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コンドルの系譜 ~インカの魂の物語~
第八話 青年インカ(14)
【 第八話 青年インカ(14) 】
かくして、夜明けの陣営に戻ると、早速、アンドレスは彼の軍の主だった者を集めて軍議を開いた。
その中には、かつてトゥパク・アマルの相談役を果たし、今やアンドレスにとっても不可欠な補佐役を担っている老練の重臣ベルムデスは当然ながら、朋友ロレンソ、そして、女性ながらも既に一軍の隊長をつとめるマルセラらも参加していた。
アンドレスは、まだ興奮の余韻が冷めやらぬ眼差しで、集まった者たち全員を熱く眺め渡した後、力を宿した声で言う。
「ソラータの街中に立て篭もる敵軍を、水攻めで落とす!!」
ゆるぎない表情で、きっぱりと言い放つアンドレスに、周囲の者たちは、皆、目を見開いて息を詰める。
まだ戸惑いの中にある周りの者たちの反応を観察しながらも、アンドレスは、決然とした態度で立ち上がった。
そして、壁に立てかけられた地勢図に手を添え、混血児らしい淡い褐色の指先で、スッと、ソラータ周辺を流れる川の図をなぞる。
「この周辺の川を堰き止めて、その水を一挙にソラータに流し込む。
今度こそ、ソラータのスペイン軍を一気に叩き出せるはずだ!!」
いつにも増して勇猛な、やや攻撃的なほどの眼差しで、そう語りながらも、「ただし…」と、にわかに慎重な声になる。
「当然ながら、ソラータで人質となっている住民たちをも水攻めに巻き込むわけにはいかない!!
住民たちは、事前に救出する案を何としても練らねばなるまい。
が、それも、俺に既に考えがある」
その場に参集した兵たちは、唐突にアンドレスの打ち出した予想だにしなかった策に、まだ驚きを隠せぬ様子ではあったが、彼の言葉に真剣に聞き入りながら、ある者は思慮深い目になり、また、ある者は既に恭順の意を示して力強く頷き返す。
一方、今やアンドレスの副官にも等しき高齢の重臣ベルムデスは、アンドレスの打ち出した、大胆な、あるいは、見方によっては非常に無謀でさえあるその策に、さすがに即座には反応できず、無言のままに、微妙な表情で動きを止めていた。
(なんと、水攻め…とは…――!
そもそも、水攻めなるものは、莫大な労力と時間と、それに比例する巨額の費用がかかるものなのだ)
ベルムデスは年輪の入った褐色の指先で、無意識に顎を強く押さえたまま、さらに慎重な面持ちになっていく。
彼は、いつしか、心の中で、アンドレスに語りかけていた。
(アンドレス様、あなた様の意気込みは、とても良く分かります。
ですが、あなた様は、まだお若く、戦(いくさ)の経験も浅いのは否めませぬ。
此度の策とて、どこまで分かって、言っておられましょうか……)
ベルムデスは考え深げな眼差しのまま、アンドレスの方に視線を動かした。
かくして、アンドレスも、また、この老賢者の意見を待つかのように、少し離れた位置から、じっと視線を向けている。
ベルムデスは、そのアンドレスの視線を受けて、丁寧に身を屈めて礼を払った。
そして、屈んだ姿勢のまま、さらに思索を巡らせ続ける。
(だが…確かに、いたずらに敵の「籠城」の長引く今の状況を鑑みるに、これまで通りの包囲戦と通常の戦闘の鬩(せめ)ぎ合いのみでは、もはや埒(らち)が明かぬのも事実。
アンドレス様が、いかに奮戦されようにも、結局は、あの者どもの火器の威力には、我々の原始的な装備では決定打を与えきれぬのだ。
