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もう公私混同の極みとも言える音楽スタジオ経営ですが、本業がトランクルームでありながら生活の中心はもう完全に音楽に移っています・・・(笑)。しかしコレでいいのです。子育ても終わり、これまで人の何倍も働いてきましたので。残りの人生はもう付録みたいなもので、健康さえ維持できて好きな事をやっていても、多少稼ぎがあれば誰からも文句は言われません。まぁしかしコロナでスタジオを6か月も休業していた訳ですが(スタジオは別会社ではないため休業補償なし)、その間スタジオ会員さんであるミュージシャン達もバンド練習を我慢していました。正直スタジオを再開しても、コロナの恐怖で「実際、スタジオに来てくれるのかな?」と心配していました。しかし、そんな杞憂は吹っ飛びました。再開初日から複数のバンドさんが練習に駆け付けてくれました・・・(涙)。「やっぱり、音楽はコロナなんかに負けない・・・」と。コロナなんか、吹っ飛ばせ!・・・という感じです。私も70歳まであと3年と迫り、3人の娘も結婚独立し、孫も6人・・・フッと人生を振り返ると、仕事や資産以外に何が残っているのか・・・?と考えると、真っ先に考えると「音楽」「ウインドサーフィン」「空手」「ドラム」・・・と趣味しか浮かびません。そう、最後に残るのは自分の趣味だけです。趣味は思い出と共に・・・とも言えますので、それだけ人生が充実していた証拠です。まぁ音楽は子供の頃から聴いている歌謡曲から始まりGS、ロック、フォーク、ジャズ、フュージョン、ラテン、クラシックといった何千曲もある青春の思い出です。ウインドサーフィンは大学時代からウインドサーファー艇で始めて、かれこれ40数年も続けている一番長い趣味です。空手もドラムも長いブランクを経て、今年齢と体力に合わせてボチボチ再開しているところです。空手はスタジオを提供して週1回ボランティア空手を主宰し、ドラムはスタジオのお客さんの合間に時々叩いています。これらが人生に潤いを与え、特にウインドサーフィンは非日常的な猛スピードのプレーニング(滑走)でクレイジーな悦びを味わうのです。これは何億とお金を積んでも買えませんし、誰も奪うことが出来ない自分オリジナルな経験です。金は使えば減るし、子供は育てても飛び立ってしまいますが、これらは永遠に私の元にあるのです・・・(笑)。私の大きな無形の財産です。音楽は起きている間はずっと聴いていますし、時々自分のスタジオでドラムを叩き、スタジオ経営で多くのミュージシャンと関わってもう十分堪能していますが、ウインドサーフィンは残念ながら今のところ日本で夏しか出来ませんが、もっと時間的にも余裕を作り遠浅で遭難の心配のない沖縄やサイパンに長期滞在し、ウインドを体力の続く限りもっともっと楽しみたいモノです。海外旅行もまだまだ元気な50代の円安の時に行きまくって本当にラッキーでしたが、「67歳の今を大事に」決して先延ばしにせずに、今年も仕事も趣味も楽しみたいと思います。という事で、将来的には70代、80代になると体力的にウインドを諦め、ドラムも叩けなくなり・・・最終的に残るのは「音楽を聴く」事になりそうです。そう、最後の最後まで音楽と共に・・・というのが私の人生で、生まれてきて良かったと思いたいです。それを1年でも遅らすために、運動と食事と睡眠とストレスに気をつけなければ・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.03.29
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現在私は67歳で、今年68歳を迎えます。67歳と言えば、ちょうど50歳と80歳の間くらいです。50歳からアッと言う間に15年が過ぎて、67歳になってしまいました。という事は・・・もっともっとアッと言う間に13年が過ぎて、80歳になるのです・・・(汗)。これは紛れもない事実で、今更ジタバタしても無駄です。ならば、どうしようか・・・?もちろんヤリタイ事をするに決まっています。人生は楽しむモノですから。それは何か・・・?もう買いたいモノは余りありませんので、インバウンドのような「コト消費」でしょうか。これまでやって来た空手(ボランティア)、ドラム、ウインドサーフィン、だんじり鳴物、旅行、読書、ライブハウス巡り・・・新しいチャレンジとして、近くに乗馬をするところが出来たので、これを何とか生活に取り込めたら・・・と思います。自宅から歩いて15分くらいの山中で(自転車で5分)、空気もイイですしイタリアンレストランも併設していますので、乗馬をした後はビールを飲みながらランチして・・・帰りはホロ酔い気分で(笑)。近くというのがポイントで、片道に30分も掛かれば長く継続できませんから。まぁいくらモノを余り買わないと言ってもお金も掛かりますので、その資金源として仕事をしなければなりませんが。楽しむ、遊ぶためには・・・やっぱりお金が多少要るのです。老後を第二の青春にするためには、我々一般シニアは働かなくては。ドラムやだんじり鳴物は自分のスタジオで叩いていますし、ウインドサーフィンはマーブルビーチなのでお金は掛かりませんが。ウインドするために体力的な事が心配なので、毎日のストレッチやクロスバイクに加え、週1回のボランティア空手で「違う筋肉」を鍛えながら、無理のない摂生で体重コントロールもしなければ・・・(汗)。スタジオで好きな曲をバックにドラムを叩くのはストレス発散にもなり両手両足を適度に使う有酸素運動なので健康に良く、だんじり鳴物の大太鼓は上半身の筋肉を鍛えられストレス発散にもなりサイコーですし、これらがいつでも出来る環境なので言うこと無しです。こうしてナンヤカヤと色々考えながら過ごしていると、月日がドンドン過ぎ・・・あっと言う間に13年経って80歳になっているでしょう(汗)。49歳で織物業を廃業しトランクルームに転業してから、早や18年も経ちましたから。まだ40代だったオッサンが、今や誰が見てもジイサンです。という事で、自分が年を取ったというのは自分自身ではなかなか分かりにくいモノですし、認めたくありませんが、残念ながら孫の成長を身近で見ていると素直に認めざるを得ません・・・(汗)。取り敢えず13年後の80歳までボランティア空手をしながらドラムを叩き、夏はウインドサーファー・・・というのを目指し、下がり気味になるモチベーションを何とか持ち上げたい・・・と。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.03.13
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仕事は基本的にはメシを食うための手段です。子どもや配偶者といった扶養家族がいれば、イヤでも仕事に精を出さなければならないのが世の常です。逆に仕事をする必要がないほど金融資産が多ければ仕事をする必要はありませんが、現実にはそんな人は殆ど知りません。イタリア旅行でたまたまナポリの港で知り合った日産ジュークに乗っているというイギリスからイタリアにクルーズ船でやってきたイギリス人は「55歳で早々と金をためてリタイヤしたんや」と自慢してたり、日本人ではハワイクルーズで知り合った大阪の人が、起業した企業が大きくなってから株を売却して早々と引退して沖縄に移住していると言ってましたが・・・現実には仕事をしないで節約で生活できても、悠々自適でクルーズ旅行に行ける贅沢な生活をしているなんていう人は殆どいないでしょう。余談ですが、ナポリの港に行ったときに1棟だけポツンと16,7階はあるかと思われるスゴイ高いビルが建っていてビックリしたのですが、下を見ると「海に浮いてるどォ!」と叫びましたが、これがそのイギリス人が乗ってきたクルーズ船だったとは・・・腰を抜かすほどでした(笑)。まぁその仕事ですが、私の本業はトランクルーム賃貸業ですが、他に4つのビジネスを副業としています。副業の1番目が音楽スタジオです。2番目以下が不動産仲介業、テレワーク室、卓球場、月極駐車場です。まぁスタジオ経営を副業と堂々と言えるまでに、ゼロから始めて泉州最大級4室の会員数2400人になるまで7年も掛かりましたが・・・(汗)。無借金で始めるべくスタジオ資金を稼ぐために、その3年前から一生懸命不動産仲介業に精を出していましたので、実質的には足掛け10年といったところでしょうか。これら5つのビジネスを従業員を誰も雇わずに、娘と2人の家族経営で営んでいます。その副業の筆頭の音楽スタジオは、実は私の趣味であるドラムとだんじり鳴物(和太鼓)を兼ねているという点に注目したいと思います。趣味を本業にするのはNGです。あくまでも趣味は副業にしなければなりません・・・(汗)。何故なら趣味だと往々にしてコントロールを失うからです。40年以上前にウインドサーフィン仲間の多くが一斉にショップ経営に乗り出し、殆ど失敗したのをこの目で見て、やはり趣味と仕事は分けないとダメだし、みんなと同じ行動をとったら(競争相手が増えると)ダメだと痛感しました。当時日本のトップウインドサーファーも日本を代表するマリンメーカーであるヤマハ発動機に就職しましたが、肝心のウインドサーフィンの発売が特許の壁に阻まれワンテンポ遅れ、参入した頃はウインドサーフィンブームも去りかけ、結局最終的にはヤマハもこの事業から撤退してしまいました。バンドマンでもプロを目指しても、なかなか売れるには至難の業で、殆どの人が途中で挫折してしまっています。現実は・・・けっこう残酷なのです。唯一私の知る限り音楽業界に残っている人は、楽器演奏は一流なのは言うまでもなく作曲ができて著作権を持っているところが強みで、某音楽事務所に所属してアーティストのバックバンドで日本全国をライブツアーで回って安定収入を得ている・・・という黒子に徹しているようです。どこかの小学校の校歌を作曲すると、その校歌を気に入ったその市と提携しているヨーロッパの某市から作曲の依頼が舞い込んだという想定外のオファーもあったそうで、音楽って結構ワールドワイドだなぁと感心しました。その道を真面目に追及して著作権や特許といった権利を持っていたり、他人がマネのできないオリジナルなビジネススタイルを持っていれば、色んなオファーが飛び込んでくるのです。しかしプロを諦めて生活をしていくための本業を見つけ、趣味でバンドや楽器講師で稼いだり楽しんだりしている人が結構います。私もそうですが、何らかの形で本業を見つけると(私の場合はトランクルーム賃貸業)、音楽を一生の趣味(私の場合はドラムとだんじり鳴物とスタジオ経営)にして楽しい人生を送れるのです。ココです・・・ポイントは。という事で、本業があって収益が安定していれば趣味を副業にすれば、これほど強いものはありません。何故なら、仕事と思っていませんので、四六時中「楽しく」副業の事を考えているからです・・・(笑)。昔から「好きこそものの上手なれ」と言われている通りで、決してドラムはもう上手になりませんが、商売的に採算に乗せようと勝手に努力する(趣味を止めたくない)からです・・・(汗)。結果的に、それが「老後は遊んで儲ける」という好循環に繋がるのです。国やマスコミは「老後は〇○○万円必要」と勝手に言ってますが、これって「老後は働かない」というのを前提にしていますが、老後も好きな事で収益を得ても税金が掛からないといった老人に優しい税制を作るとかすれば、こんな事を言う必要もないのではないかと思います。まぁレッドツエペリン、フォリナー、バンへイレン、ハート、ディープパープル、ジャーニー、シカゴ、TOTO、ボストン・・・といった70代ハードロックをバックに、20代の時のようにドラムをヘタなりに叩いている時が1番の至福なのです・・・(涙)。これが結果的に全身運動になり、健康にイイんですねェ・・・(笑)。あとは孫6人の中で3人の小学生や幼稚園の孫娘は弊社スタジオのドラムレッスンを受けていますが、唯一男の3歳の孫と数年後に大太鼓と小太鼓の「だんじり鳴物」セッション・・・というのが夢ですね(笑)。それまで水平打面の大太鼓が叩けるように、上腕三頭筋と大胸筋とボランティア空手の拳立て伏せで手首強化をしないと・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.11.24
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17年前の49歳で家業の織物業を廃業して直ぐにトランクルーム業に転業しましたが、全く後悔はありません。いわゆる人生のシフトチェンジです。49歳で、それまでの人生とはオサラバしたのです。シフトチェンジできた理由がありました。・借金が少なく銀行に全額返済できる目途があったこと(実質借金ゼロ)・娘3人の2人は社会人で1人だけ学生でしたが、既に学費を確保していたこと・父親が既に8年前に亡くなっていて、誰も止める者がいなかった(好きな事を自由にできた)この3つで「よし、今だ!」とシフトチェンジしたのです。逆に莫大な借金があり、まだ子供が中高生で、うるさい親がいたら、シフトチェンジが出来なかったのです。ココです・・・ポイントは。何でも理由があるものです。織物業を廃業してトランクルームに転業・・・と簡単に言えるほど、モノゴトはシンプルではありません。何でもその背景には理由があるのです。空手の型も一般人が見たら「気合が入ってキレイだなぁ」という程度ですが、空手を実際やって分解まで知っている人にとって隠された技もあり「ナルホド・・・」と唸る見どころがあるのです。要するに、バックボーンの違いによって見えている情景が全く違うのです。という事で、あれから17年経ち、今は当時の決断に全く後悔はありませんし、まだこれからの人生でもう1回くらいシフトチェンジがあるかも知れません・・・(笑)。まぁ49歳でトランクルームを起業し、59歳で音楽スタジオも起業しましたから、「70代に突入する前の69歳で、もう1回「何かで」シフトチェンジを狙おう!」くらいの気概がないと、本当の商売人とは言えませんねェ~スーツを着て大阪船場の取引商社に営業に行ったり商工会議所や経済クラブに乗用車に乗って行っていた経営者なんてカッコつけるより、そう・・・私は作業服を着て軽トラに乗ってウロチョロしている「一(いち)商売人」の方が正にピッタリだったのです(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.11.21
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1988年から数年始まったバブル景気は本当に異常でした。株や土地やゴルフ会員権が異常に値上がりし、しょっちゅう取引銀行から「融資しますから買いませんか?」と言われていました。知人はゴルフをしないのに、投資目的でゴルフ会員権を1000万円で買いました。契約書には「ゴルフはしません」と署名したそうです。普通に考えれば、ゴルフをしないのに会員権を買うなんて、正に異常です。バブル景気は、それが正々堂々とまかり通っていたのです。しかし私はそんな話に一切乗る事はありませんでした。結果的に、それがヨカッタのです・・・(汗)。乗らない(乗れない)理由がありました。先ずはバブル前年の円高不況の真っ最中だった1987年に新工場建設とエアージェット織機導入で億単位の大きな借金を背負っていましたので、そんな余裕がなかったというのが第1の理由です。そしてそれを納得させる大きな理由が、当時とっていたサンケイ新聞の小さなコラムに「何ら生産行為をせずに儲かるのはオカシイ?」という記事にピンと来たのです。今の世の中オカシイ・・・と。この新聞の小さなコラムのお陰で、バブルに一切乗らずに済んだのです・・・(汗)。結果、更なる余計な借金をせずに済み、新工場建設とエアージェット織機導入で何億も膨らんでいた借金の返済がスムーズに進み、これが20年後の廃業を後押ししてトランクルームにスムーズに転業できたのです。正にサンケイ新聞さまさま・・・だったのです。バブルの頃は、私の周辺でも「みんなで渡れば怖くない」的な行動が目立って、結果的に大なり小なり損を被った人が沢山いましたし、同業者の織物会社は本業以外の不動産に手を出して300億円近くの負債を抱えて倒産したのは地元では有名な話です。何よりバブルと泉州の織物会社の新型エアージェット織機の導入が重なり、多くの同業者が雪崩を打って1台1000万円もしたエアージェット織機を購入したのです。結果的に日本で1番織物業が盛んな貝塚市でトータル1000台ほど導入されましたが(貝塚市が本社で地方に工場がある台数も含めて)、最終的には貝塚市から岬町までの織物業者が最盛期には680社あったのが98%も廃業倒産してしまったのです。この数字には岸和田以北の織物業者や泉佐野のタオルや泉大津の毛布の業者は入っていませんので、大阪南部の泉州エリアには如何に膨大な数の繊維業者があったのかという証明です。弊社の場合、バブルの1年前の円高不況の真っ最中の1987年に導入しましたので(契約は1986年)、何もかもきく買えて大幅なイニシャルコストのダウンに繋がり、当時高級羽毛布団やダウンジャケット向けの側地生産(高密度230本ブロード)を他社に先駆けて生産体制を軌道に乗せ、それが競争力を高めたのです。当時は自分で言うのも変ですが、こんな泉州の田舎で「最先端のモノ」を織っていたのです・・・(笑)。みんなが手を出せない不況時に億単位の借金をして、1年後にバブルが始まっても世の中に浮いた話をすべてスルーして、ずっと下を向いて年355日24時間エンドレス操業で20年間まじめに仕事をしていたのが功を奏したのです。たかが1年前、されど1年前だったのです・・・(汗)。私は株の売買はしませんが、円高不況時に織機を安く買って新工場を建て、リーマンショックの2年前の2006年に57年続いた織物業を廃業して、そのまま北京オリンピック前の好景気に沸いていた中国に20年間使い倒したボロボロのエアージェット織機を高く売り抜いて、トランクルームにスムーズに転業できたのです。当時中国で大人気のトヨタ車と同じ「トヨタブランド(トヨタの祖業の豊田自動織機社製)」のエアージェット織機だからこそ中国で高く売れたのかも知れません。まぁ結局「みんなと同じ行動をしたらアカン!」というのがエアージェット時代の心の底から学んだ教訓で、その教訓が今でも生きていて、絶対にメジャーマーケットを狙わずに、大手が参入しないマイナーなニッチマーケット(トランクルーム、音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場)しか狙っていないのです。バブル期はちょうど3人の子供の幼稚園から小学校の成長期にあたり、ほとんど仕事に時間を費やしている中でも家庭サービスも忘れなかったので、それが余計な事(投資話)を考える余裕もなかったのも功を奏したのです。逆に私が独身で暇だったら、ホイホイと投資話に乗っていたかも知れません。まぁ長い人生を歩んでいると、何が吉と出るか・・・ホンとワカランもんというケースが度々あるものです。この辺が人生の摩訶不思議なところです。もう26年前に亡くなった父親はゴルフが趣味でして、バブルのずっと前に泉南カントリーのゴルフ会員権を150万円くらいで買って毎週ゴルフを楽しんでいましたが、バブルの絶頂期に5000万円まで会員権相場が値上がりして「売ろうかな?もっとちょっとゴルフをするわ・・・」と親父は売らなかったのが今でも悔いが残ります。「売っとけよ、ほな会社も楽になるし・・・」と強引に言えば売っていて、借金をだいぶ返せて、もっと経営が楽になったはずだったのです・・・が。まぁ人生って、そんなモノです。まぁ親父も亡くなる直前までゴルフを楽しんでいたので、売却を無理強いしなかったのが、せめてもの親孝行だったのです。という事で、年をとると何かにつけ鈍くなるモノですが、残された人生であの時のようにピンときて人生を救われる・・・時がやって来るでしょうか?その瞬間にピンとくるように・・・もっともっと経営センスを磨かなければ(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.11.13
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日本の企業の多くは60歳定年で、大多数のサラリーマンは仕事を急激にペースダウンさせます。法律上では企業は従業員が希望すれば65歳までの継続雇用を義務づけされていますが、不安要素のある年金の事を考えると仕方なく働いているのが実状ではないでしょうか。問題は会社と完全に縁が切れて仕事の人脈が無くなり、無職で無収入となって年金頼みとなる65歳以降です。平均寿命まで約20年もあります。20年も何もなしで生きていけるか・・・?趣味もなく地域社会との関りもなく仕事一筋だった人ほど、仕事から完全引退すると戸惑い落ち込むモノです。仕事人脈なんて仕事を辞めればゼロになり、地域や学校の友達もいなければ孤独地獄へまっしぐらです。そして無収入が更に追い打ちをかけ、頼りになるのは奥さんだけだと・・・買い物など一日中奥さんに付きまとって、奥さんがノイローゼになったり更にエスカレートして熟年離婚に至ったりと社会問題化しています。やはりココで有効なのがご主人の趣味です。趣味があると奥さんとも適当な距離が取れ夫婦がギクシャクする事もなく、何より孤独にならずに老後がグンと充実します。趣味は1つより2つ、2つより3つ・・・多趣味なほど長い老後の人生が充実するのです。ココです・・・ポイントは。趣味もなくやることが無ければ、ボケるのも早まります。今正に67歳の私と同年代が、この問題に直面しています・・・(汗)。趣味と言っても、それまで仕事でクタクタになってしまった65歳から始めるのは気力的にも現実的に難しいと思いますので、1番イイのは若い頃にやっていた趣味を40代くらいから復活させる事です。65歳でいきなり復活させるより、40代くらいから徐々に息抜きも兼ねて仕事の合間を縫って継続的にチョロチョロやっていくと、勘を取り戻しやすいと思います。私の空手とドラムと和太鼓(鳴物)と英語が正にそのやり方で、今でも何とかやれています・・・(汗)。仕事に関しては60歳定年をゴールと見なすのではなく、40代から20年後の60代を想定して「老後もできる仕事」を綿密に計画を立て作るしかありません。そう、会社は社員の老後なんて関係ないと思っていますから(関わりたくない)、サラリーマンにとって1番苦手な「自分で仕事を1から作る」のです。幸い私は先祖代々同じ場所で長年住み地域社会に溶け込んで生活しており、趣味も多く老人になっても仕事が可能なように49歳で織物業からトランクルーム(音楽スタジオ)に事業転換しましたので、60歳は単なる通過点でこの問題とは全く無縁です。まぁ人間ですから、1つしか趣味や仕事がないと飽いてしまいます。2つあれば順番にすればイイ訳ですから、飽きる前にもう1つをやって、それも飽きそうになればまた戻る・・・というサイクルでやれば気も紛れます。ココです・・・ポイントは。これが3つ、4つ、5つあれば・・・回ってくるサイクルも長くなるので飽きません。日々趣味と仕事で気が紛れて、老いを実感しているヒマがない・・・のです(笑)。以前フッと、ウインドサーフィンを軽トラに積んでビーチまで走っていると、自分は20代の時と同じ気持ちでEWFや高中正義や山下達郎を大音量で聴きながら気分よくルンルンと運転しているのですが、「これって、傍から見ると変わったジイサンと思われているかも?」と我に返りました・・・(笑)。こんな事で生き方を変えるはずもなく、他人がどうこうよりも自分のポリシーを優先して生き、70代になっても同じスタイルでビーチに向かうでしょう・・・(笑)。まぁこんな感じで生活して、1年、2年・・・5年経つと人生がだいぶ良い方に変化してきます。いずれにしても人生をトータルで考えれば、65歳で会社から完全に放り出されるまで仕事に縛られ、趣味もできず家庭を顧みず地域活動もできなんて、何のための人生か・・・?どんなに優秀な社員でもいくらでも代わりがいますし、会社なんて業績が悪くなれば事業を止めたりM&Aされて無くなるのです。という事で、仕事が5つ(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、月極駐車場、テレワーク室、卓球場)あり、趣味もドラム、ウインドサーフィン、読書、和太鼓、左甚五郎研究、旅行、英語・・・とイロイロありますが、仕事か趣味かわからないようなクロスオーバーしている音楽スタジオもあるので、割と楽しんで生活していけているのかと思います。公私混同・・・というか、もう公私一体ですかね(笑)。零細企業なんて世間から見れば吹けば飛ぶような存在ですが、従業員を雇わず借金が無ければ割と自由に経営が出来ますので、オーナー経営者ほどオモシロい仕事は無いのです。まぁ趣味も年を重ねると仕事と一緒で、運動的なモノが減り頭脳的なモノが増える(肉体労働が減り頭脳労働が増える)傾向にありますねェ・・・(汗)。そしてコレだけ沢山趣味や仕事があると、1つや2つくらい無くなっても(10人や20人くらい顧客を失っても)別にどうって事はなく(何も変わらない)・・・裏を返せば、会社や奥さんや特定顧客にしがみつく必要がないという自信でもあり(ストレスフリー)、これが人生で1番大事なリスクヘッジなのです。まぁ常に新しいコトにチャレンジする事によって新しい出会いも生まれ、それが新陳代謝になって「良いもの」がドンドン蓄積され、それが仕事と人生にプラスに働くのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.10.19
