)がこのような本を出すことは貴重だし、双方向の愛情が感じられてとても快い読後感を味わうことができました。 物語は、ペルーのホテルでボーイをやっていた筆者(ティノコ)が、パヴァロッティにスカウトされ、彼の世話から相手からあらゆる場面に付き添うことから始まります。急な話だったけれど、全てを置いて(両親と子供も〜正式な結婚から生まれた子供ではないようですが)飛び込んだ。息を飲むような、想像を絶するセレブ生活(ミーハーな私は、この見聞録だけで面白かった。彼のおかげで?生活しているチームを引き連れて絶え間なく動いている様子はまるで「宮廷」のよう)。世界中どこに行っても自分で料理し、人をもてなす(周囲はその準備で大変!なんですが)。寂しがり屋でもてなし好きで、神経質だけれど、「人の悪口を言うのを聞いたことがない」パヴァロッティの人柄。オペラ歌手はもちろん、政治家からポップスターに至る華麗な交友録(これを読む限り、最後に彼と食事をした「友人」はフローレス夫妻。パヴァロッティもフローレスもペーザロに家があるので)。急激に訪れた晩年。脊椎がつぶれ、膵臓癌を併発した最後の日々(毎日電話をかけてきたのはドミンゴ!)。おそらく国境を越えて最も愛し愛されたオペラ歌手。それは、パヴァロッティ自身が、「どんな街でも大好きになる」性分であることも大いに関係しているように感じました。訳文もリズミカルで読みやすい。訳者の楢林麗子さんはこれが初の訳書だそうですが、お上手です!パヴァロッティファンはもちろん、オペラが好きな方、スターが好きな方、セレブが好きな方、イタリアが好きな方、そして人間に興味のある方、おすすめです。 伝え聞いていたことではありますが、パヴァロッティは、自分の声に最もあっている役は「仮面舞踏会」のリッカルドだと言っていたそう。確かに彼の「仮面」は最高です。「仮面」という作品の素晴らしさに目覚めたのは、パヴァロッティがMETで歌った二枚の映像で、でした。生でみていないのが口惜しい。二人目の妻との間に男女の双子ができて、男の子には生まれる前から(もちろん「仮面」に由来する)リッカルドという名前をつけていたのだけれど、死産してしまった。そのくだりは胸が締め付けられてしまいました。。。 結局パヴァロッティは男の子に恵まれず(女の子は何人もいたのに)、それが、この著者「ティノ」を可愛がった一つの理由だと感じました。 パヴァロッティ「仮面舞踏会」第二幕の愛の二重唱の動画を貼り付けます。指揮はアッバード、1986年のウィーン国立歌劇場の公演です。相手役のソプラノはガブリエラ・レヒネル。 パヴァロッティ出演「仮面舞踏会」第二幕の二重唱 本の情報はこちらパヴァロッティとぼく。
November 15, 2020
「オペラの運命」「音楽の聴き方」など数々の名著を世に送り、サントリー学芸賞をはじめ多くの受賞歴に輝くスター研究者で、尊敬する岡田暁生先生が、タイムリーな!新著を出されました。 「音楽の危機」(中公新書)。 出たことがわかった日に本屋に飛んでいって買いました。コロナ緊急事態宣言中の4−5月に書いたらしい(さすが。すごいです)。いてもたってもいられなくて書いてしまった。岡田先生の本には、だいたいいつも、この「書かずにはいられない」熱気があって、そこも好きです。 岡田先生は、「音楽」とは「人が集まって共有するもの」であり、録音やインターネット配信のような「録楽」とは違う、と言う。今回のコロナで危機にさらされたのは、もちろん「音楽」のほう。それがどうなるのか、膨大な知識と体験から繰り出される「過去」の事例を参考にしつつ、予測します。 今回、危機にさらされたのは「三密」の催しだが、それはいわゆる「文化」と「風俗」に共通する。そもそも両者は同じルーツだった、と言う冒頭の章に、まずうなずかされる。コロナは図らずもその部分をあぶり出しました。 そして、「危機」にさらされている「音楽」の最たるものは、いわゆる近代市民社会が成立して以降の、コンサートホールでの音楽の聴き方。つまり、しばらく前から指摘されている近代市民社会の崩壊、それと関係してくるのです。この本の副題が「《第九》が歌えなくなった日」であるのは、大勢で集まり、絆を歌い、勝利に到達する《第9》が、「右肩上がり」の近代市民社会の象徴であるからです。クラシック音楽の重要レパートリーである19世紀は、まさにその時代にかぶっているわけです。 書中にトフラーの「第三の波」が出てくるのですが、「第三の波」と言うのは、今まさに注目されている、脱中心的なリモート社会なのです。 けれど、近代市民社会以前の音楽は、いわば祈りのようなものだった。(例えばバッハの音楽は、「帰依型」だと岡田先生は言います。音楽の「終わり方」に対する考察も大変興味深い)音楽の「場」も全く違った。こういう時こそ、「音楽の場」「音楽のありよう」を問い直す、考え直す。「新しい音楽をする場」を考える(そのヒントとして、現代音楽の作曲家たちの様々な試みも挙げられています)。 そして「今の状況を新しい芸術を生み出すための望外のチャンスと前向きに受け止めることが、私たちにできる最善と思うしかないだろう」(「あとがき」より) それしかない、結論ですが、そこへ至るまでの、独自の視点からの「音楽史」の俯瞰と、コロナ禍の中でのご自分の音楽体験(この本の下地になった、大学でのリモート授業と学生さんからの反応の紹介、通りすがりに聞いた「声明」の衝撃)を生き生きと語る「岡田節」は、いつもながらビビッドで魅力的で、示唆に富んでいます。 色々、ヒントをいただきました。おすすめです。岡田暁生「音楽の危機」
October 5, 2020
今月毎日の更新を目指して続けてきた「人生が変わったこの一冊」、最終日の今日は、開高健「輝ける闇」です。 ブログでは「第5回」になっていますが、この「人生が変わったこの一冊」を始めたきっかけは、Facebookで流行していた「ブックカバーチャレンジ」というバトンで、その初日に同じ開高健の「夏の闇」を上げましたので、最後はこれで締めくくるつもりでした。 「輝ける闇」は、開高健の代表作である「闇」三部作の第一作で、ヴェトナム戦争に従軍取材(米軍と南ヴェトナム連合軍側)した時の体験に基づいた、半ば私小説のような作品です。けれど表現は豊穣で、著者が書きたいと言っていた「匂い」に満ちています。前線の森の匂い。戦場の死体の匂い。道端の癩者から高級レストランのステーキまで、サイゴンの街の混沌とした匂い。最後に著者は再び前線に戻り、「作戦」を実行した大隊に同行してヴェトコンの一斉射撃を受けて森に逃げ込みます。 前線は、奇々怪怪です。南ヴェトナム軍にはヴェトコンが入り込み、どこまでが敵か味方かわからない。主導権を握っているはずのアメリカ人兵士たちが躍起になる一方で、南ヴェトナム軍の兵士は、ろくに戦いもしないで死んでいく。著者は街にいても前線にいても、いつも見張られていると感じる。そんな環境の中で、地雷を抱えていたという若者が処刑されるのを目撃し、著者の中で何かが変わる。著者は、意外と平静でいた自分に驚いているのでした。 開高健は、戦後の闇市?世代です。父を亡くした一家は酷い貧乏で、著者は少年のうちに働きに出なければならなかった。そのころの記憶が、著者の中にずっとうずくまっている。ヴェトナム行きを決意したのも、「戦争」を目撃することに抗えない何かの力なのでしょう。 著者は戦争を「見尽くし」ます。華麗なその文体で。そしてその見方の背後には、膨大な教養があります。それもまた、開高健の魅力です。そしてそれが饒舌さと合体する。 「(メルヴィル「白鯨」の)船長エイハブは白鯨を求めて大洋をさすらった。無名のヤンキーは13世紀を飛び越えてアーサー王朝をさすらった。ソウル・ペローの一人物はシタイ、シタイ、俺は何カシタイと叫びつつアフリカをさすらった。ウェイン大尉(アメリカ軍の大尉)はたたかうために一万マイルを超えてきた。ことごとく船長エイハブの末裔ではないか。心の薄明の内裏にとめどない一つの渦動があって、それが運動それ自体、力それ自体を希求し、空間を充填することをめざしてやまぬ力であるなら、この不思議な民族はどうなるのだろう。船長エイハブは白鯨がいなければ自身の体から白鯨をにじみだしてでも追い求め、海がなければ自身の体から海をにじみ出すのだ」 三島由紀夫は、取材に基づいた作品より、全てを想像力で書く方が偉い、と言ったそうですが、現実を昇華するのは「創造」の立派な作業です。同じ体験をしても、何も表現できない人もいる。一を聞いて十を知る、ではないですが、一を見て十を感じるのは、クリエイティヴな才能以外の何ものでもありません。 「徹底的に正真正銘のものに向けて私は体をたてたい。私は自身に形をあたえたい。私はたたかわない。殺さない。助けない。耕さない。運ばない。扇動しない。策略をたてない。誰の味方もしない。ただ見るだけだ。わなわなふるえ、目を輝かせ、犬のように死ぬ」 これもまた、創造者としての一つの態度ではないでしょうか。 本の情報はこちらから。 開高健「輝ける闇」新潮文庫
June 1, 2020
「人生が変わったこの一冊」、第30回は「入江泰吉 写真全集」です。 入江泰吉氏(1905-1992)は、奈良、大和路の写真で有名な写真家です。奈良に生まれ、大阪で写真店を経営、最初は「文楽」にのめり込み、賞を取るなどして高く評価されますが、戦後生まれ故郷の奈良に戻り、故郷の仏像、寺、風景の美しさに魅せられて、それを撮ることに生涯を捧げました。 時に花と一緒に、時に昇る日や沈む日をバックに、時に雨に煙る寺社、伽藍の佇まいはそれはそれは美しく、幻想的、絵画的で、時間を忘れて眺めました。 その面影を求めて、奈良に足繁く通った時もありました(学生の頃です)。室生寺、当麻寺、長谷寺、薬師寺…特にフェノロサが「凍れる音楽」と称えたという薬師寺の東塔の風景は印象的でした。その後薬師寺は、西塔をはじめとして大規模に再建されてしまい、フェノロサがたたえた風景の面影はありません。 「山辺の道」の風景も好きでした。賑やかな京都より、のんびりした奈良の方が好きなんですね。 なんと図々しくも、入江先生のお宅におしかけたこともあります。無礼なファンに、入江先生はお茶を出してもてなしてくださり、丁寧に接してくださいました。 「入江泰吉 写真全集」は大部ですし、絶版ですが、入江氏の作品の多くは、ゆかりの奈良にある「入江泰吉記念 奈良市写真美術館」に収められています。 写真館のギャラリーを添付しますので、入江ワールドをぜひ覗いてみてください。 入江泰吉記念 奈良市写真美術館 ギャラリー
May 30, 2020
「人生が変わったこの一冊」、29回は司馬遼太郎「空海の風景」です。 タイトル通り、「弘法大師」の名で親しまれている8−9世紀の僧で、真言宗の始祖でもある空海の生涯を、彼の宗教というか哲学というか世界観の変遷、発展を交えて語る一冊です。 なぜ著者は空海の伝記を書いたのか。 それは著者が空海において「ごくばく然と天才の成立ということを考えている」かららしい。 著者は空海の著作には若い頃から馴染んでいたようですが、決定的な「空海」体験は、学生の頃、兵隊に取られそうだと知り、その前にということで友人と吉野の山歩きをした、その時に、それと知らずに高野山にたどり着いてしまった。「不意に山上に都会が現出した」と著者は書いています。「悪いものにたぶらかされているようでもあり、夢の中にいるようでもあった」それは、そうでしょう。「深いひさしのある門燈によっていってきくと、ここは高野山だという」 強烈な体験だっただろうことは、想像がつきます。私も高野山は何度か訪れましたが、本当になぜこんな山上に壮麗な街があるのか、という景色ですから。まして放浪の果てに偶然たどり着いたら、どんな心持ちがすることでしょうか。 後日、空海の足跡を辿りながら、著者は思います。空海が、高野山などという人里離れた山に寺を作ろうと思ったのは、ここを長安にしたかったからではないかと。若い頃、遣唐使の船に乗って、艱難辛苦の果てにたどり着いた唐の長安の都。そのスケール、国際性は、当時の日本の比ではなかった。 「8、9世紀のころの大唐長安と日本との文化的な落差のはなはだしさは明治の日本と巴里どころではない」 それは、そうでしょうね。遣唐使に使う船からして、中国の船とは全然レベルが違ったらしい。ほとんどコントロールの効かない帆船。しかも、なぜかいつも逆風になる夏の時期に出ていた。遭難しにいくようなものです。空海の乗った船も嵐にもまれ、ずいぶん南の方に流れ着き、一行は有名な函谷関を含む険しい陸路をへて長安に至ったのです。 空海は「20年」!の留学僧として派遣されましたが、わずか2年で帰国。というのも、当時唐で流行していた密教の大元締めの恵果という高僧から、密教の後継者として見出され、奥義を授けられるのです。 日本に帰ってからは時の嵯峨天皇と親交も結び、聖俗の世界で大活躍しました。 そんな空海は、ちょっと日本人離れしたスケールの持ち主だったよう。本作では、空海と同時代に活躍した僧で、天台宗の開祖である最澄との関わりがかなり執拗に描かれていますが、最澄はエリートで、優等生的な「いい人」、空海はそれに比べると野人怪人、捉え所がない、清濁合わせのむ人間です。そして時々「雌伏」を繰り返す。しょっちゅう山に籠ったりして「時」を待つ。本能的にもそうしたほうがいい、と思っているかのようで、その「機をみる」ありようは、まるで千里眼で、離れている都のことを見通しているかのようです。そして時が満ちると皆の前に現れ、その場を感嘆の渦で包むのです。 そんな空海を、著者は、日本人にはまれな 「巫人能力」 の持ち主だ、と言います。初めて聞いた言葉ですが、しっくりきました。 空海はおそらく、もともと、「自然」との繋がりから多くを受け取るタイプ。だからよく山に籠ったのでしょうが、まだ唐へ渡る前の若い頃、室戸岬で「明星」を体内に取り込んだ体験は強烈です。著者はそれが、空海が空海になった原点だとしています。空海は故郷の四国の山中を長くさすらいますが、その時の最大の収穫が、雨露を凌ぐために潜んでいた洞窟の中で、明星を取り込んだことなのです。「天にあって明星がたしかに動いた。みるみる洞窟に近づき、道内に飛び込み、やがて凄まじい衝撃とともに空海の口中に入ってしまった。この一大衝撃とともに、空海の儒教的事実主義はこなごなに砕かれ、その肉体を地上に残したまま、その精神は抽象的世界に棲むようになるのである」 これは、ある意味、「即身成仏」と言ってもいいのかもしれません。 そんな空海は、その後の様々な経験を経て、この世の原理には「王も民もな」く、長安で知った「民族」というものも、「仏教もしくは大日如来の密教はそれを超越し」ていると知る。空海自身の実感でいえば、いまこのまま日本でなく天竺にいようと「すこしもかまわない」「人類としての実感のなかにいる」ようになります。 「日本の歴史上の人物としての空海の印象の特異さは、このあたりにあるかもしれない。言いかえれば、空海だけが日本の歴史のなかで民族的な存在でなく、人類的な存在だった」 だから、「天才」なんですね。いやあ、天才って大変。それにしても、日本人離れしています。そこが空海の魅力です。 空海は「密教」を日本に持ち込み、広めた人間です。ちょっと前に最澄が、密教の「一端」を、それも偶然に日本に持ち込みますが、恵果から奥義を授かった空海から見れば、それは密教のかけらにすぎず、大系でもなんでもなかった。最澄はそれを理解して空海に教えを乞いますが、空海は最終的に受け付けません。その辺りの2人の関係を通して、空海と最澄の人間像が浮かび上がりますが、そのあたりは司馬遼太郎が得意とした方法ではないでしょうか。 「密教」については、私は語るような立場にありません。以前私淑していた高僧の方がたまたま真言宗だったので、空海や真言宗に親しみを感じるようになって今に至ります。空海の持つ色合いが大陸的であることは、本書を読んでとても納得しました。 本の情報はこちらから。 司馬遼太郎「空海の風景」中公文庫
May 29, 2020
「人生が変わったこの一冊」、今日は宮部みゆき「孤宿の人」です。 それほど熱心な読者とはいえませんが、宮部みゆきさんの力量にはいつも感服しています。「理由」「誰か」「火車」「名もなき毒」なども面白かったし、「本所深川ふしぎ草紙」のような時代物もいいですよね。特に「食」が出てくる時代物は楽しい。 でも、一冊と言われたらこれ、「孤宿の人」です。泣けます。人間の中の「鬼」と「仏」を見せてくれる物語です。 時は将軍家斉の代。讃岐の「丸亀藩」に、流罪になった重罪人、「加賀殿」が送られてきます。妻子を殺め、従者も殺した重罪人だという。「鬼」だと恐れられている。気が触れたという噂もある。そんな罪人を預かるというので、小藩は気が気ではない。 果たしてその恐ろしい「加賀殿」がやってきてから、死人は出る、病は流行る、大火は起こる。全て「加賀殿のせい」だと人々は噂するのですが。。 サスペンスを交えながら、本筋は「人情」ものというのでしょうか。人々のあり方が美しい。 特に「加賀殿」と、加賀殿に仕えることになる孤児「ほう」の交流が素晴らしい。「ほう」は有名な商店の若旦那と女中の間に生まれた子供で、母は出産の時に死に、商店からは目の敵にされて里子に出され、散々苦労した末に丸亀藩に流れ着きます。いろいろな人に世話になりますが、身寄りもない天涯孤独の身を見込まれた、というか、まあこの子なら誰にも迷惑をかけないだろう、ということで、誰も行きたがらない「加賀殿」のお屋敷の下働きに出されてしまうのです。いわば「人身御供」。 そんな哀れな「ほう」、阿呆だからという理由で「ほう」という名前をつけられ、自分でもわたしは馬鹿だから、と思い込んで生きてきたほうは、ふとしたことで「加賀殿」にまみえ、なんと「加賀殿」から読み書き算盤を学ぶことになるのです。 実は「加賀殿」は大変な知識人で、仕事もでき、家斉から頼りにされていた。それが大事件を起こしてしまうのは〜想像される方もいるかと思いますが、加賀殿は妻子を殺してなどいません〜、実は家斉から「妻」と、おそらく彼女のお腹にいた家斉の「子」を押しつけられたことがきっかけです。どうしてその妻子が死ななければならなくなったのかは、流石にネタバレになるのでやめておきます。部下を斬ったのは、秘密を守るためだった。つまり、家斉への忠義を尽くしたのです。 加賀殿が丸亀藩に流されてきてから起こった忌まわしい事件の数々は、御家騒動にまつわる陰謀だったりと、加賀殿には関係がありません。けれど陰謀や殺人を起こす人たちは、「加賀殿」を隠れ蓑にして悪事を働くのです。 加賀殿は死ぬつもりで丸亀藩に流されてきた。道中、食事もロクにしなかった。自分を隠れ蓑に悪事がなされているだろうことも知っていた。けれど加賀殿は子供が好きでした。ふとしたことで出会った「ほう」の純粋さに惹かれ、「ほう」を導くことが加賀殿の生きがいになってしまう。加賀殿の体調は好転します。ほうも、おそらく人生最大の喜びに出会うのです。 「加賀殿」は最後は望み通り、壮絶な死を遂げます(自死ではありません)。加賀殿は死の前に、「ほう」に贈り物を残します。「ほう」は「阿呆」のほうから、行手を知る人間の「方」に、そして最後には、「加賀殿」の遺書という形で、「宝」という字を受け取るのです。 ほうに、「加賀殿がお前の奉公をとく印に、これを授ける」という形で「宝」という字の「お手本」をわたした「砥部先生」はこう言います。 「何という字かわからぬか、これはなー」 たからという字だよ。 「たからー」 「そうだ、この世の大切なもの、尊いものを表す言葉だ。この字一つの中に、そのすべてが込められている」 ほうはお手本をそっと手に取り、顔を近づけてしっかり見つめた。 「そしてこの字は、ほうとも読む」「ほう」 「そうだ。だからおまえの名だ。加賀殿に賜った、おまえの名前だ」 この世の大切なもの。尊いもの。 「それは、おまえの命が宝だということだ。おまえはよくお仕えした。よく奉公をした。加賀殿はおまえにその名をくださり、おまえを褒めてくださったのだ」 今日からおまえは、宝のほうだ。 あほうあほうと蔑まれて育ったほうは、「鬼」と恐れられたけれど実はこの上ない義士だった「加賀殿」によって、内面の宝」を見出され、自分を慈しむことを教わったのでした。 この「加賀殿」って、いい意味での「侍」の権化みたいな人です。余計なことを言わず、すべてを背負って死んでいく。日本人の美徳の塊というか。やっぱり感情豊かな「蝶々さん」より、こっちの方が本物の日本人ですよ。 本の情報はこちらから。 宮部みゆき「孤宿の人」新潮文庫
