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75年前に祖父が泉州の地場産業だった綿織物業を創業した訳ですが、それから59年経って三代目の私が家業に終止符を打ちました。これは人生最大の決断でした。そして2006年にエアージェット織機などの工場内の殆どの機械類を2年後の北京オリンピックの好景気に沸いていた中国に割と高値で売却でき、直ぐに織物工場2棟を改造コンバージョンして、トランクルーム業への全面転換に舵を180度切ったのです。もうあと2年長く織物業を頑張っていたら、リーマンショックで倒産していたかもしれません・・・(汗)。やはり余裕のある時に決断しないとダメですねェ・・・人生は運というか、タイミングが1番大事です。会社は定款を変えただけでそのまま存続していますので登記上は三代目ですが、実質的に創業者という事になります。まぁサラリーマンなら入社した月から給料が入ります。しかし私の場合はトランクルームや音楽スタジオを起業した時はもちろん「客ゼロ&売上ゼロ」です。全く未知の世界への新規参入で何のコネも売上の保証も確信もなく、あるのは変な自信だけで・・・一方で「この先どうなるん(大丈夫)だろうか?」という悲壮感というか、毎晩毎晩不安で押し潰されそうな気持になって寝られななかったのが今でも忘れられません。なんせ収入が、一時的でも「人生初のゼロ」になるのですから・・・(汗)。こんな恐怖はありません。この感覚ってナントも不思議で、起業した者でないと決して分かりません。何でもそうですが、自分では何も新しいことを考えず、何もしない(できない、やる気がない)人が世間で多いですが、こういった実行力がなければこの醍醐味を一生味わえません。実は40数年前の大学時代にウインドサーフィン同好会を創部したのですが、今から思うとこれって社会人の起業(創業)の疑似体験です。青春時代にウインドサーフィンに1番ハマったことですが、自分でゼロからスタート(1から創る)・・・という意味で、創部と起業と基本同じです。当時のウインドサーフィンはアメリカら日本に輸入されてまだ数年しかたっておらず、すべてが手探りの状態でした。振り返ってみると、その時にリアルタイムで私が居た・・・という事が後の人生にどれほど影響を及ぼしたことかと思います。同好会創部の告知、顧問の教授を依頼、新入部員集め、学内の同好会連合への参加、海上と大学の練習メニューをこなす(泉南フリートとの合同のスタート練習がメイン)、レース戦術集の勉強、レースの実績を残す、全日本ボードセイリング学生連盟への加盟、5大学による関西学生連盟の創設に参加、レースのスポンサー探し(一般企業への)、ウインドサーフィンの特許問題、同好会運営の難しさ・・・といったイロンナ難題が創部者である私の前に立ちはだかりました。単なる部員やサラリーマンでは、こういった経験を積むことはできません。とにかく机上の勉強よりも、実際の経験に勝るものはありません。誰かが考えた問題と答えがある勉強や資格だけで答えが分からない世の中(現実のビジネス社会)を渡ろうというのは、普通に考えてチョッとオカシイ?と思うのは誰でもワカル事です。単に「一愛好者」として樽井ビーチでウインドサーフィンを楽しんでいれば、こんな苦労をせずに済んだ訳ですが「もっとウインドサーフィンを広めよう!」と飛び込んだ姿は、8年前の「泉州にバンド文化を広めよう!」と音楽スタジオを起業した時の気持ちと重なります。もちろん民間企業なので利益が第一優先ですが、こういった純粋な気持ちも大事なんですねェ・・・まぁこういったウインドサーフィン同好会の創部者のキャリアがあり、その後サラリーマンを経て家業の織物業に戻る訳ですが、それから20年経ってトランクルームや音楽スタジオの起業をした時に学生時代のウインドサーフィンのキャリアが役立ったのです。という事で、先日小中学校の同級生が突然亡くなり、告別式に木島小学校6年3組のクラス会メンバーの多くが集まり、そのあとみんなでランチに行ったのですが、「〇〇ちゃんの分まで、しっかり生きよう」という気持ちがみんな一緒で、秋には5年ぶりのクラス会をする事になりました。その秋のクラス会には、年々減っていくクラス会を絶やさないという意味でも、告別式に来ていたクラスが違う4人の同級生もゲストで参加する事になりました。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.05.03
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「こりゃ、新しいマーケットを開拓できそうだ!」とピンときて起業しても、だいたい失敗するモノです。だいたい起業しても10年で95%が倒産か廃業すると言われているのが日本の厳しいビジネスシーンですから。世の中、そんな甘いモノでは決してないのです。今まさに、日本全国のアチラコチラでアウトドアやキャンプ、グランピングやらが流行っているようで多くの企業が新規参入していますが、10年後に残っているのは僅かでしょう。まぁ単に土地や建物を他人に貸したり、マンション経営で業者に丸投げするなら簡単ですが、自分で新しい事業をやるとなると・・・数々の未知の難題が待ち構えています(汗)。この辺が学校の勉強と違うところで、いくら試験で100点を取っても一般社会(ビジネス)ではあまり役に立たない事が多いのです。まぁ「何をやってもダメだ!」というのを前提にして、起業するくらいの心構えが必要か・・・と。弊社の場合、過去18年間で5つのビジネス(トランクルーム、不動産仲介業、音楽スタジオ、卓球場、レンタル自習室)を起業してきました。まだ5つとも残っていますが、実を言うと何とかヤッテいけているのがトランクルームと音楽スタジオだけです。不動産仲介業は別にして、残りの2つの卓球場とレンタル自習室はぶっちゃけ採算ギリギリというレベルで、単体だけだと大赤字です。加えて言うなら、Dスタジオでやっている「フラメンコ」練習場もそんな感じです。幅を広げてイロイロやっている中で、どうにかこうにかヤッテいるのです。しかし、卓球場もレンタル自習室もフラメンコももし弊社がやめたら・・・困る人達がいる事だけは確かです。この人達のためだけに営業を続けている・・・と言っても過言ではありません。レンタル自習室は誰にも邪魔されずに静かに1人で仕事や勉強をしたい需要があり、卓球場は公共体育館のシニアアスリートの輪の中に入り辛い自分たちだけワイワイ楽しみたいファミリーピンポンという需要があり、私もスペイン旅行で本場のフラメンコという芸術に接した思い出を大切にしたいのです。まぁ逆に言うと、これほど厳しいニッチマーケットなので大手が参入して来ないという安心感があります。だから、細々とながらやる価値があるのです。この辺のボーダーラインが何とも微妙です。零細企業でも採算ギリギリのニッチマーケットなんて、大手は見向きもしないのです。という事で、大阪の片田舎の人口8.3万人しかいない貝塚市で都会型ビジネスであるトランクルームを18年前に起業し、8年前に音楽スタジオを起業しましたが、それからトランクルームの空室対策として「レンタル自習室」「卓球場」「フラメンコ」も始めましたが、よくここまでお客さんができたなぁと自分でも驚いています。これら3つや音楽スタジオに共通しているのは、歴史の浅いグランピング施設と違って3,40年前から少ないながらも根強い人気があり、10年後も流行に流されずに多くの企業が細々と残っているだろう・・・という点です。やはり「企業は生き残ってナンボ」ですから。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.04.23
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中小企業のオーナー経営者は私も含めてだいたい休みなく働くハードワーカーですが、過労で死んだというのは聞いたことはありません。雇われだとストレスが溜まりますが、自分の思うようにできる好きな仕事なのでストレスが溜まらないのです。まぁいくら働いても24時間は無理なので、最低限の睡眠や食事を引くと、実質的には毎日だいたい15,6時間といったところではないでしょうか。通勤時間や出張というのが最大のロスというの知っていますから、私のようなに通勤時間1分みたいな職住近接が仕事効率の観点から多いと思います。サラリーマンでもイヤイヤ仕事をやったりするストレスも溜まりますし、最悪の場合は過労死なんて言うのも聞いた事がありますが、そこまで会社に尽くす必要があるのかと不思議に思います。大きな会社になるほど、簡単にリストラや左遷なんかを平気で行ない、業績が悪ければ従業員ごと売却したりしますから。まぁしかし、中小企業のオーナー経営者は仕事を仕事と思っていないのでは・・・?趣味と同じで何時間でも没頭できる・・・という仕事が趣味みたいなものです(笑)。しかし一般的には仕事は一体何のためにするのか・・・?という人生の根本的な事を考えると、メシを食うためです。メシを食えるだけの仕事をすれば、それでイイのです。ならば、どれくらい仕事をすればイイのか・・・?それは人それぞれです。イヤイヤ仕事をするより、寝食を忘れて仕事をした方が良いに決まっています。ならばどうするか・・・?好きな仕事すればいいのです。私の場合は本業はトランクルームですが、4つの副業(音楽スタジオ、不動産仲介業、月極駐車場、卓球場、レンタル自習室)のうち1番目の副業に趣味も兼ねた音楽スタジオを展開しているのがミソです。音楽スタジオが本業ではチョッと危なすぎます。楽しみながら副業するというのがポイントで、これも私がいなくても24時間回るようにするのが更なるポイントです。24時間スタジオを回すために、業者に頼らずスタッフも雇わずにオートロックや18台の防犯WEBカメラといったテクノロジーを駆使するのです。ココです・・・ポイントは。という事で、空手の突き練習を100本続けるのも、だんじり鳴物の大太鼓の駆け足4番(刻み)を2分叩くのも脱脱力とコツが必要です。24時間働くのも趣味を入れる事によって脱力(リラックス)とコツ(長年のキャリア)が効果を発揮するのです。従業員を24時間働かせれば問題ですが、経営者がいくら働こうと誰も文句は言いませんから・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.03.30
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今から18年前の49歳の時に家業の織物業からトランクルームに転業しましたが、これによって60歳までしか織物業を続けられなかったであろう事が、20年延びて80歳までトランクルームで稼げるでしょう。単にトランクルームだけなら80歳までもたないかも知れませんが、後継者もいることですし、地域密着型の周辺事業(不動産仲介、音楽スタジオ、レンタル自習室、卓球場、月極駐車場)のシナジー効果で本業のトランクルームを死守しているという外堀戦略で80歳までイケるだろう・・・と(汗)。まぁ、この20年の差は大きいと思います。355日24時間エンドレス操業の織物工場で肉体を酷使していましたので、60歳まで織物業を続けていたら身体がボロボロになっていたでしょうから・・・(汗)。49歳で自分にストップをかけて、肉体的ににヨカッタのです。年齢に応じた仕事に上手く転換できるかがポイントです。一般サラリーマンは55歳の役職定年で年収のピークを迎え、60歳定年まで右肩下がり、その後継続雇用で65歳まで同じ会社で働けて年収が更に半額程度になりますが、私の場合は49歳で転業していたので「60歳は単なる通過点」でした。サラリーマンも55歳ならまだまだ若く現役バリバリに働けるのに、会社の都合で55歳でギャフンといわされるのもオカシな話ですが。この日本のサラリーマンの宿命とも言える「55歳のショック」を・・・ジョブ型が多い欧米では不思議と思われているでしょう。まぁ人生は長いですから会社のルールや世間の常識に翻弄されないで、60歳を一つの区切りなんて考えずロングスパンでモノゴトを捉えると人生がもっと充実するでしょう。人生をなだらかなカーブにイメージして仕事を変えていけば、年収が激減してヤル気が失せる事もないでしょう。そもそも会社なんて存続させる(倒産させない)ことが第一で、一社員の一生を保証するなんて毛頭思っていませんし、家庭を犠牲にして一生懸命働いてトップに上り詰めた上場企業のサラリーマン社長や役員でも大株主でもない限り会社を辞めたらタダのオッサンという厳しい現実が待っているのです。我々中小零細企業のオーナー経営者は経営権と大株主という両方の権利を握っていますので、こういった右肩下がりの「下りカーブ」とは無縁なのです。まぁしかし、この60歳以降の20年間は右肩下がりではなく平行線で、80歳まであと13年ですから、健康さえありさえすれば十分射程距離の範囲内です。これからはこれまで通り無借金経営を貫き、無理をせず、健康と食事と運動に気をつけて走らず、足元を見つめて着実に歩いていくだけです。とにかく見栄を張るとコストが3倍掛かると言われていますので、これまで通り見栄を張らずに堅実に、地味に・・・まぁ経営者にしてもサラリーマンにしても10年くらいの長期展望をもって先を見つめ「この先どうするか?」と考え続けるのは大事だと思います。自分に落ち度がなくても、世界情勢の変化や会社都合でどうなるかわからない世の中ですから。私もエラそうなことを言っても、その「天変地異」に備えなければ・・・と無意識のうちに緊張しているのか、6,7時間しか寝れずに毎朝4時に勝手に目が覚めるのでしょう(汗)。その証拠にコロナ前のハワイロングステイでは、日本での緊張から解放されたのか、8時間以上寝て朝は8時にならないと目が覚めませんでした・・・(笑)。この自分ではワカラナイ緊張感・・・というのが自律神経を支配しているのか?という事で、私もそうでしたが子育てが一段落した40代後半から50代前半に掛けて、フッと10年先をボヤっと考えるモノですが、ただ考えるだけで終わるか?行動に移すか?で10年後に大きな差がでるのは当然ですが、問題は更にその10年後、20年後と人生が一変するなんて誰も想像できないのです。10年後の未知の人生のレイアウトを描けるか否か・・・? 想像力、妄想力、創造力の勝負です。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.03.25
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今弊社では娘と2人のファミリービジネスで五毛作経営(トランクルーム171室、音楽スタジオ4室、不動産仲介業、月極駐車場、テレワーク室、卓球場)を営んでいますが、そんな事になったのは18年前まで営んでいた織物時代の多品種小ロット生産がヒントでした。ヒントと言うより、これはもう私の身体に染みついたスタイルでしょう。人間というのは変われないのです・・・(汗)。昭和50年代後半までの父親の時代は100%伊藤忠からの少品種大量生産の発注(賃織り)でナントかなっていましたが、バブルが崩壊してから状況が激変してしまいました。これまでのやり方が通用しなくなったのです。バブル崩壊とグローバル化によって伊藤忠は大リストラを敢行し、内地ビジネスより投資やヨーロッパブランドの製品インポートビジネスに傾斜していきました。ならば、こちらも転換しなくては・・・と総合商社に取って代わって新規に紡績や合繊メーカーに直接売り込みを掛け、新たに繊維専門商社や浜松の繊維産元をドンドン開拓しました。この辺はサラリーマン時代に培った営業力を発揮できました。いくら営業力があっても現場の経験がなければ取引先の要望に即応できませんが、そこは私は同業者では珍しく叩き上げの職人でもあったので、営業と現場が一体になっていたのが強みだったのです。特にエアージェット織機を導入してから2年間は男性社員がいなかったので、朝5時から夜の10時まで現場に張り付いていたのがヨカッタのです。食欲が減退するほどの過労だったので、体重がこの時人生で最低になるほど痩せました・・・(汗)。まぁ正に窮地に陥った時の「芸は身を助ける」で・・・「零細企業経営者は何でもやならアカン」というのを父親の背中を見て育ったからです。こういった商取引の大転換で多品種小ロット生産が定着していきましたが、現場がひっくり返りそうになるくらい忙しくなりました。従来1回の発注が10万mくらいのだったのが、いきなり5000m~1万mになったのですから。「とりあえず1万m注文しよか」という産元からの初めての注文に、正直あまりの少なさに腰を抜かしそうになりました・・・(笑)。まぁ仮需を前提としたオッパ商品と言われていた相場(定番)品種がなくなり、実需や備蓄に基づいた生産しかしなくなったのです。それに加え、大きな注文を取るために、たった1反という試織も積極的に受けました。試織を1回受けると、ロスが多すぎて5~10万円の赤字でした。断ると次の注文が来ないので、受けるしかないという状況でした・・・(汗)。試織屋という専門の業者があるにもかかわらず産地の織物業者に無理を言うのは、国内外に同業他社が沢山いましたので「ここなら安くできるだろう(断れないだろう)」と足元を見られていたからです。しかし残念ながら試織を受けても、本番の大量生産に繋がる注文は殆ど来ませんでした。発注する側もリスクがありビビっているのが手に取るように分かりましたので、それ以上追求するのは諦め、やはり最終マーケットを意識しないと何をヤッテもダメなんだと・・・逆にこれからは人をアテにするのは止めようと反省しました。そういった事情でバブル崩壊以降の織物時代は年355日24時間エンドレス操業で多品種小ロット生産(月産20万m)で経営してきましたので、18年前にトランクルームに転業当初は空室を埋めるために苦戦しましたので他社の織物工場で1年半働きながら宅建士を取ってその後事務所で不動産仲介業を開業したり、24時間営業の音楽スタジオをトランクルームの中で起業したり、同じようにテレワーク室(レンタル自習室)や卓球場をやったりして、アノ手コノ手でトランクルーム171室を埋める努力をしました。特に音楽スタジオはバンドだけでなく、ダンスや和太鼓も出来るようにしたのも、織物時代の営業で毎週金曜日に朝から夕方まで大阪船場の繊維街を駆けずり回って注文を取り、多品種小ロット生産で現場がひっくり返るような忙しさで24時間回していた経験からでしょう・・・そういう意味で織物時代の「ニガイ経験」を活かしていると言えますが、今いくら五毛作経営と言えども、実感としては織物時代の10分の1くらいの苦労で済んでいます。だから今67歳のジイサンでも、ボチボチ仕事を続けていられるのです。まぁ毎週金曜日に船場への営業も、朝2時に起きて現場でタイイング(つなぎ)を2本済ませ、電車に乗って朝一で商社に飛び込み、真夏のコンクリートジャングルはカフェでビールを飲んでも酔いはすぐに消え、夕方まで本町を這いずり回り、夜は取引先と宗右衛門町やアメ村の居酒屋やライブハウスやショットバーに繰り出してストレスを発散して毎回水間線の終電で帰ったのも懐かしく思い出されます。本町ではミスターフライデーと呼ばれ、地元名越では「金曜は○○はいやへんどォ」と噂され、家内にはミナミの帝王とイヤミを言われ・・・若かったんだなぁと(笑)。という事で、現在の五毛作という姿は過去の織物業とは全く違う姿ですが、中身は脈々と受け継がれていたのですが、こんな事がいつまで通用するのか・・・?この辺が1番心配するところですが、新たなチャレンジとして2年前に和太鼓6台を購入し新しいマーケットとして「だんじり鳴物」や「インバウンド向け和太鼓体験」を開拓すべきと考え、自分自身も英語を学び直ししつつ徐々に経営内容を変化させていってますが・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.03.01
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1月に新車で購入した軽トラックが、立派な「宣伝カー」に変身しました。以前から懇意の看板関係はすべてお願いしている貝塚市地蔵堂の看板屋さんに今回もステッカーを貼ってもらいました。軽トラの四方に「トランクルーム貝塚」と「スタジオ0724」のスタッカーをデカデカと貼ったのです。事前に採寸に軽トラを持って行き、後はLINEで画像を送ったりして打ち合わせ完了で、直ぐに見積もりをもらって発注。間に業者や仲介人の入らない2人同士のやり取りなので、細かいところも十分伝わり話が早いです。今回も前の軽トラと同じように四方に目立つステッカーを貼ってもらいましたが、前回の反省であまりゴチャゴチャ書くと余計に分かりにくいので、今回はURLとQRコードを載せず、トランクルームと音楽スタジオ以外(不動産仲介業、テレワーク室、卓球場)の宣伝も止めました。ただバンド、ダンス、和太鼓という最低限のせたいキーワードだけは小さく載せています。スッキリさせて、目立ちたい2つだけに絞りました。そして会員数が8年で2500人近くになったスタジオ客の70%は10代と20代の若者ですので、今回は前回と違い「スタジオ0724」を「studio0724」の英語表記に変えて、読み易さより少しでもカッコ良さを追求しました・・・(汗)。まぁグローバルな時代ですから、単に軽トラを近隣で乗り回すだけでなく、画像がインターネットに乗って世界に広がりますので、カタカナ表記より英語表記の方が拡散効果があります。スタジオにバンド用の楽器機材だけでなく和太鼓6台も2年前から常設していますが、これを単に泉州エリアの青年団に「だんじり鳴物」などの練習に貸すだけなら経営者失格で、シンの商売人なら常にグローバルというのを意識して、急増するインバウンド向けの「和太鼓体験」をWEB戦略としてインターネット配信して新たなニーズを掘り起こさねば・・・(汗)。長い目で見れば大太鼓と小太鼓の2台だけで事足りる「だんじり鳴物」より、世界的に普及している中太鼓を使った一般和太鼓の方が可能性が高いと踏み、中太鼓4台もついでに購入した事が吉と出るか・・・?「この潜在需要を開拓できるのは、関空に近いスタジオと和太鼓を所有し英語が喋れるオレしか大阪ではいないはず・・・」だと(汗)。関空に近いというのが何よりラッキーで、これは私の努力ではなく、2軒隣の本家の仁左衛門から数えると5,600年も前から名越に代々住んできた先祖のお陰です・・・(涙)。まぁここ1週間、寝ても覚めてもこのインバウンド需要の事が頭から離れず、もう完全に寝不足ですが、着々と準備を進めています。という事で、あとはオートバックスでパイオニアのオーディオディスプレイやドライブレコーダーを取り付け、スピーカーをパイオニアの高級品に取り替えライト4つをLEDに替えて、宣伝カーも兼ねたオリジナルカーが完成です。これでウインドサーフィンにも道具を積んで行きますし、車を持っていないトランクルームのお客さんにもレンタカーとして貸し出ししていますし、私もお客さんも出来るだけ気分よく乗りたいモノですから。とにかく、これまでの様に自転車に乗らない片道15分以上のところには軽トラに乗っていき、ホームセンターや食品スーパーの駐車場に止める時はできるだけ目立つ「入口側」や「角」に止めて、「おっ!なんや?」とビックリさせ毎日1人でも多くトランクルーム貝塚とスタジオ0724の事を知ってもらえるよう、日々のアナログ営業にも励みたいと思います・・・(笑)。まぁ「動く(移動する)看板」で毎日の事なので、これがジワジワと効いてくるんですねェ・・・今のインターネット時代のチェーン店ではない地域密着型の小規模店舗ビジネスでは、こういったアナログ戦略とWEB(デジタル)戦略の両輪で攻めるのが基本中の基本と言えるでしょう。あのダイハツ問題がマスコミに出る直前にダイハツとの相見積もりで値切ったにもかかわらず、フロントのステッカーが貼りやすいように正面のスズキのエンブレムを快く無料で外してくれ、旧軽トラのドライブレコーダーも無料で外してくれた南海スズキさんに感謝です。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.02.01
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今年は祖父が昭和24年(1949年)に現在の「トランクルーム貝塚」の所在地で織物製造業を創業してから75年、父が会社を設立してから60年です。昭和24年と言えば、日本にはまだまだ敗戦の傷跡が残っている頃です。おそらく昭和20年に戦争に負けてから間もない昭和21,2年頃に「織物業をやろう!」となって創業したのだろうと思います。祖父が終戦直後に苦労して木材を集め、今のトランクルーム貝塚「別館」を建てたというのを聞いていましたので、18年前に織物業を廃業した時に取り壊すのをやめて、耐震補強と全面リフォームしてトランクルームとしてコンバージョンしたのです。まァ日本国民みんなが意気消沈している頃に「やろう」!なんて、よくそんな元気があったのだろうと思います。そんな当時の祖父の想いを忘れないために、今回も記念ボールペンを作りました。私も祖父の意気にあやかり、円安やコロナ後の景気の悪い今こそ「がんばろう!」・・・と(汗)。残念ながら創業時の織物業は18年前に廃業してしまいましたが、定款を変え事業内容をトランクルームや音楽スタジオなど(他に不動産仲介業、テレワーク室、卓球場、月極駐車場)に変えて会社を存続させています。天国の祖父や父は私の激変ぶりをどう思っているのでしょうか・・・?時代と共に世界の社会情勢も大きく変わり、それに合わせて織物工場の場所を移動することなく、事業内容を変えながら細々と営んでいる私を理解して欲しいと思います・・・(涙)。160年前の江戸時代末期の頃に2軒隣りの本家から曽祖父が分家して、それ以降先祖代々住んで織物製造業を75年前に創業し、18年前からトランクルームに事業内容を変えて営んできましたが、これからもこの地で細々と時代にあった事業内容を変えながら何かしらビジネスを続けていきたいと思います。その祖父ですが、私が小さな子供の頃に従兄と一緒にリヤカーに乗って千石荘によく蝉取りにつれて行ってもらったり、犬小屋や子供だんじりを作るときに「ネジを締めるときは”の”の字に回すんやど」とアドバイスされ「おじいちゃんって、何でも知っているなぁ」と感心したり、3つ下の従妹が生まれた時に「おじいちゃん、20円やるさかい赤ちゃん生んで~」と頼むと、ニヤッと笑っていたのを思い出します・・・私も6人の孫にとって、そんな楽しいジイジを目指したいと思います・・・(笑)。という事で、前回の「70周年記念」の時は1000本も作り配布するのに苦労した記憶がありましたので、今回は500本にしましたので話のネタにしながら新規に会う人を中心にボチボチ手渡しで配っていきたいと思います。そして次の目標は5年後の「創業80周年」に向けて、地に足をつけて無借金経営を維持しながら着実に一歩一歩歩んでいく事です。文字通り、業者に頼らない自主独立で娘と2人で従業員を雇わない「ファミリー&無借金経営」というコンパクト経営がポイントです。というか、弊社のように自社の土地と建物で地主自らが業者(大阪府知事免許の不動産仲介業)も兼ねて、事業者として5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、テレワーク室、卓球場、月極駐車場)を運営管理しているところが差別化になっているのです。地域密着型の4つの事業をやりながら、貝塚市に特化した事業用不動産の仲介業というバラエティに富んだ情報が集まる事業も兼ねる事によって、幅広いシナジー効果を期待できるのが隠されたポイントだったのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.01.17