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41年前の新婚旅行はグアム・サイパン旅行でした。夫婦ともウインドサーフィンが趣味だったので、旅行の目玉はサイパンでのウインドサーフィンでした。本当は憧れのハワイに新婚旅行に行きたかったのですが、当時は今より100円も円安の1ドル250円くらいで、料金が高い連休の時だったのでグアムサイパンの3泊4日で1人35万円も掛かったからです。ハワイだと50万円くらいだったので、当時は安月給サラリーマンでしたので、とても叶わぬ夢だったのです・・・(涙)。ハワイに行けなかった・・・という悔しい思いがあったので、リベンジでコロナ前の円高の時は毎年のように1か月もハワイのロングステイを楽しんだのだろうと思います・・・(笑)。そのサイパンのマイクロビーチでウインドサーフィンのレンタルを営んでいた日本人T氏をウインドサーフィン専門誌「ハイウインド」で知っていたので、ぜひ訪ねて行こうという事で行ってきたのです。あいにく当時T氏は日本に帰国しており、店番のオーストラリア人女性にウインドサーファー艇より一回り大きかったフランス製のデュフォー・ウイングをレンタルしました。当時は特許の関係で日本ではサーファー艇しか乗った事がなかったので、デュフォーのスイングバック式のダガーボードや捻じ込み式のラバージョイントに感動したり・・・当時ウインドサーフィン業界の最先端だったヨーロッパのニオイを感じました(驚)。当時日本では特許でがんじがらめでしたのでウインドサーファー艇含めて数種類しか販売されていませんでしたが、フランスではウインドサーフィンの特許裁判で事実上フリー(アメリカのウインドサーファー社は裁判で負け特許は認められなかった)でしたので200社ほどメーカーがあったのです。世界中ブームで上昇気流に乗っていたウインドサーフィンというニュースポーツも、日本では特許の壁でマーケットが抑えられている感じがましたねェ・・・あの海の王者と言われるヤマハでさえ特許の壁に阻まれウインドサーフィンへの参入がワンテンポ遅れ、結局ブームが去っていくのと同時くらいに撤退してしまいました。参入が噂されていたブーム直前に参入していれば、業界をリードし業界地図が変わってココまで愛好者が激減する事はなかったかも知れません。今アウトドアブームでロゴスが大人気ですが、当時私は勤務していた会社で飛び込み営業で折り畳みチェアをロゴスに販売していた関係で当時専務だった今の社長と仲良くなり、フランスから輸入販売していたクリットというブランド(DⅡというラウンドボトムの世界チャンピョンボードで有名だった)のファンボードを安く譲ってもらったり、ウインドが初めての私の親戚にもクリットのウインドサーフィンセットを安く譲ってくれました。当時私は営業活動する一方で、社長命令で「ウインドサーフィンのパーツ(ジョイント、ブーム)」にメーカーとして新規参入を虎視眈々と狙い、製作のために特許庁や輸入商社、金属メーカー、樹脂メーカーを回っていた頃で、とんでもない業界の裏事情に驚き、その辺の秘話で盛り上がっていました。まぁ当時ロゴスは船具がメインで、マリン関係のウインドサーフィンを販売したりアウトドア向けにチェアを販売したり試行錯誤をしていたようですが、あれから40年経って大転換して大成功を収めている姿に驚きます。オーナー経営者でもあった彼とは同い年という事もあり何回も飲みに行き、経営や税金に関する「熱い話」をイロイロ聞いたりして、考え方が一歩も二歩も進んでパワーが2倍以上あるなぁ・・・と非常に感銘を受けたのを昨日の事のように覚えています。「こんなところでサラリーマンをやっている場合ではないなぁ・・・早く家業に戻って織物業を何とかしないと・・・」と考えさせられたのです(汗)。ロゴスと同時期に工具商社の山善にも飛び込み営業で新規開拓していたのですが、今ではすっかり日本一の「ジェネリック家電」として有名になった会社ですが、当時は大阪本社の社員数人で始めたばかりの家庭機器課でした。そこへ私は夜討ち朝駆けで1日に2回も訪問し、何とか取引に成功した時期でした。私がちょうどサラリーマンを辞める時に「ヤマメ会」という課員と納入業者との小さな立食パーティーが日航ホテルであり、そこでその山善の家庭機器課をスタートさせた初代課長が私の親友の叔父さんだったという初めて聞いたオチに驚きましたが、その課長もその下の主任だった人も後に山善の専務まで昇り詰めたと聞き・・・ナルホドなぁと思いました。日航ホテルの小さな1室でのヤマメ会でしたが、課長の「今はヤマメのように小さいですが、そのうちにデッカイところでヤマメ会をしたいと思います!」というお開きの挨拶の通りになったのです。やはりロゴスの専務も山善の課長も「現状の船具(工具)だけではダメだ!」という開拓精神に溢れ、それが後に花を咲かせた訳ですが、未だつぼみの時期のリアルタイムで知り合って同じ空気を吸った経験が、私の人生に何かプラスになったのかも知れません。まぁしかし、いくら沖に行っても足が着く遠浅のエメラルドグリーンの奇麗な海で、いっぺんにサイパンの虜になりました。それから10年に一度くらいのペースでサイパンにウインドをしに行きました。20年くらい前にサイパン空港から送迎をしてもらった時に「いいですねェ~こんな楽しい仕事で?」と言うと、T氏は「毎日遊んでいるようなもので、仕事なんて思っていませんよ」と。この時私は「遊んで儲ける」という当時一生懸命営んでいた織物業とは真逆の発想に驚愕しました。こんな生き方(世界観)もあるのか・・・と。当時は必死で商社から発注された織物を忠実に織り熟しても、マーケットクレームが来るという理不尽さに頭を悩ましていたからです。努力が報われない虚しさほど情けないことはないのです。それが楽しんで儲けられる・・・なんて別世界だったのです。これが後に、59歳で音楽スタジオを起業するヒントになったのかと思います。ドラムをいつでも叩けると・・・(笑)。トドメは昨年導入した和太鼓6台で、年中いつでもだんじり鳴物できると・・・(笑)。もちろん何もなかったマイクロビーチでウインドサーフィンのレンタルなんていう発想は誰も思い浮かばなかっただろうし、それを苦労してビジネスに結び付けて40年以上もずっと続けておられるなんてスゴイ事だと思います。数年前にサイパンに行った時に、70歳を超えた「サイパン少年隊」なる多くの日本人ロングステイヤー達が毎日マイクロビーチでウインドサーフィンを楽しんでいる姿を見て非常に羨ましかったですが、「私も入隊できますか?」と冗談で聞くと、「まだ若すぎるよ~」と断られました・・・(笑)。という事で、何がどう化学反応を起こして、人生の方向性が決まるのか?・・・という方程式なんてありません。100人100様・・・同じ人生なんか1つもなく、みんな人それぞれです。自分の現在の専門スキル、頭脳、会話できる言語数、コネクション、性格、嗜好、年齢、性別、国籍、学歴、社会経験年数、健康状態、体力、生い立ち、兄弟(姉妹)との関係、両親の影響、実家の懐事情、配偶者の影響・・・イロイロ試行錯誤を積み重ねて、自分オリジナルを描くのが人生です。もう67なので元気でいる時間があまり無いので、人生の最終章を早く描かねば・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.10.07
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7年前に起業した「スタジオ0724」によって、人生の充実度が飛躍的にアップしました。そりゃ好きなドラムがいつでも叩けるスタジオですから。更に昨年からはスタジオでだんじり鳴物(和太鼓)も叩けるように、和太鼓を6台も購入しました。7年間でスタジオが泉州最大級の4室に増設し、スタジオ会員数も2350人に迫り、ドラムと和太鼓をいつでも叩ける環境に・・・もうこれ以上何も要りません。更に孫4人がドラムレッスンを受講し、好きなスタジオ経営が想像を遥かに上回る勢いで何とかメシが食える程度になったのですから・・・(涙)。当初は会員数200人が目標で、ダメなら直ぐにやめよう・・・と思っていたのです(笑)。音楽スタジオを自由にヤッテいけるのも、ベースに本業の「トランクルーム貝塚」があったからです。更に副業として不動産仲介業があったのです。本業と副業があったからこそ、半分遊びでもスタジオを起業できたのです。基礎(トランクルームと不動産仲介業)があったからこそ、応用が効いた(音楽スタジオができた)・・・という事で、何でも基礎が大事なんだなぁと思います。まぁいくら趣味の無借金で始めたスタジオでも、何年も掛かって不動産仲介業で稼いだ資金をつぎ込んだというリスクを張った甲斐があったのです・・・(汗)。やはりある程度リスクを張らないと、良い結果を期待できないのです。毎日リスクのない消化試合的な仕事ばかりしていると惰性に流され、夢が遠くなるばかりで、経営者はたまに「リスクを張った勝負に出る」必要があるのです。好きな夢やロマンがあるからこそ、人間は頑張れるのです。自分の「好き」をもっと大事にしないと。ココです・・・ポイントは。まぁしかし都会ならいざ知らず、こんな人口の少ない貝塚みたいな田舎(堺市の10分の1の人口)で、スタジオ1本でメシを食っていくつもりで起業なんていうのは正に自殺行為だったのです。まぁトランクルームの2棟の建物(元織物工場)は先代から引き継いだモノで、不動産仲介業だけは自分で宅建の勉強をして掴んだモノなので、そういった他人とは全く関係のない土台の上に何をしようが自由なのが何とも言えません。天国の父親は飽きれているでしょうけど・・・(笑)。まぁ似て非なるものとして、私と同じように趣味を仕事にしているプロミュージシャンがいますが、彼らは音楽が本業なので「ヒットしなければ、メジャーにならなければ、ライブで稼がなくては・・・」というプレッシャーがあり、副業がスタジオというプレッシャーの全くない私とは違う世界に住んでいるのです。同じ音楽でメシを食っていると言っても、全く次元が違うのも不思議ですねェ・・・いずれにしても、大学卒業後は建築金物メーカーの営業マンとして4年間のサラリーマン生活を送り、家業の織物業に戻ってから20年後にトランクルーム賃貸業に転業したという私のこれまでのヒストリーを振り返ると、2度の転職でやっと掴んだ幸せという事になるのか・・・(汗)。という事で、40代まで家族を養うために仕事中心に突っ走ってきましたが、50歳を目前にフッと我に返ると「このまま好きなことをせずに人生が終わるなんて・・・寂しい」という感情が込み上げ、それから時間的にも肉体的にも楽で余裕のある仕事として肉体的にも精神的にも本当にシンドカッタ家業の織物業を廃業してトランクルームに転業し、その10年後の60歳目前の59歳でやっと念願の音楽スタジオをオープンする運びとなったのです・・・(涙)。苦節10年・・・とは正にこの事だったのです。59歳・・・この「まだ50代や」というのがポイントで、60代に突入すれば何もかも(意欲も体力も知力も)減速するだろう・・・という危惧があったのです(汗)。今は70歳目前の67歳なので、70歳までに「もうひと勝負!」と○○を虎視眈々と狙っていますが・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.10.01
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17年前まで泉州の織屋のオッサンだった私は、今は不動産屋を営みながらリハーサルスタジオの経営者という顔も持ったジイサンに変身しました。いずれにしても、たった17年で全く別人に大変身したのです。と言っても中身(脳ミソ)は全く一緒ですが、外面が全く変わってしまったのです。自分の人生を舵を取るのは自分自身ですから中身は変わることなく、単に生きていく手段としての仕事を変えただけです。もう人生後半なので、オモシロくない仕事をしてもナンセンスなので、チョッと趣味を加えて「楽しく死ぬまで仕事をしたかった」だけなのです。80年以上も人生があるのに、サラリーマンのように60歳定年でピタッと仕事に区切りをつけるなんて勿体ない・・・と。この60歳以降の20年間の差が限りなく大きい(年収とプライベートのワーク・ライフバランスの充実)というのは若い頃は意識しませんでしたが、40代くらいから気づき始めるのですが、殆どの人はそのままズルズルといってしまいます。ココが・・・ポイントです。まァ人間って享楽主義的なところがあって、今さえ良ければ・・・と、将来の計画を立てるなんてゴチャゴチャ考えるのが邪魔くさいのですが、ごく一部の人だけが40代でハッとし「こりゃ大変だ!」となるのです。まァしかしそこに至るまでが紆余曲折があり、17年前に織屋から2棟の織物工場を改造コンバージョンして大阪最大級のトランクルームに転業したのが、そもそも人生を180度変えたキッカケでした。その後従業員を誰も雇っていませんので、自ら宅建受験にチャレンジしてそれを取って、更に業者(会社)として大阪府から宅地建物取引業の免許を受け、今年4回目の免許更新なので不動産屋として15年も営んできた事になります。不動産屋の次にチャレンジしたのがトランクルーム内で開業した7年前のリハーサル音楽スタジオで、最初は冗談のつもりで始めましたが、アレヨアレヨという間に泉州エリア最大級の4室に増設しスタジオ会員数も2300人近くなり自分でも驚いています。なので、本業はトランクルーム賃貸業ですが、音楽でもメシを食っているという意味で、不動産屋の顔を持った音楽業界人という事になります。貝塚市は元々農村地帯で、昔から農業の閑散期に納屋にある織機で織物を織って村の行商人が牛車に反物を積んで大阪本町の伊藤忠や丸紅に売っていたという江戸時代からの名越の歴史から織屋が発展してきて昭和3,40年代には貝塚市は日本一織物工場が集積するエリアになりましたが(最大手は1964東京オリンピック女子バレー優勝のニチボー貝塚工場)、百姓は田んぼを耕して作物を作ってメシを食い、我々織屋は反物を工場で織ってメシを食ってきたのです。その織物工場でメシが食えなくなったので、工場を改造コンバージョンして小さなユニットで区切りトランクルームとして賃貸し、更にその中で音楽スタジオも兼営してメシを食うようになったのです。7年前のスタジオ1室だけなら、音楽でメシを食っているなんてとても言えませんでしたが、今は泉州最大級の4室に増えましたので、やっと言えるようになったのです・・・(汗)。○○でメシを食う・・・と言えるまで、スペシャリストでもない我々一般人にとって、時間がどうしても掛かってしまうのです。という事で、67年も生きてきて「この17年間」が人生最大の変化で自分自身も波瀾万丈の人生を送ってきたなァ(これからは平穏な日々を)・・・とシミジミ思う今日この頃です。その中で、孫6人の成長が1番の楽しみですねェ・・・という本当のオジイチャンになってしまいました(笑)。 朝日新聞 2016.12.26.掲載読売新聞 2017.4.13.掲載「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.08.22
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これまで夏になると3m×1.7mという結構大きなビニールプールで孫と遊んでいましたが、孫もだんだん大きくなり数も増えましたので、これでは楽しめないと・・・更に大きなプールを買いました。3m×2mと外寸が前より少し大きいだけですが、ビニールプールではありませんので内寸は文字通り3m×2mで深いので、実質2、3倍くらいの大きさになった感じです。それだけ水の量も多くなり、給水も排水も時間が掛かりました・・・(汗)。これまで毎回水を入れ替えていましたが、水道代が勿体ないので除菌剤も買い、合わせてプールカバーも買って手間を省き節約もする事にしました。これだけ大きいプールでも1万5千円くらいなので、子供や孫を連れて回転すしやファミレスに行くのと同じくらいの金額なので、遊ぶ楽しさをといったコストパフォーマンスを考えれば相当安いモノです。この費用対効果・・・がポイントです。孫とのプール遊びもだんだん賢くなってきます・・・(笑)。仕事も遊びも工夫次第です。今回の大型プールを設置できたのも、昨年庭に長らく放置してあった大きな犬舎(以前は紀州犬とシベリアンハスキーの大型ミックス犬を外で飼っていましたので)を取り壊したからで、それまで2階のベランダでプール遊びをしていたのを今年から1階の庭に遊び場を移したのです。という事で、孫も6人に増えましたが、小学校高学年になるともうジイジと遊んでくれませんので、最近孫らがスイミングスクールに行きだした事もあり、今回の大型プールで遊んでもらう時期を1年でも伸ばそうという私の企みだったのです・・・(笑)。9年前の1人目の時は、デッキで1m足らずに小さなプールでシャボン玉とか水鉄砲で遊んでいた頃が懐かしいです。自分も年を取るのが早いですし、孫も直ぐに大きくなるモノですから・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ【最大P30倍 当店5倍★マラソン】6点セット【 INTEX インテックス 】プール 300カバー リペアパッチ フィルターポンプ カートリッジ フィルター 6本 ブルーシート グランドクロス セット 大型 家庭用 子供 ビニールプール 空気入れ不要 3m ×2m×75cm プールセット価格:39,600円(税込、送料別) (2023/8/11時点) 楽天で購入 プール INTEX ファミリープール ビニールプール プール 家庭用プール 長方形 大型 3M おしゃれ かわいい価格:6,980円(税込、送料無料) (2023/8/11時点) 楽天で購入
2023.08.11
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織物時代は年355日24時間エンドレス操業の多品種小ロット生産で月産20万mも生産し、正に工業製品をドンドン出荷していたのです。コロコロ変わる織物の品種も、20年間で1反だけの試織も含めると1000種類くらいに達していたかも知れません。これだと時間に追われて、自社商品にいちいち愛着を持つヒマもありません。商社からの発注通りに多品種小ロット生産で現場を回し・・・正にキリキリ舞いといった感じです。大きな借金を抱えていましたので、ジックリ将来を考える時間もなく、ただただ織機の稼働率を95%を目標に1秒でも多く織機を稼働させ、不良品を出さずにA反率100%を目指す日々でした。こんな事を毎日、毎日20年間も続けてきたのです。大病もせずに年に何回か腰痛のブロック注射を打つくらいで、織機の音で難聴になりながらも、よく頑張り通せたと自分でも感心します。しかしその後遺症で、3年前についに脊柱管狭窄症の手術をしましたが・・・(汗)。やはり長年の過酷な肉体労働で、身体は悲鳴を上げていたのです。まァしかし、絶世の美女で有名だったお夏清十郎物語のお夏(水間の楠右衛門)の家から、うちの先祖が水間の三重塔を建立した縁で江戸時代に名越の川岸仁左衛門に養子に来た高祖父の血が流れている父に似ていたら背も高く男前でしたが身体が弱く、私が背が低く三枚目でも身体が丈夫というのは母に似たからでココまで来れたのです・・・(笑)。「男は顔や身長じゃない・・・健康だ」と思いたいです(汗)。まァ丈夫に生んでくれた母親に感謝、感謝です。そんな超多忙な20年間で、「こんな仕事をいつまでも続けるのはイヤだ・・・もっと形に残る仕事がしたい・・・」と時たま、頭を過ぎるようになったのは自然な事です。しかし具体的なプランはありませんでした。しかし2005年に織物業を廃業する事を決断し、「さて、1年後の2006年に何に転業しようか?」という段になって、頭の中からこの思いがポーンと飛び出てきたのがトランクルームでした。織物工場を改造コンバージョンして貸せば(レンタル業)、仕入れも販売も無く、ずっと沢山の小さな部屋(ユニット)が残るだろう・・・と考えた訳です。計画通り2006年からトランクルームに転業し、1年後には部屋の中に「ロフト」を作るというアイデアが湧き、それを全て自分で作る事によって「ロフトという形」が後世まで残るだろう・・・と。その100セットくらい作ったロフトも、自分なりに「よくできた」と思う時には、日付と名前を書いておきました・・・(笑)。何十年か後に子供や孫が見て「あのジージが作ったんや」と思い出してくれるだろう・・と。水間の三重塔や名越の安養寺の前の本堂を先祖(三ツ松の岸上甚五郎左義信<左甚五郎>の分家筋の川岸仁左衛門)が作ったという口伝がありますが、スケールが違いますが、まァそれに近いモノです・・・(笑)。2016年から始めた音楽スタジオも、トランクルーム同様に形に残る仕事がしたかったという強い想いからで、これも今年に入って4室目のDスタジオを増設しましたが、これも「現在進行形」でまだまだ「その先」を見ています。という事で、水間の三重塔を見るたびに、何百年も風雨や地震に耐えてきたのを考えると、よくこんな建物を江戸時代に作ったものだと本当に感心しますが、当時はその優れた宮大工としての腕(技術)を妬まれて暗殺されたという悲しい過去が口伝として親族の間で伝わっています・・・(涙)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.07.29
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49歳で家業の泉州の地場産業だった織物業からトランクルームに転業し、1年間は集客で苦労し宅建士資格を取って不動産仲介業も始めたりと大変でしたが、それ以降の16年間は「自由気ままに」生きてきたようなモノです。自由気ままに・・・文字通り、仕事もプライベートも含めて自分の好きなコトを中心に。サラリーマン生活を経て家業を継いだ20年間は、1年間で盆と正月しか工場を止めず、355日24時間エンドレス稼働で月産20万mも多品種小ロット生産体制でイロンナ織物を織っていましたが、自分の能力を最大限に出し切った中でも決して家族サービスを忘れず、自分の個人的な趣味のウインドサーフィンも細々と続けたりジムに通ってボディコンバットも続けていたのです・・・(汗)。ハードな日々の中でもワーク・ライフ・バランスを決して忘れなかったのです。そりゃそうです。「何のために働いているのか?」というのを真摯に考えれば、家族あっての仕事ですから。その甲斐あって3人娘も嫁ぎ、今は5人の孫に囲まれたジジイになりました。自分がオーナーでもない会社のために、家庭を犠牲にしてまで死ぬほど働くなんて全くナンセンスで、会社側もどんなに優秀な社員でも単なる「一社員」としか見てませんし、社外でも通用する本当に優秀な社員はサッサと会社を辞めて独立します。まぁ30~40代と若かったので、少々の無理も効いたのだろうと思います。しかし50歳を前にした49歳で「このまま肉体的に過酷な織物業を10年続けても、60歳まで身体がもたないだろう・・・」と廃業を決断したのです。人生最大の懸念であった祖父の代からの「家業(織物業)を守るか?」という難題に直面し、宮大工の次男だった曽祖父が「名を捨て実を取る」と養子に行ったのを思い出し、「家業をこのまま無理やり継続しても、自己破産したら元も子もない」とハッとした事も、織物業を廃業する後押しになりました。案の定、63歳で長年の過酷な肉体労働が祟り、下半身が痺れて歩くのも苦労するようになり、脊柱管狭窄症の手術を決断しました。サラリーマンの50歳と言うと、社内での自分の将来が見えてきて「部長になって部長で終わりか、役員まで行くか?」か「課長止まりで、55歳の役職定年で年収がガタ減りし、定年までフェードアウトするのか?」と二分されます。まぁトランクルームに転業して、心身の負担は10分の1になりました・・・(涙)。織物時代に比べてトランクルーム業は「遊び半分」・・・みたいな感覚です。トランクルームへの転業当初は殆ど集客できず、将来に不安を感じて宅建士を取って不動産仲介業も始めましたが、その後は音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場、フラメンコ練習場と・・・遊び感覚が再熱しました(笑)。浪人時代の浮浪者も出入りする天王寺図書館でのイヤな受験勉強を思い出したり、子供の頃に清児の会館でよくカーチンと卓球したのを思い出したり、スペイン旅行でツアーを抜け出して本場のタブラオでのフラメンコに感動した思い出があったからです。織物時代に殆どいけなかった海外旅行も関西外大卒ですが1から英会話の勉強をやり直して行きまくり、コロナ前も毎年ハワイに1か月のロングステイを楽しみました。スマホとモバイルWiFiとモバイルバッテリーと小型PCを持ち込んでワイキキのコンドミアムでリモートワークしながらのロングステイでしたが、毎日カナダやアメリカや日本の友達とビーチで遊んで毎夜ライブハウスで飲んでダンスしまくっていると飽きてしまい、後半は早く日本に帰りたいなぁ・・・と(笑)。もうココまで来たら、私の暴走は誰にも止められません・・・(笑)。25年前に亡くなった親父も天国で苦笑いをしているでしょう・・・更にドラムも音楽スタジオを起業したのを機に、40数年ぶりに再開しました。去年からはスタジオに子供の頃から叩いていた「だんじり鳴物(和太鼓)」と、大学空手部時代を思い出して「サンドバッグ」と、ミナミのディスコに通っていたのを思い出し「ミラーボール」を導入し、更に遊びに拍車が掛かります・・・(笑)。決して儲からなくてもイイのです。自分や孫が楽しければ。40代までは必死に働いたので、50代以降は「楽(らく)しよう・・」という自分へのご褒美か・・・(笑)。という事で、平均寿命で言うとあと15年ほどしかありませんが、自分としては「100歳まで」あと34年は元気に過ごしたい・・・と。その為には、これまで通り「自由気まま」感覚で仕事をしながら遊んで・・・もっと稼いで、もっと遊んでストレスを発散させるのです。結局、人生とは小学生のように「よく学び、よく遊び」か・・・(笑)。人生なんて何も難しくはなく、シンプルなモノです。考えれば考えるほど複雑になり、シンプルに考えればシンプルです。事実は1つ、考え方は2つです。誰でも人生最期の棺桶に入るときに「俺の人生は楽しかった!悔いはない!」と思いたいですから、自由気ままに好きなコトができる「体制(環境)作り」に尽力するのが1番と私は考えます。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.04.28
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人生は長いです。一般的サラリーマンは60歳で定年を迎え、希望すれば65歳まで継続雇用され、その後はフリー。平均寿命で言うと、フリーの期間は約20年。20年・・・長いです。この老後20年間を如何に充実させるか・・・が人生のカギです。いくらトントン拍子で会社で出世してきても、定年から「下り坂」では勿体ないです。定年後も人生を充実させるために、定年10年くらい前の50歳から仕事に次ぐ「もう1本の柱」を構築するのが理想です。定年後に独立をするための仕事や趣味でも・・・なんでも構いません。私は子供の頃から多趣味で、時系列で言うとだんじり和太鼓(小学生低学年~)、読書(小学生~)、陸上競技(中学部活)、洋楽ロック鑑賞(中学生~)、トランペット(高校部活)、オーディオ(高校生~)、ドラム(大学生)、ディスコ(大学生)、ウインドサーフィン(大学生~)、空手(大学生)、だんじり研究(大学生~)、英会話(大学生~)、海外旅行(50歳~)・・・といった具合です。しかし残念ながら、時間的にも能力的にもどれも極めることなく中途半端に終わってしまいましたが、逆にそれがイロイロ出来てヨカッタのです。ココです・・・ポイントは。1人の人間ができる事なんて知れています。一点集中型の「これしかできない!」という生き方も素晴らしいですが、時代の流れで合わなくなれば大変で、他に出来る事が無ければフォローのしようがありません。その点中途半端であってもイロンナ経験があれば、フォローできる可能性が高くなります。大学受験でも英国社の3教科しか勉強していなければ日本の私立文系しか合格できませんが、英数国社理の国立理系型の5教科と体育と芸術(音楽、美術)を勉強していれば、偏差値は別にして世界中どこの大学でも合格できる可能性があるのと同じ理屈です。医者や弁護士といった本当のスペシャリストは別にして、一般的に大事なのは若い頃にできるだけ広範囲の勉強や経験を通じて将来の可能性を広げる事です。そんな多趣味な人生を送ってきたお陰で、サラリーマン生活を4年送ってから家業の織物業に戻って20年間必死に頑張ってからトランクルームに転業し、その10年後の59歳で音楽スタジオも立ち上げたのです。そして65歳で更に一歩突っ込んでスタジオにだんじりの鳴物の練習ができるように和太鼓6台を導入し、66歳でスタジオに空手の突き蹴りの練習にサンドバッグ2本とパンチングボールも導入して趣味の色合いを濃くしました・・・(笑)。そりゃそうです。年取ってからイヤな仕事なんかしたくありません。人生に悔いを残さない為に、もうこれからは自分の好きなコトをするだけです。そんな事がデキる環境を作るために、49歳の時に家業(織物業)を廃業してトランクルームに全面転換したのです。トランクルームはある意味、その10年後に音楽スタジオする為の布石だったのです。その証拠に、トランクルームを起業したと同時に、2室だけ防音室を作り「バンド練習に使ってください」とアピールしていたのです。しかし残念ながら当時は殆ど反響がなく、1年後には普通のトランクルームの部屋として貸すようになりましたが。という事で、私はサラリーマンではありませんが、49歳で60歳以降の人生プランを考え家業(織物業)の廃業とトランクルームへの転業を決断し、59歳で念願の音楽スタジオを起業できたのも、やはり先を見越した「早い目の決断」が功を奏したのだろうと思います。そして今年67歳になりますが、80歳を想定し今からアレコレ計画を練っていますし、80歳になれば100歳を目指しアレコレ計画を練るだろうと思いますが、知力も体力も衰えながらも人生を楽しんでいるのでしょうか・・・?「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.04.17