May 28, 2020
「人生が変わったこの一冊」、音楽本から読み物に戻ります。 アンリ・トロワイヤ「女帝エカテリーナ」です(工藤庸子訳)。 どうも、歴女というのか、歴史ものが好きなのですが、これは評伝としてはツヴァイクの「マリー・アントワネット」と並ぶくらい夢中になった本です。 著者は20世紀のフランスを代表する作家で(2007年没)、モスクワに生まれ、子供の頃ロシア革命が勃発し、一家揃ってパリに移住してフランス国籍を獲得。純文学から(「蜘蛛」でゴンクール賞)、戯曲、評伝、歴史小説まで大量の著作をヒットさせました。 この「女帝エカテリーナ」は、「大帝ピョートル」「アレクサンドル1世」と続くロシア三部作の第一弾(1978)。フランスではベストセラーに、日本語訳(1981)も発売一週間で増刷、文庫(1985)もヒットして改訂版も出ています。ツヴァイクの「マリー・アントワネット」を下敷きにした「ベルばら」同様、池田理代子さんが漫画化しています。 エカテリーナ2世はロシア18世紀を代表する女帝。ドイツの小さな公国の姫君だったのが、ロシア皇帝ピョートル3世と結婚し、クーデターを起こして夫を追放して自分が帝位につき、広大なロシアを統治しました。一般には「啓蒙専制君主」に括られますが、とはいえかなり「専制的」であり、戦争でロシアの領土を拡大したことでも知られます。有名なポチョムキンをはじめ、恋人の多さでも有名。「エルミタージュ美術館」の元となったエルミタージュ宮殿の創設者でもあります。日本では、船が難破してロシアに流れ着いた船乗り「大黒屋光太夫」と面会したことでも知られているかもしれません。 その人生は、波乱万丈であると同時に、たくましくパワフルです。小国の姫君という吹けば飛ぶような身分から、血縁のエリザヴェータ女帝に後継の甥ピョートルの嫁候補として白羽の矢を立てられ、母と共にモスクワへいくところから、野心家ゾフィー〜改宗後はエカテリーナ〜の人生は始まります。とにかく上昇志向の塊。愛は二の次、それより何よりロシアに君臨するという野望。そのため必死でロシア語を勉強し、ロシア正教に改宗して女帝に気に入られる。そして皇太子ピョートルとの結婚に漕ぎ着けますが、夫婦の仲はよくありません。というのもピョートルはドイツかぶれで、フリードリヒ大王に憧れ、軍隊ごっこにしか興味がなく、しかも外見的に全く魅力がなく、男性としても役に立たない(最後の部分はルイ16世とマリー・アントワネットのようです)。ピョートルは手術の結果無事「男性」になるものの、別の愛人を作って妻を振り向かない。妻のほうも負けてはおらず?恋人を作っておそらくその男性の子供を産む、などということをしているうちに女帝は亡くなり、ピョートルはピョートル3世として即位しますが、宮廷は夫派と妻派に分かれ、エカテリーナは身の危険を感じる。そして支持者たちと一緒に、クーデターを起こして夫を幽閉するのです。その直後、夫は密かに暗殺されます。それにエカテリーナが関わっていたかどうかは、わかりません。 その後の人生は、ロシアの拡大と多くの恋人との交情〜ほとんどが美男でした。醜かった夫への反動でしょうか〜に捧げられます。エカテリーナは常に前を向き、現実的です。「彼女は明晰さの怪物、白日の天才である」(トロワイヤ)。挑戦するのが好きで、専制的です。「人力の及ばないものに惹かれる」のです。良い例が、フィンランドの大地に刺さっていた、動かすのは不可能と思われていた巨石を、輸送手段を公募してまで運んでこさせたというエピソード。尊敬するピョートル大帝の石像の台座に用いるためだというのですが、その巨石が姿をあらわした時、民衆は畏怖の念に打たれます。エカテリーナはまさに「山を動かす」お方なのだ、と。 物語としては、権力を握るまでの上巻が圧倒的に面白い。エカテリーナは常に、ロシアに君臨するという自分の目的を把握し、そのために頭を使い、芝居をし、心をコントロールするのです。彼女は後に「回想録」にこう書きます。「ただ野心だけが私を支えていた。なぜか知らぬが、わたしは自分がいつの日かロシアの女帝に、それも自らの意志でなるだろうと心に信じていて、それを一瞬も疑うことができなかった」 目的を果たした後の本人の言葉ですから、虚飾もあるでしょうが、嘘ではないのでしょう。 同時に、混沌とした、まだまだ後進国のロシアの光と闇も鮮やかに描かれます。文字も読めず、酒と博打に夢中な人間が多くを占める「宮廷」、気まぐれで無教養な「女帝」エリザヴェータ。そんな環境に絶望してもおかしくないのに、それより「野心」が上回る。共感できるかどうかはともかく、傑物です。 18世紀のロシアには、なんと4人の「女帝」が誕生しますが、まともに?国を治められたのは彼女だけでした。最初の「女帝」はピョートル1世の未亡人ですが、なんともとは貧農の娘。当時のヨーロッパでは考えられないでしょう。そこが、ロシアです。 「ボリス・ゴドゥノフ」に出てくるような「僭主」〜死んだピョートル3世の生まれ変わりだと言いたてるような〜が何人も出てくるのも、「ボリス」というオペラを知った今、いかにもロシアらしく、興味をそそられました。 最高なのは、やはりトロワイヤの文章。現在形を多用し、テンポよく、読者をその時代の、出来事の、人物の目撃者にしてくれます。工藤庸子さんの訳文も秀逸なのだと思います。 本の情報はこちらから。 アンリ・トロワイヤ「女帝エカテリーナ」 工藤庸子訳 中公文庫
May 27, 2020
ブックカバーチャレンジ、今日は、中村紘子「チャイコフスキー・コンクール」です。 数多の音楽本の中でも、面白さでは傑出しているのではないでしょうか。 「チャイコフスキー・コンクール」は著者の処女出版ですが、これで「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞し、大変な話題になりました。田原総一郎が、選評で「面白い」と大絶賛していたのをよく覚えています。本は10万部越えのベストセラーに。音楽好きにも本好きにもアピールしました。でなければ、10万部なんて不可能です。 本書は、有名な音楽コンクールである「チャイコフスキー・コンクール」の審査員を何度か務めた著者が、1986年に同コンクールの審査を務めた時の体験を軸に、また自分のピアニストとしての足跡を振り返りながら、コンクール論、音楽論、日本の西洋音楽受容、アメリカやロシアのピアノ界とその歴史、そして一般的な文明論まで、幅広い話題を絡めた1冊です。第一次予選から本選、そして優勝者の決定まで、コンクールの進行を臨場感たっぷりに描きながら、それと並行して、様々なトピックが語られていくのです。 著者は知識と体験、そして何より鋭くまた暖かなまなざしを通じて、ここ半世紀くらいのピアノ界の変遷を抉り出します。そして、これはおそらく他の音楽本にはまず見出せない魅力なのですが、何より引きつけられるのは、著者の人間観察眼であり、膨大な読書量によって培われただろう的確で鮮やかな表現力です。 「コンクールの1ヶ月間、私も審査用紙によく愛猫タンクの絵を描いた。隣の審査員がのぞきこんで尻尾にリボンをつけ足し、うしろからのびた鉛筆が眼鏡を書き込んだりした」(「はじめに」より) 目に浮かびますね。こういう描写がいいのです。 「チャイコフスキー・コンクール」は、1958年に創設されたコンクールで、第1回ではアメリカ人のヴァン・クライバーンが劇的な優勝を遂げ、一躍ヒーローになりました。彼が録音したチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番は、ミリオンセラーになった(今考えると夢みたいですね)。けれどクライバーンは消費され、消耗し、消えていきます。それはまさにアメリカらしい出来事でした。 本書は、まずその劇的な物語から始まりますが、物語自体のドラマもさることながら、クライバーンのサクセスストーリーと、それを取材したニューヨークタイムスの記者、フランクリンのそれを重ね合わせる構成も秀逸です。そしてクライバーンのドラマを知ることで、読者は「アメリカ」という国の一つの面を知るのです。 けれど本書の圧巻は、著者が経験した「コンテスタント」たちの描写です。 例えば、「ツーリスト」と呼ばれる、コンクールを受けまくっている一群の若者たちがいます。おそらく彼らは、上位入賞するような実力はない。けれど、彼らの少なくとも一部は天衣無縫で、極めてピュアのようです。 「他の大多数のピアニストたちが緊張のあまり青ざめてニコリともしないで登場するのに、この「そら、出てきた」というタイプのピアニストが概して天真爛漫なのはなぜだろう。まるで誕生日パーティでスピーチを頼まれたかのようなきさくな態度でステージに現れ、手をあげて「やあ」とまではやらないものの、ほとんどそれに近い感じをこめてにっこりと会釈をひとつ。その態度には、「この会場でボクのこと嫌いな人なんて誰もいないでしょう?」とでもいった、ある絶対的な信頼感があらわれている。そして椅子の高さを調節しはじめたりするのだが、これがなぜか止まらない。首をすくめたり顔をしかめたりしながら椅子をいじり回し、と突然「!」とひらめいた表情で、椅子の前後を置き変えてみる。もうこの辺りから聴衆はクスクス忍び笑いを始め(中略)、審査員は「やれやれ」とため息をつき、私のお隣のメルジャノフ教授はカバンの中身の整理を始める」 ちょっと長いですが、本当に目に浮かぶ描写ですので、引用しました。 コンクールの「力学」とでもいうべき部分も面白い。この時の1986年のコンクールで優勝したのは、バリー・ダグラスというピアニストですが、今はほとんど名前を聞きません。著者が描く審査過程から見ると、どちらかというと無難な選択だったらしい。著者はダグラスより、第2位になった女流ピアニスト、ナタリア・トルルの方に魅力を感じていますが、ダグラスの優勝もわからないでもない。 「コンクールというものがそもそも無名の新人に演奏のチャンスを与えるためにある以上、多少未完でも将来性を感じさせる才能というものが必要になってくるからである。誠実で音楽的才能はあるがすでに30歳となっている女性、しかもハイネックの長袖の黒いブラウスにぴっちりと身を包んだ、まるで修道女のような雰囲気のトルルと、やや雑ではあるがタフな男っぽい音楽を作る26歳の、しかもなかなかスター性のありそうな男性ダグラスと、どちらが現実に将来性があるだろうか」 ピアニストの世界を知らない読者にも理解できるし、よく届く内容ですよね。どの世界にでもあることでしょうから。 そしてトルルが外見を地味に作りすぎ、損をしていたことも書かれています。男性審査員たちの彼女を見る目が、その点で意地悪だったのです。後日、花柄のドレスを着て見違えるように明るい雰囲気のトルルに再会したある男性審査員は、コンクール時の「偏見」を反省しています。こういう、人間臭いところが、この本の魅力なのです。クラシック音楽の本を書くようなひとは、普通この手のことは書きませんから。 しかし、ダグラスやトルルの名前を聞くことは今日稀ですが、なんとこの時のコンクールには、「美少女」と囁かれた17歳のエレーヌ・グリモー!と、今や一部の通人に大変人気の高いフランス人のピアニスト、ロジェ・ムラロが出ていたんですね。ムラロは4位。(でもあまり話題になった風でもありません)。グリモーは、といえば「現在の彼女のあまりにも幼い実力」故に、第二次予選を通過することもできませんでした。今や人気実力ともに備えたスター・ピアニストです。 著者による当時の日本の、そしてアジアや欧米の音楽事情の分析は、かなり的確に「今」を予言しています。当時始まったばかりだった、中国のクラシック音楽界への進出と覇権の予感。当時はまだ著者の目には「消極的」「閉鎖的」と映った日本のクラシックファンが、日本の経済力をバックにの、もっと積極的になり、外国人演奏家が「出稼ぎ」以上の価値を見出す国になるチャンスを迎えているのではないか、ということ。 この2点は、現実化しています。クラシック音楽市場における中国の存在は年々拡大し、日本の音楽ファンは成熟し、世界の演奏家の相当数は、単なる出稼ぎではなく、日本の質の高いファンに出会えることを喜んでいる。著者は、「NHK交響楽団の次期音楽監督に誰がなるかが、世界の楽壇スズメの話題になる」ことを、日本の音楽界の成熟の一つの例として挙げていますが、世界の楽壇スズメの話題にまでなっているかどうかはわかりませんが、第一線で活躍しているパーヴォ・ヤルヴィがNHK交響楽団にポストを持ち、(名前は言えませんが、私が会った)ある有名指揮者がNHK交響楽団へのでデビューを心待ちにする、ような状況になったのは、かなりそれに近いことだといえるでしょう。何しろ、メシアンの長大なオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」のその国での初演がほぼ即日完売になる国など、日本以外にそうそうないはずです。 本の情報はこちらから。 中村紘子「チャイコフスキー・コンクール」中公文庫 こちらは著者の二冊目の本で、「文藝春秋読者賞」を受賞しました。 中村紘子「ピアニストという蛮族がいる」中公文庫
May 27, 2020
今月、毎日更新を目指している「人生が変わったこの一冊」。 昨日は締め切り日の原稿に集中して、パスしてしまいました。 昨日の「この一冊」、は、音楽本シリーズの続き、山崎太郎「《ニーベルングの指環》教養講座」です。 オペラの講座をやっていて、「作曲家」の講座でおそらく一番需要が多いのは、ワーグナーとモーツァルトです。ワーグナーなど、私のようにおよそワグネリアンでない人間の講座でも、他の作曲家より集まります。これがヴェルディとかプッチーニ になると、作品がいくら有名でも、講座としては(切り口にもよりますが)この2人に比べると集客は落ちます(純粋な入門講座はまた別ですが)。まあ、「椿姫」とか「蝶々夫人」とか、講座なんか聞かなくたってわかるよ、というところなのかもしれません(そんなことない、と思ってはいるのですが。。。) とはいえ、おそらく、一番、「講座」「講義」のような形態に合っているのはワーグナーでしょう。何の知識がなくとも、ワーグナーの「音楽」そのものは十分楽しめますが、やっぱり内容や背景、そして音楽そのものも、知れば知るほど奥が深い。ヨーロッパ文化のいろいろなものが積み重なっていますから。 山崎太郎さんの「《ニーベルングの指環》教養講座」は、ずばりワーグナー畢生の大作「ニーベルングの指環」全4作の解説本です。これが、当然ながら奥が深い。1作ずつ、場面ごとに詳細な解説をしてゆくのですが、発想の元になったギリシャ劇の話から、ワーグナーと同時代から過去に至るまでの文学、哲学、歴史などなど、さまざまな切り口から物語が解きほぐされていきます。音楽的なキーである「ライトモティフ」にも1章が割かれているので、そちらの好奇心も満たせるのです。 解説の中身は、まあ本当に、目から鱗、の連続です(私が無知だ、と言われればそれまでですが)。例えば、「指環」の神々が人間的だということはよく言われるわけですが、その人間臭さの源泉はバルザックにある、という。ワーグナーのオペラが19世紀パリの社会と強く結びついていることはよく言われますが、バルザックと言われるとなるほど納得です。バルザックいうところの「人間喜劇」。 加えて、著者の豊富な観劇体験から得た発見が散りばめられているのも、説得力と既視感をもたらしてくれます。私がすごく腑に落ちたのは、「ジークフリート」第1幕のジークフリートとミーメの関係です。この幕でのジークフリートは極めて粗暴な青年で(「狼少年」という比喩が使われています)、いくらミーメが嫌な奴とはいえ、個人的には全く共感できないのですが、著者はキース・ウォーナーが演出した新国立劇場の舞台から、ミーメがジークフリートの母であるジークリンデをレイプして殺していたのではないか、という可能性を指摘します。それなら、ジークフリートの反発もわかるし、ミーメを殺してしまうのも、もちろん殺されそうになったからではありますが、なおのこと道理があるというものです。 ワーグナーのオペラでは、道具立てにもさまざまな意味があります。「森」や「闇」や「トネリコの樹」が何を象徴しているか。それを読み解き、作品のなかに降りていくことは、同時にヨーロッパ文化を知ることにもなる。何ともスリリングです。ワーグナーにハマって抜け出せない方々の一部は、内容のこんな奥深さにもハマってしまうのでしょう。 そして何より素晴らしいのは、あたかも今目の前でオペラが演じられているように「解説」する著者の筆力です。そもそも「指環」を題材にした講演がベースになっている本なので、語り口調で読みやすい。そこがこの本の大きな魅力になっています。 しかし、膨大な情報!「指環」を見る方、これから見てみたい方、何度も見ているけどまた見たい方、必読です。 山崎太郎「《ニーベルングの指環》教養講座」アルテスパブリッシング
May 26, 2020
音楽本シリーズ、今日は椎名雄一郎「パイプオルガン入門」です。 パイプオルガン。これほど、日本人の日常から遠い楽器も少ないのではないでしょうか。コンサートホールで見かけるくらい?私自身、バッハツアーに出かけるようにならなければ、さほど意識しなかったと思います。ツアーなどで聴くようになっても、オルガンの仕組みまではなかなかわからないものです。 この本は、そんな「パイプオルガン難民」「初心者」から、かなりのオルガン通にまで届く一冊です。オルガンの仕組みから、外見も含めた国ごとの特徴に始まり、楽器のメンテナンスから、オルガニストは普段どう練習しているのか(これが大変!だってふだんは楽器に触れないんですもの)など、まず「オルガン」をめぐる基本的な事柄を網羅したのち、16世紀から20世紀に至る作曲家の紹介とオルガンの名曲の紹介、世界の名器の紹介、そして日本のオルガンの紹介(各コンサートホールのオルガンも、それぞれドイツ系、フランス系、イタリア・スペイン系などに分かれているのです)、オルガニストの系譜まで。これ一冊で、パイプオルガンの全てがわかる、と言っても過言ではないのではないでしょうか。 「バッハへの旅」にもいつも携帯し、皆さんにお勧めしている本です。 ツアーをやっていると、「ストップ」(パイプの音を止めて音色を調節する装置)の説明がとてもありがたい。ストップを操作して音色を決めるのがオルガニストの大事な仕事、だというのもこの本でよくわかりました。オルガンの名器の紹介では、製作者の特徴もあげられていて参考になります。「バッハへの旅」で聴けるオルガンがいくつか取り上げられているのも嬉しいことです。 本の詳細はこちらから。 椎名雄一郎「パイプオルガン入門」春秋社 椎名氏が、最近発見されたバッハの作品を録音しているCDも、ツアー必携の一枚。樋口隆一先生の充実した解説もとても参考になるディスクです。 椎名雄一郎「新発見!バッハのオルガン音楽」 椎名氏の最新盤は、「バッハの源流をたどる」というモットーのもと、オルガン音楽の「三大S」〜スヴェーリンク、シャイト、シャイデマン〜を取り上げた一枚。北ドイツの有名なオルガン製作者、アルプ・シュニットガーのオルガンの、クリアな音色も魅力的です。 椎名雄一郎 「バッハの源流を求めて」
May 24, 2020