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織物業をやっている時に比べて、今は10分の1くらいの労力しか要りません。まるで毎日が遊んでいるようで罪悪感を覚えます。というのは、17年前まで20年間355日24時間エンドレス稼働の織物工場を営んでいると、トランクルームというサービス業に転業してからずっと「遊んでいるような罪悪感」があります。私と同じように製造業出身者がサービス業に転じると、同じような感じを抱くのでは・・・?製造業(織物業)では寸分を惜しんで工場(織機)の稼働率を1%でも上げる努力をしたりカイゼンと称して少しでも機械や設備の工夫をしたり、毎週金曜日は朝から夕方まで営業で大阪船場を駆けずり回っていましたので、サービス業(トランクルーム業)では客を待っている暇な時間が多いのがそう感じさせるのでしょう。なので、織機稼働率が常に90%以上をキープしていたのを考えると、トランクルーム内に8年前から始めた音楽スタジオを泉州最大級の4室も作ってしまい、その低い稼働率が気になって仕方がないのです・・・(笑)。もう今はベビー服チェーンの西松屋のような「ガラガラ経営」でもイイかなぁ・・・と諦めていますが(笑)。まぁ転業当初は仕事の内容が変わって、ココまで落差があるのかと戸惑いましたが、1年くらいで慣れてしまいましたが、未だに違和感みたいなモノが残っているのです・・・(汗)。そりゃそうです。子供の頃から換算すると、40年も家業の織屋をやっていたのですから。特に大学時代のシャットル織機時代は機械化が進んでおらず人力に頼るのが殆どで、荷作りも縄のロープを鎌で切る事から始め、鉄製の5,60㎏もあった空ビームを肩に乗せて1本運ぶだけでも真冬でも一瞬で汗が噴き出たのを懐かしく思い出します。そんな過酷な肉体労働の積み重ねもあって、40年後に脊柱管狭窄症の手術をした訳ですが・・・(汗)。しかし貝塚市から岬町までの織物業者だけで680社もありましたが(泉佐野のタオルや泉大津の毛布や岸和田以北の織物業者は別勘定で)、98%が倒産廃業してしまいましたが、弊社のように幸い?「廃業」できても工場跡地を売却したり貸したりする程度で、弊社のように業者を一切アテにせずに自社独自でサービス事業などを始めたところが殆どないところを見ると、やはり製造業からサービス業への転換に「落差」や「違和感」が壁になっているのか・・・?という事で、17年前まで多品種小ロット生産の月産20万mの織物業を営んできて、「来月の商売が未だに決まっていない」というのが毎日の悩みの種で、借金もありましたので24時間いつも心配していた感がありましたが、肉体労働が主だったので夜は案外熟睡できていたのがせめてもの救いでした・・・(汗)。とにかく早出の工員(機織り)、つなぎ(タイイング)、品種替え(縦替え)、織機の修理と改造、織物設計、筬の発注、織機の調整、検反、設備機械(電気、コンプレッサー、空調)の管理、荷作り、フォークリフト運転、営業、銀行交渉、パソコンによる業務管理、仕入れ、部品発注、サイジングの値段交渉と発注、経通し段取り、経理、受け渡し(糸と織物)、人事労務、従業員の送迎・・・これらを全て熟していましたので、ゴルフやロータリークラブや商工会議所に行ってるヒマもなく忙しすぎました(汗)。ウインドサーフィンとジムだけは少しのヒマを見つけては通っていましたが・・・(汗)。まぁ今は無借金経営でトランクルームという割と安定した収益体制ですが、それがラクすぎて逆に「これでイイのか?」と心配になります・・・(笑)。いずれにしても、今の余裕の仕事スタイルなら75歳まで今のスタイルを貫き、75歳からは午前中だけ仕事をして午後からはフリーになり、昼からのんびりマーブルビーチにウインドサーフィン行ったり、ビールを飲みながら地元泉州だけでなく大阪市内や和歌山市内のバーやライブハウス巡り・・・なんて(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.01.06
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弊社は5つのビジネス(トランクルーム171室、音楽スタジオ4室、不動産仲介業、テレワーク室9室、卓球場2室、月極駐車場22台)を娘と2人で営んでいます。所謂ファミリービジネス、家族経営です。一般的に企業は事業が拡大してくれば従業員を増やしますが、弊社は事業や売上が増えても一切雇いません。パソコンや防犯WEBカメラなどの最新テクノロジーを駆使して、2人だけでナントか5つのビジネスをやっていくのです。これが弊社の基本戦略の根幹です。2人だけの行動範囲や行動力に限りがありますので、その範囲内で効率を高めるビジネスを考えているのです。となると、やみくもに売上を求めるより、利益重視です。まァ売上を捨てる・・・という思い切った戦略です。平たく言えば、お客さんを選ぶという事で、トランクルームには審査があり、スタジオその他は会員制にしているのです。スタジオ利用も2時間以上にして1時間だけの利用はすべて断っているのは、90%のお客さんは2時間以上の利用なので、1時間だけのお客さんを相手にすると5つの仕事全体が回らなくなりますので、敢えて10%のお客さんを相手にしないのです。不動産仲介業でも片道15分以内の物件に特化しています(貝塚市限定)。近隣の岸和田や泉佐野の1億円の物件の売買仲介のオイシそうなオファーがあったとしても見向きません。まぁこれによって、不要なクレームが激減し、本来の仕事に集中できるのです。確かに、これよって売上が減りますが、何の問題もありません。逆に100%ウエルカムの誰でも来てくださいでは、売上が増えますがクレームに振り回され、何のために仕事をしているのかわからなくなります。お客様は決して100%神様ではない・・・のです。病院や飲食店は患者さんや客をなかなか断りにくいですが、弊社は契約やルールに従わなかったり合わない人は堂々と利用を断っているのです。こちらが客を選ぶ、選べる・・・という主導権を取れるビジネスがポイントです。こういった思い切った戦略に出れるのも無借金経営に徹しているからで、銀行に借金があればどうしても売上至上主義に走ってしまいがちです。焦って「?」な人と無理に契約をしたり会員登録する必要もありませんので、あとあとのトラブルに悩むこともありません。まァとにかく、これまでサラリーマン時代から始まって、織物時代~トランクルーム、不動産仲介業、音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場、月極駐車場といった40数年も社会人経験を通じて、相当な数の人との付き合いを通じて「イロンナな人がいるなァ~」というのが実感です。その中で「付き合うべき人と、付き合うべきではない人」との区別がハッキリ分かったのが成果です。この辺の選択、呼吸、スタンス、間合い・・・が人生を上向きにさせるのです。経験が成せる業です。正に「数(量)が質を上げる」のです。という事で、これからも家族経営に徹し、売上に拘らない利益重視で頑張っていきたいと思います。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.12.24
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弊社は所在地は水間鉄道の名越駅から徒歩4分です。歩いてたった4分というところが、弊社のような店舗ビジネスにとって絶対有利なのです。「トランクルーム貝塚」を利用される方で、車を持っていないという方が案外多いのです。荷物の搬入は引越し業者に任せればいい訳ですから、敢えて自分の車で運ぶ必要がありませんから。「スタジオ0724」にしても、会員2450人超の70%は10代や20代の車をあまり持っていない世代ですから、近ければ自転車で来られますし、そうでなければ電車や単車で来られます。今の若者の考え方は合理的で、コストの掛かる車より趣味にお金を掛けようという傾向なので、電車が多く車で来られても軽四にバンドメンバー全員が乗ってくるパターンが多いのです。そう考えれば、水間鉄道の売り上げに多少は貢献しているかも・・・(笑)。ギターを背負って名越駅を降りてスタジオまでゾロゾロ歩く高校生ミュージシャンの姿が、近所ではもう風物詩になっているのです・・・(笑)。トランクルームやスタジオ以外のテレワーク室や卓球場や不動産仲介業も電車でやって来るお客さんも少なからずいますが、これも南海本線の急行が停止する貝塚駅から連結している水間鉄道が案外便利だからです。スタジオに限って言うと、近くに昔から軽音楽部が盛んで有名なギタリストを生み出した貝塚南高校があり、そこの生徒さんは放課後に学校から歩いてきたり、名越駅やもっと離れたJR和泉橋本駅から歩いて来られますし、車でも大阪市内や和歌山から来る場合に阪神高速湾岸線と阪和道の両方の貝塚インターから15分真っすぐ走って「名越北」の信号を曲がってから直ぐという非常に分かり易い道路事情なんかも集客の後押しをしています。これが浜手の南海貝塚駅寄りだったり、山手の水間駅寄りだったり、駅から遠く道がクネクネと分かりにくかったら集客が難しかったのです・・・(汗)。更に令和2年から事業化がスタートした都市計画道路の泉州山手線のインターが近くに出来る予定なので、ますます和泉市や堺方面からの集客に貢献してくれるでしょう。という事で、17年前までガチャガチャと織機音が鳴り響いていた2棟の織物工場がシーンと静まり返った171室のトランクルームユニットに変わり、その10年後には音楽スタジオも出来て、その7年後の今はスタジオ会員数が2450人を超えるなんて誰が想像したでしょうか・・・?まァ親ガチャならぬ、土地ガチャか・・・(笑)。先祖代々この地に住んでいるので、ホンと感謝しなければ・・・(涙)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.12.20
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5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、テレワーク室、卓球場、月極駐車場)を通じて感じる事は、新規顧客の開拓こそがビジネスを長続きさせる為の生命線だという事です。毎日ブログを書いて発信し、それをSNS(フェイスブック、X、インスタグラム、LINE、TikTok)にリンクさせる事によって、毎日新しいオファーが入ってきます。毎日、見知らぬ人から電話やメールや、時には直接訪問されているのです。毎日、毎日・・・というのがポイントです。とにかく、ここまで誰もできないだろう・・・と思うくらい、シツコイほど努力して発信する事です。「こんなんヤッテまっせ!」と。消化試合的な仕事と違って、ブログやSNSといった仕事(発信)はインターネット上にずっと残る事が大きなメリットです。なのでスタジオ会員数が7年で2400人を超え、LINE友だちも2300人を越えました。しかし会員数がこれだけ増えても、数字が読める安定した月極のトランクルームに比べてスタジオ会員さんのリピーターが少なく不安定なので、新規顧客の開拓の必要性があったのです・・・(汗)。やはり音楽業界に分類されるスタジオ経営は、基本的に不安定な日銭を稼ぐ水商売なのです・・・(汗)。まぁとにかく分母である会員数を増やす事によって、リピーターの数を増やして少しでもスタジオ経営の安定化を図るという戦略です。既存客を守りながらも、新規開拓にも力を入れる・・・4:6くらいの感じでしょうか。まァ如何に新規顧客の開拓が大事だというのはサラリーマン時代に痛感し、織物時代の多品種小ロット生産で鍛えられました。大卒後の4年間の建築建材金物メーカーのサラリーマン時代に異業種に新規開拓した事と、織物時代に多品種小ロット生産をしていた経験が、今の多角経営に大いに役立っているのです。サラリーマン時代は建築建材金物メーカーの営業マンとして、従来のルートに加えて自社商材を異業種に新規に売り込む(飛び込み営業)事にも精を出していました。従来の金物業界(ホームセンター)や量販店ルートに加え、画材ルートや工具商社ルートや家電ルートを開拓していったのです。江坂に新業態の東急ハンズが関西初出店してきた時はイの一番で売り込みをかけ、従来の金物的発想から180度考え方を変える必要がありました。売り先が変われば、こちらもスタンスも変えなければ商売は長続きしないというのを、ハンズから学びました。織物時代も昭和50年代半ばまでは少品種大量生産が通用していましたが、もう昭和の後半になると真逆の多品種小ロット生産に対応していかないと国内で織布業が出来なくなりました。その為に色んな繊維業界に新規で売り込みに行きました。寝装&寝具業界(羽毛布団の側地、シーツ地)、ユニフォーム業界(静電防止糸入りワーキング、警察向け、厚生省向け)、中近東への輸出部隊(トーブ)、レディス(ポリエステル)、シャツ地、通販(メーカーと組んで製品販売)、資材(研磨布、旗、テーブルクロス)、SPA向けカジュアルパンツ(ストレッチ糸入り)、カジュアルジーンズ(太番手)、ハンカチ(細番手)、武道衣(空手用)・・・まァ平たく言えば、サラリーマン時代4年+織物時代20年の24年間はチャレンジに次ぐチャレンジの連続で、トランクルームに転業してからの17年も同じような感じです。社会人になってから40年間で学んだことは「文字通り、時代の変化に合わせないと生き残れない(食っていけない)・・・」という至極シンプルで当たり前の事を身をもって体験した事だったのです・・・そう、時代は目に見えない速度で、変化し続けるのです。ココです・・・ポイントは。特に経営者は知らなかったや、見えなかったでは済まされません。まァ40年間に取引先や友人や知人で、戦線離脱(倒産、廃業、夜逃げ、転業、起業、倒産で離婚と一家離散、横領で解雇、起業で成功、サラリーマンに転身、脱サラ、無一文、海外に移住、行方不明、無職、病気、自殺)していった人も多く、現実社会の厳しさをイヤと言うほど感じました。という事で、3年前から徐々に後継者の娘に譲っていってますが、「もう限界だなァ」と思う直前まで新規開拓に頑張っていきたいと思います。その限界が5年後か、10年後か・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.12.18
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弊社「トランクルーム貝塚」の所在地の貝塚市の山手エリアは、田んぼが広がる大阪市内から車や電車で1時間のいわゆる田舎です。元々は数百年前から存在する農村地帯で、私が子供だった60年くらい前は農業か地場産業だった織物業関連の仕事についているかのどちらかで、親が大阪市内に勤めるホワイトカラーのサラリーマンなんて殆ど聞いた事がないほどでした。それほど職住近接でした。ところが60年経った今は、専業農家は町内でたった2軒となり、11社あった織物業は1社になってしまいました。特に貝塚市から岬町まで弊社と同じ織物業者は680社ありましたが、今は15社ほどしか残っているようで98%も激減してしまったのです(泉佐野のタオルや泉大津の毛布や岸和田以北の織物業者は別勘定で)。織物工場の跡は、だいたいスーパーや建売りや駐車場に変わっています。織物業という第2次産業(製造業)が激減し、その跡に小売りなどの第3次産業(サービス業)が激増したという日本の産業構造の大きな変化が小売り間の過当競争を生み出し、いつまで経ってもデフレが解消しない根本的原因です。まァ時代の流れは残酷です。織物業からトランクルームに転業した過去17年を振り返ると、都会型ビジネスの典型である「トランクルーム」と「音楽スタジオ」の経営を大阪の郊外にある人口たった8.3万にしかいない貝塚市で起業した事がそもそも邪道でした(大阪市275万人、堺市84万人、東京23区972万人)。日本全国を見渡しても、人口が多い東京23区と大阪市内に屋内型トランクルームと音楽スタジオが集中していて、人口が少ない地方や田舎ではそれらのビジネスは難しいというのが昔も今も通説です。過去40数年の泉大津以南の泉州における音楽スタジオの数は、昔も今も3,4軒といったところがそれを証明しています。まァ邪道とは、一般的に本筋に沿わない不当なやり方を指しますが、正にその通りです・・・(笑)。平たく言えば、教科書通りにやっていないのです。それでも経営が成り立っているのを、大学の経済学部や商学部の教授はどう証明するのでしょうか・・・?オモシロいですねェ・・・教科書通りにいかない・・・コレがビジネスの実際の現場です。私は二流の外国語学部大学出身ですから、経済学なんて学校で全く習っていませんし、全くの独学です。強いて言えば、子供の頃から「将来は父親の跡を継いで織屋の大将になるんやろうな・・・」みたいな気持ちがあった程度で、家や工場に頻繁に出入りする繊維関係の業者と小中学生の頃から普通に世間話をしていたのがヨカッタのかも知れません。早熟と言えば早熟だったのでしょう。しかし貝塚市でも山手エリアの名越という古くから集落のど真ん中で。名越から多く人が大阪市内や東京に仕事で出て行って帰ってきません。「名越では仕事がないから・・・」と一様におっしゃいます。確かに建築や土木関連のブルーカラー的な仕事ならいくらでも仕事はありますが、高学歴社会になって大卒者が多くなればホワイトカラー的な仕事をしたいのは仕方のない事です。貝塚といった田舎ではホワイトカラー的な仕事が少ないのです。こういう今の日本の現象が、空き家問題を加速させるのです。大阪府にある貝塚市でさえ、こういう問題に悩まされているのですから、もっと田舎や地方は推して知るべしです。しかし、田舎でも仕事をやろうと思えばできるんです。零細企業経営のポイントは「最新テクノロジーの活用」「インターネットによる広範囲からの集客」「業者を排除したエンドユーザー直ビジネスの構築」「ニッチマーケットにターゲットを絞る」の4点に集約され、これを上手に組み合わせて利用できるか否か・・・だろうと思います。平たく言うと、いつまでも電話に頼ったアナログ営業で時間を食い、特定の狭いエリアしか商圏がなく、エンドユーザーとの間にいくつもの業者が入り、どこでもやっている(同業者が多い)ビジネスの将来は厳しいのです。織物時代もそうでしたが、糸相場や電気代やサイジング代や人件費といったコストが丸見えなビジネスは同業者間で差別化が難しいので、なるべく「原価の分からない(仕入れを上手にする)」ビジネスがポイントになるでしょう。という事で、日本全国の地方や田舎で空き家が問題になっていますが、根本原因は「地元に仕事がない」という事ですが、私の例を見ても本当でしょうか・・・?仕事がなければ、どこかに勤めるという発想自体を180度転換し(捨て)、私のように自分で作ればイイ訳ですから。49歳までブルーカラー的な仕事が80%の織物業を営んできて(20%がホワイトカラー的な営業と経理の仕事)、「このままでは60歳までに身体がもたないだろう」と危惧し、ホワイトカラー的な仕事が大部分のトランクルームに転業した経緯があったのです・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.12.16
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人間は飽きる動物です。特に私は・・・(笑)。人類学者ヘレン・フィッシャー博士は自身の著書で「恋は3年で冷め、愛は4年で終わる」と書いているそうですが、人生を振り返るとナルホド思われるフシがあります。保育園児の頃からだんじり大太鼓を叩き始め、大太鼓を叩き飽きると小太鼓や鉦を叩き、笛まで吹いたりしていました。そのお陰で、だんじり鳴物に関してはオールマイティという事になります。単なる子供の頃の趣味だったのですが、それが50数年後に起業した音楽スタジオに和太鼓を導入してビジネスにするなんて・・・想像を遥かに超えていました。一生懸命やってきて「鳴物なら任せとけ!」という子供ながらの自信がついたんでしょうねェ・・・小学生の頃は絵(図画工作)が6年間の成績がずっと5の得意なだけで4教科の成績は良くなくて、人生初の自信が大太鼓だったのです・・・(笑)。経験を通じての自信・・・ここがポイントです。小学生でも経験を通じて自信をつける事も出来ますが、50歳60歳になってもそんな経験がなければ心の底から自信は湧いてきません。人生なんて、そんなモノです。いくら本を読んだりセミナーに参加しても自信なんかつきませんし、本もセミナーもみんな売らんがための商売だと言えば身も蓋もありませんが。たまたま中学3年で全国民謡大会?みたいなコンテストでクラスが大阪代表に出る事になり、私が鳴物チームの大太鼓担当で受験勉強そっちのけで一生懸命練習した結果、音楽の先生から「笹谷君上手やな、感動したわ」と絶賛され、内申10をもらって大いに励みになりました。やはり人間、何か1つに自信を持つと他にも波及効果が出るもので、受験勉強も冬休みから本格的に始めたお陰で成績が急伸し、高校受験直前の3学期のすべての5教科の実力テストで学年で5番以内に入るようになって自分でも驚きました・・・(笑)。単にだんじり祭の大太鼓の「何か好きな事に一生懸命になる・・・」という原体験が、その後の人生に大きく影響し、空手、ドラム、ウインドサーフィンに夢中になれたのでしょう。夢中になった、夢中になれた・・・というのがポイントで、「好きだから」です。案外できそうで、デキないのが「好きだから、夢中になる」事です。いくら好きでも、なかなかデキるものではありません。環境が揃わないと、なかなか出来るものではないからです。そういう意味で、時間的にも金銭的にも道楽息子のワガママを許してくれた親に感謝するしかありません・・・(涙)。特に大学時代から体育会で始めた空手と、学連加盟の同好会まで創部したウインドサーフィンは青春に命を賭けたというくらい頑張りましたが、林派糸東流の寝屋川道場に毎回死ぬ気で出稽古に行った時に全日本ベスト8の実力の流派の先輩のホンモノの突きや蹴りの気迫を感じ、全日本ウインドサーフィン選手権でスタート直前に優勝した人とたまたま遭遇して見えない風を拾ってスルスルとスタートしていく姿を見た・・・といったトップ選手を目の前で見た事によって、自分の実力と才能の無さに落胆した事が「転向」するキッカケになったのです。他の分野でガンバロウ・・・と(涙)。一歩引いて、空手とウインドサーフィンはもう趣味でボチボチやっていこう・・・と。大卒後の4年間のサラリーマン時代も、入社当初は「一生サラリーマンで食っていくんだ!」という意気込みで夜討ち朝駆けで早朝から夜遅くまで営業の仕事をしましたが、「サラリーマンの壁」にぶち当たり、泣く泣く家業に戻ってしまいました。戻る場所があったからこそ、「次のステージ」で頑張れたのです。次のステージであった織物業でも、古いシャットル織機から最新鋭のエアージェット織機に新工場を建てて総入れ替えして20年間頑張りましたが、洪水的な中国から日本への製品輸入で「こりゃダメだ」とトランクルームに転業したのです。トランクルームに転業した後も、当初は集客に苦労し「転業は失敗したかも?」とメチャ焦り、妻子4人と親を養うために他社の織物工場で12時間労働をして日々の生活費を稼ぎながら、朝2時に起きて宅建士の受験勉強を1からスタートし9カ月間がんばり、その後1発で合格してから業者としての免許も取り不動産屋の仲間入りを果たしました・・・(汗)。しかし数年はトランクルームと兼業しながら一生懸命頑張りましたが、後発と仲介業者の悲哀で「自分とこの不動産活用にもっと力を入れよう!」と仲介業は一歩引きながら、トランクルームの館内に音楽スタジオやテレワーク室や卓球場を作って現在に至ります。私の人生で、頑張ったけれど、ダメだった・・・の繰り返しは、やはり「飽きて」いるのです。逆に言うと、頑張り抜けなかった・・・という根性の無さになりますが(汗)。しかしこれが結果的に、経験値の積み重ねになっていた・・・と言う意味で、スティーブ・ジョブズの名言の1つである「あらかじめ点と点をつないでおくことはできない」という言葉に集約できると思うのです。という事で、子供の頃の性格そのまま生きてきた結果、今は娘と2人の家族経営で5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、テレワーク室、卓球場、月極駐車場)を営み、多くの趣味(ドラム、だんじり鳴物、ボランティア空手、ウインドサーフィン、旅行、読書、左甚五郎研究、英会話)に埋もれ、孫6人にも囲まれてストレスなしで生きています・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.12.15
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店舗や貸倉庫やビルのテナントといった貝塚市に限定した事業用不動産仲介業(貝塚不動産.com)を15年営んできて思う事は「地主、借主、事業者の3つがバラバラなんだなぁ」という事です。裏を返せば、誰も「地主が1人で事業をしていない」という事です。地主が単に土地や建物を貸すだけで何もせずに、業者に企画から運営管理まですべて丸投げしているとか、集客を不動産屋に頼んでいるとか。業者に依頼する最大のリスクは、業者にハシゴを外されたら自分1人では何もできないという事です。まぁ1949年から代々織物業を営んできた私にしては、不思議と言えば不思議です。何故なら、織物業は自分の土地に自分のリスクで建物を建て、現場から経理や営業をして従業員を雇っていましたが誰にも頼らず経営していたからです。サービス業と製造業と産業構造は違いますが、不動産仲介業を通じて「この違い」に驚きました。店舗ビジネスを始めるのに一般的な「借りる」という発想が、我々製造業出身者にはないのです。泉州の地場産業だった織物業の歴史は古く、サービス業は戦後から増えてきて歴史がまだ浅いという背景もありますが。今の5つのビジネスは、その織物時代の考え方や手法をそのまま踏襲していますが、これを本業のトランクルーム業界や副業の音楽スタジオ業界から見たら「異端児」という事になるのです。オモシロいですねェ・・・業種の違いや見る角度やスタンスが違うと、まるっきり違うシーンになってしまうのです。トランクルーム業界は土地所有者や建物所有者が業者に管理運営を丸投げし、音楽スタジオ業界は業者が都会のビルのフロアを借りて運営するというのが一般的です。どちらのビジネスもマンション経営と同じで、不動産の所有者とエンドユーザーの間に複数の業者が入るという意味で同じ構造です。土地と建物の所有者である弊社の戦略は「地主=業者」なので、中間業者が一切介在しないエンドユーザー直のシンプル経営が、何より最強スタンスだったのです。弊社の場合5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、テレワーク室、卓球場、月極駐車場)で更に、業者は要らないばかりか従業員やスタッフも要らず、無借金経営に徹し、不動産仲介業で「業者」として他社(他人)の物件の仲介をして生の不動産情報を得て自社の4つのビジネスにフィードバックしています。業者に丸投げしたら本来入るべき利益の大部分が持って行かれますし、四季報を見れば彼らの好業績が一目瞭然です。業者は土地や建物を買うというリスクなしで(地主に建物を建てるリスクを負わせる)、企画から運営管理だけでメシを食っているというカラクリです。まぁしかし40歳を超えると、モノの考え方やスタンスは自ずと固まってきて、残念ながら一生変えられないモノです。だから私の49歳の時に織物業からトランクルームに転業しても、織物時代に培った考え方でしか17年間ヤッテ来れませんでした・・・(汗)。これが現実です。異端児と言われているかどうかは知りませんが、トランクルームで17年、不動産仲介業で15年、音楽スタジオで7年、テレワーク室で5年、卓球場で5年・・・これらを一人で業者を一切排除してエンドユーザーと直接ビジネスをやって来れましたから(3年前から娘が参加)、まぁ経営スタイルとして「これもアリ」だったのでしょう。そう、平たく言えば、弊社のように地主が業者も兼ねればイイのです。二刀流と言えなくもないですが、大リーグの大谷選手は並列ですが、弊社の場合は直列方式みたいなモノなので、より簡単と言えるでしょう。なんせ起業しても10年で95%が消える(廃業や倒産)と言われている日本の厳しいビジネスシーンですから。まぁ考えてみれば、地主がエンドユーザー相手に直接ビジネスをするというスタイルは1番シンプルで、これ以上のローコスト経営はありません。だから「日本最安値」だったり「業界最安値」が実現できたのです。という事で、昭和時代の歌謡曲は「作曲、作詞、歌手」の3つがバラバラで、今の事業用不動産仲介業の「地主、借主、事業者」とよくあるパターンと同じですが、中学生の時に出会った洋楽ロックは「作曲=作詞=歌手」が同じシンガーソングライターが普通という日米の音楽業界に違いに驚愕しました。それから4,50年経って振り返ってみると、長年生き残っているのは日米ともシンガーソングライターです。高中正義、アルフィー、サザンオールスターズ、山下達郎、ユーミン、矢沢永吉、ポールマッカートニー、ローリングストーンズ、シカゴ、ドゥービーブラザーズ、イーグルス、ボストン、TOTO、フォリナー・・・やはり複数の権利(著作権)を持っている者が強いという事で、不動産業界に置き換えてみると権利(不動産所有権)を持っている事業者が強いという事になるのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.12.10