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60過ぎからここ数年、ナンか自分の好きな事ばかりやっているようで・・・家族から白い目で見られているようです(笑)。まだ口に出してイヤミを言われていないのは、それを無理やりビジネス化して多少利益を上げているからでしょう・・・(汗)。無理やり・・・ですわ。純粋な遊びだと、ボロカスに言われているかも知れません。3/1から「スタジオ0724」(貝塚市名越661 072-446-0798 トランクルーム貝塚「別館」1階)の第4スタジオである「Dスタジオ」を増設オープンしますが、そこでやっているのはサンドバッグやパンチングボールや特殊台を設置して空手やボクシングやフラメンコの練習です。大学空手部時代を思い出し、もう一度サンドバッグを自由に突いたり蹴ったりしたいなぁ・・・と。特に伝統派空手の遠い間合いの組手稽古にあまりなかったボクシングのような接近戦での「ワン、ツー、スリー(ジャブ、ストレート、フック」の3連発を顔面ガードをしながら、レギュラーとサウスポーの左右を「パンパンパン!」と朝一番に5分だけ練習しています・・・(笑)。もう10年くらい前のジョイフィット岸和田店で、K1出場経験のあるインストラクターから「キックボクシング」プログラムで習ったテクニックです。たった5分だけの練習で身体に刷り込ませるのです・・・コレを毎日誰か?をイメージしてパンチ&キックすると、より力が籠ってストレス発散になるのです(笑)。コレです・・・サンドバッグ・ビジネスのポイントは。受験勉強と一緒で繰り返し、繰り返しする事によって脳ミソ(身体)の記憶に定着させるのです。老人狩りに合っても、この人間の急所の人中と金的を狙ったテクニックと前蹴りだけで多少は抵抗できるでしょう・・・(笑)。できればその前にローキック(下段回し蹴り)一発で暴漢を倒すだけで怪我をさせずに逃げるのが賢明なので、サンドバッグの長さはボクシングだけだと短くて済みますが、ローキックからハイキックまで練習できるように150㎝もあったのです。これが弊社サンドバッグ練習場の隠されたメリットです。7年前にオープンした「スタジオ0724」も元々は40数年前にやっていたドラムの再開ですし、昨年Aスタジオに導入した和太鼓6台も子供の頃からだんじりに乗って大太鼓を叩いていたからです。40数年前に自宅の分厚い土壁で防音性抜群の土蔵で当時熱中していたCCRのカセットテープを聴きながらドラムを叩き、だんじり祭になると小学生の頃から親も呆れるほど朝から晩までだんじりに乗って太鼓を叩いていてました。これらを商売にしようとした訳ですが、もうココまで来たら真剣な商売根性はNGで・・・自分もお客さんも楽しむのが一番です。幸い自社の土地と建物のトランクルーム貝塚「別館」1階で「スタジオ0724」を展開し無借金経営なので、赤字さえ出なければイイ訳ですから。もう66歳なので商売一筋や借金に追われる・・・なんてシャレになりません。余生は年金をアテにせずに仕事をココロの底から楽しむ(儲ける)・・・コレです。マスコミや国は「老後は働かない(仕事=苦行)」みたいな事を前提に貯蓄は○○○○万円必要とか無責任に言ってますが、これに惑わされてはいけません。誰かに雇われて仕事をすれば確かに社畜と言われるほど苦行かもしれませんが、自分1人で自由に好きな小さな仕事を始めれば案外楽しく稼げるのです。サラリーマンならいきなり独立はリスクがありますので、副業でボチボチやっていき・・・社外でも自分の能力が通用するのかどうかを試すチャンスだと思います。好きなコトを仕事にする・・・人生一度しかありませんから、考えればこの「当たり前すぎる事」をもう一度考え直す価値はあると思います。もし多くの人がそうすれば、日本経済も確実に活性化するでしょう。私はこうなるために、17年前の49歳で家業の織物業からトランクルーム業へ「人生の大転換」を図りました。織物業は祖父の代からの家業なのでシンドイなんて弱音は一度も吐きませんでしたが、衰えていく自分の肉体の将来や中国からの洪水的な繊維製品の日本への輸入(流入)を冷静に考えると、仏壇の祖父や父に「オレで家業はやめるよ。堪忍してや!」と手を合わせ、年を取っても肉体的に仕事が可能と思われたトランクルームに転業したのです。田舎の事ですから、対外的にも家業を止めるなんてカッコ悪いのは百も承知です。しかし「倒産ではない(誰にも迷惑を掛けずに廃業)」と自分に言い聞かせ、違うステージで堂々と勝負しよう・・・と心に誓いました(涙)。まぁしかし、子供の頃から糸や反物を運んだりして、もう身体が悲鳴を上げていたのです。転業して、心身へのプレッシャーは実感として10分の1です。過酷な肉体労働が中心だった長年の織物業の影響で脊柱管狭窄症と難聴になり、あのまま続けていたら5年以内に身体を壊すだろう・・・と真剣に悩んだ結果です(汗)。「ならば50代に突入する前に転身しよう」と考えたのは自然な成り行きです。まだ40代のうちに転身・・・というのがポイントで、50代に入ってからだと身動きが取れなかったでしょう。そして10分の1の苦労で、電気代が100分の1のトランクルームに転業したのです・・・(笑)。そして本業のトランクルーム賃貸業をキープしながら、他社で働きながら朝2時に起きて勉強して宅建を取って不動産仲介業、岸和田市東ケ丘町に青空駐車場22台を作り、ドラムを40年ぶりに再開する為に音楽スタジオを、子供の頃に清児の会館で同級生のカーチンとよく卓球したのを思い出し卓球場を、大学受験に失敗して治安の悪い天王寺図書館で隣の浪人生と喧嘩しそうになった悪夢を思い出しテレワーク室(レンタル自習室)を、昨年は子供の頃からだんじり鳴物を叩いていたので和太鼓6台購入してだんじり鳴物の練習もスタジオで出来るようにしました。そして3/1から増設した「Dスタジオ」にサンドバッグを設置して空手やボクシングやフラメンコの練習にも使えるようにしたのは、大学時代に自宅の土蔵の2階にサンドバッグを吊るし、叩き疲れたら1階でカセットテープを聴きながらドラムを叩いていたのを思い出しからです。振り返ってみると、正に青春プレイバック・・・か(笑)。という事で、今度はウインドサーフィンをビジネスにしようかと、不動産屋としての情報網を活かして、大阪湾岸沿いのビーチ間際の物件を不動産屋しか見れないレインズで一生懸命探しています・・・(笑)。これも30数年前に二色浜海浜緑地でアレコレ画策した湘南エリアによくあるウインドサーフィンの「艇庫ビジネス」です。最近はウインドサーファーのオッサン達の間で手軽でコンパクトなウイングフォイルなるものが流行っていて、増々大きく嵩張るウインドサーフィン人口が減って誰も手を出さないだろう・・・というニッチマーケットだからです(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.02.23
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ハッキリ言って、今は結構ヒマです。ココロに余裕ができたとも言うのでしょうか。6年前の59歳で音楽スタジオをオープンして、心はヒマになったのです・・・(笑)。心、ココロ、ハートといった精神状態を安定させるのが人生にとって何より重要です。肉体的には毎日休みも無く、相変わらず忙しい日々を送っていますが・・・(汗)。まぁ睡眠7時間として、今は起きている時間は何らかの形でずっと音楽を聴いています。私の日常の日々は、6年前から音楽を中心に実にユッタリと・・・しています。自宅の55インチ有機ELテレビ、自宅のデッキやベランダではBluetoothスピーカー、カーステレオ、事務所のミニコンポ、スタジオのPAスピーカー、スタジオでアナログレコード鑑賞、ドラム練習、風呂の防水Bluetoothレシーバー、ワイヤレスイヤホンでスマホのSpotify・・・コロナ前は定期的にライブ行っていたのですが、これからは小さなライブハウスを中心にドンドン足を運ぶつもりです。スタジオ経営を隠れ蓑にずっと音楽を聴いている・・・のです(笑)。確かに、無意識のうちにそっちの方向に持って行ったかも知れません・・・が。6年半前のスタジオオープン時は、失敗したら趣味のドラム室にするか、楽器機材を売却してトランクルームに戻すか・・・と、一応Bプランも考えていました。が、その必要はなかっただけで、ドラムを叩く事や音楽を聴く事に全く変わりはありませんでした。失敗しようが成功しようが、私の音楽ライフに全く影響しません。まぁ結果オーライ・・・という事でメデタシ、メデタシ。新規でスタジオを起業しても、全くアテにせずにやる事です。起業当初は、何か月も売上げゼロが続きました。でも、何とか持ち堪えられました。全くアテにしていないからです。ココです・・・ポイントは。新規事業は、忍耐と資金力の勝負ですから・・・(汗)。もし銀行に借金があれば返済しなくてはなりませんので、ココロに余裕がありません。無借金経営と音楽シフトというダブルセットで、59歳から私のココロは軽くなったのです。まぁ普通のビジネス感覚から見ると、全く儲からないスタジオ経営に一生懸命力を入れている私の姿を見ると、「アイツのやっている事は、どうもオカシイ?」と鋭い感覚の人にはバレているはずです・・・(汗)。しかし、そんなの全く関係ありません。実質的に私の仕事は既に59歳で終わって、お金儲けの追求とはもう縁遠い生活を送っているのかも・・・(笑)。未だに仕事をしているとは言うものの、後継者の娘といつでもバトンタッチ出来るようにしていますから、気分はもう完全にリタイヤと同じです。数年前からのハワイロングステイでも、行きつけの音楽ライブバーを開拓し、音楽好きのカナダ人の友達を中心にバーのオーナーとも懇意にして、たまに飛入りセッションでドラムを叩き、ワイキキビーチでは防水BluetoothレシーバーとモバイルバッテリーとモバイルWi-Fiを持って行き、海ではフローターに乗ってBluetooth電波の届く範囲で山下達郎や高中正義のサウンドを大音量で聴き、着実に海外での音楽ライフを楽しんでいます・・・(笑)。織物業というワールドワイドな厳しいビジネス戦線を潜り抜け、何とか無借金で廃業に持ち込んでトランクルームに転業し、その10年後に音楽スタジオも起業した訳ですが、これまでと全く違い「利益だけでなく、それ以上にお客さんに感謝される」という異次元の世界に喜びを感じる自分がいます・・・(涙)。織物業では弊社が廃業しても別の同業者が直ぐに見つかるという状況で、単に経営者である私が現場に入って月産20万mの織物工場を24時間355日エンドレス稼働し、安くて品質が良かっただけの話です。今のトランクルーム(屋内型)やスタジオは泉州では同業者ライバルは殆どなく、織物業とは全く違って「必要とされている」感を強く感じるのです・・・(涙)。という事で、今から思うと5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場、不動産仲介業)をやってる・・・なんてカッコを付けていますが、実質は6年前の60歳一歩手前の50代最後の59歳の時に音楽を老後生活のメインに切り替えたのがバレそうです・・・(笑)。49歳で家業の織物業から一念発起して今のトランクルーム業に転業し、それから10年頑張って「もうエエやろ・・・」と残りの人生を音楽シフトにしただけです。その背景には持病の心臓病で病弱だった父親の代わりに、中高生の頃から工場の手伝いだけでなく、村や隣組や親戚の用事でオッサンの輪の中に私が家の代表として前面に出る事が多く、仕事も2人前以上の事をしていたからです。嫌でしたが、長男としての責任なので仕方ありません。浪人から大学生の頃は毎朝5時から機織りをし人事採用もしていましたので、大学で空手をやろうがミナミで遊ぼうが、ドラムやウインドサーフィンをやろうが、だんじり祭りに狂おうが留年しようが・・・何をやろうとも全くの放任主義でした。道楽息子と言えば確かにそうかも知れませんが、男はやる事さえやれば、あとは何をやっても自由・・・という親父の考え方だったのでしょう。まぁしかし人間というのは好きなコトをするのが1番ですし、誰にも邪魔されず、そうなるように極秘の長期計画を練って着実に実行あるのみです。それが本当のライフプランです。これから残りの100までの35年を「音楽シフト」にした事によって人生観がブレなくなり、ココロに余裕ができた事によって余計な仕事やイヤな事を堂々と排除できるようになったのです。まぁしかし50年前に、大阪厚生年金会館までシカゴのコンサートに行った時の「FREE」の ♬I just want to be free I just want to be free♬ ・・・という歌詞が未だに頭から離れないのか(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.09.26
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3人の子供がまだ小学生の間は、夏は毎週のように海に行っていました。近くの二色浜もよく行きましたが、和歌山の海もよく行きました。二色浜でも和歌山でも、ビーチの条件として「遠浅」「ウインドサーフィンができる」の2つは絶対外せませんでした。もちろん「遠浅」は子供たちが安全に海で遊べるという事で、「ウインドサーフィンができる」はもちろん私の為です・・・(笑)。遠浅であっても風が入らないとか入っても建物や山がブランケットになるビーチはNGで、ウインドサーフィンが出来ても子供らに危険な急深のビーチはNGだったのです。となると、マーブルビーチはダメですが、和歌山の海には結構条件の揃ったビーチがありました。そんな中で最も頻繁に行ったのが和歌山県日高郡の「方杭海岸」です。殆ど地元の人しか行かない、正にシークレットビーチだったのです。何で?このビーチを見つけたかは今となっては忘れましたが、恐らく中紀の田村海岸、産湯海岸、栖原海岸、西広海岸、衣奈海岸、唐尾海岸・・・といったビーチにアチコチ行っているうちに偶然見つけたのだろうと思います。気に入ったので、ビーチ前の民宿にも何回か泊まりました。漁師でもある民宿のご主人が沖に置網を作っており、その中で素潜りとかしましたが、こんな経験って滅多にできません。今はビーチ前に温浴施設もできているみたいです。この他にも白浜にかけて、名もないイロンナビーチで遊びました。残念ながら強風は期待できませんが、ウインドサーフィンのボードに子供や家内を乗せて「タンデム」遊びもしていましたので、ボードは長さ340㎝でボリュームは150ℓくらい必要でしたので、必然的にショートボード(ファンボード)ではなくオールラウンドボードだったのです。強風の時だけがウインド遊びではなく、リグ部(セイル)を外して、ボードだけでSUPのように子供3人ボードに乗せて、私が泳ぎながらボードを押すのも遊びの1つです。この微風でのオールラウンドボード時代は2台乗り継いで15年くらいあり、フレアジャイブ(後傾ジャイブ)ばかりでしたので、今の強風専用のショートボード(230cm 117ℓ)での前傾ジャイブは未だに恐怖心が先立ちデキずに悩んでいるのです・・・(涙)。まぁしかし、車の屋根にウインドサーフィン一式と浮き輪3つとゴムボートを乗せて、屋根から落下するのを気にしながら、国道42号線を走った思い出がホンと懐かしいです。こうして子育ての小学校までの一番大事な時期に、無意識のうちに仕事だけでなく家庭生活も大事にする「ワークライフバランス」を上手く取っていたのかと思います・・・(汗)。コロナ禍で世界中がテレワーク時代に大きく舵を切り始めた今、このワークライフバランスを当時から実践していたのは、私の子供の頃からの「1つだけではダメだ・・・興味の赴くまま、イロイロやりたい・・・」というイッチョ噛みの性格からでしょう(笑)。そしてビーチに行くまでの車内のBGMだけでなくビーチにカセットデッキを持って行き、当時流行っていた「チューブ」と「山下達郎」がド定番でした。という事で、「人生は思い出しかない」と実感するのは、あと数年で70歳になるジイサンの心境です。子供が小さかった20代から30代にかけて、多忙な仕事の合間を縫って、楽しい夏の思い出を作っておいてヨカッタ・・・と(涙)。子供も中学生になれば学校中心の生活になって、親とどこかに行くなんて殆どなくなりますから。膨大な数のカセットビデオを撮ってましたので、どこかに紛失してしまう前に整理をする意味で、去年業者に頼んでDVDにコピーして娘らに配っておきました・・・(汗)。そして孫がまだジイジ、ジイジと言ってくれている間に、この懐かしの方杭海岸に一度行ってみたい・・・と願うばかりです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.08.24
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60数年生きてきて、今は思う事は16年前の40代で人生を変えて本当にヨカッタ・・・という事です。人生を変えたというのは仕事の事で、祖父の代から57年続けてきた泉州の地場産業だった家業の織物業から今のトランクルーム業に転業したという意味です。40代と言っても、50歳一歩手前のギリギリ49歳ですが・・・(汗)。転業の1年前の48歳まで、まさか自分が仕事を変えるなんて夢にも思いませんでしたが、それまで19年間は織物工場を年355日24時間エンドレス稼働で月産20万mだったのが、3か月だけですが突然土日に工場を止めなければならないほど仕事が激減したのです。青天の霹靂・・・これはもう想像以上に堪え、「もうアカン!」と。仕事量で30%もいきなり激減し、電気代や人件費といった固定費はそれほど変わりませんから、経営的に苦しいを通り越して四半期で大赤字に陥ったのです。こうなると、もう零細企業経営者は夜は寝れません。2週間悩みに悩んだ結果1年後に廃業しようと決断し、計画通りに1年後の2006年には57年間続いた家業に終止符を打って、2008年の北京オリンピック前の好景気に沸いていた中国にエアージェット織機を売却し、直ぐにトランクルームへの改造コンバージョン工事に着手したのです。しかし早かったですねェ・・・この廃業決断からの1年。特筆すべきは廃業の2年後の2008年に世界中を不況のどん底に陥れたリーマンショックが起きた事で、もう2年無理して頑張っていたらリーマンショックの大不況の嵐に巻き込まれ、中国のオリンピック特需の好景気が終わってエアージェット織機が売却できないところでした・・・(汗)。たかが2年、されど2年・・・この差はとてつもなく、自分の幸運に感謝しかないです(涙)。まぁしかし、廃業決断が自分的にも「もうガチャガチャうるさくて暑い織物工場で働かなくてイイ・・・」と嬉しかったのかも・・・(笑)。そして新しい未知のトランクルームビジネスに、期待でルンルンだったのか・・・(笑)。緻密に計算した結果、工場の完全停止の2006年3月31日18時の1週間前まで24時間エンドレスでフル操業し、それから織機が1台ずつ停止していき、最後に全台織機が停止して残ったのは経糸1反分だけで、あとは全く在庫ゼロでした。これには自分でも驚きました。全くロスがなかったというのはこの事で、糸量計算と修正計算を何十回も繰り返しながら、実際の在庫量(糸と織物)を確認しながらの計算力の勝利です・・・(汗)。やはり会社経営には計算、ソロバン・・・中学くらいの数学の基礎が大事です。残務整理は一切なく、退職金を支払った従業員たちは翌日から次の職場へそれぞれ出勤しました。廃業決断した瞬間から1年掛けて、計画的にすべての在庫を減らし、受注をセーブし、水面下で織機など設備機械の売却交渉を進めていたのです。廃業の事は誰にも一切言わず、廃業1か月前に初めて一斉に公開告知したので、情報漏洩が全くなく変な噂が広がる時間もありませんでした。ココです・・・ポイントは。家族は腰を抜かしましたけど・・・(笑)。サラリーマンを辞めたのも30代突入前の29歳で、音楽スタジオ起業も60代突入前の59歳と、織物業廃業(トランクルームに転業)の49歳と同じく「大台の乗る前年」という事になりますが、「30歳(50歳、60歳)になればズルズルといってしまうだろう・・・」という心理的な面が大きかっただろうと思います・・・(汗)。それと現実問題として30歳は別にして、50歳以降の体力と気力は想像以上に落ち込むもので、この考えたくない人生の「下降線」も計算に入れないと・・・(汗)。49歳で転業して50歳で宅建士資格に挑戦しましたが、59歳ではとてもそんな気力が1ミリも湧きませんし、49歳で転業したばかりで気持ち的に希望が湧いていた「ポジティブな50歳」だからこそ、まだ気力が残っていたのでしょう。考えれば当たり前の話ですが、それほど年齢というは左右するのです。まぁ家族5人と従業員がいましたし仕事が斜陽産業でしたので、49歳で「人生を変えた」訳ですが、家族や従業員がいなくて儲かっていれば、もっと気楽に何も考えないで何も変えずにノホホンと生きられたでしょうねェ・・・という事で、ここ20数年の間に阪神大震災、東北大震災、織物業廃業(転業)、リーマンショック、2018年台風21号、コロナ感染拡大、ロシアとウクライナの戦争・・・大きな出来事や事件が多すぎますが、改めて思うコトが「好きな事をするのが人生や!」です。学生時代に勉強ができず二流大学に進学し二流企業に就職した結果、「サラリーマンより家業の織物業の方がマシだ」と家業に戻り、それから20年間織物業で頑張った結果「もうアカン!」となってトランクルームに転業したのです。そして10年後の60歳一歩手前の59歳の時に、念願の音楽スタジオを起業したのです。自分の好きな事をするのに、そこまで辿り着くのに気が遠くなるような回り道をしてきたのです・・・(笑)。社会人になれば総合力が勝負で、何も中学高校時代に多少勉強ができなくても落ち込む必要はサラサラないのです。むしろ部活も遊びもせずに、受験勉強しかしなかった弊害の方が大きいと思います。最近高校の進学校ほど部活加入率が80〜90%と高いのは、「勉強だけヤッテいてはダメだ」という将来に対する不安からか・・・?そうだとすれば、日本の若者も賢くなったという事です。まァ、人生は長い・・・本当に長いですから。しかし49歳の時に人生を変えた事によって、59歳の時に好きな音楽を仕事にする事が出来たのだと思います。イヤ、せっかく好きな道に辿り着いたので、これから100歳まであと35年、好きなコトをやりながらお金も稼いでいきたいと思います。まぁしかし人生なんて、変えようと思わなければ一生そのままズルズルといくモノで、変えようと思っても相当エネルギーが要りますが、問題はそんなエネルギーが自分の中にまだ残っているか?・・・です(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.08.20
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今年で結婚40周年ですが、家内との初めての出会いはその3年前の1979年夏の泉南樽井ビーチでした。お互い別々にウインドサーフィンをやろうと・・・偶然にも樽井ビーチで出会ったのです。なんとロマンチックな・・・実際は、ナイスバディのビキニの美女を私がナンパしただけですが・・・(笑)。当時サーファーの間でボブ・マーリーと共に流行ってた高中正義の「ブルー・ラグーン」をカセットテープで車の窓全開で聴きながら、ルンルンで樽井ビーチにデートを兼ねながら毎週日曜に通っていたのです・・・♬カーステレオに昭和を代表するカセットテープですよ・・・(笑)。正に、青春の1ページ。今は泉南ロングパーク(マーブルビーチ)になっていますが、大阪府内で初めて「恋人の聖地」に認定されたロマンチックスポットなので、正にその通りです・・・(笑)。出会いから3年で結婚した訳ですが、3人娘も結婚し5人の孫に恵まれ旦那さんも含めると3世代で13人のファミリーに増えました。43年前の2人の出会いから、13人に・・・なったのです(涙)。思い起こせば43年なんてアッという間でしたが、写真やビデオを見ると長い、長い・・・ストーリーがあります。それが人生というモノでしょう。今は孫の成長が1番の愉しみですねェ・・・孫なんて出来る前は想像も出来ませんでしたが、出来てみると子供とは全く異次元の可愛さに目じりが余計に下がります・・・(笑)。これまでにも石垣島や和歌山へ全員を引き連れて旅行に行きましたが、これからも体力の続く限りファミリーと一緒に時間を過ごしたい・・・と思います。お盆なので今朝早くから近くにある町内の墓地に行って、ご先祖さんを家にお招く為お向かいに行ってきました。江戸時代末期にトランクルーム貝塚の2軒隣りの本家(泉州弁で”おもや”)から曽祖父が分家(泉州弁で”いんきょ”)して150年以上経ちますので、町内の墓地にはうちの墓以外に分家の墓が3つもあり、地元泉州エリアを中心に膨大な人数に上る親戚ファミリーになりますが、今は最も近いファミリーとして13人という事になります。会社に例えると、2人で起業してボチボチ売上を伸ばしていき、43年経って何とかそれなりに目標達成といったところで、150年掛かって先祖が築いてきた基盤にプラスして、我々の43年の起業で築いてきた実績を加え、これからも家訓の「名を捨て実を取る」をモットーに見栄を張らずに地味にボチボチやっていく・・・といった感じでしょうか。という事で、まだまだ人生は長いと思いますが、「今が人生で最も若い」をモットーに、まだまだ「何かやろう!」という欲望がある限り、勝手に頑張っている事でしょう・・・(笑)。69歳の高中正義さんもまだまだ頑張っていますし、私もまだまだ・・・そして20年後には成人した孫たちも結婚して、ひ孫合わせてファミリーが20人超えているでしょう・・・そんな希望を張り合いに、子供や孫のためにまだまだジイジは頑張るでェ。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.08.13