音楽本シリーズ、やはり最近面白かったものから。片山杜秀先生の「ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる」です。 博覧強記の片山先生、大著からこのような一般書まで、音楽から政治、歴史まで、実に幅広くこなしていらっしゃいますが、どの本も視点の面白さがさすが。この新書も、「音楽」の背景の「歴史」を、大きく、具体的に、またイメージ豊かに「俯瞰」します。 まず冒頭から度肝を抜かれるのは、「実はクラシック音楽ほど、時代のニーズの影響をダイレクトに受ける芸術は少ない」という主張。へえ?だって大学では、「一番時代の影響を受けるのは具体的な芸術である文学、音楽は一番最後」くらいな感じで習いましたよ? けれど片山先生はいいます。そもそも芸術が残るということは、その作品が発表当時認められ、需要を呼び起こしたから。そしてそれは「受け手」の側の問題であり、「受け手」というものは時代に応じて変わっていくものだ、と。とりわけ音楽は、演奏されて初めて成り立つものだから、「受け手」がいないとい成立しない、と。だからそもそも音楽史というものは、「作り手」より「受け取り手」を知らないと、よくわからないものになってしまう…。 その「受け取り手」は、教会〜王侯〜ブルジョワ、と変わって行った。おお、まさに、ヨーロッパ史そのものです。 このような前提で、著者は、「クラシック音楽」と「時代、環境」との関係を解き明かしていきます。そこには新鮮な視点がいくつもあります。カトリック教会が育てた複雑なポリフォニーが、ルターが始めた宗教改革で、民衆、個人が参加する賛美歌というシンプルな音楽が生まれ、それが「自由主義」「民主主義」の下地となった、とか、音楽史では「バロック」の始まりとされるオペラは、実は「人間」重視のルネッサンスの思想の延長線上に生まれたとか(まあこれはちょっと考えてみればわかるのですが、「音楽史」の本ではそうなっていない。。。。)、発見感、満載です。 後期バロックを代表する3人のドイツ人作曲家、バッハ、テレマン、ヘンデルの作風が、活躍している都市と結びついているという指摘も面白かった。例えば、テレマンは後半生を港町ハンブルクで過ごしますが、その音楽に「エキゾチックで奇抜な要素がある」のは、多くの国の人間が行き交う港町だったからこそ、という指摘。 バッハの音楽についての例え話も秀逸です。彼が後半生に活躍した都市ライプツィヒの仕事がもたらした作品ジャンルを指摘した(これはどこでも言われることですが)後で、バッハはテレマンほど人気がなかった(これも有名です)、それは彼の音楽が「時代遅れ」だったから。バッハは「神の秩序」であるポリフォニーにこだわった。それは当時としては「異端」であった、とし、例えて言えば、「村上春樹が読まれている時代に、森鴎外や幸田露伴のような文章を書いていたようなものだった」。 これ、すごくよくわかります。「ポリフォニーにこだわったバッハは当時としては時代遅れだった」という記述はありとあらゆるバッハ本に出てきますが、春樹と鴎外に例えるとパッとイメージが喚起される。こういう例えも冴えているのです。片山先生の知識の深さがわかります。 本のメインテーマとなっているベートーヴェンですが、彼はまさに、フランス革命後の新しい時代の聴衆である「市民」と共にあった、「市民の時代」の音楽を切り開いた作曲家です。著者はベートーヴェンが「受けた」理由を 「わかりやすい、うるさい、新しい」 に集約します。「市民」に向き合った結果がこれだ、というのです。 「第9」はその集大成です。この作品には、「お高く留まった趣味」を、市民の本性という「華厳の滝」が押し流してしまう経緯が凝縮されている。第3楽章までは品よくおとなしいが、第4楽章でお高くとまっていた先行楽章が否定され、大合唱が怒鳴って全てを押し流してしまうのです。うーむ。なるほど。面白い。 彼にとっての「市民」は、ブルジョワである以上に、「戦乱で血を流す市民軍の兵士であり、革命に蜂起する群衆であった」 フランス革命、やはり恐るべし。 この本のもう一人の主役であるワーグナーについては、当時フランスやイギリスの後塵を拝していたドイツにあって、新しい民族主義を歌い上げ、自作の中で「現実のドイツに先行して、理想のドイツを作り上げてしまった」過程が語られています。そしてワーグナーは「超人」「天才」になりました。 世紀末、そして第一次世界大戦の動乱は、このような形態を壊してしまう。不安定な世の中で、人間らしさが解体される。今の私たちはその果てにいる、というのが結論です。この辺りはざっと触れられているだけなので、またこのような読みやすい形で、掘り下げられることを期待しています。 「革命と戦争のクラシック音楽」は姉妹編とでもいうべき一冊。優雅なはずのモーツァルトも軍楽を作っていた、などなど、一般的な「音楽史」からみたら、目から鱗、のてんこ盛りです。 本の情報はこちらから。 片山杜秀「ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる」文春新書 同じ著者の「革命と戦争のクラシック音楽史」は、姉妹編というべき一冊です。片山杜秀「革命と戦争のクラシック音楽史」 NHK出版新書
May 23, 2020
「人生が変わったこの1冊」、今日からしばらく音楽本を。 最近の音楽本のヒットは、かげはら史帆さんの「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」です。 大変話題になり、あちこちに書評が出ました。宮部みゆきさんの書評がオビにある音楽本、て珍しくないですか???少なくとも私は見たことがありません。 内容は、ベートーヴェンの弟子だった音楽家アントン・シンドラーが、耳が聞こえない師の日常のコミュニケーション手段だった「会話帳」を、大幅に破棄したり改竄した「捏造」事件です。「会話帳」に基づいて1840年に出版されたシンドラーによるベートーヴェンの伝記「ベートーヴェンの生涯」は、英雄的なベートーヴェン像、いわゆる「楽聖」ベートヴェン像を創りました。その影響は甚大で、「会話帳」が大幅に捏造されたことが発表されて数十年経つ今でも、それを拭い去るのはたやすいことではありません。例えば、「運命」交響曲の冒頭動機に関するあまりにも有名なベートーヴェンのセリフ「運命はかく扉を叩く」は、シンドラーの捏造らしいのです。 一方で、「会話帳」には日々の「食」と言った人間臭いエピソードもたくさん登場するので、その点から言っても貴重な資料。ですから無視することもできない。シンドラーは、少なくとも学問的な立場から言えば、かなり厄介なことをしでかしてくれました。 小説も書くというかげはら氏は、想像力も駆使して「なぜシンドラーはそんなことをしたのか」に迫ります。シンドラーの人生、ベートーヴェンとの出会い、奉仕と決裂、他の弟子たちとの確執…。ベートーヴェンの死後、シンドラーは他の弟子たちによる伝記計画を知り、怒りまた呆然としますが、「会話帳」の存在を思い出して、その束を盗み出し、それに基づいて一大伝記を書くのです。そしてその伝記は、シンドラーがベートーヴェンの一番弟子だったという嘘をも植えつけました。 シンドラーによる「捏造」のポイントは「美化」です(よくあることですが)。主要な「美化」は、自分の人間像(例えば「無給の秘書」だったことを強調するために、実際は受け取っていた報酬を受け取らなかったとしたり)、自分と「師」との関係(例えば、シンドラーは実際は気分の浮き沈みが激しかったベートーヴェンに振り回されていましたが、あたかもベートーヴェンをなだめるような「大人」だったというような改ざん)、そして「師」の人間像です。女性関係においても、シンドラーはベートーヴェンを美化しました。例えばある友人が会話帳に書き込んだ、「妻をお貸しします」という申し出。おそらくベートーヴェンはそれに応じたのですが、その手の書き込みを消してしまう。そうやって、私生活でも相当に品行方正で理想主義である「英雄」ベートーヴェンが作りあげられて行きました。 この本は、「ベートーヴェンの会話帳」をテーマにしたかげはら氏の修士論文を、「シンドラーを主人公とした一般書に移し替えた」(「あとがき」より)書物ですが、それは正直、「離れ業」です。ミステリー小説のようでもあり、心理小説のようでもあり、歴史小説のようでもありながら、一次資料に立脚している信頼性も高いのです。それを見事に決めた著者は、疑いない「才能」の持ち主です。 シンドラーが「会話帳」を盗み出す瞬間の描写は迫真です。 「そう、これは守るため。 あくまでも、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを守るためだ。 ああ、それなのに。 ノートの表紙に触れるこの手は、持ち上げるこの手は、旅行鞄に一冊一冊詰めていくこの手は、なぜこんなにも汗をかいて震えているのだろう。 (中略) もう、これまでの、清く正しい下僕だったおまえは2度と戻ってこない。 ウィーンを去れ。もうここにはおまえの居場所はない。 そして、観念して、悪の道を往け。 アントン・フェリックス・シンドラー。」 そのかげはらさんの新著が、「ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命」。なんと世界初!ー日本初ではありませんーのリースの伝記だという本書は、「ベートーヴェン捏造」とは対照的に、音楽家の伝記の王道です。フランス革命の激動に揉まれ、コンサートピアニストとしてロシアに至るまでヨーロッパ中を駆け回り、当時の音楽の都でもあったロンドンで活躍し、音楽祭のプロデューサーも務める。華々しい成功を収めながら、歴史の間に忘れられて行った一人の音楽家、おそらく19世紀に典型的だった人気音楽家の人生を、資料に基づきながら丁寧に、生き生きと辿っています。アカデミックな内容に読み物としての面白さが加わった、伝記の一つの理想のパターン。著者はご自分が「アカデミックな世界の人間ではない」と謙遜されていますが、とんでもない、このご著書1冊で大学に招かれても不思議ではない内容だと思います。 本の情報はこちらから。 かげはら史帆「ベートヴェン捏造」柏書房 かげはら史帆「フェルディナンド・リース物語」 春秋社
May 22, 2020
「人生が変わったこの1冊」、第21冊は原田マハ「サロメ」です。 近年大人気の原田マハさん。「ジヴェルニーの食卓」「たゆたえども沈まず」「風神雷神」「暗幕のゲルニカ」「楽園のカンヴァス」etc..。作品は美術に関するものばかりではなく幅広いですが、やはりなんと言っても、「アート小説」とでも言うべき新しい分野を切り開いた作家であるところが一番の個性なのではないでしょうか。もちろんそのベースには、名画に心動かされる著者の感性と、キュレーターとして活躍していた知性があるわけですが。 加えて、謎解きを加えたミステリー風のテイストのある作品が多いところも特徴です。「あの名作にこんな知られざるエピソードがあった」仕立てにになっているので、ページをめくるのが待ちきれない。山本周五郎賞を受賞した「楽園のカンヴァス」は、原田マハのそのような全てが生かされた、魅力的な作品でした。 私にとって原田マハ作品の最大の魅力は、「傑作の誕生」を描く部分にあります。最近読んだ「風神雷神」は、あの天正少年使節に俵屋宗達が同行していた!というフイクションのもと、最終的にはローマで宗達とカラヴァッジョが出会い、宗達の名作「風神雷神」へと至る奇想天外なストーリーが、華麗な文章で描かれていました。いくらなんでも飛躍しすぎ、と思わないでもないですが、笑、それが許されるのがフィクションというものです。 ごく最近読んだ「サロメ」も、実に華麗で鮮やかな作品でした。作品の内容といい、魑魅魍魎と言いたくなる登場人物たちといい、世紀末の退廃と爛熟がぷんぷん匂ってくる一編でした。 「サロメ」といえば、音楽好きにはリヒャルト・シュトラウスのオペラ、絵画好きにはモローの作品、文学好きにはワイルドの戯曲、と、いろんな芸術家の創作欲をそそった存在です。特にワイルドの戯曲は、ビアズリーの挿絵と共生している、総合芸術と言っていい作品。ワイルドの文章、ピアズリーの挿絵、どちらが欠けても存在し得ません。このような作品は、文学史上でも珍しいでしょう。 著者は、女優をやっていたビアズリーの「姉」を語り手に、ビアズリーの才能の開花、ワイルドとの出会い、弟とワイルドの関係、ワイルドの「恋人」の美青年貴族など、様々な人物とエピソードを絡めつつ、「サロメ」という作品の完成と、ビアズリー、そしてワイルドの「死」までを追っていきます。大前提として、彼らの没落と悲劇を「姉」が操っていたと言うフィクションがあり、これがミステリアスで読ませます。そして登場人物たちの不気味さと言ったら!同時代の画家でも、ルノワールやモネが登場する、幸福感に溢れた原田作品とは180度違う雰囲気。ヒロインが「女優」なので、彼女の目を通して描かれる、パリやロンドンの劇場生活にも興味をそそられます。見てきたような気分になれるのは著者の才能です。 本作、「名作に実はこんな「知られざるエピソード」があった」と言う原田作品のパターンで描かれているのですが、クライマックスはすごい。ビアズリーの「サロメ」の挿画の中で一番有名な「最高潮」そのものです。流石にネタバレはできませんので、ご興味のある方はぜひご一読を。 本の詳細はこちらから。 原田マハ「サロメ」文春文庫 原田マハ「サロメ」文春文庫
May 21, 2020
「人生が変わったこの1冊」、20冊目は、遠藤周作の「沈黙」と「侍」をあげたいと思います。 キリシタン禁教下の日本に潜入し、信仰に向き合わざるを得なくなった宣教師の苦しみを描いた「沈黙」(聖書のユダを思わせる「キチジロー」もキーパーソンです)、君主の都合でメキシコ、そしてスペイン、ローマへの旅を強いられ、必要のためにやむなく旅先で洗礼を受けた武士の悲痛な運命を描いた「侍」。特に「沈黙」は名作の誉れ高い作品でしょう。 私にとって、喉にひっかかった骨のように、何かあると「思い出す」本です(「グロテスク」もちょっとそうでしょうか)。後味は辛いですが。今回、特に「侍」は辛かったですね。読み終えて、トイレに行けなくなった。笑。 読んでいるのが辛くなるのは、内容に加えて、著者の描写力が凄いからです。当時の日本の農民の貧しさ。痩せた土地を必死に耕し、年貢に苦しめられる、まさに極貧の生活。フランス革命前の農民もこうだったのではないか(それよりもっとひどいかも)。キリシタンへの迫害、拷問の凄まじさ。同じ貧苦を描いていても、饒舌なゾラなどよりはるかに淡々とした筆なのですが、やはり強烈な「匂い」が漂ってきます。 けれど、もちろん、いちばん辛いのは主題でしょう。なぜ神はこれほどの苦しみを目の当たりにしながら「沈黙」しているのか。それは多分、キリスト教に限らず、「信仰」というものが生まれて以来、無数の人々が問いかけたことではないでしょうか。 加えて、キリスト禁教下の日本を舞台にしたことで、日本人のカトリックだった著者がずっと抱えていただろう、「日本」と「ヨーロッパ」の人間のあり方の違い、思想の違いもまざまざと描かれることになった。 「沈黙」でも「侍」でも、宣教師が、あるいは日本側の人間が何度も繰り返す言葉に、「日本は沼のようだ」という言葉があります。信仰が根付かない。腐ってしまう国だというのです。それは多分、キリスト教が解禁になった現在でもクリスチャンの割合がとても低い「日本」でカトリックであり続けた著者が、どこかで感じていたことではないでしょうか。 「日本」と「ヨーロッパ」の対立が、人物像を通してより鮮やかに描かれるのは 「侍」です。藩主から遣わされる使節の「通辞」となった宣教師ベラスコは、極めて我の強い人物です。使命感といえばそうかもしれないけれど、野心に満ち、皆を自分の思い通りに動かそうとする。この手の人物はとても西洋的なように感じます。一方、(支倉常長がモデルとされる)「侍」は、淡々と全てを受け入れる。洗礼を受けることは最後まで躊躇うけれど、結局受け入れる。そしてそのために、帰国後に切腹を命じられる。それでもその運命を受け入れる。このような生き方は、かなり日本人的なのではないでしょうか。切腹に向かう彼と一緒にいたのは、イエス・キリストだった、という幕切れは感動的です。 一方、日本でキリスト教会のトップに君臨する野心を抱いたベラスコは、そのために訪れたスペインやローマで、禁教令のためにもう日本とは関わらない、と宣言したカトリック教会を前に絶望。最終的に日本にもどって火刑になります。そしてその時、彼もどこかで自分の信仰と折り合いをつけ、運命を受け入れるのです。そこに、東西や国境はありません。もっといえば、キリスト教かどうかも関係ない、と思う(こう言ってしまうと、クリスチャンの方には怒られるかもしれませんが)。私が感じるのは、「信仰」と人生との関係、「信じる」人間の生き方、その様々な可能性、というようなことだからです。本当の「信仰」というのは、他人が(例えばその宗教界のトップが)決めることではなく、自分が決めることではないでしょうか。だから踏み絵を踏むのも「あり」なのだと。 私が、「イエス・キリストはいつも一緒にいてくれる」という主題に突き当たって思い出したのは、真言宗の「同行二人」(弘法大師はいつも共にある)でした。(これまた怒られそうですが) 「侍」のモデルになっている支倉常長が同行した「慶長渡欧使節」は、若桑みどりさんの「クアトロ・ラガッツィ」のテーマである天正少年使節の30年後です。出発時は信長の威光を背負うことができた天正少年使節と違い、慶長渡欧使節はすでに徳川の弾圧が始まっていた頃。最初から先は見えなかった。今回、両方を読んだので、その30年の差も感じ取ることができました。「天正少年使節」の立役者であるイタリア人宣教師ヴァリニャーノは、「沈黙」「侍」にも何度も名前が登場します。ヴァリニャーノの人物像は、イタリア・ルネッサンスに詳しい若桑さんだから描けたのだなと思いました。 ご存知の方も多いでしょうが、「沈黙」は映画やオペラにもなっていて、マーティン・スコセッシなんていうハリウッドの監督が映画化しているのも興味深い。それだけ、人の心を突き動かす作品なのでしょう。 松村禎三氏が手掛けたオペラ「沈黙」も、日本オペラの名作の誉れ高い作品です。私も何度か観ましたが、この作品に「オペラ」と言う形式がふさわしいのかどうか、と言う問いは消えませんでした。「沈黙」は、やはり「小説」と言う形式で伝わる部分が大きいように思います。 本の詳細です。 遠藤周作「沈黙」新潮文庫 遠藤周作「侍」新潮文庫
May 20, 2020
「人生が変わったこの1冊」、今日はご存知、塩野七生さんです。 イタリアに住み、イタリア・ルネッサンスを題材にした伝記からスタート。その後は「ヴェネツィア共和国」をテーマに一つの「国」の歴史を、そしてヨーロッパ史上重要な戦い〜レパントの海戦、コンスタンティノープルの陥落〜を経て、そして十字軍、ローマ帝国、古代ギリシャと、ヨーロッパ史を網羅する大作を次々と。その合間にはエッセイやサスペンスも。と言うわけで、前人未到の境地を開いています。 個人的には初期の、イタリア・ルネッサンスを題材にした伝記的な作品が好きです。「ローマ人」あたりになると、どうしても情報量が多くて説明調になってしまい、読みこなすのがなかなか大変。例えていえば、「ジャンヌ・ダルク」を書くのと、ジャンヌが活躍した「百年戦争」全体を書くのでは、前者の方が読み手には面白いと思うんですね。致し方のないことではありますが。 塩野さんの書き振りは、今回あげてきた、同じイタリアをテーマに書いている須賀さんや若桑先生と比べて、カラッとしている気がします。内面に迫ったり共感するというより、扱う人物の思想や言動を積み重ねて、華麗で切れ味のいい文章とともに客観的に描写する。その手法がとてもうまくいった伝記が、「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」だと思います。スペイン出身のボルジアの一族で、教皇アレッサンドロ6世を父にもち、教皇の力を後ろ盾に、武力によるイタリア統一の野望を燃やし、31歳の若さで逝った伝説的人物。とても記録が少ない、特に何を考えているかわからない人物、行動の人である、と著者がいうチェーザレのタイプに、塩野流の書き方がピタリとマッチした。著者の好みのタイプでもあるのでしょう。特に、父の法王とともにマラリアにかかり、一気に没落していく第3章「流星」での筆は冴えに冴えています。 悪名高い「ボルジアの毒薬」がフィクションではないかという説も紹介されていて、興味深く読みました。 これは、マラリアで亡くなったアレッサンドロ6世の遺骸の描写。生前の「悪」が視覚化されたように鮮やかです。 「用意された棺には、ふくれ上がった法王の死体がどうにも入りきらず、2人の力の強い人夫が、最後には足を使って無理やりに押しこまねばならなかった。地下の墓所の石壁にゆれるたいまつの火が、押しこもうとするたびにはね上がる死体の醜い全貌を、怖ろしげに照らし出していた」 それに対して、戦死したチェーザレを描写する最後の数行は私的で、美しい。 「白い朝の光が、その周囲に流れていた。真紅のマントの外にのぞく、あお向けにささえられたチェーザレの青白い顔と、だらりと肩からたれ下がった両腕の上を、冷たい春の朝の風が吹きすぎていった」 この著作と深い関係にあるのが、チェーザレとも生前出会ったことがあるマキアヴェッリをテーマにした、「我が友マキアヴェッリ」。彼を通して、フィレンツェ・ルネッサンスを描く試みでもあります。 また同じイタリア・ルネッサンスが背景にある、「神の代理人」も大変面白い読み物でした。ルネッサンス時代のローマ教皇4人の伝記ですが、「神の代理人」たる教皇がいかに生臭く人間臭いか。ある教皇は戦いに命をかけ、ある教皇は祝祭に情熱を燃やす。そしてチェーザレの父であるアレッサンドロ6世は、フィレンツェを支配した原理主義的な宗教人、サヴォナローラとの対決を介して、その現世的、世俗的な人間性が描かれます。このようなカトリック教会の腐敗ゆえに、ドイツで宗教改革が起こったのでした。 「チェーザレ・ボルジア」の詳細はこちらです。 塩野七生「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」 新潮文庫
