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死別と喪失からの再生を綴った「はなちゃんのみそ汁 青春篇」。2022年2月、文藝春秋から刊行しました。父と娘と食卓と 〜母を亡くした父娘の物語〜(日テレNEWS)「はなちゃんのみそ汁」から10年、喪失感やいじめと向き合った父娘のその後執筆中に参考にしたのが、亡き妻千恵のブログ「早寝早起き玄米生活」でした。このブログは、これからも僕が引き継ぎ、この場所に残すつもりですが、もう一度、過去に遡り、千恵の日記を振り返りたいと思っています。そこで、心機一転、引っ越します。新しいブログを開設することにしました。こちら→はなちゃんのみそ汁 Official Blogこちら→はなちゃんのみそ汁 番外篇このまま「楽天ブログ」をお読みいただいても、もちろん構いませんが、約16年分の日記は、初めてお越しになられた方にとっては、途方に暮れそうな分量です。引っ越し先では、千恵が綴った「早寝早起き玄米生活」(2006年12月〜)を少しずつ紹介していきます。公園を一緒に散歩するような気持ちでお付き合いいただければと思います。そのとき、千恵が何を考えていたのか。誰にどんなメッセージを伝えようとしていたのか。彼女の文章に、毎日ゆっくりと目を通しながら、家族の歴史を見つめ直し、未来を考える機会にしたいと思います。きっと、こうした作業は、僕にとってもレジリエンスにつながるはず。過去の日記にコメントを挟みながら、「はなちゃんのみそ汁 青春篇」に盛り込めなかった話や支えてくれた人たちとのエピソード、現在の僕と娘の日常なども織り交ぜたいと思います。まだ、千恵のブログを読めないままでいる娘にも読んでほしい。さっそく、娘が新しいブログをフォローしてくれました。娘に登録解除されないように頑張ります。家族で行った最後の温泉旅行はなちゃんのみそ汁 青春篇 父と娘の「いのちのうた」 [ 安武 信吾 ]
2022.03.19
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先週末、佐賀の山の中に住む陶芸家、太郎ちゃんのところへ行きました。ムスメと一緒に、さくらの写真を持参して。作ってくれた骨壷のお礼も兼ねて。さくらの死後、太郎ちゃんは祭壇も天然木で製作し、自宅まで運んでくれました。摘んだ野草を挿した小さな花瓶を持ってきて、遺影のそばに置いたと思ったら、「じゃあ」とすぐに帰るような男。寡黙で、酒を愛し、大のサッカー好き。葬儀の晩、自宅に寄ってくれたアビスパの久永選手を紹介したら、あれだけ会いたがっていたのに、真横に座っていたのに、緊張して何もしゃべれなかったらしい。そんな太郎ちゃんと、その家族と一緒に、太郎ちゃんが自分で作った家でご飯を食べるのが、さくらは大好きでした。その晩も、いっぱい酒を飲みました。ムスメも川で遊び、山を駆け回り、へとへとになって眠りにつきました。自然のエネルギーを体に浴び、元気になって帰りました。さくらが歌っている姿の写真パネルを置いてきました。これで、いつでも、この家の空気が吸えるね。太郎ちゃんの器にも囲まれ、よかったね。この村には、やさしい、あたたかい人たちがたくさんいます。行けば必ず、どこからか、みんな集まってきます。いつの間にか、みんなと仲良しになりました。養鶏の小野寺さん、カフェをはじめたカンちゃん夫婦、「瞳スーパーデラックス」の装丁を描いてくれた大江さん…。ぼくたち家族も、その仲間に入れてくれてありがとう。しばらくは月に2、3回は、ムスメと山に行こうかなと思っています。自分が飲む分のお酒は持っていきますので、旦那とムスメを泊めてください。迷惑でしょうが、お願いします。タカコさんのブログを読みました。http://www.takakonakamura.com/top.html「天使が飛び立った」と「ハナミズキ」です。泣けました。ありがとうございます。
2008.07.30
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保育園からの帰り道。車の中で、ハナミズキを口ずさみました。するとムスメから、「パパ、またママのこと考えよっちゃろー」「な、なんで分かったと?」「だって、泣きそうやもん。楽しいこと考えたほうがいいよ」「でも、ママのこと思い出してあげないと、ママがかわいそうやろう」「思い出すのはいいけど、悲しんだらいかん。ママを祈ってあげよう。朝と晩の祈りのほうが大事」さらに、こう続けました。「パパが泣いたら、はなちゃんも悲しくなるやん」「・・・・・」すまん。
