全53件 (53件中 1-50件目)
あの日たち 羊飼ひと娘のやうにたのしくばつかり過ぎつつあつた何のかはつた出来事もなしに何のあたらしい悔ゐもなしにあの日たち とけない謎のやうなほほゑみが かはらぬ愛を誓つてゐた薊の花やゆふすげにいりまじり稚い いい夢がゐた――いつのことか!(タチツボスミレ:立坪菫 スミレ科)どうぞ もう一度 帰つておくれ青い雲のながれてゐた日あの昼の星のちらついてゐた日……(オオカメノキ:大亀の木 ガマズミ科)あの日たち あの日たち 帰つておくれ僕は 大きくなつた 溢れるまでに僕は かなしみ顫へてゐる(立原道造 「夏花の歌 その二」)ギンリョウソウ:銀竜草 ツツジ科キノコに見えますが、花も咲かせる植物です。タバコウロコタケ:タバコウロコタケ科全体が黄褐色で、広葉樹の枯れ木に発生します。ハリブキ:針蕗 ウコギ科フキの葉に形は似ませんがトゲだらけの大きな葉を付けます。幹も棘だらけです。コシアブラの幼葉:漉油 ウコギ科樹脂を漉して金属の錆止め油をとったことに由来しています。カラマツのマツカサ:直径1.5〜2センチ程度で、アカマツやクロマツに比べかなり小さいです。
2024.06.07
コメント(0)
茅ヶ岳は、深田久弥終焉の地として知られています。昭和46(1971)年3月21日、深田久弥は頂上直下で脳卒中のため急逝しました。以降、茅ヶ岳は多くの深田ファンが集う地となり、没後10年、山梨県韮崎市の登山道入り口に深田記念公園が造られ、深田祭が開催されています。深田久弥終焉の碑:茅ヶ岳(1,704m)の山頂直下に建てられて、今も多くのファンが訪れています。稜線の登山道:後方は平見城養鶏場茅ヶ岳山頂(1,704m)山梨百名山:甲府盆地から見た山容は、金ヶ岳と連なって八ヶ岳そっくりに見え、ニセヤツとも呼ばれます。茅ヶ岳山頂から:八ヶ岳(編笠山・権現岳・阿弥陀岳・赤岳)・金ヶ岳(左)茅ヶ岳山頂からの富士山 ヤドリギ:宿生木 ヤドリギ科「あはれなる 寄生木さへや 芽をかざす」加藤楸邨ミツバツツジ:三葉躑躅 ツツジ科まわりの植物が芽吹く前、薄闇に灯りをともすように紅紫色の花を咲かせます。ハシリドコロ:走野老 ナス科代表的な有毒植物で、食べると狂乱状態となって走り回ることが名前の由来です。深田久弥といえば名著「日本百名山」があまりに有名ですが、茅ヶ岳で命を落とした時、彼は「世界百名山」を連載中でした。没後「世界百名山―絶筆41座」が新潮社から刊行されています。
2024.05.05
コメント(0)
故磯野茂氏の歌集「この道」の冒頭に引かれているヘルマン・ヘッセの言葉「あまりにも幸不幸をとやかく言うのは愚かしいことである。なぜなら、自分の一生の最も不幸なときでも、それを捨ててしまうことは、すべての楽しかったときを捨てるよりも、つらく思われるのだから。避けがたい運命を自覚をもって甘受し、よいことも悪いことも、十分味わい尽くすことこそ、人間生活の肝要事である。」
2023.12.09
コメント(0)
岩欠に暮らし、多くの教え子に愛された故磯野茂氏の短歌集「この道」より「柊の陰の祠に花は降り小春日藁の乾く匂ひす」「蒟蒻に栗の赤飯山しめじ客は刺身に一瞥もせず」「ぴいひょろと冬耕の吾見下ろしてあしたの雨を知らせゆく鳶」「野良道に伸びしヒメシバ優しくて小さな黄蝶ひとり遊びす」「割箸のタクト酔顔輝かせ必ず君は校歌指揮せし」「亡き父に己を重ね石垣の根に鍬の柄を敷きて憩へり」「橋渡りトンネルを出で道沿いに君の家あり君に会ひたし」【クーポン使用で3,680円!】1年保証★ 遠赤外線 パネルヒーター 3段切替 タイマー 自動オフ かわいい 柄 おしゃれ 送料無料 デスクヒーター クリスマス プレゼント 足元 軽量 薄型 コンパクト 折りたたみ 暖房 電気 エコ 節電 PSE もこもこ 冬 dz120価格:3,980円(税込、送料別) (2023/12/7時点)
2023.12.08
コメント(0)
醍醐山山麓の岩欠(いわかけ)に住んだ、故磯野茂氏の短歌集「この道」より「田の面吹く風に当たりて風邪ひきぬ 強き農夫と早くなりたし」ホウレンソウ・キャベツ・シュンギク・レタス「清流は人の気質を育むとつね語りゐし書店の主」ニラ:韮 ヒガンバナ科欧米では栽培されておらず東洋を代表する野菜「晴れ三日小寒き風に切干の程よく乾き冬に入る村」ニシキギ:錦木 ニシキギ科ヤマイモとアオキ:山芋 ヤマノイモ科「笑ふな」が更なる笑ひもたらして老いまじへたる一座賑はふサザンカ:山茶花 ツバキ科日本原産の常緑小低木カンシロギク:寒白菊 キク科12月ごろから翌年6月ごろまでの長期間、マーガレットによく似た白い花を付ける。「おのづから同じ話題に戻りつつ山かげの道妻と木を曳く」楽天スーパーSALEポイント15倍〜 お歳暮 クリスマス 千疋屋 パン パティスリー銀座千疋屋 ギフト Gift 贈り物 銀座シュトーレン(フリュイ)価格:3,240円(税込、送料無料) (2023/12/5時点)
2023.12.07
コメント(0)