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弊社は5つのビジネスを展開していますが、見栄を張って言えば全てブランドビジネスです・・・(笑)。平たく言えば「屋号」ビジネスです。トランクルーム貝塚、スタジオ0724、貝塚不動産.com、テレワーク&スタディ貝塚、貝塚卓球センター・・・と。しかし実際の登記簿謄本上の社名は織物時代からの「株式会社笹谷繊維工場」だったのです。この正式社名を前面に出すと「まだ織物業をやっているのですか?」という質問攻めに合うので、正式社名は敢えて出さずに、各屋号(ブランド)を全面に出すようなスタイルを取っているのです。繊維業界は全く違うビジネスなので、誤解を招いてしまうからです・・・(汗)。これで無用な質疑応答がなくなるという寸法です。この屋号ビジネスも皮肉なモノで、アパレルのブランド戦略からヒントを得たものです。やはり繊維業界の経験の発想から抜け出されないのか・・・?まぁ契約とかWEBサイトの会社情報に正式社名を出すだけです。しかし、これが案外会社の信用に繋がる事に驚きます。「古くから地元でされているんですねェ・・・」とか。これって、目に見えない信用効果です。私は何もしていませんが、祖父の創業から74年、父の設立から59年・・・有難い話です。私が生まれる7年前の戦後間もない頃に祖父が苦労して工場(今のトランクルーム別館)を建てるための木材を搔き集めたと聞いていますし、父が会社設立の頃の私が小学生低学年だった時は両親が深夜の機織りをしていたので、私は祖父母の家(今のトランクルーム本館)でずっと食事と風呂に入り、夜は叔母さんに家まで送ってもらい添い寝までしてもらいました・・・(涙)。家族総出で頑張っていたのです。これが従業員を雇わない、今のファミリービジネスの原点です。まぁしかし本当は今風なカタカナ名の社名に変更したり、分社すれば良かったのですが、転業当初からバタバタしていて、変えるのが面倒くさくなり放っておいたのです。先代の苦労を忘れない為にも、もうこれで行こうや・・・と。それが逆にヨカッタのです。という事で、4年前の創業70周年のときに記念ボールペンを作りましたが、次は80周年記念ボールペンと・・・思っていましたが、ここまで来ましたのでこれからは5年刻みで、来年「創業75周年記念ボールペン」を作ろうかと考えています。祖父や父の事を考えると「事業内容は変わったけど、ココまで続けてきたよ」という想いを込めて。まぁしかし、知り合いに「まるっきり違う商売に、よう変えたなぁ」とよく言われますが、これも17年かけてボチボチ変わっていったので、自分では一挙に激変とは全く思っていませんが・・・(笑)。江戸時代末期に生まれた曽祖父は水間の三重塔も建立した宮大工家(三ツ松の左甚五郎の分家筋である名越の川岸仁左衛門)の次男だったので、2軒隣りの今のトランクルーム所在地に分家して住み(曽祖父の父親が、お夏清十郎のお夏の実家である水間の庄屋の楠右衛門から仁左衛門に養子に来ていた関係で、水間の笹谷家の養子になって名越唯一の岸和田藩足軽の武士だった石原家の娘と結婚した)、昔からこの辺は農村地帯で耕運機がなかった時代は牛で田んぼを耕していたので、その後5,60年ほど昭和時代までずっと村唯一の獣医(牛のタネ付け師も)をしていたのを考えると、たった17年でチョロチョロと色んな仕事をやっているなんてカッコ悪いですが・・・(汗)。まァ曽祖父は江戸末期に生まれた時は「川岸惣治郎」で(昔役所の間違いで本家の仁左衛門は川﨑になってしまった)、合法的に養子縁組して戸籍上は「笹谷勘松」になり、名越の墓には「笹谷惣治郎」とあり、3つの名前を持っていたのが実に不思議で、これが我々子孫の長年の謎だったのです・・・(汗)。なので、子供の頃から「なんで笹谷という名越には珍しい名字なんだろう?」と疑問に思っていましたが、本当は江戸時代まで名越でメジャーな川岸姓だったんだと安心したものです(この辺はまだ田舎なので町内では同じ苗字が多い)・・・(笑)。本来は本家もうちのような分家も川岸だったのですが、本家も役所の間違いで川﨑に変更されてしまい、分家も養子縁組で笹谷に苗字が変わってしまったので、話が余計にややこしくなったのです・・・(汗)。しかし役所で大事な苗字が変わってしまうなんてミスなんて、どう考えても民間ではあり得ないと思うのですが・・・「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.12.08
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いくら祖父から続けてきた家業(織物業)でも経営が上手くいかないままズルズルと続けて行けば、最悪の事態(倒産)に陥る・・・と危惧し、そうなる前に全く異業種のトランクルーム賃貸業に転業しました。それが17年前です。中国からの洪水的な製品輸入が減り、日本の繊維業界も変わらねば、いくら努力しても無駄だと悟ったのです。業界団体で国会議事堂の前で「中国に対しセーフガード発令せよ」と通産省に対して私も参加してデモ行進しましたが、何の効果もなく単なるセレモニーに終わってしまい・・・こりゃ無理だなと。ならば廃業という決断で、自分が変わればいいじゃないか・・・と廃業に持ち込んだのです(汗)。自分が変わる事で人生をシフトチェンジしたのです・・・と言えばカッコいいですが、どうなろうとも全て自己責任です。このリスクを負う覚悟があるかどうか・・・度胸と勇気が必要です。まぁ倒産と廃業は、天と地ほどの差があります。倒産(自己破産)は先祖代々築いてきたモノが一瞬でゼロになるどころか、ヘタに夜逃げなんかすれば地元に一生戻って来れないので返ってマイナスです。上手にソフトランディングする事が、経営者の手腕の見せ所です・・・(汗)。ココです・・・ポイントは。弊社の場合は廃業の1年前から誰にも言わずに着々と準備していましたので、廃業宣言の時点で自分でもビックリするほど殆ど準備は整っていました。やはり入念な準備は大事です。そのお陰で機械設備の中国への転売から織物工場のトランクルームへの改造コンバージョンもスムーズにいき、たった3ヶ月で完全に変身できたのです。ついこの間までガチャガチャと織機音が24時間鳴っていた建物が、アメリカのサスペンス映画の1シーンのようにシーンと静まり返った部屋がズラーっと並んでいたのです。これで私の織物人生から全く未知のトランクルーム業へのライフシフトが完了した瞬間です。確たる売り上げの見込みもありませんでしたが、未来のドアを開けた・・・という意味で、嬉しかったですねェ。これも好奇心と勇気があったお陰です。従来の織物業で悶々とするより未知の世界に飛びこもうとする好奇心と勇気。コレです・・・ポイントは。好奇心も勇気も無ければ、一歩も先に進めませんでしたから。まぁしかし、67年生きてきて心底思う事は人を変えようとか、体制を変えようとか・・・というのは絶対無理で、人にアドバイスして人の心を変えたり、議員になって市や国を変えるなんて不可能だという事です。逆にそんな事をやろうとすると、妬みや恨みを買ってしまいます。それより自分とファミリーが幸せになるのを最優先し、従業員を一切雇わない死ぬまで仕事ができる「家族経営という生き方」を選択したのです。まぁ「こりゃダメだ」と思うような人や体制には近づかない事が大事で、自分の信じた道を足元を見つめ一歩一歩ジックリ歩くだけです。孫子の兵法で「君子危うきに近寄らず」というのがあり、若い頃はその意味もよく分かりませんでしたので失敗もよくしましたが、今は人生経験を相当積み重ねてきましたので失敗の確率もドンと低くなりました・・・(汗)。単に本を読んでその言葉を知っているだけではナンセンスで、実際の経験を通じて「本当にワカル」のが大事なのです。学校秀才が、実際のビジネスでよく失敗や挫折をするというのが正にコレです。実際の社会やビジネスでは教科書に載っていない事だらけで、その場の一瞬で判断を下さなければならない事が多いのです。「人生は総合力が勝負」ですから、勉強だけでなく「芸術」「スポーツ」「趣味」「ITスキル」「英語力」「地元での地盤」「多様で多彩な人脈(コミュ力)」とバランスよく人生を生きてきた者が勝ちだ・・・という学校では決して学ばず殆どの人が知らない「人生の方程式」を早く知った方がお得です。私のように勉強ができず大学受験に失敗して2年浪人しても二流私立大学にしか行けず、そこでも留年しても・・・決して落胆する必要はサラサラありません(笑)。人生は長く、大学を卒業してからまだ60年もありますから。という事で、自分は努力すれば変わる事ができますが、アドバイスなんかで人を変える事はできませんし、ましてや市長になっても市を変える事はできませんし、総理大臣になって日本を変える事は出来ません。なので、5,600年前に世界中で植民地を作ったりして栄華を極めたスペインやポルトガルは何百年もかけて沈んでいき、未だに再び世界の先進国の仲間入りも出来ていません。人も国も自分が本気で変わろうと思わなければ、ずっと変わらないのです。残り僅かの人生ですが、人生の最後に「俺に人生はサイコーに楽しかった!」と思えるようにドンドン変わっていきたいと思います・・・(笑)。ただこのままいくと、日本がどこまで沈んでいくのか・・・?私はもうイイですが、子や孫の事を考えると、これだけが心配です・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.12.04
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弊社は不動産仲介業以外は、トランクルーム、音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場と競合が少ないニッチマーケットばかり狙っています。なので、お客さんは大阪市内や堺や和歌山といった結構遠方から来られるのです。ニッチマーケットは遠方からの集客が可能だったのです。逆に言うと近場だけでは集客できないという事で、それだけ遠方からの集客をしないと商売が成り立たないというリスクを負っているという事になります・・・(汗)。普段の生活の買い物は近くのスーパーやコンビニで済ませられますが、変わった事(ニッチマーケット)は数が少ないので遠くまで行かないとダメなのです。スタジオに昨年導入した和太鼓6台がそのニッチマーケットの最たるモノで、北は堺から東は富田林から南は田尻町からと想定以上の広範囲から「だんじり鳴物練習」のオファーが沢山ありますが、既にバンド予約が入っていたりしてタイミングが合わず半分以上オファーを断っています。和太鼓を所有するくらいなら誰でもできますが、その練習する場所(スタジオ)まで所有しているのは大阪でも私だけでしょうから、こんな需給のアンバランス現象が起きるのです。今はこのオファーを100%受けるべく、イロイロと画策しているところです。まぁニッチマーケットは大手が参入して来ないという安心感がありますが、我々のような零細企業が一生懸命に宣伝してもなかなか広まらないというジレンマがあり、広まるまで(採算が合うまで)に諦めてしまうというパターンが多いように思います。ガマンできるかどうか、持ち堪えれるかどうか・・・がポイントです(汗)。ある意味、資金力との戦いです。弊社は織物時代に散々借金で苦労してきましたので17年前の織物業の廃業と同時に銀行からの借金を全額返済し、トランクルームに転業してからは無借金経営を貫き、今後も銀行から1円も借りない・・・というのを信念にしています。何故なら、零細企業の倒産原因のほぼ100%は借金ですから。借金がなければ、心も安泰で精神的にスゴク健康になります。見栄を張らない、エエカッコをしない、無理をしない「身の丈経営」に徹するのです。周りを見ればよく分かるように地元に盤石な基盤があり借金もなければ今更エエカッコをする必要はサラサラなく、東京によくあるように地方(他国)から流入してきて東京に基盤がなく借金だらけでも人間の真理として「オレは儲かっているんだ!」と他人に向かって見栄を張りたくなるものです。効率と地元コネクションを考えて不動産仲介業は逆に片道15分以内の貝塚市に限定した事業用不動産の仲介業に特化していますが、大阪宅建協会泉州支部に加盟の約400社の不動産業者の心強いネットワークで新築やリフォームのトランクルーム需要を取り込んでいますので、遠方からの集客に繋がっているのです。平たく言えば、不動産仲介業では儲かりませんが、周り回ってトランクルームへのフィードバックに繋がって、結果オーライなのです。そういう意味で、50歳を超えてから他社の織物工場で毎日12時間働きながら深夜2時に起きて苦労して勉強し自分が宅建士(不動産業界の国家資格)を取って、会社として業者免許を取って宅建業(不動産仲介業)を営んでいる意味があったのです。ココです・・・ポイントは。別にトランクルームだけやっていてもイイですが、それだけだと暇なのでアレコレ色気を出すのが私の習性なのかも・・・(笑)。まぁ正攻法だけなく、副業(不動産仲介業)によっても横からも攻めていく・・・これで本業のトランクルーム成約の確率が少しでも高くなるのです。ある意味、お城の外堀的な役目が副業の不動産仲介業で、本業本丸のお城(トランクルーム)を守る為の武器だったのです。空手の試合で言うと、正拳突きや前蹴りだけで単調な攻撃をするだけでなく、多彩にローキックやトリッキーで意表を突くや後ろ回し蹴りも放つのです・・・私にはできませんが(笑)。技やテクニックは1つよりも2つ、3つ4つ・・・と得意技を磨きながら、他の技の数は多ければ多いほどイイのです。という事で、商売の何たるかを大学を卒業してからサラリーマンを経て家業の織物業に転身し、その20年後にトランクルーム転業してトータル40年以上も追及してきましたが、なかなか商売の奥が深くまだまだ不明な点が多い事に日々頭を悩ましていますが、もうココまで来るとそれが面白みになっています・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.11.07
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よくトランクルームやスタジオに最初に来られた時にお客さんに「どこでトランクルーム(スタジオ)を知りましたか?」と毎回リサーチのために聞くのですが、ほぼ100%ネット検索されています。その中でも大半が「ネットでココ(トランクルーム貝塚、スタジオ0724)しか出て来ません・・・」という返事です。私は「SEO対策が効いているなぁ・・・」とニヤッとします(笑)。「トランクルーム 貝塚」と「音楽スタジオ 貝塚」と検索すると、1ページ目はだいたい弊社で埋め尽くされます・・・(笑)。お客さんにとっては「他にないのか?」という事になりますが、残念ながらトランクルームも音楽スタジオもニッチマーケットなので弊社が貝塚市では独占という事になります。しかし、堺市の10分の1、岸和田市の半分以下の8.3万人しか人口がない貝塚市でニッチマーケットの集客をしても仕方がないので、北は大阪市~南は和歌山市~東は南河内~の半径1時間以内からの集客に力を入れているのです・・・(汗)。そして、もう少しビッグキーワードの「トランクルーム(音楽スタジオ) 南大阪 泉州」と検索しても、1ページ目に弊社が現れます。更にもう少しビッグキーワードの「トランクルーム(音楽スタジオ)大阪」と検索すると、トランクルームはYOUTUBEで、スタジオは下位ですが1ページ目に何とか現れます。トランクルーム開業当初の17年前は、誰もインターネットに注目していませんでしたので、ちょっとSEO対策に力を入れるだけで「トランクルーム 大阪」でも1ページ目の上位に現れていました。しかし今は競合も多くなり、SEOに力を入れてもなかなか努力が実らない・・・のです(汗)。それでも今はネット時代なので毎日ネットで発信する事が集客に繋がり、何も発信しなければ存在そのものが無いに等しいのです。インターネットの素晴らしいところは、17年間私がブログに書き残した記事がずっとネット空間に残っていて、未だに検索され続けるのです。知的財産と言うか、もう知的武器です。この17年間発信してきた知的武器は私自身でやってきた仕事なのでコストは掛かっていませんが、大手チェーン店はだいたいSEO業者に丸投げしていますのでコストが掛かり、この辺も損益分岐点の差が出るところです。日々のSNS(フェイスブック、X、インスタグラム、TikTok)にも弊社は力を入れていますが、他社はあまり責任のない気楽な雇われ店長あたりがチョロチョロやっている程度なので、大して力を入れていないところが差の出るところです。こちらは土地と建物の所有者であり会社の全責任を負ったトランクルーム(スタジオ)のオーナー経営者なので、気合と気概が全く違うのは当たり前です。という事で、テレワーク室も卓球場も「テレワーク(レンタル自習室) 卓球場 貝塚」と検索すると、殆どSEO対策をしていないのにも関わらず1ページ目のトップに検索されます。他に同業者が殆ど無いからです。また「だんじり鳴物」というビッグキーワードで検索すると、1ページ目上位にスタジオ0724がズラズラと並びます。日本で弊社が唯一か、他社がSEO対策をしていない(知らない)からです。ニッチマーケットなら、自社WEBサイトも無理にモバイルフレンドリーにする必要がない・・・という隠されたメリットもあるのです。零細企業経営者は公私一体になって100%努力しているのが当たり前で、その努力を少しでも無駄にしないために、競合が少ないニッチマーケットを掘り当てる事が最重要課題だったのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.11.06
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東洋経済のネット版で、今日本の多くの中小企業経営者が「いつ、どのように廃業しようか」と悩んでいるようです。「事業承継が最大の課題」とよく言われますが、行政が主催する事業承継の無料相談会では「廃業の相談が事業承継の相談の7倍ある」らしいです。弊社は17年前に、祖父の代から57年続いた泉州の地場産業だった家業の織物業を廃業しました。一切の不動産を処分せずに、借金を全額返済して・・・(汗)。残ったお金で、トランクルームに転業できたのです。その時ちょうど朝日新聞から取材があり、デカデカと掲載されました。この一連何でもなさそうな事が、実は銀行に借金があれば大変難しいのです。何故なら、事業転換となるとメインバンクや借金をしている銀行から一斉に「借金を返してくれ!」の大合唱があるからです。そりゃそうです。取引先が海の者とも山の者とも分からない新しい事業に進出するにあたって金を貸してくれなんて、銀行にとってリスクが大きすぎ、とても「がんばれ!」なんて言えないのです。「一旦線を引いて(借金を全額返済して)、そこから頑張って下さい!」としか言えないのです。実際私も長年取引のある銀行からそう言われましたから、経験者は語る・・・です。正に銀行の融資スタンスは「晴れた日に傘を貸し、雨の降った日は傘を取りあげる」です。一般的には工場などの不動産を売却して借金の返済に充てますが、不動産を売却できても借金の方が多ければ倒産です。ビジネスは足し算と引き算というシンプルです。逆に弊社のように借金が不動産より少なければ倒産は免れます。それより以前に1番大事なことは、廃業しようかどうかなんて銀行に相談するのが1番バカげています。廃業したらどうですか、なんて100%言いませんから。「せめて私が転勤するまで2,3年待って」と支店長から言われるのがオチです。一旦相談したら、銀行から「あそこは危ない」と警戒されて、次の融資が渋られます。ココです・・・ポイントは。ならばどうするか・・・?私のように廃業するかどうか誰にも相談せずに自分で決断する事です。これなら絶対情報が洩れません。やはり情報漏洩・・・これが1番大事なのです。廃業の決断から1年後に、銀行と商社と従業員に正式に廃業宣言をしましたが、同時に家族にも話をしましたが、その時のショックそうな家族の顔を今でも忘れませんが、廃業に失敗して明日自己破産なんて言うより遥かにマシでしょう。家族にも黙っていた・・・廃業を成功に導くのに功を奏したのです。まぁ平たく言えば、口の堅さが自分を救うのです。廃業決断から実際の廃業まで1年ありましたので、その間に機械部品の在庫をボチボチ減らし、営業活動も必要最小限にして現場に弁当持参で張り付き、工場が完全に停止する1週間前まで24時間エンドレス稼働し、それから1台止まり、2台止まり・・・最終日に残った在庫は縦糸半反だけでした。シーンと静まり返り、ガランとした工場を見ると、何とも言えない寂しい気持ちで涙が出そうでした。祖父の代から57年も続けてきた家業に自分が終止符を打つ・・・というのは、こういう事かと(涙)。悲しみに暮れるヒマもなく・・・ほぼ100%計画通りに廃業が進んだので、織機や付帯設備を中国に転売するために織物工場から搬出し、スムーズにトランクルームへの改修工事に取り掛かれたのです。この1年間の廃業の苦労で2,3年は老けたと思いますが、希望のトランクルーム事業へ転業できたことで5年は若返ったか・・・(笑)。いずれにしても、この一連の織物業の廃業の一件で零細企業や個人にとって「借金(住宅ローンも)はしたらダメ」だというのが身に沁み、織物業の廃業後は17年間ずっと無借金経営を貫き、今後も不安定な世界情勢(ロシア、中東、中国、北朝鮮)を考えると、尚更このスタイルを貫き通します。という事で、未だに時々夢で魘される経営が非常に難しく厳しい織物業だったら娘に継げとはとても言えませんが、せっかく織物業より遥かに楽なトランクルームに転業しましたので、それを廃業するのは勿体ないので、3年前から後継者の娘に入ってもらって既に事業承継に手を打っています。転業する時に織物時代の反省を元に、所有する2棟の織物工場を活かし、肉体的にも精神的にも楽で自分一人でも経営可能なエンドユーザー相手の事業を考えると、トランクルームに辿り着いたのです。まぁ、とにかく早い目に手を打つ・・・これですポイントは。そうすると余裕が生まれ、正しい判断ができますから。もういつ私が引退しても何の問題もありません。まぁ孫がもう少し大きくなるまで、私も100%頑張るつもりですが。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.10.18