既に、このソラータの包囲網が敷かれて2ヶ月を超える。
これ以上、包囲戦が長引けば、ソラータに閉じ込められた住民たちが、その身だけでなく、精神的にも、限界に達する危険さえあろう。
それに、アンドレス様がソラータの住民に続けている補給にも、さすがに限度があろうというもの…。
確かに、もういい加減、最終決着をつけねばならぬ潮時ではあろう……)
ベルムデスは、やや俯きかけていた顔を僅かずつ上げながら、伏せていた瞼をゆっくりと開いていく。
(もはや妙案も無かった中…――水攻めは、当地の地形を鑑みても、天が与えた采配とも取れるか。
それに、水攻めなれば、あの者どもの火器の威力を萎えさせるにも有効。
そもそも、水攻めは、古来から、犠牲者を抑えるための策でもあるのだ。
それを思えば、アンドレス様らしいご発想でもある。
ふむ……リスクも多いが、やり方によっては、それを凌ぐ奇計たりうるやもしれぬ)
そう思い至ったベルムデスは、静かに、深く、頷く。
その様子に、アンドレスも無言のままに、鋭利になった横顔に光を宿して、力強く頷き返した。
こうして、ソラータの水攻め作戦が、いよいよ端緒につくことになった。
まずは、兵を総動員して、地勢図を元に実際に測量を進めながら、周囲の地形や川の位置、川からソラータまでの距離などを厳密に分析しつつ、川とソラータを結ぶ長大な堤防を築き、且つまた、川を堰き止めるために必要な工程及び必要な人員を割り出していく。
しかも、工事にいたずらに時を費やせば、敵に先手を打たれかねず、数日間という最短期間でそれらのとてつもない規模の工程を完成させねばならない。
しかし、そうなると、よりいっそうの人員の確保が必要であった。
それら種々の条件を勘案しながら必要な労力を割り出せば、優に十万人規模の人員を要することが明らかになってくる。
さすがに発案者のアンドレスも、見積りの割り出された書類を見下ろしたまま、その想像を超える莫大な規模に息を呑んでいた。
(我が軍の兵は、ロレンソやマルセラの合流した軍を合わせても、せいぜい2万と数千…。
10万人もの人員なんて、無茶だ…――そんなの足元にも及ばない……!!)
「アンドレス様、本当に、このまま水攻めの策を?」
周囲の兵たちにも、躊躇(ためら)いの色が濃厚になる。
そんな空気の中、迷いの色を浮かべはじめたアンドレスの背を軽く押すようにしながら、朋友ロレンソが言う。
「どうした、アンドレス?
もう、足踏みか?
確かに、かかる人員も労力も費用も、只ならぬ規模ではあるな。
だが、他に策も妙案も、あるまい。
ならば、このまま、思い切って、水攻めの計略を進めていくのが、今は得策なのではないのか?」
「ロレンソ…」
やや自信を弱めた眼差しで己を見上げるアンドレスに、ロレンソは、常に変わらぬ、あの大人びた眼差しで、否、今はもうすっかり真に大人の眼差しで、頷き返す。
(アンドレス、ここでは、他でも無い、そなたが大軍の将なのだ。
いかなる時も、そなたが毅然とした芯を通した態度を貫かねば、周りの者が惑うであろう。
時を争う今なれば、障壁を前にして躊躇うのではなく、そなた自身で思い立ったその発想を信じて、いかに障壁を乗り越え、策を前に進めるかに意識を向けてこそ、ではないのか?)
言葉にはせずとも、そう心で語りかけながら微笑み、まるで兄のごとくの眼差しで己の瞳を真摯に見つめるロレンソの姿に、瞬間、ふっとトゥパク・アマルの姿が重なって見える。
(トゥパク・アマル様……!!)
