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1月9日頃から目を開けなくなり、眠ったままになった父は、1月12日14時16分、妻、子供、孫に囲まれ幸せそうに先立ちました。末期がん患者の最後とは思えないほど、安らかに眠ったまま自然に息を引き取りました。癌宣告を受けてから3年4ヶ月。父自身は抗がん剤やモルヒネなど、自分の体に変調を感じながらも、それでも前向きに「生きること」に執着した。その間、新たな命も芽生え、父の周りは賑やかになった。最高に幸せな3年と4ヶ月・・・。この日記も告知の日から書いてきました。途中途中には父のメールなども盛り込まれていて、あらためて読み返すことで、父を思い偲ぶことができます。今日、気丈な母のもと、明るく和やかに葬儀を終わらせることができました。私たちも父とは最後まで涙を見せず、笑顔で、むしろ涙は出ませんでした。やれることはすべてやりつくし、父との絆もこの闘病期間で最大限にまで深まり、悔いなく、逆に清清しい気持ちで送ることができたからだと思う。もしかしたら悲しみはこれから徐々にやってくるのかもしれない。でもそのときは思い切り悲しみたい。父との40年間を少しずつ思い出しながら・・・父との会話を一言ずつ思い出しながら・・・思い切り涙を流そう・・・。私に生きることのすべてを教えてくれたお父さん。きっと毎日どこかで見てるはず。お父さんに笑われないように、今日からお父さんの娘らしく堂々と生きていこう。厳しい闘病生活、家族に辛い顔一つも見せずよく頑張ったね。お疲れ様でした。そして・・・ありがとう。
2009.01.18
父が末期がんになってから、普段では考えもしないようなことを真剣に考えるようになった。人間て一体なんだろう。何のために生きているの?人の幸せはどこで決まるの?いろいろな本を読んでみたりもしたけれど、結局正解はない。一人一人が生きていく中で見つけていくものなのだと。その宝探しそのものが「人生」で、つまずいたり、転んだり、時にはご褒美をもらいながら一歩一歩人生の意味を探し、歩いていくのだろう。だとしたら、人生の終幕はその人の「人生の集大成」である。そこで自分の人生をゆっくりと眺め、人として生まれた意味・幸せを実感してもらいたいもの。しかし、現実は難しい。生老病死が故の人生。「わが人生に悔いなし」と荘厳な死を迎えることができる人は稀であろう。父の場合もそうだ。今、この瞬間がもうたまらなく嫌で、「死にたい」「死なせてくれ」と叫ぶばかり。抗がん剤の副作用でかなり苦しかったときでさえ、「まだ死にたくない、生きる」とがんばっていたというのに。人生って何?生きるって何?何のために誰が人間をこの地上におとしたのか。誰か教えてくれませんか?
2009.01.09
在宅医療を始めてから2ヶ月。当初は次々に来る孫たちの顔を見ながら、楽しい日々を過ごしていた父でしたが、12月22日あたりから、なんだか様子がおかしい。訪問医療の先生に言わせると、「在宅医療の限界ですね。病院に行った方がいい」と進められました。確かにタンで苦しんでいても、自宅では吸引することもできず、ただただ苦しんでいる様子を見て、手や足をすすっているしかないのだから。母と兄、そして妹の私たちも決断を下し、24日に病院に入院することにした。訪問医療の先生が、救急で行った方がすぐにベッドに入れるとのアドバイスをくれたので、救急車をよび、イブの夜に(正式には23日の午前2時)入院。それからというもの、父の様態は見る見るうちに改善の方向へ。というのも、強めのモルヒネの点滴を打ったからだ。モルヒネを打ってからは、少しの間体調が良好になるという。その証拠に、急に起き上がって新聞を読んだり、食事もまともに食べ、大好きなプリンも。あの日、もうお父さんとしゃべることはないんだと涙したのが嘘のよう。でも、そんな日は長くは続かない。病室でお正月のお祝いをしても、おせちには口をつけないまま。すでに食欲はなく、表情もなくなっていた。現在、お正月から1週間。夜になると物凄い衝動に駆られるらしい。とにかく「怖い」のだ。いてもたってもいられなくなるぐらい、何かに追われているようなおびえた父の顔。これがモルヒネの副作用なのか。麻薬を打ちすぎて精神的に壊れてしまったのか。父の痛みをとることに必死になっていた私たちは、父の精神的な痛みはとることができなかった。このままだと父が壊れていく。今日から、モルヒネを少しずつ控えながら、ステロイド投与に移行した。どんな意味かは薄々分かってる。「お父さん、もうこれ以上頑張らなくていいんだよ」これが今の私の本音です。
2009.01.08
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