May 19, 2020
「トリエステの坂道」は、1990年に「ミラノ、霧の風景」でデビュー、講談社エッセイ賞と女流文学賞をダブル受賞して話題をさらい、98年に急逝するまで10数冊のエッセイを発表して読書好きを魅了し続けた伝説のエッセイスト、須賀敦子さんが、イタリアの「家族」とその周辺を描いた1冊です。 須賀さんは他の本も実に魅力的なのですが、この本に収められた「セレネッラの咲く頃」というエッセイに、彼女がそのころ訳していた石川淳「紫苑物語」のことが出てくるのにつられました。「紫苑物語」は、ご存知の方も多いように、西村朗さんの作曲でオペラ化され、昨年2月に新国立劇場で初演されています。 とはいえ、今回須賀さんの作品を数冊読み返した中で一番やられたのは、本書に収録されていた「ふるえる手」というエッセイでした。イタリアを代表する作家、ナタリア・ギンズブルグとの交流を描いた作品ですが、秀逸、というか鮮やかなのは、ローマのサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会の祭壇にあるカラヴァッジョの「マッテオの召出し」との出会いと(著者は絵画には相当造詣が深い)、ギンスブルグとの出会いと別れを重ねているところです。 ローマでこのカラヴァッジョ作品に出会い、「深いところでたましいを揺りうごかすような作品」に出会った「稀な感動」に浸った数ヶ月後、著者は憧れの作家の一人であるギンズブルグに、人を介して出会います。2人の間には敬意に満ちた親交が生まれますが(「ありがたい、なつかしい先達」と著者は回想します)、しばらく後、ギンズブルグは病で逝きます。著者は最後に彼女に会ったときのことを思い返し、彼女が「すっかり元気」と言った言葉を信じてしまった自分をうとましく思う。「重い現実を支えきれないでいた」著者は、その足でカラヴァッジョを見に行きます。そしてその作品の中に、カラヴァッジョ自身を発見するのです。 とくに作中のその男の、「醜く変形した両手」、「変形はしていても、醜くても」、「画家に光をもたらす」「絵を描く手」に。そして著者はその手の向こうに、最後に会った時のギンズブルグの、震えながらコーヒーを淹れてくれた「疲れたよわよわしい手」を見るのでした。 「鍋つかみのかわりにした黒いセーターの袖の中で、老いた彼女の手はどうしようもなくふるえていて、こぼれたコーヒーが、敷き皿にゆっくりとあふれていった」 やられました。込み上げてきてしまったんですね。 恐るべし、須賀敦子。 須賀さんの最大の魅力は、人物に対するあたたかな目線にあると、今回読み返してみて感じました。どんな身分の(失礼)人にも、ギンズブルグのような大家にも、アフリカからイタリアに連れてこられた、放浪者のような青年にも、丁寧で暖かな視線を注ぐ。人間としての品格のようなものを感じます。クリスチャンだったこともあるのでしょうか。 ご存知の方も多いかと思いますが、須賀さんはもともと日本の富裕層の出身です。それがフランス、そしてイタリアへ渡り、労働者階級出身のインテリと結婚し、書店経営に関わりますが、6年で夫を喪うという激変を経験。帰国後、大学で教えながら翻訳、エッセイに取り組みました。結婚した相手の社会階層の低さは、お嬢様だっただろう須賀さんとはかけ離れていたはずです。そこに溶け込み、イタリアの現実を肌で知り、それを、フィクションを散りばめたように幻想的で、含蓄にとんだ、そして勁い筆遣いで淡々と、でも根底には熱を込めて描いてゆく。そこにはいつも「人間」がいます。若桑みどりさんが「クアトロ・ラガッツィ」で16世紀の人々に心を重ねたように、須賀さんは20世紀後半の激動のイタリアに生きる様々な人々の日常と人生を心の目で追うのです。 読者は須賀さんのエッセイを通して、イタリアの「現実」を、人間の息遣いと共に受け取ります。下層階級の貧しさ。(ミラノにも、未婚の女性が妊娠して捨てられる「カヴァレーリア・ルスティカーナ」のような世界があります)。厳然と残る身分制(ミラノの大聖堂を挟んで、街が「階級」に分かれているという指摘も本当に面白い)。今に残る貴族たちの生活ぶり。けれど階級社会と言っても様々な人々がいて、階級間をつなぐ役目を果たすのも、「人」なのです。 「差別」も様々です。階級間の差別、思想的な差別。そして、いわゆる「南チロル」と呼ばれる、第一次大戦までオーストリアに支配されていた地域のドイツ、オーストリア系の人たちが、まだ「イタリア人」を下に見ているというような(知らなかった。。。)人種的な差別。最近、ベルリンでも西に住む人はずっと西に住み続けて東というとまだ馬鹿にする、というような話を聞いたばかりだったので、差別というのは、人間どこへいっても付き纏うものだと改めて思いました。 須賀敦子は、そんな混沌とした人の世で、いろんな人々を繋いだ存在だったのでしょう。そして彼女が、著作という形で、その世界と読者を繋いでくれたのは、僥倖と言うしかないような気がします。 須賀敦子「トリエステの坂道」 新潮文庫
May 18, 2020
「人生が変わったこの1冊」、17冊目は、敬愛する石井美樹子先生の「中世の食卓から」です。 石井先生はイギリス文学、演劇のご専門で、ケンブリッジ大学で博士号を取られてから神奈川大学で教鞭をとられました。もう退官されましたが、文学、演劇、歴史などをテーマに一般書から専門書までおよそ50冊!くらいの本を書かれています。それも大作ばかり!特にヨーロッパの王朝もの、女王の伝記などは圧倒的です。そして読みやすい!一次資料に徹底的に当たられるのは若桑みどり氏と同様ですが、文章は流麗で含蓄に富み、小説のようです。 私は先生の処女作「王妃エレアノール」で引き込まれ、ファンになり、最近になって同じ朝日カルチャー新宿で講座を持っていることを知って担当者にご紹介いただき、ご一緒に何度か講座を持つことができました。お話もご本同様面白く、引き込まれます。今でも執筆、講演に飛び回っていらっしゃいます。ああ言う風に歳を重ねたい。憧れの先生です。 「中世の食卓から」は、そんな博識の石井先生の手遊び?のような1冊ですが、これがまた、奥が深い。中世に好まれた様々な食べ物を挙げている、といえばそうなのですが、単にあれが好まれた、という話ではなくて、なぜそうなのか、その背景を掘り下げる、読み解く1冊です。芸術同様、料理には「社会」が反映されていた。何を食べるか、どう食べるか。例えば肉を茹でてから焼く(それでは味が逃げてしまうのに!)調理法が長く行われていたのは、ただ焼くのでは野蛮だから。美味しさより「洗練」をとっていたと言うわけ。だからイギリスの肉料理は伝統的にまずいのです。 また、ナイフとフォークが現れても指で食べる習慣がなかなか廃れなかったのは、甘美なものは直接触れる方が味わえる、指で食べる方が美味しいから、などと言う指摘もなるほどでした。 各国で愛された「道化者」は、その国々の一番好きな料理に例えられた(イタリアでは「マカロニ」、イギリスでは「プディング」)なんて話も面白い。それでイタリアでは「マカロニ野郎」というのか! ビールとワインと「エール」の格付けの話も、納得でした。 圧巻は、食べ物とキリスト教の関係です。イギリスのある降誕劇で、3人の羊飼がクリスマスの御馳走を楽しむことを通じて、精神を高められ、宣教師へと生まれ変わる内容が演じられることから、再生をうむ物質的豊かさとしてのクリスマスの「饗宴」を読み解く。また「手洗い」に「洗礼」の意味があるとか、「乳」に由来する「チーズ」がイエス・キリストの象徴であるとか、、、本当に、キリスト教は生活の隅々に浸透していたのでした。 本の詳細はこちら。中古しかないようですが、電子書籍になっています。 石井美樹子「中世の食卓から」キンドル版他 先生の最近の大作、「マリー・アントワネット ファッションで世界を変えた女」も読み応えあります。その時々のニーズに合わせたファッションを考え出すマリーは、相当に知的な女性だったのです。(石井先生もとてもお洒落です)。そして圧巻が、先生が発見されたと言う、マリーとルイ16世の「結婚の謎」に迫るヨーゼフ2世の手紙。マリーとルイ16世の「結婚」がなかなか遂げられなかったのは有名な話ですが、2人がちゃんと一緒に「寝る」ようになってからも、しばらく子供はできなかった。フランス宮廷を訪問したヨーゼフ2世は、その理由をルイから聞きます。驚倒!そりゃ、できるわけない!と言うやり方だったのです。詳しくは本書をご覧あれ。しかし、教育係は何をやっていたのでしょうか? 本の詳細はこちらから。在庫切れと言うことですが、、、 石井美樹子 「マリー・アントワネット ファッションで世界を変えた女」河出書房新社
May 18, 2020
「人生が変わったこの1冊」、16冊目は木村泰司「名画の言い分」です。 今、「美術ブーム」だと言われますが、その一端は、この分野に実力と人気のある書き手が登場したことにあると言う分析もあります。原田マハさんとか、中野京子さんとかですね。(ちなみに原田マハで一作と言われたら、「楽園のカンヴァス」でしょうか) でも、最近美術と音楽を連携させた文章を書き始めて、とても参考になったのは、美術史家の木村泰司さんのデビュー作「名画の言い分」でした。要は、絵画(に止まらず、美術は)「読むもの」だった。印象派のようにただ見て楽しむようになったのはごく最近のこと。絵画は、アトリビュートなどから、本当の内容を「読み解く」ものだった。大袈裟に言えば、知性と教養が試されたわけです。そのような視点から、美術史をざっくり俯瞰する内容です。もちろんこのような研究が数多くあることは承知していましたが、入門書という体裁で、わかりやすく通史的に一般書として出されたものはあまりないのではないでしょうか。普通の「美術入門」とは異なる切り口。岡田暁生さんの「オペラの運命」と共通する部分もあるかもしれません。 例えば、同じ「ブランコ」を描いても、19世紀のルノワールは単純にブランコの楽しさを描いているのに対し、18世紀のフラゴナールは男女の性交を暗示しているのでです。 同時に、絵画のテーマの変遷の背後には「歴史」がある。なぜオランダで静物画や風景画が発展したかと言えば、カルヴァン派になったせいで宗教美術が後退したからだし、また市民社会がいち早く発展したから集団肖像画なるものが好まれた。それに対して絶対王政の全盛期だった当時のフランスでは、宮廷人たちの教養を前提にした、神話になぞらえた肖像画が描かれた。 風景画でいえば、ルネッサンスの本場イタリアで最初に好まれたのは理想郷を描いた「理想的風景画」であり、自分たちが大地を開拓したオランダ人は身近な風景画を好んだ。一方、ブリューゲルの風景画は単なる風景画ではなく、「月暦画」の伝統を汲むもので、その月の労働や行事を描くことで、あるべき人間の姿を示す信仰的なもの。さらに19世紀には、ブルジョワの台頭により田舎の風景画が好まれたこと。などなど。 今読み返すと、当然のことばかり、と思ってしまったりするのですが、初めて読んだときは、文字通り「目から鱗」の連続でした。 今月から、「音楽の友」誌で、「オペラで知るヨーロッパ史」のタイトルで連載を始めたのですが、オペラも、「読むもの」だったのだ、とつくづく痛感しています。「ナブッコ」がイタリア統一運動を暗示しているなどとよく言うわけですが、そんなこと、当たり前!だったのであります。 本の詳細はこちらから。集英社から出ていましたが、ちくまで文庫になりました。 木村泰司「名画の言い分」ちくま文庫
May 16, 2020
「人生が変わったこの1冊」、今日も、オペラ原作群シリーズ継続です。 エミール・ゾラ「ナナ」。ヴェルディのオペラ「椿姫」の世界が、ちょっと垣間見られる作品です。 ゾラはフランス自然主義を牽引したとされる作家。ナポレオン3世の時代を舞台にした「ナナ」は、貧しい環境から這い上がり、下層階級から大貴族まであらゆる男性を虜にした高級娼婦ナナの奇想天外な人生をたどる作品です。 オペラ「椿姫」には、「蝶々夫人」同様、ちゃんとした?原作があります。アレクサンドル・デュマ=フィスの「椿姫」。著者は実在した有名高級娼婦と付き合った経験を美化して小説にし、ベストセラーになりました。 「椿姫」の時代はルイ・フィリップ国王をいただく「7月王政」の時代、1840年代なので、普仏戦争の勃発(1870年)で終わる「ナナ」とは2、30年の隔たりがあります。とはいえ、二つの物語のヒロインは共に下層階級から這い上がった娼婦なので、大筋の生活ぶりなどはそれほど大きく変わらないのではないか、と思います。そして「ナナ」が参考になるのは、その手の女性の日常生活や、その手の女性の重要な活動の場でもあった劇場の様子が、読者が一緒に体験しているようにリアルに描かれているところです。デュマの「椿姫」にもそういう描写はもちろんありますが、なんと言っても「椿姫」は、悲恋に酔う語り手の思い入れたっぷりの、そして社会への反発という「テーマ性」が強い物語なので、登場人物の一人一人の表情がそう綿密に描けているわけでもないし、生活の音や匂いが強烈に伝わってくるわけでもありません。 でも「ナナ」は違います。リアルで、引き込まれる。行間からその時々の風景や匂いが鮮やかに立ち上ります。ゾラはこの手の物語を書くにあたって取材を重ねたそうですが、それも頷けるし、またその書きぶりには才能を感じざるを得ません。こう言ってはデュマに失礼ですが、ゾラの作家としての才能はデュマ=フィスの比ではないでしょう。 「椿姫」を何十回とみている身には、最初の方に登場する、ナナの邸宅での夜会の場面はすごく参考になります。ヴァリエテ座でオペレッタにデビューし、声は悪いし歌の技術もないのに、容姿と官能性で大成功を収めたナナは、成功を祝う大宴会を開きます。開始は真夜中すぎ、結婚式の披露宴3回分くらいの御馳走が明け方まで続く。途中で、別の夜会からきたメンバーも合流したり。アフターにはダンスをしたり。6時くらいまでなんだかんだやっているわけですね。そしてメンバーの中には結核患者もいるのです(当時はまだ、結核が空気感染することは知られていませんでした)。 もちろんデュマの「椿姫」にもこのような場面は出てくるのですが、「ナナ」のように印象に残らない。観察眼が違うのです。ゾラは食べ物のメニューから会話から、参加メンバーの一人ひとりの様子から時間の経過と共に会がグダグダになっていく様子まで、生き生きと描写します。オペラ「椿姫」の第1幕は、このような夜会なのです(オペラでは十数分ですが)。こんな生活をしていたら体が持たないに決まっている、と痛感させられます。 もう一つ興味をそそられるのは、ナナが出演している劇場の様子です。狭く埃っぽい階段や舞台裏、洗面器や化粧道具や衣装がちらばる、不潔で雑多な楽屋、いろんな人がひしめき、観察しあう客席の賑わい。そこに立ち込める様々な匂い。それをゾラは活写します。昨日取り上げた「お菊さん」が「音」の小説なら、「ナナ」は「匂い」の小説です。 主人公の「ナナ」は、飛び抜けた美貌と官能性をのぞくと、多分どこにでもいる普通の、そしてちょっとだらしない女性です。彼女の生い立ちは「居酒屋」という小説で語られますが、貧しい両親から暴力を受けるようになり、家出して娼婦になった。小説「椿姫」のモデル、マリー=デュプレシだって、生い立ちは似たようなものです。けれど多分マリーの方が賢く、知的だった。ナナは〜彼女にも実在のモデルがいます。コーラ・パールという高級娼婦です〜自然のままで、何も計算していない。マリーのように教養なんてありません。だからその時その時の気分で動く。純愛もどきのこともやったり、なぜかDV男とくっついて街娼をやる羽目になったりするかと思えば、大貴族を手玉にとって次々と破滅させる。自由奔放というか奇想天外。一人で10人分くらいの人生を生きている感じです。同じ娼婦でも、マノン・レスコーやマリー・デュプレシは、これほど破れかぶれ(本人はそう思っていないでしょうが)でも、下品でもなかった。ナナはどこかずれていて、多くの人間が眉をひそめる下品さを漂わせているのです。 例えば、同じ部屋にチグハグな家具が同居しているとか、お金が入ってくるのになぜかいつもお金に困っているとか、、、。けれど、なぜか憎めない。そして不思議なカリスマ性を持っている。 そういう女性を、ゾラは実に丹念に生き生きと描いています。小説としては、「マノン」や「椿姫」より圧倒的に面白い。そして怪物のようなナナを産んだのは、時代だ、ということもしっかり伝わってきます。あの印象派もこの時代の産物です。 「ナナ」は娼婦の代名詞になり、マネも有名な絵画にしています。オペラでもおなじみの「ルル」や「ミミ」もそうですが、同じ発音の2語からなる名前の女性は、「その手の女性」だという暗黙の了解があったようです。「ルル」はともかく、「ラ・ボエーム」のミミが娼婦だと言うと怒られそうですが、アリア「私の名はミミ」で、「本名はルチアですが、皆は私をミミと呼びます」と歌っているのは、なんとも意味深です。 詳細はこちらから。これも中古か電子書籍になってしまうようですが。 ゾラ「ナナ」新潮文庫
May 16, 2020