アンドレスは、ぐっと胸の熱くなるのを覚えながら、力を込めて拳を握り締めた。
そして、己を叱咤するように決然と顔を上げ、周囲の兵たちを見回す。
「このまま、今いる人員で、工事を続けてくれ。
この先のことは、必ず…必ず、方法をみつける…――!!」
その後、アンドレスは、どこか腹を据えた面持ちで工事現場へと向かった。
彼の後を、数名の衛兵たちが、急ぎ、追う。
川岸の工事現場では、初冬の蒼空の下、アンドレス指揮下の2万を超える兵たちが、熱心に働いていた。
やや高台になった場所に敏捷に駆け上ると、彼は、川岸に遥々と広がる工事現場の全容を見渡した。
兵たちは大きく二手に分かれ、一方は、ソラータの町と川を結ぶ全長数キロメートルに及ぶ大がかりな堤防を築く作業に臨んでいる。
そして、もう一方は、川に杭を打ち込み、土嚢(どのう)を積んで水の流れを堰き止める作業に没頭している。
まさに、この反乱はじまって以来の、壮大なる大土木事業であった。
これほどの大事業に対する人員としては、彼の元にいる2万と数千では、明らかに手が足りないのは、こうして眺めているだけでも、一目瞭然だった。
だが、これほどの大規模工事に、限られた人数で臨んでいるにもかかわらず、働く兵たちの表情は、苦痛を滲ませているというよりは、むしろ、生き生きと明るく輝いて見える。
しかも、工事現場のそこかしこから、活気溢れる掛け声が絶え間なく聞こえ、作業に勤(いそ)しみながらも、折々に上がる賑やかな喧騒が、風に乗って耳に心地良く響いてくる。
アンドレスは、何か胸に迫る思いで、眩しそうに眼下を見つめた。
そんな彼が見下ろす川岸の一角で、ひときわ高らかな掛け声と喧騒が上がっている場所があった。
何気なく、その闊達な賑わいの流れ来る方向へと視線を動かして、アンドレスは、ハッと目を見開く。
(あ!!
あれは…――!!)
彼の視線の先にいるのは、野性的な風貌に艶やかな黒い肌をした、一人の黒人兵だった。
川に足を突っ込みながら、逞しく日焼けした黒い肌を、さらに黒い泥にまみれさせ、天真爛漫な笑顔を輝かせて、周囲の兵たちを明るく仕切っている黒人の青年兵―――。
(あれは、ジェロニモじゃないか!!
どうして、ここに?!
そうか!!
マルセラの隊と一緒に、ここに移動してきていたのか!!)
思わず身を乗り出して、その黒人兵の姿に見入るアンドレスの胸は、懐かしさと歓喜に高鳴った。
黒人青年ジェロニモ――黒人にもかかわらず、スペイン人の元から脱走までしてインカ軍に参戦している義勇兵だが、かつてトゥパク・アマルの本隊にアンドレスと共に属していた時、大胆にも、身分も立場も桁違いのアンドレスに、直談判してきた兵である。
アンドレスの脳裏に、ふっと、あの晩のことがよぎり、彼は僅かに目を伏せた。
(そうだった…。
あれも、コイユールのことでだったっけ……)
あの時のジェロニモの声が、彼の耳元に甦る。
『アンドレス様、誤魔化さずにお応えください。
何故なのです?
何故、これほどに長い間、コイユールを放っておくのですか?
コイユールが、貧しい農民の娘だからですか?!
それとも、トゥパク・アマル様の目を恐れているのですか?!』
『さすがに、無礼ではないのか?!
おまえ…名は何と言う?』
『ジェロニモ…』
『ジェロニモ…君こそ、何故、ここまでする?
…――コイユールのことを、好きなのか?』
『アンドレス様、誤魔化さず、きちんと俺の質問に応えてください。
俺にとって、コイユールは大切な友です。
友として、俺は、これ以上、コイユールが苦しむ姿を見てはいられない…!!』
あの晩の情景を思い出すと、今も、少なからずアンドレスの胸は疼いた。
(あの時、ジェロニモは、コイユールのために、命を張って俺に進言してきたのだ。
全く、お節介なヤツだった…!