わがこころそこの そこよりわらひたきあきの かなしみあきくればかなしみのみなも おかしくかくも なやましみみと めとはなと くちいちめんにくすぐる あきのかなしみ(八木重吉「秋の かなしみ」)
2023.10.30
コメント(0)
風が吹き上げて来る這松のにおい、浮力に抵抗する重い登山靴、うずくまっている者もパイプふかしている者もみんな男らしくやつれて秋の顔をしている。(尾崎喜八「山頂」より)【1000円OFFクーポン対象 10/24迄】キャラバン(Caravan)(メンズ) トレッキングシューズ 登山靴 C1-02S0106 ゴアテックス 防水価格:15,000円(税込、送料別) (2023/10/24時点) 楽天で購入
2023.10.29
コメント(0)
海のような夕べの空に耳なりほどの羽音をたてる金の蜜蜂・・・峪の向こう向かいの山の疎林の上にやすんでいる 金星(ヴィナス)やがて彼女は屋根に隠れる私は石の上に登るしばしの間彼女は見えるやがて彼女は隠れる私は丘の上に立つしばしの間彼女は見える彼女は隠れる 彼女は沈む彼女は沈む 彼女は去る地が歪む 山が傾く・・・(三好達治「金星」)サナギイチゴ:猿投苺 バラ科名は、愛知県の豊田市と瀬戸市にまたがる猿投山で採集されたことからサナゲイチゴとよばれたのが転訛したものです。ニリンソウ:二輪草 キンポウゲ科1本の茎から2輪の花を咲かせる、春山を代表する草花です。ハウチワカエデ:羽団扇楓 ムクロジ科 日本のカエデでは最も大きな葉を持ちます。ヤブウツギ(薮空木 スイカズラ科)とシロバナシモツケ(白花下野 シソ科)
2023.06.07
コメント(0)
私は考へた、ここにかうした峠があるとするからは、ここから眺められるあの⼭々の、ふとした⼀つの襞の⾼みにも、こことまつたく同じやうな⼩さな峠があるだらう。それらの峠の幾つかにも、⾵が吹き、蜂や燕が⾶んでゐるだらう、そこにも私が坐つてゐる――と。そして私は、⾜もとに点々と咲いた⽩い⼩さな草花を眺めながら、それらの覆ひかくされた峠の幾つかをも知ることが出来た。(三好達治「峠」)ヤマツツジ:山躑躅 ツツジ科日本の野生ツツジの代表種で、里山から高山まで分布域がもっとも広いものとされます。ウラジロヨウラク:裏白瓔珞 ツツジ科葉の裏側が白く、花の形がヨウラク(仏像の首や胸にかける珠玉の飾り)に似ていることから名があります。タチヤナギ:立柳 ヤナギ科早春、若草色の葉と花を同時に咲かせ、いち早く春を告げる木の一つです。ハリブキ:針蕗 ウコギ科葉や茎に鋭いトゲがあり、葉がフキ の葉に似ることから名があります。
2023.06.06
コメント(0)
大方 草も枯れたので野のみちが はっきり見えてきた(ヤマモミジ:山紅葉 ムクロジ科)このみちは もう少し先まで続き崖の上で消滅している(ダンコウバイ:壇香梅 クスノキ科)― 墜落が ぬくてのように待ちうけている 明るい空間その向うには もう何も無い永遠が 雲の形をしてうかんでいるぼくには まだ解らない暗い一つの事があるそれを考えてみなければならないぼくは このやさしく枯れいそぐ草たちの上に身をなげだす身元不明の屍体のように(イタヤカエデ:板屋楓 ムクロジ科)まだ いくぶんの温もりはあるようだ晩秋の黄いろい陽ざしの中にも ―眼をつむるすると このどさりとした孤独な臓物の上へ非常にしばしば 永遠がつめたい形をおとしていく(村野四郎「枯草の中で」)(コアジサイ:小紫陽花 アジサイ科)
2022.12.03
コメント(0)
ほかほかと湯気を立てて山が生まれる霧の中から山が生まれる何千年も生きているように澄まし顔で実は毎日生まれ変わっているのじゃないか春も夏も秋も冬も実は毎年初めてなのじゃないかだからこんなに純なのじゃないかほかほかと湯気を立てて山が生まれる (高井次郎「ほかほか」)
2022.11.27
コメント(0)
その昔中国に郭煕(かくき)という山水画の画家がいました。彼が書いた画論の中に、のちに日本人が好んで季語として使うようになった短い詩があります。春山 淡治(たんや)にして笑うが如し夏山 蒼翠(そうすい)にして滴(したた)るが如し秋山 明浄(めいじょう)にして粧(よそお)うが如し冬山 惨淡(さんたん)にして眠るが如し「山笑う」「山滴る」「山装う」「山眠る」どれも絵画的な美しい言葉です。笛吹川上流の広瀬湖周辺は紅葉の盛り。秋山明浄にして粧うが如し、です。黒金山 手前尾根中央:甲武信ヶ岳前衛峰2469mピーク道の駅みとみから:鶏冠山(左)・甲武信ヶ岳前衛峰2469mピーク広瀬湖から:鶏冠山(左)・甲武信ヶ岳前衛峰2469mピーク・破風山外に出て、山装う季節を満喫しましょう。
2021.11.12
コメント(0)
御山洗(おやまあらい)、秋出水(あきでみず)、芒梅雨(すすきつゆ)、秋雨(あきさめ)、秋霖(しゅうりん)・・・日本人は400以上もの雨の名前を持っているそうです。夏の終わりからの長かった雨はしばらくおさまり、今日から空が高くなっていきそうです。富士山には初雪が舞いました。櫛形山の雨の森をご紹介してきました。今日が最終回です。
2021.09.07
コメント(0)