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私は毎日出社していますが、弊社「トランクルーム貝塚」の2棟にはオートロック、防犯WEBカメラ18台、WEBドアホン2台を設置しています。集客はほぼ100%ネットからで、予約はすべてLINEで、出入りはすべてセルフサービスです。契約(会員登録)の時だけ対面です。という事は、普段はほとんどお客さん(会員さん)とは会いません。それで十分ラクにやっていけてます。詳しくはその中にノウハウがあり、当たり前の事ですが一般公開する事はありません。つまりトランクルーム2棟は管理人が駐在する有人管理ですが、お客さんとは余り会わないという事なんです。まぁこういった最新テクノロジーを駆使して、大阪最大級171室のトランクルームと泉州最大級4室の音楽スタジオ(会員数2350人)、不動産仲介業、テレワーク室、卓球場、月極駐車場を従業員を誰も雇わず私と娘だけの家族経営で運営管理しているのです。例えば私が事務所で不動産契約をしている間、本業のトランクルームには荷物が保管されて、たまにお客さんがあっても時間差のLINE予約なのでスムーズに出し入れが行われ、スタジオではバンド練習、卓球場でピンポンを楽しまれ、テレワーク室では静かに仕事や受験勉強され、月極駐車場でも時間貸しのお客さんからLINEで予約が入る・・・というのが日常のワンシーンで、そこにはスタッフの存在がありません。LINEは電話と違って非同期通信なので、自分の時間を奪われることなく直ぐに返事を返す必要も無いツールで、まったく新規のお客さんだけ最初は電話を受けますが、それも会社の固定電話から私のスマホに自動転送にしていますので、私が海外にいても何処でも受けれるのです。よく見知らぬ証券会社や広告会社などから売り込みの電話が掛かってきたりしますが、海外にいると転送代金は弊社持ちなので腹が立ちます・・・(笑)。まぁしかし20年前だったら全くできなかった事が、今は最新テクノロジーのお陰で1人で出来る事が飛躍的に拡大したのです。平たく言えば、零細企業経営者にとって、またとないチャンスが訪れてきたのです。よく選挙で町会館に行きますが、毎回行って驚くのが市役所職員が10人くらいズラーっと椅子に座って並んで受付をやって、時代遅れというか世界にまだ日本がこんな事をやっているのがバレルと恥ずかしいですが、職員の日曜の残業代を考えれば相当コストが掛かっていますので、全国的にこんな事をネット投票にするとか民間に委託すれば10分の1くらいのコストで済むのではないでしょうか。まぁしかしこんな事をやっているのは、やはり最大のコストである人件費を抑えるためで、これによって世界的に低いと言われている日本のサービス業の生産性を飛躍的アップさせているのです。とにかく人件費がネックで、「人さえいなければ、もっと儲かるはずだ」という素朴な疑問からのスタートでした。人を雇えば人件費などイロイロ経費も掛かりますし、一度雇えば仕事ができず役に立たなくても簡単に辞めさせられません。飲食店や学習塾などの事業用不動産の仲介をやっていて思うのが、みんな最初から「借金をしたがる」「従業員を雇いたがる」のですが、これって見栄を張りたいんですかねェ・・・?車や家もそうですが、人間の見栄を満足させるビジネスがビッグマーケットとなっていますので、仲介業で稼ぐには要らん事を言うのはNGだったのです・・・(汗)。まぁ宿泊業や飲食業では必須の「おもてなし」とは真逆のスタイルで、業種によって無駄な「おもてなし」をすると、かえってコストアップになり経営を圧迫します。物事はケースバイケースで、サービス業なら何でもかんでも「おもてなし」をする必要はないのです。毎日遊んでいるようで「どうでっか?」と、お客さんと無駄話するスタジオスタッフは不要なのです。私が毎日トランクルーム館内やスタジオを掃除や管理業務でウロチョロして、たまに会って雑談するだけで十分なのです。規模の大小に関わらず企業は存続する事が第一で、赤字では倒産してしまいますので、如何に人件費を掛けずにCSを下げずにバランスよく経営をやっていくか・・・もうそこは経営者の手腕しかないのです(汗)。まぁしかし織物時代は何億もの投資で最新鋭のエアージェット織機を導入し新工場を建て、経営者である自分が生産現場の中心になって10人の従業員を雇い24時間エンドレス稼働で月産20万mも織って今の10倍くらい精神的にも肉体的にもシンドカッタですが、導入時は競合がまだ少なかった羽毛布団の側地生産でソコソコ儲かりましたが、その20年後には汎用品は後進国に仕事を取られ、取引商社から年々要望が高まるばかりで高級品ばかりの多品種小ロット生産で歩留まりが悪化し、全く儲かる事はありませんでした。振り返って考えると織物時代は借金のために自分の身体と命を削って働いたという事になりますが、今は頭脳労働に切り替えて2棟のトランクルームの建物に働いて(稼いで)もらっているという感じです。その先祖が築いたベースに乗っかって、業者を入れずに自分でイロイロ商売のコントロールをチョットしているだけなのです。とにかく織物業は肉体的にきつく、私もそうですが織機音で難聴になったり腰痛なのは職業病だったのです。私の難聴は織屋をやめてから高周波を除いて奇跡的に自然治癒治し、腰痛の方は3年前に脊柱管狭窄症の手術をしてほぼ治りました。長年の過労がたたって、もう肉体が悲鳴を上げていたんですねェ・・・(汗)。まだ身体の元気な49歳で切り替えましたので、60歳になってからでは遅すぎたのです・・・(汗)。「まだ40代や」と織物業からトランクルームに転業し、「まだ50代や」とスタジオも起業し・・・「あと3年で70歳。次は何をしょう?」てな感じで、17年間がアッと言う間に過ぎてしまいました(汗)。ホンと40代からアッと言う間に60代になるのです・・・残念ながら40代の人にはナカナカ想像しにくいと思いますが。少し年上の周りを見ると「70代になると急ブレーキが掛かる」というのが実感で、やはり健康寿命が72~75歳というのは本当なのです。なので健康と金の早い目の準備が必要で、ストレッチを30年前からスポーツジムや空手をチョロチョロ20年前からやって、7年前からスタジオ起業と同時に40年ぶりに全身運動のドラムを再開し、肉体労働の織物業から頭脳労働のトランクルームに17年前から切り替えて大正解でした・・・(汗)。何でも効果を得るのに時間が掛かりますから・・・(汗)。我々零細企業のオーナー経営者にはサラリーマンのような60歳定年といった区切りの感覚はなく、60歳は単なる通過点に過ぎず、人生のドーンと先を見据えた長期的なプランしか頭の中には無いのです。1番大事な子供から青春時代にかけてヤリたい事もやらず、いくら勉強ばかりやって一流大学を卒業して一流企業に入ってプライベートを犠牲にして仕事に尽くしても55歳の役職定年から収入が右肩下がりになるというのがリアルな現実ですが、我々オーナー経営者は勉強も大事ですが遊びもそれ以上に大事で、自分の好きなように70歳や80歳まで自由に仕事をして儲けられれば、サラリーマンより遥かにプライベートも仕事にも充実した人生を送れるのです。もっともサラリーマンでも役員になるような優秀な人は例外ですが、それでも超優秀な社長以外の役員は65歳で完全に仕事から引退しますから、それからの人生が長すぎます。いずれにしても一般社員が継続雇用で65歳まで働けても、それからせっかく築いてきた仕事の人脈も収入もゼロになって年金頼み・・・という今の社会を変えなければ。まぁ要するに生涯収入と仕事のやりがいを考えて、どんな人生を選ぶか・・・日本は社会主義国や共産国に比べてケタ違いに自由な国ですから、どんな人生でも自由に選べるのです。国やマスコミは「65歳以降は働かない」という前提を勝手に作り、「老後資産は○○○○万円必要だ」とか言ってますが、65歳以降も会社や人に頼らずに自分で稼げるような社会の仕組みにすれば、こういった無責任な論調も鳴りを潜めるでしょう。若い人に言いたいのは、これからのグローバル社会で生きていくには周りの雑言やフェイク情報にに惑わされず、しっかりした自分の考えを持って生きる事が1番大事だと思います。今は国を挙げてテレビなどマスコミなどでも半導体技術者養成に躍起になっていますが、「半導体がブームが終わったら、どうするんや?」という疑問が残ります。戦後泉州の繊維産業の輸出が日本経済の復興を牽引してきましたが、それから25年後に日米繊維交渉で織物業者が激減し、更に2000年頃に私も参加しましたが国会議事堂前で政府にセーフガード(緊急輸入制限)発動を要請するために全国の産地から同業者が終結してデモを行いましたが何の効果もなく、結果的に98%の織物業者が倒産廃業してしまった現実と何故か?ダブって見えます。という事で、人生でタイミングというのが非常に大事だとこの年になってつくづく思いますが、バブルの1年前の円高不況時に最新エアージェット織機を導入したタイミングも良かったし、その20年間24時間使い倒してボロボロになった中古織機をリーマンショックの2年前に中国に転売できたのもラッキーでした。私は株を長期保有だけで売買はしませんが、織機を安く買って高く売り抜いたのです・・・(笑)。身体が老化を感じるであろう60歳の11年前の49歳で肉体労働から頭脳労働に切り替えたのも絶好のタイミングでした。人生・・・タイミングの良し悪しで決まります。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.10.14
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会社経営者にとってリスク分散化が最需要事項です。何故なら会社を倒産させないためです。一本足打法だと、それがコケレバすべて終わり・・・というのは子供でも知っています。大リーガーの大谷選手がイイ例で、今は二刀流で頑張っていますが、この先10年を考えれば野球選手として生き残るにはピッチャーを辞めて打者で生き残ることが出来るでしょう。内容にもよりますが、一般的には1つよりは2つ、2つよりは3つあったほうがリスクに備えられます。弊社は本業が大阪最大級の171室のトランクルームで、副業の1番目は泉州最大級4室のリハーサル音楽スタジオ、副業の2番目は不動産仲介業と位置付けています。テレワーク室と卓球場は船場の「扇子商法」のように、ある時はトランクルーム、ある時はテレワーク室(卓球場)という様に、需給動向に応じて変化させています。月極駐車場22台は、空いているスペースは時間貸しにして、徹底的に空室対策を追求しています。これら5つを従業員を雇えば人件費が掛かりますので、私と娘の2人だけで回わす事によって採算を合わせているのです。ポイントは当たり前ですが、最大のコストである人件費を掛けず(従業員を雇わない)、業者に依頼せずに(仲介料や管理料を払わない)直接エンドユーザーと契約し、スマホやパソコンや防犯WEBカメラやWEBドアホンやオートロックなどのデジタル機器を活用する事にあるのです。要は5つのビジネス自体はアナログですが、運営管理は最新テクノロジーを駆使して、徹底的に無人化するという事です。音楽スタジオも本来はバンドスタジオですが、ダンスや和太鼓の練習もできる事でスタジオとして生き残りを懸けているのです。その為に22畳という大阪でも最大級の広さにし、和太鼓6台を常設しているのです。広いスタジオだと建築費も高く、和太鼓6台を購入という大きなリスクを負いましたが・・・(汗)。こういったリスク分散化の考え方を持ったのは、やはり織物時代の経験からでした。完璧な織物(布)品質を目指し、1反110mのうち欠点ゼロを目指していたのです。合格品(A反)には高品質順でA1、A2、A3の3つのグレードがありましたが、値段は同じです。しかし織物業者の職人の意地で、A1を目指していたのです。なので、織機のメンテナンスに手間とお金を掛けていました。これがコスト増の要因です。別に値段が同じならA3を目指せば、メンテナンスにそれほど力を入れずお金も掛からなかったのに。変に職人根性を出さずに、実際にそういった「ギリギリの線」を目指して儲けていた同業者がいたのです。織物(布)はファッションの単なるパーツなので、布の品質をそこまで追い求めるのはナンセンスというのに早く気が付くべきだったのです。平たく言えば、大阪市内や阪神間や北摂のハイソなお客さんを相手にするキタの百貨店ならトイレにお金を掛け完璧なほどキレイにする必要がありますが(イニシャルコストもランニングコストも掛かる)、殆どのトランクルームにはトイレも水道もありませんが、弊社のようにトイレがあるというだけで差別化でき喜ばれるのです。ココです・・・ポイントは。ユニクロのようなSPA(製造小売り)は糸から製品まで自社でコントロールしていれば、例え布に欠点が多くA3でも欠点のところだけカットして染色すれば何の問題もないのですが、これまでの日本の繊維流通が分断化されていましたので、各段階でクレームが来ないように完璧が求められていたのです。それが流通全体のコストアップに繋がっていたのです。しかしこの日本の流通の問題を弊社1社で解決する事は不可能だと判断し、「このままズルズルといけばSPAに駆逐されてしまう」と17年前に織物業を廃業したのです。「やはりエンドユーザーに近いところで商売しないとダメだ」と、業者を介在させずにエンドユーザーと直接契約するトランクルーム賃貸業に転業したのです。まぁトランクルームに転業してからの5つのビジネスで、別にそれぞれのトップクラスを目指さなくてもホドホドでイイのであって、トータルで勝負しようという考えに至ったのです。大阪に1万社もある不動産仲介業はメジャーなビジネスですが、それ以外のトランクルーム、音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場は泉州ではあまり見かけないニッチマーケットというのが条件ですが。という事で、5つのビジネスを1つ1つ取れば中途半端ですが、ビジネスは総力ですので、個々で勝負しなくてもトータルで採算が合えばOKという非常に気軽なスタンスだったのです。中途半端・・・これでイイのです。中途半端な事業でも5つも集まれば「力」となるのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.10.08
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よく考えれば、弊社「スタジオ0724」と「貝塚卓球センター」はモノを売っている物品販売業ではなく、体験を売っているビジネスを営んでいる事になります。モノ売りではなく、コト売りです。楽器機材や卓球台を常設してスペース(スタジオ)を貸しているレンタル業というのが本来の言い方ですが。バンド、ダンス、和太鼓 卓球場・・・と。多くのビジネスは物品販売、モノを売っている訳ですが、弊社は体験を売ってるのです。コーヒーの販売ひとつとっても、カフェや喫茶店といった外食だけでなく、スーパーやコンビニやディスカウンター、自動販売機、インターネットなどイロンナところで買えますし、だいたい大手企業がマーケットを抑えているので零細企業が新規参入しても値段競争に巻き込まれるだけです。流通に目を向けると、原料のコーヒー豆は殆ど中南米や東南アジアやアフリカからの輸入で、それに絡むエンドユーザーまでの沢山の業者数を考えると、コーヒービジネスに素人が新規参入など殆ど不可能とさえ思われます。まぁ後発でそんなところに飛び込んでも、10年で95%が廃業倒産という非常に厳しい結果が待っているだけです。そんな大手企業でひしめき合っている物品販売業よりも、大手が参入してこないニッチマーケットのトランクルームや音楽スタジオというレンタル業という「コト売り」を起業しようと考えたのは自然な事です。織物時代は糸から布を織機で作っていましたが、最終的には服(衣料、ファッション)になったりしますので間接的に物品販売業のカテゴリーになります。ただ繊維業界の流通が長かったり、競合になる同業者が国内だけでなく欧米や中近東への輸出となるとインドネシアやパキスタンといった海外の織布業者との得体の知れないグローバルな価格競争に巻き込まれたり、発注元の繊維商社のマーケットクレームに振り回されたり、円相場に振り回されたり、電気代が年間2000万円も掛かったり・・・値段が通らない場合が多々ありました。コーヒー業界よりもっと深刻な問題は、布(織物)の原料である糸のそのまた原料である原綿や原油が殆ど100%輸入という点です。原綿や原油が輸入できなければ、布の原料である綿糸や合繊糸の紡績工場や合繊糸工場がそもそも稼働できないのです。やはりビジネスはユニクロのように人件費の安い海外生産で川上から川下まで牛耳る(SPA=製造小売り)ことが1番のポイントであることは誰もが知ることで、1番川上の綿糸や合繊糸の原料である原綿や原油が100%輸入という日本の繊維業界の隠されたウイークポイントによって、流通の「川中」段階である織物業でいくら頑張っても報われない・・・と悟るにはそう時間は掛かりませんでした。普通に考えて、原料(原綿、原油)が100%輸入で、エンドユーザーからかけ離れて、ただ「織っているだけ」では儲けの多くは業者(総合商社、繊維商社、生地問屋、生地ブローカー、縫製業者、染工場、アパレル、小売り)に持っていかれるのは当たり前の話です。この経験が、その後織物業を廃業してエンドユーザー直のトランクルーム経営への転業のヒントにもなったのです。まぁイタリアの同業者のように利幅の大きいエンドユーザーに近い川下のアパレルブランドを兼業しながら織屋で新規参入なんて不可能なので、もうどう考えても「どん詰まり」状態だったのです。経営者である私が現場と営業と経理などを兼ねて355日24時間エンドレス稼働で従業員10人で月産20万m布を織っても採算が合わず、そうした「やり尽くした感」が私を廃業にもっていきました。ウインドサーフィンのレースを思い出し、上り角度が1度違えば相当な差が出るというのが頭を過り、努力の方向も角度を変えれば(転業すれば)報われるかも知れない・・・とピンと閃いたのです。ポイントは自分の能力限界ギリギリの努力の方向をどこへ持っていくか?・・・です。結果的に織物時代は努力の3分の1以下しか報われなかったのでヤル気を無くし、未知のトランクルームに転業すればきっと努力の半分以上は報われるだろう・・・と期待したのです。そして織物業から「エンドユーザー直」の中間業者を排除した内需型のトランクルーム業に転業してからは、そういった値段や円相場や電気代やグローバル競争のジレンマから解放されました。価格をコントロールする業者を排除した事によって自由に値段を決められる・・・普通に考えれば当たり前の話ですが、ビジネススタイルを180度変えて可能になったのです。賃貸マンション経営もそうですが、建物(トランクルーム)を建てるというリスクを負わず企画と営業と管理だけでメシを食っている業者だけが儲かる業界システムに挑戦した・・・と言えるかも知れません。四季報の業者の決算の好業績を見れば一目瞭然です。ココです・・・ポイントは。という事で、来年で祖父が織物業を創業してから75周年になり、商売の中身はまるで変わってしまいましたが、何とか創業の地でもある現トランクルーム貝塚の所在地で頑張っている事に感謝しかないです。トランクルーム所在地は祖父の織物業の創業の地でもあり、江戸時代末期の160年前に2軒隣りの本家から曽祖父が分家した場所でもあったのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.09.21
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関空が近いと、それに関する想定外のトランクルームや音楽スタジオのオファーがたまに飛び込んできます。関空に勤務している人が、弊社のトランクルームや音楽スタジオを利用するケースがここ数年目立ってきました。どういう事かというと、関西空港には様々な職種の人たちが2,3万人働いていると言われていますが、関空ができる前まではそういったマーケットはもちろん存在しませんでした。ところが今は、そういった2,3万人もの人たちを相手にしたビジネスの中で、トランクルームや音楽スタジオがあるのです。専門職の場合は、基本的に日本にある空港を転勤するケースが多いため、泉州の地元民でトランクルームや音楽スタジオと言っても都会型ビジネスですのでピンとくる人は少ないですが、成田空港や羽田空港に勤務したことのある彼らはすぐにピンときます。大阪の郊外の貝塚市で都会型ビジネスであるトランクルームや音楽スタジオを営んでいても、わざわざ彼らには何も説明しなくても済むのです。こんな楽な事はありません。ココです・・・ポイントは。もちろんメインは泉州エリアの一般の方へのアピールで、トランクルームと音楽スタジオを認知してもらうのに苦労、苦労の連続でしたが(汗)。一部でも楽なお客さんがいたら、ホッとするのです。そんな中で最近驚いたのが、パイロット軍団のバンドさんです。航空会社名は伏せますが、文字通り普段はパイロットの仕事をしている方達が一般の人と同じようにバンド練習に来られるのです。考えてみれば、バンド演奏に職業なんか関係ありませんし、音楽好きに人種も国境も関係ありません。好きなものは好きなのです。パイロットって大勢のお客さんの命を預かって飛行機を操縦している訳ですから、そのストレスたるや相当なものでしょう。そのストレスを発散するのに、たまにガンガン演奏するバンド活動がピッタリ・・・という事です。私もコロナ前までは毎年海外旅行に行っていましたが、行く前には必ず仏壇に手を合わせ「飛行機が落ちないように」と拝んでいましたから・・・(汗)。バンド演奏という趣味はワールドワイドなので、関空もコロナ前のように世界各国の航空会社が元通りに再開すれば、日本の航空会社だけでなく欧米の航空会社の音楽が趣味のパイロットやCAがトランジットで日本に何日か滞在するときに、弊社スタジオに息抜きでバンド演奏の練習や和太鼓体験に来てくれるかも知れません。そういう潜在需要を掘り起こすのが、文字通りスタジオ経営である私の仕事です。またパイロットと密接に関係のある航空管制官(国家公務員)のバンドさんもありますねェ・・・これも非常に気を遣う職業で、相当ストレスの溜まる職種なのでバンド活動で一気に発散するのでしょう・・・あと関空で働く人以外に、関空に降り立つインバウンドにも目を向けたいと思います。今注目しているのは和太鼓体験ツアーです。日本への海外旅行で従来の東京や大阪への一般観光よりも、これからは「日本を体験する」に観光目的が移ってきています。「日本をもっともっと知りたい・・・」という日本へのリピーターの感性をくすぐり日本ファンを1人でも増やすのです。関空に近く和太鼓も叩ける音楽スタジオ・・・というのは弊社スタジオにしか出来ないコトです。ココです・・・ポイントは。これを如何にビジネス化できるか・・・?私の経営手腕に掛かっています・・・(汗)。まぁしかし関空のなかった30年前には「パイロット」「航空管制官」といった職業の方達とビジネスでお付き合いできるなんて(これからはインバウンドも)、想像を遥かに超えています。それというのも音楽スタジオは泉州では非常に少なく、人口が多い堺市や大阪市内には沢山ありますが、関空に近い高石市から岬町までの泉州南部エリアには弊社を含めたった4軒しかありませんから。弊社は 不動産仲介業も営んでいますが、同業者が大阪府全域で1万社もある事を考えると、如何に音楽スタジオは大手が参入してこない(できない)ニッチマーケットかと。という事で、17年前までガチャガチャと織機音が鳴っていた織物工場が、今トランクルームやスタジオに改造コンバージョンされ、バンドやダンスや和太鼓客で賑わっている・・・なんて天国の父親はどう思っているのでしょうか(笑)。高校生の頃に土蔵でロックをガンガン聴いていた私を「息子は気でも狂ったのか・・・?」と近所に人に漏らしていたのと同じように、「まだ治っていないのか・・・?」とサジを投げているのかも(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.09.20
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昨日の読売新聞にコロナ期間中のゼロゼロ融資(コロナで売り上げが減った企業への実質無利子・無担保で融資する仕組み)の返済が本格化して、返済できずに倒産する企業が増える恐れがあるという記事が掲載されていました。金を借りたら返すのは当たり前の話で、それが返せないとなると倒産や自己破産になり、社会的信用がゼロになり誰からも相手にされなくなります。弊社はゼロゼロ融資を受ける事も返済不要の助成金(補助金)を受け取る事も一切なく、コロナ前からの無借金経営を貫き自助努力で何とかコロナを乗り切りました。この誰にも頼らないで、このコロナを突破できた自信は大きいです。過去50年を振り返ると、これまで父親の織物業時代はオイルショック、私の時代になってからはバブル崩壊とリーマンショックを生き抜いてきましたが、これが大きな自信に繋がっています。経験を通じての自信・・・これが何より大事です。本を読んだりセミナーに参加しても、100%自信なんかつきません。逆に言うと、そういった人間の弱い心理を突いた怪しい「不安ビジネス」が世の中に溢れているので気をつけなければなりません。まぁ同業者の織物業者でも全盛期の1970年の頃に680社(貝塚市~岬町)あったのが、弊社が廃業した2006年には20社くらいまで激減してしまったのです。たった30数年で97%も激減してしまいましたが、廃業当時は生き残った3%の中に入っていたのです。しかし私はもう未来はないと・・・私の手で、泣く泣く余裕のあるうちに60年近く続いてきた泉州の地場産業だった家業の織物業の幕を下ろした(廃業)のです(涙)。生き残るために、曽祖父からの家訓の「名を捨て実を取る」を実践したのです。まぁしかし、やっと約3年間のコロナがやっと収束し、これから「元を取り戻そう!」と考えています。コロナで借金が増えた会社はこれから金利が上がって来るので大変ですが、弊社はコロナ以前からの無借金経営を貫き通しました。借金がないので元金も金利も払う必要がなく身軽で、更に自社の土地と建物なので家賃を払う必要も無く、従業員(スタッフ)を誰も雇っていませんので人件費ゼロなのが弊社最大の強みです。副業の音楽スタジオは売上が激減しましたが、本業のトランクルームは毎日ブログやSNSで発信したのが功を奏したのか、テレワークによって自宅を整理した多くの方がトランクルームを利用されたり、泉州では珍しい弊社のような「屋内型」が広まってきたのかコロナの影響を受けないどころか、むしろコロナで売上が伸びました。トランクルームは典型的な「内需型レンタル業」で仕入れがなく、織物時代のように円相場や原油価格や電気代や人件費に影響される事がないのが1番です。業界によっては売上が激減したところが多いと思いますが、そういった業界に勤務していた外国人がコロナ期間中に母国に帰国してまた来日するまでの間に弊社トランクルームに自分の荷物を保管するといった特需が何件もあり、不況不況と言う前に目を凝らして周辺の実態をよく見るスタンスが大事と感じました。トランクルームは単なるハコ・・・スペースですが、考えようによっては用途が相当あるのです。たかがハコ、されどハコです。まぁコロナ前に計画していた第3スタジオをコロナ期間中に計画通り増設してしまい、トータル6か月も臨時休業して売上がゼロでホンと大変でしたが、何とか生き延びてこれました。今年に入り、ライブ活動が活発化してきてバンド予約が増え、昨年導入した和太鼓のお客さんが増えてきたので、ダンスとアコースティック中心のミラー付きの第4スタジオ(Dスタジオ)を増設しました。これによってバンドと和太鼓が増えても、ダンス系のお客さんにDスタジオを利用してもらう事によって全体の稼働率を維持できると考えます。しかし、何故か増え続ける?スタジオ会員さんの事を考えると、会員数3000人を超えるであろう来年か再来年あたりに第5スタジオ(Eスタジオ)の増設を計画しています。まだまだ先と思いますが、どの場所に楽器機材を何にするか付帯設備も全て100%完璧なシナリオが出来ています。それくらいでないと、この先リハーサルスタジオ経営者として生きていけませんから。まぁ、今の2300人から700人増えて3000人を突破・・・するであろうと予想していますので。3000人を突破して急に会員数がストップという事はあり得ません。その背景には今の高校軽音楽部の人気と人数を見れば、毎年バンド活動をする高校生が増え続けているのです。高校の部活人気NO1は、どこの高校でも軽音楽部という事実は彼らの両親が青春時代に第2次バンドブームの洗礼を受けたという歴史的背景があるからです。更に昨今の泉州の自治体は音楽エンタメに力を入れており、計画中の泉州山手線の出入口がトランクルーム貝塚(スタジオ0724)の近くに出来るのが追い風となっています。特に泉州山手線によって貝塚の人口10倍の堺市から30分で弊社に来れますので、泉州では数少ないニッチマーケットの弊社のような屋内型トランクルーム(音楽スタジオ)にとって、このメリットは計り知れません。堺市民の日常の買い物は近くのコンビニやスーパーで済まし貝塚まで来ることはありませんが、堺でも数少ない音楽スタジオとなると、30分くらいなら貝塚名越まで来てくれるのです。時代は名越に向いているのか・・・(笑)。あと水間線とJR阪和線が「乗り換え」できれば言うことなしです。乗り換えできれば貝塚市の未来はもっと明るくなっていたはずですが、この件に関し歴代市長だけでなく府議会議員や国会議員も誰も本気で取り組んで来なかったのが非常に残念です。まぁしかし彼ら高校生を卒業するときに、弊社スタジオが地元泉州にあれば必ずしもバンド活動をしなくても、楽器の個人練習に来てくれると信じています。スタジオ数が5室に増える事によって文字通り泉州最大手のリハーサル音楽スタジオになる訳ですので、リピーター率が増えると考えます。こうなれば、もう好循環しかありません。個人利用なら1時間500円、バンド利用なら1時間1000円~・・・と、一歩一歩真面目に商いをやっている事が最終的にビジネスを長く続けられるのです。こんな堅実な経営をしているのも「1m織ってナンボ?」という織屋時代の賃織り体制の影響です。長かった織屋のお陰で、こんなにもお堅い経営を貫き通せたのです。最近孫らと「人生ゲーム」にハマっていますが、私が子供の頃の人生ゲームとは違い複雑になってきて、約束手形のやり取りもあったりして、孫に「お金を借りたら返すんやで」と暗に教えるという意味でオモシロいですねェ・・・という事で、コロナでライブハウスや音楽スタジオといった音楽エンタメ業界がだいぶ減ってしまいましたが、弊社は逆に増設したお陰で他社に流れていたお客さんを受け入れる事が出来たのです。他社と同じように縮小していたら、コロナ後の反動を受け止められなかったのです。まぁ、今朝の妄想はこれくらいにしときます・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.09.17