2008.07.28
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高校生の娘が過去に風疹の予防接種を受けていたかどうかが分からなくなったので、母子健康手帳を取り出し確認していたところ、珍しく娘が興味深そうに横からのぞき込んできました。 1歳6カ月のページ。「子育てに困難を感じることがありますか」の問いに、ママが「何ともいえない」に丸をつけているのを見て苦笑いする娘。 「ちょうど、がんが再発したころやったけんね。ママは、はなを抱っこできんことが悲しそうやった」と理由を説明。 我ながら見事なフォロー。 さらにページをめくる。5歳まではしっかりと子育ての記録が書き込まれてあったけど、6歳からは白紙のまま。 それを見た娘が「ここで終わっとるやん。なんか涙が出てきた」 切なくもあったけど、母子健康手帳をテーブルの真ん中に置いて、久しぶりに親子でゆっくりと会話ができました。 「8年間の闘病、よくがんばったと思うよ」 「パパにとっては長かったやろ」 「どうして?」 「だって、ママもつらいだろうけど、家族も同じくらいつらいんじゃないの。つらいことって、長く感じるじゃん」 確かにね。 でも、つらいことばかりじゃない。あらためて娘に伝えようと思います。
2018.10.17
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きょうは、さくらとぼくの結婚記念日です。2001年8月5日。暑い日でした。あれから7年。古賀カトリック教会で式を挙げ、津屋崎のイタリア料理店「エンゾ」で、披露パーティーをやりました。司会は、アビスパの三浦泰年氏と久永辰徳氏。弟のケンちゃんとシンちゃんも歌って踊り、盛り上げてくれました。そうそう、ぼくが結婚指輪を式場に持ってくるのを忘れ、さくらはカンカンに怒ったよね。あんときは恐かった。ところが、その後、婚約指輪の代わりに買ったロレックスの腕時計を、今度はさくらが紛失。あなたこそ、ものを失うのは得意でしたね。葬儀を終え、ずっと探しているものがあります。さくらの結婚指輪が見つかりません。いったい、どこに保管しているのですか?ひょっとして・・・。保育園の帰り道、さくらが好きだった花屋の「アンジー」で結婚記念日恒例の観葉植物を買いました。遅くなったので、夜は、ムスメと一緒に、行きつけの飲食店「ふぁむ」で夕食。ここは常連客ばかり。冷凍食品などはいっさいなし。どんな料理も野菜たっぷりで、すべて、ママさんの手作りです。いつも、声をかけてくれる顔見知りのお客さんたちから、「がんばれ、がんばれ。はなちゃん、がんばれ」といっぱい元気をもらいました。六本松は人情のある街です。ここに住んでよかったと思います。本当によかとこです。ふぁむの特大おにぎりをほおばるムスメ
2008.08.05
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娘のはなと特別養護老人ホーム「ラ・ポール有田」(福岡市)で、講話をしてきました。「はなちゃんのみそ汁」上映後のアフタートークです。この1年で多くの場数を踏んだ娘。どんな質問にも、それなりに答えられるようになりました。イベント終了後は、出口でお礼のご挨拶をします。娘は、記念撮影を求められることが多く、目が合うと、涙をポロポロと流し始めるお年寄りもいらっしゃいます。ハグをして、しばらく話をして、握手をして。次の人も、同じように目に涙がいっぱい。娘は、とても良い経験をさせていただいています。ありがとうございます。[DVD] はなちゃんのみそ汁
2016.10.05
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今日は(も)おやすみ。 山でマイナスイオンを浴びてきました。 写真は、先日400円もする巨大なりんご飴を買ったはいいが、あまりのまずさに二舐めしただけで放心状態。 隣り合わせの子が食べていた50円の綿菓子を羨望の眼差しで見つめるムスメ。 高い物が美味しいとは限らないんだな。
2008.04.27