コロナ禍で多くの人々が苦しい生活を余儀なくされています。もっと暮らしが豊かなら、もっと親孝行ができるのにと思っている方も多いでしょう。昔、孔子の弟子に、才能豊かであるにもかかわらず暮らしが貧しく、親に十分な孝養が尽くせなかったと悔いている人がいました。満足のいく葬式も出してやれなかった、と。すると孔子は言いました。「豆を食べて水を飲むような貧しい暮らしでも、楽しんで暮らすことはできる」「本当の親孝行は、君自身が楽しんで暮らすことなんだよ」豆のことを菽(しゅく)といいます。豆の粥と水のような貧しい暮らしの中でも、楽しく生きて真の親孝行をすることを「菽水の歓(しゅくすいのかん)」といいます。どんな境遇でも、たくましく楽しみを見出し、明るく暮らす・・確かに子供の明るい顔は、親にとっての1番の幸せかもしれません。
2021.09.06
コメント(0)
私はおまえにこんなものをやろうと思う。一つはゼリーだ。ちょっとした人の足音にさえいくつもの波紋が起こり、風が吹いて来ると漣(さざなみ)をたてる。色は海の青色で――御覧そのなかをいくつも魚が泳いでいる。もう一つは窓掛けだ。織物ではあるが秋草が茂っている叢(くさむら)になっている。またそこには見えないが、色づきかけた銀杏の木がその上に生えている気持。風が来ると草がさわぐ。そして、御覧。尺取虫が枝から枝を匍(は)っている。この二つをおまえにあげる。まだできあがらないから待っているがいい。そして詰らない時には、ふっと思い出してみるがいい。きっと愉快になるから。梶井基次郎『城のある町にて』
2021.09.03
コメント(0)
ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色のずいからは、何とも云えないよい匂いが、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。やがて御釈迦様はその池のふちにおたたずみになって、水の面を蔽っている蓮の葉の間から、ふと下の容子を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄の底に当って居りますから、水晶のような水を透き徹して、三途の河や針の山の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、はっきりと見えるのでございます。するとその地獄の底に、かんだたと云う男が一人、ほかの罪人と一しょにうごめいている姿が、御眼に止まりました。このかんだたと云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這って行くのが見えました。そこでかんだたは早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命をむやみにとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。御釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、このかんだたには蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報いには、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと御考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮の間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下しなさいました。(芥川龍之介「蜘蛛の糸」より)
2021.09.01
コメント(0)
中里介山作の長編時代小説『大菩薩峠』は、1913年~1941年に毎日新聞などに連載された41巻にものぼる未完の大作です。ニヒルで残忍な剣士の元祖ともいえる机 竜之助の、甲州大菩薩峠に始まる旅の遍歴と周囲の人々の生き様を延々30年にわたって描き、作者の死とともに未完のまま終わりました。大菩薩嶺 標高2000m地点大菩薩嶺より:熊沢山・天狗棚・小金沢山・牛奥ノ雁ヶ腹摺山ポツンと一軒家:福ちゃん荘、甲州市内(塩山)賽ノ河原大菩薩峠と介山荘:奥 熊沢山大菩薩峠から小菅村、奥多摩湖を眺むおまけです。撮影者はモスラだと言っております。おまけです。撮影者はダチョウクラブだと言っております。すみません
2021.07.17
コメント(0)
