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今日(4月29日)は、史上初めての「昭和の日」だったようだ。そこで、何か昭和にちなんだものを探してみた。茶色い鉄製の羽根の扇風機(大正製?)があったはずだけれども、見当たらない。そのかわり幼児期、田舎ではまだ活躍していた?帽子をかぶった円筒形郵便ポストの貯金箱とか、タイガース’85V記念コップとか、有象無象のガラクタくんたち(笑)が色々出てきた。どれにしようか、プチ悩むなー…そうそう、昭和といえば、フランクはお子ちゃま。おもちゃの思い出も多い。そこでこれ!電子ブロック買ってもらったとき、小学1、2年だった。すべてのブロックが揃ったデラックス版の「EX-150」が欲しかったけれど、最初はたしか「EX-15」っていう、一番基本的なセットだった。結局、「EX-181:シンセサイザーセット」までパーツを増やしたけれど、そのときにはもう3、4年生になっていたかも。まだ小学生だったので、説明書の通りに並べるだけで、電子回路の勉強にはほとんどならなかった。笑一箇所、ブロックを反対に入れてしまって、煙が発生して焦ったことも…\(^:^)/科学大好き少年だったので、それなりに楽しかったけれども、自分で創作できる「LEGO」とかに、より熱中してたかな~。最近、この電子ブロックの復刻版が発売されたらしい。けれど、今は昔よりもずっとハイテクな楽しみが多いので、きっと、当時を懐かしむ大人にしか売れへんのとちゃうかな・・・
April 29, 2007

マイカー(R33スカG)にETC車載機を取り付けてみた。ネット(ヨドバシ)で買ったパナソニックの薄型ETC車載機(アンテナ分離型)車載機本体コンソールボックスの中に取り付けてみた。取り付けるとき、センターコンソールを丸ごと取り外して、電源とアンテナ線のコードが通せるように、穴を開けておいた。そして、専用ビスと取り付けプレートでしっかり固定。アンテナ兼小型スピーカは、ルームミラーの辺りに取り付ける。コードは、ウインドシールドの縁のルーフ内装に入れ込んで、ルーフピラー沿いに押し込んで、ダッシュボード横の溝から助手席下に通した。フューズボックス電源は、運転席足元のフューズボックスから取ることに。動作用にACC電源と、カードの抜き忘れ警告用に常時電源の2箇所にフューズ電源コネクタでつないで、もちろんアースにも接続。ちょうど、それぞれの電源に一つずつ空きソケットがあった。ラッキー!写真の赤い線は、後日このブログで取り付けの模様を紹介するリモートエントリーシステムの電源だ。(割り込みコネクターで採取)(※別にETCカードの申し込みと、車載機登録のためのセットアップが必要だよ。)エンジンON。しばらく経つと。「ピー!カードが挿入されていません。」カードを差し込む。「ポーン♪カードが挿入されました。」OKOK~♪♪ 一応動作してるし☆いよいよ専用レーンへ進入♪ゲートに突入!(ゲート閉の状況がわかるように、拡大した画像。)無事、ゲートが開いた。「ポーン♪料金は○○円です!」にゃはは♪ 成功成功っ!!☆\(^:^)/☆
April 28, 2007

家のリビングではTechnics SL-P120という、20年以上前のCDプレーヤーが現役で活躍している☆堅牢で、阪神大震災で、棚からぶっ飛んで落ちても壊れなかった優れもの。笑もしニャンコなら100歳を越えている。<何で猫齢やねん…5、6年前から、CDの読み取りが困難になって、レンズクリーニングキットを買って、ダマシダマシ使っていた。ところが今月になって、全く音が出なくなってしまった。そこで、分解して修理してみることに。CDプレーヤーの内部優秀優秀。ホコリっぽい我が家にあって、それほど汚れていなかった。しかし、矢印の先のレンズの部分が真っ白に曇っていた。綿棒の先で拭いたら、ピカピカに復活。買った当時のように素早く反応して、美しい音を出してくれるようになった。にゃはは~簡単簡単♪♪ めでたしめでたし~(^:^)☆
April 27, 2007