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零細企業経営者は従業員が少ないので(弊社は雇いスタッフはゼロ)、基本的に何でもこなさなければなりません。長かった家業の織物業時代は現場の仕事を中心に営業、経理、運転手、人事労務・・・何でもこなしていました。これを営業と経理以外は、大学生の頃から手伝っていたのです。しかし17年前に織物業を廃業してトランクルーム貝塚に転業しましたが、想像以上の苦労の連続でした。織物時代の流通が長いB to Bから、トランクルームのようにエンドユーザー相手のB to Cへの転換は、まるっきり全てが違っていたからです。実際調べてみると、製造業の工場から業者に頼らずエンドユーザー直のトランクルームに転換した人は日本にいないのが、正にそれを証明しています。繊維業界にドップリ浸かった発想ではダメで、新しい発想やアイデアが必要になってくるのです。それが出来なければ、繊維業界で最後まで行くしかなかったのです。同じ業界しか経験がないと、発想そのものが狭くなりがちですので気を付けなければなりません。ココです・・・ポイントは。私の場合、大卒後繊維業界と全く違う建築金物メーカーで営業マンとして4年間サラリーマン生活を送っていたのが幸いしました・・・(汗)。繊維業界とは違った業界の経験が転業に役立ったのです。将来的には織屋を継ぐために繊維業界に就職したサラリーマン生活を送っていたら、業界常識の範囲内でしかモノを考えられなかったので、全く異業種のトランクルームには転業は出来なかったでしょう。私の場合は、子供の頃から織屋の手伝いをしていて「ガチャガチャうるさくて、こんなシンドイ仕事はいやや」と継がない事を父親に宣言していましたので、全く異業種に飛び込んだのですが・・・これが逆に正解だったのです。世の中、ワカランもんです。異業種の社会人経験によって発想が豊かになるというのは、もう全盛期の2%しか残っていない(680社の98%は倒産廃業)泉州の織物業者の多くは織物業以外に生地問屋を買収したり、貸しビル業を兼業したり、リネンサプライを兼営したり、商社と同じスタンスで生地を直輸入したり、綿以外の高級ウール織物を手掛けたり・・・これまでの織屋の概念を超えたビジネスを展開しているのを見ても明らかです。弊社は残念ながら織屋を完全に廃業しトランクルームに全面転換してしましたが、彼らは織屋をしながら副業で強かに生きている事に敬服します。まァサラリーマン時代の建築金物メーカー営業といっても取引先は多岐に渡り、金物問屋、ホームセンター、大手量販店、大手家電量販店、工具商社、画材店、建材(アルミサッシ)問屋、通販、店装業界・・・エリアも大阪を中心に日帰りで姫路までと、3ヶ月に1回くらい鳥取県~島根県まで1週間出張に行き、たまに四国の大手ホームセンターに商社の同行セールスでフェリーで行きました。既存の取引先に加え新規開拓や新商品開発で忙しかったですが、非常に充実した20代を送りました。問屋売りだけでなく、一見関係なさそうな東急ハンズのような新業態の小売りや、工具商社を通じてディスカウンターへ自社商品のベビーカーを販売したり、通販への直販もドンドンやっていきました。入社前にイタリアから直輸入で失敗した長期在庫だったプランターも、販売の仕方を変えて園芸店と組んで大丸百貨店のギフトで売ると大ヒットし在庫を一掃しましたが、給料が1円も増えませんでした。ビル向けの工事用の先付4mのピクチャーレールも、家庭向けに1~2mに短くカット包装して画材店に直販したり、パソコン販売をやりかけたカメラ量販店や家電量販店にラックを販売したり・・・とにかく考えられることを全て試しました。そんな好き勝手なことを許してくれた当時の上司に感謝しかないです。こういった4年間のエンドユーザーに近い異業種の経験が、織物業の廃業の後押ししたのかも知れません。日本の繊維業界の長い流通の中で、いくら頑張っても報われない・・・と(涙)。あるとすればイタリアの織屋のように、奥さんがデザイナーで旦那さんが機織りをして縫製を外注して、ユーザーに直販するというパターンですが、それは100%無理です。という事で、40年前の経験が家業の織物業から転業で役に立つとは・・・人生って、やはりずっと繋がっているのです。地道な努力の継続が1番で、一発逆転はあり得ないのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.08.21
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17年前に織物業を廃業してトランクルームに転業した訳ですが、業者を介在させずに自社運営でしたので最初の6か月は殆ど売上がゼロでした。収入がない恐怖を覚えたのは、人生初です。単にコンビニなどの小売業に土地だけを貸せば翌月から賃料が入ってきますが、それでは相場の家賃しか入ってきませんし、撤退されたら自分でどうすることも出来ませんので、自分で事業をする事に意味があるのです。貸すだけなら妙味はなく、自分で事業を手掛けるのです。いわゆる実業です。15年前に始めた不動産仲介業も、自分自身が宅建を取って始めても、最初の6か月は殆ど売上がゼロでした。そりゃそうです。全くの素人が資格だけ取って始める訳ですから、業界の雰囲気を自分が馴染むだけでも時間が掛かるものです。7年前の音楽スタジオになると、最初から売上が期待できないと・・・諦めていました(笑)。私の脳裏には、起業しても6か月間は全く期待できない・・・とインプットされていたのです。そんなモノで、これが厳しい現実です。実際起業しても、10年で95%が倒産廃業という日本の非常に厳しいビジネスシーンです。トランクルームも音楽スタジオもニッチマーケットだから売上がゼロが続きましたが、メジャーな飲食店だとココまで酷くはないと思いますが。しかしトランクルームも不動産仲介業も音楽スタジオも6か月間ほとんど売上がゼロといっても、ただ何もしないでゼロではなく、全くの新規事業なのでホンと悪戦苦闘、試行錯誤の連続で、時に自己嫌悪にも陥りながらも、この過程がすべて自分の経験値となるのです。決して諦めないで、成功しなくてもイロイロとアレコレ努力する事で何かが生まれる・・・と信じています。織物時代も100年以上前からあったメカニックな構造のシャットル織機から電気と電子制御の塊ともいえる最新鋭のエアージェット織機に変わり、修理や品種替えに悪戦苦闘したのと全く同じで、その過程が自分の経験値になり転業しても応用できたのです。ネットではしばしば起業のサクセスストーリーが見受けられますが、実際3つ起業した人間としてはそんな情報は全く信じていません。特に地方出身者や世界中から外国人が集まる東京では顕著ですが、本当の名門や昔からの金持ちは地味で目立たず、成金や何かしら劣等感のある人は見栄を張るのが人間の心理ですから。世の中、見た目と中身は逆の場合が多いのです。ヤクザが軽四に乗っているのを見た事がないように。オモシロい・・・ですね。世の中って。まぁネットでは玉石混交の情報が飛び交っていますので、どれが正しいかという眼力が必要です。まァ6か月も売上ゼロが続くと、資金繰りが大変です。スタッフを雇っていれば人件費、店舗を借りていれば最初に保証金と毎月の家賃が掛かり、銀行から借金をしていれば毎月の返済(元本+利息)、電気代、水道代・・・などが毎月掛かる固定費です。こんな事を6ヶ月も耐えられるかがポイントです。弊社の場合、自社の土地と建物で無借金経営で誰も雇っていませんので、そういった固定費の心配が全く無かった事が幸いでした。ココです・・・ポイントは。ただ日々の生活費を稼ぐために、他社の織物工場で正社員として働きだしました。「トランクルームが軌道に乗るまで少しのガマンだ・・・」と自分に言い聞かせ。しかしそれが6ヶ月ではなく、結果的に1年半にも及びました・・・(汗)。途中「これはひょっとすると、トランクルームは失敗だったかも?」とネガティブに考えてしまい、朝6時から夕方6時まで12時間も働いていましたので、夜中の2時に起きて出勤前の5時まで3時間宅建の勉強を始めたのです。「こんな事をいつまでもヤッテいたら身体が壊れてしまう・・・早く織物工場を辞めて宅建を取って自社の事務所で不動産仲介業をしよう・・・」と。9か月間悪戦苦闘の結果、何とか合格を勝ち取りました。もうこれ以上ムリというくらい仕事の合間に必死に勉強しましたので、一発で合格できなければ別の道を考える・・・と退路を断ったのが功を奏しました。特に試験本番前の1週間はすべてを断って部屋に籠って1日18時間も勉強しましたので、平たく言えば当時51歳のオッサンが、こんなシンドイ受験勉強を不合格になって来年もするなんて想像するのもイヤだったのです。気が狂う一歩手前まで・・・というのは正にこの事です(笑)。まァそんな努力もあって、他社の織物工場で1年半働いて残業代を含めて手取り30万円をキープしたお陰で、織物工場の固定資産税の支払いも含めて家族5人何とか生活が出来たのです・・・(汗)。結果的に1年半12時間他社の織物工場で働きながら3時間宅建の受験勉強をしましたが、従業員10人で年355日24時間エンドレス稼働の織物工場の経営時代の苦労に比べれば肉体的にも精神的にも遥かに、遥かにラクだったのです。社長だったというプライドを捨てるのはもちろん、もっと大事なのは他社の織物工場でも通用する現場のテクニック(機織り、タイイング、修理技術)と12時間働ける(歩ける)体力が必須なことです。1日12時間機織りで工場現場を歩き回っていましたので、おそらく1日に20万歩くらいは歩いた計算ですので、1年半も給料をもらって健康になった・・・とポジティブに考えるようにしています(笑)。という事で、全く新しい仕事を起業した後はバラ色の人生を考えがちですが、実は資金的にイバラの道が待っているのが普通なのですが、私もそうでしたが誰しもソコまで想像できない(したくない)のです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.08.20
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2,30年前の織物業時代は主力取引先の大阪船場の伊藤忠に毎週金曜日に行くときは、伊藤忠ビル地下のプロントに必ず寄ってコーヒーを飲み、帰りはビールを飲んでいました。同じ店舗でコーヒーとビール・・・?普通に考えればカフェとバーを分業するはずですが、プロントは朝から夕方まではカフェ、夕方からバーに変身するのです。文字通り、17時キッカリにスタッフのコスチュームが変わり、カウンター奥の壁紙もひっくり返ってバー仕様に一変するのです。最初「何が起こったんや?」とビックリしました。「まさかドッキリカメラとちゃうやろな?」と芸能人でもない私の脳裏を過りました・・・(笑)。プロントの二面性という経営スタイルです。現場の空気を吸う事が大事というのは、この事です。取引相手が地元泉州の繊維ブローカーだけで地元に籠っていては、こんな経験はあり得ません。外に飛び出し、新鮮な空気を吸って、イロンナ経験を通じて脳に刺激を与えるのです。どんな場面でもそうですが、井の中の蛙で内にこもっていると、新しいアイデアや発想が生まれにくいです。大阪市は日本第2の都市であり世界でもOSAKAとして有名で、日本の繊維業界の中心地である船場(本町)まで行かないと、この空気は吸えないのです。と言っても、たった1時間で繊維業界のリアルな情報だけでなく、イロンな情報が飛び交う大阪市内に行けますから、邪魔くさいとか言っている場合ではないのです。なので、船場では「ミスターフライデー」と言われるほど、毎週金曜日には朝から夕方まで船場(本町)界隈を駆けずり回っていたのです。そんなプロントでの経験が、後々トランクルームの「空室対策」でテレワーク室や卓球場を始めたキッカケに繋がり、大阪船場の扇子商法がミックスされたのです。平たく言うと、本業のトランクルームが忙しいときはトランクルームの部屋として使い、トランクルームが暇になったときはテレワーク室や卓球場にして、稼働率100%を目指すという戦略です。普通に考えれば誰でも考えそうなアイデアですが、実行に移すとなると運営のオリジナリティが問われるのです。という事で、私のビジネス感覚は結局1番長かった織物時代に培われたモノになる訳ですが、私が早朝から夜まで現場に入り営業や経理もこなし、年355日24時間エンドレス工場稼働でたった10人で多品種小ロット生産体制で月産20万mも織っても・・・それでも、なかなか採算が合わなかったのです。もうこれ以上無理・・・やりようがないところまでやり尽くした結果、廃業だったのです。この私の原点から考えれば、扇子商法や二面性といった考え方は至極当たり前だったのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ【中古】扇子商法—ある船場商人の遺言 (1976年)価格:3,250円(税込、送料別) (2023/8/19時点) 楽天で購入 PRONTO FAN BOOK【SPECIALパスポートつき】 (TJMOOK)価格:1,100円(税込、送料別) (2023/8/19時点) 楽天で購入
2023.08.19
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現在トランクルームや音楽スタジオを営んでいますが、エンドユーザーと間に業者が一切入っていません。土地と建物の所有者である弊社が、直接エンドユーザーと契約(会員登録)を結んでいるのです。17年前まで57年間営んできた泉州の地場産業だった織物業は、単独では決して生きていけませんでした。織物業は日本の繊維業界という長くて古い流通の真ん中あたりの「川中」業種で、最終消費者からかけ離れたところのポジションでした。注文は主に大阪本町の繊維専門商社(総合商社の繊維部門)からの発注です。商社と最終消費者(エンドユーザー)との間には、生地商社、問屋、ブローカー、アパレル、小売り・・・など沢山の繊維業者が介在していて、川中にいる織屋は一体末端(小売り)で何が売れているのか、来年は何が売れ筋なのかサッパリ分かりませんでした。それほど日本の繊維業界の流通が長すぎて、業者間の情報が分断化されていたのです。「どれだけ努力しても、エンドユーザーに反映されない(報われない、値段が通らない)」という諦めがこの流通の長さに起因し、これが織物業を廃業する一因でしたし、この反省を元にエンドユーザー直のトランクルームに転業したのです。未だにたまに織物時代の悪夢を見て魘されますので、反省と言うよりトラウマと言えるでしょう・・・(笑)。まァ商社からの発注に対して、値段交渉もあまり出来ないまま言われるままに受注し、100%A反率を目指し、織機の稼働率95%を目指していただけです。正に「器用貧乏」という言葉が弊社にピッタリでしたが、そんな唯我独尊的な自己満足で終わらせるようでは経営者失格です。まァしかし商社からの委託生産(賃織り)でしたので、織物の原料である糸は商社から支給されていましたので仕入れがない分ラクでした。26年前に亡くなった親父がよく言っていた「織屋は1m織ってナンボや!」で、それ以上でも以下でもなかったのです。工場を稼働させるのに、メーカーや業者に頼る部分が多かったのが残念でした。織機の部品はメーカー系列の販社からしか買えなかったので高止まりで、複雑な電気工事は繊維専門の電気工事業者に頼まなければなりませんでしたし、定期的なコンプレッサーのオーバーホールや空調のインバーターの故障なんかも専門業者に依頼し、縦糸の糊付けはサイジング業者に依頼していました。特殊な糸と織物の管理ソフト(賃織り用)は自分でプログラミングは組めませんでしたので、70万円も支払ってプログラム専門業者に依頼しました。とにかく市販品では間に合わないケースが多く、競争が少ない専門業者に頼むとコストアップするのが頭の痛いところです。その点、今のトランクルームや音楽スタジオはエクセルや会計ソフトなど市販品で間に合う事が多く、非常に助かっています・・・(涙)。更に銀行には借金があったので、とにかく自分ではどうする事もできない事が多すぎたのです・・・(汗)。なので、これら業者と相互依存のような形で上手に商売を進めていきながら、年355日24時間エンドレス稼働させて月産20万mを20年間維持していったのです。ところが48歳の時に「このまま過労を積み重ねていけば、60歳までに自分の身体が壊れてしまう!」と危機感を抱き、まだ余力のあるうちに翌年に廃業する事を決断したのです。正に「命あっての物種」・・・ですから。そういった大きなプレッシャーから解放され、銀行への借金も全て返済して身軽になりトランクルーム賃貸業に転身したのです。無借金になった・・・というのが人生最大で最高の自分へのプレゼントです。翌日からぐっすり寝れるようになりました・・・(笑)。これでトランクルームに転業しても、心身とも織物時代に比べて10分の1くらいにプレッシャーが激減しました。これが「何をやっても、織物時代に比べればたかが知れている」と思えるようになった理由です。トランクルームオープン当初は集客ができなかったので、1年半ほど工員として他社の織物工場で機織りをしましたが、社長というプライドを捨てられたのも織物時代の苦労に比べれば「屁」みたいなモノでした。そこで働きながら9か月間朝2時に起きて3時間宅建の受験勉強をしましたが、早くこの織物工場を辞めて不動産屋をトランクルームの事務所で開業するという具体的な目標があったからです・・・(汗)。実質4時間半しか睡眠時間がありませんでしたが、頑張り通せたのでしょう。という事で、織物時代は値段を自由に決める事も出来ず、年間2000万円も支払っていた電気代も電力自由化前だったので大幅なコストダウンは望めず・・・独自戦略を打ち出せる環境ではありませんでしたが、トランクルームに転業してから(その後スタジオ経営も)は料金を自由に決め、電気代も同じ2棟の建物でありながら100分の1に下がって電気代で振り回される事も無くなり、運営に一切業者が介在していませんので無駄な手数料を払う事もなく、仕入れがないレンタル業で無借金経営なので、織物時代の「10分の1の気軽さ」と言えるのです。まァ平たく言えば、日本の賃貸マンション経営やトランクルーム経営は地主が専門業者や不動産屋に頼るケースが殆んどですが、弊社の場合は土地と建物の所有者であるドラムが趣味で織物業で散々苦労した地主が宅建を取って不動産屋も兼業し、トランクルームと音楽スタジオを経営している・・・という業者が一切不要の(専門業者も兼ねた)、日本では非常に稀なケースなのかも知れません。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.08.08
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今から17年前の49歳の時に、祖父の代から57年続けてきた泉州の地場産業だった家業の綿織物業から180度方向転換し、2棟の織物工場を改造コンバージョンしてトランクルーム賃貸業に転業しました。49歳・・・今から考えると若い。よくそんな事が閃いて、1人でそれを行動に移せたんだなァと自分でも感心します・・・(笑)。当時は「とにかく、こんな事をやっていては60歳まで身体がもたない・・・早くやめなくては」という思いが強烈で、何に転業(転職)するかは後回しでした。先ずは廃業ありきで、将来何をするかは廃業決断の段階では全く未定だったのです。とにかく、長い流通の日本の繊維業界でエンドユーザーからかけ離れたポジション(川中)で、取引商社に振り回されるような仕事だけは避けたかったのです。何より商社の委託生産(賃織り)という自分の意思が余り通らない交渉余地の少ない「相手(取引商社)のほぼ言い成り」という取引形態を、一刻も早く解消したかったのです。経営者として、これほど情けない事はありませんから。その発注元の取引商社にしても、末端の小売で何がリアルタイムで売れているのか知らないのです。まぁ平たく言えば、業者を間に入れずに直接エンドユーザーと商売をしたい・・・というビジネスを廃業決断してから実際廃業するまでの1年間で必死に探していたのです。そして織物工場を改造しただけでビジネスができそうなトランクルームという未だ新しいビジネスモデルをやっていこうと決断したのです。一度決断すれば、あとは早いです。当時北京オリンピック前の好景気に沸いていた中国への織機の売却交渉や、工場をトランクルームに改造する工務店との交渉も廃業日の1ヶ月前から猛烈な勢いでトントン拍子に進めました。廃業日の1ヶ月前からというのがポイントで、それより以前に情報を漏らすと噂で潰されてしまうのです。文字通り子供らに伝えたのも、従業員や取引商社やメインバンクと同じ廃業の1ヶ月前です。ココまで情報統制を徹底しましたので、1か月前の廃業宣言から噂が広まるスピードより、転業に向かって織機の中国への転売や織物工場の改造コンバージョン、トランクルームの集客プランを考える方が遥かに早かったのです。織物業の廃業(トランクルームへの転業)から2年後にリーマンショックというオチまで付き、如何にあの廃業決断が正しかった・・・かと(汗)。私は株の売買はしませんが、プラザ合意後の円高不況時(バブル前の1987年)に最新鋭のエアージェット織機を安く買い、旧工場の1棟を解体して新工場(後のトランクルーム貝塚「本館」)を安く建設し、北京オリンピック前の好景気に沸いていた中国に20年間355日24時間エンドレス稼働して使い倒した中古のエアージェット織機を高く転売したのです。運・・・という簡単な言葉で現わせないような自分のラッキーさにいつも感謝し、毎朝起きてすぐに仏壇に手を合わせるのです・・・(涙)。という事で、49歳の「あの時の決断」がなければ今の自分はないと断言でき、まさか「その決断」が一生食えるビジネスモデルだったなんて想定外でした。それも織物時代の10分の1・・・の労力で。10分の1なんて、殆ど自分で働いているという感覚がありません。トランクルームに転業以降、宅建を取って不動産仲介業を始めたり音楽スタジオも始めたりして・・・「遊んでいる」とまで言いませんが、それに近い感覚なので1日も休まずに年365日働いている?のです。仕事(織物業)を家業だから無理に好きにしていましたが、それを本当に好き・・・に変えたという事か?楽(ラク)して儲ける・・・とまで言いませんが、一生ラクして食えるくらいのビジネスモデルを自分なりに49歳で探り当てたと言えるかも知れません。サラリーマンでも家族を犠牲にして長時間働いたり、アチコチ転勤で会社に振り回されたりして高額な報酬を得ても、心身とも疲弊して定年前にダウンしたら全くナンセンスです。会社なんてグローバル化に晒された競争が非常に厳しい日本のビジネスシーンで如何に生き残るかしか考えていませんので、会社と一蓮托生で全責任を負っているオーナーではない限り、会社員は常に一歩引いたジョブ型志向のスタンスが必要です。まァ60歳定年を単なる通過点として考え、会社(他人)をアテにせずに自分の腕(能力)だけを頼って80年の人生をトータルで考えると、より充実した人生を送れるように思います。自分の能力を考えずに欲望を抑えて勉強ばかりして一流大学や一流企業に就職しても、途中で挫折という例をこれまで沢山見てきました。やはり勉強も遊びも欲望も適度にバランスを取りながら余裕で生きることが、最後に幸せを勝ち取る最短距離かも知れません。まァしかし、コレが人生なんだなァ・・・とシミジミ考える今日この頃でした。平均寿命より20年長い100歳を目標に、充実した日々を送れるように健康に気をつけ楽しい仕事に邁進?していきたいと思います。 朝日新聞 2006.6.21.掲載「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.08.07
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70歳まであと3年で、「80歳まであと13年しか」ありません・・・(汗)。これが戸籍にも載っている厳然たる事実です。49歳で織物業からトランクルームに転業して18年。40代ギリギリで、思い切って人生のシフトチェンジをしたのです。67歳の今から思うと、「ようやったなぁ・・・」と感慨深いです・・・(涙)。まだ元気だった40代から今までの18年間と、これから70代に突入してだんだん元気が無くなってくる13年間を比べれば、2倍くらいのスピードで年月が過ぎ去るでしょう。アッと言う間に・・・気がついたら80歳なんて。想像したくないですが、まぁ恐らくそんなところでしょう。80歳と言えば、日本人男性の平均寿命の1歩手前です。100歳まで生きるのを目標にしていますが、こう考えると80歳までの13年はこのまま現役バリバリで働けるかも・・・?たった13年ですから。もちろん会社の代表取締役は早く後継者の娘に譲って、「会長」という立場で老化と戦いながらボチボチ働く・・・というイメージですが。あまり働き過ぎると、頼りにされるのも困りますからホドホドに。まぁ本業のトランクルーム賃貸業はまだまだ伸びている業界なので、13年で業界そのものが無くなる事がないというのが楽観姿勢の背景です。第2の柱の音楽スタジオはエンターテインメント業界なので多少の浮き沈みがあると思いますが、これも泉州エリアでは今のところ強力なライバルが存在せず、スタジオ会員数が7年経ってもまだまだ増加し続けていますので(現在2250人)、割と楽観視しています。ココが・・・ポイントです。トランクルームは大阪最大級の171室、音楽スタジオの4室は泉州エリア最大級と、別に規模を追っている訳ではありませんが、コスト競争に勝つにはニッチマーケットでも量(数)がモノを言うのです。この本業と第2の柱を盤石にする事が、これから80歳までの13年間の仕事と割り切ってもイイくらいです。その具体的な戦略を既に着々と練っていますが、それはマル秘(非公開)・・・と言う事で(笑)。自ら宅建とFPとコンサル資格を所持して営んでいる貝塚市に特化した副業的な不動産仲介業は、この2つのビジネスと商圏エリアが被っていますので周りから支えるという意味で重要です。しかし何で、これから13年間も80歳まで頑張れるのか・・・?それは織物時代の10分の1のパワー(気力、体力、資金)で済むからです。平たく言えば、トランクルームも音楽スタジオも経営が楽なのです。こんな楽な仕事はない・・・と。もちろんそのベースには織物業を廃業しトランクルームに転業した17年前からずっと無借金経営を貫き、年355日24時間エンドレス操業だった織物時代の肉体的にハードな仕事から解放され頭脳労働メインに転換できた事と、従業員を誰も雇っていない(人件費ゼロ)という3つの要因が大きく、ココに至るまでの努力は計り知れません・・・が(汗)。49歳の時には「織物業をこのまま続けていけば60歳まで身体がもたないだろう・・・」と考え、転業をキッカケにイロイロと自己改革をしていったのです・・・(汗)。という事で、サラリーマンなら60歳で定年ですが、自分でビジネスを展開していると責任を伴いますが年齢に関係なくヤル気があれば80歳どころか、死ぬまで「自分のスタイル」で働けるところが最大のメリットです。上司や会社に振り回されることなく、自分の意志で自由に高齢になっても年金をアテにせずに働けるのです。高齢者向けの株や金融資産などの運用ビジネスが盛んですが、あれは「老後は働かない」という前提が隠されていて損をするリスクもありますので、高齢になっても働いて稼いでいれば「その手」に乗る事は無いのです。まぁ私が80歳になれば子供らが4,50代で、孫らが中学生から大学生・・・90歳になれば子供らが5,60代で、孫らが社会人(曾孫も誕生?)・・・というのを想像します。80歳まで現役バリバリで働き、その後は仕事がゼロというのは生き甲斐が無くなりますので、何らかの形で仕事に関わっている事でしょう・・・孫の手伝いくらいはしてるかも・・・?今朝の妄想はこれくらいにしときます・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ70歳80歳を笑顔で超える生き方 [ 和田秀樹 ]価格:1,650円(税込、送料無料) (2023/7/21時点) 楽天で購入 和田秀樹監修 70歳、80歳でとても幸せになる人、不幸になる人 (メディアックスMOOK) [ 和田秀樹 ]価格:990円(税込、送料無料) (2023/7/21時点) 楽天で購入