ワタシハ ジャガイモ、ジャガイモニ シルクハットハドウデスカ。ジャガイモの花ワタシハ ジャガイモ、ジャガイモニ 長イステッキドウデスカ。キタアカリワタシハ ジャガイモ、ジャガイモニ 毛糸ノカタカケドウデスカ。ダンシャクワタシハ ジャガイモ、ジャガイモニ 十文(トモン)ノオクツハドウデスカ。ワタシハ ジャガイモ、ジャガイモガ、マチヲアルイテモイイデスカ。(「ワタシハ ジャガイモ」村山籌子(むらやまかずこ)キタアカリキタアカリ:生まれ故郷の北の大地を線虫被害から守る希望と明るさを表現した名前です。男爵いもの改良品種で、果肉は黄色く粉質で、ほくほくした食感が楽しめます。ダンシャクダンシャク:日本のじゃがいもを代表する品種の1つ。大きさは中程度で、目が深くてゴツゴツとしています。白っぽく粉質で、ホクホクとしこれぞジャガイモという食感があります。メークインメークイン:楕円形で表面がすべすべし、ねっとりしていてほのかに甘みがあります。 煮崩れしにくいので、じゃがいもの形をきれいに残したまま煮物や揚げ物、炒め物などにするのに便利です。ウメ(中梅)花も実も古来から愛されている万能の花木です。稲穂:オタマジャクシもいっぱい泳いでいます。
2021.06.22
コメント(0)
こころをばなににたとへんこころはあぢさゐの花ももいろに咲く日はあれどうすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。ショウブこころはまた夕闇の園生のふきあげユキノシタ音なき音のあゆむひびきにこころはひとつによりて悲しめどもカボチャかなしめどもあるかひなしやスイカああこのこころをばなににたとへん。モロッコマメこころは二人の旅びとイチゴされど道づれのたえて物言ふことなければわがこころはいつもかくさびしきなり。ウコン(*園生のふきあげ:公園の噴水のこと)
2021.06.16
コメント(1)
あかるいひるま、みんなが山へはたらきに出て、こどもがふたり、庭であそんで居りました。大きな家にたれも居ませんでしたから、そこらはしんとしています。ところが家の、どこかのざしきで、ざわっざわっと箒の音がしたのです。ニッケイ(肉桂)ふたりのこどもは、おたがい肩にしっかりと手を組みあって、こっそり行ってみましたが、どのざしきにもたれも居ず、刀の箱もひっそりとして、かきねの檜葉が、いよいよ青く見えるきり、たれもどこにも居ませんでした。ざわっざわっと箒の音がきこえます。とおくの百舌の声なのか、北上川の瀬の音か、どこかで豆を箕にかけるのか、ふたりでいろいろ考えながら、だまって聴いてみましたが、やっぱりどれでもないようでした。 カキ(柿)たしかにどこかで、ざわっざわっと箒の音がきこえたのです。フキ(蕗)も一どこっそり、ざしきをのぞいてみましたが、どのざしきにもたれも居ず、たゞお日さまの光ばかり、そこらいちめん、あかるく降って居りました。ナンテン(南天)こんなのがざしき童子です。(「ざしき童子のはなし」宮沢賢治)
2021.06.15
コメント(0)
山彦は美しい妖精なのよ、デイビー。遠い森の中に住んでいるの。そして丘の間から世界を笑っているのよ。髪と目は黒いけれど、首と腕は雪のように白いの。どんなに美しいかということは人間には誰も見ることはできないのよ。鹿よりもすばしっこいから。あたしたちに分かるんのはあのからかうような声だけなの。夜になると、山彦が読んでいるのが聞こえるし、星の下で笑っているのも見えるの。(「アンの愛情」より)冬の森の雪のオブジェ、あなたは何に見えますか?
2021.02.23
コメント(0)
還り行く日の来ん時は ものみなに許しを乞うて草木の影をふまず 風をかぞへず好める人と水をなつかしみつつ虫を思ひやがて 静かなる雲に入り見なれざるひとの胸に消えんかと思ふ(野澤 一「許容」)(大畠山1118m)
2020.05.08
コメント(0)
四尾連湖の春:右奥 蛾ヶ岳1279m水明荘より四尾連湖:水明荘と龍雲荘があります湖岸には木花咲耶姫を祀った子安神社があります。10月中旬に奉納される神楽は、市川三郷町の無形文化財に指定されています。子安神社境内には、地元では「箸檜」と呼ばれているオオヒノキがあります。建久4年(1193年)、源頼朝が富士の巻狩途中、子安神社で休息し、檜の枝を箸として使いました。食後にそれを地面に挿しておいたところ活着し、2本の逆さ檜になったと伝えられています。四尾連のリョウメンヒノキ(北側:根廻り12m・目通り6.8m・樹高21m 南側:根廻り10m・目通り4.6m・樹高22m)
2020.05.07
コメント(0)
春の山を歩きたくなりたる故夜中に起きて森を通り山に登りたり市川三郷町山保より:左から塩見岳・源氏山・八町山(手前)・白根三山・櫛形山・鳳凰三山・千頭星山いただき近く来りて土に座り暗の霧を見つめたり市川三郷町山保より白根三山遠望静かなる春の山なりししんしんと耳鳴りの音に似て神に似て造られし人の身の嘆かひを聞きにしその時 春の土に触りたくなりたる故膝をついて土を手に採り唇にあて 食べ又手だまとなして思ひを忘れし味気なきは人の心なるかなあじけなきはこの心なるかな(野澤 一・詩)春モミジ(赤から緑に変わっていきます)
2020.05.06
コメント(0)