君に言われずとも、俺は、コイユールに気持ちを伝えていたに違いないのに…!)
横顔で僅かに苦笑しながら、内心で、さらに呟く。
(だけど、あの時、君に背中を押してもらったことは……認める。
それに、本当は、君自身が、コイユールのことを……)
アンドレスは伏せていた瞼をゆっくり開けた。
(トゥパク・アマル様から遠征を言い渡されたのは、偶然にも、君と出会ったのと同じ夜だった。
あれ以来、君とは会っていなかったが、まさか、こんな形で再会できようとは…!)
言葉にならぬ感慨を抱きながら、眼下の川岸で、周囲の黒人兵たちに威勢良く指示を飛ばしているジェロニモの姿を、アンドレスは視線で追い続ける。
彼は、独り微笑んで、胸中で呟いた。
(はは…案の定、仕切り屋だな…あいつ――!)
そんなアンドレスの視線に気付いてか、距離があるにもかかわらず、ふっと眼下のジェロニモが、こちらを見上げた。
そして、パッと顔を明るく輝かせて、「あっ!!」と、叫びを上げる。
「アンドレス様!!
アンドレス様じゃないですか――っ!!
俺ですよ!!
覚えてますか?!
アンドレス様、お会いしたかった――っ!!」
「!――え…っ!!」
自分の方に向かって、大きく声を上げながら、満面の笑顔で手を振り出したジェロニモに、さすがにアンドレスは驚いて目を瞬く。
その間にも、周囲の衛兵たちが、それこそギョッとして、「あの黒人兵…!!なんと無礼な!!」と、身をそびやかせた。
「いや、いいんだ!!
俺とは親しい間柄なんだ。
かまわないでやってくれ!」
アンドレスは衛兵たちを制すると、「…ったく、あいつ、相変わらずだ」と、半ば苦笑しながらも、いそいそと足取り軽く、ジェロニモたちが作業をしている方向へと高台を降りていく。
工事現場に姿を現した将たるアンドレスに、働いていたインカ兵たちは、皆、丁寧に礼を払っていくが、普段、彼との接点の薄い黒人兵たちにとっては、インカ皇帝の甥たる彼は、これでも雲上の人だった。
黒人兵たちは、恭順を通り越して、むしろ、緊張の面持ちで身を硬くしている。
そんな自分たち黒人兵の集団に、真っ直ぐ歩み来るアンドレスに、ジェロニモは、身を引きかけている仲間たちの間から一歩前に踏み出して、アンドレスに闊達な礼を送った。
そして、野性味のある面持ちに、以前と変わらぬ天真爛漫で親しみ深い笑顔を輝かせる。
「アンドレス様!!
お久しぶりです!!
お会いしたかった!!」
「俺も…!!
また、こうして会えるなんて…!!」
二人は、喜びを噛み締めた眼差しで、深く頷き合った。
それから、アンドレスは、周囲の黒人兵たちにも、真摯な視線で礼を払う。
この国の黒人たち――彼らは、スペイン人によるインカ帝国侵略後、白人たちによって、アフリカから無理矢理連れてこられた者たちの子孫だが、その生活状況や社会的地位は、貧しいインカ族以上に悲惨なものだった。
白人たちにモノ同然に扱われ、彼らを庇護する者は無く、永きに渡り、苦難の中に捨て置かれてきた。
しかし、此度の反乱の総指揮官トゥパク・アマルが、黒人たちの過酷な状況にも真正面から目を向け、インカ族の救済のみならず、黒人たちの自由と解放をも求めて立ち上がったことで、反乱軍には、彼の意志に賛同する多くの黒人たちが義勇兵として参戦していた。
戦況が進むにつれ、次第にインカ軍が劣勢になっていく中でも、多くの黒人兵たちは、なおトゥパク・アマルを信じ、彼に命をあずけて共に反乱軍に留まっていたのである。
種族を超えて、それほどに、深い絆で結ばれた者たち…―――。
「皆…――本当にありがとう……!!」
アンドレスの口からは、自然、そのような言葉が溢れ出る。
そんな彼の前で、黒人兵たちの緊張も次第に和らぎ、黒い顔の中で、生き生きとした笑顔が零れだす。
アンドレスは黒人兵たちの眼差しに感じ入りながら、やがて、真面目な面持ちになって問いかけた。
「皆、少ない人数で、こんな大規模な工事は…やはり大変だろう?」
「いや、まさか!!」
横から、またジェロニモの明るい声が響いた。
「アンドレス様、俺は、驚きましたよ。
何かと、まだるっこしいアンドレス様が、こんな、大胆で、思い切った策に踏み切るなんて!!」
「えっ…!」
ジェロニモの相変わらずのストレートな物言いにアンドレスが息を呑む間にも、彼の衛兵たちが頭から激しく湯気を立て、ジェロニモの胸倉を掴んで締め上げた。
「きさまっ!!