2023.07.21
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弊社はトランクルームを本業に、第2の柱(副業)としてトランクルーム内でスタジオも営んでいますが、トランクルームのお客さんはどちらかと言うと30代以上のシニア層が大半を占めていますが、スタジオは逆に10代、20代が70%くらい占めています。本業と副業は、全く正反対のビジネスと言えるでしょう。平たく言えば、本業と副業で全ての年齢層をカバーしていると言えそうです。全ての年齢層をカバー・・・というのがポイントです。ミュージシャンというニッチマーケットで10代と20代のハートを掴み、彼らに「トランクルームの中でバンド練習をやっていた」という記憶を青春の思い出にする事によって、10年後、20年後以降にトランクルームのお客さんになってくれる可能性がありますし、彼らが50代60代になってもず~っとスタジオのお客さんになってくれる可能性もあります。青春の思い出・・・と言うのがポイントで、年取ってからいくら楽器やスポーツを始めても、身体に刷り込まれる度合いが違うのです。特に文化芸術分野である音楽(バンド)活動は、スポーツと違って体力よりテクニック(技術)が重要になるので年齢による劣化が少ないために現役活動をシニアになっても継続しやすいという利点があったのです。桑田佳祐、チャー、高中正義、山下達郎といった私の大好きなミュージシャン(アーティスト)らも70歳近くなっても現役バリバリというのが(海外ではシカゴ、シャカタク、ジャーニー、ハート、ローリングストーンズ、TOTO、ディープパープル、イーグルス、EW&F、BS&T、ドービーブラザーズなど70歳を遥かに超えても現役バリバリ)、それを証明しています。ココです・・・ポイントは。アパレルの「しまむら」が2期連続で最高益を更新するほど業績が好調なのも、これまでは30~50代主婦がターゲットだったのを20~60代女性へ幅を広げて全年齢をカバーするという戦略に方向転換できたのが大きいようで、やはり我々零細企業はニッチマーケットを狙い、更にその中で年齢層を広げる事が重要なのです。年齢のストライクゾーンを広げた事によって成功への可能性を高めるのです。弊社はシーズンや天候や時間に左右されない年中無休の24時間営業という究極のストライクゾーンを広げたスタジオ戦略を取っていますが、逆に言えば常にお客さんが満杯とは言えないベビー用品の西松屋のような余裕を持った「ガラガラ経営」と言えるのです。スタジオ会員は2200人を超えていますが、曜日的にも時間的にもシーズン的にも集中させない(左右されない)・・・分散化というのがポイントです。要はビジネスの安定化・・・です。零細企業経営者は1人で何役も熟さなければなりませんから、「心の平安」が何より大事なのです。これも織物時代の4~9月が暇で(閑散期)、10~3月までが忙しかった(来春のシーズンに向けての織物生産で)という反省です。商量が季節によってアップダウンすると、営業面で苦労し精神的に悪いのです・・・(汗)。そういったビジネスモデル(リズム)を一度構築さえすれば、あとは土日関係なく年中無休で働けるのです。と言っても、夏場は夕方3時くらいには仕事を切り上げ、心地良いサーマルが吹く2階のベランダで葛城山系を眺め好きな音楽を聴きながらビールを飲んでリラックスしてますが・・・(笑)。まぁ、もうソコまでいけば働くと言う概念はなく(次元を超えて)、まるで仙人の境地です・・・(笑)。という事で、「数は質を高める」というビジネスセオリー通りに、スタジオ経営基盤である会員数を増やすべく努力をしていますが、まさかスタジオ会員数2200人のうち10代20代で70%も占めるとは夢にも思いませんでした。都会型ビジネスであるスタジオ経営で、都会のスタジオは弊社と違ってシニア層が若者より多いのは企業や大学が集中してバンドメンバーが仕事帰りに集まりやすいというのが理由で、弊社のような大阪の片田舎の貝塚市はそもそも人口が少なく会社も少なく大学もありませんので、高校軽音部を中心としたバンド練習と昨年から始めた和太鼓導入で青年団の「だんじり鳴物」で地域密着型の集客に期待できるか・・・?「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ【5と0のつく日はP5倍 + エントリーでさらにP5倍】エレキギター SELDER ST-16 リミテッドセット【今だけ教則DVD付き】【エレキギター セルダー 初心者 入門セット ST16 初心者セット ギター 】価格:15,300円(税込、送料別) (2023/6/25時点)楽天で購入【3セット特価!】ERNIE BALL 2223/Super Slinky エレキギター弦x3セット【送料無料】【定形外郵便発送】アーニーボール価格:2,290円(税込、送料無料) (2023/6/25時点)楽天で購入YAMAHA PACIFICA012 初心者14点セット 【ヤマハアンプ付き】 エレキギター パシフィカ012 【ヤマハ】【WEBSHOP限定】 【初心者セット 入門セット】価格:36,900円(税込、送料無料) (2023/6/25時点)楽天で購入
2023.06.26
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コロナは収束しつつありますが、弊社「トランクルーム貝塚」と「スタジオ0724」はまだまだコロナ対策を徹底しています。・24時間換気・アルコール除菌通路や各スタジオの換気扇は24時間つけっぱなしですし、あちこちにアルコール除菌スプレーを配備し、スタジオのマイクは使用後はグリルボールを外して毎回洗剤洗浄しアルコール除菌と天日干しをし、この2つの弊社側のコロナ対策をまだまだまだ徹底しています。マスク着用に関しては政府の方針に従って自由にしてます。2つの対策をしているのは、安心してトランクルームやスタジオを使って頂こうという事に尽きます。サービス業なので、とにかく「安心」が1番です。安心してトランクルームやスタジオを利用して頂く・・・これに尽きます。各スタジオに空気清浄機もあり、24時間換気扇を稼働させて常に空気を循環させています。とにかく換気扇で室内の空気を排気し、空気を常に循環させる事が最も大事だったのです。それと更に大事な事は、弊社ではトランクルームにしろスタジオにしろ利用客を完全に把握しているという事で、これは会員制の強みで防犯WEBカメラも18台あり、何かあった時に「誰が何時から何時まで利用したか?」を完全把握している事によって原因究明が即座に可能になるのです。会員制ではない不特定多数が利用するスタジオではこれは不可能で、監視カメラ18台によって死角がなくなり、トランクルームとスタジオ会員さんが安心して利用できる隠されたメリットだったのです。スタジオ会員数も7年ちょっとで2200人近くなりましたが、中にはいちいち参加メンバーの申告をするのがイヤだとか言う人がいましたが(スタジオルールに従わない)、そういう会員さんにはスタジオ利用を遠慮してもらったり、非会員が利用した場合は罰金を設けたりする事によってスタジオ会員さんの質が向上し・・・みんなが気持ちよくスタジオを使えるのです。それによって他のスタジオに流れても何の問題もなく、正に「数は質を上げる」というビジネスセオリーです。この辺が、会員制スタジオと不特定多数が来店する飲食店と経営スタイルが根本的に違うのです。弊社は一方で事業用不動産の仲介業も営んでいますが、そこには必ず入居審査というハードルがあり、トランクルームも同様に入居審査があり、合格した者だけが借りれるのです。それと同じようにスタジオはそこまで要求しませんが、会員制で最低限のルールを守ってもらう必要があったのです。普通に考えれば当たり前の話ですが、お客様は100%神様・・・ではないのです。コロナ前まで毎年ハワイに1か月もロングステイをしていると、良くも悪くも多民族国家アメリカの実像が垣間見れましたが、それからすると今のスタジオ経営なんて常識のある日本人のお客さんだからこそヤッテいけているのだと・・・感謝しかないです。これからは日本も海外からの文化も言葉も宗教も違う外国人移住者が確実に増えてきますので、これまでのようにほぼ100%常識のある日本人だけではなくなるかも知れませんが、これまで通りブレない経営方針を貫かねばなりません・・・(汗)。まぁしかし、スタジオオープン前は高校生の喫煙を1番心配していましたが、7年間で一度もタバコを吸っているシーンを見た事がありませんし、20代でも殆ど吸っているのを見た事がないのに驚きます。大昔のようなエレキ(バンド)=不良・・・というイメージでは全くないのです。バンドマンとタバコは必要不可欠という昔のイメージが脆くも崩れ去り、現代の若者は真摯に音楽に取り組んでいる・・・という時代背景が、70%が10代20代というスタジオ0724の経営の追い風になっているのか?そういう若者ミュージシャンたちを全力で応援するのが、私の人生の最後のミッション・・・だと。という事で、あれだけコロナにシビアだったのが今は解き放たれて自由な雰囲気になっていますが、施設提供側のトランクルームやスタジオは一般市民と同じような訳にはいかず、まだまだ油断禁物だったのです・・・(汗)。この姿勢こそがユーザーからの信用に繋がるのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.06.10
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最近思う事は、16年前の51歳の時に無理してでも不動産の独占業務である国家資格の「宅建士(宅地建物取引士)」資格を取って本当に良かった・・・という事です。49歳で家業の織物業からトランクルームに転業し、当初はそれだけではメシを食っていけないと、同業他社の織物工場の現場で12時間機織りをしながら毎朝2時に起きて3時間宅建士の受験勉強を9か月続けて1発で合格した訳ですが、この効果は想像以上に大きかったと改めて思います。というのも、49歳まで建築建材のサラリーマン4年と、織物業20年の経験しかなかったものですから、転業と言っても「ソコに何も無かった」ので、何か専門知識を詰め込むしかなかったのです・・・(汗)。それがたまたま宅建士・・・という事です。全く未知の世界である不動産業界の入口である「宅建士」の受験勉強で、合格はしたものの実務経験がゼロでしたので、経験値を積むことによってソレをホンモノにする必要がありました。ココです・・・ポイントは。単に試験に合格しただけでは車のペーパードライバーと一緒で、何の役にも立ちません。経験を積まないと、せっかく取った国家資格が無駄になるのです。個人でこの宅建士の資格を取って、会社として宅建業の免許を大阪府知事から認可を受けて初めてビジネスになるのです。一歩一歩経験を積んで・・・やっと自信みたいなモノが芽生えるのです(汗)。修行ではありませんが、50歳の時に初めて宅建参考書の1ページをめくる・・・というスタートから10年経って、やっとという感じです。この目に見えない経験と自信は誰も奪う事ができません。ドラムテクニックと一緒で、死ぬまで自分のモノです。家や車は売ってしまえば他人のモノになりますが、これだけは誰も奪えないのです。こういった一連の不動産業務経験が、トランクルームだけでなく音楽スタジオやテレワーク室や卓球場経営にも想像以上にイロンナ方面でシナジー効果を発揮するのです。大企業のサラリーマン社長も会社を辞めれば「ただのオッサン」ですが、零細企業オーナー経営者は仕事を辞めない限りそれなりに商売人として生き永らえ、収入も永遠に得る事ができるのです。ココです・・・人生の要諦は。そういった人生にシフトできたのも、元はと言えば宅建合格に帰するのです。合格して実際の不動産仲介業を始めて数年は「大した意味なかったなぁ」とチョッと落胆していましたが、その後不動産以外のビジネスを展開していく上で不動産の知識や経験が役立つことも多く、ジワジワと効果を発揮してきた・・・という感じです。まぁ4,50代の出遅れた素人でのスタートで宅建1本の不動産仲介業だけでメシを食っていくのは難しいと思いますが、副業的に活用できる場面は多々あると思います。という事で、20年くらい前の織物時代に大阪2部上場企業の繊維専門商社に行くと、玄関の何かの看板(宅地建物取引業者票)に事務担当の若い女子社員の名前が記載(専任の取引主任者)されているのを発見し、「○○さん、何であんたの名前あるんや?」と聞くと、「うちがおらんかったら、この会社は繊維以外の不動産の仕事でけへんねん」と。「どういうこっちゃ?」と聞くと、「宅建ちゅう資格、私しか持ってへんから名前あるんやで」と。その会社は繊維だけでは将来性が無いという事で、不動産などの非繊維部門にも進出していたのです。その1分の他愛もない雑談から宅建という資格が世の中に存在するのを初めて知ったのです。その雑談がなければ、今の不動産屋も何も無かった・・・のです(汗)。その○○さんに感謝しなければ・・・と。もう100年超える歴史があったその会社は、その後業績が傾いてどこかにM&Aされ、社名も何もないですが・・・(涙)。歴史があるからと言ってそれに胡坐をかいていれば、知らぬ間に勢いのある新興に乗っ取られ、借金が多ければ銀行から返済を迫られ倒産に追い込まれる・・・これが日本の厳しいビジネスシーンです。まぁしかし、人生何がどうなるか(化学反応を起こすか)ワカラン・・・というのはこの事で、毎日「一期一会」の精神で真面目に生きていく事が・・・やっぱり1番か。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.05.31
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弊社「トランクルーム貝塚」はイロイロ事業(トランクルーム、不動産仲介業、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク室)を営んでいますが、一切業者を介さない「エンドユーザー直」のトランクルーム賃貸業が本業です。いわゆる土地と建物の所有者である地主直営のトランクルーム経営なのです。地主や大家といった言い方は、上から目線的で大阪では馴染みにくいですが。この「最終ユーザーと直接ビジネスをやる」という発想は、織物時代からの反省です。実需の何十倍も布や製品を作る仮需が業界のスタンダードで、流通経路が長かった日本の繊維産業では無駄が多く、リスクを業界全体で負うというスタイルでしたので利益率の低さに泣かされました。その証拠に今、年間50万トンとも言われる衣料の廃棄問題で日本のアパレル業界が揺れています。せっかく苦労してA品の布を作っても、その一部が廃棄されるなんて心が痛みます。そんな日本の古い繊維業界の流通や体質に背を向け、中国で川上(糸)から川下(製品、小売り)まですべて自社で完結しリスクを取ったSPA(製造小売り)というビジネスモデルを完成させたのがユニクロで、繊維業界で独り勝ちです。ここにヒントを感じました。やはりエンドユーザー相手にリスクを取る商売をしなければ・・・と。同じ織物業者でもイタリアの毛織で有名なコモ産地の織屋は、奥さんがデザイナーで最終の高級ブランドアパレル製品を作ってエンドユーザーに販売して生き残っている・・・という記事を読んだことがありますが、ユニクロと同じSPAの発想だなぁと感心しました。まぁしかし土日関係なしに24時間エンドレス操業で月産20万mも織物を生産しても儲けるには程遠く、「これじゃ、日本の繊維業界でいくら努力しても無駄だ」と悟り、17年前に織物業を廃業しエンドユーザー直のトランクルーム賃貸業に180度転換したのです。エンドユーザーの顔を想像してアパレルファッションの重要なパーツとしての布ではなく、これまでのように稼働率と生産量を追いかける工業製品としての布を織る事に限界を感じたのです。努力してモノを作っても、ソコには愛着はありませんでした。トランクルームという全く未知の世界に飛び込むリスクが大きかったですが、織物時代のように一生懸命努力してもそれが徒労に終わる気がしなかったのが唯一の希望でした・・・(汗)。いくら努力しても報われないほど悲しい事はありませんし、織物業時代はA品(合格品)を作ってもマーケットクレーム(イチャモン)に巻き込まれる事が何回もありました。ある時某大手合繊メーカ―の担当者から、あからさまに「このクレーム(染工場によるミス)を受けなかったら、もう注文はしないよ」には、怒りを通り越して「こんなヤツと付き合えば、潰されてしまう(未来はない)」と悟り、その場は敢えて喧嘩せずに黙ってクレームを受け、私の足は次の新規開拓先に向かっていました。よっぽど社長に直談判しようかと思いましたが、会社が赤字なのに夜な夜なキタ新地で飲んでいると噂されるサラリーマン社長に何を言っても無駄だと諦めました。いわゆる泣き寝入りですが、今ならパワハラでその担当者を裁判で訴えます。風の便りに、その担当者は案の定その後どこかへ飛ばされ、会社も分社された・・・と。自業自得です。いくら大企業に勤めていても、どうしようもない社員というのはいずれ消え去る運命にあり、いくら歴史のある古い会社でも、過去の実績に胡坐をかいて借金が減らず決算で赤字を出すようでは株主からNGを突きつけられるのです。そんな経緯でエンドユーザー直のトランクルーム経営をしていますが、コロナ前まではハワイでのロングステイや海外旅行に毎年何回も行っていたのに通じるのです。と言うのは、海外旅行と言っても旅行代理店に依頼せずに、基本的に自分でホテルと飛行機チケットを直接取って現地で自由行動する自由旅行です。旅行代理店のパック旅行は、自分で何もしないので確かに楽ですが高いです。そりゃそうです。旅行代理店はそれでメシを食って、決算が掲載されている四季報を見るとソコソコ儲けていますから。それに比べて自由旅行は自分で何もかもしなければなりませんし、英語がある程度できるのが絶対条件です。英語を勉強し直し、航空会社のHPや比較サイトとエクスペディアなどのホテルサイトと睨めっこし・・・1番安くて日程を何日も調べまくるのです・・・(汗)。特に飛行機は1日違いで大きく料金が変わるケースも多く、気をつけなければなりません。しかしトータル料金は低く抑えられます。そりゃそうです。自分でそういった旅行代理店の仕事までするのですから。特にクルーズ旅行は、直接海外のクルーズ会社のサイトで予約すれば半分くらいで済みます。これって日本の皆さんはあまり知りませんが世界では常識で、旅行代理店の添乗員についてゾロゾロ船内を歩いているのは日本人だけです。クルーズ旅行は世界中からお客さんが集まりますので、生の情報が得られるのです。しかし苦労した分だけ、旅行の楽しみが倍増します。文部省と旅行業界と受験業界が結託して、中学高校の英語教育で一般的な英会話にあまり役立たない英文法と英文解釈中心にしてワザと日本人を「英語をしゃべらせないように」しているのかと疑いたくなります。無駄な事をして、余計な仕事を作っている・・・のか?驚くほど短期間で外国語を喋る欧米では世界への自由旅行が中心で旅行代理店の存在は薄いでしょうし、大学受験のための学習塾なんて聞いた事がありませんから。日本人は優秀ですから、英語教育を社会や日常生活に「役に立つ簡単で基本的な英会話」中心に楽しく勉強すれば、多くの日本人が英語を喋れるようになり旅行業界は一変するでしょう・・・英語は単なる外国人とのコミュニケーションのツールですから、話が通じれば楽しくなりヤル気も出てくるのです。まぁ単に料金の事だけを考えれば、金銭的に余裕があれば旅行代理店に頼めばイイですが、問題は「旅行の楽しみ」を考えると、お金に換算できないパック旅行の何倍もの楽しみが自由旅行にあるのです。ココです・・・ポイントは。という事で、海外旅行もトランクルームビジネスも共通するのは「自分で何もかもヤル!」というエンドユーザー直にあり、それが旅(起業ビジネス)の楽しみに繋がる・・・というのはヤッテみないと分かりません。残念ながら、この感覚はお金では買えません。お金で買えないからこそ、オモシロいのです・・・(笑)。そして旅行代理店を通さない海外自由旅行も業者を介さない起業ビジネスにも根本的に1番大事なのは、誰も助けてくれない(自分しか頼れない)というリスクを取る「勇気」・・・コレがないと前に一歩も進めなかったのです(汗)。勇気という漢字は小学校で習いますが、これを会得するには実践の積み重ねしかないのです・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.05.22
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大学を卒業して社会人になって40年、サラリーマン(建築建材メーカー営業)~織物業~トランクルームと2度転職して「これ一筋!ではない人生」を歩んで来ました。泉州の地場産業だった織物業が家業でしたので、子供の頃から仕事の状況に敏感でしたので、1970年代までの高度成長期はイケイケドンドンだったのは実感としてありましたが、高校生の時のオイルショックでこれは大変な事になったという悲壮感がありました。円高不況時のバブル前年の大変な1987年に、新工場を建て1台1000万円もするエアージェット織機を20台導入しました。不況時に人生の大決断をしたのです。サラリーマンから家業に戻って3年目で当時2人の子供はまだ幼児で、将来を考えると「前向きに行こう!」と旧式のシャットル織機を捨て最新のエアージェット織機に思い切って切り替える決断をしたのです。何億もする設備投資でしたが、どん底景気でしたので建物や織機や設備一式をバブルに比べると30%くらい安く買えました。ココです・・・ポイントは。世の中の経済は需給バランスで成り立っていますので、誰もが手が出せない時期に買うとモノは安くなり、誰もが買うようになるとモノは高くなるのです。それを八百屋で野菜を買うのではなく、旧工場を取り壊しシャットル織機を廃棄して新工場を建設するという人生最大の買い物で実感したのです・・・(汗)。それから20年後のまだ景気がそれほど悪くなった時期に織物業を廃業して(同時にトランクルームに転業)、北京オリンピック前の好景気に沸いていた中国に20年間355日24時間エンドレス稼働で散々使い倒したその中古のエアージェット織機を高値で売却しました。その2年後にリーマンショックです。無理にガンバって廃業が2年遅くなれば、大変な目に合うところでした・・・(汗)。私は株の売買はしませんが、この織物時代の20年間で当時世界最先端のトヨタのエアージェット織機を安く買って、散々使い倒したボロボロの織機を高く売り抜いたのです。不思議な事に、確たる自信を持って2つの決断(購入と売却)をしたかと言うとそうでもありません。運がヨカッタ・・・と言えば確かにそうかも知れませんが、何か「不思議な勘」が働いたのでしょう。人生の局面で発揮する勘とでも言うのでしょうか・・・?まぁしかし3年前からコロナで世界経済が疲弊し、昨年から円安、ウクライナ戦争と日本経済にとってトリプルパンチです。こういう時こそ、誰もができない積極的な事業展開しなければ・・・と36年前のエアージェット織機を導入した時の事を思い出し、2年前のコロナの真っ最中に「スタジオ0724」では3室目のCスタジオ、昨年は本館屋根の大規模改修工事や和太鼓6台を導入し、今年に入り4室目のDスタジオを増設し、積極的に攻めてきました。その背景にあるのは「コロナが収束すれば、必ず盛り返すぞ!」という強い願いです。経営者と言うのは希望がなければ、モチベーションを保てません。ココです・・・ポイントは。バブル期のように誰もがイケイケドンドンの時は逆に静かにすべきで、こういうコロナ不況の誰もが様子見の時こそ前に出るべきだったのです。恐らく「こんな不況時にスタジオ増設なんて、アホちゃうか?」と一般人から見ればそうかも知れませんが、経営者目線でいうと「なるほどねェ~」なのです。一般人と経営者では、モノの考え方が180度違うかも知れません。逆に同じだと・・・ヤバいかも。「コロナも収束し、これから設備投資だ!」と言っている場合ではないのです。みんながそう考え、原材料代も上がっていますので、過当競争に陥るだけです。言うは易く行うは難し・・・ですが(汗)。バブル期もバブル前に勝負がついていたのと同じように、コロナ後の勝負はもうついているのです。事業用の不動産仲介業者的には、決してそんな事は言いませんが・・・(汗)。という事で、コロナ不況の3年間でスタジオを2室増設し和太鼓6台を購入しても、36年前の新工場建設と1台1000万円もしたエアージェット織機20台を導入した設備投資金額に比べれば大したことはなく、これまで通り堅実に無借金経営を貫くだけです・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.05.20
