全117件 (117件中 1-50件目)
昨日は梅田で、5年ぶりにブラスロックバンド「シカゴ」をこよなく愛する仲間との飲み会でした。シカゴは1967年に「ビッグ・シング」というバンド名で結成し、今年で56年もバンド活動をしています。56年もバンド続けているなんて、もう凄すぎです。私は中学1年生だった1969年のファーストアルバムから54年も聴き続けている事になり、我ながらよく飽きないなぁ~と感心します・・・(笑)。オリジナルメンバーは80歳近いですが、まだまだ現役バリバリです。67歳の私も仕事を引退せずにまだまだ現役で頑張っているのも、ある意味シカゴのお陰かも知れません。あと5年は頑張って欲しいですし、もう一度来日して欲しいものです。しかし、久々の楽しい仲間との飲み会は楽しかったですねェ・・・とにかく梅田は「今日はだんじり祭りでっか?」と言うほど人が多かったです・・・(笑)。2次会の飲み屋を探すのもどこも大入り満員で、10数軒くらい回ってやって見つけたくらいです・・・(汗)。まぁどこも20代の若者が多いのに驚きました。コロナ明けの反動なのでしょう。梅田はミナミと違って道がややこしいので、相当飲んだので帰りは御堂筋線梅田駅まで送ってもらいました・・・(汗)。なので、今日は休肝日です。まぁ同じバンドが好きという一点だけで繋がっていますので、話題がドンドン膨らみます。何日もアメリカのライブ回りした話だとか、故テリー・キャスの墓参りに行った話だとか、来日した時に空港でメンバーと話した話とか、今年だけで他のアーティストも含めて80回以上もライブに行った話だとか・・・驚くことに、シカゴ仲間の2人は単なるファンを遥かに飛び越してシカゴメンバーと友達なのです。まぁ未だにアメリカでは絶大の人気を誇るシカゴですが、日本でのシカゴ人気は下火ですが、シカゴサウンドを愛する超マニアックな我々にとって日本の世間での人気なんか関係ありません。好きなモノは好きだ・・・と。ウインドサーフィンも大学時代から始めてもう44年になりますが、30数年前に世界中でウインドの大ブームがあり、今の日本の愛好者も激減してしまいましたが、我々ウインド愛好者にとって何も関係もないのと同じです。67歳のジイサンが軽トラの荷台にドーンとウインドサーフィンのボード一式を積んで、マーブルビーチまでシカゴや高中正義や山下達郎やアースを大音量でガンガン聴いて、何が悪いのか・・・と(笑)。私は中学時代にシカゴサウンドにハマって、その影響で鳳高校オーケストラ部でトランペットを始め、その後ドラムを大学時代に始めた・・・という自分史があったから、59歳でどういう訳か?トランクルーム内で音楽スタジオを起業できたのです。シカゴを知らなければ、スタジオも何もなかった訳です。ホンと、人生なんてワカランものです。そしてこの会に参加したキッカケは、5年前の元シカゴのドラマー「ダニー・セラフィン」のバンドCTAのビルボードライブ大阪での公演で、最前列で熱狂的なファンが騒いでいたのが今回の参加メンバーらで、私が声を掛けて知り合いになって、そのまま居酒屋になだれ込みシカゴ談義に大いに盛り上がったのです。ファーストアルバムのシングルカットされた「Questions 67 and 68」のいきなり畳みかけるようなダニーのドラミングに感動したから彼のファンになり、シカゴから離脱しても彼のバンドライブに行こか・・・という事になったのです。まだ「つのだ・ひろ」を知る前で、彼の素晴らしいドラムサウンドを聴いて初めて、後にアメリカのスリンガーランドというドラムメーカーを知ったのです。54年前のレコードを聴いても未だに新鮮なサウンドなのは、当時のアメリカのレコーディング技術の優秀さとドラムチューニング・テクニックの巧みさを物語っています。という事で、メンバー全員は5,60代ですが、これからも定期的に集まってまだまだシカゴ談義で盛り上がりますよ。東京にもシカゴ愛好者はいるようですが、こういった会は無いようで、大阪でこんな会があるなんて、ホンと幸せです・・・(涙)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.12.31
コメント(0)
中学1年生の時にシカゴと共に感動したのがショッキングブルーでした。中1と言えば、1969年・・・今から54年前です。1960年代最後の年で、メキシコオリンピックの翌年で、大阪万博の前年です。この時に洋楽ロックのサウンドに目覚めたのです。子供の頃はテレビの音楽番組では歌謡曲や演歌が主体で、小学5,6年生あたりはGS(グループサウンズ)が日本で大流行し始め、それまであまり関心のなかった音楽への興味がパッと花開いたのです。ノッテいるサウンドが「カッコええなぁ~」と。この思春期の「カッコええなァ~」という感性を大事にしたいと思います。私は中1でシカゴのブラスの音に感動して高校のオーケストラ部でトランペットを始め、高2で「燃えよドラゴン」のブルースリーを見て「カッコええなァ~」と思い大学で空手を始め、同じ頃にテレビの音楽番組でスペースバンドの「つのだひろ」のドラムの音に感動して大学生になってからドラムを始め、同じ大学生の頃にテレビのコカ・コーラのCMでウインドサーフィンを見てウインドを始めて大学に学連加盟のクラブまで創部したのです。未だにトランペット以外のそれらを継続しているというのは、思春期の感性に人生を支配されているのかも・・・(笑)。しかしGSのブームが終わり、また歌謡曲が復活してきて面白くなくなった日本の音楽業界のところに、深夜のラジオの音楽番組「ヤングリクエスト」で洋楽ロックがガンガン掛かりだし、「こんな世界もあるんやなぁ~」と驚きました。シカゴの「Free」やレッドツエペリンの「移民の歌」といった結構過激なロックナンバーが何十週も連続1位だったのというのは、私は中学生でしたがリスナーの多くは高校生や大学生で、大学や高校の学園紛争が激しかった当時の時代背景を物語っています。当時のだんじり祭りでもヘルメットにラッカーを吹いて被って曳いている町もありましたから、学園紛争の社会的な影響は相当なものだったのです。そして早速、水間線に乗って貝塚駅前のグランドストアにあった中野楽器店にショッキングブルーのレコードを買いに行きました。エコーにも見に行きましたが、4曲入りのシングルレコードがなかったのです。当時のシングルレコードは45回転の2曲入りでしたがイイ曲はA面しかなく、実質350円で1曲しか聴けなかったのですが、中野楽器では何故か33回転のシングルレコードでの4曲ともヒット曲で500円だったので、中学生の私は「買いだ!」と判断して1ヶ月分の小遣いを投げ打ったのです・・・(汗)。ジャケットの写真に写ったボーカルのオネエチャンの谷間に釘付けになったのも懐かしいです・・・(笑)。お隣の岸和田駅前にはもっと大きなレコード店がありましたが、南海電車に1人で乗ったことがなかったので、そこまで1人で買いにいく勇気がありませんでした。中一の行動範囲なんか、所詮そんなモノです。レコードを買ってから針がすり減るまで聴き倒しましたねェ・・・デジタルに慣れた今の子は、そんなアナログの感覚は分からないと思いますが・・・(笑)。という事で、そんな文字通りショッキングな出来事があり、それが高校でトランペットを始め、大学ではドラムを始め・・・サラリーマン~家業(泉州の地場産業だった織物業)~トランクルームに転業~59歳でスタジオを始めたのです。人生なんて、どこでどう?化学反応を起こすかなんて・・・ワカリマセン。言える事は、目先の損得や親や他人の意見に惑わされず、自分の好きな仕事や趣味を一生懸命することで・・・人生の充実が図れるのでは。人生って振り返れば短いですが、実際にはホンと長いですから。まァ思春期は反抗期でもあり親にイッパイ心配も掛けましたが、好きな事ができたのも親の包容力と経済力があったからで、いくら感謝しても足りませんが・・・(涙)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2023.12.30
コメント(0)
ちょうど50年前の高2になったばかりの4月にシカゴのコンサートに1人で行ってきました。感動したというより、息が止まった・・・といった方が正しいです。人生でこんな事があるのか・・・と(涙)。60オーバーになったジイサンにとって、死ぬまでにこんな感動はあり得ません。16歳だったからこそ、これほど感動したのです。それまで1人で地下鉄に乗った事がなかったので、仕方なく難波駅から厚生年金会館まで迷いながら1時間も掛けて一人で歩いて行きましたが、本当にどんな無理をしてでも親にも内緒で行った甲斐があった・・・と(涙)。5,60代になってからもシカゴ、ディープパープル、チャカカーンといった往年のスターのコンサートに行きましたが、そんな感動は全くありませんでした。さしずめ10代の頃に比べて100分の1くらいでしょうか。これが60代の今の人生の現実です。16歳で音楽にこれほど感動したからこそ、今の音楽スタジオ経営で多くの高校生がスタジオで一生懸命バンド練習にしている姿を応援したくなるのです。具体的には平日の利用料金を高校生だけ少し安く設定しています。スタジオのバンド活動を通じて、一生の思い出を作ってください・・・というのが私の切なる願いです。その思い出作りのお手伝いをしているというだけで、私のスタジオ経営に意義があり、それが遣り甲斐に繋がっているのです。まぁしかし、中学1年のブラスロックバンド「シカゴ」のデビュー当時からずっとファンで、その影響で高校のオーケストラ部ではトランペットを吹いていたのですがクラシックや映画音楽ばかりでしたので、その反動で?家では防音の効いた土蔵でシカゴを大音量でガンガン聴いていたのです。クラシックとロック・・・この正反対の音楽を高校時代にドップリ浸かっていたのが、私の音楽に対するストライクゾーンを広げ、ボーダーレスでジャズやフュージョン、ラテン、R&B、Jポップ等々・・・その後イロンナジャンルの音楽でも受け入れるようになったのか・・・?当時昭和一ケタ生まれの父親は土蔵でガンガンロックを聴いている息子を「気でも狂ったんちゃうか?」と近所の人に嘆いていたようですが、晩年親父の車にそっと入れて置いたビリー・ジョエルやボズ・スキャッグスのカセットテープを「エエなぁ~」と聴いていたようで、30年経ってやっと息子の音楽を理解したようです・・・(涙)。まぁしかし、50年前のシカゴライブのオープニング曲がビートルズの「マジカルミステリーツアー」だったとは、我々シカゴファンも全くの拍子抜けでした。「何や、この曲は???新曲か??」・・・一発目からノロウにもノレナイと(笑)。そしてステージ衣装も当時大流行のグラムロックの影響を受けてか、前年までと一変しギンギラギンの衣装で登場してきたのには度肝を抜かれました・・・(驚)。音楽もファッションに大きく影響されるのか・・・と。という事で、今の私にデキる事は6人の孫にイロンナ経験を祖父の立場で提供してやることで、実際にはスタジオでドラムレッスンを毎週受けてもらったり、毎年クラブメッド石垣島や色んなところに連れて行って自然を満喫させてやったり・・・と。天国までお金を持って行けませんので、税金の掛からない生前贈与と割り切ってドンドン奉仕しているのです・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへROCK TEECHICAGO-3[シカゴ] TOUR '72 LOGO ロックTシャツ バンドTシャツ ROCK T バンT 【smtb-kd】【RCP】英国/米国のオフィシャルライセンス価格:3,740円(税込、送料無料) (2023/7/19時点) 楽天で購入 古着 90年代 Chicago シカゴ バンドTシャツ バンT メンズS ヴィンテージ /eaa338913 【中古】 【230530】価格:5,940円(税込、送料別) (2023/7/19時点) 楽天で購入 【中古】古着 ヘインズ Hanes 半袖 ビンテージ ヴィンテージ ロックTシャツ バンドTシャツ メンズ 00年代 00s シカゴ コットン クルーネック 丸首 黒 ブラック Mサイズ 中古 | 春夏 春物 春服 秋冬 秋物 秋服 メンズファッション ロンT カットソー ロンティー ロングT価格:3,894円(税込、送料別) (2023/7/19時点) 楽天で購入
2023.07.19
コメント(0)
先月買い替えた55インチ有機ELテレビで、毎晩のようにYOUTUBEの大音量で音楽ライブ三昧しています。前のテレビに比べ、42インチから55インチと大画面になったのが1番で、2番目は音楽に欠かせないソニーのサウンドが何と言ってもイイですねェ・・・ソニーのBRAVIAは画面全体から音が出ているようです。スピーカーなるモノがないのです。時代の進化は我々の想像をはるかに超えています。自宅でこれだけ音量を上げても隣近所に全く影響がないのは、田舎なので隣が離れているというのも大きいですが、2重サッシにして防音性能を高めているからです。4年前に大阪を襲った台風の教訓で、既存の出窓の内側にもう1枚ペアガラスのサッシを取り付けたのです。なので、厳密に言えばガラスは3枚という事になりますが、スタジオと同様に「防音性能を左右する空間」を十分に取っている事がポイントで、この辺が普通の二重サッシやペア(トリプル)ガラスとの大きな違いです。空間を大きく取ることによって、防音だけでなく冬の結露も全くなりました。この辺は、スタジオの防音対策や織物時代の結露対策の経験を応用しました。まぁしかし庭に置いてあった300㎏の物置が台風で倒壊し、ブロック塀の控え壁で止まりましたが、あと10㎝で出窓に当たるところだったので、もしそうなっていれば暴風が家の中に入ってメチャメチャになるどころか命も危なかったのです・・・(汗)。木造より遥かに強靭で2mも基礎がある重量鉄骨造の自宅が大きく揺れ、物置がもう少しで出窓にぶつかる・・・もう生きた心地はしませんでした。これほど恐ろしい目に合ったのは、20代の時にウインドサーフィンで遭難して以来です。南向きの葛城山を望む絶景の高台に自宅が建っていて、夏はいつも涼しい風が吹いていて心地良いですが、台風となるとそのメリットが一変してデメリットになるのです・・・(汗)。やはりモノゴトには、何でも表裏があるのです。という事で、ビールを飲んで晩御飯を食べるともう眠くなりますが、あまり早く寝ると夜中にトイレに起きるともう朝まで寝れないという悪循環に陥りますので、何とかYOUTUBEで目を覚ましながら9時まで起きているように努力しています・・・(笑)。もうオジイサンですから・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.09.23
コメント(0)
ありそうでなかったシリーズ第47弾は「70年代ロック少年」経営のスタジオ0724です。60オーバーのオッサンにとって、「ロック」と言えば洋楽しかあり得ません。それほど青春時代に大きな大きな大きな影響を受けたのです。織物業からトランクルームを経て、音楽スタジオも6年間経営している私がその証拠です・・・(笑)。ロックが私の人生に与えた影響は計り知れないのです。不幸中の幸いと言うか、高校オケ部でトランペット、大学生の時にバンドでドラムやボンゴをやっていましたが、才能がなく当時は深追いできませんでした。大雑把に言えば年代によってモノの考え方が違うのと同じように、聴く音楽も違います。ティーンエイジャー時に受けた学校教育と、当時流行っていた音楽に大きく影響されるのは言うまでもありません。と言うか、それに一生支配されているのかも・・・?それほど青春時代というのは大事だと思います。中学高校時代はブラスロックのシカゴ一辺倒でした。と言うか、小遣いの範囲では1番好きなアーティストのアルバム(LP)しか買えなかったのです・・・(涙)。当時は地下鉄を一人で乗った事がなかったので、1973年のシカゴの厚生年金会館でのコンサートも難波駅から迷いながら1時間かけて歩いていくほど熱狂的でした・・・(汗)。1階ド真ん中の舞台まで20mの3000円のS席でしたが、今思えば100万円の価値があります。それほど「あの時」行ってヨカッタのです・・・(涙)。正に、青春に悔いなしです。大学に入ってから先ずオープンデッキでFMステレオの音楽番組をエアーチェック(録音)し、それからカセットデッキにダビングできるようになり、聴く音楽が一挙に広がりました。そこでハマったのが1970年代を代表する「シカゴ」「DEEP PUPLE」「TOTO」「ボストン」「フォリナー」のロックバンドです。相当聴き込みましたので身体の中に沁み込み、今聴いても、ノリノリになります・・・(笑)。ちょうど1番好きなシカゴのギターのテリー・キャスが亡くなった頃から、楽曲がピータ―・セテラ中心のマイルドに変わってしまった頃と重なります。まぁ驚くべきことに、彼ら5バンドはメンバーチェンジを繰り返しながらも未だに現役だったのです・・・(涙)。コレがどれ程、我々ファンに勇気を与えるか事か。ちょうど日本のバンドで言うと、サザンオールスターズ、ゴダイゴ、アリスのような感じです。この年代のレコーディングはライブ時に近く、今のようなコンピューター音楽が取り入れられていません。ドラムでもコンピュータープログラミングだと「こんなの叩けるの?」というくらい複雑な音を出しているケースもあります。1970年代ロックはドラム練習にピッタリだったのです。という事で、私の脳ミソの中は70年代ロックが中心ですが、実はそれに至るまでの小学生の頃の1960年代のベンチャーズンやビートルズやグループサウンズも大きな影響を受けていたのです。と言うか、連続していますねェ・・・70年代ロック~70年代ディスコ&ファンク~Jポップ(ユーミン、山下達郎、サザンなど)~ラテンロック&フュージョン(サンタナ、高中正義など)~アシッドジャズ(インコグニート、ブランニューヘビーなど)・・・この多感な少年期から青春時代の30年間の素晴らしい音楽をリアルタイムで経験している事が、スタジオ経営に繋がっているのかと思います。音楽の沼って、ハマったらホンマ深いわ・・・(笑)。ここ最近20年の音楽ってあまり聴きませんが、1960年代から1990年代の30年間の膨大な音楽をspotifyでBGMを起きている間は毎日ずっと聴いていても(自宅リビング、事務所、車運転中、風呂)時間が足りませんし、それらの応用でワンオクロックやデュア・リパなどもノリノリで聴けるのです・・・(笑)。そんな私みたいな音楽遍歴でも工夫次第でナントか音楽スタジオを経営できているなんて、ホンと不思議で有りがたい限りです・・・(涙)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.03.08
コメント(0)