オペラの裏原作シリーズ ピエール・ロティ「お菊さん」 今月いっぱい、毎日更新で続ける、と決意した「人生が変わったこの1冊」ですが、昨日はzoom飲みで沈没いたしました。笑。 昨日アップしようと思ったのは、オペラの「裏」原作シリーズ、ロティの「お菊さん」です。「蝶々夫人」をはじめ一連のジャポニスム舞台作品に大きな影響を与えた、フランスの作家の「長崎現地妻体験記」ですね。1893年刊行。ジャポニスムの大ブームに乗って、大ベストセラーになりました。 ストーリーは「蝶々夫人」とは全然違います。フランス海軍の軍人である「わたし」は、砲艦の修理のために滞在した長崎で、日本を訪れる前から友人たちからきき知っていた「日本式結婚」をする。仲人は、友人たちから教えてもらった斡旋屋の「カングルウ(勘五郎)」さん。けれどこの「結婚」は「わたし」にとって期待外れで、情熱の盛り上がりもなく、ガッカリして日本を去る、という筋です。お菊さんは、「わたし」にとっては、言葉も感情も通じない、人形のような存在でした。ロティは世界中旅していて、いろんな国で女性と付き合い、情熱的な体験もしたようなので。。。。 身も蓋もないんですが、笑、「わたし」は非常に勝手な男性でもあります。彼は「カングルウ」さんが推した「ムスメ」は気に入らず、お見合いを見物にきた友人の一人だった「お菊さん」に目を付ける。お菊さんの方ではそんなことは考えていなかったでしょうから、いい迷惑だったでしょうが、彼女の親は彼女を「わたし」に差し出すことに同意します。要は、現地妻制度というのは、貧しさから妾奉公に出るということなのです。そしてその手の女性は「ゲエシャ」とは違う。「ゲエシャ」をもらい受けるのは「法外な要求」だったようなのでした。 というわけで、ストーリーは「蝶々夫人」とは違うのですが、「お菊さん」は「蝶々夫人」を知る上で欠かせない作品です。なんと言っても、長崎で現地妻制度を実際に体験した人間の(フィクションの体裁は取っていますが)私小説的な作品だからです。「蝶々夫人」の実際の原作は、ロングやベラスコの同名の小説や戯曲ですが、ロングもベラスコも現地妻体験などしていません。ロングの場合、宣教師の夫にしたがって日本に暮らした姉から、いろいろ情報をえているようですが。 で、この作品と「蝶々夫人」との明らかな繋がりを感じるのは、細々とした描写なんですね。 例えばオペラ「蝶々夫人」には、女中のスズキがいろんな神様に祈るシーンがありますが、それはロングやベラスコにはなく、お菊さんが間借りしている家の大家さんの祈り、という形で「お菊さん」に出てきますし、結婚式のシーンや、大勢の親類がぞろぞろ出てくる場面も「お菊さん」にあります。仲介人の「カングルウ」だって「ゴロー」と共通します。いわば風俗的な面の情報源なのです。 一番印象的なのは、ロティが「快い」と感じている「朝の音楽」の描写です。鶏の鳴き声とか、雨戸を開ける音とか、セミの声とか、とても賑やか。「朝の音楽」は、「蝶々夫人」で、ピンカートンを待って夜明かししてしまった部分に出てきますが、ここは明らかにロティからインスピレーションを得ているように感じます。 個人的には、ロティの風景描写、風俗描写は嫌いではありません。この作品は、とても音楽的な小説だと思います。 それと、「わたし」からみた「日本人」の印象も、とても参考になる部分があります。正直なところ、ロティにとって日本人は滑稽な存在です。みんな小さくて、ペコペコお辞儀ばかりして、醜くて卑屈。この小説やロティの評判が日本で芳しくないのは、主にその辺りにあるのでしょう。けれど、差別的な視線というのは、「蝶々夫人」のピンカートンも同じです。「お菊さん」は蝶々さんとは似ても似つかないですが、「わたし」とピンカートンには共通する部分が多々あります。 小柄で、お辞儀ばかりしていて、表情が曖昧で何を考えているかわからない、人形みたい、という日本人観は、今だって存在します。欧米人と日本人の感情表現は明らかに違いますし、それに戸惑う欧米人は今でも多い。 一方で、「わたし」が日本で何に興味を持つのか、という点は、当時の「ジャポニスム」がどんなものだったかを教えてくれる格好の材料です。「わたし」は骨董品を始め細々とした日本のものを買いあさりますが、それはまさしく「ジャポニスム」的な興味であり、ヨーロッパ人が熱狂した対象です。日本の「ムスメ」、ロティが、「扇子の上」や「茶碗の底」で知っていた、と、お菊さんに出会って感じる「ムスメ」も、ジャポニスムの一要素なのです。 オペラで「蝶々さん」は、いろんな細々したものをピンカートンに見せますが、それも同じですね。 プッチーニの「蝶々夫人」は、このような「ジャポニスム」を抜きにしては存在しません。 ただし「蝶々さん」のキャラクターは、個人的にはあまり日本人的ではない、と思います。慎ましさ、なんかは、まあ多少はヨーロッパ人より日本人の方があるのかもしれませんが、貞操観念とか(キリスト教国でない日本は、貞操観念はそれほどでもなかったはず。宣教師たちの証言からもわかります)引き合わされる前から自ら進んで改宗してしまうとか、とてもキリスト教的=イタリア的です(オペラの原作群では、ヒロインは誰も「改宗」などしていません)。19世紀のイタリア・オペラ(ドイツ・オペラも?)で理想とされた、一途で無垢な女性の究極なのです。あるいは娼婦が改宗して一途になった、「マグダラのマリア」です。 プッチーニは夢の国日本に、現実には存在しない「理想の女性」をおいたのです。モネが、ジヴェルニーの邸宅に、自分が夢見る「日本の庭」を作り上げたように。 私にとって「お菊さん」は、そのことを実感として発見させてくれた1冊でした。 というようなことを、新刊「オペラで楽しむヨーロッパ史」(平凡社新書)。にも書いております。よろしければぜひご一読ください。 それにしても、これもフランス文学。イタリア・オペラがどれだけフランス文学に負っているかということですね。 野上豊一郎の訳で岩波文庫から出ており、あいにく絶版ですが、中古品は買えます。 ロティ、野上訳 「お菊さん」 岩波文庫
May 15, 2020
オペラ「裏」原作本シリーズ その1 「オペラの原作本」をいくつか挙げたら、「裏オペラ原作本」に触れたくなってしまいました。直接の原作ではなくとも、この本を読めばそのオペラのことがわかるかも、という本ですね。 1冊目はラクロの「危険な関係」です。大昔に読んで、文庫本が何処かへ行ってしまったので、汗、キンドルで買って読みました。18世紀フランス文学のベストセラー、貴族階級の恋の駆け引きの物語です(1782年)。 最初、これは「裏フィガロ」だったよなあ、と思って読み始めたら、「裏コジ・ファン・トウッテ」だったのでした。口説き落とすというゲームがテーマのこの小説が大ヒットする世の中だったから、変装してたがいの恋人を口説くという「コジ」のような物語が抵抗なく受け入れられたのですね。この手のオペラは、「コジ」に限らずいくつもあったようですし。 「危険な関係」の物語は、本当に「コジ」を彷彿とさせます。ヒロインのメルトイユ侯爵夫人は、自分に恥をかかせた男性への復讐もあって、恋人の一人ヴァルモン子爵をけしかけて、ウブな貴族の令嬢を口説き落とさせます。ヴァルモンは、お堅いことで有名なツールヴェル法院長夫人をを口説き落とすゲームに熱中していましたが、色々あってメルトイユの依頼も引き受ける。ヴァルモンやメルトイユにとっては、口説き落とす、あるいは口説かれて陥落する、までがゲームであり、その後相手を棄てるということでゲームは完結するのです。つまり、本気になってはいけない。本気になっては負け。ちょっとドン・ファン(ドン・ジョヴァンニ)みたいですが、ドン・ファンはその瞬間は多分本気。落としたら最後、情熱がかき消える。そういう点ではドン・ファンというのはちょっとした天才なのかもしれません。 メルトイユとヴァルモン、はそこまで徹底してはいません。ヴァルモンは貞女の誉れ高いツールヴェルを陥落させたことを勲章にしようと思っていたのに、どうやら本気になってしまい、メルトイユはそれを感じ取って嫉妬するからです。そう、2人は最終的にゲームに負けてしまいました。ヴァルモンは口説き落とした生娘セシルの恋人と決闘になって殺され、死ぬ間際にメルトイユの陰謀をばらし、メルトイユは天下に恥を晒して、疱瘡にかかって醜くなり、裁判にも負けて逃亡します。本気になったらおしまい、そういう世界なのです。 この心理の綾を、ラクロは当時流行の「書簡体小説」で細やかにまた大胆に綴ります。ストレートな物言いはやぼ、とされる世界。特にメルトイユとヴァルモンの手紙は、そこに漂う「本気」をかぎ取るのが勝負。本当に面白い。引きこまれます。 今回再読していて、ヴァルモンが最後の最後にツールヴェルに迫るシーン、「受け入れていただけなければ死にます!」と掻き口説くシーンが、「コジ」でフェッランドがお堅いフィオルデリージを口説き落とすシーンと完全にダブりました。ゲームをけしかけるメルトイユは、ほんの少しですがドン・アルフォンソのようです。ダ=ポンテもモーツァルトも、当然本作を知っていたことでしょう。オペラの台本になりそうな作品を片っ端から読んでいたモーツァルトですから。 「コジ」から20年もたたないうちに、真面目一本のベートーヴェン「フィデリオ」が生まれたことを考えると、この2作の間にあったフランス革命の影響の大きさがうかがわれます。(「コジ」の初演は1790年、バスチーユ襲撃の翌年です)時代が変わったのです。ベートーヴェンの「コジ」嫌いは有名でした。 この「危険な関係」、80年代にグレン・クロースとミシェル・ファイファーの主演で映画化され、結構熱中して見た記憶があります。面白かったなあ。他にもいろいろ映画化はあるようですが。。。私が以前持っていた岩波文庫版はこちらですが、どうも中古しか手に入らないようです。ラクロ 伊吹武彦訳 「危険な関係」 岩波文庫
May 13, 2020
有名なオペラの原作となった作品で、印象に残り、折があると引っ張り出す本の一つに、アベ・プレヴォの「マノン・レスコー」があります。移り気な美少女マノンに恋したデ=グリューが、マノン共々破滅へと向かう物語です。 プッチーニやマスネのオペラの原作になっている恋愛小説ですが、オペラ「椿姫」の原作になったデュマ=フィスの小説でも重要な小道具として使われています。「マノン・レスコー」は1731年の出版で、「椿姫」は1848年ですから、19世紀でも大変知られた小説だったということでしょう。 私が持っている岩波文庫版は、フランス文学者の河盛好蔵氏の訳ですが、氏による作品解説には「古今東西を通じて恋愛小説の王座に位置している」作品だ、とあります。そしてその理由が、「いわゆる娼婦型の女性が文学に描かれたのは、この小説が初めてである」とあるのです。 娼婦型の女性。それはどんな女性か。 一言で言ってしまうと、貞操観念がない、ということなのでしょうか。けれど、だからこそ、男を惹きつけ、振り回してしまう。男性からすれば、気が気ではないですから。 河盛氏が引用しているアナトール・フランスの言葉は印象的です。 「一生涯恋をして、しかも一週間しか貞節でいられなかった」 そんなマノンは、途方もなく魅力的なのです。 「人間が人間であることをやめない限り、男は常にマノンのような女のために生命を投げ打つことを厭わないのである」(河盛) 派手好きな性分を家族に心配され、修道院に送られようとしていた美少女マノンは、途中で出会った若者デ=グリューと駆け落ちし、彼と共にパリで慎ましい生活を始めます。が、いつの間にか食事が豪華になり、彼女の身に付けるものが派手になってくる。それは彼女が別の男性に身を任せているからなのですが、デ=グリューは初めそれに気がつかない。そしてマノンには、罪の意識、というようなものがないのです。お金がないと、彼女はやっていられない。日々楽しくないと生きていけないのです。そして彼女の美しさ、あだっぽさは、行く先々で男性を捉えるので、その武器を使って贅沢をすることが、マノンにとっては当たり前と感じられてしまう。そのようなマノンにデ=グリューはのめり込み、振り回され、道を外れてゆくのです。 彼女の本質を表している強烈な場面を一つあげましょう。ある男性からお金を巻き上げる計画を練ったマノンは、待たせているデ=グリューの無聊を慰めようと、彼のもとに美しい女性を送ってよこします。もちろんデ=グリューは、そんなことを望んでいない。彼はマノンの手紙に、「実に残酷な、実に無礼な」何物かを感じて呆然とします。間もなくマノンと再会したデ=グリューは彼女を激しく詰るのですが、マノンは究極のところ、なぜ彼が怒っているのかわからない。怒る恋人を前に、マノンはいいます。 「きっと私が悪いのですわ」「こんなにまであなたに辛い思いをさせたのですもの。けれどもし自分で、悪いと信じていたのでしたが、あるいはそうなろうと考えたのでしたら、神さま、どうぞお許しください」。 彼女は、その夜、お金を巻き上げる計画とは別に、相手の男と過ごすつもりだったらしいのでした。 小悪魔。それも、無意識だからたちが悪い。カルメンのような確信犯とは違います。彼女にとっては自然なことなのです。だから男性は惹かれるのでしょう。確かにマノンは(ある種の)「女」の権化、かもしれません。こういう女性は、多分いつの世にも、もちろん今でもいますから。 デ=グリューはそんなマノンの性分を何度も思い知るのですが、どうしても彼女を諦めることができない。投獄されても殺人を犯してもマノンと離れられません。最後は彼は、娼婦としてアメリカに流刑になったマノンについてゆきますが、その流刑先でもマノンは現地の男に思いをかけられ、デ=グリューはその男を殺してしまう。そしてマノンは、砂漠で息絶えるのです。けれどデ=グリューにとって、マノンとの日々は本望だった。 モーパッサンはこう言ったそうです。「いかなる女もマノン以上に女であることはなかった。かくも甘美であると同時にかくも不実な、恐るべき女性的なものの精髄をマノン以上に備えているものはかつてなかった」 オペラを見ていても、フランス人は魔性の女が好きだなあ、と思うのですが(「カルメン」「サムソンとデリラ」「マノン」「ペレアスとメリザンド」などなど)、その手の恋愛ものの原点は、多分「マノン・レスコー」にあるのだろうな、と思うのです。(一方で、イタリア人やドイツ人は、真面目で一途な女性が好きですね。。。) ちなみに「マノン・レスコー」に基づく二つのオペラ、プッチーニの「マノン・レスコー」とマスネの「マノン」にも、イタリア人とフランス人の気質の違いは明らかです。プッチーニはマノンを、自分好みの、そしてイタリアオペラの伝統でもある一途な女性に近づけ、マスネはより原作に近いコケットリーな女として描きました。マスネ作品の方が、音楽も含めて原作の雰囲気に忠実なのはいうまでもありません。あ、そして、ご存知の方も多いでしょうが、マスネ作品の方が先です。 本の詳細はこちら。岩波文庫版は中古しかないようですが、最近河出文庫で新訳も出たようです。 プレヴォ「マノン・レスコー」河盛良蔵訳 岩波文庫
May 12, 2020
以前、オペラの原作本で影響を受けた作品として「カヴァレリーア・ルスティカーナ」をあげましたが、あと2つくらいご紹介したい作品がありました。 一つ目はプーシキン「ボリス・ゴドゥノフ」です。 「ロシア国民文学の父」と呼ばれるプーシキン。グリンカの「ルスランとリュドミラ」からチャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」まで、多くのオペラがプーシキンの作品を下敷きにしています。 「ボリス」は、プーシキンの作品の中では、それほど目立たない作品かもしれません。けれど、この作品とオペラ、そして歴史の関係を眺めるのは、それは面白い、ワクワクする体験でした。拙著「オペラでわかるヨーロッパ史」でも取り上げましたが、史実との相違からオペラ化の過程まで、「ボリス」は本当に面白かった。 「ボリス・ゴドゥノフ」は、16世紀末のロシアに実在した皇帝です。この時代のロシアは、日本の戦国時代に当たる「動乱時代」で、陰謀や暗殺が日常茶飯事の時代。ボリスも、先帝の幼い息子を暗殺して帝位についたと囁かれました。けれど最近の研究では、皇太子ディミトリーは事故死だったらしい。暗殺説は、敵対勢力が流したようです。ただこの暗殺説は根強く流布していて、プーシキンやムソルグスキーの時代でも信じられていたので、2人はこれを前提に作品を書いています。 プーシキンの「ボリス」は、権力を握ったボリスの心理劇です。当初から罪の意識に悩まされているボリスは、死んだ(殺した)はずの皇太子ディミトリーが、「生きていた」と聞かされて驚愕する。本当は「生きていた」皇太子は偽物で、「僭称者」と呼ばれる騙り(「天一坊」みたいなものですね)、正体は野心家の修道僧なのですが、けれどこの偽物を、ロシアを狙うポーランド貴族や反対勢力がかついで、「皇帝」にしてしまうんです。とは言え偽皇帝は、帝位について1年後に殺されてしまうのですが。 ちなみにこの手の「僭称者」は、この後ロシアに続出します。17世紀に23人、18世紀に44人!。けれど本当に帝位についたのは、この「偽ディミトリー」だけです。 そのほかにも、皇妃を夢見るポーランドの大貴族の娘、マリーナも強烈な野心家の女性です。偽ディミトリーを散々そそのかし(あなた自身には興味がない、皇帝になるなら付き合う、という女性)、帝位についた偽ディミトリーが殺されると流刑になりますが、なんと死んだはずの「偽ディミトリー」が蘇った!という触れ込みの「偽ディミトリー2世」に連れ去られ、2人して勝手に即位して「皇太子」イヴァンをもうけ、「偽ディミトリー2世」の死後はイヴァンを帝位につけるのです。なんだか、この後続出するロシアの女帝をちょっぴり彷彿させないでもありませんが。魑魅魍魎、跳梁跋扈であります。 話を戻しますと、そんなわけで「ディミトリー」が生きているときかされたボリスは怯え、精神に破綻を来します。それが本作のキモです。「マクベス」みたいなドラマなのですが、プーシキンはシェイクスピアに傾倒していました。そして、「ボリス」をオペラ化したムソルグスキーも。 もう一つ、プーシキンの事情で言えば、彼は当時、「デカブリストの乱」に加担した反体制派としてモスクワから追放され、母方の領地で蟄居していました。そのような自分の立場の主張として、自分の先祖(!)である「プーシキン」を、ボリスへの批判勢力として劇中に登場させています。そのためプーシキンの戯曲も、しばらく検閲を通りませんでした。初演はなんと、プーシキンが亡くなって30年後。そしてムソルグスキーは、この初演を見ていました。 ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」は、ムソルグスキーが完成させた唯一のオペラです(他の作品は未完)。けれどムソルグスキーがすごいのは、自分で台本を書いていること。それも、相当に正確です。ムソルグスキーは歴史通でした。 いわゆる「歴史物」オペラって、例えば「ドン・カルロ」などもそうですが、登場人物は歴史上のそれでも、関係性やキャラクターはかなり変えているのが普通です。「ドン・カルロ」の場合だと、原作者のシラーの色がとても濃い。けれど「ボリス」の場合は、ボリスの心理以外は、相当に当時の歴史に忠実です。 そしてプーシキンの原作とは異なるムソルグスキーのオペラの幕切れが、「聖愚者」によるロシアの未来への嘆きです。プーシキンの原作は、ボリスが死に、その息子も殺され、帝位についた偽ディミトリーを讃えるよう命じられた人民が黙りこくるシーンで終わっていますが、ムソルグスキーのオペラでは、モスクワへ進軍する偽ディミトリーの軍勢を見送った聖愚者が、ロシアの前途の闇を予言するのです。これ、名場面だと思う。この幕切れを考えただけで、ムソルグスキーは天才だと思います。 ちなみに「聖愚者」とは、ロシア正教の聖人で、ボロをまとって狂人のように彷徨い、神に通じ、予言をするとされた人物。劇中で彼はボリスを「ヘロデ王」になぞらえて暗殺者であることをほのめかし、偽ディミトリーの即位とともに本格化するロシアの動乱時代を嘆きます。キーロールなのです。 ムソルグスキーはどうもこの「聖愚者」に、自分をなぞらえていた節があります。ショスタコーヴィチも、ムソルグスキーは作曲家の中で最も「聖愚者」にちかい存在だ、と言っていました。 ムソルグスキーは、自分のことをしばしば、諧謔的に「屑集め人」と呼んでいたそうですが、そんな彼だからこそ、これほど印象的な聖愚者の姿が描けたのではないかと思います。 岩波文庫で読めます。 プーシキン 佐々木訳「ボリス・ゴドゥノフ」岩波文庫オペラと原作の関係を読み解いている拙著はこちらです。「オペラでわかるヨーロッパ史」 平凡社新書
May 11, 2020
夏目漱石で1作と言われたら、「門」をあげたいです。 友人の恋人を奪ってしまった男性の「罪」の意識を掘り下げた心理小説。最初は世間によくありそうな夫婦の生活描写で淡々と始まり、主人公の家族環境やらを長々とあげつつ、2人の「罪」を行間のあちこちでほのめかす。出逢いと出奔のいきさつはさらりと運んでしまいますが、2人が子供を3人も喪ったという悲劇が埋め込まれるのはなかなか凄い。 劇的展開らしきものが訪れるのは、主人公が、知人を介してかつて裏切った友人の噂を聞き、彼が身近に現れそうだと知った時。「蒼い顔をして」知人の家を出た主人公は、禅寺の門を叩きます。けれど悟りなど開ける訳もなく、山をおりてまた知人の家に行き、友人が去ったと聞いて「脇の下から汗が出た」。 そしてまた夫婦には、いつも通りの生活が訪れます。「これに似た不安はこれからさき何度でも、いろいろな程度において、繰り返さなければすまないような、虫の知らせがどこかにあった。それを繰り返させるのは天のことであった。それを逃げて回るのは宗助のことであった」。 すぱんすぱんと切れ味のいい、けれど中身がぎっしり詰まった、そして発見に満ちた文章(「そうだそうだ」とか「なるほどそうだ」と言いたくなる文章)。私にとって漱石の最大の魅力はそこにあります。「門」は、それを満喫させてくれる作品です。いっとき、このような漱石の文章が、やはり切れ味がよくて、中身がぎっしり詰まったヴェルディの音楽のようだと感じたことがありました。 例えばこんなくだり。世間に顔向けできないことをしてしまった2人は、「外に向かって成長する余地を見いだしえなかった」ので「内に向かって深く延び始めた」。「彼らの生活は広さを失うと同時に、深さを増してきた」。 かっこいいなあ。 一方で、漱石はワーグナーみたいだ(!)という意見もどこかで目にしました。時にくどくどしく回りながら真実に近づいていくからでしょうか。贔屓の芸術家との共通点を見出したくなる、それはその作家が凄いことの、そしてその作家や作品にのめり込んでいることの、一つの証左かもしれません。 詳細はこちらから。夏目漱石「門」新潮文庫