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会社の先輩記者、山形紀子さんが、インターネットの「西日本新聞読者プラザ」に、以下のようなコラムを書いてくれました。「魂は生きている」「ムスメに出会えたことは、私がこの世にいたという証だ。自分より大事な存在に出逢えたことは、私の人生の宝。私の人生の目的は、これだったのかな。かわいらしい彼女とは、またどこかで出会える気がする」ブログ「早寝早起き玄米生活 ~がんとムスメと、時々、旦那~」には、こう綴られています。さらに「ムスメと出会えたことに、あらためて感謝しつつ。最大で最強のサポーターちゃん、ありがとう。この世でしっかりあなたの幸せを見せてもらうからね!」と。そう願い続けてきた六本松さくらさんでしたが、33歳の若さで、11日の午後、永眠されました。8年前に乳癌を患ってからというもの、自然食に徹し、免疫療法を手掛けながら、自分の体をコントロールしてきたのです。赤ちゃんを授かったときも、随分と葛藤されたのでした。出産することで癌が再発したり、転移したりするのではないかと恐れたからです。しかし、自分がこの世に存在した証として出産に踏み切ったのでした。出産してからというもの、癌細胞は容赦なくさくらさんの体を蝕んでいきました。両肺、肝臓、肺のリンパ、骨…驚くほど癌細胞を抱え込んでしまったのです。これほどまでに癌に犯されながらも、さくらさんは底抜けに明るく振舞っていたのです。声楽を学んださくらさんは精力的に公演会を催し、講演もこなしてきました。3年前ほど前から書き始めたブログには、自分の思いを赤裸々に綴られています。そのブログを通して、私は多くのことを教わりました。いかなる難題が押し寄せようとくよくよせず前向きにとらえること。自分の人生は自分で切り開き、信じる道を突き進むこと。何より、生き抜くことが大切なのだと知らせてくれたのです。ブログには、彼女の強靭な精神力に裏打ちされた優しさが随所ににじみ出ていました。だからこそ、彼女の生き様は、癌患者のみならず、多くの人に勇気を与えてきたのです。友人が癌で先立ったとき、さくらさんはブログでこう記しています。「送り届けることに、決して慣れることはないけれど。でも、だからこそ、彼女たちのために、前へ進まなければならない。立ち止まってばかりは、いられないのだ。彼女は亡くなったけど、魂は生きている。私のココロの中に、生きている」14日、福岡市内で行われたお葬式に参列してきました。5歳になる愛娘のとても穏やかな表情が、切なくて切なくて仕方ありませんでした。貴女の身を挺してまでも伝えたかったココロは、愛娘の心に生き続け、さらに貴女を愛した私たちの心にも芽生えています。さくらさん、安からにお眠りください。(「西日本新聞読者プラザ」より転載)http://www.nishinippon.co.jp/webclub/noriko/2008/07/post-48.shtml山形さん、読んでくれていたのですね。ありがとう。
2008.08.28
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ゴーシ先生から教えてもらったヒミツのビーチ。食育一座で海に行った。子どもたちは大喜びだ。大人もジャンケンで負けた人が泳ぐことになった。海を目の前にすると、胸が高鳴る。血が騒ぐ。ジャンケンは勝ったが、結局、泳ぐのであった。大人が3人、下着のまま泳いだ。ぼくは勢いよく飛び込んだものの、パンツが脱げてしまった。立ち上がったら、尻が丸見え。子どもたちは大笑い。笑ってない子が1人いた。冷めた目をした、うちのムスメだった。経済学を学ぶ非営利な毎日海に行く途中、東京で講演だった内田姐さんから電話が入った。「『ここ』500部、会場で完売したば~い」すげえ。さすが、一座の看板女優。3万部突破は間近。定価1500円だから、会社の売り上げは・・・。社長。なんか、ちょーだい。浮き輪はいらんけど。【電動エアポンプ】レジャーシーズンに最適!浮き輪などにも使用可能♪ニモ うきわ 50cm下のボタンを1日1クリックしていただくとランキングに反映されます♪←ぽちっとな^^♪こちらも参加しています。クリックありがとうございます!クリック→人気ブログランキングへ
2009.04.22
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