私は1956年(昭和31年)生まれの今年65歳で60代のちょうど真ん中ですが、我々の世代の多くは高校や大学時代にロック(洋楽)とディスコの洗礼を受けた世代です。1971年にレッドツェッペリンの「IV」が発売され、1972年にディープパープルの「Machine Head」が発売されました。ともに世界中で驚異的なセールスを記録し、1970年前半にこの両バンドだけでなく欧米の多くの有名ロックバンドが日本にバンバン来日公演したのもこの頃です。私は1973年のシカゴの来日講演にどうしても行きたくて、まだ高2になったばかりで地下鉄に一人で乗った事もありませんでしたので、難波駅から厚生年金会館まで1時間掛けて1人で道に迷いながら歩いて行きました・・・(汗)。当時はプレイガイドもなく、チケットを買いに厚生年金会館まで足を運び、結局2往復もしたのです。当時のS席3000円は、今思えば100万円の価値がありました。その時にしか行けませんし、それほど当時のライブの感動が50年近く経った今でも、私のココロに強烈に焼き付いていたのです。やはり、リアルタイム・・・でないとダメなのです。人生に於いて、後にも先にも「その瞬間しかない」というのがあるもので、それを逃せば人生の最後の最後まで後悔が尾を引き摺るのです。コレです・・・この瞬間、瞬間の岐路に立った時の選択の積み重ねが人生のポイントで勝負です。「今度また・・・」「次こそは・・・」「明日こそは・・・」と逃げてばかりでは、残念ながら悔いが残る人生しか送れません。中学時代にブラスロックのシカゴの影響で高校でトランペットを始めた訳ですが、ディープパープルやレッドツエペリンといったハードロックに出会えたことで、大学生になってからドラムを始めたのです。ただ子供の頃から叩いていた「だんじりの大太鼓」のクセが抜けず、どうしても和太鼓っぽくなってしまうのが悩みでしたが・・・(笑)。そして1978年に世界中でディスコブームの火付け役となったのがジョン・トラボルタ主演映画「Saturday Night Fever」でした。とにかく流行りましたねェ~私もミナミのディスコによく行きました。当時大阪で暴走族が流行り、地元の泉州連合が御堂筋で暴れまくって泉州に戻るときに、その後ろについていくとスムーズに帰れました・・・(笑)。という事で、我々60代ジーサン&バーサンの青春にとって「ロックとディスコ」は切っても切れない関係だったのです。その影響で、5年前に始めたリハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」はダンスも出来るように22畳と広くして、頭につけるキャッチフレーズが文字通り「Music&Dance」にしたのです・・・(笑)。この高校生から大学生のハイティーンから20歳前半の青春時代は、日本ではフォークソングの大ブームが起こり、世界中でブルースリーやウインドサーフィンの大ブームもクロスオーバー的に同時に起こった素晴らしい時代だったのです・・・(涙)。ある意味、我々「ポスト団塊世代」は1960年代のGSブームから1970年代にかけて世界中の素晴らしい音楽をリアルタイムに大量に浴びた運のよい世代で、関西のリハーサル音楽スタジオ大手チェーン2社の創業経営者も同じポスト団塊だったというのも無関係ではないと思います。特筆すべきは、我々の世代の1学年の人口は今の若者の世代の約1.5倍の150万人もいるという事が、如何にマーケット的に大きいか・・・と。1970年代前半に欧米の多くの有名ロックバンドの来日ラッシュというのは、当時自由主義国でアメリカに次ぐ世界第2位の人口を誇る日本の我々世代より少し上の大学生だった1学年200万人という団塊世代をターゲットにした欧米の音楽プロモーターの先見の明だったのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.11.30
コメント(0)
何をあろうことか、ウクレレを始めました・・・(笑)。2年前にハワイに行った時に、現地のウクレレ屋さんの講習会に参加してウクレレに興味を持ったのがキッカケです。「カピオラニ公園あたりでノンビリ、優雅に浜辺で弾けたらいいなぁ・・・」と。1本土産に買おうと思いましたが結構高く諦めましたが、先日日本製のウクレレが1万円もしないのを見つけ、直ぐに注文しました。そして先ほど届き、YOUTUBEを見ながら習うと、昔流行った牧信二の「あ~あ、イヤんなっちゃた~♬」が直ぐに出来ました・・・(笑)。牧信二のウクレレ漫談は私の子供の頃に一世を風靡し、60代以上の大体の日本国民は知っています。まぁウクレレは簡単、イージーというのがイイですね。もう4つコードを覚えましたが、これで牧信二のあの名曲?を弾いて歌えるのですから、宴会芸にも使えます・・・(笑)。音のチューニングも簡単に出来たのも、前にギターレッスンを受けていたのが功を奏しているかも。そう言えば、何年か前にマーブルビーチでインドサーフィンをしていると、同じサーファー仲間が風待ちで優雅にウクレレを弾いているのを思い出しました。マーブルビーチとウクレレ・・・ハワイと違い合わなさそうで、実は案外合っているな~と記憶に残っていたのです。生まれて初めて楽器を触ったのが、実はウクレレだったのです。まだ4,5歳だった頃、父親の9人兄弟の中の中高生だった叔母さんがウクレレをやっていたからです。子供心に「カッコええなぁ・・・」と記憶に残っていたのが、60年経ってウクレレに結び付いたのかも知れません・・・という事で、スタジオ経営者としてイロンナ楽器を「触っとかな、アカン!」かどうか別にして、まだ趣味になるかどうかは分かりませんが、孫のオモチャにはなるだろうと・・・それがミュージシャンへの導火線となって、ドラムやギターを習いたいと言うのを待っているのです(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.04.25
コメント(0)
松原みきの「真夜中のドア」と竹内まりやの「プラスティックラブ」が、世界中のYOUTUBEで大ヒットしているようです。所謂、1970年から1980年代に日本で流行ったシティポップと呼ばれた曲です。それまでの歌謡曲やフォークソングとは一線を画した「新しいカテゴリー」でした。当時私は20代前半で、高校時代のロック中心から更に色んなジャンルの音楽を聴きだしていました。そして、このシティポップにも飛びついたのは言う間でもありません。当時私はシカゴ、ディープパープル、ボストン、フォリナー、イーグルスといった洋楽ロック中心に、アース、ウインド&ファイヤー、ルーファス&チャカ・カーン、クール&ギャングといったソウルミュージックや、高中正義、サンタナ、BOBOといったラテンフュージョン系もよく聴いていました。そんな中で自分的にはシティポップと言える、大橋純子、EPO、角松敏生、杏里、山下達郎、竹内まりや、杉山清貴、ユーミン・・・当時の日本の音楽業界のニューカマーの層も厚く、シティポップ以外にサザンオールスターズ、安全地帯、桑名正博、スターダストレビューもよく聴いていました。彼らの殆どがシンガーであり作詞や作曲も手掛けるという「2毛作」ミュージシャンで、それが今でも60代70代になっても現役バリバリで活躍されている場合が殆どです。ココです・・・ビジネスにも通じるポイントが。何でも商売に繋げるのが大阪商人の悪い癖です・・・(笑)。著作権を所有せずに、単に他人の歌を歌っているシンガーだけではミュージシャンとしての寿命が短いのです。やはりコンテンツ・・・ホンモノしか残らないのです。作詞や作曲を他人に任せず、自分でもやらないと。欧米のミュージシャンが寿命が長いのも、多くが自分達で曲を作り歌っているからです。ここ数年の間に1970年代に一世を風靡したシカゴ、ディープパープル、シャカタク、チャカ・カーン、クール&ギャング、スタイリスティックスのライブに行きましたが、70代になってもバンバン日本で稼ぎまくっています。自分たちが作った曲をキーを下げてでも、新しいメンバーを加入させてもバンド活動(ワールドツアー)を継続させ、世界中のオールドファンを喜ばせるという涙ぐましい努力です。そうなんです・・・我々ファンは歌を聴きに行くといより、彼らの健在な姿を見に行くと言った方が正解かも(笑)。シンガーソングライターなんていう言葉は、3者分業体制(作曲、作詞、歌手)の日本の音楽業界(歌謡曲)独特のモノだったのです。正に携帯と同じでガラパゴス状態だったのです。欧米の音楽業界では敢えてシンガーソングライターと言わなくても、それが普通だったのです。まぁしかし、自分的には山下達郎とユーミンの登場が衝撃的でしたね・・・これまでに全く存在してなかったスタイルの曲に「ナンや!この曲調は!!!」と。という事で、40年前のシティポップが世界中で見直されている原因を自分なりに分析すると、作曲や作詞やアレンジはもちろんの事、日本の層の厚い優秀なバック(スタジオ)ミュージシャンによるところも大きいと思います。ギターは高中正義、大村憲司、鈴木茂、今剛、松原正樹・・・ベースは細野晴臣、伊藤 広規、後藤次利・・・ドラムは青山純、つのだひろ、村上ポンタ秀一、林立夫・・・キーボードは坂本龍一、難波弘之、松任谷正隆・・・バックグラウンドボーカルは吉田美奈子、大貫妙子・・・ホーンセクションは新田一郎などの元スペクトラムのメンバー、向井滋春・・・やっぱり、どんな作品でも支えているのは裏方なんですね・・・日本の40年前の音楽シーンのコンテンツは、これから世界中に発信できる可能性を秘めています。期待大!「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.03.29
コメント(0)
あれは忘れもしません。中学1年生の夏休みの夜、何気なく聴いていたラジオから突然「何やコレ!」と衝撃的な音楽が聴こえてきました。その曲こそ、当時人気上昇中のブラスロックグループ(アメリカ)のシカゴの「Questions 67 and 68」だったのです。それまで小学生の時によく聴いていた歌謡曲やGSサウンズと全く「音」が違うのです。英詞の内容も何も分からないのに、音に感動したのです。特にイントロのダニー・セラフィンのドラムに感動しまくりです。これをキッカケに、それから洋楽を聴きまくりました。と言っても、AMラジオで聴くだけですが(当時はまだFMは未開局)・・・(笑)。というのは、1か月の小遣いが500円だったので、1枚350円のシングルレコードを2カ月に1枚しか買えませんでした・・・(涙)。2200円もするアルバムなんかとんでもない・・・高校生にしか買えませんでした。貝塚駅前にあったエコーで、店長の顔色を見ながら視聴しまくり、2時間粘ってやっと1枚買ったのも懐かしい思い出です・・・(笑)。そのシングルもA面しかイイ曲が入ってなかったので、実質1曲350円です。これが50年前の音楽の価値でした。よっぽど音楽が好きでないと、レコードに金を費やすなんて出来なかったのです。そう言う意味で、1か月たった1000円でスポティファイなどの音楽サブスクで聴き放題・・・今の中高生は恵まれすぎ羨ましい限りです。シカゴの影響を大きく受け高校オケ部でトランペット、大学生になってからはドラムを始めました。正に私の青春の音楽歴のスタートはシカゴだったのです。シカゴの後よく聴いたのが、ディープパープル、レッドツエペリン、イーグルス、ボストン、フォリナー、ジャーニー、ドゥービーブラザーズ、GFR、CCR、クイーン、エアロスミス、ローリングストーンズ、ビートルズ、エルトンジョン、ウイングス・・・今でもこういった曲をメインに毎日飽きもせずに聴いています・・・(笑)。どれも1970年代ロックです。言ってみれば、59歳で音楽スタジオを起業したのも、70年代ロックに私の人生が大きく支配された証拠と言っても過言ではないのでは・・・(笑)。という事で、アマチュアドラマーとして毎日音楽にドップリ浸かりながら、スタジオ経営にも勤しむという計画通り?の理想的な生活を送り、次は何を新たにしようかと虎視眈々と狙っている自分がチョット気持ち悪いです・・・(笑)。エエ年なので、もういい加減に落ち着かないと・・・まだあの激しかった70年代のロック魂が残っているのか(笑)。ワイキキのちょっとヤバそうな珍しく入店チェックのあるよく行ってた小さなライブハウスで、その日のバンドに「今日は何をヤルんや?」と聞くと、「ロックや!」の一言に重みを感じ「イエーイ!」と返事したのも懐かしいです(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.03.07
コメント(0)
もう64年も生きていますが、「思い出の1曲は?」と問われればアース、ウインド&ファイヤーの「Fantasy」に辿り着きます・・・(笑)。70年代のミナミのディスコの定番曲で、世界中の誰もが知っているダンスナンバーです。一番よく行ったミナミ宗右衛門町のディスコ「B&B」・・・当時流行っていた漫才グループと同じ店名で「ビービー」とか我々は言ってましたが。当時激安の2500円くらいで入れましたし服装チェックもなく、フィリピンバンドが上手に演奏していましたのでメチャメチャ流行っていました。同じビルの上にあった葡萄屋は入場料5000円くらいで服装チェックもありましたが、ハイソなギャルが多く敷居が高かったのであまり行けませんでした。難波寄りのジャパンは客層が若すぎて、当時大人ぶっていたのあまり行きませんでした。当時は土曜の夜に駐禁にならない大丸の御堂筋側の表玄関に車をドンと止めて、ミナミで踊ったあと御堂筋で暴れていた暴走族の泉州連合の後について行って貝塚まで帰ったのも懐かしいです・・・(笑)。今から考えると、完全にバカ息子ですねェ・・・(笑)。カラオケでも私の18番?です。今でも世界中で色んなアレンジでカバーされているところに、この曲の偉大さが現れています。元々アフリカにルーツを持つブラックミュージックでありながら、ラテンチックなアレンジも凄くイイ感じな所に、音楽の持つワールドワイドな魅力を感じます。もう30代の娘たちも小さい頃から車のカーステでこの曲をかけまくっていたお陰で、最後の「ア~アァ~」まで3人でハモッています・・・(笑)。やはり姉妹というのは親が一緒なので、ハーモニーが不思議と上手くいくんですねェ・・・という事で、ミナミはディスコだけでなく小さなライブハウスが沢山あってよく通い、青春の時間と金を相当つぎ込んでだ町です。特に元カーナビーツのアイ高野が店長だった周防町筋あたりにあった「ルイ」という小さなライブハウスには、よく行きましたねェ・・・被りつきでチャーのベンチャーズをよく聴いたものです・・・(笑)。これはメチャメチャマイナーなんですけど、ルイの近くに「ジュークジョイント」というフュージョン専門のライブハウスが小さなビルの2階にあり、ウインドサーフィンを教えた関西外大の軽音部の年下の子がベースでライブに出ていて、初めてチョッパーズ奏法というのをかぶり付きで見たのを思い出します・・・(笑)。何で、ウインドサーフィンとチョッパーズか?という関連性を40年前の事なのでどうしても思い出せないのが愛嬌です・・・(笑)。 そういった20代の遊びの延長で、その後サラリーマン時代を経て織物時代の毎週金曜の接待でもディスコはさておきライブハウスだけでなく音楽絡みのミュージックバーを、ミナミだけでなくアメ村から堀江や鰻谷まで、はたまたキタまで活動エリアを40代後半までドンドン開拓していきました・・・(笑)。その中でもとりわけ印象に残っているのが、年50回ほど毎週通っていた鰻谷の吉本興業が経営していたライブレストラン「アンコール」です。ニューヨークから引っ張ってきた本場仕込みの黒人バンドの素晴らしいエンターテイメントに毎週酔いしれていました。呑み放題食べ放題聴き放題の時間無制限で3500円・・・なんて考えられません。しかも料理が絶品でした。当時超円高の1ドル80円くらいで、強い円を背景にニューヨークの無名だけど超一流の腕を持ったミュージシャンを日本に引っ張って来たのだなァと・・・吉本興業の商人魂に感心しました。まぁしかし聴くジャンルもロックから、ブラックミュージック(ソウル)、ジャズ、ラテン系、フュージョン、ブルースへと広げていきました。もちろん日本の音楽も浪曲以外は歌謡曲からフォークソング、当時流行りかけてきたサザンやユーミンや山下達郎などのシティポップやJポップもよく聴き・・・町内の150年以上続く盆踊りの「横山くどき」音頭まで実際習いました。ココが大事なところで、中高時代に一生懸命聴いたロックや高校オケ部でドップリ浸かったクラシックが基本となり、可能性がドンドン広がっていったのです。まァ、ここまで長く音楽系で遊んできたジーサンも珍しいと思います。子供の頃から町内で120年以上続くだんじりの鳴り物(大太鼓、小太鼓、鉦、横笛)、高校オケ部でトランペット、大学ではドラムと楽器に馴染み、中学生から本格的にロックを聴きだし色んなジャンルの音楽を聴いて50年・・・そういった楽器演奏と音楽鑑賞のバランスを上手に取ってきた音楽系の遊びが、今のスタジオ経営に少しは役立っているのか・・・?やはり、アソビでも継続は力なり・・・ちゃうか(笑)。音楽で脳ミソの使う範囲を広げたお陰で、一般ビジネスでも固定観念に囚われず脳を開放して織物業からトランクルーム、不動産屋、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク&自習室へと全く異なった業界へ事業を拡げていけたのかとポジティブに考えています・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.02.09
コメント(0)
最近「ONE OK ROCK」をよく聴いています。いわゆるワンオクという若いロックバンドです。これはホンモノや・・・と。グルーブ感が洋楽ロックにドップリ浸かった我々60代オッサン世代のフィーリングにピッタリかも知れません。小学生の頃のGSブームの影響か中学生から洋楽ロックを聴きはじめ、高校オケ部のトランペットでクラシックに馴染み、今私がよく聴く音楽は1970~1980年代の洋楽ロックを中心にヘビメタ、フュージョン、ソウル、ディスコ、ラップ、ヒップホップ、R&B、ラテン、ボサノバで、最近の曲は殆ど受けつけませんが、ワンオクだけは身体にスーッと入ってきます。不思議ですねェ・・・何やろ・・・この感覚は。人間の感覚は保守的なもので若い頃に経験したモノが一生を決定づけ、40代以降の新しいモノに関しては拒否反応を示すものです。逆に言うと若い頃の「幅広い経験」が免疫となり、40代以降の新しいモノに対して寛容になるでは(応用が利く)・・・?そういった意味で、40代以降にインコグニートやブランニューへビーズを新たに聴きだしのだろうと思います。振り返れば、日本のロックも迷走期間が長かったです。1960年後半の日本に一大ブームを巻き起こしたGS(グループサウンズ)が収束した後の1970年代前半にジョー山中率いるフラワートラバリングバンドが全米ツアーをしたり、ラウドネスも1980年代に全米ツアー・・・と海外でも通用するロックバンドを目指してツアーをしました。当時の音楽月刊誌「ミュージックライフ」や「ライトミュージック」には、当時日本はフォークソング全盛期だったのが影響してか「日本人にはロックが出来ない・・・」といった類の記事がよく書かれていましたが、それらをモロともせず全米ツアーを決行したFTBに当時高校生だった私でも「スゴイ!」と深く感動し敬意を表したものです。その結果、今でも紆余曲折もありながらも現役で彼らはバンドを続けています。これってスゴイ事だと思います。やはり、継続は力なりですねェ・・・ここまで力強く頑張れるのは、自分達で曲を作りそれを自分達で演奏するという海外では当たり前の事をしているからだと思います。他人の曲ではない、自分たちのオリジナルの曲で勝負というスタイルです。これ以上強いものはありません。フラワートラベリングバンド、ラウドネス、ワンオクに共通するのは、ボーカルの歌唱力が抜群で英語でも歌える事です。やはり、世界に通用するには英語が欠かせません。この辺が大きな壁になっているのです。ワンオクの歌詞の英語に日本語も混じっているのが、何ともサザンっぽく粋ですねェ・・・今の世界の若者にウケるには英語が基本ですが、日本語が混じっていても何の違和感もないようで、この辺が「音楽は世界の共通語」たる所以です。逆にそれがKool!と映るのでしょう・・・(笑)。ONE OK ROCKの『Ambitions』(2017)が、全米iTunes総合4位だったのが、それを証明しています。もうひとつオモロイ話を・・・ワンオク4人中2人が大阪で1人が兵庫出身で、ラウドネスは全員大阪出身・・・日本発ロックは世界のOSAKAからや!というのを(笑)。話は芸術から脱線しますが、ユニクロやニトリの快進撃はSPA(製造小売り)というエンドユーザー直のビジネスのフィーリングが同じだったのです。ちゃうか・・・・?あと個人的に思うのは、4ピースバンドだったというのがポイントだと思うのです。今の音楽業界はCDの売上が減り、ライブでの売上に逆転されています。そうなると、ライブとCDの演奏が「同一」でないとファンは面白くない訳です。3ピースや4ピースバンドは、シンセサイザーが無く楽器構成がシンプルなので、当然CD制作で細かい細工が出来ません。おのずとライブとCDの音が同じになるのです。同じような事が1970年代前半のアメリカのロックバンド「シカゴ」人気にも共通した要因がありました。シカゴの当時の評判は「レコードとライブが一緒やん」でした。シカゴのアルバムは1から6くらいまでは、あまりライブで出来ないストリングスなどの加工はしませんでした。しかし欧米は知りませんが、アジアで世界に打って出ている若いバンドは少ないと思います。それだけ日本の若いバンドが頑張っている事だろうと思いますし、日本のバンド文化の層の厚さを感じます。という事で、ワンオクボーカルのTAKAの両親は、日本を代表する演歌歌手の森進一と森昌子というのは余りにも有名です。やはり、何だかんだ言っても知能と体格はすべて両親からの遺伝で、それ以上でも以下でもありません。弊社「スタジオ0724」も今年3月でオープン5年になり、第2のワンオクみたいな素晴らしい若いバンドさんが増えています。彼らがメジャーデビューして有名になった暁には、下積み時代によく使っていたスタジオのマスターとして私がテレビに登場・・・てなシーンを妄想します(笑)。しかし「ONE OK ROCK」という命名の由来は、結成当時練習スタジオに入るのが、深夜パックで料金が安くなる毎週末の午前1時(one o'clock)だったことからだそうで、泣かせますねェ・・・「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.01.18