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先日「トランクルーム貝塚」本館の改装工事(屋根のカバー工法と壁の塗装)を終えたのを機に社名看板を新調しましたが、その時に古い木製看板を捨てようかと思いましたが、フッと戦後の祖父の苦労話を思い出しました。73年前の昭和24年(1949年)に祖父が織物業を創業した訳ですが、昭和24年と言えば日本が第2次世界大戦で負けてからたった4年しか経っていません。戦後2年くらいの昭和22年くらいの東京23区や大阪市内がまだ焼け野原だった頃に「織物業をやろう」と起業を考え、工場を建てるために1,2年掛けて木材を苦労して集めたと父から聞いていました。とにかくアメリカに広島と長崎に原爆を落とされ、東京と大阪の都心は壊滅状態にされたのです・・・母親もアメリカのグラマン戦闘機に機関銃で打たれて田んぼの畝の間に伏せて九死に一生を得たと言っていますが、あまりの低空飛行だったみたいで操縦士と目が合ったと言っていたくらいです。都心だけでなく、戦争末期には大阪南部の田舎にもアメリカの戦闘機が上陸していたのです。まぁ敗戦で当時日本には何もなかったのですから、相当祖父が苦労したのが想像されます。そんな祖父の意思を継いで、築73年の別館を耐震補強とリフォーム(屋根と壁のガルバリウム鋼板によるカバー工法)で、トランクルームとして再生させました。特に「別館」には、トランクルーム以外に音楽スタジオ3室と卓球場3室あります。そんな事もあり、その古い木製看板の端を丸鋸で切ると、断面を見るとまだ木は生きているではありませんか・・・(驚)。幼馴染の本職の大工さんも言っていましたが、木って、本当にすごいマテリアルだと思います。両端を切ってバックヤードに保管する事にして、また何かの時に使うようにします。断捨離と言って誰が流行させたか知りませんが、何でもかんでも捨てる世の中ですが、私はリユースするか?捨てるか?・・・と自分の脳ミソでチョッと考えるようにしています。一度捨てたら今度買いたいと思っても、無いかも知れませんし高いからです。22年前の織物時代に当時85万円で買った軽トラック(エアコン、エアバック、強化サスペション、大型スピーカー搭載のBluetoothレシーバー付きカーステレオ、オートマチック、前後ドライブレコーダー付き)も、私の日常の足以外に「宣伝カー」「レンタカー」として未だに元気に走っています。あと5年は、彼と一緒に頑張っていこうと思います。とにかく、能力100%ギリギリまで「使い倒す」・・・これがポイントです。という事で、私がまだ4,5歳の頃から祖父からノコギリの使い方や金槌で釘の打ち方を学び、親戚の八百屋で木製のリンゴ箱を潰して犬小屋や子供だんじりを作ったのも祖父の教えからです。祖父は鎌を自作したり、工場で使うブリキ製の灯油缶を利用したちり取りを作ったり、と手先が器用な人でした。私も小中学校では図画工作だけはずっと成績が5でしたので、その血を引き継いでいるのでしょうか・・・?という事で、結局を古い看板を「木材」として次の出番を待っているのですが、新しい社名看板は木製ではなく金属製にしました。これだと劣化する事はなく、一生モンですから。そして古い木製看板のように、外見はボロボロでも「まだ生きているぞ!」と・・・人間も、こうありたいですね(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.08.08
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自宅2階のベランダから、遠くに葛城山を一望できます。葛城山は、大阪府と和歌山県の境にある和泉山脈を構成する標高858mの山です。母校の木島小学校や貝塚三中の校歌の中で歌われています。このベランダで、毎年春から秋にかけて音楽を聴きながらビールを飲むのが私の密かな愉しみです。ちょうど南向きのベランダなので、屋根があっても朝から昼までは暑くて外に出られません。しかし夕方くらいから西日がちょうど自宅建物の陰になり南風が西向きにシフトし、ベランダの左右に心地よいサーマルが吹き抜けるので、どんなに暑い日でも涼しく感じるのです。正に・・・至福です(涙)。昼間に孫がプールで遊ぶときは、東と西にサンシェードを張って日差しを避けます。まぁしかし、南から西に200度くらい遮るものが何もないので、鳥が自由に空を飛んでくるのがよく分かります。鳥は交通規制もなく自由に空を飛べてイイなぁ・・・と。ウインドサーフィンに行った時は風の状態を見る為によく見てますが、普段じっくり空を眺めるなんてありませんから、なんかイイですねェ〜そんな事をボーッと空を見ながら考えるのが、ナントもリラックスできます。この時に脳ミソが解放され、別に何も意識はしていませんが、色んなアイデアがポッと浮かんでくるのです・・・もう40年以上前に「シー&スカイ」(通称:シースカ)というウインドも扱うサーフショップが佐野にありましたが、オーナーのYさんもそういう気持ちで命名したのか・・・?今Yさんは岸和田駅前で中古ギター屋さんをやっていて、たまにスタジオのフライヤーを持参してウインドの昔話に花を咲かせてます・・・(笑)。まぁアイデアなんて、机に座って「さぁこれから考えるぞ!」と頑張っても、絞り出せるものではありません。マジメに考えるだけではダメなのです。これまでのイロンナ人生の経験値を中心に、何かの拍子にポッと閃くものです。これまでの学校教育で習った事を真面目に考えて素晴らしいアイデアが出るものなら、経営者の殆どは東大や京大出身者や経済学者で占められますが、現実はそうではないところにビジネスのオモシロさがあります。勉強しかやって来なかった東大や京大出身者で官僚を固められると、国の将来が心配ですし行方が危ぶまれます。ビジネスは人間の総合力の勝負で、暗記中心で発想力をあまり求められない学校の勉強(受験勉強)くらいで、私のように落ちこぼれたとしても決して落胆する事は無いのです・・・(笑)。受験勉強は短期間ですが、人生はメチャメチャ長いですよ~(笑)。私立文系は理数系を勉強しないで英国社の3教科で突破できますが、人生の荒波を乗り越えるには10教科くらい必要か・・・(汗)。私立文系の最難関の早稲田政経が偏差値下落と受験者激減を犠牲にしてまで最近入試科目に数学必須にしたようですが、これも数学もできる生徒を集めなければ優秀な人材を輩出できないという大学の危機感の現われでしょう。この改革の結果、早稲田政経は30%位受験生が減ったが質は上がったらしく、早稲田の戦略は見事に的中したのです。大学も我々一般企業も営利団体ですから、将来を見つめた戦略を練らねば倒産(廃校)してしまいますから・・・(汗)。その点、慶応文系や同志社商学部や関大経済だけ昔から数学が必須でしたから、先見の明があったのか・・・?まぁしかし、ビジネスを楽しむくらいの余裕がなければ・・・まぁしかし、海も広いですが右舷左舷という交通ルールがあり空ほど自由ではありませんが、元々陸ほど交通量がないので自由にウインドサーフィンを楽しめます。このベランダも3人娘が成長期の20数年前は、家族5人分の洗濯物の干し場として1日中フルに大活躍したのは言うまでもありません。その時は、夕方から葛城山を眺めながらビールで乾杯・・・なんて発想や余裕なんて全くありませんでした。今、やっと・・・というのが実感なのです。人間も家も時代と共に役割が変わるのです。そう言う意味で、先日トランクルーム貝塚「本館」の屋根をカバー工法でリフォームして、かなり耐震補強できましたが、その広大な屋根からの眺望も絶景なので、そこに10坪程度のプライベートのビアガーデン(冬は星を眺めながら)をオープンするのもオモシロいかなぁ・・・(笑)。という事で、自分にとって誰にも迷惑を掛けない秘かな楽しみをずっと続けるために、仕事をまだヤッテいるのかも知れません。ただ台風シーズンになると、高台なので南風がまともに吹き上げてきますので、大阪を襲った4年前の史上最強の台風21号では屋根がフッ飛んでしまったように、いくら頑丈な重量鉄骨造と言えどもグラグラと揺れるほどだったのです・・・(汗)。モノゴトには良い面もあれば、そうでない面もあるという事ですねェ・・・いずれにしろ私の朝はいつも4時か5時と早く、真夏の早朝でもエアコンを入れなくても1階も涼しい南風が入りますので、ユッタリした私だけの心地よい朝の時間を過ごせてます・・・(涙)。こういった朝と夕方のリラックスした至福の時間を、70代になっても80代になっても過ごせたら・・・と切に願います。大人になった孫たちと「昔このベランダでジジイとプールでよく遊んだなぁ・・」なんて焼肉パーティをしながら、嬉し泣きしながらビールで乾杯するのが私の夢です・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.07.24
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ありそうでなかったシリーズ第80弾は「通勤時間1分」でストレスフリーです。もちろん経営者である私の自宅が会社(トランクルーム)と同じ町内で、自転車で1分のところにあります。これって非常に便利です。何が便利かと言うと・近いので通勤時間という無駄がない・電車や車に乗らないのでストレスがない(事故の危険性が少ない)・昼食で家に帰って昼寝ができる・日中家に居ないので、家族のストレスにならないといったところが「職住近接」の大きなメリットです。それ以外にも家業という意味で・勝手にフレックスタイムにできる(夏は15:00に仕事を終えベランダでビール)・服装自由(夏はTシャツ+ハーフパンツ+セッタのスーパークールビズ)というスタイルを貫いています。織物時代も大阪本町への営業もネクタイを締めず、カジュアルスーツにカラーシャツやポロシャツを着ていましたし、不動産営業でもネクタイを締めた事は殆どありません。銀行へも借金がありませんので、このスタイルを貫いています。客への印象より、「どこまでも自由や!」という自分のポリシーを優先します・・・(笑)。もう年なんで、他人や常識に無理に合わせる必要がありませんし、自由に生きるだけです・・・(笑)。これらは経営者側のスタンスですが、お客さん側からすると経営者が近くに住んでいるので、「何かあればすぐに飛んできてくれる」という安心感がありますねェ・・・それ以外に私がブログを毎日更新している事によって、トランクルームのお客さんにとって「安心して荷物を保管出来ている(毎日ガンバって営業していますよ)」という無言の安堵感を与えていたのです。特に海外在住の長期のお客さんは「日本に帰国してトランクルームが無かったら(荷物が消えてしまったら)どうしよう?」と心配するものです。同じトランクルームでも屋外コンテナなんかは、半日あればクレーンで吊って跡形もなく撤退できますから、これって遠方のお客さんは気にしている事なのです。という事で、人間の大敵は「ストレス」ですから、これを正面から受け止めてプライベートでも仕事でも自分なりに考えて生きていかねば・・・と(汗)。そして自宅まで近すぎるので、帰りは運動の為にクロスバイクで10分かけてわざわざ遠回りをして帰っています・・・(笑)。まぁしかし、私も20代のサラリーマン時代は片道1時間以上かけて大阪市内の会社に勤めていましたが、上司や会社の方針に縛られて仕事をしてもストレスが溜まるだけで4年で音を上げてしまいましたが、今の自由な仕事術(ライフスタイル)なら死ぬまで出来そうです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.05.16
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昨日はこれから夏にかけての自宅リゾートに向けての準備でした。毎年秋までの6か月は夕方からリゾートします。なので、1階デッキのブランコのペンキと2階ベランダの人工芝の掃除でした。ペンキは10年ぶりくらい、ベランダは去年ケルヒャーで高圧洗浄しましたので割とキレイでしたので今回は普通のホースでの水洗いです。これから日照時間が長くなるので、朝7時くらいには仕事に出かけ夕方は3時くらいに仕事を切り上げ、デッキとベランダで自然を肌で感じながら音楽を聴きながらビールを飲んで時間を過ごします。これが私の至福の時です。特に2階ベランダからの眺めは絶景です。母校である木島小学校や貝塚三中の「葛城山を日に仰ぎ・・・♬」「葛城の峰空高く・・・♬」という校歌にもあるように、遠くに葛城山系を眺めながら、近くは今開発中の千石荘の森林群も眺めながらビールで乾杯という具合です。高台なので南一帯に広がる広い空には、よく鳥が優雅に飛んでいるのを見ると、コセコセと働いている人間をバカにしているようです・・・(笑)。これから孫も遊びに来るときは、デッキに小さいプールとベランダに大きいプールを用意して一緒に遊びます。私も子供の頃は母方は熊取の養豚農家でしたので、祖父に連れられて牛や子豚やアヒルと一緒に遊んだり、男の初孫というのもあり、だんじり好きだった祖父に抱っこされ大屋根に乗ったのを思い出します。祖父との思いで作りという意味で、デッキやベランダでの遊びが彼らの一生の思い出となるだろう・・・と。という事で、毎年の10項目くらいの目標の中で「5人の孫と遊ぶ」というのがあり、ブランコのペンキとベランダの掃除は正にコレを実践するための準備だったのです。そして出来るだけ自然と触れ合うという意味で、1階のデッキで庭を見ながらボーッとし、2階のベランダから遠くの空と山や森林を眺めてボーッとする事が、新しいアイデアを案外生み出してくれるのです。まァしかし、モノゴトには表があれば裏があるように、イイ事ばかりではなくベランダからの絶景を楽しめる反面、4年前の台風で屋根の3畳分の瓦が吹き飛ばされ、300㎏の物置が倒壊してしまったのです・・・(汗)。そういったこれからの自然災害やウクライナ戦争で露呈した核の脅威にも備えるために、台風でも逃げ込める庭に埋める「地下(核)シェルター」を現在検討中です・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.05.05
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祖父の代から60年近く続いた家業(織物業)を廃業したりとか割と波乱万丈的な人生を50代まで送ってきましたが、60代に入ってからはやっと穏やかな人生を送れるようになりました。先日YOUTUBEの「家ついて行っていいですか?」で、私と同年代くらいの60代男性の「出世より家族を優先した」シングルファーザーのサラリーマン・ストーリーが感動的でした。2,3歳の小さな子供2人を1人で育て上げ、本当に立派な人生を送ったストーリーに涙が出そうでした。2人の子供は立派に成人し結婚独立して家を出ていき、今はマンションで一人暮らしをしているようです。本当にホッとした・・・というのが実感でしょう。40年以上勤めている会社に技術職としてまだ必要とされているようで、ボチボチ仕事をしながら、やっと自分の人生を楽しんでいるようです。やっと・・・というのはよく分かります。子供1人だけでも1人前まで育てるのに本当に大変ですから・・・まぁ、本人も「本当におだやかな人生を送ってますよ・・・」とおっしゃってました。おだやかに・・・という言葉の裏に、これまでこれまで散々シングルファーザーとして散々苦労してきたので、今は「その見返り」として人生を心の底から楽しめていますよと言外に言っているように思えます。コレです・・・人生のポイントは。諺にも「若い時の苦労は買ってでもやれ」「先憂後楽」とかイロイロあります。65年生きてきて・・・本当にその通りだと思います。逆に言うと、若い時に勉強もせず仕事もしないで遊んでばかりだと年取ってから苦労するという意味で、至極当たり前の事です。私も3,40代の20年間を、家族を養うために家業の織物業に燃焼し尽くしました。結果・・・3人娘も嫁ぎ、今のトランクルームなどの仕事を後継者の娘にボチボチ譲ってますので、今は「おだやかな老後」を夫婦2人で送っています。このYOUTUBEの60代の方と同じ気持ちです・・・(涙)。これからも穏やかに、おだやかに・・・という事で、3,40代の頃の10分の1くらいの「力を抜いた人生」を送れている自分に十分満足していますし、70代になれば15分の1、80代になれば20分の1、90代になれば30分の1・・・くらいのペースでユッタリ人生を送りたいと思います。力を抜いたと言っても、抜きっぱなしではダレてしまいますので、空手の突きや蹴りのように普段は脱力して、相手に当たる瞬間(肝心な時)だけ力をグッと込め捻じ込むのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.04.29
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ありそうでなかったシリーズ第68弾は「60歳定年という概念」です。昨年65歳で今年66歳になる訳ですが、先日3月31日の年度末で同級生の多くが仕事を完全に現役から引退しました。多くのサラリーマンは55歳で役職定年で管理職から外され年収もダウンし、60歳で退職金をもらって会社を退職します。そして希望すれば年収がさらに大幅ダウンしますが、65歳まで雇ってくれます。55歳から65歳まで10年間も年収が下がり続けるのです。しかし、これって普通に考えればオカシクないですか・・・?55歳と言えば、まだまだ現役で頑張れる年齢で、1つの業界で20年、30年経験を積めばそれなりにまだまだ役に立つことが山ほどあるはずです。それを一律に55歳と言う年齢で切るのはオカシイと思います。一方スペシャリストである医者や弁護士や職人やオーナー経営者といった職業は、55歳から65歳まで年収は横ばいか右肩上がりで、60歳という年齢に関係なく65歳以降もまだまだ稼げるのです。長年会社に縛られ家庭(プライベート)を犠牲にしてきた多くのサラリーマンが65歳で年収ゼロになって会社関係の人脈もリセットされるのに対し、自分の腕一本で稼いできたライフスタイルは年齢に左右されず稼げますし人脈や顧客もそのままです。この「差」は限りなく大きいです。ココです・・・ポイントは。コロナによって従来のメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用に移行しつつありますが、これによって年齢で一律に区切ることが無い社会に動きそうですが・・・まだまだ時間が掛かります。これまでのメンバーシップ型雇用では、イイ大学に入ればイイ会社に就職できて60歳定年まで安泰・・・というストーリーでした。ある意味60歳が人生のゴールでした。ところが、その戦後から長年信じられてきた雇用システムが崩れつつあるのです。私の場合、サラリーマン生活4年を経て家業を継いだものですから、最初から「60歳定年」という概念はありません。60歳は単なる通過点です。なので、49歳の時に「このまま織屋を続けたら、60歳になってもシンドイばかりだ・・・」と悟り、60歳を超えても働くためには「今、働き方を変えなくては・・・」と祖父の代から57年続けてきた泉州の地場産業であった綿織物製造業の廃業に踏み切り、製造業とは180度違うエンドユーザー相手のサービス業であるトランクルーム賃貸業に思い切って転業したのです。起業当初の1,2年は集客に1人で悪戦苦闘しましたが、結果・・・正解でした(汗)。という事で、これまで信じていたものが「変わっていく・・・」のを認め、他人やマスコミに左右されない「自分独自の視点」でモノを考える事が何より重要だと考えます。独自の視点・・・とは?やはり自分の経験に裏打ちされた考え方であろうかと思います。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.04.28
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私も尊敬するシンガーソングライターの小椋佳さんが活動を引退して、14億円かけてリハーサルスタジオを建設中だというニュースを見ました・・・(驚)。スタジオに14億円・・・?この数字にビックリしました。同業者として考えても、恐ろしい金額です。相当立派なスタジオを作られるのでしょう。舞台芸術を創る人の基地にしたいそうです。流石、かつて一世を風靡したシンガーです。「さらば青春」と言えば、私達が正に青春時代の大ヒットした曲で誰もが知ってる有名な曲です。素晴らしい・・・言葉も出ません。大阪の片田舎で細々とスタジオを経営している私からすると、ホンと羨ましい限りです。東大から一流銀行に就職して長らくサラリーマンとシンガーの2刀流でしたが、出世の道も開かれていたようですが49歳で銀行を去り、音楽に完全に転向しました。49歳というのは、私が織物業からトランクルームに全面転換したのと奇しくも同じ年齢です。恐らく私と同じように「50代に突入したら、このままズルズルとサラリーマン生活(織物業)を続けてしまう・・・」という危惧を抱いたのかも知れません。人生をもう一度見つめ直す「折り返し地点」という意味で、49歳の時に人はイロイロ考えるんですねェ・・・まぁどういう内容のリハーサルスタジオを作るのかは知りませんが、やろうとしているのは私の音楽スタジオと同じで「ミュージシャン(アーティスト、芸術家)の練習場」です。それにしても14億もの莫大な資金を掛ける・・・とは(驚)。弊社「スタジオ0724」を作るのにもちろん14億も掛かっているはずもありませんが、半分ボランティアとして音楽活動を応援するという意味で、同じ気持ちだと思います。それほど音楽というのは裏方で支えるのに十分な価値があるのです。100%純粋に儲けなければならないというビジネスとして考えれば、全くソロバン勘定に合うはずもありません。ココです・・・微妙なところが。趣味やボランティアとしてスタジオをやりたいが、果たして採算的にどうなのか?・・・と。資産が莫大にあり赤字覚悟なら問題ありませんが、一般的なスタジオ経営を考えると大問題です・・・(汗)。という事で、イニシャルコストが14億掛かったとして、ランニングコストが心配です。リハーサルスタジオは建てて終わりではなく、経営していかなくてはなりませんから。78歳の小椋佳さんがこれまで全てヤリ切って、人生最後の夢としてリハーサルスタジオ建設・・・というのは、私が20年間355日24時間エンドレス稼働で織物業をヤリ切って49歳でトランクルームに全面転換(転業)し、転業後もイロイロな努力をヤリ切り、60代突入の一歩手前の59歳で人生最後の夢としてリハーサルスタジオを起業した・・・のと発想が近いように思います。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.02.10
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私の性格は飽き性です。これまで65年間、1つの事に集中できませんでした。常にイロンナ事を想定しながら、飽きたら次に別の事をやる・・・というパターンで集中力の低下を抑えるようにしてきました。これが私の性格で、欠点と思えばそうかも知れませんが、治りませんし、治そうなんてサラサラ思いません。そうやって自分の性格と共に、65年間生きてきました。その結果、中途半端にイロイロとやってきました。プライベートの趣味などで言えば、ウインドサーフィン、空手、英語、旅行、音楽鑑賞、ドラム、ストレッチ、だんじり鳴り物(大太鼓)・・・いずれも30年以上の腐れ縁で、だんじり鳴り物に至っては60年です。もちろんずっと続けているのは音楽鑑賞(55年)、ウインドサーフィンだけで(42年)、あとの趣味は途切れ途切れです。ドラムや空手なんて20代前半で一生懸命やっていたものの数年で飽きてしまい、次に本格的に再開したのが30年後です・・・(笑)。再開できたポイントは、それなりにチョコっとやっていたからです。ドラムで言えば途中でドラムレッスンに半年間通い、空手で言えばコナミやジョイフィットで「ボディコンバット」という格闘技スタジオプログラムをやって体を慣らしていたと言えるでしょう。特にコナミスポーツでのボディコンバットは数年以上凝って、本拠地の東岸和田店だけでは飽き足らず、和泉中央店、北助松店、和泉府中店、堺店、心斎橋店まで遠征していました・・・(笑)。ジョイフィットに変わってからもボディコンバット中心に運動に励み、この努力が中年の長弛みに活を与えたのは間違いありませんし、日本の松濤館流空手をベースにしたニュージーランド発信のこのボディコンバットは、空手を再開するのに丁度ヨカッタのです。人との出会いも衝撃的ですが、それに匹敵するくらい最初の練習は楽しくて熱中し過ぎて頭から湯気が出るくらいボディコンバットとの出会いは衝撃的でした。まぁ突きや蹴りといった慣れた動きで、楽しんだからこそ続けられたのでしょう。全くの空白で30年ぶりに再開しても難しいでしょう。やはり勘を取り戻すには、自分の脳と身体の奥底に眠っている経験を呼び起こす訳ですから、いきなり起こすとビックリしますから・・・(汗)。そう意味で、断続的にチョッとするのは理にかなっていると思います。まだ精神的にも肉体的にも若い頃に何でもやっとくのが1番で、その後思い出したようにチョコッとして思い出す・・・というこのパターンで生きてきて老後が充実します。いきなり40代から新しい事にチャレンジというのはキャッチフレーズ的にカッコいいし美しいですが、現実的には技術を伴うコトはなかなか難しい面があると思います。最近弊社「スタジオ0724」のお客さんで、ドラムを30年ぶりに再開されたアラカンの会員さんが魚が水を得たようにイキイキと練習に励んでいるのを見て、やはり「コレだ!」と思いました。という事で、生まれてから65年経った結果、サラリーマン4年と家業の織物業を20年・・・現在仕事はトランクルーム賃貸業16年、不動産仲介業14年、音楽スタジオ6年、テレワーク室5年、卓球場5年・・・と相変わらずイロイロやっている自分に「変わらへんなぁ・・・」と呆れています・・・(笑)。そして、この先100歳まで35年間は何をやろうかな?・・・と今模索中ですが、ウインドは最近流行りのフォイルウイングが面白そうでハワイロングステイのワイキキビーチに持って行けそうだし、空手はボランティアで伝統空手の型と基本をやり直して健康維持に努め、海外旅行もまだまだ行っていない所も多いので英語の勉強のキッカケになるでしょうし、ドラムはロックバンド加入を目指しジャズドラムにも興味があり、22畳のAスタジオに2尺5寸の大太鼓と小太鼓を常設してダンジリ鳴物の練習を可能にしたり、卓球場でたまにやっているフラメンコも発展させてタブラオを作ってフラメンコショーのライブを・・・なんか遊び中心になりそうです(笑)。まだ35年もありますから、そのうちいくつかは実現できるかも知れません。今朝の妄想はこれくらいにしときます・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.01.30