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弊社「トランクルーム貝塚」は「井戸水」を水道と併用しています。大阪で井戸・・・?大阪でも郊外に位置する泉州(南大阪)の貝塚市の山手の古い集落地区では、今でも日常的に古くから井戸水を水道と併用しているのです。これによって水道代が節約できます。織物時代はこの井戸水が大活躍しました。空調設備(加湿)で大量の水を使うからです。工場内を織物品質や稼働率を高めるために、年中湿度を60~65%にキープしなければなりませんから。夏は冷たい井戸水で冷房効果、冬は暖かい井戸水で暖房効果も多少期待できました。織物業を廃業してトランクルームに転業して、水をもうそれほど使う事もありませんが、トランクルーム館内の4フロアをモップ掛けしたり、スタジオで毎日マイクを洗浄したり、シンバルを洗浄したり、壁や通路を洗浄したりする時に使います。微々たるものですが、これによって水道代は半分くらいになっているでしょう。たかが水道代、されど水道代です。決してバカにしてはいけません。これも会社のコスト削減に役立っているのです。また地震などの災害で断水になって水道が使えなくなっても、井戸水を使えます。普段から水道と井戸水の二刀流なら、非常時に威力を発揮するのです。私は本来右利きですが、普段はの食事は左手で箸を持ち、パソコンのマウスは左手で操作するのも「もし右腕がなくなかったら・・・」という将来の非常時を想定しての事です。普段の空手の突きや受けや蹴りの稽古でも「左右均等」という空手の教えが念頭にあり、どちらかというと利き手の反対の方を多く練習(回数)するように嘗ての師範から教えられたり、小学生の頃に中学で野球部に入るつもりで左手で野球のボールを投げる訓練をしていたので右手の80%くらいで投げれますし、スイングは左打ちに変えました。まぁしかし織物業からトランクルームに転業して、フォークリフトは既に転売しましたが、まさか井戸が役立つなんて・・・思ってもみませんでした。私がまだ2,3歳の頃の戦後10年チョッとの昭和30年代前半は名越には未だ水道がなく、各家は井戸水を利用し、洗濯機がありませんでしたのでドジョウやザリガニがいる自宅前の溝(小川)の共同洗濯場を毎日利用していたのです。もちろん冷蔵庫なんてなく、氷屋さんが繁盛していました。そんな古き良き時代を知っているだけに、今の時代の便利さを痛感し感謝しているのです・・・(涙)。という事で、零細企業経営で「これで一発逆転!」なんてモノはなく、ホンと毎日の小さい節減の積み重ねで成り立っているので、水道代も1年、5年、10年・・・と年数を積み重ねるほどコスト削減効果が出るのです。これって、都会のトランクルームやスタジオにはない「弊社しかない」チョットした差別化だったのです。ふと思えば、だんじり鳴物の大太鼓の私オリジナルの「雷(カミナリ、暴れ)太鼓」という叩き方も、左右均等でないと高速連打が叩けませんので、空手や野球の「左手の意識」と普段の生活習慣が役立っていたのか・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.05.11
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毎年恒例ですが、弊社はゴールデンウイーク中も休みません。弊社とは「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「テレワーク&スタディ貝塚」「貝塚卓球センター」の事です。スタジオ0724にある「だんじり鳴物(和太鼓)練習場」と「サンドバッグ&フラメンコ練習場」も営業中です。公共図書館や公共体育館や公共スタジオやだんじり会館はGW中は休業だと思いますので、そういったテレワークや自習室や卓球やバンドや鳴物の「したくでも出来ない」溢れた潜在需要を取り込むのが我々民間企業の大事な役目だったのです。既にGW中のスタジオ予約もバンバン入って来て、ライブの本格的な復活の予兆を感じます。しかし「貝塚不動産.com」だけは基本的に休業で、物件調査はできませんがオファーだけは受け付けます。以上宜しくお願い申し上げます。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.04.25
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先日「キーエンスの解剖」という本を読んで久しぶりに感動しました。センサーを中心としたFA関連メーカーであるキーエンスと言えば、従業員の平均年収が2200万円という恐ろしく儲かっている会社です。2200万円で・・・220万円ではありません。何でそれほど儲かって、従業員にそんな高給が払えるのかという興味を前々から持っていました。気になる項目をピックアップすると・なぜそれを知っている? 神出鬼没の営業パーソン 異動の事まで把握 顧客の要望を先回り・商談のレベルを引き上げる「ロープレ」1000本ノック・アポは1日5件から 1分単位で書き込む「外報」・潜在ニーズを引き出す「顧客取材力」の源泉・顧客の「欲しい」 それでは遅い・新車を明日納品するようなもの? 「即納」へのこだわり・「一人ひとりが社長」賞与で経営の意識を育む・「飛び込みなし」「接待なし」は80年代からといったところでしょうか。2時間ほどで、一気に吸い込まれるように読みました。読みながら、スタジオ経営に活かせそうなアイデアがいくつかパッと湧き、本に赤線を引きながらアイデアも書き込みました。本は必ず後で読み返しますので、時間短縮する意味で赤線を引きますので、古本屋には売れません・・・(汗)。とにかく「スタジオ0724」の会員数が7年間で2100人というのが財産で、これを活かし切れていないという事にハッとしました。ある意味「バカやってんじゃないよ!」と怒られた気分です・・・(汗)。これまで生ぬるいスタジオ経営をやってきたという事です。ヤレル事がまだまだ沢山あり、穴だらけだったのです・・・(汗)。この本に勇気づけられ、伸び悩むスタジオ売上が5倍くらいになれそうな気がしましたが、ソコは2倍が目標という事に・・・(笑)。コンビニや飲食店なら出店すればいきなり売上が上がりますが、弊社のようなトランクルームやスタジオといったレンタル業はこれから起業しようとしても急には売上は望めませんが、弊社「スタジオ0724」の場合は既に営業7年と会員数2100人という実績のベースがあるのが強みなので、これを活かさない手はないのです。という事で、本来はジックリと小説を読みたいのですが、まだ現役で仕事をしていますので、どうしてもビジネス本に手が届いてしまいます。経営をもっと早く娘にシフトして、時間的な余裕が欲しいモノです・・・まァたった2時間の読書で、売上アップのアイデアが閃いたのは大きな収穫です。あとは行動のみ‼️「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.04.18
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弊社「トランクルーム貝塚」(貝塚市名越661 072-446-0798)が17年前に取得したメールアドレスは「info@sasatani.com」で、トランクルーム貝塚の公式WEBサイトのURLが「www.sasatani.com」です。弊社の登記上の社名は「株式会社笹谷繊維工場」で、ドメインは経営者である私の苗字に.comをつけているのです。弊社が展開する5つのビジネス(トランクルーム貝塚、貝塚不動産com、スタジオ0724,貝塚卓球センター、テレワーク&スタディ貝塚)は社名とは関係ない、単なる屋号(ブランド)ビジネスだったのです。独自ドメインのように自分の苗字をつけたかったのですが、ソコは我慢して地域密着型ビジネスでもありますので、「どこでやってんねん?」と直ぐにユーザーさんにも分かるように地域名をつけたのです。まぁ世界のドメインの中で最強が「.com」なのは自明の理で、その前に社名や経営者の苗字を入れる事がドメインの最強と言われます。トヨタもキャノンも「.jp」で、「.com」ではありません。おそらく先に誰かに「toyota.com」「canon.com」を取得されたのです。ドメインの登録は先着順なので、手遅れで残念ながら取りたくても取れなかったのでしょう。この「他社より先に」というのが最重要ポイントで、どんな商売でも通用するビジネスセオリーです。過去40年の社会人生活で、今でも忘れる事ができない「先を越された」苦い経験が2件ありますが、両方とも大手企業に技術を盗まれた経験です。1件目はサラリーマン時代で、同じ課の先輩が夜遅くまで大手メーカー向けの「ある技術の開発」をしていたのですが、毎週難題を突き付けられて四苦八苦していたのを横目で見ていました。「○○さん、調子イイみたいですね?」と聞くと「もうちょっとで、大口注文もらえそうや」と、大手の下請けとして過大な期待をしていたのです。ところが、その後浮かぬ顔の先輩に「どないしたんですか?」と聞くと「先に特許を取られてしもた」と泣きそうな顔で嘆いていました。「え??」と言葉が出ませんでした。あの大手メーカーが・・・当時まだ20代だった私はこの現実社会の下請け構造に落胆しました。その大手メーカーの仕入れ担当者は自分で何も開発せずに下請けに丸投げして、図面を先に入手し抜け抜けと勝手に特許を申請していたのです。課内は大手メーカの暴挙に騒然としていましたが、おそらく泣き寝入りせずに裁判をしたように記憶しています。世の中はそんな事がまかり通るものではない・・・と思いたいです。2件目は30年ほど前の織物時代にありました。今はごく一般的なストレッチパンツですが、当時まだ新しかったストレッチパンツの開発に某アパレル向けに紡績メーカーと一緒になって取り組んでいたのです。ストレッチ糸は普通の糸と違って、芯にウレタンが入ったコアヤーンという独自の形状でしたので、織物にする時に如何にウレタンをカバーしている綿糸をエアーで吹き飛ばさないようにするかが最大の課題でした。これをエアージェット織機の回転数を出来るだけ落とさずに織る技術を確立するまで結構時間が掛かりました・・・(汗)。紡績メーカーと逐次連絡を取り、毎回糸の成分混率を微妙に変えたり、織機メーカーともストレッチ糸に対応できる部品に関して相談に乗ってもらいました・・・(汗)。その苦労して積み重ねた技術情報(ノウハウ)を取るだけ取って、翌年からそのアパレル企業は弊社ルートを外して糸から縫製まで全て中国製に切り替えました。そのアパレルと弊社の間に2社入っていましたので、クレームの届きようがなく、途中で握りつぶされていたのです。これが当時の繊維業界の構図ででした。「やっぱりエンドユーザー直の商売をやらなアカンなぁ・・・」とつくづく思ったのが、業者を挟まないエンドユーザー直のトランクルーム転業への大きなキッカケです。という事で、零細企業が生き残るには「先に手を打つ」「業者取り引き(B to B)ではなくエンドユーザー直(B to C)」という2つの教訓をサラリーマン時代と織物時代に得て、それをトランクルーム以降の5つの商売に活かしているのです・・・(汗)。やはり大手企業同士の生き馬の目を抜く競争の渦に巻き込まれたらダメ・・・なのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.04.15
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当たり前の話ですが、1日24時間しかありませんので仕事に割ける時間も限られます。その限られた仕事の時間を如何に効率よく使うかが、大袈裟に言えば人生にとって最大の命題と言えるでしょう。最近「ワーク・ライフ・バランス」という仕事と生活の調和を意味するキーワードが重要とされていますが、考えてみれば当たり前の事です。仕事、家庭、趣味、友人関係、親戚、地域社会・・・どれにも偏らずバランスよく生きるのが幸せに繋がるように思います。要は肩の力を抜いて、外野に惑わされずバランスを考えながら生きる・・・のです。人生で1番大事とされる仕事も我々零細企業経営者は「会社=自分」なのでいくらでも仕事をしますが、定年で会社と一切縁が切れるサラリーマンにそれを強要するには無理があります。まぁそんな基礎を養うために我々日本国民は小中学校の義務教育があり、高校や大学でも学ぶのです。最小の努力で最大のレバレッジを効かせて、最大の効果(利益)を上げるのが究極の民間企業の姿です。最近は企業や従業員の副業が話題に上っていますが、副業する時に全く違った分野になる訳ですが、そこで1点重要な事があります。商圏エリアの考え方です。弊社のような本業がトランクルームで副業が音楽スタジオというリアルな「店舗レンタルビジネス」だと、これが案外重要です。2種類の仕事を全く違うエリアからの集客だとシナジー効果が得られません。17年前にトランクルーム貝塚を起業、10年後の7年前にスタジオ0724を起業しましたが、結果的に2つのビジネスの商圏が70~80%くらい被っているようです。トランクルームの50%が大阪市内と堺市内から、残り50%が堺市以外の泉州エリア、スタジオの80%くらいが堺を含めた泉州エリアからの集客です。これによってトランクルームとスタジオが互いにシナジー効果を得ているのです。トランクルームのお客さんに「別館1階でスタジオをやっていますよ」と驚かせ、スタジオのお客さんにも「トランクルームの中にスタジオがあるんです」と会員登録の際にトランクルームのモデルルームを見てもらうのです。楽器のトランクルーム保管をしているお客さんが案外多いですので、当然友人や知人でバンドをやっている人が多いので、その口コミ効果を期待できます。スタジオのお客さんにしてもマンション住まいの方も多いので、泉州エリアのトランクルームの90%がコンテナなので弊社のような屋内型(ビルトイン)トランクルームを見るのが初めてという方が殆どなので「ちょうど荷物の保管に困っていました」というケースも多々あります。そしてバランスと言えば、トランクルームは同じ広さの部屋ばかりではなく、大阪最大級のトータル171室のユニットを2.2畳を中心に1.6畳から15畳までどんなオファーにも対応できるようにバラエティ豊富に取り揃え、泉州最大級となったスタジオのA~Dの4室は8畳から22畳まで個人練習から15人まで収容できるスタジオを取り揃え、フルバンドに必要な楽器機材だけでなく、ダンス練習に必要な幅広い前面ミラー、ラテンパーカッション、和太鼓6台、サンドバッグ、フラメンコ台・・・と出来る限り幅広い楽器機材も常設しています。という事で、過去17年間のビジネスで思った以上に効率的に仕事をしている事に驚き、これからもこの商圏を意識した新しいビジネスを探っていきたいと思います。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.04.03
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先日、野口悠紀雄氏の「2040年の日本」という本を読みました。ショッキングな内容でした。2040年と言えば、生きていれば84歳です。100歳まで元気に生きるつもりなので、まだまだ人生の途中です。17年後は娘らが50代、孫らは高校生から20代の年頃です。ひょっとして曾孫が出来ているかも・・・?そんな2040年です。まぁ零細企業経営者が少しでも前に進むには、自分の頭の中で考えるだけでは限界があり、常日頃からインプットする必要があり、そのためのネットや新聞や読書が有効であると思うのです。人脈によるインプットもありますが、やはり1番は独学によるのが効率的でしょう。これをしなければ、世の中の動きについていけなくなりビジネスの表舞台から降りて後継者と交代しなければ倒産してしまいます。この本の中で、自動車業界にこれから「完全自動運転&EV車」という2つの大きなウネリが来ようとしていると書いていますが、これって単に他人ごとでは済まされません・・・(汗)。南海トラフ巨大地震はいつ来るか、来ないかは全く分かりませんが、この「完全自動運転&EV車」は近い将来必ずやって来るのです。もうソコまで・・・来ているのです(汗)。という事は、それに備える準備ができるのです。個人として、会社(ビジネス)としてどう備えるか・・・?会社経営者として頭の中に常に「次のやるべき事は?」と描いていますが、これから5年、10年先を考えると、今回この「完全自動運転&EV化」で将来のビジネスプランを修正をせざるを得なくなりました・・・(汗)。着々と構想を練ってきましたが、この1000円の本を読んで、ウン千万円の投資計画をしなくて済んだのです・・・(汗)。本から学ぶ・・・というのは、こういう事だと思います。平たく言えば、この本を読んで将来の「ある案件」に関して見方が変わったのです。たかが読書、されど読書・・・です。という事で、ここ2,3年は変わらないと思いますが、先に何があるか分かりませんので、その時また修正すればイイ訳です。そうやって修正・・・また修正、ハンドルの無いだんじりの後梃子のような「チョイ切り」の連続でビジネスを真っすぐ走らせるのです・・・(汗)。17年後の2040年なんて、直ぐにやってきます。ちょうど17年前は織物業からトランクルーム業に転業した頃で、アッと言う間の17年間でしたが、もっともっとアッと言う間に17年経って84歳になってしまうだろう・・・と(汗)。84歳に・・・想像もできませんし、したくありませんが、それが人の人生です(汗)。なので、悔いのないように好きなコトをするために、健康維持とお金を稼がねば。ジャネーの法則によると「時間の経過の早さ」は「年齢に比例して加速する」と言われてますので、いくら老後はノンビリなんて言っても、まだまだ仕事を現役で頑張っている間はそんなにノンビリしている場合ではないなァ・・・というのが実感です。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.03.25
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医者や弁護士のような本当のスペシャリストのように「これ一筋」「この道しかない」というのに憧れます。それがデキたらいいのですが、私には能力的に不可能だったのです。まぁ最初の挫折は中学の野球部で、2週間で「こりゃダメだ」と楽そうな陸上部に転向しました。ピッチャーマウンドからの上級生の剛速球に足が震えたのです。陸上部は上級生にもチャン付けで、和気アイアイな雰囲気でした。当時笑福亭仁鶴の「仁鶴と遊ぼう」というテレビ番組が流行っていて、何でも「○○チャンチャコ」をつける会話が流行っていて、1つ上の部長の○○ちゃんが「これから陸上部はチャンチャコを会話のあとに付けるど」と。「みんな!わかったチャンチャコか?」という愉快なクラブでした・・・(笑)。高校はブラスロックのシカゴの影響でトランペットをしたかったので、オーケストラ部に入りました。しかしみんな中学の吹奏楽部出身ばかりでレベルが違います・・・(驚)。最初から気負けして、後輩にも負ける始末で3年間ずっとサードトランペットのハモリ専門でした・・・(涙)。お陰様で、和音メロディーが身についたかも・・・(笑)。そこまで追い込まれたら、もうトランペットを見るのもイヤになり、未だに再開しようと思いません。大学生になってバンドでドラムをやっていても、ちょっと上手なギターから「お前のドラムはだんじりか?」と揶揄され、言い返さなかった自分がイヤになりました。大学の体育会で空手をやっても、同じ流派の道場に毎回死ぬ思いで出稽古に行って、コテンパンにやられ毎回へこみました。ウインドサーフィンも大学に同好会を創り、一般の関西予選を勝ち抜いて全日本選手権に出ても総合94位と散々でした。もうこりゃ、何をやってもアカンなぁ・・・と(涙)。しかし・・・もう開き直りました。これだけ一生懸命やってもコレだから、シャーナイと。そしたら、最後に残った仕事でがんばろか・・・と。大卒後4年間の夜討ち朝駆けのサラリーマン生活を経て、家業の織物業でも最新式エアージェット織機に入替え20年間355日24時間エンドレス操業で頑張りました・・・(汗)。もうこれ以上頑張りようがない・・・というくらい仕事をしましたが、残念ながら中国からの洪水的な製品輸入の壁に自分の無力さを感じて17年前に廃業しました。いくら国内で頑張っても繊維業界というワールドワイドなビジネスは、外的要因(為替、輸入)や日本独特の長い繊維の流通に対して単なる一加工業者(織布業)ではなす術がないと悟ったのです。そして直ぐにトランクルームに転業し、今は自分の能力と性格に合わせて中途半端に5つのビジネス(トランクルーム、不動産仲介業、月極駐車場、音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場)を展開しています・・・(笑)。エエカッコに言うと「5つ(トランクルーム、不動産仲介業、月極駐車場、音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場)の異なるフィールドで同時に戦っている」と言えるかも知れません。平たく言えば、リスク分散で5つのビジネスを中途半端にやっている・・・と言えるかも(汗)。5つの新しく始めたビジネスに共通しているのは、織物時代と真逆の「エンドユーザー直」で、中間業者を入れず自ら主導権を握ってリスクを取った事です。これでイイのです。そう、5つのどれをとっても大阪で1番ではありません。特に不動産仲介業は大阪で1万社もありますので差別化が難しく、資格を9つ(宅建士、不動産コンサルティングマスター、ファイナンシャルプランナー、賃貸不動産経営管理士、倉庫管理主任者、住宅ローンアドバイザー、損害保険募集人資格など)も無理して取りましたが貝塚ですら1番は無理です・・・(汗)。と言うか、「頑張りどころ」を間違えると徒労に終わるというのを身をもって経験したのです・・・(汗)。まぁしかし、貝塚では不動産仲介業を除いて1番かも・・・?ライバルそのものが殆ど存在しないニッチマーケットですから。まぁ自社の土地と建物を使い無借金経営で、娘と2人だけで5つのビジネスを回しているので、コスト的には何処にも負けないだろう・・・と。という事で、頭脳と体格は親からの遺伝で変えようがありませんので、それを上手に活かす事こそが悔いのない人生を生きる事に繋がるのかと思います。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.03.23
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もうブログを17年、ユーチューバーを10年続けています。なんでココまで続けられたか・・・?もちろん仕事だからですが、真面目一筋ではなく時には脱線してストレス発散的に好きな事も書いたりプライベートの動画をアップしたりして、何とかモチベーションを保っているのです・・・(汗)。これまでの人生で空手やウインドサーフィンやドラムなどイロイロやってきましたが、裏を返せば忍耐力が無く飽きっぽく、結果的に中途半端だったという事です・・・(笑)。空手を40数年続けてきたら、66歳なら六段、七段が当たり前ですが、中途半端に3つの流派を渡り歩いて二段止まりというのが恥ずかしい限りです。ウインドサーフィンも関西予選を勝ち抜いて1981年の全日本選手権に出場しましたが、総合94位(ライトクラス26位)という惨憺たる成績でしたが、素晴らしいトップ選手の走り(テクニック)を目の辺りに実力差を見せつけられたのが逆にヨカッタのです。ドラムも20歳頃に自宅の土蔵で練習していましたが、自分の才能の無さに1年半でギブアップしてしまいました。トランペットは高校生になってからオケ部で始めましたが、後輩に追い越されそうになり大学で続ける気力はありませんでした。資格にしても宅建士(国家資格)から始まり、ファイナンシャルプランナー(2級技能士、AFP)、不動産コンサルティングマスター、賃貸不動産経営管理士(国家資格)、住宅ローンアドバイザー、倉庫管理主任者、損害保険募集人資格、定借アドバイザー・・・とイロイロ中途半端に取り過ぎました。これも弁護士や医師といった難関資格を逆立ちしても取れない事の裏返しです。パソコンも28年やっていますが、HTMLを独学で勉強したくらいでプログラムは組めません。何十年、これ一筋・・・というのは私には無理です。何事も極める事もできず中途半端にアレコレして、お茶を濁している証拠です。残念ながらコレが私の性格であり、実態であり、正体だったのです。しかし、この生まれながらの性格は100%治しようがありません。「三つ子の魂百まで」という諺の通り、長年イロンナ人を見ていますが、やっぱり私も含め生活や習慣は努力次第で直せますが、残念ながら性格だけはどうしても治せない・・・のです。この飽きっぽい性格を活かして、五毛作経営(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、テレワーク室、卓球場、月極駐車場)をしていると言えるでしょう・・・(笑)。まぁ何でも続けるのは難しく、イロイロ工夫しながら・・・というのが実際のところだと思います。少しでも悔いのない自分の人生を送るには、自分の治しようのない性格に合わせるしかないのです。ココです・・・ポイントは。まぁブログとYOUTUBEからトランクルーム貝塚(スタジオ0724)のWEBサイトへの誘導作戦で、SEO対策の一環ですね。もちろんブログやYOUTUBEだけでなく、SNS(フェイスブック、ツイッター、インスタグラム、LINE)にも連動させてリンクしあって・・・検索上位に自社WEBサイトを表示させる努力を惜しみません。これらを総力を挙げてやらなければ、今のインターネット社会では弊社が存在しないのと同じだったのです・・・(汗)。そういう時代なのです。ただそういう時代ですが、そういったインターネットを一切やらなくても儲かっている企業があるのは確かで、目立った行動で税務署に狙われるのが怖いのでしょうか・・・・?インターネットというほぼタダに近いツールを駆使してビジネスに活用するのは、我々資金力に乏しい零細企業経営者だけなのか・・・?という事で、ウインドウ95が発売されたと同時にノートパソコンを買って、インターネットに初めて触れた時の衝撃が今でも忘れられません。それまでは何かを調べる時に本でしかありませんでしたが、ネット検索すると「答え」が出てくるのです。年々それが加速し、織物時代はそれほど必要性がありませんでしたが、繊維業界の流通が長すぎていくら努力しても報われなかった時に「廃業」が頭にパッと浮かぶと同時に、「インターネットでエンドユーザーと直接取引したら、こちらで自由に値段をつけれるかも知れない」と閃きました。それが廃業1年前の2005年でした・・・あれから18年、早いものです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.03.08