コメント(0)
昨日BSテレビで「蘇る、グループサウンズ」という番組を見ました。グループサウンズ・・・いわゆるGSというヤツです。欧米におけるベンチャーズやビートルズ、ローリング・ストーンズなどのロック・グループの影響を受けたとされ、1967年(昭和42年)から1969年(昭和44年)にかけて日本で大流行したのです。私がちょうど小学校4年~6年のたった3年間のブームだったのです。流行ソングの替え歌も、小学生の間で流行りました・・・(笑)。リアルタイムで小学生の時にGSを経験したのです。この思春期のリアルタイム体験というのがポイントで、年齢や年代によってそれぞれ「旬」というのがあり、それを逃すと効果は半減どころか10分の1以下でしょう。それほど思春期のリアルタイム体験というのが重要で、年取っていくら後悔しても既に遅しです。番組では当時の日本の音楽業界の裏話もあったりして、非常に興味深い内容でした。そんなGSに大きく影響を受けた小学生時代を送りましたので、その後中学生になり当時中高生に大人気の深夜のラジオ音楽番組「ヤングリクエスト」の洋楽ロックに噛り付いて聴いていました。「日本のグループサウンズと全く違う斬新なメロディーや!」・・・と(驚)。過去を振り返ると、小学生でグループサウンズ、中学生で洋楽ロック、高校生で洋楽ロックに加えオーケストラ部(トランペット)でクラシック、大学生でドラムを始めブラックミュージック、フュージョン・・・と興味の赴くままに聴いたり楽器を始めたのはごく自然な流れでした。楽器は一時中断しましたが、50年間好きな音楽を聴き続けた結果、59歳でリハーサル音楽スタジオを起業したのも、ある意味自然な流れかも・・・(笑)。それらと並行して村では何百年も続いているだんじり祭りと盆踊りがあり、保育園時代から青年団時代まで一生懸命太鼓を叩いたり、踊ったりした経験も私のベース(DNAの中)にあったのです。まぁしかしGSは一過性の単なる流行だった訳ではなく、その後の日本の音楽業界の方向性にも大きな影響を与え、60オーバーの重鎮と呼ばれるミュージシャンの思春期に多大な影響を与え、制作会社側にも元GSメンバーが少なからずいるという事実がその偉大さを証明しています。ちなみに私と同じ1956年生まれの現役ミュージシャンは、サザンの桑田佳祐、ハウンドドッグの大友康平、佐野元春、ナニワエキスプレスの東原力哉、長渕剛、野口五郎、ラッツ&スターの鈴木雅之と蒼々たるメンバーで、1つ上の1955年生まれに矢野顕子、竹内まりや、チャー、松山千春で、1つ下の1957年生まれに尾崎亜美、スタレビの根本要らがいます(敬称略)。という事で、60オーバーになると「今、こうなっているのは一体なぜ・・・?」と人生を振り返って考察する事が多くなりました・・・(笑)。リハスタ経営も昨日のテレビのGSと全く無関係ではありません。直接、間接に関係なく、今(結果)には必ず原因があるのです。そうやってモノゴトを分析するのが癖になりました・・・(笑)。しかし小学校5,6年のクラス会を毎年やっていますが、GSブームを共有した(メキシコオリンピックも)という意味で仲が良いのかも知れませんねェ・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.12.30
コメント(0)
やはり、音楽を聴くと元気になります。 誰でも落ち込んだりしますし、そんな時の特効薬が音楽だったのです。 今年64歳の私が、毎日何が一番楽しいか・・・? もちろん音楽を聴いたり、ドラムを叩いたりするのに決まっています・・・(笑)。 毎日1970代から1980年代にかけて世界中で大流行した洋楽ロックを中心に聴いています。 当時のミュージシャン達は20代で、当時中高生の10代だった我々ファンの心を揺さぶられた曲の数々です。 あれから50年経ち、ロックミュージシャン達は70代に、我々ファンは60代になりましたが、未だにそんな関係で懐古できるなんてウレシイじゃないですか。 そして忘れていけないのは、その前の小学生だった私の小さな心を揺さぶった日本のGS(グループサウンズ)だったのです。 これが私の長い音楽愛好歴の原点だったかも知れません。 カーナ・ビーツのマネをして「お前のすべて~!」や、ゴールデンカップスの「辛い恋だから、愛の物語~♪」なんて叫んでいました・・・(笑)。 今も小学校のクラス会の2次会のカラオケで叫んでいますが・・・(笑)。 という事で、もう音楽なしには老後を楽しく過ごせませんし、来年2月の第3スタジオ(Cスタジオ)増設で、それ更にパワーアップしようと目論んでいます。 その先には、バンド「マッチング」を目的としたAスタジオでの月1回のジャムセッション、ドラマーとして45年ぶりにロックバンド加入や、コロナが収束すれば毎日ライブハウスのハシゴ・・・といった妄想が広がります(笑)。 そして、この70代ロックバンドと60代ファンとの関係が、10年後には果たしてどうなっているか・・・? 80代ロックバンドの演奏を是非聴きたいモノです。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.11.27
コメント(0)
私の人生の中で音楽が占める割合が多いのですが、その中で1番ショッキングな出来事があったのが48年前の1972年でした。 1972年と言えばちょうど鳳高校に入学した年で、ラグビー部を2週間でやめオーケストラ部に入ってトランペットを始めたのです。 その影響はブラスロックバンドのシカゴとチェイスでした。 中学1年生で洋楽ロックに目覚め、特にシカゴに心酔していたのです。 正に、この1972年に彼らは来日したのです。 彼ら以外にも、この年にレッド・ツエペリン、Tレックス、ピンク・フロイド、スリードッグナイト、EL&P、カーペンターズ、続々と来日公演をしています。 特筆すべきは、全てのバンドが絶頂期だったという事で、如何に欧米の音楽業界が日本のマーケットを重視していたかの証明です。 欧米の音楽業界から見ると、当時世界で自由主義国で人口1億人というのはアメリカに次いで日本が2番という巨大マーケットでしたから、ビジネス的に各国が日本に目を付けるのは当然の事でした。 当時それらのロックコンサートに行った高校生や大学生は今60代半ばから後半ですが、リアルで彼らの演奏を聴いたのです。 何もコンサートに限らず、この「若い頃のリアル体験」というのが非常に重要で、一生何らかの形で残るのです。 30代や40代になってからでは遅いのです。 あくまでも10代や20代前半のリアルタイム経験・・・これほど「衝撃的な経験」はありません。 これから大きくなる私の孫や若い人に言いたいのは、心の底からヤリタイ事をやり「青春に悔いを残さず」です。 親の顔色を窺ったり、世間の常識に惑わされるのは愚かな事です。 弊社「スタジオ0724」の会員1500人超の約半数が高校軽音楽部かOB&OGですが、バンド活動に青春を懸けるほとばしる情熱を感じると、日本の将来はまだまだ明るいと感じるのは私だけでしょうか・・・? まぁしかし、アーティストが来日するという情報は「ミュージックライフ」や「ライトミュージック」といった当時若者に大人気の音楽月刊誌からでした。 しかし、時すでに遅しでコンサートには間に合いませんでした。 来年は絶対行くぞ・・・と心に誓いました。 1972年当時の日本の音楽業界は、ちょっと前まで大流行していたGS(グループサウンズ)が廃れてテレビから消え、テレビでは演歌や歌謡曲が全盛で、フォークソングの勢いが増して来た頃でしたが、当時の音楽に敏感な中高生や大学生はテレビの音楽番組なんか見ずに、ラジオの洋楽番組に噛り付いていたのです。 ラジオからの洋楽ソースは海外から日本にバンバン入ってきたのです。 この時不思議に思ったのが、欧米ではシンガーソングライターが当たり前なのに、日本の演歌や歌謡曲は作曲と作詞と歌手の「3者分業体制」が主流だったという違和感でした。 その後の日本の携帯電話と同じで、中学生までずっと聴いていた日本の音楽が「実は世界から見ると、ガラパゴスだった」という驚きです。 「これまで何だったんだ?」という気づき、と言うかこういった視点。 テレビからの音楽に洗脳されず、もっと他にもソースを広げる努力・・・この考え方は今でもビジネス的に応用できると思います。 まぁしかし、当時のテレビで洋楽ロックの映像なんて殆ど見れませんでしたので、音だけです。 正に、耳だけが頼りです。 どんな格好(ファッション)で演奏しているのか・・・? どんな楽器を持っているのか・・・? 想像力を掻き立て、国内版に先行し輸入盤のアルバムが発売されれば、いの一番に心斎橋のヤマハに飛んでいきました・・・(笑)。 そして、アルバムジャケットの写真や制作クレジットを食い入るように見て、想像力をフル動員するのです・・・(笑)。 まだカセットデッキもVHSビデオもなく、ラジオのステレオ放送もない時代でしたから、耳からの情報が唯一の頼りでしたので、当時の若者はイマジネーション力が発達したのでしょう・・・(笑)。 確か難波地下の渡辺楽器でたまにアルバムを買うと、付録にネックチェーンやTシャツが付いてきて涙が出るほど嬉しかったのを思い出します。 私が実際にシカゴのライブ行ったのは翌年の1973年でした。 まだ大阪の地下鉄に1人で乗ったことが無かったので、チケットを買うにも当日のコンサートに行くにも親に一切言わず、難波駅から厚生年金会館まで片道1時間かけて歩いて行ったのを、昨日の事のように覚えています。 当時は反抗期でしたし、演歌世代の親に「ロックを聴きに行く」なんて反対されるのは分かっていましたから、口が裂けても言えませんでした。 まぁ、よく行ったものだ・・・と振り返ると涙が出るほど嬉しいものですが、行かなければ一生悔いが残っていたでしょう。 「勇気を奮い立たせ、自分の意志を貫いた」充実感とでも言うのでしょうか・・・ 学校で「勇気」の出し方は教えてくれませし、自らの経験で学ぶしかないのですが、社会人になってからこれまで勇気が要る場面が多々ありましたし、これからも要る事でしょう。 とにかく、これまで興味を持ったモノに勇気を出して「一歩進めた」人生を歩めたのも、元はと言えば高2の時のシカゴのライブコンサートが発端でした。 経験をお金に換算するのは心苦しいですが、敢えて分かり易く伝える為に言うと、47年前のシカゴのライブコンサートに行った経験は今の1000万円以上の価値があったでしょう・・・ それほど私にとって、価値があったのです・・・(涙)。 これから本格的に始まる70代以降の老後・・・もちろん今まで通り「勇気」を持って臨むつもりです。 という事で、1972年の2年前の中学生の頃は一人で南海電車も乗ったことが無かったので、1か月の小遣い500円を握りしめて水間線に乗り、貝塚駅前にあった唯一のレコード店エコーに350円のシングルレコードをよく買いに行きました。 A面とB面に計2曲しか入っていませんでしたが、実質A面の1曲だけが目的の曲でしたが、それを店主の顔色を見ながら「この曲聴かせてください・・」と何枚も視聴させてもらって、2時間も粘っていました・・・(笑)。 この頃に「粘ちこい」性格が作られたのか・・・(笑)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.11.23
コメント(0)
こりゃ素晴らしい!・・・というYOU TUBEを見つけました。シカゴの名曲「IF ‘YOU LEAVE ME NOW」を高校生(軽音、管弦楽、コーラス、ブラバン)とシニアバンドがコラボしているのです・・・ (驚)。年代や音楽のジャンルを超えて、一つの曲を演奏するなんて・・・弊社スタジオに来られる高校生は軽音楽部の生徒さんだけですが、高校には同じ音楽系クラブとして軽音楽部以外に「吹奏楽部(ブラスバンド)」や「管弦楽部(オーケストラ部)」や「コーラス部」や「フォークソング部」や「ギター部(クラシック)」「ジャズ音楽部」もあるのですが、これらは互いに交流する事は少ないと思います。事実私も鳳高校時代は「オーケストラ部」でトランペットを吹いていましたが、他の音楽系クラブと交わる事はありませんでしたが、貴重な経験をしました。クラシック中心のオーケストラ部でしたが、ジャズやロックに興味のあるフルートの先輩が「これからはジャズロックや!」とオケ部を飛び出し、ジャズロックを中心とした「音楽愛好同好会」を創り、シカゴやキャロルのコピーをやりだしました。この事件に私はビックリ仰天。しかし「クラシックとロックは繋がっているんや・・・」とひとりで納得しました・・・(笑)。そしてその後、和泉市民会館を貸し切った学内の音楽祭で同級生らがリーゼントと革ジャン姿で当時流行っていたキャロルの「ファンキー・モンキー・ベイビー」を演奏しだすと、館内が一瞬で歓声に包まれ真面目そうだった女子までキャーキャーと騒ぎ出す姿を見て、私も含め多くの人に感銘を与えた事が驚きでした。練習では中庭の校庭でキャロルをガンガンやり出し、声楽の先生までが「ドラムの○○君、カッコええわ・・」と言い出す始末・・・(笑)。確かに時代の最先端をイっている感じで、羨ましかったですねェ・・・一方私は、家ではブラスロックのシカゴをガンガン聴いているにも拘らず、部活ではそれを抑えて矛盾を感じながらクラシック音楽をペットで吹いている自分が複雑でした。人生というのは「なかなか思い通りに上手くいかないものだ・・・」と高校生の時に実感していたのです・・・(笑)。まぁ、その時キャロルのコピバンの主役であったギター&ボーカルのK君が、今マジメに弁護士をしているのを想像すると噴き出しそうです・・・(笑)。この1972年キャロルの登場は当時の日本の大きな社会現象でしたし、特に当時の中高生や大学生の音楽ファンにとって衝撃的でした。歌謡曲に飽き足らない中高生から大学生は日本のフォークソングや洋楽ロックに嵌っていたところに、日本語による本格的な「和製ロックンロール」の登場でしたから。キャロルのリーダーだった矢沢永吉さんは、70代になった今でも多くのファンを抱え現役バリバリでライブをこなしているのを見ると、やはりキャロルは本物だったんですねェ・・・まぁしかし元はと言えば、先輩の突拍子もない行動が発端だったのです。それが大きく学内を騒がせたという事実に、未だに新鮮な感動を覚えます。しかしそんな事が出来たのも、前年までゲバ棒とヘルメットの学園紛争が吹き荒れていて、紛争が終結してから自由が満ち溢れていた当時の鳳高校の環境が大きく影響していて、単車通学OKや遠足は各クラス行き先を自由に決め私服の現地集合現地解散で「何をヤッテも自由」みたいな校風がそんな行動を許したのでしょう・・・まぁ同じ音楽という大きな括りで考えれば、ロックもフォークもクラシックもなく、互いに交流すれば化学反応で「何かを感じる」はずです・・・同じ目的もった者同士の他流試合、異業種交流。ソコです・・・重要な事は。その後私は関西外大でウインドサーフィン同好会を創部しましたが、同じ海の上を走るヨットに以前から興味を持っていて、「マストの違いだけで(ヨットは固定で、ウインドは360度回る)、何故ヨットは早いのか?」という素朴な疑問を解決する為に、ヨット部の知り合いに「琵琶湖で一緒にレースせえへんか?」と持ち掛け合同レース練習をしたのも、高校時代の経験からだと思います。非常に有意義でしたねェ・・・新興のウインドサーフィンと歴史のあるヨット・・・同じ海を走る「小さなフネ」なのに、海に対する「切り口」が違う事に驚き刺激になりました。高校大学と、こういった貴重な体験をした事が何かプラスになっているのか・・・?そして、コロナが落ち着く来年くらいに弊社Aスタジオで計画している「スタジオジャムセッション」で、同じように違うジャンルの老若男女の地元ミュージシャンが音楽を楽しむ光景が浮かびます・・・以前にも22畳もある弊社Aスタジオで大阪市内の住吉高校が文化祭向けに軽音楽部と吹奏楽部とダンス部の3クラブのコラボ練習で来られましたが、総勢20人近く演奏しダンスする姿は圧巻でした・・・(驚)。という事で、この歌、1987年にシカゴが来日した時に大阪城ホールに聴きに行きましたが、ピーター・セテラの歌声が耳にこびりついています。下のYOUTUBEにシカゴのギターリストの故テリーキャスが、珍しくベースを弾いているではありませんか(ボーカルのピーターはベースシストでアコギを弾いている)・・・(驚)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.10.20
コメント(0)
私の大好きなフォリナーの再結成コンサートが、2年前にロサンゼルスで行われたようです。 この公演はフォリナーの2枚目のアルバム『Double Vision』の40周年を記念するコンサートで、新旧のメンバーが出演したようです。 その中で40年前のオリジナルメンバーの演奏が感動的でした(ベーシストのみ2代目)。 全員70代とはとても思えないような素晴らしい演奏です・・・(涙)。 70代ともなると色んな病気を抱えているモノですが、それを超越させるのが音楽のパワーです。 素晴らしいライブは、正にご立派としか言いようがありません。 特にルー・グラムの元気なボーカルに感動です。 4,50年続いている有名バンドで、これほどオリジナルメンバーが集まるのは他にローリングストーンズくらいしかありませんので、ファンとしては1日でも長くライブをやって欲しいのです。 70代のオジイチャンバンドのライブの最前列に、20代の若いオネエチャンがノリに乗って踊っている光景はホンとカッコイイですねェ・・・ 70代のジイサンになっても、カッコイイ・・・これ理想ですし、是非目指したいですね。 その為には、空手とウインドサーフィンとドラムを続けねば・・・(笑)。 この「Feels like the first time」という曲も、実は私のドラムレッスンの課題曲だったのです。 現在のバンドメンバーにはリードギターのミック・ジョーンズしかオリジナルメンバーは残っていませんが、往年の数々のヒット曲を忠実に再現しているプレイは圧巻です。 ハードロックやヘビメタと違った「これがロックや!」という感じのフォリナーの味が何とも言えません。 今と違って当時のビルボードやキャッシュボックスといったアメリカの音楽チャートの上位にランキングされれば、欧米や日本(旧社会主義や共産圏以外)の若者の間で爆発的なヒットに繋がったのです。 まぁこれほど多くのヒット曲をもっているバンドは少なく、日本(作詞、作曲、歌手の三者分業体制)と違って、海外アーティストは自分たちで曲を作って歌うのが当たり前ですので(他人のカバー曲ではなく、オリジナル曲で勝負)、丸々印税が入りショービジネス的にもフォリナーは大成功した例と言えるでしょう。 ライブ最後の新旧バンドメンバーが仲良く一緒に演奏した"I Want To Know What Love Is"は、正に圧巻です。 私ならその場にいたら、感動で号泣していたでしょう・・・YOUTUBEでも半泣きですから(笑)。 出来ればプロモーターのウドーさんあたりに、こんな企画で彼らを是非日本に招聘して欲しいものです。 10年後の我々の同世代がボチボチ老人施設に入居する頃に、フォリナーのトリビュートバンドを引っ提げて慰問し、自分達も同世代も20代に戻って元気づける・・・なんて(笑)。 しかしライブ映像を見ると、親子でフォリナーのライブを楽しんでいる姿が目立ちます。 やはり親がフォリナーが好きななら、子も好きという証拠です。 弊社スタジオに高校生が多いのも、親の青春時代がちょうど日本の第2次バンドブームだったから・・・というのと同じです。 という事で、同じ長寿バンドとして私の音楽人生の発端となったシカゴも、是非新旧メンバーでジャパンツアーを決行して欲しいと切に願います。 2016年のアメリカの「ロックの殿堂」入りをチープ・トリック、ディープ・パープル、スティーヴ・ミラーとN.W.A.らと一緒にシカゴも殿堂入りを果たしましたが、式典当日にオリジナルメンバーだったドラムのダニー・セラフィンは参加しましたが、ベース&ボーカルのピーター・セテラが欠席する事態になり非常に残念でした。 1973年大阪厚生年金会館で聴いたピーター・セテラのボーカルを、もう一度聴きたいモノです・・・いや、もう彼はライブ活動していないので彼の元気な姿を見るだけでイイです。 4年前に大阪フェスで、ディープ・パープルのライブでイアン・ギランを見たように・・・(笑)。 しかし若い時は誰でもメンバー間で人と衝突したりしてバンド活動をなかなか継続できないモノですが、時を超え時間が経てば、それを自然と乗り越えるもので丸くなっていくものです。 それが今回のバンド再結成に繋がり、多くのフォリナーファンを幸せにしてくれたのです。 いつまでも尖がっているより丸くなる方が、大きな大きなメリットが最終的には自分に還ってくると思うのですが・・・ ある意味「老いては子に従え」という諺も、最近ワカルようになりました(笑)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.10.09