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自分で言うのも恥ずかしいですが、読書が約60年と音楽に次いで2番目に長く続いている趣味です。もう3分の1くらいリタイヤしたようなものですが、殆どリタイヤするであろう15年後の80歳頃はハワイや沖縄や北海道でロングステイするなら、ノンビリと好きな音楽を聴きながら読書三昧というのが目標です。その将来の目標を達成する為に仕事の傍ら、自分の脳ミソを活性化しなければ・・・と、正月三が日明けにツタヤに本を買い込みに行きました。もう本は半分以上はアマゾンで買いますが、やはり手に取ってみたい見ものです。正月も仕事でしたので何やかやとバタバタしていましたので、ゆっくり本を読んでいる暇もなかったので、これからジックリ読もう・・・と。今回の年末年始も飲み会ゼロという異常事態でしたが、正月に娘3ファミリーが来てくれた時だけビール三昧でした。従来の仕事や日常生活をズルズルと同じ事の繰り返しでは何の進歩もありませんので、将来に目的や願望があれば意識して少しずつ変えていく必要があるのです・・・(汗)。その為の手段として仕事に直接関係のない「広範囲に渡る読書」があり、経営責任がすべて自分に掛かるオーナー経営者ならごく当たり前の事だったのです。という事で、7冊買いましたが、どうしてもノンフクションやビジネス関連になってしまい、リタイヤした頃はビジネスに全く関係のない小説を読み漁りたいものです・・・我々日本人は普段殆ど意識しませんが、漢字とカタカナとひらがなという組み合わせの優れた言語である日本語で、色んな勉強(研究)ができるというのは素晴らしい事だと数年前に行ったカリブ海クルーズで知り合ったヨルダン人に指摘されハッとしました。「日本語で世界各国の文献を読めるし(英語はもちろんNO1)、他国と離れて安全で先進国の島国の日本が羨ましいよ・・・」と、隣国がシリアで非常に危険なポジションのヨルダン人ならではの指摘です。我々日本人は島国というのと日本語によって非常に恵まれている(救われている)のだ・・・と。彼は母国のヨルダンに妻子を置いてドバイで歯科医をやっているそうですが、母国語のアラビア語ではなく世界に通用する歯科医になる為に苦労して英語で歯科医師になる為の勉強をしたようです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.01.06
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読売新聞の「越える / 超える / 変わり続ける」という俳優のディーン・フジオカさんの題の記事が目に飛び込んできました。スラッシャー・・・?スラッシャーとは仕事としていることが複数ある人のことで、副業と似ているため混同されますが、副業は本業のほかにアルバイトや日雇いの仕事を行うことで、そのため収入を得るつまり「本業以外でお金を得る」ことが主となっていますが、スラッシャーは本業のほかでさまざまなスキルを身に付けて、自身のキャリア形成に繋げるという意味だそうです。「日本は分業がしっかりしている。自分のように仕事をする(この国で歌い、あの国で演じ・・・)スラッシャー(複数の肩書を持つ人)みたいな人は少なくて」と記事に書かれています。ナルホド・・・確かに。役所や大企業で色んな部署をコロコロ経験するだけでは肩書にならず、単にその会社にしか通用しないゼネラリストを養成しているだけで転職しても通用するかどうかは不明ですが、スラッシャーは新たな職場に転職してスキルを磨いて「次のスペシャリスト」になるというイメージですので、どこの業界に転職しても通用する「本当の実力」がつくのです。私のビジネスに関する考え方は、どうしても1番長かった繊維業界の経験(20年)からの発想になってしまいますが、正に日本の繊維業界は川上(糸)から川下(アパレル)までの分業体制がキッチリしていましたが、それが仇となって1社で川上から川下までコントロールするユニクロのようなSPA(製造小売り)に業界がバブル崩壊後に一挙に再編させられました。糸から織物にしか出来ない弊社のような「織布(川中)」専門業者は、見事に業界再編から弾かれてしまったのです・・・(涙)。イタリアの織物(織布)業者のように自社でデザインまでするアパレルブランドを持つのは不可能ですが、せめて糸の開発から染色加工まで自社企画で出来ていれば・・・正に「糸メーカー」「織布メーカー」「染色メーカー」の3つの顔を持つスラッシャーなら、生き残れたかも・・・?しかし客観的に考えれば、織布という工程に日本の人件費と電気代という高コストを考え、多品種小ロット生産のひっくり返りそうな日々の工場現場の超多忙さで、糸や加工のプランを考える余裕なんて全くありませんでしたので、月産20万mを営業から現場と経理を自分一人でこなしても、コレが自分の限界か・・・と廃業を決断したのです。普通に考えれば、いくら織布業者と言えどエンドユーザー(一般消費者)向けの自社のオリジナル織物企画が出来なければ、商社の下請けに甘んじるしかなく、これではいくら年355日24時間エンドレス操業で工場を稼働させても儲かる事はなく、自分の能力の限界を感じたのです・・・(涙)。その40数年頼りにしていた総合商社もバブル崩壊後大胆なリストラをして、原綿や糸を輸入して国内の織屋に下請けを出しているだけでは利益が出ませんので、ヨーロッパからのブランド輸入といった川下戦略と投資による3国間貿易にシフトして生き残りを賭けたのです。取引先が変わっているのに、自分とこだけ変わらないというのはあり得ません。そして考えてみれば、糸にしても綿糸なら原料の原綿はほぼ100%輸入(アメリカから40%)でポリエステル糸にしても原料はテレフタル酸とエチレングリコールという2つの化学物質で元をたどると両方とも石油や天然ガスから作られていますので、原料輸入を止められたら織物が日本で作れない・・・という日本の繊維流通の根本的な脆さを知ると、いつまでも繊維業界にへばり付いている理由も無かったのです。繊維業界の経験を通じて、零細企業の経営者でもビジネスの1から10までの業界全体の流れを掴み、「自分のポジションが一体どうなのか?」というのを常に自問自答しなければ・・と(汗)。15年前に織物業を廃業してトランクルームに転業してから、宅建士を取って不動産仲介業を始め、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク室・・・と全く異業種の5つのビジネスを立ち上げてきた軌跡は、ひょっとしたらスラッシャーと言えるかも知れません。スラッシャーというのは後付けで、当時はそんな事も考えずに「生き残るには、一体どうしたらイイのか?」しか頭にありませんでした・・・(汗)。特に不動産屋は後発でしたので、「宅建士資格だけではダメだ。ファイナンシャルプランナーや不動産コンサルティングマスター資格も取り、とにかく早く知識だけでも幅広く脳ミソに詰め込まないと・・・」という焦りがありました(汗)。トランクルームオープン当初は集客に苦労しトランクルームだけでは食べていけず、他社で12時間働きながら毎夜9時に寝て朝2時に起床して3時間宅建士の受験勉強をしていたのです・・・(汗)。まぁしかし、経験不足を知識で短期間で補おうと思いましたが、やはり実務経験と並行に勉強していかないと本当の知識は身に付きません。やはりいくら焦って新規参入で直ぐに儲けようと思っても、そうは問屋は卸さないのです。時間が掛かるのです。そんな苦い経験があったので、「自社所有の不動産(土地、織物工場)をもっと活かさなくては!」・・・とトランクルーム2棟の建物を更に改造して、音楽スタジオや卓球場やテレワーク室の起業へと向かわせたのです。趣味の分野に目を向けると、ウインドサーフィンは夏だけマーブルビーチでしているだけですが、将来的には80歳になっても出来るように冬は沖縄やサイパンやハワイで・・・と。ウインド仲間が最近フォイルウイングにハマっていますが、これもコンパクトなので将来的にはインフレータブルボードならワイキキビーチでも出来るようになるかも・・・?空手は昨年の脊柱管狭窄症の手術から腰の調子も良くなりコロナも収束しつつありますので、来年1月からボチボチと「ボランティア空手」(週1回Aスタジオで)を2年ぶりに再開しよう・・・かと考えています。ドラムはこれまでロック1本でしたが、これからはレギュラーグリップも練習してジャズやファンク系も叩ければ・・と。まぁ100歳まであと35年もありますので、これら公私含めたプランの70%くらい達成できれば、最後に死に際に「ヨッシャー!」と叫ぶでしょう・・・(笑)。という事で、当たり前ですが、今の自分というのはこれまで歩んできた結果で、未来の自分はこれからの歩み次第ですので、これからもスラッシャーというのを念頭に、既存の5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場、不動産仲介業)を深掘りしながら周辺事業にもギラギラと目を光らせて、新たに幅を広げるニッチな新規事業を探り当てたいと・・・思います。1つの肩書ではなく、いくつかの「スラッシュ」の間に公私に関係なく肩書をいれると思うのですが、スラッシャーと言えばどうしても60年前の子供の頃によく見た連続テレビ映画「七色仮面」をイメージしてしまうのですが・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.12.05
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早くも子供の頃にだんじり祭りの鳴り物(大太鼓、小太鼓)で、80~90%の力でバチを握れば水平打面の大太鼓は上腕三頭筋と大胸筋に、垂直打面の小太鼓は上腕二頭筋と三角筋が緊張せずにいつまでも叩ける(脱力)というテクニックを体得した訳ですが、これをその後大学空手部の基本稽古でも活かせました。突きや蹴り稽古で100%に力で連続で50回もすると目が回って疲れ果てますが、20%力を抜いて(脱力)で80%の力で突きや蹴りをすれば100回でも出来るのです。200回なら最初から65%くらいの力でヤル・・・とか要領が分かってくるのです。平たく言えば太鼓も空手も脱力で構えて、打面や相手に当たるときにギュッと力を込めるのです。要するに抑揚、強弱をつける事によって、スピードが出て当たるときに最大のパワーを発揮できるのです。このコツを掴むのに、できるだけ場数をこなすしかありません。ウインドサーフィンも頻繁にやっていた20代の頃は、長時間乗れるようにハーネスの位置なんかは1cmも狂わず同じところに取り付けていて何時間も乗れていました。ここ20年は乗る回数も減り、強風ばかり乗りますので毎回チューニングに悩みベストポジションを探すのに時間が掛かり、無駄な力が入り過ぎ直ぐにバテテしまうという悪循環に陥っていますが。要はコツを掴む・・・という事です。そう考えると、サラリーマン後の織物時代の20年間は355日24時間エンドレス稼働の工場を回していましたので、これもある意味私の「脱力テクニック」が功を奏していましたし、今も毎日休みなしに仕事をしているのも「脱力テクニック」と言えるかも。今思えば織物時代は「如何に仕事をするか?」ではなく、「如何に休むか(手を抜くか=脱力)?」と言うのが念頭にあったのです。完全に休むのは盆と正月の10日間だけで、「残り355日は24時間エンドレスで工場を回さなければならない」というのが大前提でした。大前提と言うか、ある意味「諦観」的な覚悟だったかも知れません。波(乱高下)を無くし、ずっと70%くらいの力で仕事をしなければ、355日仕事ができません。決して全力を出さず、決して50%以下に休めないのです。今考えると、自律神経を無意識で上手にコントロール出来ていたのでしょうか。この脱力で20年間続けられたのです。大した大病もせず、殆ど休まずに20年間も仕事を続けられたのです。モチベーションを保てるかどうか?・・・といったような低次元の問題は、目に見えないプレッシャーによって何処かに飛んでいましたので、悩む事すらありませんでした。深夜の機織りの従業員が急に休み、私が急遽ピンチヒッターで寝ないで朝まで機織りをしなければならない時に、他の従業員から「社長はしんどかったら、工場を一晩くらい止めないんですか?」という何気ない質問に、ハッと我に返りました。工場を止める・・・なんていう発想はないというか、忘れていましたから。という事で、織物時代の最後の20年間は3,40代でしたので心身ともに耐えれたのでしょうけど、無事に廃業できてホッとしています。途中で病気にでもなっていれば、私がいなければ会社は回りませんでしたから全てがオワリでしたから・・・(汗)。これだけは丈夫に生んでくれた母親に感謝しなければなりません。大企業のサラリーマン社長でも優秀な代わりの社員がいくらでもいますが、零細企業経営者なんて替わりがいません。今、社会問題になっている中小企業の後継者問題というのが正にコレです。日本の総理大臣や知事や市長が突然代わっても当面は何の問題もありませんが、零細企業経営者が代わると直ぐに問題が噴出してきて経営が傾くところも多いです。この「代わりが効かない」というのが、良いように解釈すれば「期待されている」という事ですが、これが本質的にヤル気の根源になっているのでしょうけど、このプレッシャーに体力的にも精神的にも耐えれるか否かが問題だったのです。まぁしかし、織物時代は技術的にも資金繰りの面(借金)で子供に継がすのは無理でしたが、幸いトランクルームに転業してから待望の無借金経営に転換でき、私が元気なうちに経営ノウハウを伝授して後継者問題にケリをつけました・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.11.06
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今年65歳で多くの同級生が仕事を完全に引退しますが、問題は老後の生活の充実です。仕事が完全に無くなると、平均寿命で計算すると膨大な時間が残されます。さて、どうするか・・・?女性は年齢に関係なくプライベートを上手に充実させている人が多いですが、これまで趣味もなく仕事一筋だった男性にとってコレが大問題です。私はコロナ前まで海外旅行に年2,3回行ったり、ボランティアで空手を教えたりしていますが、英検1級でも空手の高段者でも何でもありません。関西外大卒ですが英語のTOEICはせいぜい400点レベル、空手も二段ですが全空連の初段レベルで恥ずかしい限りです。それでも海外で外国人と堂々と喋り、堂々とボランティアで空手を教えています・・・(笑)。これで残された老後を少しでも充実させようと・・・(汗)。しかし内容は通訳や空手師範のようなプロから見れば、まるで素人です。文字通りプロではありませんし、趣味でやっていますので素人レベルで十分なのです。商社マンのようにヤードとメートルの単位や取引金額の桁数を間違うと命取りになったり、道場を構えて道場破りに備えてピリピリする必要は全くありません。平たく言えば、フランクに外人と英語を喋り、一緒に空手を楽しんでいるのです。テキトーと言えば、テキトーなんですが・・・(笑)。テキトーと言っても最低限中学英語をマスターし、空手初段程度の基本(突き、蹴り、受け)や型(平安、ピンアン)が出来ないと話にならないのです。若い頃からこれでメシを食おうと本格的にやっていたら、他の事(ドラム、ウインドサーフィン、家業の手伝い、デート&遊び)が出来なかったでしょうし身体を壊していたかも知れません。中高生からスポーツや楽器演奏にプロになろうと人生を賭けて取り組んで挫折して、身体を壊したり精神的に追い込まれたりして、方向転換が上手く出来なかった人なんて世の中にゴマンといます。スポーツや芸術のプロで一生メシを食っていけるのは、ホンの一握りです・・・と言うか、殆どいません。この「一生」というのが大事で、10年程度稼いだだけでは家族を養っていけません。そういう意味で、今思えば英語や空手だけでなく、ドラムやウインドサーフィンをテキトーやってきてヨカッタのです・・・(笑)。空手とウインドの補強運動で専門的にボディビルジムに通ったり、英会話教師がよく出入りするミナミのショットバーやパブに実践英語と度胸を試しに行き、ミナミのディスコによく通ったり、その後スポーツクラブでヒップホップを習ったりもしました・・・趣味程度の英会話なんて半分「度胸」ですから、学校や英会話スクールで度胸のつけ方なんて習いませんから、バーやパブといった実践の場に自ら身を投じる事によって、英語でコミュニケーションを取らざるを得ない状況に追い込むのです・・・(笑)。もちろん単なる世間話なので固く考える必要はなく、イヤなら(ダメなら)その場をそっと離れればイイだけの話です。まぁ若い頃のそういった広範囲な経験が、後年になって吉となったかもしれません。まぁしかし空手もドラムも中途半端に終わったから、シニアになって「もう1回趣味でやろか・・・」となったのです。シッカリした本業があれば、人生それでイイのです・・・所詮、趣味です。中学英語をマスターし、大学時代に空手部で毎日基本を徹底的に稽古したお陰で、40年経った今でも全く勉強も練習しないでも「それなりに」出来るのです。要は若い頃に基礎を身につけておけば、何十年経っても忘れる事はなく何とかヤッテいけるのです。4,50代から空手やドラムやウインドを始めるのは、運動能力や運動神経を考えると至難の業です。運動系の空手とウインドサーフィン、頭脳系の英語と読書、その中間系のドラムと旅行・・・と老後の下りカーブを考えればバランスが大事です。そして、老体をいたわるために膝や腰に負担の掛かるランニングやウオーキングは避けて、車に極力乗らずに片道15分程度までならクロスバイクに乗るようにして、それらの基礎として毎朝の15分ストレッチが大事で、コレなくして趣味どころか普段の日常生活はあり得ません・・・(汗)。ココです・・・ポイントは。と言うか、頭を柔らかくして「仕事=シンドイ」という固定観念を捨て、音楽スタジオみたいに「仕事?遊び?」みたいなファジーに物事を捉える事も大事かと。ドラムは20歳頃に防音の利いた自宅の蔵で1年半だけ練習した程度でギブアップしてしまいましたが、同じドラムでも和太鼓の鳴り物の大太鼓や小太鼓を小学生低学年からヤッテいたので「セッションのノリ」はワカっていたので、40年ぶりにドラムを再開しても割とスムーズに出来たのでしょう・・・という事で、人によって知能や体力が違いますので親や他人に左右されず、自分に合った「力配分」をベストに持って行くのが人生を生きていく上でのコツなのかなぁ・・・と思います。しかし、ドラムもそれなりに個人練習をしているのですが、それを実践に移すべく早くロックバンド(70年代の洋楽コピー)に加入して、人生最後の夢を叶えたいなぁ・・・と。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.09.18
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先日の「70歳でセミリタイヤ、90歳で完全リタイヤ」という私のブログ記事のアクセス数が、通常の2倍近く伸びました。みなさん老後に関心がある証拠です。有名人は別ですが一般人がいくらブログやSNSで何をどこで食べたとか既に表に出ているマスコミの記事にアレコレ論評や発信しても殆ど誰も興味も関心も示しませんが、こと他人の老後計画となると関心が寄せられます。マスコミの記事でも「老後にいくら必要か?」というテーマがワンサカあります。しかし、そこに大きな疑問があります。マスコミは「老後は働かない」という前提に立って書かれている事です。一律に60歳か65歳でリタイヤするまでに、いくら〇〇〇万円貯めるか・・・?それだけ貯めて、銀行に預けるか株式に投資してくださいと煽っているのでしょうか・・・?普通に考えれば、50歳でリタイヤしようが80歳でリタイヤしようが人の勝手で、人の人生なんて千差万別です。何で一律に人生のゴールが60歳で、定年退職しなければならないのでしょうか・・・?マスコミのスポンサーに銀行や証券会社が要るのは確かで、どう考えても彼らがマスコミを通じて日本国民を煽っているとしか思えません。私の「70歳でセミリタイヤ、90歳で完全リタイヤ」というのは、そんなマスコミのいう事や年金の事を無視した、「人生をエンジョイする為の」ライフスタイルです。平たく言えば、老後資金を貯めるのを目標とせず、老後に働き続ける事を手段として人生を楽しむのが目的です。何のために自分は生れて来たか?・・・を真摯に考えると、「オレの人生は楽しかった!」と死ぬ間際に思える事に尽きます。その人生をエンジョイする為に、お金を定期的に稼ぎ続けて遊ぶ。老後も働くというのは年金にプラスしたある意味「保険」で、これ以上心強いモノはありません。老後も会社に頼って働くというのは、若者や働き盛りの3,40代の迷惑になりますので、出来れば独立ビジネスが理想です。まァしかしコレが私のライフスタイルで、「働かざるもの、食うべからず」という諺をアレンジして、「65歳以降働かざるもの、思う存分遊べないかも」と言えるかも知れません・・・(笑)。ボンと○○〇万円貯めて、そこから何も働かず遊ばずチビチビ減らしていくのも人生ですが、私はそうしたくないだけです。こんな人生観に大きく影響を及ぼしたのが海外旅行でした。人間の考え方というのは、同じ地域に生まれてからずっと住み、ずっと同じ仕事(内容)で、同じ友達だけしか付き合わなければ変りようがありませんが、イロイロ経験を積む事によって変わるモノです。スペインのバルセロナのSOLに地下鉄に乗って駅に着くと、平日夕方というのにアチラコチラで地元民と観光客が入り混じってお祭りドンチャン騒ぎでした。毎日こんな感じらしく・・・ホント衝撃を受けました。ハワイでもアメリカやカナダのロングステイヤーの友達が出来ましたが、彼らはほぼ全員再婚同士のルーツもキャリアもバラバラの文字通りダイバーシティ的なメンバーですが、何か月もハワイでノンビリして人生を心の底から楽しんでいます。同じ人間なのに、何ですか?・・・この人生観の違いは。一般サラリーマンがマスコミに洗脳されると、55歳で役職定年、60歳で定年、65歳で継続雇用終了・・・となり人生のゴールが60歳になってしまいます。小中高の「全員、右に習え!」的な戦後の画一教育がもたらした高度成長期の企業戦士(兵隊さん)を養成するのはピッタリのシステムでしたが、これからの個人の実力が問われグローバル化が加速するる時代はそうは問屋が卸さないでしょう・・・日本人の平均寿命が男性81歳女性が87歳というのを考えると、普通に考えればソレもオカシナ話です。私のように人生ゴールを、平均寿命のド~ンと後ろの100歳に持ってこなくては・・・(笑)。甲子園球児だった元巨人の江川投手は、高校時代にあの剛速球を投げれたのはキャッチャーのミットに向けて投げたのではなく、後ろのバックネットめがけて投げたのは有名な話です。目標設定を想定より後ろに持って行く事によって、思わぬ力が発揮できるかもしれません。という事で、「事実は1つ、考え方は2つ」で、老いぼれかけた65歳のジイサンが「100歳まで生きるドォ!」とファイティングポーズをとっている現実を他人はどう考えるでしょうか・・・?99%は止めとき・・・と言うでしょうねェ(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.09.07
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現在65歳ですが、5年後の70歳で仕事をセミリタイヤしたいと思います。 セミリタイヤとは50%引退を意味します。 まぁ午前中だけ仕事をして、午後からフリー・・・てなイメージでしょうか? という事は、これから5年間は100%現役で働きます。 昨年から後継者の娘が会社に入っていますので、5年後の70歳で100%経営を任せるような段取りをしています。 と言うか、借金も仕入れもなく翌月の仕事の心配もない安定感のあるシンプル経営なので、これまで1年間の仕事の手伝いで、もういつでも私がいなくなっても娘が経営を引き継げるでしょう。 これが会社の売上がトランクルームの何倍もあっても借金や仕入れがあり、常に翌月の仕事を心配しながら営業も必須で、銀行や業界や同業者の付き合いもしなければないし、更に従業員が10人もいた織物業だったなら、とても継いでくれなんて子供に言えませんし、言われた子供もイヤでしょう・・・ まぁしかしホンネを言えば、とにかく早く引退したい・・・の一言です。 特にこれまでエアージェット織機を導入した1987年から、34年間殆ど休みもなく働いてきましたから。 いくら丈夫に生んでくれたと言っても、自分では無理していないつもりですが、子供の頃から織物業でのキツイ肉体労働がたたり昨年1月に脊柱管狭窄症の手術をしたように、結構身体に疲労が蓄積していると思うのです。 周りを見ると、やはり肉体的にも精神的にも酷使してきた人は短命か平均寿命で亡くなっていますし、肉体的に楽な仕事で精神的にもストレスが溜まらない仕事の人は長寿です。 このまま何らかの計画を立てずにズルズルと仕事をしていると、平均的な80歳くらいまでしか生きられないという危機感を覚えました。 なので、「仕事だけではダメだ!」と5年前に趣味的な音楽スタジオを作って人生に潤いを与え、早々と昨年に後継者を決め、「人生の長期戦略」の手を打ったのです。 これで100歳まで生きれると。 もちろん生きていくにはお金が掛かりますし、100歳までにいくつか病気に罹っても最先端医療が受けれるように、子供に迷惑を掛けずに資金を準備しなければならないのが隠されたポイントです。 24年前私が父親から経営を引き継いだ時は持病の心臓病による突然死でしたので何の引継ぎもなく相当苦労しましたが、娘にだけは私が元気なうちに教えておこうと。 そうすれば、安心して70歳からの老後が送れますから。 70歳からは実権を娘に100%渡し、私は会長的な立場で会社を見守るだけです。 70歳のセミリタイヤが50%・・・80歳で20%・・・85歳で5%・・・90歳で0%で完全リタイヤというシナリオです。 身体の事を考え夏は北海道、冬はハワイや沖縄でロングステイして、極力身体に負担を与えないように気持ちよく過ごしていきたいと思います。 100歳まで生きるのが目標ですが、90歳からは仕事をしない代わりに、それまでに蓄えた趣味(ドラム、旅行、ボランティア空手、ウインドサーフィン、バンド活動、ミナミとキタのライブハウス巡り、だんじり祭り、読書)三昧の生活を送りたいと思います・・・(笑)。 そして棺桶に入る前に子や孫やひ孫に囲まれて「オレの人生は楽しかった!バンザーイ!」と叫びたいと思います。 まぁだいたいシナリオや計画は上手くいかないモノですが、シナリオそのものが何もなければ上手くいくはずはなく、シナリオだけは描かないと・・・(汗)。 65歳の今年度に完全リタイヤする多くの同級生より「もう<ひと仕事>するでェ!」と25年も長く働く計算になりますが、人生を早くから長期的スパンで考えれば可能なはずですし、私がソレを証明して見たいです・・・(汗)。 という事で、今朝の妄想はこれくらいにして、朝一からスタジオの掃除に行ってきます・・・(笑)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.09.02