アンドレス様に向かって、何たる…っ!!
無礼にも、ほどがあろう!!」
一方、衛兵の豪腕に締め上げられているジェロニモは、それこそ全く悪意の欠片も無い声で、苦しそうに喘ぎながら言う。
「くぅ……ど…どうしてです?
俺…いい案だって…言っただけなのに…!!」
アンドレスは、すかさず衛兵を制した。
「やめろ!
放してやれ!!」
「し、しかし…!!」
「いいから、放すんだ!!」
納得しかねる表情ながらも、衛兵は、締め上げていた手を緩めた。
衛兵から解放されて、ふ~っと喉元を押さえて息をつくと、ジェロニモは、「おい!みんな、手を休めずに、休めずに!!」と、他の黒人兵たちに作業に戻るよう声をかけてから、再び、アンドレスに向いた。
「アンドレス様、俺は、本当に、この作戦は悪くないと思っているんです!
それに、あの、おっかねえ銃弾の飛び交ってる戦場で戦ってるのに比べりゃあ、どんなに大変な工事だって、天国ですよ!!」
そう言ってから、ちょっと声を低めて、アンドレスの耳元に顔を寄せた。
「アンドレス様、ほらっ!
あっち!
ちょっと遠いけど…!
よぉ~っく見てください!!」
「え?」
泥だらけのジェロニモの手が指し示す方向を振り仰いで、アンドレスは、「あ…っ!」と、小さく声を上げた。
アンドレスの視線の遥か先では、戦闘兵ではない女性たちが、明るい声を弾ませながら、いそいそと石や土を運んでいる。
「あれは…!」
「そうですよ。
普段は戦線に立たない者たちも、工事なら参加できる。
ほら、もっと、よく見て!」
笑顔のまま、ジェロニモは、瞬間、アンドレスを肘で小突いた。
「ね?
いるでしょう?」
「…――!」
咄嗟に頬を染めて息詰めて見入るアンドレスの視線の先には、案の定、熱心に石を運ぶコイユールの姿があった。
遥か遠くではあったが、作業に勤(いそ)しむ彼女の姿は、とても生き生きとして楽しそうにさえ見える。
実際、負傷兵たちの看護の合間を縫って、コイユールたち看護の女性たちも、此度の土木工事に加わって、他の兵たちと共に石や土を運んていたのだった。
この反乱がはじまって以来、ずっと負傷兵の看護に明け暮れ、負傷者の血肉と呻き声にまみれてきたコイユールにとって、冬の清冽な蒼天の下、健康な人々の中で全身を使って力仕事をすることは、とても新鮮な感覚を伴うものであった。
吸い込まれるように、そちらを見つめているアンドレスを、ジェロニモは朗らかな笑顔で見守りながら言う。
「アンドレス様、工事だったら、兵士じゃなくたっていい。
女だって、年寄りだって、子供だって、力を貸せるってもんです。
インカ軍に協力したいと思ってるのは、義勇兵になった者だけじゃあない。
ただ、それぞれに事情があって、軍には参加できてないってだけですよ。
俺は、運良く、白人のとこから逃げ切れたからココにいるが、そうでなきゃ、どれほど参戦したくたって、できやしなかった。
ね?