コメント(0)
広く尊敬を集めているギタリストで、米ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」を共同結成したエディ・ヴァン・ヘイレンさんが6日、がんで死去されたそうです。まだ私とそれほど変わらない65歳だそうです。本当に残念でなりません・・・ヴァン・ヘイレンと言えば、私の中ではディープパープル、レッド・ツエペリンと並んで「ハードロック御三家」です。正に私の青春を駆け巡った音楽だったのです。この3バンドをリアルタイムで聴けた事が、正に至福です。今でも彼らの音楽を聴きながらドラムを叩くと、私の魂を揺さぶり元気が出ます。不思議ですね・・・音楽が人を幸せにするのです。そしてヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」は私のドラムレッスンの課題曲でした。ボーカルのデビッド・リー・ロスの身体の柔軟性を活かした派手なステージアクションは、空手とキックボクシングを修行したという事で納得。先月末に、日本のグループサウンズ「ゴールデンカップス」のベーシストのルイズルイス加部さんが亡くなったばかりです。彼はGSブームが去った後、日本を代表するギタリストのチャーらとバンドを組んで、日本のロックシーンを長らく引っ張ってきたのです。当時我々60代が子供や青春期だったのですから、当然彼らミュージシャンは我々より年上なので仕方のない事ですが。ミュージシャンとしての才能が有り、それを存分に発揮した彼らの人生は素晴らしいと思います。私には音楽の才能は有りませんが、「クラシックからフォーク、ロック、ジャズ・フュージョン・・・に至るまで、あらゆる音楽が好き!」という点では誰にも負けないと思いますし、たとえ「なんちゃってドラマー」でもリハスタを経営していけているのだと思います。しかし当時のロックバンドはこのヴァンヘイレンに限らず上半身裸で演奏というのが多いですが、当時私のだんじり祭りの大太鼓を叩いている写真を見ると上半身裸です・・・(笑)。1960年代後半の日本で学生運動が盛んな頃もだんじり祭りでヘルメットを被って曳いていましたが、ネットもなくビデオも殆ど普及していなかったのに、地方の村祭にもその時々の世相を反映したんですねェ・・・(笑)。という事で、私にはそれほど大きな財産は有りませんが、こういった彼らの音楽を自由に聴き、ドラムを叩ける事(権利)こそが大きな無形の財産だったのです。社会主義や共産国と違って、戦後から長らく自由主義国だった日本に生まれ、青春時代にそれを享受できたことに感謝、感謝です・・・そして、まだまだヴァン・へイレンを叩き続けるぞ!「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.10.08
コメント(0)
昨日の日本経済新聞に、コロナで苦境に陥っているライブハウスの記事が掲載されていました。大阪ではクラスターの発生でライブハウスがやり玉に挙がっています。ライブハウスというキーワードがコロナ関連でマスコミで取り上げられる度に悲痛な思いをするのは、私も含めた音楽関係者やミュージシャン達です・・・(涙)。何故、そこまで連呼するのか・・・と。このままでは日本の音楽文化が衰退してしまいます。ライブハウスこそがミュージシャン達の「晴れの舞台」です。ライブハウスが無くなれば、甚大な影響を及ぼします。一番困るのは、言うまでもなくライブハウスに来られる音楽ファンです。お客さんあってのライブハウスですから。音楽は心を豊かにします。その音楽を生で聴けなくなるのは、本当に悲しく情けないです。そして次に困るのはライブハウス経営者、音楽プロモーター、ライブハウス従業員、フリーの音響エンジニア、フリーのDJ、出演アーティスト、チケット販売業者となります。ライブハウスの裏方として、楽器機材メーカー、楽器機材レンタル業者、防音工事業者の存在も見逃せません。最後に出演アーティストが練習する場所としての我々「リハーサル音楽スタジオ」があるのです。音楽ビジネス的に言ってみれば、ライブハウスあってのリハーサルスタジオで、ライブハウスとリハーサルスタジオと楽器店の3者は縦のラインで繋がった運命共同体だったのです。最近の日本の音楽業界はCDの売上が減り、ライブに活路を見出しマーケットは順調に拡大してきました。リハスタ経営者から見て、大阪や和歌山の中小規模のライブハウスが順調に伸びてきた事に、大いに期待していました。純粋なライブハウスだけでなく、バーやレストランが定期的に音楽ライブやセッションライブをしたりするところも増え、現実にライブが身近になってきました。デジタル社会だからこそ、音楽ライブというアナログ文化でみんなはバランスを取っているのかと・・・そして「日本もライブが身近になって、本当に豊かになったんだなぁ・・・」と嬉しく思っていました。泉州で数少ないリハスタの弊社「スタジオ0724」に4年間で1400人もの会員さんが集まり、涙が出るほど本当に嬉しかったのです・・・本当にやり甲斐のある仕事だと・・・(涙)。ところが、それがコロナでいきなりライブハウスが名指しでストップ(弊社リハスタも3月1日から自主的に臨時休業)。人間にとって最も大事な一つの「音楽文化」が消えたのです。いくらスマホやステレオで音楽が聴けても、所詮デジタル音です。やはりライブ(生音)こそ、音楽本来の楽しみです。これがないと、心の底から楽しめないのです。以前スペイン旅行で、音楽ライブが一般市民にも溶け込んでいる事に感動しました。ツアーで行ったのですが、一時ツアーから離脱して地下鉄に乗って「ソル」という駅に降り立つと、そこは音楽パラダイスでした・・・(驚)。夕方から毎日、結構広範囲エリアで沢山のライブやイベントが繰り広げられるのです・・・地元民も観光客も老若男女一緒になって、ライブやイベントを楽しむのです。地球上にこんなパラダイスがあったのか・・・と感動しました。正にこれが「人生を楽しむ・・・」事だと。という事で、ライブハウスに対する政府の支援策をもっと充実させないとダメだと思います。我々人類が生きていく上で、音楽はなくてはならない存在です。例えば私に音楽をとれば、残りの人生は非常に味気ないものになります。と言うか、そんなの考えられません。音楽は酒と同じで潤滑油であり、豊かになった日本にとって無くてはならにモノです。そういう意味で、せっかくここまで成長してきた日本の「ライブハウス文化」の火を消したら日本にとって想像以上に大きな損失です。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.05.19
コメント(0)
毎朝4時か5時に起きてから夜9時か10時に就寝するまでの間、大体BGMで音楽を聴いています。自宅のブルートゥーススピーカー2台でリビングと風呂で使い分け、事務所にはミニコンポ、スタジオは立派な音響設備、車はカーステと、イヤホンは耳に悪いので極力避けています。音楽を聴いていないのは、商談中か自宅から会社へ1分の自転車に乗っている時だけか・・・(笑)。イヤ、商談中も音量を小さくして、選曲も商談がスムーズにいくようにお客さんに合わせています・・・(笑)。まぁ、ストレスを極力排除し、リラックスを追求した究極の生活スタイルでしょう・・・(笑)。しかし昨年スマホでSpotifyアプリを聴くようになってから、私の音楽環境が一段と良くなりました。それまでの私の音楽ソースは、iphoneミュージックがメインでした。もちろん50年前から買い貯めてきたレコードやCDもありますが、ここ数年は全く聴いていません。こんな時代がやってくるとは、夢にも思いませんでした。cliboxアプリにもYOU TUBEを入れていたのですが、OSのバージョンアップで使い勝手が悪くなり最近は殆ど使っていませんでした。そんな時、昨年Spotifyと出会ったのです。無料バージョンを使っていたのですが、リピート再生できないとか、WiFiの無い時に聴けないとかの不都合があり、思い切ってプレミアム会員になったのです。と言っても月額たった980円ですが。たった980円でもう無限に音楽のシャワーを浴びれるのです。まぁ、タダ同然です。そんな時、中学時代を思い出します。当時の1か月の小遣いが500円。シングルレコードが1枚350円ですが、本命の曲はA面の1曲だけです(B面はイマイチな曲で殆ど聴きませんでした)。50年前は実質1曲350円です。何という音楽環境だったのでしょうか。音楽を聴くだけでもお金が想像以上に掛かったのです・・・(涙)。なので、せいぜい2か月に1枚しか買えなかったのです・・・(涙)。当時は500円札を握りしめ、それも当時から運賃が日本一高い水間鉄道に乗って貝塚駅前商店街にあった唯一のレコード店(エコー)に行き、1枚買うのに店長の顔色を見ながらアレコレ視聴させてもらい2時間も粘りました・・・(笑)。それを家に帰って、ぼろいステレオでレコードが擦り切れるまで聴くのです・・・(笑)。今の若者は、音質の劣化や擦り切れる程レコードを聴くなんていうアナログ経験はないでしょう・・・(笑)。それでもラジオと違って左右音の違ったステレオで、大音量でロックを聴く幸せを感じたのでした・・・(涙)。演歌や歌謡曲しか聴いていなかった親父は「うちのトオルも、とうとう気が狂ってしもた・・・」と近所の人に漏らしたそうです・・・(笑)。たまたま防音性が高い土壁の厚い土蔵があったので、その中で聴いていたので大音量でも外にはそれほど音が漏れなかったのです。音楽って本当にイイなぁ~・・・と。そんな経験も、リハスタ経営に繋がっていったのかも知れません。という事で、長らく生きているとモノの進化に驚き、それが現在の豊かな生活の有難みをシミジミ感じる今日この頃です・・・(涙)。60年前の電話は家の柱に取り付けた木箱で、ハンドルをグルグル回し交換手に番号を言ってましたし、洗濯は自宅前の小川(溝)でしていましたし、テレビはうちは町内でも買ったのが早かったので夜7時頃になると近所の人達がゾロゾロテレビをうちの居間に見に来たり、車のウインカーが手動だったのです・・・(笑)。まだ日本は戦争に負けて10年ちょっとでしたから、まだまだ日本は貧しかったのです。まぁ、アフターコロナはこれまで以上にスタジオに力を入れます。と言うか、公私とも自分の音楽活動(ビジネス)に精を出したいと思います。これまであまり行けなかった大阪府内や和歌山市内の中小ライブハウス巡り、自分のバンド活動、ドラム練習、レッスンの充実(ドラム、ギター、ボーカル、テナーサックス)、第3スタジオ(Cスタジオ)計画・・・と夢が広がります(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.05.17
コメント(0)
1970年代の中学から大学時代は洋楽ロックにハマっていましたが、それは「日本の歌謡曲はダサい・・・」という認識でしたが、ちょうどその頃ユーミンこと荒井由実(のちに松任谷由美)の初期のこれまでの日本人の曲になかった「シティポップ曲調」に衝撃を受けました。「カッコいいやん!」「なんか、新しい!」・・・日本の曲でもイケてる。高校生の私は心を揺さぶられました。「なんでや?これは!」と心の中で叫びました。当時の中学生や高校生の音楽ファンにとって日本の歌謡曲に飽き足らず、洋楽がバンバン流れる深夜AMラジオ「ヤングリクエスト」にかじりついて聴いていたのです。今の私は朝の4時5時に起きる朝型人間ですが、当時は夜の12時や1時に寝る夜型だったのです。当時の「ヤンリクベスト10」を聴くのが日課で、驚くことに毎日ほぼ全曲洋楽でした。私の記憶にあるのがレッドツエペリンの「移民の歌」、シカゴの「自由になりたい」といった激しい曲が連続何週も1位に輝いていたのです。唯一日本の曲で1位を取ったのは、はしだのりひことクライマックスの「花嫁」でした。当時の日本では1960年代後半の大学生の学園紛争の余波で、高校にも学生運動が飛び火して過激な高校生が多く、そういった時代背景があったのが原因かと想像できます。そういった意味で、私の音楽的センスは基本的に1970年代に世界中で流行した「洋楽ロックミュージック」なのです。今ではその70年代の洋楽ロックが、日本を含めた様々な世界中の音楽に影響しています。私も鳳高校時代にシカゴを聴きまくり部活のオケ部でクラシックや映画音楽をトランペットで吹いていたお陰で、その後ジャズ、ファンク、フュージョン、R&B、ディスコ、ソウル・・・へとドンドン興味が広がっていったのです。それが結果的に、紆余曲折長い年月を経てたまたま偶然にもバンドスタジオ経営に繋がっていったのです・・・(驚)。結局人生って、最後はこれまでにやってきたコトが何処かで繋がるのでしょうか・・・(笑)。まぁ人生って、ホントどう転ぶか予想も出来ませんが、結局若い頃の興味っていうのが1つのポイントだろうと思います。私の場合、たまたまラッキーにもそれが「あった」というだけの事ですが。まぁしかし、ユーミンの曲は全曲作詞作曲ですから、彼女の時代を通り越したセンスが抜群だったのは言うまでもありませんが、バックバンドも良かったんですねェ・・・そのバックバンドはティン・パン・アレーだったのです。その中でも私はドラムの林立夫さんのサウンドが耳に飛び込んで来たのです。バックコーラス(アレンジ)に山下達郎も参加していたようです。やはりユーミン以前の洋楽ロックが大流行したのも、基本的にドラムも含めた楽器演奏やレコーディング技術が日本のそれより数段上だったのが主因で、それから2,3年で日本のミュージシャンやエンジニアも追いついたという事だろうと思います。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.02.18
コメント(0)
血液循環や消化吸収、呼吸、免疫、代謝、ホルモン分泌などをコントロールする神経系統のことを「自律神経」と言い、自律神経は「交感神経」と「副交感神経」に分けられ、活動時には交感神経、休息時には副交感神経が優位になります。このバランスが乱れることで生体機能が低下し、心や身体、もしくは両方に不調が出やすくなるのです。私は夜寝ている間以外、朝から夜まで大体ずっと好きな音楽を聴いています。それを正当化?させるために、音楽スタジオを始めたと言っても過言ではありません・・・と言うのはチョット言い過ぎか(笑)。大体夜は9時か10時に寝て、朝はストレスを少しでも掛けないように目覚まし時計無しで自然に任せて4時から5時にスーッと起きます。一般的には夜10時から深夜2時までは成長ホルモンが最も多く分泌され「睡眠のゴールデンタイム」と言われていますし、睡眠のウルトラディアンリズム(睡眠周期)のサイクルは約90分だそうで大体一晩の睡眠時間が6時間(90分×4)ですので、私の睡眠スタイルは理想のスタイルと言えるかも知れません。それに加えて、昼寝を昼食後に約20分取っています。まァ健康の基本は早寝早起きで、土日や正月とか関係なしに毎日同じリズムの生活パターンの繰り返しです。何でもリズムが大切ですねェ・・・金土に夜更かしして、土日はゆっくり寝るなんてしません。13年前までは毎週金曜に大阪本町へ繊維の営業で飲んで帰っていつも遅く帰っていましたが、今は健康老人そのものです・・・(笑)。早朝はダイニングテーブルでコーヒーを飲みながら新聞を1時間かけて丹念に読み、その時は副交感神経が優位なので静かなクラシックやジャズやボサノバやソウルバラードをメインに聴き、7時か8時の出勤時の段々交感神経とのバランスが逆転する頃には徐々にポップスからフュージョン系やロックへ・・・事務所でもミニコンポにスマホの音楽をブルートゥースで飛ばして聴き、移動の基本は軽トラックで積んでいる大型スピーカーからもUSBでスマホの音楽を聴いています。昼の絶好調時は大好きなヘビメタ、ハードロック、ディスコ、ジャズファンク、R&B。通勤時間が1分と短い分、1日の大半の10~14時間くらいを仕事に当てていますが、朝は音楽に合わせてドラムを叩いたり、事務所では一人なので誰にも気を遣わずにBGMというより結構大音量で音楽を聴いていますし商談中もBGMを流していますので、これが仕事と言えるのか?・・・(笑)。商談中のBGMはもちろんケースバイケースで、特に音楽スタジオの会員登録の際は音量を少し上げ10代~20代はコレ、30~40代はコレ、50代以上はコレと自分も好きな選曲をして仕事を楽しんでいます・・・(笑)。「音楽スタジオだから、最初の段階から盛り上げていく・・・」という理由づけできるでしょう・・・(笑)。そして夕方から夜にかけてまた副交感神経が優位になる頃は徐々に大人しい曲へ・・・フュージョン系、日本のフォークソング系やニューミュージック系、たまにはや歌謡曲やGSも。風呂の中ではソニーの防水仕様のブルートゥーススピーカーを聴きながら歌っています。これがまた反響してイイ音(声)なんですねェ・・・(笑)。飛行機や電車や病院内では仕方なくイヤホンで聴いていますが・・・その時々の身体の調子や気分の次第で幅広く色んなジャンルの音楽を色んなスタイルで聴いています。とにかく「質より量」・・・1分でも多く音楽を聴く時間を優先します。唯一聴かないのは、浪曲や民謡か・・・?最近はYOU TUBEで同じ曲でも、ラテンバージョンとかの編曲されたカバー曲が一杯出てますのでオモシロいです。YOU TUBEが出来たことによって、まだ日本に正式に紹介されていない(輸入CDがない)曲が山ほどあります・・・正に宝の山です。そんな曲をネットサーフィンしていくのも趣味になっています・・・(笑)。今の若い子が聴くような曲は殆ど聴きませんが、自分が10代から30代に聴いていた沢山の曲が私の財産です。不動産や金は失敗したらゼロになりますが、これだけは増える一方です・・・(笑)。また同じ曲でも編曲が違えば、これはもう無限に楽しみが広がります・・・この年になって「自然に(自然体で)・・・」「自分の思うように自由に(自分らしく)・・・」「もっと我が儘に・・・」・・・と自分に正直に無理しないように生きようと思えるようになりました。あと40年、100歳まで生きようと思いますが、残念ながら平均寿命で言うとあと20年しか生きられませんから。巨人の江川投手がバックネットを目標にキャッチャーにボールを投げていた・・・と同じように、目標の100歳に向かって80歳までは全力投球したいものです。そうすれば、実り多き残り20年弱の人生を送れるかも知れません・・・どこかで聞いた話ですが、テンションを無理やり上げるために朝から天ぷらを揚げる人もいるようですが、身体の摂理に合っていないように思います。もちろん年齢によって気力や体力も違いますので、20~40代の頃は仕事に重点を置き家族を養う義務もありますので身体も無理が効きますし気合いで乗り切れる事も多いですが、もう60オーバーになれば残念ながら全てに於いて無理が効きません。イヤ、無理して自然の摂理に反した事をしたら寿命が縮むだけです。もうこれからは頭脳的な仕事や趣味の割合を増やし、3年前からジムでのマシンによる筋トレを止め、自重を使った筋トレやストレッチに切り替えたように肉体的な運動の割合を減らしています。というか、Bスタジオを増設した事によって仕事が増え、動き(歩き)回る事も増えましたので、これが結構イイ運動になり、敢えて運動する必要もないのです・・・(笑)。地元でかつて長者番付にも載ったことのある有名な某創業社長は「これまで運動なんてしたこと無い。そんな体力を消耗するような勿体ない事はやらへん。その分、工場現場で動き回るさかい・・・」てな談話がありましたが、正にその通りです・・・(笑)。私は胃腸を休めるために朝食は食べず(毎日16~18時間何も食べない=プチ断食)、朝のクラシックから聴く音楽をジワジワ変化させ、自律神経に合わせて昼に向かって心身に負担を掛けないように「スーッ」という感じで生活しています。という事で、海外旅行に行った時も少々重いですがブルートーススピーカーがもちろん必須で、もう60を過ぎたら仕事も大事ですが「楽しさを優先」「無理をしない」「ちょっとワガママになる(許容範囲内で好きなコトをする)」でボチボチ生きていきたいと思います・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.03.31