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今年も海外旅行に行けない分、自宅をリゾート化してチョットでもリラックスする為に必死です・・・(笑)。できるだけ金を掛けずに、自分で工夫して楽しむ。コレです。業者に頼めばお金も掛かりますし、オリジナリティが無いので面白くも何ともないです。ココでも織物時代のカイゼンの考え方が役立っています。今年の夏はこれまであまり使わなかった南側の2階のベランダでリラックスしようと、先日から人工芝生を敷いたりサンシェードを立て掛けたりしています。更にそれから人工芝生をベランダ全面にほぼ敷き詰め、結構丈夫なボンボンベッドを買ってしまいました・・・(笑)。それでもベランダすべてのリゾート化を業者に頼む事を考えれば、10分の1以下の予算で済みます。そりゃそうでしょう・・・彼らはソレでメシを食っているのですから。しかし、自宅のリゾート化に素人にとってネットは強力な武器です。イマジネーションを具現化する為の情報が、今はネットにごまんとありますから。これまでの店頭だけだと自分の動ける範囲が知れていますし、本当に欲しいモノに当たる確率がネットに比べて100分の1くらいでしょうか。過去15年のトランクルーム2棟、実家のリフォーム、自宅のリフォーム、スタジオ3室、卓球場3室、テレワーク室9室の改造工事などでネット購入もしたお陰で、確実にウン千万円も安く購入できています。もちろん借金して買うのではなくキャッシュで買う必要がありますが、ホント素晴らしい時代になったと思います。しかし、ただ買うだけでは能がありませんので、「あるモノを使う(コストゼロ)」というビジネス脳を総動員して、40年以上前に買ったダンベルを再利用しました。夕方の早い時間からビールを呑んでリラックスしているのですが、心地よい南西から西の風速5,6メートルくらいのサーマルがベランダに吹き上げ、サンシェードが風になびいても2㎏のダンベルがちょうど錘になってくれます。1㎏だと浮いてしまうのです。別にわざわざ買った訳ではなく、40年以上前に空手やウインドサーフィンの補強運動で和泉大宮のプロレスラーが創設したボディビルジムに通っていた時に買ったもので、結び方は40年以上前にウインドで学んだボーラインノットです・・・(笑)。昔かったモノを再利用し、昔学んだテクニックをチョット使うだけで、リラックスさが格段とアップします。いつものワイキキ・ロングステイのアラワイ運河沿いの常宿のコンドミアムは、だいたいダイヤモンドヘッドが眺められる東側の部屋ですが、これがサンシェードもなく直射日光で暑く狭くベランダで1日30分もリラックス出来ないというのを考えると、この自宅ベランダは天国だったのです。まぁしかし、室内のインドアでくつろぐにもイイですが、やはりベランダのアウトドアの澄んだ空気を吸うのは誰が考えても身体にイイのは分かりますし、これが基で100歳まであと35年もココでリラックス出来ると考えると、人生ってホント長~いですねェ・・・(笑)。村のど真ん中にある実家は敷地が広いのですが、日本庭園だけが立派で車も入らない不便な田舎特有の古民家レイアウトだったのですが、塀を取り壊し父親が一番大事にしていた「門被りの松」も取っ払って(親戚に譲渡)、車3台が入るように1階を含めて大々的なリフォームしました。という事で、コロナで外出が制限された今、リフォームも含めた自宅の見直しというマーケットが盛り上がっています。考える事は、結局みんな同じなんですねェ~アメリカもコロナによって住宅ブームになった影響で、世界的にも木材価格が急騰しているようで、日本の住宅産業にも影響が出始めているのがチョッと心配ですが。コロナで木材価格が急騰・・・だなんて、誰が想像したでしょうか・・・?しかしコレが現実のビジネスで、人より先に見抜いた(高騰前に買った)人が勝ちなのです・・・(汗)。しかし人工芝生はちょうど大人の足の裏に心地よい芝丈20ミリの長さにしましたが、小さい孫にとってはチクチクするらしくエーンと可愛く泣いて、チョッピリ35ミリにすれば良かったかなぁと反省する次第です・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.06.24
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先日の読売新聞に「マルチな挑戦 心弾ませ」という記事が載っていました。副題に「多趣味 死亡リスク低く」とあります。一瞬、オレの事か・・・と(笑)。確かに、中途半端なものばかりですが、ウインドサーフィン、空手、音楽、ドラム、だんじり研究、海外旅行、読書、英会話と趣味の数だけが多いです・・・(笑)。どれも30年から50年以上途切れ途切れながら、細々と継続しています。完璧主義者でも何でもありませんので、これでイイですし十分満足しています。リハスタ経営を含めた音楽全般に関しては趣味と言うより、もう生活の一部と言った方がイイかもです。最近ハワイのカピオラニ公園で弾こうとウクレレが加わり、高校時代オーケストラ部でやっていたトランペットを50年ぶりに復活させようかと・・・(笑)。トランペットの音はデカいので、自宅での練習はなかなか出来ませんでしたが、自社のスタジオなら何の問題もありません。よくよく趣味全体を振り返ってみると、ひとりで出来るモノばかりなので長く続けて来れたのかと思います。2人以上でないと出来ない趣味や団体競技では、ここまで続けられません。そう、「ひとり遊び」がポイントだったのです。20代半ばで結婚し、それから3人の子供と妻を養うために30代40代は必死に働きましたが、その合間を縫ってチョコチョコと趣味を継続していたのです・・・(汗)。その背景には高校生が「勉強ばかりするのはダサい、部活との文武両道で立派な社会人にならねば・・・」というのと同じで、「仕事だけではダメだ・・・たとえ少しでも趣味をやっとかなければ・・・」という強い危機感があったように思います。仕事100%だけだと、仕事がダメになれば一巻の終わりですが、仕事90%で趣味が10%でもあれば、まだ「逃げ道」があると・・・本能的に気づいていたんでしょう。その忙しい30代40代という働き盛りでも10%の趣味を長年キープする事によって、60代になった今大きく花咲いています・・・(笑)。趣味がある事によって、仕事が比較的ヒマになった60代以降の余生が充実しています。ココです。人生の極意は。子供の頃から100%勉強や仕事で頑張って、一部上場企業の部長や役員になってもオーナーでない限り仕事を引退すればタダのオッサンになり、家庭を顧みない仕事人間だと奥さんから定年を機に離婚を切り出される可能性が高まり、趣味の無さが10年20年と長~い長~い「ヒマ地獄」を招きます。その証拠に、朝から夕方まで道をブラブラ1人散歩している沢山の高齢男性がイヤに目立ちます・・・(驚)。私の知人は道を歩くのはカッコ悪いからと言って、ベンツに乗って冷暖房が効いて年中快適でイロンナ刺激があるイオンモールの店内をウロウロしにいくそうです・・・(笑)。テレビCMで「大人って、長いよ~」てなフレーズがありますが、正にその通りです。仕事も15年前の49歳の時にハードな稼業の織物業から定年に無関係で80代になっても出来る仕事(トランクルーム、音楽スタジオ)にチェンジし、プライベートの趣味もボチボチ復活させテキトーに楽しみ、今は色んなプレッシャーから解放され心の底からリラックスして生きている感じで、60代の今人生で一番充実しているかもです。今振り返ると、50歳になる1年前の49歳の時に人生を大きくチェンジさせたのが大きかったと思います。「まだ40代のうちにチェンジしよう・・・50代になればチェンジできずに、そのままズルズルと生きてしまう」という危機感があったのです・・・(汗)。正に「49歳(まだ40代)」というのが、人生のターニングポイントだったのです。49歳(まだ40代)と50歳(もう50代)とでは、1歳しか違いませんが感覚的に雲泥の差があったのです・・・(汗)。という事で、人生を振り返ると「ひとり遊び(仕事)が上手だった」のですが、その原点は遡る事40数年前の大学受験に失敗した孤独な浪人時代からスタートしたのでした。高校生でも大学生でもない、何の保証もない宙ぶらりんな自分がソコにいたのです。そして仕事でも「ひとり経営」が人件費というコストを最小限に抑える事ができ、宅建士の資格さえ持っていれば私のように一人で不動産屋(仲介業)を開業する事も可能ですので(業者免許も必要)、難解な資格でもなく業界の経験を積み上手く活かせれば、これほどコストパフォーマンスの高い国家資格もないのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.06.19
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本日読売新聞に「方言は個性 表現のツール」という記事が掲載されていました。私の日常的に喋っている言葉は泉州弁といって、大阪南部の方言です。大阪府外の人には分かり辛いですが、大阪弁は大きく「大阪市内弁」「河内弁」「泉州弁」の3つに微妙に分かれています。その泉州弁も、泉大津から以北の泉北弁と岸和田以南の泉南弁に分かれています。その泉南弁も地元の50代以上の人しか分からない程、更に細分化しているのです・・・(笑)。地理的にも泉州エリアは和歌山県に隣接していますので、泉南弁は和歌山弁の影響も受けていますので、「どうえいだいのだいこは、でろです(造影剤の在庫は、ゼロです)」と年配者は普通に言います・・・(笑)。私の1番シックリする言葉は、泉南弁を細分化した最終的な町内の「名越弁」になるのですが・・・(笑)。子供の頃は、名越で生まれ育った祖父や父が古臭い名越弁を喋っているのをダサいなぁと思っていましたが、今それを使っている自分に苦笑いです・・・(笑)。まぁ大阪市内や北摂は歴史的に地方からの流入者が多かったので、普遍的な大阪弁を使わないと互いの意思の疎通が出来ませんから本来あった大阪弁や北摂弁が廃れ、泉州には大阪船場に本社があった伊藤忠や丸紅や紡績(東洋紡、ダイワボウ、ユニチカ、シキボウ)と組んで日本の戦後の復興を支えた繊維産業(織物、紡績、タオル、毛布)や近郊農業があったので、仕事の為にわざわざ都会に移住する必要も無くネイティブが多く残っているので泉州弁が廃れなかったのでしょう。日本NO2の都市である世界のOSAKAで、ディープな方言(泉南弁)が未だに残っているというのは、学術的にも研究の余地があるのでは・・・(笑)。歴史的に狩猟民族であるヨーロッパ人は獲物を見つける為に常に住居を移動していましたので民族間の意思疎通のために各国の言語は似通ったモノになっていますが、ヨーロッパに比べて小さな島国である日本は農耕民族で米や野菜や魚を主食としていたため住居を移動する必要はなく長い年月を掛けて各地方に独特の方言や文化(食、芸能、風習、祭り)が発達したのでしょうけど。サラリーマン時代や織物時代の商社とのやり取りは、もちろん大阪商人の共通語の大阪市内弁で、今の5つのビジネスでは約90%の顧客が大阪府在住の方なのでケースバイケースで「大阪市内弁」と「泉南弁」を微妙に使い分けています。ここでもバイリンガルな能力を発揮しています・・・(笑)。「名越弁」が出るのはプライベートだけですねェ・・・これまでの人生で大阪以外に住んだことが無く、地方から東京に移り住み方言で悩んでいる人が多い中、自ら育った大阪弁(泉州弁)でずっと通してこれた事に感謝、感謝です。それだけでストレスフリーです。という事で、思い起こせば織物時代の取引先の総合商社の伊藤忠の大阪本社オフィスで、「そうかォ・・・おたら、もうチット負けちょうェ・・・」という懐かしい泉南弁の大きな声がフロアに響き渡っているではありませんか・・・(驚)。本部長や部長や課長など幹部を目の前に集めて、同業者の某社長が大きな商談で熱弁を振るっていたのです。遡れば明治時代から泉州と糸や織物の繊維ビジネスで深く関わってきた世界を飛び回る伊藤忠の繊維の原料部隊のエリートにとって、大阪弁とは実は泉南弁の事だったのです・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.06.15
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旅行に行けない分、自宅で過ごすことが多くなった訳ですが、仕事が終わって夕方から自宅でのビール1杯が何よりの楽しみになってしまいました。 その1杯のビールの味を少しでも美味しくするために、1階北側のウッドデッキで音楽を聴いたりウクレレを弾きながらビールを飲んだりと自宅環境に力を入れてきました。 平たく言えば、チョットした自宅のリゾート化です。 しかし北側故に、暗くなるのが南側より早くなり楽しみの時間が少なくなのです。 そこでチョッと考えました。 南側にもベランダがあるではないか・・・と。 2階に。 ここは子供3人が成長期の時に洗濯干し場になっていましたが、3人とも嫁ぎ今は夫婦2人しか住んでいませんので、南側ベランダは使っていなかったのです。 このベランダの良いところは眺望です。 自宅自体が高台に建っていますので、眼下には住宅街がありその先には森林地帯が広がり、遠方には葛城山系が見える絶景です。 正に、灯台下暗し。 ある意味、昔から日本庭園に見られる借景みたいなものです・・・(笑)。 この絶景を見ながらビールを飲まない手はないとピンときました。 そして早速、リゾート化プランを考えました。 もちろん金を掛けずに・・・ 先ずは、家にあるケルヒャーで汚れていたコンクリート床を洗浄しました。 次に片側にある住宅街からの目隠しで、「洋風たてす」を立て掛けました。 そして、リアルな「人工芝生」をコンクリート床に敷きました。 これで夏はベランダで音楽を聴きながらチェアに座り、裸足のパンツ一丁でリラックスしてビールが飲めます・・・(笑)。 非日常的な海外のリゾートホテルならたった数日で何十万円も掛かりますが、自宅をちょっとアレンジするだけで日常的なリゾート気分が味わえます。 投資金額はたったの2万円です。 2万円でこの気分を日常的に味わえるとはコストパフォーマンス最高です。 という事で、約30年前にこの場所に自宅を建てる時にまず考えたのが、下から吹きあがってくる南風対策です。 我々が子供の頃は、ここが凧揚げの絶好のポイントだったからです。 夏場は南風が吹き涼しいですが、台風シーズンになると他の場所よりも風が強いのです。 メリットあれば、その裏返しでデメリットがあるのです。 風が強い場所なので木造建築はNGでしたので、木造より建築コスト増になっても重量鉄骨造で自宅を建てる必要がありました。 しかし残念ながらそれでも2年前の台風で、建物が揺れ屋根の3畳分が吹き飛ばされ300キロの物置が倒壊し大変な被害を被りました。 まぁしかし、重量鉄骨造だからこそ広いベランダを作れたのですが、建築当初は家族が多かったので洗濯干し場として大活躍しました。 近年は孫のプールを置いたりもしましたが、ここ2,3年はベランダは放ったらかしでした。 そして、今回ベランダの再生計画として「リゾート化」がパッと閃いたのです。 いずにしても15年前に長年家業として続いていた織物業をパッとトランクルームに180度転換できたのも、30年前に「長男が親と同居するという田舎の常識」に囚われず、パッと別居して今の自宅を新築した行動にあったと思います。 親と同居なら生活費を抑えることが出来ましたが、敢えて別居して自宅新築に掛かる金銭的な大きなプレッシャーや田舎特有の白眼視と戦う覚悟を決め、ダラダラと織物業を続ける事も可能でしたが、全く未知のトランクルームという新しいビジネスには何か期待と希望がありそうに思えましたので、長い目で見れば別居も転業もそれ以上にメリットあると判断しての行動だったのです・・・(汗)。 まぁ、学生時代から朝5時からの家業の手伝いと学業と空手部と趣味(ウインドサーフィン、ドラム、ライブハウス&ディスコ通い)の両立をしていましたので、生活環境や仕事を思い切ってエイ‼️とチェンジする「勇気」を養っていたと言えるかも知れません。 別に奇をてらった行動でも何でもなく、人生の岐路に立たされた時に曾祖父からの「名を捨て実を取る」という家訓に従っただけです。 曽祖父は2軒隣りの水間の三重塔を建立した宮大工の次男に生まれ養子縁組で分家し(川岸から笹谷に)、父親も祖父も次男でしたが長男に代わって家を継ぎましたので、天国で3人とも安心している事でしょう・・・ という事で、今回の2階ベランダのリゾート化のように「あるモノを活かそう(見直そう)!」という発想は、プライベートだけでなく仕事でも大事だと思います。 15年前に織物工場を改造コンバージョンしてトランクルームに転業したのも、正にこの発想です。 短絡的に無いから借りたり買ったりしようとする前に、もう一度自分(頭脳、体力、趣味嗜好、過去のキャリア、保有資格、所有不動産、貯金、借金、扶養家族、人脈、両親)を見直そうというスタンスです。 要はコストです・・・コストを掛けずに自己のパフォーマンスの最大化を図るのです。 まぁ、人間生きていれば少なからずストレスを感じるものですが、それを如何に最小限に抑え如何に排出するかがキーポイントになる訳ですが、たまにデッキやベランダでアウトドアの空気を吸い木々や空を眺めるというユッタリした時間が救いになると思います。 1,2時間もベランダでビールを飲んでボーっと空を眺めていると、普段全く気づかなかったイロンナ鳥がセカセカ動き回っている人間を尻目に大空を優雅に飛んでいる姿に驚かされますし、アレコレ商売のネタになりそうなヒントが何故か浮かんできそうです・・・(笑)。 ヨーロッパ人にとってビーチリゾートなどの自然の中でユッタリするバカンスが欠かせないというのがよく分かります。 やはり仕事や勉強の効率を上げるには、上手に休息をとる事なんですねェ・・・ ウインドサーフィンを長年続けているのも、ウインドの小休止や風待ちで海をボーッと潮騒を聞きながら眺めている時間が心を癒してくれるのと同じで、やはり肌で自然を感じる事が人間にとって大事なのです。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.06.07
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自宅の裏側に庭があり、その庭に向かってデッキがあるのですが、これが毎年春から秋にかけて私のリラックスゾーンになります。やはり人間は部屋に閉じこもっていてはダメで、たまにはユックリ外のイイ空気を吸い自然の音を聞かないと健康に悪いと思います。夕方ここで仕事の疲れを癒すために、音楽を聴きながらビールを飲むだけですが・・・隣家は離れ、塀に囲まれていますので、外からは殆ど見えないのがポイントです。一種のオッサンの隠家です・・・(笑)。零細企業経営者の頭の中は、実際「24時間ずっと仕事」みたいなモノですが、そんな中にあって少しでも「癒し」を求めるのです・・・(汗)。サラリーマンのように月~金まで仕事で、土日が休むというようなONとOFFをキッチリ分ける事が難しいのです。1つの案件があれば、それを解決するのは自分しかない訳ですから、それを解決する為に夜も寝ながら夢で考えるなんて当たり前です。それをストレスと感じるのは他人の為に働いているサラリーマン的発想で、我々オーナー経営者はソレを楽しんでいるのです。平たく言えば、サラリーマンは好きでもない仕事をイヤイヤして、オーナー経営者は仕事を好きでヤッテいるのかも知れません・・・?他人の為に働いているのではなく、全て自分の為であり自分の肥やしになる訳ですから、苦しいなんていう(ストレスを感じる)発想が湧きようがありません・・・(笑)。まァそれくらいのココロの余裕がなければ、会社経営なんて出来ません。先日デッキの蚊よけ対策をしましたので、もう夕方20℃を超えたらビールを飲んでひとりリラックスタイムを楽しんでいます。という事で、夏になると孫用のプールが大活躍する自宅デッキのリゾート化を更に進めるために、以前飼っていた犬の犬舎が庭にありそれを取り壊してもっと孫が遊べるように計画中です。上は小学生低学年なので、言っている間に来なくなりますので、急いでこの計画を5人の孫のために進めなければなりません・・・(汗)。昨年も今年も旅行に行けないので、もう一度足元を見直すという意味で「自宅でリラックス(リゾート)!」が至上命令だったのです。デッキと反対の南側の2階のべランドは何も遮るものがなく葛城山や今開発中の千石壮がよく見える絶景ポイントですが、ココも何とかリゾート化できないかと計画中です。何も遮るものがない絶景の裏返しで2年前の台風で重量鉄骨造の自宅が揺れ動き300キロの大型物置が倒壊したり屋根が飛んだりして大きな被害を受けましたが、災い転じて福となす・・・的な逆転プランを必ず考え出します(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.04.18
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プライベートの公開はNGですが、家内とウインドサーフィンで泉南の樽井ビーチ(現在のマーブルビーチあたり)で初めて出会ったのが42年前で、結婚して39年経ちました。 過ぎ去って見て初めて「39年も!」と驚きます。 夫婦で40年近くも過ごしていると空気のような存在とよく言われますが、確かにそうかもしれませんが、まだ一緒に旅行に行ったりしますのでまだマシかも・・・(笑)。 まだ何とか夫婦円満?のコツは・・・? 1番のコツは、ソウルやディスコやロックが同じように好きという音楽の共通性だろうと思います。 人生に潤いを与える音楽・・・楽器は私はトランペットとドラム、家内はピアノとエレクトーンをやっていました。 老人ホームで「音楽療法」なるプログラムが重視されているのは、正に人生に音楽の占める役割が年々大きくなっていく証拠です。 それで年寄りの身体中から元気が湧き出るのです。 70歳、80歳になって夫婦で一緒に感動するのは、昔ドライブデートで一緒によく聴いた1970年代に流行ったシカゴ、アースウインド&ファイヤー、ボズ・スキャッグス、ドゥ―ビーブラザーズ、ビリー・ジョエル、イーグルス、ボストン、フォリナー、バリー・マニロウ、ビージーズ、ボニーM、チャカ・カーン、サンタナ、シェリル・リン、クール&ギャング、ユーミン、山下達郎、サザンオールスターズ、高中正義・・・なのです。 ジョー・サンプルやシャカタクのようなフュージョン系もよく聴きました。 ただディープ・パープルやレッドツエペリンといったハードロック系は家内はあまり好まないので、10曲中1曲にしたり私一人の時に聴いていました・・・(笑)。 やはり我々青春時代だった1970年代の音楽・・・コレです。 これが脳ミソと身体の中に最後まで残る無形の財産です。 15年後の老人ホームでは、「チーチーパッパ♪♪」といった童謡でお茶を濁すような音楽療法では流行らず、ガンガン洋楽ロックやディスコを併設した老人ホームが流行るのは過去の日本の音楽歴史を振り返れば当然の未来像です・・・(笑)。 結局、最後に残るのは音楽・・・なのかも知れません。 まぁしかし、音楽スタジオを起業する時に反対されましたが、それでも最後に折れてくれたのは音楽に対する理解があったからでしょう・・・(汗)。 これが配偶者に音楽にそもそも興味が無ければ、離婚されていたかも知れません。 と言うか、音楽が嫌いな女性とはそもそも付き合わなかったでしょう。 それほど昔から音楽は私の人生の一つの大きな柱だったのです。 正に No music no life だったのです。 とにかく私は、家でも風呂でも事務所でも車でも一日中好きな音楽を聴いていますから・・・ そして音楽とダンスは一対ですから夫婦ともダンス好きも共通で、ハワイでも昼はビーチでBluetoothスピーカーで音楽をノンビリ聴き、夜は行きつけのミュージックライブバーでダンスしまくりです・・・(笑)。 正に「スタジオ0724」のキャッチフレーズ”Music&Dance”です。 音楽好きの夫婦(プロミュージシャン同士)の結婚生活が長いというのは音楽業界でも、ユーミン(松任谷正隆)、サザンオールスターズ(桑田佳祐、原由子)、山下達郎(竹内まりや)、布袋寅泰(今井美樹)、シーナ&ロケットら夫婦を見てもよく分かります。 それは我々一般人にも言えるかも知れません。 それほど音楽というのは、人の絆を深めるツールだと思います。 ツールと言うにはあまりにも言葉が軽すぎますが。 なので、音楽スタジオ経営で飯を食っているというイメージを、もっと明るいモノに変えたいというのを起業当初から思っていたのです。 バンド活動というのは、みんなが憧れるカッコよく明るいモノだ・・・と。 という事で、昔はお見合い結婚が主流でしたが、私は1回も「お見合い」をした事がなく、恋愛→結婚 でしたので、「恋愛と結婚は違う・・・」という意味はよく分かりませんでしたが、これほど長い結婚生活が続けられたのは「音楽」という共通項があったからでしょう・・・ ある意味、共通の価値観です。 夫婦である以上は性格的相性が第一ですが、それだけでなく長く結婚生活を続けるコツは何と言っても「同じ趣味」が必要になり、一生続けられるという意味でスポーツより音楽・・・という結論になるのだと思います。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.04.03
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まだ2月で毎日コロナのニュースばかりですが、こういう時こそ「明るい明日」をイメージしたいモノです。そのイメージですが、昨年から夏は16時に仕事を終え5分後には自転車で1分の自宅デッキでBGMを聴きながらビールを呑んでリラックスしていましたが、今年の夏は1時間早めて15時には仕事を終えて5分後にはデッキでビールを呑んでいたいと思います・・・(笑)。私のささやかな願いです。人間は暗い事ばかり考えると、気が滅入ってしまう動物です。そう・・・人間も血が通っている動物なんです。指令通り100%動く機械では決してないのです。たまには息抜きも必要なのです。その息抜きも年齢によってだんだん増えます。もう今年65歳になりますので、遅く起きてチョットだけ仕事をして殆ど遊んでいるのが理想なんですけど・・・相変わらず4時とか早く起きています。今日なんかは3時です。Cスタジオがオープン間近なので、興奮しているのか・・・(笑)。いずれにしても、昨年1年間仲間との飲み会がゼロという異常事態です。こんな事って、成人になって40数年で初めてです。決してアルコールは強い方ではないですが、飲み会は大好きです。やはり気心の知れた仲間と飲めば、一番のストレス発散になります。ある意味、これも無形財産です。それがプッツリ無くなったのです。あり得ない現実です。人生を振り返ると、1つの事に集中した事が無いのが自慢です・・・(笑)。勉強ばっかり、遊びばっかり・・・て言うのが無いのです。どっちも中途半端・・・テキトーなんです。極める事が無かったのです。言葉を替えれば、最初は一生懸命やるのですが、途中で自分の才能に見切りをつけ諦めてしまうのです。子供の頃から今までずっと、何やかやとイロンナ事をやってきたように思います。一般的に「気が多い・・・」という事でしょうか・・・(笑)。大学受験でも現役時は国立理系の5教科をテキトーに勉強するだけでなく、受験に関係のない地学や地理といった本来興味のある勉強もカジッタお陰で、2浪もして結局3教科で入れる3流の私立文系に入学しました・・・(笑)。この時点で完全に出世レースから脱落しましたが、人生のオモシロいところは正にココで、大学受験は私立なら3教科で乗り切れますが(文系なら慶応以外1番大事な数学も不要)、長い長い人生を乗り切るには9教科でも足りません・・・(汗)。歪んだ日本の受験(教育)体制の是非はともかく、要領や効率だけで乗り切れるほど人生は甘くはありませんし、これからのグローバル経済で日本は勝ち残れません。まァ人生で唯一本気を出して勉強したと言えば、転業した50歳で5人の家族を養うために12時間他社で仕事をしながら宅建士の受験勉強をしたくらいですかねェ・・・まぁしかし、過去15年の間に6つの仕事(トランクルーム、音楽スタジオ、テレワーク&自習室、卓球場、不動産仲介業、駐車場)を1人で起業してダラダラと経営していますが、趣味も中途半端にダラダラとイロイロ続けています・・・(笑)。そしてまだ、「ギターもオモロそうやな・・・」とか「ベースもしたいなぁ・・・」とか「SUPでウインドしたいなぁ・・・」とか「久米島でカイトボーディングしたいなぁ・・・」とか彷徨っているのか・・・・?自分では全くフツーと思っているのですが、はたから見ればこの64歳のジーサン「ちょっとオカシイのでは?」と思っている事でしょう・・・(笑)。という事で、「完全燃焼」とは程遠い人生を送ってきたお陰で、この年になっても未だに「もっと何かワイにおうたオモロイものがあるはずや!」と探し求めているのかも知れません・・・(笑)。これを止めるのは、唯一目に入れても痛くない孫の「ジージ、エエ加減にしいや!」の一言です・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.02.13
