モモ

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2008年02月23日
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テーマ: 訪問看護(45)
カテゴリ: 看護
 日本死の臨床研究会 近畿支部研究会に参加した。京都宇治にある京都文教大学の学舎で行われた。私の住むところから、バス、電車を使って1時間ほどのところなので、比較的、近い方だ。近畿の緩和医療に関わるポスピスマインドを持った人が集まってくるというのは、私自身のマインドが高まる。同じ志の人と学ぶのが嬉しい。

 死ぬよりも怖いことは、自分ではなくなること。20年ほど前までは、癌による身体的な苦痛は人を別人にした。誰もが癌だけにはなりたくないと、言った。それは、自分を失う病気だったから。けれども、癌による身体的な苦痛のほとんどが緩和できるようになり、癌の患者様は、静かな時間ができ、楽になった。すると、自分の人生を思い、心を見つめる時間ができた。自分の行いの後悔や人からうけた腹立たしいことを思い出したり、医療者への期待も高まる。身体はのた打ち回らなくなったけど、心がのた打ち回っていると、ホスピスチャプレンの沼野氏は言う。身体的な疼痛、苦痛がコントロールをした上で、心の深い部分にある魂の叫び(スピルチュアルな痛み)を聴くことが心に寄り添う関わりである。人は必ず死ぬ。何で死ぬかはわからないけど、癌で死ぬのもいいかなと思えるようなケアは、きっと、できる。

 スピルチュアルな痛みのサインに気づくことは、気づこうとする緊張感がなければ気づかない。患者様は、いつもサインを送っている。看護師のセンスとか、感性とかではなく、緊張感である。どんなに慣れてきても忘れてはいけない。気づけばどう対応するか・・・このときに、センスや感性、看護のアートが必要だと私は思う。
 看護師として、痛みのケアができること、コミュニケーション技術がタイムリーにできること、自分が大好きであること、そして、自分自身が悲劇の主人公になっていないということが、緩和ケアをするものとして大事なことだと思った。

 午後から、文教大学 樋口和彦学長の特別講演の中で、心に留まったことを書き留めた。
「死と戦うことを英雄としてきたイメージにとらわれてはいけない。医師は、生を回復させることができる尊い立派だけれども、生かしえなかったときに受ける挫折と敵意を覚悟しなくてはならない。けれども、医師がそれをしているのではなく、人間がそのようにできている。医師が病気を作ったのではなく、ただ一人の同じ人間である。決して英雄ではない。」
 医師、看護師が、病気の人と人間として対等であることは、最も大事なことだと思う。

 終末期における心と魂のケアという、かなり重い研究会で、ちょっと、疲れたけれども学びは多く、私が日頃、参考にしている本の著者をされている方たちにも何人かお会いし、ご挨拶もできたことは、嬉しい。また、緩和ケアのためにご自分で訪問看護ステーションを立ち上げたシンポジストの看護師には勇気づけられた。明日からも頑張ろうって思う。

 お昼に近くの洋食屋さんに入って、有名な大きなクリームコロッケランチをいただいた。ものすごく大きなコロッケ・・・びっくりした。





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最終更新日  2008年02月24日 00時55分57秒
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