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今年3月で、リハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」を起業して丸7年になります。アッと言う間の7年・・・早いものです。私は元々プロのミュージシャンでも何でもありません。子供の頃からだんじりの大太鼓などの鳴物の経験がありましたが、高校時代にオケ部でトランペット、大学時代にドラムを少しやっていただけです。一般的にはリハーサルスタジオは大阪市内や東京23区といった都会型ビジネスの典型で、スタジオ経営者はプロかそれに近いミュージシャンが殆どだと思いますので、貝塚市という地方都市で素人の私が新規参入するなんて正に非常識でクレイジーそのものだったのです。平たく言えば「ド素人のオッサンがようやるで・・・」という感じだったでしょう・・・(笑)。正にその通りで、勝算なんて全くありませんでした。起業時から既に撤退の事を考え、不動産仲介業で2,3年頑張ってスタジオ資金を稼ぎ、文字通り無借金でスタジオを自社の「トランクルーム貝塚」別館1階に造ったのです。失敗すれば楽器や機材をヤフオクで転売して、スーッと誰にも気づかれずにスタジオを廃業しよう・・・と。当初の見込みではバンドだけでは集客できないだろうと考え、リスクヘッジとしてスタジオの広さを通常の2,3倍の泉州エリア最大の22畳にして、だんじりの2尺5寸の本格的な大太鼓がスタジオに入るように防音ドアを別注で広くして、バンドに加えダンスと和太鼓の集客も念頭に入れました。予算オーバーの設備資金が必要でしたが、コレが功を奏したのです。バンドの集客不足を、ダンスや和太鼓の集客で辛うじて経営が軌道に乗ったのです。この最初の読みが当たったのです。他社と同じように8~10畳くらいの小さなスタジオだったら、資金もそれほど掛かりませんが恐らく失敗していたでしょう。この辺が後で考えれば、勝負の分かれ目だったのです。そう・・・ビジネスは真剣勝負ですから。趣味の空手やウインドサーフィンの試合で負けても「仕方がないなァ・・・」で済みますが、ビジネスで失敗すれば生活が脅かされます。まァ、スタジオ経営をやりたい一心ではダメで、冷静に一歩引いて見つめることがビジネスでは何より1番大事です。起業といえばカッコいい部分だけがクローズアップされがちですが、問題は継続性です。いくら華々しく起業オープンしても、10年後には95%が倒産廃業すると言われるほど厳しい日本のビジネスシーンですので、脳ミソがパンクするくらい想定されるあらゆる事を考えなければなりません・・・(汗)。それでも、現実には想定外の事が起こるのがビジネスです。今年67歳になり後継者の娘に経営権をボチボチ譲ってますが、30代や40代のような若さをもう取り戻せない私にとって、これから仕事でできる事を冷静に考えると、やはり過去17年間に私が「ひとり起業」で積み重ねてきた現状の5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、テレワーク室、卓球場)の深耕策かと思いますので、これらを死守しながらまた「新しい切り口」を見つけ出す事でしょうか。まァそんな事をイロイロ考えながら、人間って知らぬ間に年を取っていくのでしょうねェ・・・(汗)。「オジイチャン、もうユックリやってやぁ、あとは私に任せとき!」と10年後に大学生になった孫から言われた時が潮時か。という事で、59歳未経験で音楽スタジオを起業したとは言え、実はその8年前の51歳の時に全くの未経験で不動産仲介業を始めていたのがヨッポド無謀だったのです・・・(笑)。17年前のトランクルーム起業当初は殆ど集客できず、「トランクルームは失敗したか?他に一人で出来る仕事を探さなくては!」という想いで不動産仲介業を始めた第1歩は宅建士の受験参考書をめくる事からスタートし、1年後には業者として大阪府の認可を受けて何も分からないまま仲介業を始めたのです・・・(汗)。当時はプライドを捨て他社の織物工場で工員として機織りを12時間しながら、毎朝2時に起きて3時間宅建士の受験勉強を9カ月続け、気力的にも体力的にも限界ギリギリでした・・・(汗)。幸い一発で合格を決め、大阪で1万社も不動産屋がある厳しい業界に全く素人で飛び込んだところまではイイですが、その後は七転八倒の苦労の連続でしたが、そのお陰でスタジオ起業が楽勝に思えました。しかしそのスタジオ資金を稼ぐために2,3年は不動産仲介業に必死にでしたが・・・(汗)。まぁしかし、エンターテイメント性が高く趣味の延長線上みたいで売り上げに幅があるスタジオ経営を本業にしてはダメで、あくまでも本業のトランクルームに次ぐ副業という意識をもってブレーキを掛けなければ・・・(汗)。トランクルーム、不動産屋・・・とスタジオは49歳から59歳までの10年間で「3番目の起業」でしたので、気軽といえば気軽だったのです。要するに慣れで、慣れとは怖いものです・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.01.06
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日本企業の実に99.7%は中小企業であり、GDPの5割超を担う極めて重要な存在ですが、実は「後継者が決まらない」というのが中小企業の深刻な問題でもあるのです。現在日本は超高齢社会に突入し、経営者の平均年齢は60歳を超え、経済産業省の発表によると70歳以上の経営者が245万人、その半分の127万社が後継者未定であり、10年間で60万社が黒字廃業の危機にあるとされています。一方で日本の農業も今や深刻な後継者不足と高齢化の問題を抱えています。 元々貝塚市の山手エリアは織物業と農業ばかりだったので、地域的にも切実です。しかし何故後継者不足なのか・・・?一言で言うと、魅力がないからです。もっと平たく言うと、儲からないからです。赤字では誰も継ぎませんし、借金があっても嫌がられ、必死に働いてやっと黒字では家業を継ぐ子供にとって全く魅力がありません。ココです・・・問題は。私がサラリーマンから家業の織物業に戻った1985年はプラザ合意後の円高不況でしたが、まだ織物業は斜陽産業と長らく言われながらもまだ儲かっていました。当時サラリーマン4年目で小さな子供2人を抱えて手取り13万円しかない私にとって大手総合商社の伊藤忠と長年100%直接取引している家業が魅力的に映り、30歳になる前にサラリーマンで生きていく事を諦め家業に戻ったのです。建築金物の営業で朝早くから夜遅くまで家庭を犠牲にしてまで関西一円を飛び回り、報酬がたったこれだけ・・・上司の課長の給与明細を見せてもらい、将来性の無さに愕然としたのがダメ押しでした。一旦は父親に大学を卒業した時点で家業は継がないと宣言しましたが、父親は一言も継げとも継いでくれとも言いませんでしたが、サラリーマンを経験した上での私の判断で戻りたいと・・・親に甘えたのです。甘えられるのは、やはり実の親だけです。世間は厳しく、所詮そんなモノだ・・・と。まぁ言葉は悪いですが、やはりお金の問題で人生の方向転換を図ったのです。例えサラリーマンで大出世して社長になったとしても、所詮サラリーマン社長で定年があり、会社を辞めればタダのオッサンというのが分かっていましたので、規模は小さくとも自分の自由になるオーナー企業の魅力に勝てない・・・と。そして稼業に戻ってから積極的な設備投資で当初はソコソコ儲かっていましたが、バブル崩壊と同時に業界が一変してしまいました。49歳の時にこれから10年後を考えると、こんなシンドイ織物業ではとても身体がもたないと・・・人生の岐路に立たされました。3人娘も織物業を継いでもらうのはとても無理だと判断し、私の代で57年の家業の歴史の幕引きを決断したのです・・・(涙)。そして全く未知のトランクルームに転業したのです。転業して14年経つと経営も安定し、これなら娘でも楽に跡を継げるだろうと、後継者になってもらう事にしたのです。業者に丸投げの賃貸マンション経営なら業者に利益を吸い取られますが、業者を一切排除してチョッとだけの努力で済むような他社がマネのできないようなオリジナルなビジネスモデルを構築した事がポイントです。決して儲かる事業とは言えませんが、私の感覚からすれば織物業に比べて10分の1くらい楽です。なんせ無借金経営ですからお金の心配がゼロですので、トランクルームと音楽スタジオの2つだけやっていれば、100分の1くらいの楽さかも知れません。娘は子育てと仕事の両立がありますので、それくらいの負担でないとヤッテいけませんから。とにかく楽に儲かるようなビジネスモデルを構築しておかないと、誰も継がないだろう・・・と(汗)。という事で、戦後直ぐに日本経済を牽引してきた繊維産業も時代と共に衰退していき、貝塚市から岬町まで680社あった織物業者が50年間で弊社も含め99%が倒産廃業しましたが、要因はやはり儲からないを通り越してズルズル経営をしていると損をする(赤字)という厳しい現実だったのです・・・(汗)。この数字というのは岸和田市以北の織物業者や泉佐野のタイル業者や、泉大津の毛布業者の数字は含まれていません。99%が倒産廃業・・・この数字の裏には、日本で1番織物業者が集積していた貝塚市山手地区の私の母校でもある木島小学校では、児童の家業で織物業者がゼロというのがそれを如実に物語っています。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.11.23
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当たり前ですが、1日24時間しかなく、食事や睡眠時間に8~10時間取られるとして、残りだいたい14~16時間しかありません。この14~16時間を遊んでも、寝てても、仕事しても・・・民主主義国家である日本では誰でも自由で平等です。弊社はトランクルームをメインに、不動産屋、音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場といったビジネスの「五毛作経営」を従業員を誰も雇わずファミリーで営んでいます。言うなれば、トランクルーム業界、不動産業界、音楽業界、コワーキングスペース(レンタル自習室)業界、卓球業界・・・という5つの業界と同時に関わっています。同時関わると言っても、実際は物理的な問題で「時間差」で関わっていると言えるでしょう。他人から見れば忙しそうに見えますが、実際は結構ヒマですし、通勤時間が自転車で1分というのが時間節約のポイントです。朝は早いですが、夕方は夏は3時には仕事を終えベランダでビールを飲んでリラックス、冬でも5時には仕事を終えています。オファーの全て受けると時間がなくなりますし、もうこれからはプライベートの充実に重点を置きますので、オファーの内容や付き合う相手を吟味しなければ・・・(汗)。と言うか「切り替え」さえ上手くすれば全く問題なしで、むしろ脳ミソにフレッシュな風が吹き注ぎ、追い風にすらなっているようです。平たく言えば、気分転換にもなっているのです。もちろん旅行や趣味で堂々と休みますが、リモートワークも出来ますので何の問題もありません。100%仕事から離れるのは無理というのがオーナー経営者の辛さですが、そこは仕事と共存、仕事を楽しむ・・・という諦めが必要です(汗)。1つしかやっていなければ、一度こけると悶々と悩んでしまい、前に1歩も進めなくなるかもしれませんが、イロイロやっていると効率よくコトを運ばなければなりませんので悩んでいるヒマがなくなるのです・・・(笑)。「ハイ、次!・・・次!」という感じで。この無意識に流れるようなリズムがポイントで、この生活のリズムさえ掴めば、土日関係なしに1年365日ストレスなしに快活に仕事ができるのです。と言うか、リズムさえ掴めば、もはや構えて「仕事や!」なんて不思議と思わなくなります・・・(笑)。生活の中での無意識に流れるようなリズム・・・コレがポイントです。逆に自分独自のリズムを掴めなかったり、リズムが狂ったりしたらどうしようもありませんが・・・(汗)。まぁこのようなリズムで5つの仕事をしていると、モノゴトをミクロ(小さな世界 を考える視点)ではなく常にマクロ(大きな 世界を考える視点)で見る癖がつきます。癖です・・・クセ。こっちで損をしても、あっちで儲けて・・・会社全体のトータルでプラスならOKという具合に。イロイロやっていると、多少売り上げに凸凹が出来ても気にしない図太さが身につきます。会社の規模が違っても、どんな経営者でもマクロ的な考え方が必須なのです。ココです・・・ポイントは。大企業で採算割れの事業から撤退したり、その部門をM&Aで売却したりするのも経営的には正解ですが、それしかやっていない社員はリストラや転籍でたまったものではありませんが。零細企業なら5つのうち1つが大きな赤字で全体の業績の足を引っ張らない限り継続しよう・・・という判断があろうかと思います。まぁ所詮1人の人間の神経なんて繊細なモノですから、それをカバーする意味の予防策として細かく「イロイロやっていく」事によって、気分転換しながら集中して仕事をするのです。織物時代も昭和40年代までは泉州では簡単な平織りの「少品種大量」生産がメインでしたが、時代の変化で40年後には想像も出来なかったドビーや綾織りや番手や糸種も膨大に増えた「多品種小ロット」生産が生き残りの必須条件になり、弊社も最後の最後まで踏ん張ってきた過去の歴史があります。この多品種小ロット生産の経験が、五毛作経営に繋がったのかと思います・・・(汗)。サラリーマン時代も、ゼネコン向けの4mのピクチャーレールを50cm~2mに切ってパックし画材店ルートに直接販売したり、入社前に大量にあったイタリアから輸入したプランターの長期不良在庫を花屋さんとコラボして百貨店ルートのギフトにして在庫を一掃したり、それまで金物業界一辺倒だったのを当時ホームセンターのチラシ商品を開拓中だった工具商社の山善を開拓してホームセンターのチラシ商品やカタログ販売に新規参入したり、ホームセンター向けだったアングルを当時パソコン販売に進出しようとしていた心斎橋のカメラのナニワにPCラックとして直接販売したり・・・同じ会社内で全く業界も分野も違う仕事を一人でやり「モノの見方(販売方向)を変える」経験も役だったのかと思います。よくよく考えれば、結局サラリーマン時代も織物時代もイロイロやってきて、今と全く変わっていなかったのです・・・(笑)。人間、性格は一生変わらない・・・というのはこの事です(笑)。という事で、5つの業界をやっていると言っても大阪で1万社もある不動産業界以外はニッチマーケットに特化していますので、大企業の参入がないところに魅力を感じています。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.11.16
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先日弊社と同じく泉州発祥の日本国内に99店舗、米国に46店舗、中国に3店舗出店している「ラウンドワン」の創業社長の動画を見て、ピンときました。弊社リハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」(貝塚市名越661 072-446-0798 トランクルーム貝塚「別館」1階)もラウンドワンのように老若男女&シーズン問わず、1年中バンド演奏やダンスや和太鼓を楽しめるアミューズメント・スペースです。同じトランクルーム貝塚の「別館」内にある隣の「貝塚卓球センター」でも同じ事が言えます。とにかく楽しむ、遊ぶ・・・場所なのです。トランクルーム貝塚は元織物工場で、アミューズメントとは真逆の商売をやっていたのも皮肉です。同じ建物でも時代に合わせて「変身」させないと、転業の度にスクラップ&ビルドなんてすると環境的にもNGで、効率悪過ぎです。イヤ、経営者の脳ミソの中身を入れ替えるか、次の後継者にバトンタッチした方が早いかも・・・?まァしかし、「スタジオ0724」は365日24時間営業なので、自由度がさらにアップします。ただし高校生や和太鼓や卓球は、一部時間制限がありますが。アウトドアのアミューズメント・パークなどは天候や季節に大きく左右されますが、スタジオ0724はラウンドワンと同じインドアでエアコン完備なので殆ど影響を受けません。更に、バンドやダンスはあまり流行に左右されません。ココです・・・ポイントは。自然の外的要因や流行に左右されない・・・というのが、このビジネスの特徴でありメリットでもあるのです。コロナだけは弊社も例外なく影響を受けましたが、100年に一度なのでこれだけは仕方ありません。今のウクライナ戦争や円相場や天候や季節といった外的要因や発注元の業績に左右されるビジネスが多いですが、弊社はエンドユーザー直で流通が短絡化されていますので影響はまだ少ない方でしょう。という事で、織物時代は円相場やファッションの流行や繊維業界の流通やマーケットクレームに振り回されてきましたが、今はそういった自分の努力以外の要因でビジネスが上手くいかないという事が殆どなくなりました。特に10月から3月までのシーズンと4月から9月までのシーズンオフとの落差が酷く、夏場は営業で355日24時間フル稼働の織物工場の月産20万mの商量を掻き集めるのに船場界隈を這いずり回り、それでも良い成果をなかなか得られないのでメンタルを相当鍛えられました。まぁ「0から1を生む」という自分の経営能力に懸かっているという事ですが・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.11.03
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2年前に後継者の娘が経営に加わるまでは、14年間「トランクルーム」「音楽スタジオ」「テレワーク室」「卓球場」「不動産仲介業」を1人で経営していました。いわゆる1人で「五毛作」経営です。そんなユニークな経営スタイルをケーブルテレビのディレクターが私のブログで見つけ、2年前に「三関王」という番組で取材されました。そんな五毛作ですが、原点は16年前まで祖父の代から長年営んできた織物製造業にありました。織物業では20台のエアージェット織機で、20年間355日24時間稼働で月産20万mの布を織っていました。年間240万m、20年間で4800万m・・・という今考えると恐ろしい数字を生産して販売していたのです。売上10兆円以上もある大手総合商社の繊維業界NO1の伊藤忠商事の100%下請け(委託生産)を40数年間も営んでいましたから、正に「薄利多売」戦略の極みです。そこで私は何をやっていたかと言うと、経営はもちろん営業、経理、受け渡し(糸と織物)、人事労務、IT管理、現場(機械修理、織物企画計算、品種替え、空調管理、電気管理、タイイング、機織り、荷造り、検反、フォークリフト、トラック運搬など)という多能工です。小学生の頃から家業として、糸や反物の運搬などを出来る範囲で手伝い、自然と仕事を覚えていきましたので、大学生の頃は既に1人前の工員になっていました。この織物工場での多能工というのが、今の「五毛作」経営の原点だったのです。何でもやらなければならない・・・というのが零細企業経営者の基本だと思います。とにかく父親から「織屋の大将はスパナを握らなかん」が口癖で、商社もそれを評価していたようで、私もそれを見習っただけです。だから私も娘にIT関連だけでなく、極力現場の仕事もさせているのです。時代が変わっても、零細企業経営の基本は変わらないと思います。という事で、第2次産業(製造業)の織物業の経験を第3次産業(サービス業)のトランクルームや音楽スタジオに活かしていますが、仕事の基本はみんな一緒だと・・・感じます。一見何の関係もないように見えますが、実は大ありだったのです。しかし織物時代に一番抜けていたのがエンドユーザーを念頭に置いた「新しい織物の提案」で、取引商社から言われたことは出来るけども、自ら発信するのが下手という「下請けのサガ」でした。幸い大学生の時に起業の真似事のような大学に学連加盟(レース志向)のウインドサーフィン同好会を創部したり、家業の機織りだけではダメだとフラワーレンタルの歩合制営業やビアガーデンのエレベーターボーイやスーパーの棚卸要員や運送屋の事務といったバイトを経験したり、サラリーマン時代は建材金物問屋ルート以外に量販店やホームセンターへの直販営業を経験したお陰で、「下請けのサガ」を乗り超えて今の川下に近いエンドユーザー直の5つのビジネスを起業できたのかと思います・・・(汗)。やはりモノゴトには一発逆転はなく、それなりの長い長いストーリーがあったのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.10.31
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大企業は従業員が多いので、彼らに給料を支払うためにマスマーケットでのボロ儲けを狙います。その為にメーカーなら海外での工場建設に何百億円も惜しげもなく投資し、そのリターンを狙います。零細企業経営者から見ると、まるでギャンブルそのものです・・・(驚)。バックに融資が青天井の都銀がついているので、気が大きくなるのか・・・?当然大企業同士の戦いで、競合がひしめき合っていますので、そんなところに我々零細企業が参入するのは自殺行為です。店舗ビジネスで言うと、コンビニ、ラーメン店、焼き肉店、回転すし、ファミレス、スポーツジム、うどん店、食品スーパー、ホームセンター、自転車店、ドラッグストアといったところに零細企業が参入すると酷い目にあいます。特に飲食&食品業界は、外食、中食、内食が三つ巴の入り乱れたボーダーレス戦争になっています。更に物品販売では、最近急速に伸びてきたネット販売のアマゾンや楽天が取り扱う商品と競合しないモノを零細企業は取り扱わなくてなりません。なので、我々零細企業は大手が参入しない競合が少ないニッチマーケットを狙うしかないのです・・・(汗)。更に言えば、エンドユーザーに渡るまでメーカー(原料や材料)から自らコントロールし、中間業者を極力排除し、流通を出来るだけ短絡化する事です。まぁしかし、時代の流れや変化によってビジネスには浮沈がつきもので「選択」が命運を分けます。我々零細企業が参入すべきはニッチマーケットなので、ボロ儲けとは無縁です。少ない利益でも、採算を合わせる・・・という戦術が必要です。従来のやり方とは違った戦術を練らねばなりません。当たり前で常識的なやり方では通用しないというのは、これまでのトランクルームや音楽スタジオ経営の実践で学びました・・・(汗)。大事なのは実践・・・綿密に計画を立てた後は、ゴチャゴチャ考える前に行動です。トランクルームは同業他社の半額以下、都会型ビジネスの音楽スタジオはを田舎で事業展開・・・普通のビジネスセオリーから考えれば常識外れでした。しかしトランクルームは16年、音楽スタジオは6年もどうにかこうにか事業を継続できています。一般的には、起業しても10年で95%は倒産廃業と言われる中、何とか健闘している事実を考えると、どうも常識というのは彼ら評論家や経済学者がマスコミや大学で生き残るための単なるネタで、私の場合はどうも例外に当たりますねェ・・・まぁ「例外のない例はない」・・という事です。今のウクライナ戦争にしても、ロシアや中国や北朝鮮といった独裁国家が世界情勢に与える今後の状況にしても、日本経済にしても、日本の政治にしても、医学にしても分からない事ばかりですが、分からないなりにもマスコミに惑わされず自分で進むべき方向を考えていかなくてはなりません・・・(汗)。100歳まで生きるととして、あと35年・・・相当世界は変わるでしょう。という事で、零細企業経営者として毎日もがき続けながらも小さい決断の連続で、何が正解か何が不正解か?わからないまま生きていますが、結果的に企業として73年も生き延びてきた事に感謝しかないです・・・(涙)。先々代の祖父も、先代の父も激動の戦後直ぐから高度成長期を経てバブル崩壊までそれなりに苦労したと思いますが、私ももうチョッと苦労するかもしれませんが、今の無借金経営を貫き不動産仲介業以外の4つのニッチマーケット(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク室)を掘り下げる事によって儲からないかもしれませんが、コツコツ小さな利益の積み重ねる事によって堅実にやっていきたいと思います。しかしいくら堅実と言っても、もう16年乗っている5ナンバー国産車や22年も乗っている軽トラックがもうボロボロなので、もうそろそろ買い替えようかと思いますが、一方で「イヤ、まだ勿体ない!」という別の自分がいます・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.10.10
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私が41歳の厄年の時に、織物会社の社長だった父親が持病の心臓病で急死しました。25年前の事です。それから父親に代わり、ずっと会社の経営をしています。まぁ、社長歴25年・・・という事になります。四半世紀・・・という事です。普通のサラリーマンでも同じ会社に25年間も勤めるのも難しいと思いますが、小さいながらもそれをずっとトップですから・・・誰も褒めてくれませんので、自分で自分を褒めてやりたいと思います(笑)。会社自体は祖父が1949年に織物業を創業してから、中身は変わりましたが73年経ったのです。大手企業のサラリーマン社長はせいぜい数年で社長交代しますが、オーナー企業は長いのが普通ですが、改めて振り返ると25年はホンと長かったなぁ感じます・・・(汗)。規模は小さくても零細企業のオーナー経営者は、会社に対して全責任を負っています。この辺がナンバー2の専務とは全く違います。織物時代は借金があり銀行に対して個人保証をしていましたので、裏を返せば業績がダウンして一歩間違えれば、会社倒産と同時に自己破産に直結するという非常にリスキーな立場だったのです・・・(汗)。それを25年も続けてきました。実際には工場を新設した35年前から「病弱な親父に代わってやらねば・・・」という覚悟ができていましたので、父親の急死で何の引継ぎもありませんでしたが、その覚悟の上での実務経験が「助走」となって事業継承が割とスムーズにいったのだと思います。要は覚悟・・・ある意味「諦め」です。まァしかしいくら社長、社長と言われても実際はそんな甘いものではなく、バカ息子みたいに浮かれている場合ではなかったのです。その証拠に、社長としての最初の仕事は、親父の趣味であった車の買ってまだ1年足らずのシーマを売却して運転資金に回した事です。見栄を張りスーツを着てシーマに乗って銀行や取引商社に行っている場合ではないという自分に対する戒めで、作業服姿で軽トラに乗っていく方がよっぽど銀行に好感を持たれますし、実際ミジンと油だらけの身体をシャワーしたり着替えている時間もありませんでした。人間というのは弱みがあると見栄を張り、自信があると自然体という心理が働くもので、こんな非常事態の時でもまだ余裕があったのか・・・(笑)。父親が亡くなった頃は、まだ3人の子供は小中学生でしたし、仕事も家庭も支えるのに必死で振り返る余裕もなく、駆け抜けた25年でした。社長業を始めて痛感したのは「家の代表」も加わりモロモロの用事が増え時間が足りなくなる事で、商工会議所や経済クラブを辞め、その他の付き合いを全て見直して時間を作り、好きだった祭前の寄り合いも出る事なく、1分でも多く仕事に集中できるようにしました。その間に工場火災に見舞われて廃業しようかと一瞬迷いましたが結果的に織物業を続け、16年前についに織物業を廃業し、会社をそのままに定款を変えてトランクルームに転業したのが人生最大のイベントでした。その2年後にリーマンショックがありましたが、早く転業して命拾いをしました。それから宅建士試験に一発で合格して不動産仲介業も始め、音楽スタジオ、レンタル自習室、卓球場も始め・・・今に至ります。アッという間の25年と言えるでしょう。裏を返せば、もっともっとアッという間に今から25年経って、90歳になるのです・・・(汗)。人生って、ホンと早いモノです。だから1日1日無駄にせず、一期一会的に人との出会いを大事にしなくては・・・と思うのです。という事で、父方は家系的に短命ですので気をつけなければと思いますが、どう考えても66歳と言うのは立派なオジイサンに分類されますので、100歳まで長生きする為にも自分の身分をわきまえつつ、子や孫のアドバイスにも真摯に向き合いたいと思います・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.09.27
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