ニテコ池の東岸。北の端にある震災記念碑公園。公園横の坂道は、浄水場へと続いている。越水浄水場へのアプローチ横の桜浄水場へのアプローチから、満池谷墓地境界の桜を望む遠方の桜。巨大で、目の覚める様な生命感に溢れている。お墓に花を手向けるのは、理屈でなく人間の習性、というか本能なのだと納得。広大な墓地に供えるに相応しい咲きっぷりだ。さて、ここでクエスチョン。この建物は?答え:納骨堂満池谷墓地の中ほどにある納骨堂。納骨堂の手前右側には、戦死した兵士たちのお墓が、幾重にも並んでいた。慰霊塔この満池谷公園は、震災の後、名称が「震災記念碑公園」に変更された。ニュースでもしばしば取り上げられる公園なので、この慰霊塔も震災の記念碑だと思っている人が少なくないようだ。実際、ネットで検索しても、震災の慰霊塔として紹介しているサイトばかり。西宮市のHPにも載せられていない、市民にも忘れられた存在のようだ。しかし、時代的なデザインで、年季を感じさせるこの塔、よく見ると「厚生大臣 山縣勝見書」と刻んである。戦後まもない吉田内閣時代の厚生大臣なので、戦災記念碑だろうことが窺える。浄水場の丘から見た戦災慰霊塔(写真下の自転車は、十数年前から愛用してるマイチャリ☆)慰霊塔の脇より、記念碑公園の桜もし説明がなかったら、きっと謎の写真。慰霊塔に下りる階段と桜この景色。何処となく好きだ。いにしえの情緒に満ち充ちている。桜の老木。日本の国花「桜」は、西宮の「市の花」でもある。浄水場の丘の桜なんだか…日本に生まれて、よかった~!!笑丘の桜のズームアップここでまた疑問発生…さくらんぼが生ったら、取ってもいいんだろうか?「それ考えると、また寝られなくなっちゃう」☆\(^:^)
April 26, 2007