俺の言いたいこと、分かります?
この国には、表に見えないところに、まだまだ、人も戦力も残ってるってことですよ。
それを、どう生かすかは、全てやり方次第!
そこがアンドレス様の腕の見せ所!!」
「ジェロニモ……!」
漆黒の瞳を大きく見開いて、己の方を懸命に見入るアンドレスに、ジェロニモは、「でしょ?」と、あの懐かしい茶目っ気のある笑顔でウィンクした。
ジェロニモと別れたアンドレスは、考え深気な眼差しで長いこと工事現場を見回っていたが、川面が茜色に染まる頃、「よし!!」と力強く頷き、急ぎ、陣営へと踵を返した。
再び、軍議を召集した彼の中には、ジェロニモの言葉から、既に、ある案が浮かんでいた。
集まった者たちを見渡しながら、彼は真摯な声で語りはじめる。
「我が軍の兵力だけでは足りぬのならば、近隣の村人たちの協力を要請してみようと思う。
そして、協力してくれる者たちには、きちんと日当を払い、その労に報いたい。
水攻めであれば、兵器に回す分の資金も、少なからず浮かすことができるはずだ。
ソラータの住民へ続ける予定だった補給物資も、水攻め以降の分はいらなくなる。
それらを日当に回すことも可能だろう。
ソラータ奪還はインカの人々にとって、かねてからの悲願でもある。
その上、此度の工事は戦闘ではない。
義勇兵となってまでは参戦できぬ者たちでも、何らかの形でインカ軍に力を貸したいと思っている民は少なくないはずだ。
そうした者たちにこそ、広く呼びかけてみようと思う。
もちろん、俺自身が村々を回って、直接、民に呼びかけを行うつもりだ」
周囲の兵たちを見渡しながら力強い横顔で決然と語るアンドレスを、傍らでロレンソが、そして、少し離れた場所からベルムデスが、そっと目を細めて見守る。
かくして、はやくも、その日から、昼夜を問わず各地を回ってのアンドレスの呼びかけは開始された。
白人たちに奪われた我らのソラータを、今こそ自分たちの手で取り戻そう!!
そして、ソラータの囚われの住民たちを解放しよう―――!!
その力添えを誰もができる、というアンドレスの熱い呼びかけに鼓舞された近隣の村人たちが、やがて、老若男女を問わず、次第に当地に結集しはじめた。
それというのも、冬場にさしかかり、農民たちは彼らの農地から自由になれる時期であり――また、貧しい彼らにとっては、日当という冬場の収入は願ってもないことであり――つまりは、互いの利益が一致したという現実的な背景もあってのことだった。
さらに、アンドレスは、インカ族の者たちだけでなく、各地の当地生まれのスペイン人たちにも熱狂的に呼びかけを開始した。
スペイン渡来の白人たちによって苦しめられていたのは、決して、インカ族や黒人だけではない。
結局、この植民地生まれのスペイン人たちも――インカ族や黒人ほどではないとしても――同じ白人でありながら、スペイン生まれでないという理由だけで、相当に虐げられたままでいたのだ。
反乱幕開け後、トゥパク・アマルとモスコーソ司祭との対決が濃厚になるにつれ、キリスト教への反逆者扱いされることを恐れて、インカ側へ与(くみ)することに慎重になっていた当地生まれの白人たちではあったが、かといって、再び、スペイン側の植民地支配中枢部が優勢になったところで、彼らには、何も益するところはなかった。
そうした植民地生まれのスペイン人たちにとって、「インカ族の者だけでなく、インカの地に生きる全ての民に、自由と解放を!!」と、高らかに叫ぶアンドレスの訴えは――それは、そのまま、トゥパク・アマルの意志を完全に受け継ぐものであったが――彼らと同じスペイン人の血をも引く混血児アンドレスが訴えることで、いっそうの説得力を増して響いたのだった。