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辛坊治郎さんが、今春ヨットによる太平洋横断に再挑戦するようです。スゴイ・・・の一言です。辛坊さんと私は同い年の64歳、1956年、昭和31年生まれです。同じ年なのに、そんな勇気と気力がどこに残っていたのか?・・・と。私は今でも夏だけウインドサーフィンをしていますが、ウインド仲間(平均年齢は50代後半?)の多くはワンサカ真冬の白浜臨海浜にウインドサーフィンをしにいっています。私にはそんな勇気も気力も元気ありません・・・(笑)。夏にマーブルビーチで強風がチョッと吹いただけでも、沖へ出るとうねりとブローでボードコントロールが不能に陥り、それほど遠くに行く前に遭難というのが頭をよぎり心が折れて岸に戻ってしまう自分がチョット情けないですねェ・・・(笑)。10年前に強風荒波の時に岸に戻ってくるときに、ボードのノーズが波に突っ込んで急ブレーキが掛かり、前に数メートルブッ飛ばされた時に膝の十字靱帯断裂したトラウマがまだ残っているのか・・・マーブルビーチというサメ発生のリスクが少ない内海の大阪湾でコレですから、何が出てくるか全く予想もできない高リスクの外海の太平洋なんて想像も出来ません。まぁ辛坊治郎氏はそれ以上の勇気も気力も元気もあるからこそ、ヨットで太平洋を渡ろうとするのです。とても、とても同じ年だとは信じられませんが・・・20代のウインドサーフィンを1番一生懸命やっていた頃に、真冬の正月の「初滑り」で友人と樽井浜から泉佐野漁港まで2人で長距離セーリングした事がありますが、そりゃ恐ろしい経験でした。幸い強風は吹いていなくて、5,6mの順風でしたが冬の海の色は真っ黒で、気持ち悪かったのを思い出します。真冬特有のどんよりした天気で見通しが悪く、陸が見えないほど沖まで行くと、まだ沖の関空工事も始まっていない頃で、どこが目的の岸か見失うほど方向感覚がずれてしまい、一瞬「遭難」の文字が頭を過ぎりました・・・(汗)。「ドボンとチンしたら(海に落ちたら)、サメに襲われるかも?」という恐怖心が身体と心を震わせました・・・(笑)。大阪湾は内海ですが、沖まで行くとサメと遭遇する可能性はゼロではありません。辛坊治郎氏の渡ろうとする太平洋は大阪湾と違って外海なので、何がいるか分かりません。サメ、クジラ、エイ・・・生物だけでなく気象状況も未知数で台風に巻き込まれるかも知れません。波やうねり、潮の流れも、無風の時はどうするのか・・・などイロイロ考えると殆ど100%の人は太平洋横断なんて想像もしません。10代の頃にだんじり祭りに燃焼し、20代の頃にウインドサーフィンに燃焼し・・・それから、だんじり祭りは40年間ダラダラと参加し、ウインドは30年間夏だけダラダラとやっています・・・(笑)。空手とドラムも20代前半に中途半端に燃え尽き、ここ10年前から再熱しています。再熱デキたのも空手はコナミやジョイフィットでボディコンバットというスタジオプログラムに出会えたのもあり、ドラムはミナミのセッションバーでプロドラマーとの出会いがあったからです。まぁしかし、だんじりの大太鼓もウインドサーフィンも、空手もドラムも10代20代に自分なりに一生懸命したものの限界を感じました。空手は大学空手部時代の出稽古で全日本クラスの選手がいる同じ流派の支部道場で稽古して気構えの違いに驚き、ウインドサーフィンも全日本で当時優勝した人とスタートラインで遭遇した時に目に見えない風を上手く掴むテクニックに「こりゃダメだ・・・次元が違う」と痛感しました。一流の人を目の前にすると、自分の才能とセンスの無さに諦めがつき、「もうこれ以上頑張るのは止めとこう・・・」と。一生懸命努力しても、やはり「上には上がいる」というのを心底気づかされるのが何より大事なのです。まぁ諦めて趣味にとどめ、本当に頑張るのは別の方向(仕事)で・・・が正解でした。それから30年経って・・・・趣味も仕事もそれなりに上手くいっている現状にソコソコ満足しています(涙)。辛坊治郎氏の記者会見で、今回のヨット太平洋横断は65歳までにどうしてもヤリタイ事で、65歳以降の第3の人生を送るための「通過ポイント」と言ってましたが、私も第3スタジオ(Cスタジオ)を今月増設オープンしたのはコロナの影響もありますが、昨年から後継者の娘が入った事によって、どうしても65歳までにスタジオを3室にして(泉州最大級)1つのビジネスの柱として軌道に乗せたいという切望があったからです。スタジオ2室ではどうも中途半端で趣味の延長としか思えず、3室にしてやっとビジネスらしくなったのです。これも5年前の最初のスタジオ1室目は、辛坊治郎氏の冒険みたいなものでしたが。やはり男にとって、いつまで経っても心の底から勇気が要る冒険や挑戦というのはロマンがあるんですねェ・・・という事で、辛坊治郎氏だけでなく、トヨタ豊田社長も同じ年でビジネスの第一線で頑張っています。他の同い年と言えば、パナソニック津賀社長もいます。世界で通用する日本の4番バッター企業のトップが、ともに64歳。これ以上励みになる事はありません。彼らが未だに24時間頑張っているのだから、オレもまだまだガンバらねば・・・と。チト、古いか・・・(笑)。しかし同級生というのは、同じ時代を生きてきたという意味で格別のものがあります。小学校2年で東京オリンピック、小学校6年でメキシコオリンピックと全学連の安田講堂占拠、中学2年で大阪万博、高校は大阪5学区制の最後の学年で文部省旧課程最後の学年、高校2年でオイルショックとブルースリー、大学でディスコブーム(サタデーナイトフィーバー)と第2次オイルショック・・・だからこそ、同い年の小学校6年と高校1年のクラス会が毎年行なわれているのか・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.02.05
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コロナによってテレワークが増え、通勤時間が無くなり在宅時間が増える事によって余裕の時間が出来た人が多いです。新聞を見ると、早朝から勉強や趣味に時間を費やす人も多いようです。イイ事ですねェ・・・これまでの様に、ギリギリまで寝て満員電車に乗って都心に出勤するというスタイルに変化が現れました。戦後初です。こんな劇的変化は。仕事の仕方の激変によって、当然ライフスタイルにも影響を与えています。それが「朝活」です。その現象が弊社「スタジオ0724」や「テレワーク&スタディ貝塚」の利用客にも現れています。朝6時から営業をしていますから。これまで夕方から夜にかけてお客さんが集中し、「何とか、暇な朝から夕方に分散化できないか?」とずっと悩んでいてサブスクリプション制も導入したりとか試行錯誤してきましたが、コロナによって朝から昼にかけてのお客さんが増えてきたのです。何でや・・・?と不思議に思いましたが、やはりコロナで在宅勤務が増えプライベートな時間が増える事によって「プライベートを充実させよう」という内なる声だったのです。非常にイイ事です。普通に考えれば当たり前の事ですが「仕事は人生の一部」です。仕事で日々の糧を得ながらプライベートも充実させる事こそ、人生で大事なのでは。まだ終身雇用の会社の一般社員も大体55歳の役職定年で年収ダウンと平社員に降格、60歳で定年、65歳まで年収が更に半減で継続雇用できますが、65歳で完全に仕事から離れます。65歳と言えば、まだまだ若いですし可能性もあります。しかし大企業ほど若くて優秀な人材を安い報酬で集められますから、企業側のホンネを言えば基本的に将来役員になるような一部の優秀な社員を除いて55歳以上の人材は要らないのです。会社の目的は社員の雇用を守る事ではなく、生き残る(会社の存続)ですから。その企業側のホンネを見抜き、40代から着々と「独立」か「役員を目指す」準備を進める社員だけが「55歳の曲がり角」でスピードを落とさず切り抜けれるのです。だんじりの「やり回し(90度方向転換)」や、ウインドサーフィンの「ジャイブ(風下方向転換)」のように・・・(笑)。やり回しはだんじり停止線から、ジャイブはハーネスを外してから万全の準備態勢に入りますから。という事で、コロナを機に余裕の時間が出来た事によって「人生を見つめ直す」のは非常に良い機会だと思いますし、老若男女関係なく今こそ仕事を含めた人生を充実させることこそ一番の課題ではないでしょうか・・・?「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.12.11
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私の寿命は神のみぞ知るですが、希望としては100歳まで生きたいです。70歳まであと6年100%現役で働き、80歳まで徐々にペースダウンして50%まで現役率を落とし、90歳で10%までダウンし、100歳の最後でちょうど0になるようにな人生設計をしています。後継者の娘に完全にバトンタッチする70歳からワークバランスを考え、春と秋だけ大阪の自宅で過ごし、暑い夏と寒い冬はハワイか北海道か沖縄で過ごす・・・なんていうライフスタイルにしたいです。その時は完全にリモートワークも出来ますので、ビジネス的にも安心です。90歳以降は決して寝たきりにならないように、朝は新聞と読書が済んでから音楽をヘッドホンで聴きながら散歩し、昼からドラムとギターと卓球・・・まぁそんな余生を過ごせたらと思います。ウインドサーフィンやボランティア空手は、せいぜい80代まででしょう。80歳まで100%現役で働いて完全引退するより、敢えて現役率を徐々に落として(趣味の時間を増やす)100歳まで働く方が人生をトータルで考えればプラスと考えます。将来どうなるかなんて誰も分かりませんが、こういった人生計画(妄想?)を常に自分の脳ミソの中に入れておくと、ダラダラしがちな毎日が引き締まります・・・(笑)。まぁ人生計画を思い通りにコトを運ぶためには、真面目に仕事だけ取り組んでは失敗すると思います。昔からよく言われるように「よく学び、よく遊び」です。文武両道・・・勉強ばかりとか遊んでばかりとか偏ってはダメで、要は人生をロングスパンで見れば「バランス第一」です。それも子供の時から老人になるまで「できるだけ平均的に」がポイントで、これが人生の極意だと思います。若い時に勉強ばかりして年取ってから遊びに走り人生が狂ったり、若い時に勉強せずにスポーツ(遊び)ばかりして人生の後半は四苦八苦したり・・・なんて例は世の中にごまんとありますし、中学高校時代に成績の良し悪しは別にしてバランスよく文武両道を貫いてきた人ほど人生の満足度が高いように思います。そういう意味で、30代40代の20年間は仕事しすぎたので、敢えて「回り道」をするのです。と言うか、4年前からもう私の回り道が始まっています。そうなんです。4年前と言えば、音楽スタジオオープン時と重なります。仕事と遊びが半分のスタジオ経営が、正に私の回り道だったのです。という事で、49歳で織物業を廃業してトランクルーム賃貸業に転業(起業)した訳ですが、これも肉体的に過酷な仕事でしたので「このまま60歳まで織物業を続けたら身体が壊れてしまう」という危惧と、廃業前年の受注難(30%ダウン)が廃業決断の理由でした。まだ余力のあるうちに決断した事が、転業をスムーズにさせました。崖っぷちで決断したら転落しない為に前に行くしかありませんし余裕がないので前しか見えませんが、崖から1mの所で決断すれば前にも横にも行けますし上にジャンプしても安全ですし、余裕があるのでイロンナ事に考えを巡らせます。年齢によって体力と知力は変化しますし、世の中も変化します。自分も世の中も変わっているのに、同じ仕事を同じようにできるはずもありません。それは単に怠慢なだけで、常に各方面にアンテナを張って自分も世の中もどう変わっているのかを素早く察知し、それを自分なりに判断し行動に移すという「変化対応能力」が問われる時代でしょう。特に今は、コロナで75年ぶりの大変革の時代に突入しましたので、生き残るにはソレに懸かっています。弊社のファミリービジネスでは、5つのニッチマーケットでそれなりにアンテナを張っているつもりですが、それを更に深く掘り下げる事によってアンテナの感度を上げたいと思います。もちろん「6つ目の新しいニッチビジネス」も狙いながら・・・(笑)。しかし、そんなこんなで知らぬ間に100歳まで生きれば、娘は70代で孫は40代になりますが・・・ソレはちょっと想像できませんがねェ(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.09.13
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以前のブログでも少し書きましたが、今のところ70歳まであと6年100%現役で働き、80歳まで徐々にペースダウンして50%まで現役率を落とし、90歳で10%までダウンし、100歳の最後でちょうど0になるようにな人生設計をしています。ここ数年は土日祝日関係なしに1日8時間1年360日働いていますので、今から100歳まで約33000時間働く計算になり、一般サラリーマンが1日7時間で1年245勤務日数(120日休日)だとすると1年で約1715時間働く計算になりますので、私はこれから100歳までサラリーマンと同じ「19年間フル勤務」と同じ時間を仕事に費やす事になりそうです。私と同じ64歳の多くは継続雇用で働いていて完全定年まであと1年というタイミングですが、これから19年間フル勤務と同じ時間を働こうという私は正にクレイジーに見えるかも・・・(笑)。100歳までの36年間はトータル残が315000時間あり、1日10時間を睡眠と食事と風呂に費やすと130000時間なので、残りが180000時間なので仕事で33000時間使ったとしてもその18%しか使わない計算になりますし、通勤時間が1分というのが隠れたメリットです。そして、起きている時間の残り82%の147000時間をどうするか・・・?こっちの方が問題です。テレビを見たり散歩ばかりしている訳にも行きませんし。となると、趣味の充実が早急の課題になるでしょう。そしてトータル残時間の10%しか仕事に使わない計算になりますので、100歳まで動ける時間は徐々に減っていきますが、働こうという明確な意思がある限り、これも可能な数字でクレイジーでも何でもありません。私の好きな格言「Where there is will,there is way!(意志あるところに道は開ける)」です。残りの100歳までの36年間の人生のたった10%しか仕事に使わなかっても、その経済効果と人生の充実度は計り知れません。まぁ実際、有効時間の82%も遊んでいいられる性格ではないので、2倍の6万時間くらいは仕事をしているでしょうねェ・・・(笑)。これまでの人生けっこうアレコレ中途半端に生きて燃焼し切っていませんので、まだそれくらいのパワーは身体の底に残っているみたいです・・・(笑)。年をとっても、いつまでも若い頃の「やり残した感」が残っていて、それが原動力になっているのかも・・・(笑)。空手(ボランティア、5つの平安型のマスター、セイエイチン型)、ウインドサーフィン(ジャイブ、ウオータースタート)、ウインドSUP、カイトボーディング(久米島)、ロックバンド活動(ドラム再開済み)、最近始めたギター、ボイストレーニングレッスン予定(歌を上手く歌いたい)、英語(海外旅行のため)、旅行(国内外、ハワイと沖縄と北海道のロングステイ)、月1回ライブハウスへ、左甚五郎研究(郷土史)、映画鑑賞、絵を描く、読書・・・やはり若い頃は興味のあるイロンナ事にどんどんチャレンジするのが、人生をトータルで考えるとイイ方向に向かいます。しかし零細企業オーナー経営者は、実際24時間頭の中は仕事だらけですから、単に時間軸だけ測れるものではありませんが。まぁ現在42,3歳のサラリーマンの人が65歳まで働くのと同じ時間をこれから仕事に費やす訳ですから、彼らと同じ体力と気力が必要だったのです・・・(汗)。20歳年下の男性と同じ体力と気力を保つために、運動と食事に気をつけ、テキトーに趣味でストレスを発散する必要があります。年を取るほど現役率が低くなるという事は、趣味の時間が増える事を指しますので、これから趣味の更なる充実(増やすか、ノメリ込むか?)が課題となるのです。と言うか、5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク&自習室、不動産仲介業)の中で、趣味性の高い「音楽スタジオ」の充実をもっと図り、仕事と趣味をクロスオーバーさせた人生を送りたいだけなんです。要するに、アーティストのように好きな事を仕事にすれば、定年も時間も関係がないという事で、過去40年間の社会人生活でサラリーマン4年を経て家業の織物業に戻り、20年間頑張ってきましたが残念ながら廃業せざるを得なくなりトランクルームに転業という紆余曲折を経て、全く偶然にも4年前からトランクルーム内で「音楽スタジオ」経営という趣味も兼ねた天職に辿り着いたのが何ともラッキーだったと思うのです・・・(涙)。100歳まであと36年もあり、たった4年でスタジオ2室で会員数1400人を超えましたから、とりあえず1年後に第3スタジオである「Cスタジオ」を増設し、会員さん同士のマッチングを目的とした「ジャムセッション」を毎月1回くらいで企画したいと思います。レッスンにも力を入れ、既存のドラムとギターに加え、ボイストレーニングのレッスンを加えるのが当面の目標です。そして個人的にはロックバンドにドラマーで加入して、高齢者施設への慰問で入居者が元気が出るハードロックをガンガン演奏したいと思います・・・(笑)。ちょうどその頃の入居者は、若い頃にビートルズやグループサウンズの洗礼を受けた世代ですから、ちょうどエエくらいでしょう。もちろんビジネスは長い目で見れば浮沈があるもので、特に2022年末までの2年間はコロナ不況が続くと思いますし、今の5つのビジネスがそのまま36年も継続できるなんて思っていませんし、これから10年の間に新しい「ネクスト・ビジネス」を見つけなければならないのは百も承知です。これまで通りのトライ&エラーのビジネス街道でしょうけど、まだまだこれから33000時間も働く気があればロングスパンで物事を捉えられるのが大きなメリットです。しかし、これから徐々に娘に後継を譲っていきますので、あまり出しゃばらないようにしていくのがこれからの私の課題でもありますが・・・(笑)。という事で、これからの医学の進歩や車の自動運転の進化が期待され、もし私が癌に罹っても治る可能性も高くなり、交通事故に遭う可能性も低くなりますので、こういった妄想も正夢になるように努力をしたいと思います。ただ老人の暴走が世間的に問題になっていますので、後継者の娘がブレーキ役となるでしょう・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.09.03
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コロナで企業のテレワーク化に拍車がかかり、100%テレワーク勤務が可能な会社が東京にあっても、自宅は地方でというスタイルに激変しました。これまでは無理してでも会社の近くに自宅があった方が通勤に便利でしたが、これからはそういった無理をしなくてもよいという事になります。会社の所在地が東京23区や大阪市内にあり、その近くに住宅を買おうと思えば物件価格が高いので、長年住宅ローンに苦しまなければなりません。地方だと物件価格が都会に比べると格段に安いので、住宅ローンの呪縛からある程度逃れる事が出来ます。日本の三大都市圏から相当外れた田舎だと、タダみたいな物件がゴロゴロありますから・・・まぁ現実問題として、東京23区からの通勤時間が片道1時間間半から2時間の湘南エリアの物件価格が上昇しているようです。早朝にサーフィンしてから自宅でテレワークして、たまに東京の会社に出社するというスタイルです。また親戚や友人とのコミュニケーションがある出身地近くの関西空港の近くの住宅でテレワークし、1か月に1,2回飛行機で東京の会社に出社するというスタイルも現れてくるでしょう・・・新築分譲住宅価格が平均2600万円程度の泉州エリアで住み、年収1000万円の東京の会社で働けば生活にずいぶん余裕ができます。ウインドサーファー視点から言うと、冬でもウインドサーフィンが出来る大阪市内から高速で2時間の南紀白浜温泉や大阪から飛行機で1時間の沖縄に住んでテレワークし、大阪市内の会社にたまに出社する・・・(笑)。これからは「会社=人生」なんて考える必要性はサラサラありませんし、会社側もその方が残業代や交通費を出さなくて済みますし、オフィスや工場も必要以上にデカくする必要性が無くなり大幅にコスト低減できます。正に自分のプライベートを重視した「生活ファースト」です。ただテレワークで仕事の無駄が無くなり、本人の仕事の「本当の実力」が露呈しますので、仕事が出来ない人にとってはテレワークは辛いものになるでしょう。テレワーク化と同時に終身雇用制や年功序列といった旧習の崩壊に拍車が掛かり、本当の実力主義が前面に出てくると思われ、長い目で見るとそれに応じたグローバルな人材を育成するための義務教育に大きな変化が見みられる事でしょう。まぁしかし、今回のコロナによるテレワーク化定着で「会社ファースト」から「生活ファースト」への人生観をも揺るがす意識の変化は、戦後最大の「大きなうねり」だと思います。という事で、インターネットの普及で生活や仕事に大きな変化が起こり、これが今年から本格的に始まる5G(第5世代移動通信システム)時代になると更に進化するでしょう。その生活や仕事の「進化や変化」に合わせて、我々は生きていかなくてはなりません・・・一体、どんな世の中になっていくのか・・・?それをいち早く察知し、行動した人の未来が明るいでしょう・・・「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.06.23
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先日の日本経済新聞に「経済は遊び 自粛を糧に」という記事に目が留まりました。不要不急の外出を控えるという事を日本国民は要請されている訳ですが、それによって弊社の関連するビジネスで「スタジオ0724」と「貝塚卓球センター」は臨時休業を余儀なくされています。スタジオも卓球場も遊びです。2018年のレジャー白書によると、個人消費300兆円の4分の1に当たる72兆円が余暇(アウトドア、ランニング用品、フィットネスクラブ、ゲームセンター、カラオケ、観光、音楽、動画配信など)のようです。これほど余暇の個人消費があるなんて、「モノ消費からコト消費への転換」という、それだけ日本は豊かな国になったという証明です。我々の子供時代は昭和3,40年代の高度成長期で、日本経済は第2次産業の繊維や自動車や家電といった製造業の輸出で外貨を稼ぎ、第3次産業のサービス業の比率は少なかったです。大阪南部の泉州は地方から多くのホワイトカラーが流入した大阪北部の北摂と違って、農業と地場産業の繊維産業(織物、タオル、毛布)が主体であまり休日がなく働いていた歴史的事情が大きく影響し(盆とだんじり祭りに弾ける?)、私も含めて遊びに関して抵抗感があったように思います。しかし今は確かに個人的にも、ウインドサーフィン、ライブハウス、国内外旅行に結構お金を費やしています。特にこれから身体の元気な75歳くらいまでは、どんどんウインドサーフィンや海外旅行やライブハウスに遊びに行きたいと思います。今の55~70歳くらいのシニアはウインドサーフィンの大ブレイクや、円安で海外旅行が高く、有名ミュージシャンのライブの機会も少なくチケット高だった青春時代を送っていますので、その「心理的反動」を期待したいと思います。私だけでなくこういったシニア世代にとって余生を考えると、期間限定なのでこのマーケットには期待できると思いますよ。コロナが収束すれば、これらレジャー産業は時間をかけてボチボチと回復するでしょう。しかし、どれほど回復するかは神のみぞ知るです。弊社「スタジオ0724」も第3スタジオであるCスタジオを計画していましたが、当分延期になりそうです。と言うか、金を掛けずに今の2室で何か?スタジオを活性化させるアイデアを生み出さなければなりません。それは、お客さんであるミュージシャンたちの意見を真摯に聞き、自分のアイデアと混ぜていく・・・そこに何があるか分かりませんが、サントリーの「やってみなはれ」精神のように行動あるのみです。という事で、世界の誰もが暗中模索で今回のコロナと戦っています。特に医療従事者は大変です。ホントご苦労様と言いたいです。私にできる事は限られますが感謝の気持ちを込めて、コロナが収束すれば、バンドメンバーの誰か一人でも医療従事者(医師・歯科医師・看護師・薬剤師・理学療法士・管理栄養士・放射線技師)がいれば、「スタジオ利用を無料」という企画をしたいと思います。私が1月に葛城病院で受けた「脊柱管狭窄症」の手術が大成功し、大変お世話になったドクターや看護師さん、リハビリ先生への感謝の意味も含んでいますが・・・(笑)。生死に関わる仕事をされている医療従事者の精神的プレッシャーは相当なものですし、案外音楽をされているドクターも多いので、束の間の間だけでも音楽でココロを癒して下さい・・・「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」「貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.04.28