ソローの「森の生活」に登場するサルオガセが釜無山にも生育しています。200年近く前のウォールデンの森の物語が、信州の奥深い森に続いているようで不思議です。「フクロウというものがいることを、私はよろこんでいる。彼等には、ぜひ人間のために白痴的狂人的な声で鳴いてもらいたい。それは昼なお暗い沼地と薄明の森にいかにもふさわしい響きであり、まだ人間の気づかない、広大な未開の自然が存在することを教えてくれる。フクロウはあらゆる人間の胸の内なる荒涼としたたそがれの気分や、満たされぬ思いを表象している。太陽は1日中荒々しい沼地を照らしていた。そこにはサルオガセの垂れ下がった1本のクロトウヒが立っていて、上空をコタカが乱舞し、常緑樹の間ではアメリカコガラがさえずり、その下をエリマキライチョウやウサギがしのび歩きしている。けれども、いまようやく、更に陰鬱でこの場所にふさわしい夕暮れが訪れると、それまでとはちがった動物たちが目を覚まし、あたりの「自然」の意味を解き明かしてくれるのである」(飯田 実 訳)
2019.07.12
コメント(0)
天井に 朱きいろいで 戸の隙を 洩れ入る光鄙びたる 軍楽の憶ひ 手にてなす なにごともなし。小鳥らの うたはきこえず 空は今日 はなだ色らし、 倦(う)んじてし 人のこころを 諫(いさ)めする なにものもなし。樹脂の香に 朝は悩まし うしなひし さまざまのゆめ、 森並は 風に鳴るかなひろごりて たひらかの空、 土手づたひ きえてゆくかな うつくしき さまざまの夢。
2019.07.06
コメント(0)
武蔵店長の許可を得て、天下茶屋の内部をご紹介します。太宰治が富士を眺めた部屋滞在当時の風景「疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どっちにしたって引き返すことは出来ないんだ」太宰治 太宰治は学生時代から4回も自殺未遂を繰り返しています。井伏鱒二の勧めで天下茶屋で人生を見つめ直し、のちに結婚しています。「一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。明日のことを思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん。きょう一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮したい」太宰治生誕地五所川原市でも企画展開催中です。
2019.06.17
コメント(0)
山梨はさくらんぼ(桜桃)の最盛期。6月19日は桜桃忌(おうとうき)です。小説家太宰治の誕生日であり、玉川上水で入水自殺を図ったのち、そのなきがらが発見された日でもあります。太宰治が「どうにも註文どほりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった」と書いた天下茶屋からの景色。太宰は1938(昭和13)年9月、文学の師である井伏鱒二の勧めで御坂峠の天下茶屋に滞在しました。井伏鱒二はわれらが下部温泉をこよなく愛した文学者です。天下茶屋:現在の建物は昭和58年に建て替えています。おなじみの「富士には月見草がよく似合う」太宰治記念碑太宰治記念碑からの富士山天下茶屋店内食堂には太宰治記念館が併設されています。店長は武蔵正直さん。ムサシ(634m)の醍醐山との縁を感じずにはいられません。
2019.06.16
コメント(0)
星野富弘さんは新任の体育教師として活躍中の1970年、事故で手足の自由を奪われました。入院中に口に筆をくわえて詩や絵を描き始め、現在73歳。美しく優しい詩と絵は、国内外の多くの人々に愛されています。星野富弘さんに、「じゃがいもの花」という作品があります。泥だらけになってじゃがいもを掘っていた時ふと見上げた空が手でさわれそうなほど近かったことを憶えている高い所にあこがれ山の頂きに立った時なんにもない空が果てしなく遠かったことを憶えている栗の花栗の花が落ちる、栗花落と書いて「ついり」と読みます。栗の花が落ちると梅雨が始まります。
2019.06.10
コメント(0)
醍醐山の麓に田植えの季節がやってきました。八木重吉に「水や草は いい方方(かたがた)である」という詩があります。「はつ夏のさむいひかげに田圃があるそのまわりにちさい ながれがある草が 水のそばにはえてるみいんな いいかたがたばかりだわたしみたいなものは顔がなくなるようなきがした」6月の水の景色は清らかで、確かに「みいんないい方々ばかり」という気がしますね。アオガエルモリアオガエルの卵
2019.06.09
コメント(0)
冬の終わりを確かめる人はいない。大ケヤキと南アルプス。左から源氏山・櫛形山・白根三山・鳳凰三山白根三山:左から間ノ岳・中白根・北岳。右は鳳凰三山その先冷たい風が吹こうが雪が舞おうがそれはもう新しい季節の中の出来事だ。毛無山山塊(天子山地):左から五老峰・金山・雪見岳・五宗山。右下が醍醐山ゆるキャン△の聖地・本栖高校からの醍醐山光に向かって心ときめかせる人々の、振り返らぬ後ろ姿を冬はいつも静かに見送る。(高井次郎・冬の終わりを確かめる人はいない)
2019.02.26
コメント(0)