やがて、川岸の土木工事現場には、インカ族や混血児のみならず、現地生まれの白人たちも集まりはじめ、彼らは、皆、アンドレス軍に温かく迎え入れられた。
こうして集まった人々は、軍の専門兵たちの指揮のもと、ソラータの町と川を結ぶ全長数キロメートルに及ぶ大がかりな堤防を築きながら、一方で、川に杭を打ち込み、土嚢(どのう)を積んで水の流れを堰き止める大規模な工事を展開していった。
幸い、周囲には丘陵などの自然の堤防にあたるものも点在しており、大掛かりな工事なれども、人々の士気の高さにも強力に支えられ、工事は計画通りに推移していった。
そのような状況の中、アンドレスは、日々、土木事業に詳しい専門兵やベルムデスと共に工事現場に出ては、見回り、総指揮を執っていた。
近隣の各地から馳せ参じてくれた多くの人々の協力によって工事は順調に進み、さらには、この数日間は、天空の神々の采配のように、天候にも恵まれた日々が続いている。
それは、まるで、インカの天と地が、彼らの大事業の進展を庇護しているかのごとくでさえあった。
神々に感謝の思いを抱きながら、吸い込まれるように振り仰ぐ冬の高い天頂には、一羽のコンドルが逞しい漆黒の翼を広げ、巨大な弧を描きながら悠然と舞っている。
真昼の黄金色の陽光を巨大な両翼に受けながら、宙を切るように滑空するその雄姿に、アンドレスの胸は熱くなった。
トゥパク・アマル様が、見守ってくださっている―――!!
ふと気付くと、ベルムデスも、じっと上空を見上げたまま眩しそうに目を細めている。
(ベルムデス殿も、トゥパク・アマル様を思っているに相違ない……)
ベルムデスの横顔をそっと窺(うかが)いながら、アンドレスは、ふっと、先日のロレンソとの会話を思い出す。
『トゥパク・アマル様が、クスコの牢を脱出されたらしいのだ』
『トゥパク・アマル様が?!
それって、本当に…?!!』
『いや…あくまで、風の噂なのだ。
出所も、全く分からぬ。
ただ、トゥパク・アマル様がミカエラ様や皇子様がたを連れて、牢を抜けたらしい…と』
『トゥパク・アマル様が…牢を抜けられたかもしれない……!』
『ああ…だが、何度も言うようだが、あくまで噂にすぎぬのだ。
あまり、期待感を持ってはならぬ。
民の願いが…――皇帝陛下を救い出したいという人々の非常に強い切望が、そんな噂までもを生み出してしまったのかもしれぬ。
ただ…もし、皇帝陛下が囚われているままならば、未(いま)だ、処刑の日取りも何も、具体的なことが公示されないのは、むしろ不自然だとは思わぬか?』
アンドレスは、あの時の一連のやり取りを思い起こしながら、ゾクゾクと体の痺れるような激しい感覚に突き上げられた。
彼は、再び、蒼い天空を滑空する逞しいコンドルを振り仰いだ。
(トゥパク・アマル様!!…――あのお方なら、どのようなことでも成し得ると思える。
たとえ、厳重な牢を破ることさえ、トゥパク・アマル様なら……!!)
アンドレスは、にわかに高まってきた無性に確信めいた直観を噛み締めながら、輝くような瞳で毅然と前方を見据えた。
(トゥパク・アマル様、きっと、どこからか見ていてくださるのですよね?
待っていてください!!
必ず、ソラータ奪還の朗報を、あなた様の元に――!!)
◆◇◆ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。続きは、フリーページ
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