May 10, 2020
昨日の「グロテスク」から一転、大人の夢物語です。 中里恒子「時雨の記」。芥川賞、読売文学賞などを受賞した女流作家の代表作で、多分中里作品の中では一番ヒットした作品。40代の未亡人と、50代の妻子持ちの会社社長の純愛物語。山本富士子!と丹波哲郎!の主演でテレビドラマにもなりました。歳がバレますね。笑。 不倫もの、といえばそうなのですが、プラトニックラブというところが憎いのです。おそらく人生で初めて「打てば響く」「何も言わなくても通じる」相手に出会った二人。「趣味が合う」んですね。いわゆる音楽とかの「趣味」ではなくて、生活全般に対する好みというか。 例えば、ヒロインの多江が暮らす葉山?あたりの慎ましい一軒家〜「多江」はお茶の先生をして身を立てているという設定です〜を初めて訪れた主人公の壬生は、多江が使っている器の趣味が気に入ります。何を「いい」と思うか、その見方が共通していると感じる。 足しげく「多江」とあうようになった「壬生」は、持病の心臓病が悪化しているのに気づき、不仲の妻と別れて、多江と住む家を作ろうと思い、その設計図を作ります。 けれど壬生は、その家の完成を見ずに、多江の家で逝ってしまう。当然、多江は壬生の妻に疑われます。それをやり過ごし、多江は壬生の49日に、かつて二人で訪れた、藤原定家が隠居をしていた「時雨亭」の跡を再訪して、壬生の墓はここにある、と思い定めます。 その後、多江は、壬生の友人から、壬生から渡された「家の設計図」を受け取ります。 物語はこう締め括られます。「多江の手に渡された一枚の紙、そこに建っている家屋、生えている青苔。もう絶対に壊れることのない不動の地を、壬生は残してゆきました。 逢うことはなくても、もみじは散る。時雨は降る。さあっと降るのでした。多江には、松風の音も冴え冴えしくきこえました」 時雨は、2人で「時雨亭の跡」を訪れた時も、「さあっと来て、さあっと過ぎて」いったのでした。2人の恋のように。 (「冴え冴えしく」ですが、本文では別の字が使われており、変換できません。。。恐縮です) 著者は川端康成の代筆もしたことがあったそうで(当時の作家は「代筆」などはごく普通のことだったらしい)、古典の教養も深いよう。文字通り冴え冴えしい文体には、そんな背景も滲むような気がします。主人公たちの自然でさっぱりした気質は、山田詠美作品にも共通するように感じますが、作者たちが普段触れているモノや文章が違うので、別の世界が紡がれているのが眩しいです。 本の詳細はこちらから。 中里恒子「時雨の記」 文春文庫
May 9, 2020
桐野夏生の「グロテスク」は、あの「東電OL殺人事件」に題材をとった長編です。 「東電OL殺人事件」については、記憶されている方も多いのではないかと思います。1997年に、東京電力で総合職として働いていた優秀な女性が殺された事件ですが、その女性がなんと夜は渋谷の街で立ちん坊をしていて、それがらみで殺されたらしいということで世間の好奇心をそそり、大変な騒ぎになった事件です。しかも「犯人」として捕まった、被害者の客でもあったネパール人は、終始無罪を主張したにもかかわらず有罪の判決を受けて服役し、出所後に無罪を勝ち取りました。なので、未解決の事件でもあるのです。 この事件を題材に、ノンフィクション、フィクション両方で、多くの本が書かれました。ノンフィクションの代表作は佐野眞一さんの「東電OL殺人事件」。佐野さんは、本作の中で無実の罪を着せられたネパール人ゴビンダさんに丁寧に寄り添っていますが、一方で佐野氏をこの題材に駆り立てたものは、被害者に対する、ちょっぴり恋にも似た興味のようです。 「グロテスク」もまたこの事件から派生した物語ですが、「東電OL」がモデルになっている女性は何人もの主人公の一人にすぎません。著者はこの本で、人間の「悪意」というものを徹底的にえぐりとります。登場する人物は皆「悪意」を拡大され、デフォルメされた「グロテスク」な存在です。一番語り手の役割を果たす「私」は、美人の妹ユリコに人生を抑圧され、悪意を通して人間をみる癖がついています。ユリコは、生まれながらの娼婦。「東電OL」がモデルだろう和恵という女性は、ストレートで進学できる私立一貫校に高校から入り、ダサくて周囲に馴染めず、一流会社に就職したものの会社にも馴染めず、実質左遷のような部署替えにあい、自分を爪弾きにする世間への復讐?もあって夜の世界に走り、けれどそこでも次第に相手にされなくなっておかしくなり、殺されてしまう、なんとも救いようのない人生を送ります。 「和恵」は、モデルとされている方とはかなり違うとは思います。実際に殺された女性は、写真を見る限り綺麗な方ですし、会社でも優秀で(総合職のはしり)、論文なども発表して評価されていたよう。そこはやはり小説、フィクションですから、デフォルメされて当然です。 そして犯人は、やはり「和恵」のお客ですが、中国の極貧地域から日本に流れてきたかなりの悪党、という設定です。まあ20年前の話なので、今のように中国からの観光客が日本に溢れかえる時代ではありません。ちなみにこの犯人は、ユリコも殺しています。 後味は無茶苦茶悪い小説です。私も引き込まれ、ページをめくるのがもどかしい!!!という典型的な読書の快楽を味わいつつ、何度か読み返したあとは気持ちが悪くて処分してしまいました。今回、改めて読み直そうと思ったもののそういうわけで手元になく、ネットでも買えず(今、アマゾンをはじめネット書店は異常な品薄です)、kindle版をダウンロードして読みました。 桐野夏生はすごい作家だと思うし、いくつか感服した小説はあります。けれど「グロテスク」で立ち止まってしまうのは、「そうそう!」と膝を打ちたくなる部分があるからです。 「佐藤和恵」は、私立の一貫校の高校から入学したという設定ですが、これは殺された女性〜渡辺泰子さんという名前がネットに出てきます〜と同じです。慶應義塾女子校。渡辺さんはそこから慶應の経済学部に進み、東電に就職しました。 「グロテスク」の「佐藤和恵」は、この学校〜もちろん小説には、学校名は書かれていません〜にやはり高校から入り、浮きまくります。真面目に勉強してきて憧れの学校に合格し〜それは多分に厳格で吝嗇な父の影響だという設定〜、けれど入ってみたら、そこは「内部生」と「外部生」に分割される階級社会。生真面目でダサい「佐藤和恵」は全く溶け込めません。さらにそんな自分を客観視できず、居場所がない。この状態は大学に入り、さらに就職してからも続きます。彼女は人間関係を築くことができないのです。友人ができない。仲間ができない。もちろん恋人もできない。初体験の相手はなんと客。(この小説では、美人の妹ユリコに抑圧されている「わたし」も40まで処女で、最後はやはり娼婦になって客相手に体験することが示唆されています、、、いやはや) でもこの「人間関係を築けない」って、社会で生きていけない最大の原因ではないでしょうか。 私がこの小説に恐怖を感じると同時に、ほのかな共感?を抱いてしまうのは、わたし自身、人間関係という自分が弱点だと感じている、そこを突っつかれてしまうからです。「佐藤和恵」とその周辺に、自分自身の断片的な投影を見るからです。 これ以上のことはここでは書きませんが、改めて、桐野夏生の観察力と物語構築力、そして何より凄まじい筆力に、久しぶりに圧倒されました。
May 8, 2020
山田詠美さんは結構好きです。かっこいいから。(「学校もの」のファンも多いようですが、私は「学校」というところが苦手だったので浮きまくっており、「学校もの」に対する感受性がまるでありません。苦笑。)言葉のセンスも好きです。やっぱり、かっこいいから。 「チューイング・ガム」はとびきり幸せな気持ちにしてくれる本です。恋人と出会って結婚するまでを綴った本。ほぼ私小説。すごく直球で純粋な本だと思います。(結婚後16年で別れ、今は別の方と再婚しているようですが) 「まったく嘘つきである。数年前のインタビューを読むと、私、結婚なんかしないわと平然と語っている。で、今、私は、結婚して、結婚も悪くないじゃないと、友人たちに言いふらして、あきれられている。いったい、この心境の変化は、どういうことだろうか。考えても解らない。だから書いてみた」。 あの「ベッドタイムアイズ」のわずか5年後、直木賞を受賞した「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」からたった3年後に、詠美さんが「結婚」するとは、読者の誰一人として思っていなかったのではないでしょうか。 物語は、ココとルーファスという2人の主人公が出会って結婚するまでを、2人が交互に語る形で進行します。しびれるのはやっぱり表現と(かなり絵画的。漫画家だったということもあるのでしょうか)、名句の数々。 素敵だなあと思うのは、例えばこんな表現。 「寝るということに代表される、あらゆることを愛している。声や皮膚や溜息などの暖かいものが自分を包むと、私は、まさに、音楽的な気分になる。どんな物音も、粋な音楽に聞こえるというあの瞬間。しんとした暗闇も、アメリカ式冷蔵庫の雑音も、完備な音に生まれ変わる時」 「心が、こんなにも、水気を含んで重くなることを、ぼくは知らなかった。そして、それが流れていく先に、きみという堤防がある。決して、壊れてしまわない堤防が、ぼくの心を受け止める。きみは、ぼくの水分を、どんどん吸い込んでしまい、ぼくは困り果てる。それなのに、ぼくの内側は涸れることがない。囁いたり、見詰めあったり、腕に力を込めたりすれば、すぐに湧水は、ぼくの外に流れ出る」 かっこいいと思うのは、例えばこんな言葉たち。 「幸福は自分次第でやって来る。たった一度の人生だもの、後ろ向きで歩くなんてつまらない」 「小さな頃に覚えた感動の方法を忘れたくないと思っているのだ。ネガティヴな人生は、断じてお断りだ」 ほとんど「格言」ですね。 「格言」の究極は、これでしょうか。「本当の大人は、知りつつある多くのことを、美しいナイフで徐々に削り取っていくものだって。余分なものを削ぎ落とした先には、一つの真実が待っている。それは、自分に必要な愛というもの」これ、「愛」じゃなくてもいいと思うんです。歳を重ねて、余分なものを削ぎ落としていくことを知る。自分にとって大切なものが何かを知る。それが重要だと思うのです。 ちょっと前にご紹介した「夏の闇」が、多分に男性目線の恋愛小説(と、とれなくもない)だとすれば、これは100%近く女性目線の恋愛小説かもしれません。著者のファンの大半は女性らしいですが、わかります。 アマゾンのページはこちら。紙の本は絶版かもしれません。 山田詠美「チューイングガム」
May 7, 2020
オペラについて調べていると、原作をいろいろ読むわけですが、シェイクスピアよりシラーより小デュマより「トリスタン・イズー物語」より「サロメ」より印象に残った1冊といえば、ジョヴァンニ・ヴェルガ「カヴァレリーア・ルスティカーナ」(河島英昭訳)です。(もう1冊と言われたら、メリメの「カルメン」を選びます。あとメーテルランクの「ペレアスとメリザンド」も魅力的な物語だと思います)。 「カヴァレリーア」は、マスカーニが作曲した同名の人気オペラの原作で、邦訳にして12ページしかないのですが、その中にあの物語がぎゅっと凝縮されています。オペラでは脇役のローラがここではヒロインなのと、トゥリッドゥは最後にサントウッツァのことをお母さんに頼んだりしない身勝手な男なのですが、サントウッツァが「金持ちの小作人の娘」であるなど、主役たちの関係性はよりはっきりしています。 シチリア、カターニャ生まれのヴェルガはパリで自然主義の洗礼を受けた作家で、イタリア文学の「ヴェリズモVerismo」(=真実主義)の生みの親(「ヴェリズモ」という言葉が同じ意味でオペラで使われるのは周知の通りです)。ヴェルガは地を這うように生きる故郷シチリアの貧しい人びとの姿を、凝縮され、雄弁で、乾いた、でも詩的な文体で綴りました。プッチーニがオペラ化を考えて、あまりに激しい内容のため思いとどまったという「ルーパ(「雌狼」の意)」は、あらゆる男を誘惑してしまう魔性の女の物語。恋した若い男に、「娘の方がいい」と言われると、何と娘をその男と強引に結婚させ、自分が寝とってしまう。 また「ネッダ」という物語は、若い娘が恋人と関係を持って妊娠してしまうことで村八分にされる悲劇で、トゥリッドゥと関係を持ったことで村八分にされる、オペラの「カヴァレーリア」のサントウッツァにちょっと似ています。オペラの「カヴァレーリア」は、このようなヴェルガの別の作品から脚色もしているのではないかと感じます。 他にも、赤毛で醜く、ほとんど誰にも相手にされず、最後は父と同じように石切場の坑道のなかで亡くなる少年の物語「赤毛のマルペーロ」をはじめ、どの物語もなかなか凄まじいのですが、それほど悲惨な感じがしないのは、やはり文体の魅力に多くを負っているように思います。 「カヴァレリーア」の舞台になったシチリアのヴィッツィーニ村は何度か訪問しました。山に囲まれた裏寂しい村です。ヴェルガの父はもともとこの村の貴族で、ヴェルガもここに長く暮らし、村人からいろいろな話を集めたそうで、「カヴァレリーア」も、似たような話を聞いて物語にしたと言われています。 ヴェルガ(も含めて彼の一族)の住んでいた家もありますが、強烈なのは、細い路地に残る「サントウッツァの家」と「ローラの家」。なんとふたつはほぼ向かい合っているのでした。「マンマ・ルチアの酒場」のモデルになった酒場と、オペラの中に登場する復活祭の礼拝のシーンのモデルになった教会もすぐ隣り合わせで、本当に狭い、息苦しい空間で暮らしていたことがよくわかります。これでは、男女が(特に道ならない)関係など持ったら、あっという間に村中の噂になってしまうことでしょう。 そのような体験がリアルにできたことも、「カヴァレリーア」という短編が忘れられないものになっている理由かもしれません。 詳細はこちらから。 ヴェルガ「カヴァレーリア・ルスティカーナ」他 河島英昭訳 岩波文庫
May 6, 2020
人生で一番影響を受けた本といえば、開高健「夏の闇」です。 中学生のころ初めて読んで衝撃を受けました。それまでは、従姉や父から譲り受けた「少年少女世界文学全集」で文学少女?を気取っていた私にとって、日本語ってこんなに豊穣なんだ!こんなに表現ができるんだ!と痛感させてくれた1冊だったからです。 物語というほどのものは、ないと言えばない。かなりの程度、私小説と言っていいのでしょう。「私」(=作家)が、一夏を「女」と一緒に過ごすだけの話です。眠って、食べて、交わる。そのことに膨大な、華麗な語彙を使う。そしてうつ病に陥っている自分を観察し(作家って自分を観察し尽くすという意味では大変な商売だと思います)、「女」を観察する。最後は「私」は、束縛を匂わせ始めた「女」から逃げ出して、かつて従軍記者として滞在したベトナムへと向かう。(ベトナム体験を描いた開高健のもう一つの名作が「輝ける闇」です) 最初と最後の一文は、今でも憶えています。 「その頃も旅をしていた」 そう始まり 「明日の朝、10時だ」(ベトナム行きの飛行機が飛ぶ時間) で終わるのです、 何より魅了されたのは、繰り返しですが語彙と表現の豊かさ、饒舌さ。最初の頃は内容などよくからず、ただただ文章、文体に魅了されて、浸っていました。ああいう文章が書きたい、というのは今でもどこかにあります。 「私」の夏はパリで始まり(開高はパリが好きでした)、「女」が住んでいるボンや、ドイツの山の湖を経て、ベルリンで終わります。この間、町の名前は一切出てきませんが、だいたい想像がつくのです。 例えばベルリンは「あちらのこちら」と表現される。東西分割時代のベルリンの描写は強烈で、私自身、1988年に、まだ分割時代のベルリンに初めて足を踏み入れた時、「夏の闇」での描写を思い出して感慨の深いものがありました。 最後のシーンは、二人が東西ベルリンを循環する列車に乗っている場面です。 「東は暗くて広く、西は明るくて広かった。けれど、止まったり、かけぬけたり、おりていく背も見ず、乗ってくる顔も見ず、暗いのが明るくなり、明るいのが暗くなるのを、固い板にもたれて凝視していると、東も、西も、けじめがつかなくなった。あちらも、こちらも、わからなくなった。走っているのか、止まっているのかも、わからなくなった。 明日の朝、十時だ。」 この本を読んでから、漢字とかなの使い分けにも気を配るようになりました。 今回、この本を再読しがてら調べていたら、「女」にはモデルがいたんですね(いるのだろうとは思ったのですが、調べてまでという興味がなかったので)。早稲田でロシア文学を学び、ドイツに流れ着いてそこで博士号を得た(この本の中で「女」は博士論文の仕上げをしています)、エネルギッシュな女性。佐々木千代さんという方で、なんと交通事故で亡くなったらしい。 「夏の闇」は彼女の死後に書かれました。ちょっと、ぞくりとしました。 詳細はこちらから。 開高健「夏の闇」新潮文庫
May 5, 2020
村上春樹は、長編小説は正直なところ、よくわからないんです。Facebookの「ブックカバーチャレンジ」でもアーティストの方がよく取り上げていらして、この世とあの世を行き来するような感覚がよくわかる、というようなことを書かれていらっしゃるのですが、私はどうもそのあたりの感性が鈍いらしくてピンとこない。 でも、エッセイは好きです。ウィスキーを訪ねてスコットランドに旅する話など、最高でした。 とはいえ、1冊と言われたら断然これ。「職業としての小説家」です。「小説家」に止まらず、フリーで仕事をする人間には大変参考になる本だと思います。以前内田光子さんに感じた「才能は情熱の量である」ということもひしひしと感じる本だからです。私なんかがいうのは無茶苦茶おこがましいですが、100分の1でも取り入れてみたいと思う。そんな気にさせてくれる本です。 あと、「人生における優先順位」ですね。彼にとって人生の最優先事項は、「長編小説を書くこと」だということがよくわかりました。 例えば、「小説をひとつ書くのはそれほどむずかしくない。(中略)しかし小説をずっと書き続けるというのはずいぶんむずかしい。誰にでもできることではない」「書きたい、書かずにはいられない」という人が小説を書きます」というくだりは、「継続は力なり」という格言に通じますが、それを支えるのは「やらずにはいられない」という情熱です。 「『さあ、これから何を書こうか』と考えを巡らせます。そのときは本当に幸福です。ものを書くことを苦痛だと感じたことは一度もありません。小説が書けなくて苦労したという経験も(ありがたいことに)ありません。というか、もし楽しくないのなら、そもそも小説を書く意味なんてないだろうと考えています」 すごいなあ。でもこれって、基本的なことなんでしょうね。まず「好き」が先。 彼の仕事の仕方が垣間見えるのも大変興味深いです。デビュー作を書き上げた時、読み返してみたらつまらなくてガッカリし、ふと思いついて全文を英訳し、それを再度日本語に書き直してみたら「文体」を獲得できたように思った、とか、長編小説を書くときは他の仕事を全て断って取りかかるとか、バブルの頃、これに巻き込まれるとダメになってしまうと思って海外に脱出して長編を書いたとか、初期の頃から海外進出を考えて戦略的に行ってきた、などなど。 例えば、小説を書くためには肉体的な鍛錬が必要(氏はマラソンをやります)である理由は、このように明かされます。 「自分の内なる混沌に巡り合いたければ、じっと口をつぐみ、自分の意識の底に一人で降りていけばいいのです」「それを忠実に誠実に言語化するためにあなたに必要とされることは、寡黙な集中力であり、挫けることのない持続力であり、あるポイントまでは堅固に制度化された意識です。そしてそのような資質をコンスタントに維持するために必要とされるのは身体力です」 「作家は体力」。あの渡辺淳一氏もそう言っていたようです。体力があるから小説を書けるわけでもないでしょうが、いい仕事をするために体を鍛えるのは、小説家に限らず、誰にとっても必要なことでしょう。前から思ってはいたことですが、村上氏が書くと説得力があります。 