コメント(0)
昨日は大阪梅田のライブハウス「ビルボードライブ大阪」に、70年代に世界中で一世を風靡した伝説のディスコバンド「アース、ウインド&ファイヤー」の元ギタリストのアル・マッケイ率いるアースの完コピバンド(tributeband)「アル・マッケイ・オールスターズ」を聴きに行きました。今回で3回目です。アースの数々の大ヒット曲を忠実に再現するワザには、感動以外何物でもありません・・・(涙)。60超えて、まだまだ感動できるモノがあるって、本当に幸せです。予約は50番と遅くなってしまい、全く良い席を期待していませんでしたが、ナンとラッキーにも1番前のど真ん中の横のテーブルに席を確保することが出来ました・・・(涙)。開演直前に外の入口フロントで待っていると、どこかで見たようなオッサンが歩いてきました。思わず「ウソや!」・・・まさかの高校同級生のM君ではありませんか!まさか・・・というのは、これで3回目の奇跡の出会いだったのです。1回目は3年前にハワイオアフ島のカハラモールで会いました。カハラモールなんて、ワイキキから離れていて一般観光客はあまり行きません。私は公共バスで行って、店内をウロウロしていると、どこかで見たような東洋人のオッサンがスーッと前を歩いているではありませんか。モールには東洋人はあまりいませんでしたので、余計に気になりました。「ア!M君や・・・」と声を掛けたのです。2回目は2年前の宮古島のホテルのロビーで会いました。レンタカーを借りて島内を回って飽きて、循環バス待ちでロビーでくつろいでいたところに,前をスーッとどこかで見たようなオッサンが歩いているではありませんか・・・あのM君だったのには、本当に腰を抜かしそうになりました・・・(笑)。1回目は確かに奇跡はあるかも知れませんが、さすがに2回目はないやろ・・・と。その2回目の奇跡が起きたのです。あまりの驚きに鳥肌が立ちました。それから2年・・・今回の3回目の出会いです。2人とも大阪に住んでいるのに、日本の本州で会っていなかったのです。「一体、どうなってんや・・・?」と本当にワロテしまいました・・・(笑)。そんなライブ本番前に興奮して、ライブ本番に同じ席に座った他のお客さんとの初めてのトークでもいつものように盛り上がりました・・・前日にTOTOのコンサートに行ってきて私と同じように3年前のフェスのディープパープルのコンサートにも行った同年配くらいの大将と、東京から駆けつけたアースの東京ライブにも昨日のセカンドステージも行ったというオッカケの女性と大いに盛り上がりました・・・(笑)。オモロイですねェ・・・いつもの事ですが初対面でこんなけ盛り上がる中年なんて(笑)。同じ目的の人というのは、初めてでも盛り上がります。趣味とはそういうモノだと思います。だから、「趣味を持て」というのはそういう事でしょう・・・60歳で定年退職して、趣味も無く仕事だけの繋がりだと残りの2,30年の老後は余りにも寂しいものになりますからねェ・・・そんなライブ前の興奮状態から,いざライブスタート・・・Fantasy、Boogie Wonderland、September、 After the Love Has Gone、In the Stone、Getaway、Jupiter、Reason、Let Your Feelings Show・・・一言で言うと、もう「サイコー」でした。踊りすぎて,汗びっしょり・・・(笑)。大御所アル・マッケイも71歳ですから、まだあと5年はイケるでしょう・・・アースのギタリストと言えば、セプテンバーの作曲でも有名なアルマッケイですが、私的にはアルの前後に加入していた故・ローランド・バティスタも忘れられません。彼はアース加入前後にラテンフュージョンバンドの「BOBO」にもギタリストとして参加しており、私をラテンフュージョンの世界に引き摺り込んでくれたのです。そういった意味で、アースのサウンドは私のココロを鷲づかみしたのです。そして今回ライブで使用していたアルの2つのギターアンプのうち1つが、弊社スタジオの常設アンプと同じローランド「JC120」(日本製)でした。2,3年前に梅田クラブクアトロでのアシッドジャズバンド「インコグニート」のライブに行った時も、ギターのジャン・ポール・'ブルーイ'・モーニックのライブでのアンプは同じくJC120でした。世界的に有名なギタリストが如何に好んでJC120を愛用しているか・・・日本製ギターアンプの優秀さを証明しています。という事で、昨夜はこれまで以上に中身の濃いライブでした。しかし、音楽が人を幸せにするというのは本当ですねェ・・・身をもって経験しました(笑)。あ、そうそう・・・私もその仕事の末端に関わっていましたし、70周年記念ボールペンを配るのも忘れませんでした(笑)。 にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.23
コメント(0)
日本では今、40歳代半ばから70歳代半ばの「オヤジバンド」大会が盛んです。何故なら彼らの青春時代のミュージックシーンが大きく影響しています。70歳代は1960年代のビートルズやベンチャーズ世代であり、同じ時期に日本で大ブームを起こしたGS(グループサウンズ)の洗礼を受けています。その後の我々50歳代半ばから60歳代は、1970年代に入ってドンドン世界中から流入してきた洋楽ロックの洗礼を受け、サタデーナイトフィーバーで日本中でディスコブームが起きソウル(ブラック)ミュージックが大流行しました。同じ時期日本では、衰退したGSブームに代わりフォークソングブームになり、ニューミュージックへと繋がっていきました。そういった1960~1970年代の日本の若者音楽文化がガーッと盛り上がっていった基礎の上に、40歳半ばから50歳代前半の人達が経験した1980年代のジャパニーズロックのバンドブームがあったのではないでしょうか・・・いずれにしろ、この日本人の40歳代半ばから70歳代半ばの30年間という「大きな塊」は、ビジネス的にも世界の音楽業界にとって誠にオイシイ年代と言えるのではないでしょうか・・・日本は1945年の敗戦から自由主義国に転換したからこそ、世界中からイロンナ音楽を輸入してきました。戦後の日本のファッション業界と全く一緒で、輸出入のバランスがもう完全に「入超」です。歌もファッションも戦後4,50年間も「入超」で、海外音楽文化や芸術やファッションを吸収して熟成してきたからこそ、ここ20年くらい前からやっと輸出も増えてきているのかと言えるのではないでしょうか・・・しかし考えてみれば、1960~1970年代に自由主義国で人口が1億人を超えていたのは日本とアメリカだけです。アメリカでも当時2億人です(現在3.2億人)。ドイツも当時は東西に別れ、ヨーロッパの自由主義各国も日本の人口の半分程度ですし、東ヨーロッパ各国やバルト三国も社会主義でした。ロシアも中国もインドも情報制限のあった共産国や社会主義国ですので、世界中の音楽を自由に聴けなかったのです。韓国も民主化宣言されたのも1980年代後半です。あれだけ人口が多い中国やインドやロシアや韓国でも、歴史的に見てもオヤジバンドブームは起こり得ないのです。1970年代後半から1980年代半ばまで世界中の若者の間でウインドサーフィンブームが起こりましたが、いまだに50歳代がウインドサーフィンを一生懸命やっているというのは、日本とアメリカと昔から自由主義国だったヨーロッパ各国くらいなモノです・・・数年前マーブルビーチの沖でウインドサーフィンをしていると、同年代くらいの中国人観光客に「何であんたのようなオッサンがウインドサーフィンをやっているのか?」と浜から大きな声で中国語でイチャモン?をギャーギャー言っているので、浜に戻って同行の日本語の分かる中国人の若者に「我々日本人の青春時代は自由だったから何でもデキたんや・・・」と言うと、スゴスゴと帰って行きました・・・(笑)。しかしそう考えると、世界中のミュージシャンや音楽業界は、この日本の層の厚く巨大な音楽マーケットを無視するわけにはいかないのも頷けます。地方でリハスタを営んで音楽業界の端くれにいる私でも、これを見逃すわけにはいきません・・・(笑)。個人的に1970年代に一世を風靡した国内外のミュージシャンのライブやコンサートに、今一生懸命通っています。当時高校生や大学生だった私ですが、ミュージシャンの多くは70代以上です。いつも「これが最後の来日かも(聴けるのも最後かも)?」という気持ちでライブに向かうのです・・・(涙)。という事で、インターネットの発展でCD売り上げの激減で大変な日本の音楽業界ですが、プロもアマチュアも含めて「ライブマーケット」に活路を見いだすと可能性が一段と広がるように思います。スペイン旅行に行くと、地方都市でも平日の夕方から毎日アチコチでイロンナ音楽ライブを当たり前で普通にやっているのに驚きました。そして過去4,50年の日本の魅力的で素晴らしい演歌やニューミュージックのコンテンツも、海外輸出(進出)を考えれば「宝の山」になるような気がするのは私だけでしょうか・・・振り返って、弊社音楽スタジオの主要顧客である高校軽音部のみなさんも、運動部で問題になっている指導者不足や指導体制も、経験豊かなシニアミュージシャンの指導を何らかの方法で仰げば更に活性化が進むのではないでしょうか・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.07.03
コメント(0)
昨日は梅田のロック居酒屋スターさんで、アメリカのブラスロックバンド「シカゴ」愛好者が集う「大阪PC(ピーター・セテラ)会」のオフ会でした。※ピーター・セテラはシカゴの元看板ボーカリスト(高音部担当)です。ロック居酒屋とは、店内でリクエストしたロックミュージックをガンガン掛けてもらい、そのBGMを肴に酒をガンガンあおりロック談義に花を咲かせる・・・そんなスタイルのスターさんです。天井にはシンバルが傘の照明があったり、スネアやタムやバスドラムが天井のオブジェだったり、カウンターにはスティックのカッティングがズラーッと並べてあったり・・・メンバーの多くは大阪在住の40~60代の自称「シカゴ狂(教)?」の6人です・・・(笑)。この会ももう12年になるそうで、私は今回初参戦です。初参戦のキッカケは今年4月のビルボードライブ大阪「CTA(California Transit Authority)」のライブです。CTAのドラマーは元シカゴのダニー・セラフィンです。そのライブでたまたま同じテーブルだった人がPC会メンバーだったのです。その人と喋らなかったら、今回の居酒屋でのメチャ楽しかった時間もなかったワケですから、人生どう転ぶかわかんないですねェ・・・(笑)。同じ趣味の人と、「共通語」であるディープな話をするほどオモロイ事はありません・・・今回のメンバーの中でも、ビルボードライブにファーストもセカンドステージも1日2回見たり、東京公演や地方公演へ遠征するのは当たり前で、また本場アメリカにシカゴのライブに聴きに行くだけでなく、一緒にシカゴメンバーと写真を撮ったり、CDにサインを貰ったり、懇親会に入れて貰ったり、業界とのコネクションあったり・・・・・・単なるファンというには言葉が軽すぎます(笑)。なので、ディープ過ぎる極秘情報や逸話、日本では未だ未公開の最新情報だったりで、ブログでの公開は殆どNGです・・・(笑)。というか、公開しても一般に人は何の事かさっぱりワカラナイでしょう・・・(笑)。ゴルフ好きはいつ何処のゴルフ場で誰と回って何番ホールで誰がどんなボールを打ったかを全て覚えているように、PC会メンバーの中でも詳しい人は、シカゴのオリジナルメンバーは4人で何回もメンバーチェンジを繰り返していますが、誰が何年から何年まで在籍してどのアルバムに参加しているか(どの曲を作曲してるか)を全て覚えています・・・(驚)。まァ、ウインドサーフィンや空手の飲み会でも、傍から聞いても何の事かさっぱりワカラナイのと全く同じです。今回のPC会は、勿論他人が聴いても全く分からないシカゴの話が殆どでしたが、そこは40~60代のこれまでの長い音楽キャリアがモノを言い、他のミュージシャンや時代背景的な話も絡めながら話がより一層オモシロイ方向に飛んでいきました・・・(笑)。話が止まらないというのはこの事で、放っておけば朝までオッサン達は遊んでいたでしょう・・・(笑)。感激したのは、1973年のシカゴ来日時の大阪厚生年金のライブに、当時私と同じ高校2年で行かれた人もメンバーだったことです・・・(驚)。私は当時ひとりで地下鉄も乗った事もありませんでしたので、難波から厚生年金まで片道1時間掛けて歩いてチケットを買いに(当時プレイガイドもなかったので)、ライブ当日も歩いて行きました。まだ高2になりたての4月でしたので未だ16歳で、「どうしても行きたい!行くんや!」の一心でしたが、当時はまだ「ロック聴くのは不良や・・・」みたいな時代でしたから、半年前の高1の時に親に隠れてあの手この手でチケット入手方法に頭を捻っていたのでしょう・・・(笑)。この性格は今でも全く変っていませんが・・・(笑)。今回の欠席のもう一人のメンバーも当時1つ下の高1で、同じ大阪のシカゴライブに行ったそうです・・・PC会のメンバーはみんな早熟だったのです・・・(笑)。しかし、何とも不思議な縁ですねェ・・・シカゴライブにどうしても行きたかったのは中学の時に同級生のK君から、その兄貴が1971年のシカゴに行ったときの感動を、さも自分が行ったかのようにリアルに話すのを何回も聞いていたのがキッカケになったかも・・・(笑)。夕方からの1次会スタートでしたので、帰りが遅くなるので今回は2次会には参加しませんでしたが、たぶん2次会はシカゴオンパレードのカラオケ大会になっているはずです・・・(笑)。次回はもっとユックリ遊ぶために、是非昼から1次会をスタートして欲しいですねェ。まァしかし、これで老後の楽しみがまた1つ増えました・・・(笑)。という事で、いつものように大都会「大阪のナウ」を目と耳と鼻など五勘で感じるために、早い目に家を出ました。土曜のミナミは外国人観光客で溢れかえっていると思ったら、キタは観光客は少なく日本の若者で溢れかえっていました。オフ会スタート前の2時間ほど、キタを中心にウロウロしてきました。今回、勘が鈍ってきたのか、大した収穫もありませんでした・・・(笑)。そして今回のテーマのシカゴですが、中学1年時(1969年)にデビューアルバムからのファーストシングル「Questions 67&68」 を初めて聴いた衝撃がなければ、高校でトランペットもやっていませんでしたし、大学でドラムもやっていなかったかもしれません・・・そうすると、40年後にスタジオをするなんていう発想もあり得なかったですし、今回のPC会での楽しい面々との出会いも無かったのです。人生って、ホント不思議ですねェ・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.07.01
コメント(0)
昨夜は念願のインコグニートのライブに梅田クラブクアトロに行ってきました・・・チョッと大袈裟ですが「生きていてヨカッタ・・・」と言えるような感動もんのライブでした・・・(涙)。今年はシカゴ、ディープパープル、チャカカーンと7,80年代の往年の大御所ライブに行ってきましたが、どちらかというと既に「旬」が過ぎてメモリーチックなライブでした。ところが、インコグニートは今も旬です。今回もニューアルバムからの新曲もありました。20年くらい前に心斎橋にクアトロがあった時に、チャカ・カーンを見に行きました。その時もオールスタンディング(立ち見)でしたが、まだ40くらいで若かったので何でもありませんでしたが、もう60歳でオールスタンディングが耐えれるか行く前は不安でした・・・12,3年くらい前に娘とZEPP OSAKAに外タレのライブに行った時もオールスタンディングで、翌日まで足の痛みが残っていましたので・・・(笑)。よく行くビルボードは全席椅子で、踊りたい時に立ち上がって踊るという、年寄りにとってベストシチュエーションです・・・(笑)。今回クアトロが梅田に移転してから初めてだったので、イスがあるかどうか?興味津々でした・・・(笑)。発売時間と同時に予約しましたが、すでに100番でしたので、最前列のカブリつきは最初から諦めていました・・・ならば、何処が取れるか?そして、ロッカーでモタモタしているとチョッと出遅れましたが、何とかイイ席をゲットしました。最後列でしたが、イス席です・・・(笑)。今回も予約開始時間の30秒前から「ぴあ」にアクセスしまくって、やっと5分後にチケットを取りましたが、これからは30秒早く開始して1分前からアクセスし、クアトロに入ったらロッカーは後回しにして、走って会場の席を確保第一にしようと・・・(笑)。新しいクアトロはビルボードよりも狭い感じで、だんだん高くなっていますので、眺めは最高です。海外ではスマホ録画は常識ですが、最近は日本もライブのスマホ録画規制も緩くなったのか、ディープ・パープルもOKでしたし、今回のクアトロも堂々と撮っていても何も言われませんでした。iphone6の動画性能も良く、そういう意味で、今回のチケット代7300円は安かったですねェ・・・しかし、今年出来たハワイのブルーノートにインコグニートも東京公演が終わったら直ぐ行くようで、それを見ると安いですねェ・・・(驚)。メーザ・リークがボーカルに助っ人に入って、グレードによって65ドル(6740円)、45ドル(4670円) 、35ドル(3630円)と、如何に日本の外タレ公演が高いか驚かされます・・・メーザ・リークがいれば、日本のインコグニートチケットも10000円はするでしょう・・・個人的にはチャカカーンと同じくらいメーザリークの大ファンで、歌の上手さでは彼女と肩を並べ、マライヤ・キャリーやホイットニー・ヒューストンレベルでしょう・・・今回の大好きな「Deep Water」でも、メーザ・リークほど右のボーカルのオネエチャンの声が出てなかったのが残念だったのです。やはり、この歌はメーザでないと・・・インコグニートはギターのJean-Paul 'Bluey' Maunick によって1981年結成されていますから、もうバンド結成35年です。バンド言っても、ブルーイが中心となってその時々にメンバーチェンジを繰り返して活動しているスタイルです。ちょうどフォリナーのミック・ジョーンズと同じようなスタイルで、ビジネス的には固定費(人件費)を安く抑えられてイイのでは・・・今回のライブでイタリア人のドラマーが日本のドラムメーカー「canopus」を使っていたり、ブルーイがモニターアンプで弊社スタジオにも置いてある日本のローランド「JC120」を使っていたりして、日本の楽器機材の優秀さを目の当たりにしました(他にもあったんでしょうけど?)。私は1992年のアルバム「 Tribes, Vibes + Scribes」の大ヒット曲「Don't you worry 'bout a things」がこのバンドを知るキッカケになりました。「ワオ~!」と。何でもそうですが、自分が気に入ればピンと来るものです。突き詰めて行けば、人生って、ただそれを積み重ねるだけの「単純な作業」だと思うのです・・・もちろん反社会的な事や犯罪はいけませんが、自分の腑に落ちる後悔の無い人生を送ろうと思えば、この辺で我々はモガキ苦しんでいるのでしょう・・・まァ、この時のボーカルがメーザで、彼女が世界的に有名になるアルバムだったのです。この曲で一辺にインコグニートのファンになり、遡ってデビューアルバムから全て買い揃えましたがサウンド的にはイマイチで、洗練され一般受けするまでデビューから10年間は相当苦労したのだろうなァ・・・と、ブルーイの苦労人の片鱗を見た思いでした・・・(涙)。途中のブルーイのトークの中で、アース、ウインド&ファイヤーやBS&T、シカゴ、スティービー・ワンダーに大きく影響を受けたなんて話をしていましたが、正に私の大好きなサウンドばかりで、ナルホドと大きく頷きました・・・ブラスアレンジャーは誰か知りませんが、シーウインドのジェリー・ヘイやシカゴのジェームズ・パンコウやEW&Fのモーリス・ホワイト並の力量の隠れたアレンジャーがいるのか?しかし、全米一物価が高いハワイで日本より安いなんて信じられません・・・(驚)。※ちなみに10/28のアメリカのシカゴのCity Wineryライブチケットを調べましたがハワイ・ブルーノートと基本同じです。まァ、43年前のシカゴのコンサート(大阪厚生年金)のS席チケットが3000円でしたから、まだマシか?今年の冬もハワイロングステイを予定していますが、これでハワイのブルーノートが楽しみになりました・・・(笑)。去年のロングステイも夜な夜な小さなライブハウスをハシゴしましたが、ハワイにブルーノートが出来たなんて全く知りませんでしたので・・・という事で、ブルーイの楽しいトークと素晴らしい演奏・・・たっぷり2時間ライブを堪能させて頂き、感謝感激の秋の夜でした・・・(涙)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2016.10.07