甲斐駒ヶ岳・仙水峠にはハクサンシャクナゲがたくさん咲いていました。井上靖に『比良のシャクナゲ 』という、物語のような美しい詩があります。むかし「 写真画報」という雑誌 で〝 比良 の シャクナゲ〟の写真をみたことがある。そこははるか眼下 鏡のような湖面の一部が望まれる比良山系の頂きで、あの香り高く白い高山植物の群落がその急峻な斜面を美しくおおっていた。その写真を見た時、 私はいつか自分が、人の世の生活の疲労と悲しみをリュックいっぱいに詰め、まなかいに立つ比良の稜線を仰ぎながら、湖畔の小さい軽便鉄道に揺られ、この美しい山巓の一角に辿りつく日があるであろうことを、ひそかに心に期して疑わなかった。絶望と孤独の日、 必ずや自分はこの山に登るであろうと―。それから おそらく 十年になるだろうが、私はいまだに比良のシャクナゲ を知らない。忘れていたわけではない。年々歳々、その高い峰の白い花を瞼に描く機会は私に多くなっている。 ただあの比良の峰の頂き 香り高い花の群落のもとで、星に顔を向けて眠る己が睡りを想うと、 その時の自分の姿の持つ、幸とか不幸とかに無縁な、ひたすらなる悲しみのようなものに触れると、なぜか、下界のいかなる絶望も、いかなる孤独も、なお猥雑なくだらぬものに思えてくるのであった。
2018.07.29
コメント(0)
うてや鼓の春の音霞のまくをひきあけて春をうかゞふことなかれエンレイソウはなさきにほふ蔭をこそ春の台(うてな)といふべけれニリンソウ雪にうもるゝ冬の日のかなしき夢はとざゝれて世は春の日とかはりけりトウゴクミツバツツジひけばこぞめの春霞かすみの幕をひきとぢてカタバミ花と花とをぬふ糸はけさもえいでしあをやなぎハリブキ小蝶よ花にたはぶれて優しき夢みては舞ひ酔ふて羽袖(はそで)もひらひらとはるの姿をまねひかしツバメオモト緑のはねのうぐひすよ梅の花笠(はながさ)ぬひそへてイワセントウソウゆめ静(しずか)なるはるの日のしらべを高く歌へかし「春の曲」 (島崎 藤村) ニッコウネコノメソウ撮影・5月19日ヤマシャクヤク
2018.06.16
コメント(0)
ポプラの木には ポプラの葉何千何万芽をふいて緑の小さな手をひろげいっしんにひらひらさせてもひとつひとつのてのひらに載せられる名はみな同じ <ポプラの葉>わたしもいちまいの葉にすぎないけれどあつい血の樹液をもつにんげんの歴史の幹から分かれた小枝に不安げにしがみついたおさない葉っぱにすぎないけれどわたしは呼ばれるわたしだけの名で 朝に夕にだからわたし 考えなければならない誰のまねでもない葉脈の走らせ方を 刻み(きざみ)のいれ方をせいいっぱい緑をかがやかせてうつくしく散る法を名づけられた葉なのだから 考えなければならないどんなに風がつよくとも『名づけられた葉』新川 和江
2018.05.09
コメント(0)
春の山を歩き度(た)くなりたる故夜中に起きて森を通り山に登りたりいただき近く来りて土に座り暗の霧を見つめたり静かなる春の山なりししんしんと耳鳴りの音に似て神に以て造られし人の身の歎かひを聞きにしその時 春の土に触り度(た)くなりたる故膝をついて土を手に採り唇にあて 食べまた手毬(てだま)となして思ひを忘れし味気なき人の心なるかなあじけなきはこの心なるかな四尾連湖畔に住んで詩を書いた、日本のソロー・野澤一の詩「春の山を歩きたくなりたる故」
2018.04.30
コメント(0)
醍醐山が萌黄色に染まりました。萌葱は平安時代は若々しさをアピールする色だったようです。今昔物語に、浮気者の夫を懲らしめる妻の話があります。男は萌葱色の着物で若作りをした自分の妻を別人と勘違いして懸命に口説き、公衆の面前で妻にひっぱたかれます。萌葱と言えば思い出す有名な話ですが、実はこの話にはオチがあります。妻は夫の死後、かなり年配になってからめでたく再婚するのです。なかなかブラックな萌葱色のお話です。
2018.04.24
コメント(0)
「彼女の生涯はつつましいものでした。(山梨県身延町 大炊平《おいだいら》後方武山)けれども、こうしてふりかえってみると、彼女は終始役に立つものであり、その目的を果たすために必要とされるところに、つねに居合わせていたわけでした。(山梨県身延町清沢)雪のひとひらは、自分の全生涯が奉仕を目指してなされていたことを悟りました。(山梨県身延町出口《でぐち》醍醐山)この終焉(いまわ)のきわに、彼女はいま一度、はるかな昔にはじめて空から舞いおりてきたときにかんじとったとおなじ、あのほのぼのとした、やわらかい、すべてを包みこむようなやさしいものが身のまわりにたちこめるのを感じました。(富士川と醍醐山)―『ごくろうさまだった、小さな雪のひとひら。さあ、ようこそお帰り』」 ポール・ギャリコ~雪のひとひら~(山梨県市川三郷町)(山梨県市川三郷町)(山梨県甲府市)初雪はいつもなぜか懐かしいものです。1月22日醍醐山にも初雪が降りました。(醍醐山 屏風岩)
2018.01.27
コメント(0)
みちのおわったところでふりかえればみちはそこからはじまっていますゆきついた そのせなかがかえりみちをせおっているでも もどりたくないもっとさきへあのやまを こえてゆきたい(みち6 谷川俊太郎)
2017.12.31
コメント(0)