桜シリーズ。今回は「火垂るの墓」の舞台となったニテコ池周辺。ニテコ池の西岸、名次町の邸宅の桜名次町は「日銀大阪支店長舎宅」や「名次庵(松下グループの会長邸)」など、市街地にありながら、敷地千坪を超える豪邸が悠々と居並ぶ超高級住宅地。濃紺ブレザーの私服風ガードマンが四六時中、さりげなく辻々に立って警戒している。ニテコ池(中池)と取水塔実にユニークなデザインの取水塔。(この取水塔は、アニメーション映画「火垂るの墓」にも登場したらしい。)対岸に見えるのは、廣田神社の森と見まがいそうだが、豪邸街の森林だ。ニテコ池は、昭和11年(1936)完成し、阪神大震災で被災。平成8年(1996)に復元された。上池、中池、下池の3つに仕切られ、階段式に造成された人口貯水池で、東西およそ100m、南北およそ400mと小さいが、西宮市の水がめのひとつだ。水は、夙川源流の剣谷川、水分谷川などから流入している。上(ニ)・中(テ)・下(コ)池それぞれに取水塔があるが、阪神大震災の後、この中池の取水塔以外は新しく付け替えられ、デザインが変わってしまった。さて、西宮神社(戎神社)の土塀の土はこの池から運び出されたという。そのときの「ネッテコイ、ネッテコイ」との掛け声から「ニテコ池」と名付けられたといわれている。(明治末期には「ネテトテコイ(練って取ってこい)池」と呼ばれていたらしい。)驚くことに、偶然にも?「ニテコ」はアイヌ語で「森林の水溜り」の意味でもある。(「ニタイ(森林)」+「コツ(水溜り)」で「ニテコ」)名次神社現在は廣田神社の境外摂社(枝宮)だ。平安時代中期に編纂された延喜式神名帳に武庫郡内四社として記載されている。ニテコ池西岸の丘、名次山にある。名次山は万葉集にも詠まれた名勝地。「 吾妹子に 猪名野は見せつ 名次山 角の松原 いつか示さむ 」高市連黒人 (たけちのむらじくろひと)満池谷の土手の桜(ニテコ池南端の土手。)「火垂るの墓」の原作者、野坂昭如が少年時代に幼い妹と避難した横穴式防空壕はこの土手に掘られていたのかもしれない。昭和20年6月5日、神戸の東半分は大型爆撃機B29 (481機)による空襲を受け焼失した。※死者3,184名。負傷者5,824名。全焼建物55,368戸、罹災者213,033名。この空襲により、神戸旧市街のほぼ全域が焦土と化した。※同年3月(B29・308機)と5月(B29・92機)の大空襲で市の西半分は既に壊滅していた。(神戸の空襲:128回、死者8,841名、負傷18,404名、焼失128,171戸、罹災者470,820名。)当時14歳の野坂少年は、空襲で養父と養母、祖母を失い、妹を栄養失調で亡くしている。「火垂るの墓」は、彼の実体験をもとに創作された。「お家かえりたいわあ、小母さんとこもういやや」「お家焼けてしもたもん、あれへん」「あんなあ、ここお家にしようか。この横穴やったら誰もけえへんし、節子と二人だけで好きにできるよ」池の向こう、右から数本目の桜の木の下に、阪神淡路震災記念碑が見える。西宮市内の犠牲者1146人のうち1083人の名前が刻まれ、震災写真の陶板に囲まれている。その奥には戦災記念塔があるが、満開の桜に隠れている。正面中央、二つの蒲鉾屋根の大きな建物は生花店。その左には広大な市立満池谷墓地が広がっていて、多くの戦没者や被災者も眠っている。震災記念碑公園(ニテコ池東岸の北端)「何しとんねん」「蛍のお墓つくってんねん。」うつむいたまま、お母ちゃんもお墓に入ってんやろ、こたえかねていると、「うち、小母ちゃんに聞いてん、お母ちゃんもう死にはって、お墓の中にいてるねんて」ニテコ池の北、越水浄水場側からのアプローチの桜。桜の右奥は、満池谷墓地だ。丘を超え、さらに延々と続く石碑の林。『八月五日夜には西宮中心部が焼かれ、さすがにのんびりした満池谷の連中も震え上がった』『節子は下痢がとまらず、右半身すき通るよう色白で、左は疥癬にただれきり、海水で洗えば、しみて泣くだけ。夙川駅前の医者を訪れても、「滋養をつけることですな」申しわけに聴診器胸にあて、薬もよこさず、』『抱きかかえて、歩くたび首がぐらぐら動き、どこへ行くにも放さぬ人形すら、もう抱く力なく』『髪をまとめると、あらためて眼窩の窪みが目立つ。節子は何を思ったか、手近かの石ころ二つ拾い、「兄ちゃん、どうぞ」「なんや」「御飯や、お茶もほしい?」急に元気よく「それからおからたいたんもあげましょうね」ままごとのように、土くれ石を並べ、「どうぞ、お上がり、食べへんのん?」八月二十二日昼、貯水池で泳いで壕へ戻ると、節子は死んでいた。骨と皮にやせ衰え、その前二、三日は声も立てず、大きな蟻が顔にはいのぼっても払いおとすこともせず、ただ夜の、蛍の光を眼でおうらしく、「上いった下いったあっとまった」低くつぶやき、・・・』
April 23, 2007

みたらし通り(東川)の西(昨夜upした公園の南側)に、廣田(広田)神社がある。幽玄な夜の廣田神社参道☆ 夜桜は神社に相応しく神秘的 ☆昼の風景廣田神社は西暦201年に創建され、日本書紀に記されているとされる、県最古の神社。「天照大御神荒御魂」が祭られている本殿は、写真右端に木が山のように茂った場所のさらに右奥だ。☆ 満開の廣田神社のミツバツツジ ☆『(廣田神社HPより)廣田神社のコバノミツバツツジ群落は、西宮市の象徴甲山の南南東の山麓廣田山にあり、廣田神社の外苑約二万平方メートルにわたり十数カ所に分かれて大きな群落を形成し、総株数は約二万株にのぼると推定され、兵庫県指定天然記念物に指定(昭44)された。一般のツツジ類よりも開花時期が早く、ソメイヨシノの散り始め頃最も見頃を迎えるので、近隣の夙川・満池谷の桜と同時期に楽しむ事が出来る。』桜とミツバツツジの競演廣田神社は、京の都から西方にある特別に重要な神社として中世の貴族達は「西宮」と称し、これが「西宮市」の起源となったとされる。次回は、満池谷にある「火垂の墓」の舞台となったニテコ池の桜☆(^:^)/
April 20, 2007