コメント(0)
昨夜はフェスティバルホールの「ディープ・パープル」と、ビルボードライブ大阪の「チャカ・カーン」の両方のライブに行ってきました。両方とは?ディープ・パープルは19:00スタートで21:00に終わり、チャカ・カーンは21:30スタートです。その差、30分。フェスティバルホールからビルボードまで四ツ橋筋を直線で約500m。実は早い目に大阪に行き、ビルボードへの道を四ツ橋筋から道順を確認して(これまで地下鉄からしか行ってなかった)、そこから四ツ橋筋を南下してフェスまで歩いて行ったのです・・・オッサンの足で、ゆっくり歩いて約10分・・・予測通り、これならイケるぞと確信したのです。そして、フェスの地階にあるパブHUBで、ビールを飲んで開演をマッタリ待っていました・・・ここのビールはトテモ美味しく、BGMでディープ・パープルが頻繁にかけられ、否が応でもファンの心を掻き立てます・・・ニクイ、演出ですねェ・・・しかし、HUBの営業戦略と考えれば、その日ライブのアーティストの曲をかけるのは、ごく当たり前の事か・・・そして、ほろ酔い加減になったところで、イザ出陣!予想通り、沢山の年配ファンを中心に会場はごった返していました。Tシャツ売り場に並んだのですが、客が多すぎてとても買えないと判断して席に着きました。ミュージシャンの収入減は、こういった記念品にあるんですねェ・・・そしてオープニングは、もちろんマシンヘッドの1曲目のHighway Star・・・イアン・ギランのボーカルもとても70歳とは思われません。44年前発表のマシンヘッドの時は26歳。スゴイじゃないですか・・・歌の良し悪しは別にして、Highway Star をイアン・ギラン本人が、歌う事に意味があり価値があるのです・・・(涙)。そして、イアン・ペイスのドラムも健在どころか、シャープなドラミングでバンドをグイグイ引っ張っています・・・とても、68歳とは思われません・・・そして、それらを聴けるファンの心は至福に満たされるのです・・・(涙)。ライブの本質はそこにあり、その会場にいる全員がハッピーなのです・・・今回のライブは、スマートフォンでの写真や動画撮影はOKです。ただし、フラッシュは禁止です。私の経験では、日本ではこんなの初めてです・・・(驚)。しかし、ボチボチ日本でも増えているようです。しかし、これって、海外では普通にOKです。日本では著作権云々でうるさく禁止されていますが、海外ではオープンにするとSNS(フェイスブック、ツイッター、LINEなど)で個人がアーティスト(ミュージシャン)の写真や動画で拡散してくれて、結果的にアーティストにプラスになるという考え方のようです。日本も海外のように、時代の変化(SNSの普及)に合わせて柔軟に対応する必要があると思います・・・しかし、BOX席はイイですねェ・・・所謂、みんなが羨む特等席です。その価値は、十二分にありました。やはりBOX席あたりがライブ録音(CD化)するには最適な場所らしく、音響が最高でスマホでも結構イイ音が撮れました。隣の若いブラジル人カップルに感化されて踊りましたが、オッサンもスマホで撮りながら踊るには、ツライもんがあります・・・(笑)。いずれにしろ、一番好きなディープパープル第3期のburnは残念ながら聴けませんでしたが、第2期に世界中で大ヒットした1972年発表のアルバム「Machine Head」のSmoke on the Water 、Lazy 、Space Truckin を聴けただけでも幸せです・・・バンドの難しいところはココです・・・長年やってきた多くのバンドはメンバーの入れ替わりがあるのは普通で、そこに著作権やメンバー間の好き嫌いが絡むと、ファン希望の曲が演奏できない・・・その辺が、バンドのジレンマであり、ファンとして頭の痛いところです。その点チャカカーンは1人なので、客の満足のいく過去3,40年のヒット曲を万遍なくヤッテくれました。ココが、バンドか個人アーティストかの大きな違いであり、見どころだと思うのです。そして、ディープパープルのアンコールラスト曲Black Nightで盛り上がっているところを、後ろ髪を引き摺りながら1人抜け出しました・・・(涙)。最後まで余韻を楽しんでみんなと一緒に会場を出ると出口で混雑が予想され、チャカに間に合わないのは目に見えていましたから。土砂降りでしたので歩きを諦め、タクシーに乗り込みビルボードライブ大阪へ・・・充分間に合い、直前に自由席を予約していましたが、左の方ですが前から2番目のテーブルに通され、これもラッキーか・・・最も至近距離で、チャカと僅か2mです。このライブ感は、フェスにはありません。途中手を振ると、一瞬チャカと目が合い微笑んでくれました・・・20年ぶりのチャカのライブですが、かなりスマートになり、声も全く変わらずパワフルです。とても、63歳とは思われません・・・年を取ると、ボーカルの多くは残念ながら声が出なくなります・・・特に高音が。ところが、チャカの高音域は昔のレコードやCDそのままです。45年間も変わらない・・・こんな事があり得るんですねェ・・・正に、奇跡としか言いようがありません。何故、そんな声が長年キープできたか知りたいものです。チャカ・カーンはカテゴリーで分けると、ハードロック(ヘビメタ)のディープ・パープルとは正反対?のソウルやR&Bに分けられますが、ジャズシンガーと言ってもイイくらいジャズもメッチャ上手いです。というか、低音から高音域まで縦横無尽にシャウトする何でも来いの天才シンガーです。これを45年も第一線でヤッテいるのですから、もう世界一のシンガー(ボーカリスト)と言っても過言ではないでしょうか・・・それを間近で聴ける幸せは、何と表現していいのでしょうか・・・ディープパープルと同じく、往年のヒット曲の連発で大いに盛り上がったのは言う間でもありません・・・1発屋と違って、世界中で何十曲もヒット曲があるというのは、相当な強みであり凄いところです。いくらリスペクトしても、全く足りません・・・という事で、チャカの歌声の余韻に浸る間もなく、ラストシーンに後ろ髪を引かれながら、みんなよりチョッと早く会計を済ませ(ここは会計で非常に混雑するのです)、四ツ橋筋まで走ってタクシーを拾い難波駅まで急ぎました。そして何とか急行に間に合い、貝塚駅で水間鉄道の終電に間に合いホッとしました。自宅近くの名越駅を降りようとすると、たまたま運転士が村の同級生Kちゃんで、彼の「なんなお?乗っちゃったんけェ?」で(ワンマン運転)、それまで夢の中にいた私が我に返ってしまいました・・・(笑)。ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2016.05.17
コメント(0)
ついに、今月16日大阪フェスティバルホールの伝説のハードロックバンドであり私もリスペクトしている「ディープ・パープル」のライブチケットを手に入れました。ついにと言うのは、2月上旬の発売開始日に申し込んだものの、既に1階のイイ席はファンクラブなどが抑えられていたため、イイ席は無かったのです・・・発売日から3ヶ月の間、10回以上ぴあで申し込みましたが、2階とか3階とか、端っこの席とか、そんな席しか当たりませんでした。申し込んではキャンセルをして、また期間を空けてまた申し込む・・・というのを10回以上繰り返しました。音楽の熱狂的なファンの友人から、「根気よく、何回も申し込んだらイイ席が当たるかも・・・」というアドバイスを忠実に守り、そして今回最後と思い申し込んだら、ナント1階のほぼど真ん中のBOX席を奇跡的に当てたのです。こんな事でも、努力は期待を裏切らない・・・のか?これは、神が私に与えた幸運か(仏教徒ですが)・・・?行かない理由はありません。今年1月のシカゴのライブでも、奇跡的に1階のど真ん中の前寄りの席でした。奇跡が2回続くとは、日頃の行ないがイイのだなァと自分を褒めたいです・・・(笑)。しかし、このイギリスのハードロック(ヘビメタ)グループ「ディープ・パープル」は、高校時代から40年以上も大ファンで、ほぼ毎日彼らの曲を聴いています・・・1972年発表の「マシンヘッド」は世界中で大ヒットし、日本の若者の心を鷲づかみしました・・・当時高1だった私は、シカゴが1番でしたし、1ヶ月の小遣いがLPレコード1枚買って終わりの2000円程度でしたので、ディープ・パープルのアルバムは買う事すらできませんでした・・・(涙)。当時はまだカセットデッキも発売されておらずFMラジオ放送もなく、深夜のAMラジオ音楽番組で彼らの曲を聴くしかなかったのです。1972年と言えば、国内のテレビではあまり興味のない小柳るみ子とか天地真理の歌謡曲が全盛期で、ラジオでは吉田拓郎や井上陽水、ガロ、ビリーバンバンといったフォークソングが流行りかけていました。そして一方でチョッとマイナーな、桑名正博のファニーカンパニーや矢沢永吉のキャロルがデビューしたのも1972年でした。今と違って情報源の極端に少ない当時は、テレビの歌謡曲に興味のないフォークソングやロックファンの若者は、深夜のラジオ音楽番組にかじりつき、ミュージックライフとライトミュージックという音楽月刊誌を食い入るように読んでいたのです・・・当時はクラシック音楽中心の高校オーケストラ部でトランペットを吹いて、家に帰るとロックをガンガン聴いていたのです・・・(笑)。そんなバランスの良い?ハイティーン時代を送っていましたので、その後ジャズやフュージョン、R&B、ソウル&ディスコ、ラテンやレゲエを聴いてもスッと入っていけたのでしょうか・・・?何でも基礎が大事ですが、さしずめクラシックとロックが音楽の基礎だったのか・・・(笑)。しかし、当時の高校生は小遣いの制約もあり、せいぜい一つのアーティストに絞ってアルバム(LPレコード)を買う程度で、ライブ(コンサート)に行くなんてヨッポドでした。私も高2の1973年に、意を決してシカゴのコンサートに1人で厚生年金会館まで行きましたが、実は地下鉄に乗った事がなかったので、難波駅から1時間かけて歩いて行ったのです・・・(笑)。しかも当時はプレイガイドもなく、チケットを買う為に現地の厚生年金会館まで行ったのです(合計2往復)。まァ、当時の心境として、どうしても行きたかったのでしょうねェ・・・行って、大、大正解でした・・・一生の思い出になりましたから。行ってなかったら、一生後悔です。当時の感動は、今でも私の心に焼き付き、一生の宝です・・・人生って、これが大事なんですねェ・・・その時しか、味わえない事が・・・人生って、誰も制約の中で生きています。その限られた制約の中で、自分の頭で一生懸命考え、どうするか?答えを出す・・・ヤルか止めるか・・・?人の一生って、これの連続だと思います。当時は難波駅まで電車で行けるが、地下鉄に乗った事がないので厚生年金まで行けるかどうか不安でした。貝塚の田舎の高校生にとって、地下鉄の地図を見るだけで目が回りそうでした・・・(笑)。「絶対、シカゴを見に行きたい!」という自分の強烈な願望が勝ち、ならば、難波から歩こう・・・と心に決めたのでしょう・・・今回のディープ・パープルも、また2階や3階席なら、スパッと諦めるつもりでした。ビルボードライブ大阪などの小さなハコなら、ミュージシャンとの距離が近いのでオモシロいですが、フェスティバルホールや大阪城ホールはデカすぎて面白くありません。何十年か前に、シカゴのライブでフェスや大阪城に行きましたが、遠くの席で後悔しました。かと言って、娘と行ったZEPP大阪や20年ほど前に行ったチャカ・カーンのクラブクアトロのようなオールスタンディングの小さめのライブハウスでは、オッサンは足が疲れ切ってしまいます・・・(笑)。そういう意味で、ここ数年は身近で見れるビルボードライブ大阪が多く、今回フェスのBOXに当たったのはラッキーとしか言いようがありません・・・正に感謝、感謝です・・・という事で、スタジオを始めた正に年に、青春の思い出のシカゴとディープ・パープルのライブに行けるなんて、何て幸せなんだろう・・・(涙)。もちろん、高校時代にディープ・パープルをリアルタイムに聴きたかったのは言うまでもありませんが・・・(涙)。もし、シカゴと同様に無理してでも行っていれば、もっともっと音楽人生が豊かになっていたでしょうし、チョッと人生が変わっていたかもしれません・・・それほど、ハイティーン時代というのはイロンナ事に影響を受けるものですし、この頃の「刺激」というのは一生を左右すると思うのです。既に彼らは70歳です・・・こっちも60歳。ジョンロードが4年前に亡くなったのが非常に残念ですが、今回一番楽しみしているイアンペイスのドラムが聴け、イアンギランのボーカルとロジャーグローバーのベースといったアルバム「マシンヘッド」のディープパープル第2期のメンバー3人が揃い、それを聴けるだけでも涙が出そうです・・・1番好きな「Burn」のデビッド・カバーディール(元メンバー)のボーカルを聴きたかったというのは、シカゴのピーター・セテラ(元メンバー)の「25or6to4」を聴きたかったというのと同じくらい贅沢で無理な願いですが、どちらもメデタク今年ロックの殿堂入り(アメリカ)したのですから、一度くらいヤッテもイイのでは・・・ついでに、リッチー・ブラックモアのギターも聴きたいのはファンの一生の願いですが・・・そして、ライブまでの1週間の間、「マシン・ヘッド」と「ディーペスト・パープル」を1日中聴きまくり、来たるライブ当日に備えます・・・(笑)。また、同じ16日(17日も)にビルボードライブ大阪で「チャカ・カーン」のライブがあるのですが、来日に気付くのが遅すぎて、チケットが取れなくて本当に残念です・・・(涙)。20年くらい前に、心斎橋パルコにあったクラブクアトロのライブに行った時は本当に感動しました・・・世界的アーティストが同じ日の同じ時間帯に大阪でライブするなんて、奇跡みたい・・・それだけ大阪は、ワールドワイドで世界のOSAKAなんでしょう・・・ルーファス時代から40年近くファンで、アース、ウインド&ファイヤーと共に、私にソウル&ディスコ音楽(ブラックミュージック)の素晴らしさを教えてくれました・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2016.05.09
コメント(0)
9日朝から毎年恒例の地元の脇浜戎(えべっさん)に行き、夕方からグランキューブ大阪(大阪国際会議場)で始まるシカゴのライブにチョッと早いですが、昼過ぎからイソイソと地元ローカル水間電車に乗って大阪市内へ・・・(笑)。待ちきれないのは、まるで子供と一緒です・・・(笑)。時間がありますので、難波駅から心斎橋筋を通って本町まで歩いていきました。もちろん中国人だらけで、まるで正月のミナミのように混んでいました。もっと他に行く国がないのですかねェ・・・?日本とすればインバウンド需要が増えるのは嬉しいのですが、他の北米や南米、ヨーロッパ、オセアニア、東南アジア、アフリカといったイロンナ国からバランスよく増えて欲しいのです。こうして繁華街を自分の足で歩いて「今を感じる」のです・・・歩くと、イロンナ小さな発見があるものです。それが自分の感性にビビッときて、何かが生まれることを期待します・・・久しぶりのミナミで、勿論ところどころ変わっていますし、特に船場センタービルの外装が変わっているのにはビックリです。中国人がここまで北進していましたから、納得ですが・・・御堂筋線の本町駅から淀屋橋駅まで地下鉄に乗り、そこから歩いて2008年開業のまだ新しい京阪電車中之島線の大江橋駅まで歩いて行き、そこから終点の中之島駅で降りればグランキューブ大阪まで直ぐです。しかし、京阪電車中之島線の地下道はガラガラでした。土曜日にしても、私ともう1人しか歩いていませんでした・・大都会のど真ん中のキタなのに・・・木を中心にしたトテモ綺麗な地下道と駅なのに、採算的にどうなんでしょうか・・・?しかし、グランキューブも不便なところにありますねェ・・・ビルボードライブ大阪のように、周辺に洒落たレストランやバーが全くありません。もっとミナミやキタからアクセスが良ければ、言う事ないのですが・・・グランキューブには開場の1時間前についてしまい、2階のカフェではビールが置いていませんでしたので、仕方なく川を渡って周辺をウロウロする事10分。グーグルでは見つけられず、歩いている途中で、ついに見つけました・・・古いビルだけど、レトロっぽくてしゃれたカフェを。イーグルスといった70年代ウエストコーストミュージックが流行った時代に、アメ村の四ツ橋にあったパームスのような粋な雰囲気のカフェバーでした。そこで生ビールとナッツを出陣前に・・・そして、開場時間ジャストにグランキューブへ。いるいる・・私みたいな単独で来ている5,60代のオッサンがウヨウヨ・・・メインホールは収容人数が2700人程らしく、満席なので1500人くらいは、そんなオッサンで占められていました。70年代前半にロック好きの中高生や大学生だったんでしょう・・・(涙)。私と同じように、「未だにシカゴ大好き!」だなんて嫁さんや子供にも恥ずかしくて言えず、黙って来ているんでしょうか・・・(笑)。マイナーなシカゴのライブへ一緒に行こうなんて言える友達も、この年になるとナカナカいません。じゃ、何が何でも独りでイクで・・・というストーリーが多いでしょう。ウインドサーフィンや空手と全く同じで、もう廃れていそうですが、まだまだ同じ「志」を持ったオッサンが沢山いるなんて、何とも心強い話です・・・(涙)。