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に水引草に風が立ち草ひばりのうたひやまないしづまりかへつた午さがりの林道をうららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた――そして私は見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光をだれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……夢は そのさきには もうゆかないなにもかも 忘れ果てようとおもひ忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらうそして それは戸をあけて 寂寥のなかに星くづにてらされた道を過ぎ去るであらうのちのおもひに(立原 道造)
2017.12.27
コメント(0)
冬だ、冬だ、何処もかも冬だ見わたすかぎり冬だ五宗山頂上尾根上に続く登山道再び僕に会ひに来た硬骨な冬冬よ、冬よ躍れ、叫べ、僕の手を握れ山梨山の会の皆さんが来訪大きな公孫樹の木を丸坊主にした冬きらきらと星の頭を削り出した冬秩父、箱根、それよりもでかい富士の山を張り飛ばして来た冬そして、関八州の野や山にひゆうひゆうと笛をならして騒ぎ廻る冬南アルプス展望左から白根三山(農鳥岳・間ノ岳・北岳)、鳳凰三山その手前:櫛形山荒川岳熊森山からの富士山貧血な神経衰弱の青年や鼠賊(そぞく)のやうな小悪に知慧を絞る中年者や温気(うんき)にはびこる蘇苔(こけ)のやうな雑輩やおいぼれ共や懦弱(だじゃく)で見栄坊な令嬢たちや甘つたるい恋人や陰険な奥様や皆ひとちぢみにちぢみあがらして素手で大道を歩いて来た冬稜線からの富士山葱の畠に粉をふかせ青物市場に菜つぱの山をつみ上げる冬万物に生(いのち)をさけび人間の本心ゆすぶり返し惨酷で、不公平で憐愍を軽蔑し、感情の根を洗ひ出し隅から隅へ畏れを配り弱者をますます弱者にし、又殺戮し獰猛な人間に良心をよびさまし前進を強いて朗らかな喇叭(ラッパ)を吹き気まぐれな生育を制えて痛苦と豊饒とを与へる冬猪之頭トンネルからの富士冬は見上げた僕の友だ僕の体力は冬と同盟して歓喜の声をあげる冬よ、冬よ躍れ、さけべ、腕を組まうブナ
2017.12.11
コメント(0)
「夕焼け」 吉野 弘いつものことだが電車は満員だったそしていつものことだが若者と娘が腰をおろしとしよりが立っていた。うつむいていた娘が立ってとしよりに席をゆずった。そそくさととしよりが坐った。礼もいわずにとしよりは次の駅で降りた。娘は坐った。別のとしよりが娘の前に横あいから押されてきた。娘はうつむいた。しかし又立って席をそのとしよりにゆずった。としよりは次の駅で礼を言って降りた。娘は坐った。二度あることは と言う通り別のとしよりが娘の前に押し出された。可哀想に娘はうつむいてそして今度は席を立たなかった。次の駅も次の駅も下唇をキュッと噛んで身体をこわばらせて--。僕は電車を降りた。固くなってうつむいて娘はどこまで行ったろう。やさしい心の持主はいつでもどこでもわれにもあらず受難者となる。何故ってやさしい心の持主は他人のつらさを自分のつらさのように感じるから。やさしい心に責められながら娘はどこまでゆけるだろう。下唇を噛んでつらい気持で美しい夕焼けも見ないで。
2017.09.08
コメント(0)
また朝が来てぼくは生きていた夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た柿の木の裸の枝が風にゆれ首輪のない犬が日だまりに寝そべっているのを百年前ぼくはここにいなかった百年後ぼくはここにいないだろうあたり前なところのようでいて地上はきっと思いがけない場所なんだいつだったか子宮の中でぼくは小さな小さな卵だったそれから小さな小さな魚になってそれから小さな小さな鳥になってそれからやっとぼくは人間になった十ヶ月を何千億年もかかって生きてそんなこともぼくら復習しなきゃ今まで予習ばっかりしすぎたから今朝一滴の水のすきとおった冷たさがぼくに人間とは何かを教える魚たちと鳥たちとそしてぼくを殺すかもしれぬけものとすらその水をわかちあいたい
2017.07.12
コメント(0)
なつめにしまっておきたいほどいたいけな孫むすめがうまれた新緑のころにうまれてきたので「わかば」という 名をつけたへたにさわったらこわれそうだ神も 悪魔も手がつけようない小さなあくびと 小さなくさめそれに小さなしゃっくりもする君が 年ごろといわれる頃にはも少しいい日本だったらいいがなにしろいまの日本といったらあんぽんたんとくるまばかりだしょうしちりきで泣きわめいてそれから 小さなおならもする森の若葉よ 小さなまごむすめ生れたからはのびずばなるまい
2017.06.09
コメント(0)
山路きて 何やらゆかし すみれ草(松尾芭蕉)タチツボスミレ夕ざくら けふも昔に 成にけり(小林一茶)八重桜なぜ生きる これだけ神にしかられて(照井 翠)ニガナ黒文字の花かんざしを誰に折ろ(小水内 李子)クロモジの花いつまでも開かぬ竜胆おちょぼ口(桑原敏枝)リンドウのつぼみりんだう採らば君忽ちに水の色(仁藤さくら)リンドウ一人静 坂越し山越す誰が恋も(中村草田男)ヒトリシズカ