「学校」という場所と相性が良くなかったと告白している部分にも共感してしまいました。私も「学校」が苦手だったからです。「でもまあ、学校が好きでしょうがなかった、学校に行けなくなってとても寂しいというような人は、あまり小説家にはならないのかもしれません」とあるくだりも、小説は書いていませんが、「物書き」をやっている私の背中を押してくれる一文ではありました。 著者はこの本で、「長い年月にわたって一番大事にしてきた」のは、「自分が何かしらの特別な力によって、小説を書くチャンスを与えられたという率直な認識」だと書いているのですが、そのきっかけになった出来事を語るくだりはとても印象に残りました。彼はふと思ったのです。「僕にも小説が書けるかもしれない」。そして、「新人賞をとり、そのまま小説家になり、ある程度の成功を収めるだろう」と。 なんの脈絡もなくそう思った、と著者は記しているのですが、その感じ、(またまたおこがましいですが)私にもよくわかります。なんの脈絡もなく「ふとそう思う」ことって、本当にありますから。そしてそういうことが、一番「その通りになる」のです。 以下に引用します。 最初は1978年の春、神宮球場に、セントラルリーグの開幕戦を見に行った時のこと。1回の裏、ある打者の二塁打が出て、ぱらぱらというまばらな拍手がまわりから起こった。「僕はそのときに、何の脈絡も何の根拠もなく、ふとこう思ったのです。『そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない』」「そのときの感覚を、僕はまだはっきりと覚えています、それは空から何かがひらひらとゆっくり落ちてきて、それを両手でうまく受け止められたような気分でした。(中略)理由はともあれ、とにかくそれが起こったのです」 2度目は、「群像」の新人賞に応募した処女作が、「最終選考に残ったという電話がかかってきた」、春の日曜日の朝に起こりました。電話を受けた著者は、妻と散歩に出、途中で傷ついた伝書鳩を見つけて、両手にもって交番に届けに行きます。 「そのあいだ傷ついた鳩は、僕の手の中で温かく、小さく震えていました。よく晴れた、とても気持ちの良い日曜日でした。あたりの木々や、建物や、店のショーウィンドーが春の日差しに明るく、美しく輝いていました。 そのときに僕ははっと思ったのです。僕は間違いなく「群像」の新人賞をとるだろうと。そしてそのまま小説家になって、ある程度の成功を収めるだろうと。すごく厚かましいみたいですが、僕はなぜかそう確信しました。とてもありありと。それは論理的というよりは、ほとんど直観に近いものでした」 この二つの経験について、著者はこう振り返ります。 「小説を書く意味について考えるとき、いつもそれらの感触を思い起こすことになります。僕にとってそのような記憶が意味するのは、自分の中にあるはずの何かを信じることであり、それが育むであろう可能性を夢みることでもあります。そういう感触が自分の内にいまだにあるというのは、本当に素晴らしいことです」 書き写していて、鳥肌が立ちました。 このような体験を、著者は「エピファニーepiphany 」という単語で表現しています。「直観的な真実把握」とでもいう言葉のようです。それを境に人生ががらりと変わってしまう、ものの様相が一変してしまう体験、だという。もちろん、その後の道のりが平坦でなかったことは、この本を読めばよくわかるのですが…。 ことあるごとに取り出しては読み返す、今のところ「座右の書」となっている1冊です。 詳しくはこちらから 村上春樹「職業としての小説家」(新潮文庫)
May 4, 2020
歴史は昔から好きなので、伝記文学、歴史小説の類はずいぶん読みました。その中で1冊、と言われたら、シュテファン・ツヴァイクの「マリー・アントワネット」を選びます。留学時代に繰り返し読んだ、思い出の本でもあります。訳はいくつかありますが、いささか大時代的ではあるものの、勢いと推進力があり、スケール感に溢れた秋山、高橋訳が好きです。ちなみにこの訳が、一番原作に忠実だと言われているようです。 ツヴァイクはフランス革命で命を落とした悲劇の王妃を、「歴史によって偉大になった平凡人」と位置づけ、刻々と変わる激動の時代と、それに翻弄され、最後の瞬間に時代を克服したマリーの姿を、饒舌で劇的に、そして豊穣な語彙を駆使して熱っぽく綴っていきます。1932年の作品ですが、ルイ16世が初め男性として不能であったとか、フェルセンがマリーと関係があったとか、などという主張をしたのはおそらくツヴァイクが初めてだったのではないでしょうか。とりわけ、ところどころに「踊り場」を作りながら、悲劇へと転がり落ちてゆく下巻は圧巻。マリーの王妃時代の軽薄さや、容赦なくあぶり出されるルイ16世の愚鈍ぶりは、その後の研究などでやや修正されてはいるようですが、マリーに、そして歴史文学に興味を持つ人間にとって、本作の影響力は大きいように思えます。私自身はマリーより、例えば今度の本「オペラでわかるヨーロッパ史」で取り上げたジャンヌ・ダルクの方に惹かれますが、最初から立派だったジャンヌ〜処刑裁判でも実に見事な答弁をしたようです〜の域に、マリーが最後の最後の裁判でたどり着く姿は感動的です。 印象に残った部分をいくつか。 マリーについて、一貫したツヴァイクの主張。 「このような中庸の人物を、時あって運命が掘り起こし、有無をいわさぬその鉄拳によって、彼ら本来の凡庸さを強引に抜け出させることができるということに対して、マリー・アントワネットの生涯は、おそらく史上最も顕著な例である」 「最後の最後の瞬間に、平凡人マリー・アントワネットはついに悲劇の域に行きつき、その運命と同様に偉大となるからである」(「はしがき」より) 以下のようなかっこいい表現がどんどん出てくるところも好きです。バスチーユ前夜の章で。 「しかし革命は若い。革命は熱い、奔放な血をもっており、なんら休息を必要とせず、昼と行動を性急に待ちかまえている」 大長編は、処刑の22年後、「国王」に即位したマリーの義弟、ルイ18世の命令で、マリーの遺骸が掘り当てられた場面で締めくくられます。哀歌。 「ついに鋤が固い層に突き当たる。そして半ば朽ちくずれた靴下どめが見つかったので、湿った土から怖気をふるいながら掘り出した一握の白い塵こそ、かつて優美と風雅の女神であり、やがてはあらゆる苦悩の試練にたえた選ばれた王妃となった女性の、あの消え去った姿の最後の面影であると、人々は認めたのである」 購入はこちらから。残念ながら、中古品しか見つかりませんが。。。 ツヴァイク「マリー・アントワネット」 高橋、秋山訳 岩波文庫
May 3, 2020
「人生が変わったこの1冊」、今日は、オペラの分野で、これまでで一番影響を受けた本をあげたいと思います。 岡田暁生「オペラの運命 」(中公新書)です。 本日のfacebook 「7日間ブックカバーチャレンジ」とかぶっておりますが、お許しください。 以下に編集したものを貼り付けます。 これまで読んだオペラ本で一番影響を受けたのは、岡田暁生さんの「オペラの運命」です。サントリー学芸賞。私が「オペラ」と「歴史」の関わりについて目がいくようになったのは、本書のおかげです。オペラ史に関する講義を持つときは、真っ先に紹介している本でもあります。 いわゆる「オペラ史」に分類される本なのですが、よくある「オペラ史」の中心が、作品の様式の変遷史なのに比べて(そのようなことにも触れてはいますが)、背景となる歴史、特に社会史にスポットを当てているのが本書の特徴です。例えばオペラの始まりについて、オペラはバロック時代の絶対主義、巨万の富を手にできた絶対王政の産物であり、今に至るまで残る「オペラ」という芸術にまとわりつく贅沢さ、貴族的な近寄り難さ、誇張癖、保守的な体質などはそこに由来する、ということをまず持ってくる。あと、カトリック的な芸術だということも強調されます。 これが通常の「オペラ史」だと、フィレンツェの芸術サークルが古代ギリシャ劇の復興を試みた結果オペラが生まれた、というようなことになる。でもそのバックにはメディチ家がいたわけで、その財力があってこそ可能になった。岡田氏はより大きな時代の枠組みで、「オペラ」という芸術の変遷を捉えていきます。 最初に読んだ時、とくに新鮮だったのは、19世紀のグランド・オペラに関する記述。グランド・オペラは、19世紀にパリのオペラ座で大人気だったジャンルで、バレエやスペクタクルを盛り込んだ歴史絵巻です。(20世紀以降廃れてしまいましたが、最近少しずつ復活傾向にあります。)このようなグランドオペラは、フランス革命を経て、客層が貴族からブルジョワに変わった結果生まれた。昼間働いて疲れているブルジョワは、フランス革命以前の貴族を対象にした神話伝説オペラなど付き合いきれない。そんな彼らに受けたのが、スペクタクルシーンを売り物にした「ビジュアル・オペラ」たるグランドオペラだった。そしてヴェルディもワーグナーも、その影響を多分に受けていた。 オペラハウスが身分制社会を体現した場であり、貴族に憧れるブルジョワがにわか貴族になれる場所であったことも、この本で得心がいきました。その辺りの記述に説得力があるのは、岡田氏自身がヨーロッパでいろいろなオペラハウスに通い、「場の雰囲気」(「あとがき」より)を体験されていることが大きいでしょう。 19世紀の異国趣味に根ざした異国オペラの流行が、「19世紀の旅行ブーム」にあった、という説も目から鱗でしたし、南米に、ブエノスアイレスのコロン劇場を始めいくつも立派なオペラハウスがあるのは、カトリックのラテン系移民によって18世紀からオペラが上演されていたから。(このくだりで、宗教改革後、プロテスタントに押されてヨーロッパ以外に積極的に布教して活路を求めたカトリック教会を思い浮かべました)。そして19世紀後半のイタリア統一後、経済難に陥ったイタリアでは、オペラに金が出せなくなり、作曲家は外国から注文を受け、歌手は南米に出稼ぎに行ったのです。こういう背景が面白い。 ワーグナーの影響についても、一般的な「オペラ史」なら音楽上の改革についてページを割くのですが、この本では、ワーグナーがオペラを「偉大なる芸術作品」にし、オペラハウスを「神殿」「博物館」「実験場」にした、という点を強調します。ワーグナー自身の王侯的体質を指摘しているところも実に興味深いです。 著者が傾倒している作曲家がモーツァルトとワーグナー(「モーツァルトの喜劇オペラはオペラ史上のスフィンクスである」「ワーグナーはオペラ史におけるコペルニクス的転換点である)という名言が出てきます)であることもよくわかります。 岡田氏のオペラ関係の本には、モーツァルトの「5大オペラ」に投影された恋愛観と時代背景を読み解いた「恋愛哲学者モーツァルト」(新潮選書)という名著もありますし、「メロドラマ・オペラのヒロインたち」(小学館)という、オペラのヒロインをオペラのみならず映画やミュージカルの知識も駆使して読み解く、抱腹絶倒の一冊もあります。両方ともお勧めです。 そういえば岡田氏、クルレンツィスの大ファン。昨年9月にルツェルン音楽祭でクルレンツィスがモーツァルト=ダ・ポンテ三部作を上演した時に客席でお見かけして、共通の知人に強引にご紹介いただいたのでした。 「オペラの運命」の概要はこちらです。 岡田暁生「オペラの運命」 中公新書 ところで、最近、オペラと歴史のことを突っついていて、バロック・オペラは「読むもの」であった、と思っているのですが(例えばヘンデルの「ジュリオ・チェーザレ」は、中止になってしまった新国立劇場の本作の公演のプログラムの作品解説にヘンデル研究家の三ヶ尻先生が書いておられますが、チェーザレを当時のイギリス国王ジェームズ1世、セストやコルネリアはその対立勢力であるヨーロッパ大陸のジャコバン派になぞらえることができる)、おそらく19世紀に入ってもかなりの間、オペラには「読む」部分(〜神話伝説歴史を扱っていても、結局は作曲当時の世相を投影している〜)が存在していたと思います。ヴェルディの「ナブッコ」はよくリソルジメントとの関係が言われますが、そのようなオペラは皆作っていた。「占領下のイタリア」を喩える内容ならロッシーニの「ウィリアム・テル」もベッリーニの「ノルマ」もそう。そしてそれは何もリソルジメント期に限ったわけではなく、昔昔からオペラ作曲家、台本作家たちがやっていたことだと思うのですね。娯楽作品の代名詞のように言われる「アイーダ」だって、普仏戦争で勝利したプロイセンへの揶揄だと言われる部分があります。オペラが世相の暗喩でもある、という状態が本当に終わるのは、ヴェリズモくらいではないでしょうか。 絵画だってずーっと「読む」ものであり、ただ見て「楽しむ」ようになったのは印象派以降。オペラもそれとパラレルではないかと思うのです。というようなことを、今月から「音楽の友」誌で始まる連載「オペラで知るヨーロッパ史」で書いていこうと思います。よろしければぜひご覧くださいませ。
May 2, 2020
5月になりました。 今月もまだまだ、新型コロナ感染防止のための自粛月間が続くようです。 3月以来、ツアーや講座講演の仕事が一切合切なくなって、しばらくは呆然とし、気持ちがなかなか落ち着きませんでしたが、ようやく少し肚が据わってきて、この期間を有効に使おうと前向きに捉えることができるようになりました。 そうなって真っ先に思い浮かんだのが「自分の棚卸し」。 その一環として仕事部屋の片付けもやりましたが、その延長線上で取り組んだのが、先月投稿していた、これまで影響を受けた演奏を振り返ること、そして、これまで読んで感動した本を読み返す、ということでした。 今、Facebook(やツイッター)で流行している、「7日間ブックカバーチャレンジ」というチェーンがあります。自分の好きな本のブックカバーの写真を、7日間投稿するという内容です。1日ごとに(可能なら)次にバトンを渡す方を指名する、というルールもあります。 知人からバトンをいただき参加しましたが、これは私にとってグッドタイミングな企画でした。7冊にとどまらず、色々ひっくり返すことになったからです。 考えてみると、私が人生でおそらく一番時間とお金を注ぎ込んできたのは、「本」と「音楽」と「旅」。 このブログも、4月は「音楽」でしたので、今月は「本」、そして来月は「旅」をテーマに、毎日更新する、という目標を立てました。 ですので、5月は、「人生が変わったこの1冊」をテーマに、ブログを書いていこうと思います。 よろしければ、お付き合いください。 1冊目は、若桑みどり「クアトロ・ラガッツィ」です。自粛期間が始まって、真っ先に読み返そうと手に取ったのがこれでした。大作なので、普段はなかなか読み返すことができないからです。 これはfacebookにも投稿しましたので、それを編集して投稿します。 「クアトロ・ラガッツィ」は、16世紀の末に、日本に宣教にきたイタリア出身のイエズス会の宣教師ヴァリニャーノが、九州のキリシタン大名たちを説得して企画した「天正少年使節」の足跡を、その前後を含めて辿りながら、当時の日本とヨーロッパ世界の邂逅を、その後の日本の運命を見つめる大作です。 著者は有名な美術史家。イコノロジーの研究で知られる方で、ミケランジェロに熱心に取り組みました。なぜその方が「天正少年使節」を取り上げたのか、その理由は「プロローグ」に率直明快に書かれています。「ミケランジェロの本質がわかってきた」ことが「むなしかった」。なぜなら「彼は白人男性で、16世紀のイタリア人であり、私は現代の日本人だからだ」。そして著者は「日本人として西洋と日本を結ぶことを研究したい」と痛切に思ったのです。(西洋の文化を研究したり実践したりする方の多く、特に戦中や戦後すぐの生まれの方の多くが、同じようなことを思われるのではないでしょうか。小澤征爾さんもそんなことを書かれています。) 船に乗ってイタリアまで出かけた最初の留学の時、著者は船内でヴァチカンに向かう日本人留学生と一緒になります。彼らは「とても静かで、とても日常的だった」。爽やかな佇まいだったらしい。「外国に行く興奮で日本人留学生が緊張しきっていたのに、船の上で彼らがあんなにも平安だったのは、彼らが外国にではなく、その祖国に向かっていたからだ」。そしてそれは、天正少年使節の手記と重なるのでした。「かつてローマに行った少年たちの手記が、彼らがいつもとてもおだやかで平和だったと書いているように」。 最初の留学から34年後、著者は再びヴァチカンの図書館で、「東アジアのキリスト教布教についての第一次資料」を探していたのでした。 「私はずいぶん旅をしてきた。でもこれでほんとうに私がやりたかったこと、知りたかったことが書けた。この主人公は私と無縁ではなかった。彼らは描かれたばかりのミケランジェロの祭壇がを仰ぎ見、青年カラヴァッジョが歩いた町を歩いたのだ。ローマの輝く空の下にいた4人の少年のことを書くのは、まるで私の人生を書くような思いであった。島国日本を出て広大な異文化の世界を行く船の旅はあらゆる意味で私の生涯の転換点であった。ローマのコレジオに留学する3人の若い神学生の輝く青春の姿が、天正の4人の少年にいつも重なって見えた。アジアからヨーロッパへ行く船の上に、彼らといっしょに、青春のさなかにあった自分の姿もまた重なって見えたのである。そして日本に帰ったあとの4人の少年の苦悩と苦難のいくぶんも、私のものであった。なぜならこの4人の運命は日本の運命にほかならないからである。そのことはこの本の最後のページをおかれたときに読者にはおわかりになるであろう」。 けれどこの本の目的は、彼らを描くことだけではありません。この本の真のテーマは、「人間は異なった文化のあいだの平和共存の叡知を見出すことができるだろうか。それとも争い続けるのだろうか」ということなのです。 16世紀の末、信長によって開国の可能性〜と言ってもそれは信長の世界帝国という野望のためなのですが〜がよぎった日本を舞台に、ルターの宗教改革によってヨーロッパで追い詰められ、世界に布教の活路を見出したカトリック教会の日本との邂逅、彼らがみた(戦国時代だったこともあって)貧しく、残酷で、けれど高潔でもあり、清潔好きな日本人の観察、日本におけるカトリック教会のイエズス会とフランシスコ会の対立、信長の野望、秀吉の野望と残酷、キリスト教を「ホロコースト」のように弾圧し、その血の上に強固な幕藩体制を築いた徳川幕府、その激動の時代を生きた、「天正少年使節」の4人の少年の明と暗。彼らはローマで「日本の王子」として最高の待遇を受けますが、その背後にあったのは死の直前にあったローマ教皇による政治利用でした。様変わりした禁教令下の日本ー彼らのバックにいた信長は、彼らの出発数ヶ月後に本能寺で死にましたーに帰国した4人は、秀吉と面会後に司祭になりますが、みな迫害を受け、あるひとは殉教し、あるひとは追放され、あるひとは棄教します。光と闇の人生。華々しい光と闇を経験したという点では、彼らの人生はマリー・アントワネットやジャンヌ・ダルクと同じなのです。歴史は、平凡な日本の少年たちに、かくも大きな役割を与えました。 この1大絵巻を、著者はローマ、マカオ、ゴアと、少年たちの足跡を辿りながら徹底的に一次資料を調べ、時に大胆な推測を巡らせて、生き生きと描いていきます。「本能寺の変」の背後に朝廷がいたのではないか、とか、ローマで教皇に面会できたのが4人のうち3人だったのは「東方からの三王」を再現したいという教皇の意図だったとか、著者の推論だと思うのですが、大変魅力的です。何より、著者が彼らと人生を共にし、泣いたり笑ったりしているのが魅力的なのです。(ちなみに原田マハさんのベストセラー小説「風神雷神」に登場する、信長がローマ教皇に寄贈した屏風も登場します。原田さんはこの本に触発されて「風神雷神」を書いたようです。) 著者が一緒に生きているのは4人の少年たちだけではありません。若桑氏は、信長にも秀吉にも宣教師たちにも名もなく貧しい日本のクリスチャンにもローマ教皇にもフェリペ2世にも、同じ高さで視線を向けます。この点もまた、本書の大きな魅力になっています。 全体を締めくくる以下の言葉は感動的です。どの人間をも平等に慈しむ著者の姿勢がひしひしと伝わってくるからです。 「私が書いたのは権力やその興亡の歴史ではない。私が書いたのは歴史を動かしてゆく大きな力であり、これに巻き込まれたり、これと戦ったりした個人である。このなかには信長も、秀吉も、フェリペ2世もトスカーナ大公も、グレゴリオ13世もシスト5世も登場するが、みな4人の少年と同じ人間として登場する。彼らが人間としてすがたを見せてくるまで執拗に記録を読んだのである。時代の流れを握った者だけが歴史を作るのではない。権力を握った者だけが偉大なのではない。ここには権力にさからい、これと戦った無名の人びとがおおぜい出てくる。これらの少年たちは、みずからの志をもってそれぞれの人生をまっとうした。したがって彼らはその人生においてヒーローだ。そしてもし無名の無数の人びとがみなヒーローでなかったら、歴史をたどることになんの意味があるだろうか。なぜならわたしたちの多くはその無名のひとりなのだから」 Viva 若桑みどり。 本の詳細は以下でご覧ください。 若桑みどり「クアトロ・ラガッツィ」
