CoCo Pujer

2005.01.24
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きのうは、「地の人対話集会」というのに行って来た。

テーマは「宗教と医療」

10年来の大切な友人が、パネラーで話すというので、単純に彼女に会いたいという思いがあって、聞きに行った。

彼女は、鍼灸師として働く中で、西洋医学の側面からも患者さんをみる必要性を感じ、医学部に入り直し、現在は終末期医療に関わることを志しながら、東京女子医科大学で学ぶ。

友人がたどってきた軌跡。出会ったミッション。
そして現在の活動内容を淡々と語る姿に、頼もしさを感じ、妙に励まされた。

そしていっしょにパネラーをされた、牧師さんのお話が、これまた感慨深かった。

牧師さんは、25年間、うちの近所にあるキリスト教の病院で、ホスピスのチャプレンとして、2300人の患者さん達を看取ってきた。

友人にしても、牧師さんにしても、「代替医療はその人にあったものならば、どんどん取り入れて行くべきだ」「但し、西洋医学を見下すのでなければ。」と強調されていたのも印象的だった。

そして、何よりも
「今、1人1人が健康な死のイメージを持つことが大事。」という言葉。

   死のノーマライゼイション。

   生が祝福されるなら、完了の時も祝福されて然るべき。
   寿命という素晴らしい言葉。

   死をタブーにしない。


・・・あ、言われちゃった。と思った。

私の中で、まだ、死はしっかりタブーだ。

それと裏表をなすように、
「育ててくれたおばあちゃんを看取れなかったこと」については、今でも、日常的に、朝夕、数え切れないくらい涙を流す。

これは、ちゃんと取り組まなきゃ行けないテーマじゃんか。と、突きつけられてしまった。

それは、自分のためだけではなく、
ほかでもない、自分の周りの大切な人たちを大切にするため。

「ホスピス」の理念というのは、
身体的痛み、社会的痛み、精神的痛み、宗教的痛みの4つの痛みを除くところにある。

牧師は、その中の宗教的痛み、精神的痛みを除くところを担当するわけだけど、病院に入院している人の多くは、キリスト教の信者ではない。

そのような死にゆく方々を前に、その人たちに対して何ができるか。

それは、そばにいるだけ。ただ見守るだけ。

話を聞く。希望にこたえる。

注目する。

忙しく動かず、じーっとそこにいる。

あとは、大事なのは、家族のケア。

あくまでも、同じ、1人の人間として、そばにいること。

だから、仰々しい牧師の格好はせずに、ふつうの背広姿。ふつうのおじさん。

聖書も頼まれたら読むけど、そうじゃなきゃ持たない。

一番、必要なのは、

「自分の健康な死のイメージをしっかりと築き上げている人間が、どこまでも同じ1人の人間として寄り添うことだ」と。

死がこわくて仕方ない私は、知人が死にゆこうというとき、ただ、固まるだけだった。

大切なおばあちゃんのときも。
かわいがってくれたおじちゃんのときでさえ。

とにかく何かしたくて、自分が楽になるためだけに、とんちんかんな高価な健康食品みたいなのを送ってしまったり(@~@)

死について、私は本当に、弱い。

「自分の健康な死のイメージをしっかりと築きあげておくこと。」

少なくとも、きのう出会った牧師さんや友人の、真摯に終末期医療(完成期医療と言う方がいいみたい。)のあり方を改革していこうとする方達の言葉、生き方に触れることができたのは、大きな希望だ。

そのせいか、
なんだか、今日は、とても元氣で力強い自分を感じている。



















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Last updated  2005.01.27 10:15:16


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