2017.04.25
コメント(0)
暗かった山々に萌黄色がさし、山桜、ミツバツツジ、山吹が咲き乱れています。(4月15日)日一日と若芽が萌え出す今日この頃。(4月19日)萌黄色は平安時代は若さをアピールする色だったようです。今昔物語には自分の妻を別人と勘違いして懸命に口説き、公衆の面前で妻にひっぱたかれる(!)男の話が載っています。妻が夫を騙すため若作りをするのに着たのがこの萌黄色でした(*^^*)
2017.04.19
コメント(0)
あなたの懐中にある小さな詩集を見せてくださいかくさないで――。それ一冊きりしかない若い時の詩集。隠してゐるのは、あなたばかりではないがをりをりは出して見せた方がよい。さういふ詩集は誰しも持つてゐます。をさないでせう、まづいでせう、感傷的でせう無分別で、あさはかで、つきつめてゐるでせう。けれども歌はないでゐられない淋しい自分が、なつかしく、かなしく、人恋しく、うたも、涙も、一しよに湧き出た頃の詩集。さういふ詩集は誰しも持つてゐます。たとへ人に見せないまでも大切にしまつておいて春が来る毎ごとに春の心になるやうに自分の苦しさを思ひ出してみることです。詩集には過ぎて行く春の悩みが書いてあるでせう。ふところ深く秘めて置いてそつと見る詩集でせう。併し季節はまた春になりました。あなたの古い詩集を見せて下さい。「春の詩集」河井酔茗
2017.04.17
コメント(0)
菜の花畠に入日薄れ、見わたす山の端、霞ふかし。春風そよふく空を見れば、夕月かかりて、にほひ淡し。大山からの富士見山春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影にうぐひす鳴くも(大伴家持)峡南橋からの富士見山うつくしき春の夕や人ちらほら(正岡子規)大山からの富士見山 中央:富士見山、左側:笊ヶ岳浅みどり柳の枝の中行ける紺のきものの春の夕ぐれ(与謝野晶子)
2017.03.25
コメント(0)
いつしかや手のあたたかく春の雪 (中村汀女)醍醐山(634M)にもうっすら雪が積もりました。
2017.02.10
コメント(0)
(四)冬だ、冬だ、何処もかも冬だ高台も冬だ馬車馬のやうに勉強する学生よ がむしやらに学問と角力(すまふ)をとれ負けるな、どんどんと卒業しろ インキ壷をぶらさげ小倉の袴をはいた若者よ めそめそした青年の憂鬱病にとりつかれるな マニュアリストとなるな胸を張らし、大地をふみつけて歩け大地の力を体感しろ汝の全身を波だたせろ つきぬけ、やり通せ何を措いても生(いのち)を得よ、たつた一つの生(いのち)を得よ他人よりも自分だ、社会よりも自己だ、外よりも内だそれを攻めろ、そして信じ切れ孤独に深入りせよ自然を忘れるな、自然をたのめ自然に根ざした孤独はとりもなおさず万人に通ずる道だ孤独を恐れるな、万人に、わからせようとするな、第二義に生きるな根のない感激に耽る事を止めよ素(もと)より衆人の口を無視しろ比較を好む評判記をわらへ ああ、そして人間を感じろ愛に生きよ、愛に育て冬の峻烈の愛を思へ、裸の愛を見よ平和のみ愛の相(すがた)ではない平和と慰安とは卑屈者の糧(かて)だ ほろりとする人間味と考へるな それは循俗味だ氷のやうに意力のはちきる自然さを味へ いい世界をつくれ人間を押し上げろ未来を生かせ人類のまだ若い事を知れ ああ、風に吹かれる小学の生徒よ伸びよ、育てよ魂をきたへろ、肉をきたへろ冬の寒さに肌をさらせ冬は未来を包み、未来をはぐくむ冬よ、冬よ躍れ、叫べ、とどろかせ(五) 冬だ、冬だ、何処もかも冬だ見渡すかぎり冬だ その中を僕はゆく たつた一人で
2016.12.25
コメント(0)
冬だ、冬だ、何処もかも冬だ見わたすかぎり冬だ再び僕に会ひに来た硬骨な冬 冬よ、冬よ...躍れ、叫べ、僕の手を握れ大きな公孫樹(いてふ)の木を丸坊主にした冬きらきらと星の頭を削り出した冬 秩父、箱根、それよりもでかい富士の山を張り飛ばして来た冬そして、関八州の野や山にひゆうひゆうと笛をならして騒ぎ廻る冬 貧血な神経衰弱の青年や鼠賊(そぞく)のやうな小悪に知慧を絞る中年男や温気(うんき)にはびこる蘚苔(こけ)のやうな雑輩や おいぼれ共や懦弱で見栄坊(みえぼう)な令嬢たちや甘つたるい恋人や陰険な奥様や皆ひとちぢみにちぢみあがらして素手で大道を歩いて来た冬 葱の畠に粉をふかせ青物市場に菜つぱの山をつみ上げる冬 万物の生(いのち)をさけび人間の本心をゆすぶり返し惨酷で、不公平で憐愍を軽蔑し、感情の根を洗ひ出し隅から隅へ畏(おそ)れを配り弱者をますます弱者にし、又殺戮し獰猛(どうまう)な人間に良心をよびさまし前進を強ひて朗らかな喇叭(らつぱ)を吹き気まぐれな生育を制(おさ)へて痛苦と豊穣とを与へる冬 冬は見上げた僕の友だ僕の体力は冬と同盟して歓喜の声をあげる冬よ、冬よ躍れ、さけべ、腕を組まう
2016.12.25
コメント(0)
全53件 (53件中 1-50件目)