May 1, 2020
小説は好きなのですが、読む分量はささやかなものです。「時間がない」というのが(おろかな)いいわけでしょうか。つい仕事関係の資料とか、「役に立つ本」(=味気ない本)を優先させてしまいます。 たまに気分転換に、気楽なものを読むくらいでしょうか(最近だと小川糸さんの「食堂かたつむり」とか。これはほんとの息抜きでした)。こんなに手早く、別の世界に連れて行ってくれるものはないのにね。 久しぶりに、別世界に連れていってもらいました。 川上弘美さんの「真鶴」(文春文庫)です。 川上さんは、かなり幅広いファンを持つ作家ではないでしょうか。 玄人筋?の評価も高いし(受賞歴の多さよ!)、女性ファンも多いようです。 異界とこの世を行き来するような内容が、川上文学の大きな特徴ですが、そうでないものももちろんあり、代表はベストセラーになった「センセイの鞄」でしょう。 個人的には、異界に連れて行かれるような内容のものは得意ではなかったのですが、その路線をきわめたともいえる「真鶴」は、おもしろく読むことができました。 夫に失踪された女性が、真鶴半島で「幽霊」に導かれる経験を繰り返すうちに、自分を取り戻していくという物語です。 「幽霊」とのかかわりのくだりが、よく理解できたわけではありません。 なによりすみずみまで呼吸しているような文章が、ここちよかったのです。 短いけれど余韻があり、やわらかくて、墨絵のようでいて色があり、深い。 読んでいるというより、文章をさわったり嗅いだりしている気分を味わいました。 著者はたしか俳句をよくしたと思いますが、そのあたりの経験もとても生きているのだろうと思います。 描かれているのは、狂気に近い状態ではないかと思います。けれどそれをそう感じさせず、やさしい目線で治癒の過程を描く。手まひまをかけながらそれを感じさせない自然な味の出汁を使った料理のような、心地のよい後味が残りました。
March 7, 2010
堤未果さんの『ルポ 貧困大国アメリカII」(岩波新書)を読みました。 前著『ルポ 貧困大国アメリカ』は、エッセイストクラブ賞、新書大賞などをとった名著。米国のアムネスティや野村証券などで働くキャリアだった著者は、9,11の衝撃から文筆業に転じた才媛です。 格差社会アメリカを鋭く突いた第1巻の内容もなかなかに衝撃的でしたが、この第2巻はさらにショッキング。「学費」名目のローンに巻き込まれ、借金地獄に陥る若者たち、そしてさらにすさまじいのは、民営化された刑務所が、廉価な労働力の供給所になっている、という話でした。 NYからホームレスがいなくなり、治安が良くなったとされるのは、彼らが軽犯罪者として刑務所に送られた、という背景があるらしい。 これは、現代の奴隷制度ではないでしょうか。 その背景にあるのは、相も変らぬ大企業と政府の結びつきです。オバマ時代になっても、どうやらその性質はまったく変わっていないようです。 例の医療改革が挫折したのも、やはり大企業との関係からのようでした。まあこれは予想されたことですが。 日本がこの徹を踏むことがないよう、祈るばかりです。 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AB%E3%83%9D-%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB-II-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9C%AA%E6%9E%9C/dp/4004312256/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1267239096&sr=1-1
February 27, 2010
野中広務氏と辛淑玉氏の対談形式による、「差別と日本人」(角川oneテーマ文庫)という本が、売れているようです。 ある新聞で、30数万部売れているという記事を見ました。 私はかなり前に買って読みましたが、個人的にはたいへん興味深く、またお2人の人生に想いをめぐらせながら読んだ本でした。 賛否はあると思いますが、多くの方に読んで欲しい本ではあります。 ところで、この本のなかで、主要なテーマとは多少違う部分なのですが、気になっているくだりがあります。 野中氏の発言ですが、小泉元首相の訪朝と、拉致被害者の帰国問題についてです。 まず、小泉さんが訪朝のときに、先方で出されたものに何一つ口をつけなかった、すべて日本からもっていったものを飲み食いしていた、という点にふれ(すごい話ですが)、続いて、 「2001年に5人、そして2年後には子どもたちやジェンキンスさんらを帰国させた。これらの見返りとして、北朝鮮側はある条件を出してるんですよ。ところが、日本はそれを何一つ履行していない。そのため、北朝鮮側でその時に中心になった人物がいま非常に厳しい状況に追い込まれている」 というのです。 にわかには信じがたい話ですが、本のなかでオープンにしているのですから、根拠のない話ではないのでしょう。 もし本当なら、そして未解決のまま残っているなら、負の遺産ということになりかねない。 (本当は、どこかのジャーナリズムで追及して欲しいのですが・・・) 民主党政権がこの問題をどう扱うのか。ひそかに、注目しているところです。 これもまた、負の遺産ではな
October 1, 2009
黛まどかさんと茂木健一郎さんの共著「俳句脳」(角川oneテーマ21)を読んでいて、印象に残った言葉です。 (黛さんの文章から) 「より多くの選択肢を持って握力強く生きることが勝ち組のように言われる昨今ですが、私は決してそうではないと思っています。たとえば今の女性を見ていると、恋愛をいくつもして、結婚して、子どもを産んで、仕事も続けて、旅行もたくさんして、おしゃれをして、美味しいものも食べて、できればもう1回くらい結婚して・・・などとフルコースにおまけがつくような人生を夢見ているひとが少なくありません。何もかも手に入れることが勝ち組なのだと・・・もともと人生に勝ちも負けもないのですが、しかし私にはとうてい彼らが勝ち組とは思えません。確かに選択肢の多い人生は一見豊かに見えます。親が決めた相手と結婚して一生涯その家に仕える人生など、今の女性には考えられない話でしょう。しかし、お金に余裕があって年中海外旅行をしていれば見えるものが増え、より豊かな人生を送っているといえるのでしょうか。旅先にあっても、「日常の目」でしかものを見ていなければ、得るものは少ないでしょう。」 共感&反省を感じた言葉でした。 ここに書かれている「勝ち組人生」は、消費社会とそれに追随する(しなければ生きていけない)メディアが作り出している幻想でもありますが、それに踊らされてしまいかねないことが怖いです。
May 15, 2009
このところ、「ヘンデル」について調べる必要があり、ちょこちょこ本を読んでいます。 日本人研究者の書いたいわゆる伝記ですと、故渡部恵一郎氏の「ヘンデル」(絶版)、現役ヘンデル研究家の最高峰、三澤寿喜先生の「ヘンデル」があります(いずれも音楽之友社)。 2冊とも、内容豊富、文章も読みやすく、充実しています。とくに渡部氏の文章は物語性に富み、読物として読んでも面白いものでした。 この手の本、もっと読まれてもいいと思うのですが、「ヘンデル」と題した時点で、ヘンデルのお勉強の本、ととられてしまうのでしょう。 予想外(失礼)に面白かったのは、丸本隆氏編「オペラの18世紀」(彩流社)と題された1冊です。 ずっと本棚に眠っていたのですが、ぱらぱらとめくってみると、今はあまり顧みられない18世紀のオペラ作曲家たちのことが独自の視点で書かれていて、「へえ」の連続でした。 文章も、編者の丸本隆氏、「怖い絵」などの本で話題の中野京子氏を筆頭に、含蓄に富み、切れ味もある筆達者なひとが多いようです。 けれど残念ながら、この本が評判になった、という記憶はあまりありません。 私にしてから、2003年にこの本が出版されたときに、ある方から贈られたものの、恥ずかしながら手にとっていなかったのですから。 なぜ、この本を敬遠していたのか。 ひとつは「タイトル」だと思います。 「オペラの18世紀」だと、ばくぜんとしすぎているような気がします。少なくとも、このタイトルだけ見て、文章も含めた中身の面白さを想像するのは難しい。 今、新書などで、「外見は大事」的なテーマのものがかなり売れていますが(「人は見た目が9割」など)、本のタイトルには、「見た目」以上のものが必要なように思えてなりません。
May 7, 2009
アンコール本、印象に残ったものをもうひとつ。 19世紀にアンコールを「再発見」したと位置づけられている、フランスの探検家アンリ・ムオの「インドシナ王国遍歴記」(大岩誠訳、中公文庫ビブロ)です。 ムオは、ちょうど19世紀半ば、おもに動植物の研究を目指してインドシナ半島へわたり、シャム(タイ)、カンボジア、ラオスを3年にわたって踏破。最後はラオスで熱病にかかって世を去りました。 かなりの長編で、飽きることを覚悟して、読みやすそうな部分から飛ばし読みで読み始めたのですが、引き込まれて何度も読み返しました。 予想外の面白さの原因は、著者本人の魅力、だと思います。 冒険心、好奇心に満ち(このあたりは、冒険家なら当然なのでしょうが)、前向きで闊達で、自然を限りなく愛し、現地に溶け込み、 一方で、情報を収集し、地図を作り、歴史を調べと、実際的な仕事も忘れない。 過酷なジャングルの道なき道を進みながら、周りの美しさに見とれる心の余裕。 蚊や蛭の攻撃でさんざんな目にあいながら、それでも奥地に惹かれてしまういきいきとした情熱。 その心のありようには、つくづく魅せられてしまいました。 「蝶々夫人」の原作のひとつとなった日本滞在記「お菊さん」を書いた、同じフランスの作家ピエール・ロティのシニカルで不快な目線と比べたら、すばらしく健全です。 後年の冒険家が、現地ではムオの評判がとてもいい、と報告している理由が分かるような気がします。 そのムオは、アンコール・ワットを「魂はつぶれ、想像力は絶する。ただ眺め、賛嘆し、頭の下がるのを覚えるのみ」、(その作者は)「東洋のミケランジェロ」だと絶賛しています。 ムオの直前に、同じフランスのブイユヴォー神父(宣教師としてシャムにいたひと)が、アンコール遺跡に到達し、そのことを報告していました。 けれどムオのように、その芸術的な素晴らしさへの驚嘆を綴ったわけではなかったようで、そのためにムオは「アンコールの再発見者」と位置づけされているようです。 いや、面白い本には、いろんな理由があるものです。「らい王のテラス」とはまったく次元の異なる面白さに、ムオの本で出あうことができました。 写真は、ムオを驚嘆させた、アンコール・ワットの朝日。ムオならずとも、驚嘆します。
March 27, 2009
もうひとつ、本の話です。 今回の旅では、ヴェトナムも訪問することになっています。 個人的にはアンコ-ル・ワットだけでもいいのですが、一緒に行く連れ合いが、「遺跡だけではつまらない、自然の景観も見たい」というので、ヴェトナムの「ハロン湾」を付け加えたのです。 アンコール遺跡とハロン湾、という組み合わせは人気があるようで、ツアーも沢山出ていました。 ちなみに私たちが選んだのは、「2名催行、毎日出発」という、限りなくフリーに近い形態のツアー。飛行機、ホテル、主な観光がついて、現地係員に案内してもらうという形です。 さて、急遽行くことになったヴェトナム、何の知識もないのですが、地図を見るとずい分南北に長い国。 気候も、北と南ではかなり違うようで、北は四季があるが、南は完全に熱帯、とききました。 ハロン湾は北なので、今回は北にある国の首都、ハノイに泊まることになっています。 人によると、ヴェトナムは北より南、とくにホーチミン(旧サイゴン)が、活気があって面白い、そうです。 経済発展の中心ということで、中国でいえば上海のような感じなのでしょうか。(中国も未踏ではありますが。) サイゴンを舞台にした小説として、開高健の「輝ける闇」があります。 開高も、一時はまった作家でした。はまったというより、大げさにいえば日本文学を読むようになったきっかけが、開高の「夏の闇」だったのです。 その時私は中学生でしたが、読書といえば、家にあった「少年少女世界名作全集」が中心で、子供向けの翻訳ものや、「風と共に去りぬ」というような作品を読んでいました。 そういう世界からすると、国語の教科書に載っていた日本の名作といわれるものは、なんとなくスケールが小さいような気がしたのです。 けれど「夏の闇」には度肝を抜かれました。 内容の過激さ(子供にとっては。性と食と眠りの話に終始)もですが、何よりボキャブラリーの豊富さに圧倒されたのです。 日本語って、こんなに表現力のある言葉だったのだ、と、衝撃を受けました。 それから、多少は、日本の現代作品もかじるようになったのです。 「輝ける闇」は、「夏の闇」の前段階の物語として構想された作品で、作者自身がヴェトナム戦争(南側)の従軍記者をつとめた経験をもとにしています。 強烈なのは、やはり表現。熱帯のねっとりした空気、熱をはらんだサイゴンの緊張と倦怠、ジャングルの咆哮・・・ けれど「夏の闇」ほどショッキングではなかったのは、開高の持ち味のせいかもしれません。 開高は、ある意味、メッセージ性は薄い作家といえるでしょう。 初期の「パニック」や「裸の王様」では、かなりメッセージ性を感じますが、しだいに内から湧き上がってくるものが薄れ、自分を駆り立てて、ヴェトナムへ出かけたり、後年には釣りに熱中して世界中をかけまわったりし、その経験を、過剰な表現で飾りました。 「夏の闇」は、表現が勝りに勝った極北的な作品である、と思っています。 それも、作家のひとつのいき方ではあると思いますが。(かなり苦しかったのではないか、と想像してしまいます)。 やはり、三島と比べてしまうと(比べるのはおかしいかもしれませんが)、表現の過剰さが浮いてしまうのです。 「輝ける闇」のような題材、背景があれば、一大大河物語を練り上げることも可能でしょう。 けれど開高は、そういう作家ではなかった。 それでもやはり、「輝ける闇」に出てくるサイゴンは魅力的です。 開高が、「空気」を書きたい、といっていたのをどこかで読みましたが、その意図は、十二分すぎるほど果たせていると思います。 その表現力には、ただただ感服するばかり。 サイゴンのねっとりした空気、いつか経験してみたいものです。
March 27, 2009
「アンコール・ワット」へ行こう。 思いついたのは、今年に入って、新聞広告で安いツアーを見つけたのがきっかけでしたが、憧れは、小学生の時からありました。 自宅にあった1冊の写真集に、釘付けになってしまったのです。 椰子の木を従え、密林のなかに眠る大伽藍。 その建築の美しさに、心を捉まれました。 けれどその後、長い長い戦いの年月。とうてい行けるところではないと、諦めていたのです。 それがここ数年、ずいぶんとツアーを見かけるようになり、思い立った、というわけです。 せっかく行くからには、多少とも知識?を持って行きたいと、直前にアマゾンで本を買い込みました。 そのなかで、強烈な印象を受けた1冊が、三島由紀夫の「らい王のテラス」でした。 アンコール・ワットに隣接する大遺跡、「アンコール・トム」にある、「らい王のテラス」にヒントを得て着想されたという、3幕の戯曲です。 「らい王のテラス」は、「らい王」とされる石像が置かれた石造のテラスですが、三島はここを1965年に訪れ、石像を見た瞬間、「この戯曲の構想がたちまちなった」と、「あとがき」に記しています。 読み終えて、「構想がたちまちなった」という言葉に、深くうなずいてしまいました。 三島は、この「らい王」を、アンコール・トムを建造したジャヤヴァルマン7世と想定し、若く美しかった王が、アンコール・トムの中心寺院である「バイヨン」を建造しようと思い立つと同時にらい病(=ハンセン氏病。「らい」という言葉は今はタブーですが、作品の名前を生かしたいのでこのまま書きます)にかかり、病が進行するなかで寺院の完成に執念を燃やす物語を創り上げました。 ちなみに事実はまったく異なるようで、「らい王」の像はジャヤヴァルマン7世ではないようですし、彼が「らい」であったわけでもないようです。 けれど、そんなことは、どうでもいいのです。 三島が書こうとしたのは、歴史でも事実でもないのですから。 ここにあるのは、まがいようもない三島の「作品」です。らい王もバイヨンもカンボジアも、それを生ましめた触媒でしかありません。 三島の美学の一部である、滅びの美や、肉体と精神の葛藤といったテーマが、「らい王」の石像に出会ったことにより、ひとつの形をとった、ということなのです。 「作品」が生まれるということは、こういうことなのだ、と、納得してしまいました。 三島作品は、そう得意ではありません。最後まで緊張感を失わずに読み通せたのは、「金閣寺」くらいでしょうか。挫折した作品もずいぶんあります。 けれどこの、小品に属するだろう戯曲には、圧倒されました。 創作者に内在するテーマが、すみずみまで美しい文章(とても絵画的!情景が次々と眼に浮かんできます)という衣をまとってうかびあがる、その濃密さ。 文章だけだって独立できる。けれどここでは文章は、手段でしかないのです。 いまさら、ですが、天才にしかなしえない仕事を垣間見た、そんな1冊でした。 写真は、三島にインスピレーションを与えた、アンコール・トムの同名のテラスのある「らい王」の像。これはレプリカで、本物はプノンペンの国立博物館にあるそうです(未見)
March 27, 2009
今日からまた、旅です。 といっても、今回は仕事も音楽もぜんぜん!関係なし。 子供のころ、写真で見て憧れていた、「アンコール・ワット」が目的地です。 長い内戦が一応終わって10年。ようやく、ツアーが花盛りになりました。 ところで、旅に出ると、機内の楽しみは「読書」。 ふだん、仕事の本で手一杯で、なかなか小説など読む時間がないので(要するに不器用なのです)、機内の時間はなるべく、空港の本屋を漁って、読みたい!と思った本にあてています。ああ、至福の時間。 今回、空港の本屋で手に取った一冊が、角田光代さんのエッセイ「しあわせのねだん」(新潮文庫)でした。 ふだんの昼食やら電化製品やら旅先のコーヒーから、いろんな「ねだん」を切り口に、角田目線で世のなかをながめるエッセイです。 こういう言い方は失礼、ということをじゅうじゅう承知のうえで言いますが、「うまくなった!」というのが第一印象。 無駄な言葉がなく、さりげないようで切り込みが深く、面白い。 著者の自画像も見えてくるし、世のなかの面白さも見えてくる。 以前感じた、ややニヒルなかまえも薄れ、気持ちよく読める1冊でした。 だんだん、林真理子の境地?(このひとの小説は苦手ですが、エッセイはうまいと思います)、に近づいてきたかもしれません。 旅の多い身としては、取材旅行で行ったというオーストラリアのコーヒーの話が面白かった。 何しろ取材旅行なので、いつも人と一緒で、自分の財布を開かない。そうすると、その国がぜんぜんわからないままに終わってしまう。 なので、自由時間を作って、コーヒーを飲みにいき、少しだけその国を感じられた、というような内容でした。 旅に出る前にこのような本を読むと、これからの旅もいいものになるような気がするから、不思議ですね。
March 27, 2009
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