妻
は、キモノに目がない。お茶や花に精通していただに、殊更だったか。それとも母
親譲りだろうか。それを数々の歌に詠み込んでいる。
亡き母の選び給ひし朱鷺色の衣まとへば命華やぐ
亡き母の選び給ひし帯ゆへば絹づれの音さやかに鳴るも
炉開きの衣まとへばたまゆらを亡母のけはいのよりそいくるも
まだ子育てに、忙しく経済的にも余裕のなかった玉野教会のこと。大阪の呉服屋が、
売り込みに来た。人間国宝の描いた帯とか。
「これか買いたい」
と言うではないか。値段を聞けば、給与の三ヶ月にもする。わが家の経済を考えて断
らせた。翌日、講師にきた仲人でもあり恩師の湯浅竜起先生に、その話を得意げに話
す。ジッと私の目を見つめて語り出す。
「おまえ何年教えを聞いているのか。全く分かっていない。おまえのところには、上
に8人の兄や姉がいるだろう。経済的に少し余裕があるそこに行かずに、一番貧乏な
末っ子のところに来たのだよね。なぜかを考えたか」
「そこまでは考えません。買えよということですか」
「それが神業を尊ぶこと、縁を大切にすることだよ」
「そんなお金ありませんし、そんな贅沢はしたくありません」
「まだ分からないのか。そんな問題でない。これからの人生を考えてもここは無理し
ても喜んで受けるべきだ」
妻は
有頂天になって舞い上がったのは言うまでもない。
どんなに忙しくてもお茶を教える時は、一人でキモノを着る。教会を新築すれば、
必ず茶室開きをする。大きな舞台で、お手前をする姿は、神々しく魅力的だった。惚
れ直したほどだ。やはりあの帯を無理して買ってよかったのだ。
さやに立つ絹なりの音ききながらお手前をする吾護りませ
若き日にわが装ひし衣に秘め肌のぬくもり娘にのこしゆく
こよなく花を愛した。野の花から豪華な華まで、その名前をよく知っている。名前
の知らない花があれば、すぐ調べないと気が済まない。
草月流の師範の免許を取って
いた。教会で、花を教えながら教室に通って3年ぐらいで師範に達した。教会の神前
の花は、大作から小品まで、会員を和ませるに充分だった。
この生花については、松本時代に、家元に心得などをしっかり教えてもらったこと
が、その後の花への思いが変わったのかもしれない。
花へのイメージの膨らませ方に
舌を巻く。
秋萩の咲き乱れたる庭望むこの喜びは夫と吾のもの
米子教会の庭を見つめていて沸いてくるものだ。
佳き人に添いしがごとくところ得て咲く萩の花命ながしも
ひもろぎの傍は咲く萩。所を得たい願望がにじみ出ている。