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また先日、いつもの南海本線貝塚駅前の「大阪庄や」さんで、貝塚三中時代の同級生との飲み会でした。一人は保育所から、もう一人は中一からの付き合いなので、もうかれこれ5,60年にもなります。ここ30数年は年末、GW、盆と3回だけ3人集まって飲んで、近況や将来などグダグダしゃべってます・・・3,4か月空けると、結構状況も変わって刺激を受けることも多いです。ただ前と同じことを喋っている自分に苦笑いする事も多々あり・・・(笑)。その辺は愛嬌という事で、他の2人も初めて聞いたようなフリをしてくれているのかも・・・(笑)。もう夜中まで飲むことや、ミナミまで2次会で遠征することもありません。ここ数年は明日の事を考え、遅くとも夜10時には解散しています。これが還暦オーバーの酒の「正しい付き合い方」です・・・(笑)。あと20年、こんな形で人生を続けられる事を願うばかりです・・・(涙)。その内、3人の誕生日が加わって、年6回になるのも時間の問題です・・・(笑)。まァ、この3人の飲み会は貝塚弁の「おもしゃい(オモシロい)」の一言です。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.08.16
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現在自宅と事務所の4つの本棚に本が沢山あります。正確に数えたことはありませんが、ざっと3000冊くらいはあると思います。振り返ってみると、中学生の頃から50年間コツコツと貯めてきたのです。半世紀も・・・大体3000冊のうち2500冊くらいは小学校から結婚前の20代に読んだものです。大学受験浪人の頃は勉強もせずに天王寺にあった旭屋書店やユーゴ書店によく行って、立ち読みもしましたが小遣いの範囲で文庫本もよく買いました。大学の頃は片道約2時間の通学時間に、だいたい文庫本を1日1冊のペースで読んでいました。電車に乗っても吊革を持たず空手に必要なバランス感覚を養い、読書に疲れたら駅の看板を目をこらして見て動体視力を養い、冬はコートのポケットにハンドクリップを忍ばせ握力を鍛えながら本を読みました。勉強がデキず三流大学に通っていましたので、大手企業に就職する事は最初から諦めていましたし、「落ち込んだ自分の人生を(大学受験失敗)、これからどうやって切り拓いて(逆転して)行くか・・・?」と藻掻きながら空手と読書に邁進していたのでしょう。大企業のエリートコースや公務員になって一生安泰・・・とは真逆の人生をどうやって歩んで行ったら良いのかを模索していたのです。ある意味、勉強がデキなかった分(一流大学に行けなかったので)、人生を「逆転」させる為には如何すればイイのかを自分なりに試行錯誤していたのでしょう・・・正に、青春の悩みです。今の海千山千?の私みたいなジイサンでも、こんなに真摯に悩んでいたカワイイ時期があったのかと・・・(笑)。まァしかし、読書で「きっと何か答えがあるはず・・・」という気持ちが強かったのでしょう。なので、エッセーやノンフィクションが中心でした。振り返ると、相当な時間と金を読書に費やしています。就職1年目で結婚してからは仕事に殆ど注力していましたので余裕の時間が全くありませんでしたが、それでも学生時代の習慣からか「読書しないとダメになってしまう」と危機感から合間を縫って必死に読んで来ましたし、60オーバーになった今でもこの習慣を続けています。やはり、若い頃からの習慣というのは大きいですねェ・・・何の努力や度胸も要りませんし、スーッと出来ますから(笑)。ウインドサーフィン、空手、ドラム、読書、だんじり太鼓、色んなジャンルの音楽を聴く事、初対面の人との会話(英会話も)・・・年取ってから度胸(勇気)が要る行為は、心身に悪いです。マスコミなどで、「60歳から初チャレンジ・・・」とかいうフレーズをよく目にしますが,実際ナカナカできるモノではありません。数年前にマーブルビーチでウインドサーフィンしていると、毎日ビーチで日光浴している定年過ぎた人がいて、当初ウインドサーフィンに興味を示し「私にも出来ますか?」と熱心に聞いてきましたので丁寧にやり方を言葉で説明しましたが、結局何もチャレンジせずにビーチでボーッとしていただけでした。という事で、「読書が趣味」と言うより、読書で人生や仕事の解決の「一手段」という捉え方をしています。読書無しでは私の人生は成り立たなかったと思います。今はインターネットでソコソコの知識が得られますが、作者が吟味して書いた印刷物の本も捨てがたく、これからも読書に人生の解答を求める旅を続けたいと思います。というか、これまで仕事や人生に解答を求めるためのノンフィクションや実用書が中心でしたが、これからは小中学生の頃のように純粋に読みたかった小説(フィクション)をジャンジャン読みたいと・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.21
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昨日は大阪キタのビルボードライブ大阪に、「CTA(California Transit Authority)」のライブを見に行きました。CTAは元シカゴのオリジナルメンバーであるダニー・セラフィン(ドラム)が中心となり、その後同じく元メンバーのビル・チャンプリン(キーボード&ボーカル)が加わり、シカゴ初期のナンバーを演奏するのがメインのバンドです。シカゴ初期のナンバーとは、オリジナルメンバー7人が揃ったアルバム1~7枚目あたりの曲です。丁度私が多感な中高生の頃で、毎月の少ない小遣いを叩いてアルバムを買い、1973年の大阪厚生年金会館での来日時は未だ地下鉄を乗ったことがありませんでしたので、1人で難波駅から1時間掛けて歩いてチケットを買いにそしてコンサートを見に行った・・・という思い出もあり、もう70歳オーバーであろうダニーの必死の?ドラミングを見ると泣けてきました。もうダニーやチャンプリンの演奏や歌はどうでも良いのです。彼らを見ただけで、もうお役目終了です・・・(笑)。2,3年前のディープ・パープルの高音が出なくなったイアン・ギランを見た時と正に一緒です。今回の来日サプライズとして、故テリー・キャス(ギター)の後釜として8枚目から加入したドニー・デイカスが演奏と歌を披露しました。最初、何処のジイサンかな?と思いましたが、ドニーと紹介されビックリ。しかし、こっちもパンチパーマから禿げに激変してますから・・・(笑)。40年前の金髪ロン毛の面影は全くありませんが、ギターを弾くときのあの独特のノリは変わっていないようです・・・予約日開始時間のジャストに電話予約しましたので、舞台から2番目のテーブルでど真ん中の席を確保しました。いつものように、同じテーブルになった4人は全くの初対面でしたが、直ぐに打ち解けました。やはり、同じ「シカゴファン」という絆は強しです。単にシカゴが好きと言うより、シカゴ愛と言っても過言ではありません。お隣の男性も高校1年で1973年のシカゴライブに行っているという奇遇です。1973年来日時は東京2日間公演で、大阪は3日間公演だったのです!「オーキニ!」と連呼するシカゴメンバーが如何に大阪が好きだったか・・・彼と同じ日だったかも知れません。こうなると、ライブが終われば単にサヨウナラでは済まされません・・・(笑)。早速、連絡先交換となった訳です。今は便利な時代でフェイスブックで簡単に繋がります。これで彼と彼のシカゴ仲間と繋がりました。人生、どう転ぶか?分からないところがオモシロイですねェ・・・(笑)。何と1番前のテーブルの軍団が彼の仲間だそうで、ライブ終了後記念撮影を撮り、その後は一部はもう1回セカンドステージを見に行き、一部は帰路につきましたが、興奮冷めやらぬヒマな私を含めた3人は飲み会をしようという事で居酒屋に突入しました。さっきまで全く知らないオッサン同士だったのに、居酒屋で大いに盛り上がるとは・・・何とも不思議な光景です(笑)。それも、みんな50オーバーです。趣味の力はホント強いです。趣味の純粋で打算的な面が無いのがイイのです。打算的な面が多い特に目的の無い異業種交流会なんて白けるだけで、時間の無駄で割に合わないと思うのは私だけでしょうか・・・?早速、関西シカゴファンクラブ?(関西ピーターセテラ会)に入会させてもらいました・・・(笑)。6月辺りに、私の入会記念飲み会を開催してくれるようです。カラオケに行くと、何十曲とシカゴオンパレードだそうです。コリャ、楽しみです。普通の飲み会やファミリーでカラオケに行ってシカゴを歌うと白けてしまいますから・・・(笑)。このメンバーの皆さん筋金入りのファンで、ホント驚かされます。今回CTAは初来日ですが、ホンモノの「シカゴ」のライブは皆さんほぼ毎回何十年と皆勤だそうです。アメリカまで追いかけている方もおられます。シカゴは今年結成51周年で計36枚のアルバムを出していて、みなさんどのアルバムにどの曲が入っているか、誰の作詞で誰の作曲かが頭に入っているようです・・・(驚)。私はせいぜい17くらいまでが何となく頭に入っているくらいですが・・・(笑)。またシカゴが来日した時にマネージャーから連絡が入り、日本のどこのレストランがお勧めかと聞かれ事もあるそうです・・・(驚)。その他、オフレコ情報もイロイロ・・・(笑)。このファンクラブの中心には無理ですが、末席になら在籍させてもらおうかと・・・(笑)。しかし、シカゴのデビューアルバムから13枚目くらいまでの10年間(1969年~1979年)くらい1番熱心に聴きました。当時は日本の音楽シーンは和洋楽入り乱れて群雄割拠の時代で、子供からシニアまで聴いていた歌謡曲全盛時代に変化が現れ、当時我々中高生から大学生は洋楽が流行だし、当時の深夜音楽ラジオ「ヤングリクエスト」の週間ベスト10がほぼ100%が洋楽だったのです。当時シカゴの「FREE」やレッドツエペリンの「移民の歌」なんか、連続何週も1位だったのです・・・あんな過激な歌が中高生の間で大流行だったなんて信じられますか?ちょうど歌謡曲や演歌と同じくらい勢力を誇っていたGS(グループサウンズ)ブームが去り、GS同志の集合合併で模索していた頃に、日本のフォークソングという新たな勢力が流行出しました。と同時に、ディープパープルやレッドツエペリンといったプログレ系ハードロックの勢いが急速に力を持ってきた時期とも重なります。それから2,3年後ユーミンや山下達郎といったニューミュージックとカテゴリーにも若者は目を向き出しました。そして、まもなく世界中に大ブームを巻き起こしたディスコブーム(ソウル、ブラックミュージック)です・・・あと、AORやフュージョンミュージックも、この間のどこかで流行りましたねェ・・・この10年の音楽業界のことを書けば、論文を発表できるくらいココで書き切れないくらいイロンナ音楽が入り乱れていました。そんな中で、当時LPレコードが1ヶ月の小遣いと同じくらいの1枚2200円位しましたので、シカゴしか買えなかったのですが、大学生になってカセットデッキとオープンデッキという貧乏学生にとって強力なコピー(エアーチェック、ダビング)機器が出現したのです。と同時に、FMステレオ放送で音楽がジャンジャン掛かるようになり、レンタルレコードビジネスが活発化したのも追い風でした。ウインドサーフィンなどの遊びに金が掛かりすぎていた私にとって、正に渡りに船でした・・・(笑)。「こりゃ、これを使ってもっとイロンな音楽を聴かな損や!」とシカゴ一辺倒から多路線に方向転換(カセットテープにどんどんダビング)していったのです・・・ いずれにしても私の音楽ライフにとって、この青春時代に聴いた音楽に多大な影響を受け、ディスコ通いやバンド活動・・・就職や結婚をしても音楽だけは聴き続け、そして音楽スタジオ開業に至ったのだろうと思います。という事で、ライブ本番は勿論サイコーでしたが、ライブ前のテーブルでの会話やライブ後の飲み会・・・人生の楽しみとは、こういうモノだと思います。老後の楽しみが、また1つ増えました・・・(笑)。しかし、ダニーのドラミングを見つめていると、それに気づいたのか目が合ってニッコリ・・・ドニーのギターでも同じ事が。60オーバーのジイサンがこんな事で喜んでいるとはキモいか?ダニーは長らくスリンガーランドのドラムセットを使っていたのに、知らぬ間にDWに変わっています・・・(驚)。しかし考えてみると、4,50年前に流行ったシカゴの曲のコピーバンドが、大阪でほぼ満席(東京は80%だったらしい)という回顧マーケットは、本場アメリカとヨーロッパの一部だけだろうと思います。中国や韓国に行っても失敗するだけです。何故なら、4,50年前から自由主義国で当時の若者が自由に世界中の音楽を聴けたのは、日本とアメリカとヨーロッパくらいだけだからです。それほどアメリカの年季の入っているバンドにとって、日本は美味しいマーケットだったのです。しかし、これも後せいぜい10年か?1970年代に活躍したアーティストの多くが70歳オーバーですから・・・このビルボードライブ大阪でこれまでに、アルマッケイ&オールスターズ(EW&Fのギタリスト)、シャカタク、クール&ギャング、チャカカーン、スタイリスティックス・・・を聴いてきました。これから少なくとも5年間は、一生懸命ライブに通わなくては・・・(笑)。そうそう、7月にはさっそく稲垣潤一がありますねェ・・・シカゴのファーストアルバムが出たのが私がまだ中学1年でしたから、当時バリバリのファンだったのは3歳~10歳年上の高校生や大学生であったはずです。という事は、今の70歳前後のシニア世代が最もシカゴファンという事になりますねェ・・・そして、いつものように早めに大阪市内に出かけ、ミナミとキタの「ナウ」を肌で感じるようにしました。ミナミの心斎橋筋を歩くと半分以上が外国人ですが、キタの梅田や茶屋町周辺は多くが日本人なので安心し、同じ大阪でもこれほど違うとは正に驚きです・・・このインバウンド需要がいつまで続くか・・・?そればかりは誰にもワカリマセンが、先日アメ村の楽器店に中国人らしき高校生が買いに来ていましたら、そのうちライブハウスにもインバウンドが押し寄せるかも知れません。イヤ、もう既に誰かが仕掛けているかも知れません・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.21
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60超えても、まだまだ悩みが尽きません・・・(笑)。仕事は横に置いといて、長らくドラムとウインドサーフィンで悩んでいます・・・どちらも、昔から身体に染みついたテクニックやフィーリングがどうしても抜けず、新しい(次の)ステップに進むのに邪魔で仕方がないのです。ドラムで言うと、今ロックドラムに40年ぶりにリスタートしてますが、もっと以前の同じ「太鼓仲間」のだんじりの太鼓(小太鼓、大太鼓)で身につけたテクニックや身体に染みついただんじりのノリが、ロックドラムを叩く上で大いに邪魔をしているのです。今ある課題曲の新しいワンフレーズを覚えるのに、2週間以上掛かっても未だに完璧に叩けません・・・(笑)。2週間毎日、その曲を睡眠時間以外何百回も聴いていますが・・・(涙)。毎朝1時間くらいスタジオのヒマな時間帯にドラムを叩いているのですが、どうしても出来なくて情けなくなります・・・しかし、そのキーポイントであるフレーズをどうしても覚えないと、その曲全体がダメなのでドラムの先生に一生懸命教えてもらっている最中なのです。毎日自分とこのスタジオで生ドラムを叩けるなんて、人から見たら羨ましがられる環境ですが・・・そう言えばロックバンドを組んでいた若い頃の一時期、ギタリストから「だんじりの太鼓やめてくれ!」と言われ、ケンカになりそうになりました・・・(笑)。バンドの要であるドラムのノリが違えば、リードギターはアドリブを効かせ辛かったのでしょう。ドラムを始めるもっと以前の保育園児の頃から、だんじりの太鼓(和太鼓)を叩いていましたので、そのだんじりのリズムとノリが既に20代前半に染みついていたのでしょう・・・その場は、テクニックで遙かに上回るギタリストに何も言えず、「チクショー・・・」と心で泣いていました・・・(笑)。青年団の頃から大太鼓で連打する私のスタイルが「カミナリ太鼓」とか言われるようになったのは、明らかにロックの影響です・・・(笑)。中学3年の時に全国民謡大会みたいな発表会に出るためにだんじりの鳴り物の特訓を何ヶ月もしました。当時からシカゴやショッキングブルーを聴いていましたので、大太鼓を叩きながらシカゴのダニー・セラフィンの「25or6to4」や「Free」、ディープ・パープルのイアン・ペイスの「Burn」や「Highway Star」をどうしてもイメージしてしまうのです・・・(笑)。結局、私の大太鼓もロックドラムも和洋折衷スタイルか・・・?ロックな和太鼓ドラマーと、だんじりロックドラマーか・・・(笑)。ここでも中途半端な私のスタイルが具現化していると言えるかもしれません・・・(笑)。イヤ、子供の頃にだんじりの太鼓を叩きすぎたのでしょうか・・・?一方、ウインドサーフィンの方も随分長くらく悩んでいます。20年以上も悩んでいるでしょうか・・・というのは、40年前にウインドサーフィンを始めたときと今とでは、道具が全く別モノに「進化(変化)」してしまっているのです。ウインドサーフィンの道具は大きく上下2つに分けて、「ボード部」と「リグ(セイル)部」に分かれます。40年前はボードの全長3.6M(ボリューム200L、重さ20KG)に対し、今は全長2.4M(ボリューム110L、重さ6KG)程度で、全く別物になってしまっています。リグの方もセイルの素材がダクロンからフィルムに、マストがエポキシからカーボンに、ブームが木製からカーボンに、それぞれ遙かに軽量化と強度化されています。自分の体重を活かして乗るために身体に付ける「ハーネス」も道具の変遷に合わせて変ってきましたし、ボードとリグを繋ぐ「ジョイント」も木製からアルミやカーボンに変ってきました。ボードとリグが全く「別物」に変れば、理論や乗り方も当然違ってきます。それなんです・・・風向に対し風上方向にセイリングや方向転換(タック)する時は、まだ何とかついていけているのですが、風下への方向転換(ジャイブ)が問題なのです。このジャイブは昔は「後傾」姿勢なんですが、今は真逆の「前傾」姿勢でしなければならないのです。風が強く猛烈に早いトップスピードからジャイブを開始しますので、これをコレまでの反対の前傾姿勢に持ってくるのが恐ろしいのです・・・おまけに、昔の後傾ジャイブはアウトレイルとテイルに重心を掛けボードを廻し込みながらセイルを大きくアウトに振りながら返しますが(フレアジャイブ、テイルジャイブ)、今の前傾ジャイブはインレイルに重心を掛けマスト加重を意識しながらセイルをマスト中心にコンパクトに返すという、もう異次元の動き(テクニック)です・・・(笑)。コレがなかなか出来なくて・・・かれこれ20年以上悩んでいる訳です。20年間足踏み状態で全く進歩なし・・・という事です(涙)。空手の立ち方でも90%後ろ足加重の「猫足立ち」を多用しますし、スタンダードな「前屈立ち」でも前後加重は半々ですし、前足加重というのは聞いたことがありません。私の過去の運動キャリアでも、前足加重というのは有り得なかったのです・・・まァ、40年前日本でシェア100%だった「ウインドサーファー艇」の乗りすぎという事ですが・・・(笑)。当時は大学にウインドサーフィン同好会を創部したり、関東での全日本選手権や浜名湖や琵琶湖や和歌山のローカルレースに出まくっていましたから。キャリアが私と同じ3,40年のベテランでも、多くは年中(冬も)ウインドを楽しんでいる人も多いので、この「難問」を場数で熟してさしたる支障もなかったようですが、私は夏しかしませんので、毎年この問題がはだかるのです・・・(涙)。難問を数で熟すことが出来ないのです・・・という事で、ロックドラムもウインドサーフィンのジャイブも自信がないまま、それなりに楽しんでいる訳ですが、空手の基本の突きや蹴りと型は40年前と全く変っていませんので、まだ自信を持ってボランティアで教える事ができるのです・・・(笑)。そして、今のウインドのショートボードでは絶対出来ない昔のロングボードでしていた、ボードを垂直に立ててその上に乗るフリースタイルの花形技であった「レイルライド」を今の若者に見せたいモノです・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.03.16
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先日、5年前に買った家のノートパソコンが壊れました。半年前から調子が悪く、先ず開くところのヒンジが壊れ、排熱ファンの異常音・・・そして、使っている時に突然画面が消える。メーカーは、今話題の東芝でした。会社のノートパソコンもほぼ同時期に購入しましたが、こちらの方は全く問題がありません。こちらのメーカーは富士通です。過去22年で、自宅会社含めて12台もパソコンを買ってきました。シャープ、ソーテック、IBM、NEC、東芝、富士通、DELL・・・イロイロ使った結果、やはり日本メーカーが一番。ここ最近はずっと日本メーカーでした。30年前にパソコン業界で日本のトップを誇っていたNECのノートパソコンを今回壊れた東芝ノートの前に買ったのですが、1年で潰れたのがショックでしたねェ・・・2004年にIBMのPC部門を買収した中国レノボ社に、NECのPC部門が2011年に買収されたのも納得。業績不振で浮足立っている時期に、イイ製品が出来るはずありません。今回家のノートパソコンは会社と同じ富士通にしましたが、昨年10月にレノボの傘下に入る事を新聞発表したのが心配です・・・曾て世界中で隆盛を極めた日本の家電メーカーが、後進国だった中国や台湾メーカーに買収されていく姿を見ると悔しさに涙がでそうです・・・日本人のひとりとして、まだまだ日本メーカーに期待したという願いを込めて、今回少々高かったですが再度富士通にしました。富士通さん、家庭用だけでなく医療関係(病院)でも結構頑張ってます。医療現場で使われるというのは、信用のある証拠です。今回ついでに事務所用としても、同じノートパソコンを2台買いました。エアコンは日本のダイキンと決めて、20年前から会社も家もすべてダイキンです。約50年前に買った祖父母の家のエアコンがダイキンで、30年間故障もなく動いていましたが、省エネタイプではなく電気代が高いので、泣く泣く買い替えたのです。30年間も故障無しというダイキンの品質の高さに脱帽した訳です。実際の製造国は今の時代日本以外でも仕方がありませんが、やはり日本メーカーでないとという気持ちが、期待も込めてまだまだあります・・・海外旅行に行くと、過去5,60年日本の家電や自動車メーカーが頑張ってくれたお陰で、日本人というと尊敬の眼差しで見られます。私は何もしていませんが、先人の先輩諸氏らが頑張ってくれた証拠です・・・(涙)。お蔭さまで、海外旅行での英会話も「主導権をこっちに持ってくる」というセオリーで、日本の自動車メーカー、家電メーカー、楽器メーカーや空手の話題が強力な武器になるのです・・・(笑)。細かい発音を気にせず、相手の知らない中身のある内容を心がければ、文法的に多少間違っていてもブロークンイングリッシュで案外通じるものです・・・(笑)。祖父の代から約60年も織物業を営んできましたが、織機(織物機械)は全て日本メーカーでした。鈴木式織機(今のスズキ自動車)→ 豊和工業 → 遠州製作 → 豊田自動織機(トヨタ自動車の親会社)特に最後の織機更新のトヨタは、何億もの工場新設を伴った一種の「賭け」でした・・・失敗すれば倒産。正に、トヨタ頼みでした。幸いバブルの前年に「エアージェット織機(変形トンネル筬)」が後発で劣勢(国内シェア約10%)だったトヨタを格安で購入することが出来、綾織物に強いトヨタ独自の「2本バックローラー方式」で品質的に他社との差別化が図れました。この「綾枕(欠点=ストップマーク)が出にくい」というのがトヨタの絶対的な強みで、何の心配もなく平織だけでなく綾織物やドビーチックな複雑な織物もドンドン受注できたのです。20年間24時間355日稼働で頑張れたのも、トヨタのお陰だと今でも信じています・・・(涙)。しかし、その辺は何でもかんでもトヨタではなく、当時のフォークリフトはコマツ、自家用車は日産シーマでしたが・・・(笑)。せいぜい200~300万のフォークリフトや車の選択に失敗しても大した問題ではありませんが、その100倍の金額ともなれば失敗は絶対許されなかったのです・・・という事で、昭和3,40年代の子供時代の高度成長期から日本経済を身をもって経験してきたわけですが、今はITで劣勢に立たされ淘汰されている日本の家電メーカーで、EV自動車で将来不透明な日本の自動車メーカーですが、まだまだ日本の底力があると信じています・・・昨年から始めた音楽スタジオも、ドラムはパール、ミキサーとスピーカーはヤマハ、シンセサイザーとギターアンプはローランドと主要楽器機材は日本メーカーです。世界的にもプロミュージシャンの間では、日本の楽器メーカーは絶大な信頼と実績があります。昔に比べて、格段に品質が良くなって値段が安くなっている事が、実はリハスタ起業の追い風になっていたのです・・・(涙)。弊社スタジオはプロ御用達のレコーディングスタジオではなく、単なるアマチュアミュージシャン向けのリハーサルスタジオですので、ソコソコの値段でソコソコの音が出るところがキーポイントだったのです・・・日本の楽器&音響機器メーカーの「高品質低価格」は正に努力の結晶で、その恩恵を世界中のプロアマ含めた音楽ファンから絶賛されてるのです。そういった日本メーカーの努力の上に、私の織物時代の防音と防振の経験がプラスされて、スタジオ経営に繋がっていったのです。もちろん、そのベースには元ドラマーだったというのがあったからこそ、スタート出来たのですが・・・そして2006年に織物業を廃業して直ぐに始めたトランクルームを開業した当初から「防音室」を設置しましたが、その後10年間イロイロあり紆余曲折して、たまたま別館1階の「ド真ん中」の30畳の部屋が空いたのです。それが大きなキッカケで、今のスタジオに改造したのです。空き部屋が建物の端っこなら、防音の関係でスタジオは諦めていたかもしれません・・・たまたまド真ん中だったから、「やろか・・・」になった訳です。すべての「物語」は1から10まで繋がっているもので、そのうち1つでも欠けていれば物語は成立しません。リハスタ起業は、たまたま偶然に偶然が重なった奇跡と言えるかもしれません。しかし起業は誰でもできますが、それを採算に乗せて継続してこそビジネスです。イヤ、賢い人ほど先を計算しすぎて結局行動(起業)できないようで、ある程度楽観主義のバカでないと行動できないかもしれません・・・(笑)。いずれにしても、やっとまだ1年半経ったところで何とも言えませんが、これからが経営者の腕の見せ所です。起業して10年続くのが5%、95%がそれまでに倒産廃業するのが日本経済の実態と言われています。10年続いても15年継続となると、その半分以下の1,2%くらいでしょうか・・・考えてみると前途多難かもしれませんが、失敗すれば「やっぱり、バカな奴だったなァ・・」と笑ってやってください・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2017.10.12
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