さて、途方もなく眠いけど…桜のつづき☆家の近所には、御手洗川が流れている。何のためらいもなく「おてあらいがわ」と読んだそこのアナタ!ノンノンノンノン「みたらしがわ」と読んでシルヴプレ↑その川沿いの御手洗通り(みたらしどおり)には桜並木が続いている。御手洗通りの桜この道の先は甲陽園という住宅街、そして甲山。電柱に電線、トランス…空の色、雲の感じも懐かしい情緒あふれる日本の風景ですね~正面遠方に六甲おろしで有名な六甲山がそびえています。中央右手、車道は御手洗川(東川)にかかった橋を渡る。左手に見えるのが公園の入口。その左にある建物は?公園の、御手洗だわ。。ヽ(*>m<)ノププッそれでは公園に入ってみよう。御手洗通りの公園の桜何てことない生活道路の歩道がプチ公園になっていて、人々は何てことなく無言で通り過ぎて行きます。しかし、もし万が一、「もー、また桜かいな…もう見飽きたっちゅうねんっ。。」などと、ひとりつぶやきながら通ってる人を見かけたら…危険度5、念のためダッシュで引き返すこと。。
April 19, 2007

先週の半ばくらいから、陛下の調子が急激におかしくなった。ついに食べ物を受けつけなくなり、水以外は飲まなくなった。およそ一週間前の陛下(4月8日撮影)丸くなって寝ているところを撮ったけれど、実は痛々しいくらいに痩せてしまっている。(骨と皮に近くなってしまったけれど、自分の毛皮で着太りしている。)衰弱が進んで、か細い声でしか鳴けなくなった陛下。でも頻繁に外に出たがる。そして今までになく、長時間外出するようになった。「陛下、もう帰ってこなくなるかも。」毎回とても心配になる。「猫は死に目を見せたがらない。」と聞く。(王子(長男)が3年半前に病死した時も、よろよろと遠くへ行こうとして、その都度抱き上げて連れ戻した。獣医に連れて行った翌日に亡くなった。陛下の場合は老衰なので、家族で相談。獣医に診せるストレスは避けることに。)けれども、しきりにドアを掻いて催促するので、何度も外へ出してやる。真っ暗になっても外に出たがった。午前1時を過ぎるまでは禁止しないことに。毎回、ヘトヘトに疲れて帰ってくる。横になることすらも辛いらしく、座ったまま頭を下げて休んでいるので、枕を用意。しかし外出することで、自然のパワーを吸収して体調が改善してきているように見えた。数日後、2階に上がる階段の途中で力尽きた陛下を、父がベッドに連れて上がった。翌日、丸一日、陛下は父のベッドの枕元で眠ったまま、動こうとはしなかった。息も絶え絶えで、声を掛けると、返事をするけれども、声を出すことも難しい様子。夕食後に見に行ったら、ベッドの脇に下りて寝ていた。(翌朝からフランクの両親は6日間の旅行に行くことになっている。「帰ってくるまで、生き延びてくれるかな…」「難しそう…。」)深夜、陛下の姿が見当たらない。父のベッドの下にもぐり込んだにちがいない。翌朝、陛下はニャーニャーと甘えた声で鳴いて、いつものようにフランクの部屋に入ってきてベッドに飛び乗ってきた!「陛下♪ようやく回復したんだね☆」喜びのあまり目が覚めた。時計を見るとまだ6時前。(普段は熟睡してる時間)(これまで、陛下が夢の中に出てきたことは、ほとんどなかったと思う。)もう起きようかどうしようか迷っていると、父の叫び声。「ニャンコが、死にましたよ!」陛下は父のベッドの下で、真っ直ぐに手足を投げ出して、心地よく眠るように息絶えていた。そしてしばらくの間、まだ生きているかのように、とても温かかかった。いよいよ両親が旅行に出かける日の、早朝のことだった。こうして、家族みんなで、陛下とお別れすることができた。これは所謂「虫の知らせ」なのだろうか?それとも、陛下がお別れを言いにきたのかな?理由は説明できないけれど、フランクは直観した。【 きっと陛下が、身体から離れたことを知らせに来てくれたんだ。】陛下!これからも、ずっと見守っていてくれるんだね!!悲しまないように、寂しくならないように、ちゃんと教えてくれたんだね!!!=^:^=
April 14, 2007
今朝6時前、陛下が永眠しました。長い間、ありがとう☆
April 13, 2007