シカゴは1969年デビューで、世界中でヒットした曲が数知れず、結成当初のオリジナルメンバーがまだ4人いて、47年間ずっと途切れず未だにバンド活動を続けているというのはローリングストーンズとシカゴくらいかというくらい非常に珍しい存在で、私もデビュー当初の中1から大ファンで、シカゴの影響で鳳高校のオーケストラ部でトランペットを始めたくらいです・・・シカゴと出会わなかったら、私の人生も大きく変わっていたかもしれません・・・開演前のTシャツやパンフレット売り場には、オッサン達の長蛇の列です。私も高校生に戻って、ドキドキしながら並んでTシャツを買いました。Tシャツ1枚3500円もしましたが、嬉しかったですねェ・・・今年一番の喜びか・・・(笑)。早々と予約席に着席し、まだかまだかと待っていました・・・その間、両隣の見ず知らずの人と3人で、シカゴ談議に花が咲きました・・・ひとりは滋賀県から来られた50代の男性で、もうひとりは京都からの30代の若い女性でした。同じ趣味?を持った者同士ならではのシーンです。ウインドサーフィンでも、ビーチでは知らない者同士でしゃべるのも普通です。そこには、シカゴと一緒でウインドサーフィンに対する「愛」がありますから・・・こんな事、嫁さんにも言った事ないのに・・・(笑)。そして開演・・・Introductionで始まり、Does Anybody Really Know What Time It Is?、Beginnings、Questions 67 and 68、I'm a Man、Someday (August 29, 1968)、Ballet for a Girl in Buchannon、Wake Up Sunshine、Dialogue 、Saturday in the park、State of the Union、Just You ‘n’ Me、Feelin’ Stronger Every Day、Aire、Mongonucleosis、(I'VE BEEN) SEARCHIN' SO LONG、SONG OF THE EVERGREENS、Anyway You Want、If You Leave Me Now 、Another Rainy Day In New York City 、Alive Again ・・・数々のヒット曲のオンパレードです。これだけ世界中でヒットした曲を持っているバンドは、ビートルズとシカゴくらいか・・・?デビュー当時からシカゴは「レコードとライブが同じ音」と言われていましたが、オープニング曲のIntroductionで、正に実感。演奏技術の高さがうかがい知れます・・・途中20分の休憩を挟んで、約3時間の長期間ライブです。ボビーのボーカルを聴き、パンコーさんの元気なトロンボーンを聴き、リーさんのトランペットソロを聴くと、恥ずかしながら少し涙が流れてきました・・・3人とも70歳くらいです・・・元気で何より・・・ただ、テナーサックスのウオルターさんの代わりに、助っ人が演奏していたのが気がかりです・・・まァ、オリジナルメンバーの4人とも70歳ですから、体調不調を訴えてもおかしくありませんから・・・また、ビルチャップリンの代わりに入ったキーボードのルー・パーディニのボーカルの上手さに感動しました。ジェイソン・シェフのベースもボーカルも相変わらず、カッコいいですねェ・・・キース・ハウランドのギターも、故テリー・キャスの味とは違った魅力を感じます・・・アンコールの最後の曲は、もちろん25or6to4です。とにかく、とにかく、感動、感動、感動の3時間のライブでした・・・(涙)。オシッコが心配ですが、ビールをもう1杯飲んでいれば、もっとノリノリだったのに・・・(笑)。もう60にもなると、日頃感動する事も少なくなり、ウインドと同じようにマダマダ私に感動を与えてくれることに感謝、感謝です・・・(涙)。こんな感動出来る事なんて、1億円出しても買えませんから・・・(涙)。年取ってからウインドを始めたり、シカゴを聴き始めても、ここまでココロを動かされないでしょう・・・人間の心理とは不思議なモノで、子供の頃や若い頃に感動した事がいつまでもココロに宿り、それが何十年後に再度体験すると、再び蘇るんですねェ・・・ある意味、小中高の同窓会もそうかもしれません・・・(涙)。Questions 67 and 68では、ボビーが合の手を日本語で歌ってくれて、43年前の厚生年金のライブと同じようにパンコーさんの最後の感謝の挨拶で「オッキーニ!」「好きやでェ!」の大阪を愛する言葉に感動・・・来年はアース・ウインド&ファイヤーとのジョイント(コラボ)ライブを予定しているようで(アメリカでは以前からアースだけでなくドゥービーとかもヤッテいる)、これは絶対行かねばマダマダ死ねないと・・・(笑)。今年は年始から音楽で感動し、2日経ってもシカゴの余韻が続いています・・・「studio0724(ダンスも出来る22畳「大型」リハーサル音楽スタジオ)」オープンの目途もやっとつき、この調子だと、年末には本当のミュージシャン(或いは音楽業界人)になっているかもしれません・・・(笑)。まァしかし、音楽は人を幸せにしますねェ・・・(涙)。
2016.01.11
コメント(0)
2016年が始まりました。皆様、本年もヨロシク・・・しかし、今年でナント還暦。事実はひとつ、考え方はふたつ・・・「まだ60歳や!」と前向きに考えるか、「もう60歳・・・」と後ろ向きに悲観するか・・・その辺は、本人の自由です。私の場合、あまりそんな事も考えた事がないのですが、何処かでそんなフレーズを読み、「あ~、確かにそうかもしれんなァ・・・」といった後付けで考えさせられました・・・自分が若いとか年寄りとか考える以前に、「これから何しよう・・・」という欲望が勝っているのかもしれません・・・(笑)。その証拠に、正月早々何を考えているのかと言えば、頭の中は今月9日に大阪グランキューブである「シカゴ」のライブコンサートです・・・(笑)。正に「シカゴ、シカゴ」で、車に乗っても、事務所でも、リビングでも、風呂でもシカゴ、シカゴの曲を・・・、自分のココロのモチベーションの頂点を9日のライブに持って行けるように準備をしているのです・・・(笑)。ちょうど宅建の受験勉強で、それまで9か月間毎日3時間勉強をしてきましたが、試験1週間前に仕事も雑用も全て止めて「毎日18時間」缶詰状態で集中的に勉強して、知識の頂点(照準)を試験日に合わせたのと同じです・・・(笑)。半分脳ミソの腐りかけた50のジイサンだったので、そこまでヤラないと無理でしたし、試験終了のベルと同時に殆んど忘れてしまいましたが・・・(笑)。そこには、もはや自分が60歳とか、ジイサンとか、そんな意識は全く存在しませんし、誰に何を言われようと気にしません・・・高校生と全く一緒です。初めてシカゴのライブに行ったのは、ちょうど高校2年になったばかりの4月でした。当時の音楽月刊雑誌「ミュージックライフ」と「ライトミュージック」は毎月本屋で熟読しており、情報も半年くらい前から知っていましたので、たぶん高1の冬休みくらいにチケットを買いに行っていたのだろうと思います。その情報を掴んだ瞬間から、今と同じように「シカゴ、シカゴ・・・」と頭の中はシカゴだらけで、勉強もあまり手につかなかっただろうと思います・・・(笑)。人間、性格は変りません・・・死ななきゃ治らないというのは、正にそういう事です・・・(笑)。しかし、当時S席3000円は高校生にとって大金ですし、一緒に行けるようなシカゴファンの友達もいませんでしたので、「じゃ、独りで行こう!」と決意したのでした。決意というのは、当時はプレイガイドもなく、チケットを買いに会場であった厚生年金会館まで行かなければならなかったのです。地下鉄に乗った事も無かったのに・・・(笑)。それほど行きたかったのです。泉州の田舎モンにとって、大阪の地下鉄はややこし過ぎます。人に聞いて行くのも邪魔臭いですし、結局難波駅から片道1時間かけて厚生年金まで歩いてチケットを買いに、ライブ当日も歩いて行きました・・・(笑)。今から思えば、ナント凄い情熱やなァ・・・と感心します(笑)。しかし、行ってヨカッタですねェ・・・行っていなかったら、一生後悔します。若い頃にヤリタイ事をやらずにいると、後で後悔するものです・・・熟慮して本当に「ヤリタイ!」と思った時が、正に旬です・・・その時を逃してはダメです。イヤ、若いとか年とっているとか関係なしに、人生、タイミングです・・・人生ってある意味、そのタイミングでの決断や行動で成り立っているのかも・・・まァ、自分のココロに正直に生きるというのは、正にそういう事だろうと思います。これまでの人生で、あれもやりたいこれもやりたい・・・と、しかし沢山の後悔もしてきました・・・まァしかし、日本人男性の健康寿命70歳、平均寿命80歳というのを冷静に考えると、これからヤリタイ事やヤレル事もおのずと限られます。今更、ジタバタしても仕方ありません。しかしシカゴも今年で、前身の1967年スタートの「ビッグ・シング」から数えて49年です。私もファンになった中1から数えて、47年もファンです。今でも忘れません。ちょうど中1の夏休みに、当時流行っていた深夜音楽ラジオ番組「ヤングリクエスト」で、ブラスロックグループのシカゴの「クエスチョンズ67&68」を初めて聴いて、頭にカミナリが落ちるほどの衝撃を受けたのです。レコーディング曲は衝撃的なダニーのタイトなドラムで始まり(ライブ曲はボビーのピアノ)、ブラスのパンコウさんのアレンジはジャズっぽく、唸るようなテリーのギターに脳天がカチ割られ、ピーターのシビレるようなファルセットボイスに魅せられ・・・「ナンや!この曲は!」言葉では表現しにくいですが、これまで聴いていた日本の曲は何だったのか?・・・と。当時は高校生や大学生が中心にヤンリクを聴いていたので、相当マセテいた中学生という事か・・・(笑)。しかし、その「前兆」はその3,4年前にあったのです。当時もっとも仲良く遊んでいた近所の友達の家に行くと、「兄貴のレコード聴くけ?」と。そして、友達の兄さんが留守の時に部屋に忍び込み、2人で聴いて驚愕しました・・・「何と、カッコええやん!・・・」・・・と。それが、当時若者の間で大流行していたベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」「パイプライン」「10番街の殺人」だったのです。人によってもって生まれた性質や才能や感性が違いますし、それに育ちや生い立ちによって更に違いがあります。別に私の両親は音楽が好きだったという事もありませんし、昔家にあったレコードと言えばクリスマスソングや演歌です・・・(笑)。チャンチキおけさや河内音頭は、幼稚園児くらいから何千回も家で聴いていました。それが、ベンチャーズのギターを聴いて小学校3,4年の私の胸が震えたのです・・・そして、シカゴのブラス楽器を伴ったロックサウンズを聴いて、私の13歳のハートはガタガタと・・・高校のオケ部でトランペット、大学生の時はバンドでドラムやボンゴ・・・もちろん、だんじり祭の鳴り物も立派な楽器で音楽なので、これは小学校1年くらいから太鼓を叩いていましたねェ・・特に中学3年の時は、何か?(思い出せない)の「全国大会」に向けて大太鼓を毎日放課後集中的に練習した思い出があり、そのお蔭で音楽の内申が3から5になりました・・・(笑)。という事で、シカゴのメンバーも多くは70歳を超えており、これからもうせいぜい数回しか来日出来ないでしょう。オリジナルメンバーも4人に減り、もちろん昔のサウンドは期待できませんが、ライブ当日高校生に戻って楽しみたいと思います。しかし、音楽業界もデジタルの進化によって、ユーザーは月1000円も払えば何万曲も聴けるイイ時代になりましたが、逆にアーティストも制作会社も儲からなくなりました・・・シカゴはその点、上手にビジネスを展開しています。今更新曲に力を入れても仕方がありませんし、彼らには過去のヒット曲が数えきれないくらい沢山あります。CDに期待できませんし、60代になってからアースウインド&ファイヤーといった他のグループとの「コラボ」ライブに力を入れ始めたのです。シカゴとアースの両方のオールドファン(40代から70代)が集まり(私みたいに両方のファンも)、それに感化された(つられた)20、30代も集まるという寸法なのです・・・ライブ会場では、記念品のTシャツやCDや書物といった副産物も飛ぶように売れます・・・ある意味、時代に匂いを敏感に感じ取って、デジタルからアナログへの転換です。さすが、ですねェ・・・日本のアーティストの中には、「この流れ」をいち早く悟って方向転換し、ライブ活動に耐えうる体力を養う為にジムに通っているアーティストも少なくないようです・・・(笑)。という事で、ライブ当日はビール2,3杯ひっかけて突入するでしょう・・・何の曲から始めるかは知りませんが、パンコウさんの元気なトロンボーンを見て、ボビーのまだまだ健在のボーカルを聴けば、そこに感動して泣いているオッサンがいるかもしれません・・・(笑)。最後に言いたいのは、音楽は人を幸せにします・・・ってこと。そして、同じ70年代に活躍したEW&Fやイーグルスやクール&ギャングやシャカタクが未だに、60代70代になっても現役でバリバリ活躍しているのは、若い頃の基本がキチンと出来ているんだなァ・・・と、我々のビジネスやアマチュアスポーツにも通じるのだとシミジミ思うのでした・・・
2016.01.01
コメント(0)
先日音楽好きのお客さんとの雑談で、スマートフォン無料アプリ「CLIP BOX」の存在を知りました・・・今頃知ったんか?と、笑われそうですが・・・(笑)このアプリ、YOU TUBEの音楽をスマホに簡単にダウンロード出来るのです・・・これまで音楽はCDを一旦パソコンのitunesに入れてから、私の128GBのiphone6にダウンロードしてきました・・・もう既に1500曲くらいはスマホに入ってますが、まだまだ7,80%空き容量があります・・・しかし、手持ちのCDだけでなくレンタルCD屋さんに足を運ばなければなりませんので、時間と金もかかります・・・そこで以前にもブログで書きましたように、これも無料の音楽アプリ「DROP MUSIC」を友人から教えてもらいYOU TUBEの音楽をネット配信で聴いていました・・・YOU TUBEには世界中のオモシロい音楽が溢れています・・・映像(動画)付ですので、耳と目で楽しめ五感を刺激して想像力も掻き立てます・・・老化予防のアンチエイジングにピッタリです・・・(笑)昔のCD化されていないレコード音楽だったり、ライブ映像だったり、日本未発売(未公開)の外国曲だったり、本人より上手なカバー曲やコピーバンド、パート別の楽器の演奏だったり(ドラムの叩き方よく分かるように、あらゆる角度からの映像が見れたり)、また、こんなんあったんかいな?というミュージシャン同士のコラボなんかCDでは殆どありません・・・YOU TUBEには知らなかったアーティストや曲もタダで聴ける・・・まるで夢のようなツールです・・・YOU TUBEに感謝、感謝です・・・考え出した人は天才です・・・しかし、このDrop Musicだとパケ代がかかりますし、田舎ではWiFiが充実していませんので、イマイチだったのです・・・そこで、悩んだのでした・・・持っている大容量ストレージの128GBスマホを活かして、「スマホにYOU TUBEを何とか取り込めないか?」と・・・イロイロ自分で研究したのですが、なかなか良いアイデア浮かびませんでした・・・日々の仕事や年末年始の雑用で忙しく生活しているうちに、そんな悩みも頭の片隅に追いやられてしまいました・・・そして、今回の雑談で「ピン!」と来たのです・・・決して完全に忘れずに、頭や身体の何処かに「覚えている」という事が大事でしょうねェ・・・4,5年前に30年ぶりに空手を再開しましたが、空手の基本はボディコンバットで10年前から一足早く蘇っていましたが、形を完全に忘れていましたが、やっているうちに徐々に思い出してきました・・・青春時代の記憶が蘇ったのです・・・自分では全く分からないところにあったのか・・・?そういう意味で、人間とはナント不思議な動物だと思います・・・まァ、このスマホのCLIP BOXで、私の音楽ライフが更に充実したのは言うまでもありません・・・スマホを駆使して、事務所では事務員を雇っていませんので自由にブルートゥース機能付きのONKYOミニコンポをBGMに、家ではBOSEのブルートゥーススピーカーを聴き、軽トラではパイオニアの大音量のカーステ、風呂では2年前のリフォームからバスサウンドを聴いて、一日中音楽、音楽に囲まれています・・・(笑)最近は家の廊下でドアを閉め切ってBOSEをフローリングに直に置いて聴くと(廊下をひとつのBOXと考える)、固体振動で素晴らしい反響音がする事を発見しました・・・ひとりビールを飲みながら、廊下で音楽に浸るのもサイコーです・・・(笑)これも「音楽スタジオ」研究の成果のひとつです・・・(笑)もちろん、空いた暇な時間はイヤホンで、iphone5と違って6はバッテリーの残量を気にせずに聴けるのです・・・これだけ日常生活で音楽を自由にタダで聴けるなんて、涙が出るほど嬉しいです・・・電話、メール、4台の防犯WEBカメラの遠隔監視(海外からも可能)、世界各国の翻訳機(海外旅行に便利)、テレビ電話、ライン、メモ、音楽、写真、電卓、動画、SNS(フェイスブック、ツイッター)、ブログ、カーナビ、天気予報(ウインドサーフィンの風情報)、不動産関連の仕事(コンパス、水平器、騒音計、距離計)、インターネット、時計、YOU TUBE(音楽、空手の「形」稽古など)・・・と、現代人はもう多機能なスマホなしの生活は考えられません・・・音楽に目覚めた45年ほど前の中学時代、1ヶ月の小遣いが500円で、シングルレコードが1枚350円くらいだったように思います・・・毎月はとても買えませんので、2ヶ月に1回貝塚駅前にあった中野楽器とエコーレコードに水間電車に乗って買いに行くのが何よりの楽しみでした・・・1枚しか買えませんから、店長に嫌がられる1歩手前まで、2時間かけて何枚何回も試聴させてもらいました・・・(笑)シングルレコードには両面2曲入っていますが、A面しかイイ曲が入っていませんので、実質1曲の為にここまで労力とお金をかけたのです・・・もちろん、レコードが擦り減って音質が悪くなるまで聴きこんだのは言うまでもありませんでした・・・(笑)そんな経験は同世代でしたら、ごく当たり前の音楽環境だったのです・・・しかし、これまでのユーザーがお金を出して音楽を楽しむのではなく、タダでいくらでも音楽が聴ける時代になったという事は、それでメシを食ってきたミュージシャンを含め音楽業界は大変だという事です・・・デジタル化社会が進んだ、ある意味弊害か・・・まァ、音楽業界に限らず、デジタル化が進んだことによって、新たに生まれた仕事や増えた仕事もありますが、減った仕事や無くなった仕事もあるという事です・・・デジタル化がこれからも更に進む日本に住み続けて仕事をするなら、デジタル化とは「逆」のアナログの要素も取り入れた仕事をした方がイイかもしれません・・・要はバランスの問題で、デジタル化100%やアナログ化100%では、仕事の競争率が激化するか仕事が無いか?で、業界や業種によって、その辺の微妙なバランスを取る事によって、会社として個人として生き残れるかどうかだと思うのです・・・そこには、男も女も、若者か老人か、高学歴か低学歴か、大企業か中小零細か関係なく、ビジネスとして仕事として「時代に適合したモノだけが残れる」という非常にシビアな将来が待っているように思うのです・・・しかし今回のCLIP BOXと出会ったのも、ネットで探し回ったのではなく、アナログ的な人とのチョッとした雑談でしたので、そんなに上段に構えなくても身の回りの行動を「チョッと意識」さえすれば、徐々に「イイ方向」にもって行けるかもしれません・・・まァ、将来に向けた仕事のヒントが、この辺に隠されているような気がします・・・という事で、最近は知っている曲だけでなく、自分のセンスに合った曲を探すために、音楽検索アプリ「SHAZAM」でイイ音楽が流れているショッピングモールなどのBGMを物色して、CLIP BOXで聴いているのです・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2015.02.02
コメント(0)