長い塀沿いに、敷地を囲むように植えられている。別面の塀。道路に枝垂れてきて満開に。別のお宅の桜外へ外へ伸びて、道を通る人を楽しませてくれている。ズームアップ桜の絨毯になってる♪つづく ☆\(^:^)/☆
April 12, 2007

どうして、こんなに美しいんだろう!(ベタやけど~)桜のアーチ。対岸につきそう!対岸から、水面につきそうなくらいに枝垂れてる。印象派の絵画のような美しさ。しかし、咲きすぎ。プチグロ。桜ってエログロ。エロとグロの極致。何故、こんなに沢山の花を咲かせてるんだろう?
April 11, 2007

お花見♪お花見♪延々と南北4km…橋の上からもお花見♪夙川駅方向遠く、夙川駅手前で緩やかにカーブしている。上流には甲山♪甲山から見た夙川は、まさしく花道♪天の川☆★☆そして甲山の桜もまた格別\(^:^)/
April 10, 2007

阪急 苦楽園口駅夙川をまたいだ駅舎の阪急夙川駅は、最近、神戸線の特急が停まるようになった。のどかな甲陽線に乗り換えると、次の駅が苦楽園口駅だ。でも桜の時期は、夙川西岸を夙川公園沿いに歩かなきゃソンソン。苦楽園。いい名前でしょ?この世はまさに苦楽園。しかし苦楽園はこの世の楽園。阪神間屈指の超高級ベッドタウン。西宮七園のひとつ。マイカーならば(もちろんチャリも)、夙川さくら道♪またプチクロースアップ☆★☆★☆★☆ 夙川さくら道 ☆★☆★☆★☆つづく☆(^:^)♪
April 9, 2007

フランクの住む街でも、いよいよ桜が満開になった。そして今日(日曜日)は、桜が楽しめる最後の週末となった。日がな一日、自転車こぎこぎ、撮った枚数ざっと400枚。その中から、選りすぐりの写真およそ30枚をお届け。(「Be Myself!」では、今週は桜週間になる模様♪笑)昨日(土曜日)は予報が外れ、降ったり止んだりの生憎の天気だった。そのため、人出は特に、今日一日に集中。桜の名所「夙川」は凄まじい人の波で賑わったのである。もちろん屋台が出て、深夜までお祭り気分。関西のベッドタウン西宮は、おそらく日本で最も桜の美しい街といえるかも。すなわち、フランクは世界一桜の美しい街に住んでいる(と思っている)のだ♪笑そしてこの銀河の、いや大宇宙の頂点ともいえる桜の景勝地は、他でもない、今日からご紹介する、ここ夙川なのである!!(根拠はない)プチ・クロースアップ☆遊歩道の桜これも遊歩道の桜まだまだ序の口!\(^:^)
April 8, 2007

いよいよ会員食堂☆その前に、またちょっと外観編。笑この外壁のデザイン、専門的には「コロニアルスタイルを加味した近世復興式」というそうだ。簡略して、ネオルネサンス様式と呼ばれる。挽き物の欄干装飾や壁面上端部のギリシア式エンタブレチュア(帯状の梁装飾)など、ルネサンス期イタリアのパラッツォ(宮殿)風のオーダー(古典的意匠配列)になっている。この様式は別名、アメリカンボザールとも呼ばれる。アメリカンボザールとは、パリの総合美術学校(エコール・デ・ボザール)で学んだ米国の建築家たちにより19世紀末から20世紀前半にわたって、アメリカに大流行した古典様式である。故に、ボストンやニューヨークなどのレンガ壁の古いアパートをも髣髴させるが、同時に、パリをはじめとた欧州では定番の、典型的なルネサンス様式ともいえそう☆例えばヨーロッパ系ブランドショップの店構えなど、今やお馴染みのデザインかも~つづく~(^:^)/
April 7, 2007

そろそろこちらも桜が満開。しかし桜の写真はまた後日。笑今日も綿業会館の続きシャンデリアの全体を、少し下から撮影。この写真の方が、ディテイルのデザイン、クリスタルの一個一個が良く見える階段2階部分の踊場から、玄関ホール入って左(北)側の列柱。イタリアルネサンス様式で、古代ローマの水道橋を髣髴させる。ロマネスク様式を洗練させたデザインともいえるかも。鉄筋コンクリート造だが、大理石(ホワイトトラバーチン)で仕上げている。リアルに石組み(組積造)のように見せるところが、高度でニクイ演出だ。列柱アーチの奥、北側には綿業倶楽部会員ラウンジが見える。ドアを廃して、アーチを重ねたところが独特のデザインだ。以前紹介したエレベータ、今度は階段の中ほどからアーチ越しに見下ろしてみる。しかし、エレベーターの上階のドアは至ってシンプル。「内装調度だけ」で当時の60万円(同時期復興した大阪城天守閣建設費は47万円)掛けたらしいが(当時超エリートだった大卒初任給で単純換算しても現在の30億円)通りから見えにくい東側と北側の外壁には、化粧タイルの不合格品の裏側を使うなど、お金の掛け方、ケチり方には、しっかりとメリハリがつけられているようだ。このシリーズ初回に登場した玄関ホールの銅像を、南西方向から撮影。【銅像は遺言による会館建設の出資者、故岡常夫氏(東洋紡績専務取締役)。】美しいカーブ。直線と曲線の絶妙なハーモニー。階段踊場(2階部分)の手摺越しに、列柱と間仕切りの2重アーチを望む。この通路だけ何故か近未来的。モダンなデザイン。上に時計が見える。銀河鉄道の駅風?このシリーズ、次回はいよいよリサイタル会場となった会員食堂☆調和しつつも、また異なる様式美をお届け。(^:^)/
April 6, 2007

今日は降ったり止んだりの妙な天気じゃった。ところで、綿業会館のシリーズ、まだ終わってなかったので続き。笑玄関ホールの中央から、向かって右にある階段。向かって左にある階段。3階から、玄関ホールを見下ろす。3階廊下、部屋の入口前の壁照明3階から、階段方向にシャンデリアを望む。(今回は解説なしの簡単バージョン☆)続く…(^:^)/
April 4, 2007
せいぜい時間の無駄にしかならないような思いは、心から追い出せ。
April 3, 2007

「陛下。テレビおもろいでっか?」「おぉ~。ライオン走ってますねー…(ほんとに観てるのかな?)」「ぁ、リモコンみっけ。失礼してっと。ポチっとな!」「勝手に変えるにゃ~~っ!!=`:´#」「ご、ごめんなさーい…m(_w_)m」
April 2, 2007

今日はノートパソコンの内臓ハードディスクを新しいのに交換したお話。去年9月末、ハードディスクの動作音がいよいようるさくなり、危険な状態に。内臓HDDを換装することにした。(昨秋、ブログを開設するために初めてデジカメを買って3日目くらいに撮影。その後プチお蔵入りしていて、まだ公開してなかった写真。)6年半前に購入したバイオノートXR。20GB-4200rpm金属ベアリング軸受けの内臓HDDを東芝製120GB-5400rpmの流体軸受けのHDDに換装する。ラップトップ型ではメモリ増設のように、ユーザーによる交換を想定していない。もちろんメーカー正規のマニュアルなど公開されていない。分解するのにプチ苦労…しかもこのバイオノートXRはディスプレイを開くとキーボードがリフトアップするタイプなので機構が複雑だ。新しいHDDをカプラーに接続して、元通りにビスとプレートで固定して装着完了。HDD付属のバックアップソフトで外付けHDDなどにシステムをそのまま保存できる。これは簡単で大変助かった♪OS丸ごとブランクHDDに移植するため、5年ぶりにフロッピードライブが復活。WindowsXP-SP2のシステムバックアップライセンスをネットから取得して、2HDのフロッピー6枚で、あらかじめバックアップディスクを作成しておく。作成したディスクを挿入して再起動するとHDD付属の置換ソフトが起動する。これで、そっくりそのまま新しいHDDにお引越しが完了♪パーティション分割ソフトも付いていて便利♪♪(メーカーの回し者じゃないけど。笑)パソコンの動作が想像以上に静かで高速になった。しかも高速回転なのにより省エネ。ぎりぎりだった内臓HDDの容量も6倍になって満足~(^:^)☆
April 1, 2007
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