ディズニー映画「アナと雪の女王」が世界的に大ヒットしています・・・主題歌「Let It Go」を「レリゴー」と日本中で口ずさむ人が続出という現象が起きています・・・「Let It Go=ありのままで」という意味ですが、50代以上のオッチャン・オバチャンの音楽ファンにとって、あのビートルズの「Let It Be」の「レリビー」を思い出したんじゃないでしょうか・・・「Let It Be=あるがまま、そのまま」という意味で、Let it Goと、とよく似ています・・・このLet It Be、よく流行りました・・・ビートルズ末期の1970年に発売され、ちょうど中学生の頃で、テレビでライブが放送され釘づけなったのを昨日の事のように覚えています・・・デビュー当時と違って、みんな髭ボウボウ状態で、誰が誰やら分からんような記憶が懐かしいです・・・まだ中学生でしたが、何やら凄いバンドが絶頂期で解散するなんて 、世界中でシングルレコード1枚350円で予定より100万枚売上減ったら、印税で何億も損だなんて、勿体ない話だと要らぬ妄想をして、マセタ子供でした・・・(笑)それほど、当時は中学生にも影響を与えるほど衝撃的なニュースでした・・・1970年代前半は世界でビートルズの末期、Tレックスといったグラムロック、ディープパープルやレッドツェぺリンといったハードロック、シカゴやチェイスやBS&Tといったブラスロック、イーグルスやドゥービー・ブラザーズ といったウエストコーストといった音楽が爆発的に売れ始め、日本では根強い歌謡曲に加え、井上陽水やかぐや姫、吉田拓郎といったフォークソングがブームになろうとしていたイイ時代でした・・・一方で、テレビの深夜番組でアメリカの「ソウルトレイン」というブラックミュージックのダンス音楽が流れ、初めて聴くその「音」に痺れて心臓がバクバクしたものです・・・そしてあと2年で還暦を迎えるジイサンの私は、未だにその10代に感激で震えた音楽を聴いているのでした・・・やはり人間というのは、感受性豊かな10代で経験した事が、一生を支配するのでしょうか・・・?しかし、このlet it goにしろ、let it beにしろ、人間、このようにもっと自分が本来持っている意志や嗜好に正直に自由に生きたいものです・・・せっかくこの世に生まれてきたのですから、イロンナしがらみの中で、それを少しでも可能足らしめるために、イロンナ事を考え行動する者だけが、本当の意味で自由を得るのだろうと思います・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.06.02
コメント(0)
ジャズ・フュージョンのピアニスト「松岡直也」さんが亡くなられたそうです・・・ご冥福をお祈りいたします・・・ジャズ・フュージョンと言うより、ラテンフュージョンと言った方がイイでしょう・・・70年代後半にフュージョンブームがあり、それプラス「ラテン」系のノリで、私にしてみればショッキングな登場でした・・・ちょうどその頃、心斎橋・鰻谷の輸入レコード店で、たまたま偶然見つけたラテンフュージョンバンド「BOBO」にハマっていました・・・オレの好きな音は「これや!」と・・・ちょうど、アース、ウインド&ファイヤーが全盛期の頃で、アースもある意味ラテンフュージョン系の音をバンバン出していましたから、おそらくその影響を受けたのだろうと思います・・・また高中正義の大ヒット曲「ブルーラグーン」が流行っていた頃でもあり、この曲をバックにしたウインドサーフィンはサイコーに合っていました・・・高中正義と言えば、ラテンギターの大御所サンタナときます・・・サンタナは好きな曲がありすぎて・・・いずれにしても、私の中では、中学1年でショックを受けたブラスロックのシカゴ・・・このシカゴとの出会いが、大袈裟に言えば、私の人生を左右したのだろうと思います・・・私の音楽のルーツは、シカゴだったのです・・・その影響で、高校時代はオケ部でトランペットをしました・・・シカゴの沢山の曲の中で、トロンボーン担当のジェームズ・パンコウが作ったブラスのジャズっぽいラテン系アレンジにハマってしまいました・・・それが、アース、ウインド&ファイヤー、松岡直也、高中正義、BOBO、サンタナ・・・と、繋がり広がっていったのでしょう・・・シカゴとの出会いがなかったら・・・?そんな、人生想像できません・・・全く違った人生を歩んでいるかもしれません・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.05.02
コメント(0)
またまた、便利なスマートフォン(iphone)の音楽アプリを見つけました・・・DropMusicというアプリで、好きな曲をいくらでも無料で、しかも簡単に直接ダウンロードできるのです・・・既に1000曲ほどiphoneに音楽を入れていますが、これを入れるのがまた邪魔臭かったのです・・・自分のCDなりレンタルCDを、一旦パソコンのitunesにダウンロードしなけければならないのです・・・しかし、このDropMusicは「ひと手間」省けますし、CDレンタル料がかかりません・・・また、手持ちのCDにない曲をDropMusicで探すのです・・・スキマの曲を探すのに、正にピッタリだったのです・・・ホンマ涙が出るほど、嬉しいアプリです・・・またiphoneにダウンロードした曲や、you tubeとの「連携」があるのもうれしい機能です・・・これで更に、私のミュージックライフが充実したのは言うまでもありません・・・しかし、このまだ新しい情報も何処で入手したのかと言うと、ジムの若い仲間からでした・・・音楽に関しては、娘たちからの新しい情報もありますが、こういった若い人も集まるジムにも私の知らない新しい情報があるのです・・・ジムのアナログ的な付き合いから、デジタル的な情報を得るのです・・・ただ単に同年代や仕事だけの付き合いだと、同じような価値観で「堂々巡り」に陥りがちです・・・年寄りは若い子と、若者は年配者と男女関係なく、機会を見つけ積極的に交流すべきでしょうねェ・・・別に、オバマ大統領と英語で政治談議をしろと言っている訳ではありません・・・そう考えると、気も楽になるはずです・・・私はジムでたまに、英会話教師のカナダ人と喋っています・・・彼も一人で寂しそう?で、生の英語が聴けますし、私も田舎では滅多にない「チャンス!」と思い、積極的に話しかけるのです・・・やはり、明確な同じ目的を持った趣味を通じた老若男女がいるイロンナ年代との付き合いによって、大袈裟に言えば、人生を刺激されイイ方向に持って行けると思うのです・・・無目的な異業種交流会を、何百回参加しても無意味なのと真逆です・・・という事で、ただ単に身体を鍛えるだけでジムに通うのではなく、ジム仲間との交流によって、こういった刺激もあるから続けられるという一面もあったのです・・・まァ、イロンナところにアンテナを張っておくのが大事ですが、時間も金もかかりますので、要は何処に張るか?という「場所」を真剣に考えねばという問題なのだと思います・・・只、一人黙々と誰ともコミュニケーションをとらず(とれず)に、トレーニングをしている人も見かけますが、多くはしばらく経って辞めてしまいますねェ・・・勿体ない話です・・・仕事以外の場所で「コミュ力」が無いばかりで、大損しているような気がします・・・やはり内弁慶ではなく、「他流試合」にも強くなければ・・・しかし、中学生の時1ヶ月の小遣いが500円で、シングルレコード1枚350円もしましたので、よく貝塚駅前のレコード店(エコー)で、店のニイチャンを気にしながら、1枚買うのに2時間も粘ってアレコレ試聴したのが懐かしいです・・・特に、ルー・クリスティ「魔法」か、オリジナルキャスト「ミスターマンデー」か、マッシュマッカーン「霧の中の二人」かの3択で、頭がパンクしそうなくらい悩んだのも、今となっては笑い話です・・・今は、そんな事が1分でタダで手に入れられるなんて、夢みたいな話です・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.03.21
コメント(0)
家に、先日からipadがあります・・・家には既にノートパソコンがあり、各自スマートフォンを持っていますが、更に今回のipadという事です・・・ノートパソコンはいちいち開くのが邪魔くさく、スマホは字や画像が小さいのでストレスが溜まります・・・ipadは、そのちょうど「中間」というのがイイですねェ・・・家でYOU TUBEを、チョッと見るのにピッタリです・・・ipadを外に持ち歩くことはしませんが、外国旅行に行った時は、この手の中途半端に大きいタブレット端末を持ち歩いている人の多さに驚きました・・・「邪魔にならないのだろうか?」と不思議に思ったものです・・・人種が違えば、思考回路も違うのでしょう・・・だからこそ、日本メーカーの世界戦略は国別が基本だというのも頷けます・・・しかし、私は普段iphoneに入った1000曲のお気に入りの音楽やパソコンでYOU TUBEを聴いていて、ここ数年新しいCDや音楽DVDを買った事がありません・・・これに今回のipadが加わると、もうCD&DVDを全く買う必要が無くなります・・・大学生の頃までは、アナログのLPレコードを持っている事(所有)に、大きな意味がありました・・・カセットテープではダメなのです・・・より原音に近いレコードでないと・・・それがその後、クリアな音質でコンパクトなCDが発売されてから、業界自体が根底から覆されました・・・アナログからデジタルへの大転換です・・・地殻変動でも言うのでしょうか・・・過去3,40年で、音楽業界を取り巻く環境がソフトやハードを含めて激変しました・・・音楽なしでは、もう生きていけない一人のファンとして、この大きな流れに身を任せて、これからも上手に泳ぐしかないですねェ・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.03.17
コメント(0)
ショッピングに行ったり、テレビを見ていたりしているとBGMがよくかかっています・・・「懐かしなァ・・・」「何ちゅう曲やったかいなァ?」「エエ曲や!」・・・と思う事が多々あります・・・今までは、それでオワリでしたが、今は便利でスゴイ時代です・・・そういった曲名が分からないのを知りたいという「需要」に対して、捜してくれる(分析)「供給」に当たる、スマートフォンの「シャザム(Shazam)」という音楽無料アプリがあるのです・・・こんな便利なアプリがある事に、ホント参りました・・・私の今の聴く方の音楽ライフは、iphoneに集約しています(1000曲以上?)・・・iphoneを直接聴きますが、風呂のオーディオにiphoneを繋いで聴いたり、車はFMトランスミッターでiphoneの音を飛ばして聴いたり、Bluetooth(ブルートゥース)機能で事務所のコンポでiphoneを聴いたり・・・起きている間は時間の許す限りBGMを含めずっと音楽を聴いている感じで、もうiphoneなくして、私の音楽ライフは成り立ちません・・・イヤ、生活そのものが成り立たないかも・・・私の本格的な音楽ライフは45年ほど前の中学時代のアナログのSPレコードから始まり、LPレコード、カセットテープ、オープンリールテープ、そして20数年前からのデジタルのCD、CD-R、MD、DVD・・・ホント、考えれば長い、長い音楽とのお付き合いです・・・親兄弟や幼馴染の次か・・・しかし、今から10数年前に私は意を決し「断捨離」を決行しました・・・レコード、カセットテープ、オープンリールテープ、CD、CD-R、MD、DVDといったソフトに加え、録再生機器のレコードプレーヤー、カセットデッキ、オープンデッキ、CDプレーヤー、MDデッキ、DVDデッキ、車載プレーヤー(乗用車と軽トラック)・・・と、アナログとデジタルがごちゃ混ぜになってしまい、収拾がつかなくなったのです・・・基本的にアナログと決別し新しいデジタルに大きく舵を取り、アナログはレコードとプレーヤーだけを残し、思い切って2000本以上もあったであろう思い入れのあるカセットテープとオープンテープを廃棄したのです・・・そうして整理しないと、聴きたい曲も聴けなくなるという危惧があったのです・・・捨てたテープの中には曲名もアーティスト名も忘れた曲が沢山あったのですが、フレーズだけ私の腐りかけた頭の片隅にまだ残っていたのです・・・お金も不動産も株券も墓場まで持って行けませんが、この思い出の曲は持って行けるのです・・・ある意味、これら膨大な思い出の音楽も私の財産なのです・・・という事で、「もう一度あの曲を聴きたい!」「でも、何ちゅう曲やったか?」という悔しい思い出がいつも私の心にあるのです・・・そういう時に、このシャザムが威力を発揮するのです・・・アナログとデジタルの過渡期を過ごした40代以上の音楽好きの方には、私のような方が世界中に沢山おられると思います・・・このシャザムの開発者は、音楽と言う言葉の要らない「世界共通語」に目を付けたという意味で、また世界中をマーケットにしたと言う意味でもスゴイ人だと思います・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.03.09
コメント(0)
昨日は大阪梅田のビルボードライブ大阪へ、元アース、ウインド&ファイヤーのギタリスト・アルマッケイ率いる「アル・マッケイ・オールスターズ」のライブに行ってきました・・・もちろんヤル曲は、ディスコで一世を風靡したEW&Fの7,80年代のヒット曲の数々・・・一番好きなfantasy、そしてGetaway,Sing a Song,Jupiter,That's the Way of the World,Getaway,september,Reasons,Boogie Wonderland,Let Your Feelings Show,After the Love Has Gone・・・音はアースの完全コピーで、本家本元よりむしろウマいかもしれません・・・もう、オールドファンにはタマリマセン・・・とにかく、サイコーの一言です・・・生きていてヨカッタ(チト、言い過ぎか?)・・・最近の新しい曲は殆ど頭に入りませんが(残りませんが)、青春時代の頭と身体に染み付いた曲は、忘れようにも心の底にもこびり付いていますので忘れられません・・・再度聴いたり、楽器で演ったりすれば、アドレナリンが放出されてアンチエイジングに繋がるかもです・・・今回は前半少しバラードで、後はダンス、ダンスという曲構成で、もちろん私も含めてオッチャンオバチャン達のディスコと化しました・・・(笑)ダンスの為に、下にロングTシャツ1枚を着て行き、Tシャツだけで踊りましたが、それでも汗だくになりました・・・日頃ジムで、ヒップホップやボディジャムといったスタジオプログラムに入って大音量の音楽に合わせてダンスをして汗をかきますが、断然こっちの方がイイですねェ・・・しかし、ビルボードライブ大阪は食事も出来て、アーティストが目の前の「かぶりつき?」でイイですねェ・・・これくらいの小さいライブハウスが、ちょうどイイのです・・・もう、大きなコンサート会場はアーティストが見えませんし、一体感が乏しいですので行きたくありません・・・という事で、また来年もアルマッケイのライブに来られればと思います・・・そして、アルマッケイもいつまでも元気で、大阪のオッサンオバはんを元気にしてくれればと・・・しかしアース全盛の頃に、ライブに行けなかったのが非常に残念でなりません・・・20代前半の頃の自由に使える小遣いも限られ、レコード(LP)を買うのもライブに行くのも1番好きなシカゴを優先しましたし、ウインドサーフィンにお金もかかっていましたので、アースのライブどころではなかったのです・・・しかし、今思えばレコードを買うよりライブに行っとけばと、悔いだけが残ります・・・それ程ライブには魅力があるのです・・・という事で、せめて青春時代に流行った好きなアーティストがまだ生きている間に、残りの人生で悔いのないように、出来る限り彼らのライブに通おうと思っているのです・・・シカゴ、アース・ウインド&ファイヤー、トト、アメリカ、ビリージョエル、CCR,キャロルキング、マライヤキャリー、マドンナ、オリビアニュートンジョン、ローリングストーンズ、SADE、フォリナー、シャカタク、ボズ・スキャッグス、チャカカーン、インコグニート、サンタナ、ジャーニー、ディープパープル、レッドツェぺリン、ハート、クール&ギャング、スタイリスティックス、バンへイレン、ホワイトスネイク、山下達郎、スタレビ、ユーミン、杏里、竹内まりや、八神純子、大橋純子、吉田美奈子、EPO、高中正義、チャー、つのだひろ・・・・・・・・・老後もライブ通いで忙しくなりそうです・・・(笑) NO MUSIC、NO LIFE! ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.01.28
コメント(0)
先日の小学校のクラス会の3次会で、泉佐野駅前のライブハウス「音楽倉庫(おとらくそうこ)」さんへ行ったのですが、まるで我々青春時代の70年代ディスコのようでした・・・イベントが時々あるようで、ジャンルによってディスコ(クラブ)化しているようです・・・エエですねェ・・・近くで生バンドを聴けて踊れる店があって・・・これまで、こういう生バンドを聴けて踊れる本格的なライブハウスは、泉南地区(岸和田市以南)ではありませんでした・・・大阪府でも同じ泉州でも堺市や、大阪市内には沢山あるのですが・・・泉南地区に無かったこと自体、音楽大好き人間の私にとって不思議でした・・・まァ、厳密に言えば大阪市内でも、泉州の客が多いと思われるミナミより、京阪神や北摂、京都からの客が多いキタの方が盛んという事情もあるのですが・・・盆踊りとか日本の伝統芸能音楽は盛んですが、ライブハウスとなると基本的に洋楽中心ですから、やはり泉南には根付かないのかと諦めていました・・・ところが、泉佐野に吹き抜けのモダンな独立店舗として新築されたこの「音楽倉庫」さんが出来て、嬉しくて仕方がないのです・・・先日もよく知っているここの社長とお話をして、当社が「音楽スタジオ(リハーサル)」を開業すれば、将来何らかの形で協力をしたいという趣旨の事をお伝えしました・・・まァ大袈裟に言えば、泉州の音楽(バンド)文化を裏から少しでも応援できればという事です・・・その為にはトランクルーム同様、儲けを度外視して「日本最安値!」の賃料でスタジオを貸す予定です・・・半分ボランティアという感じか・・・それでもイイんです・・・音楽を通じて、出来るだけ多くの方が幸せになってくれれば・・・という事で、チョッと音楽スタジオの前宣伝になってしまいましたが、なんとか今年中にはオープンしたいと思います・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.01.23
コメント(0)
ミュージシャンと言うより、音楽家といった方がイイ「大瀧詠一」さんが亡くなられました・・・今でこそ日本語ロックは一般的ですが、私が中高生の1970年代前半は、日本の音楽業界も悩んでいました・・・テレビではGS(グループサウンズ)の代わりに歌謡曲が従来の演歌と共に盛んでしたが、一方当時人気の深夜ラジオでは若者を中心に、洋楽ロックや日本のフォークソングが全盛という2極分化が進んでいたように思います・・・そこに新しいカテゴリーとして、「日本語ロック」が浮上してきて、各グループサウンズの精鋭が生き残りを懸けて新しいグループを再編したり、フラワートラベリングバンドやファニーカンパニー、キャロルといった全く新しいグループとかイロイロ出てきたりとか、オモシロい時代でした・・・当時の代表的な音楽雑誌「ミュージックライフ」や「ライトミュージック」が日本のロック特集を組んで、その業界を評して「日本人による日本語ロックは出来ない!」とか書かれていましたねェ・・・そういう当時の日本語によるロック音楽の混迷していた時代に、大貢献したのが大瀧詠一さんだったという訳です・・・当時は日本のフォークソングもブームで、私の大好きなシカゴだけでなく、ビートルズ末期とディープパープルやレッドツェペリンといったハードロックの全盛期と重なっていたスゴイ時代でした・・・一見流行っていたようなテレビでの歌謡曲や演歌に飽き足らない多くの若者は、日本のフォークや洋楽ロックに走っていたのです・・・いつの時代でも、若者文化は「反社会」的なモノに一時的に憧れるものですが、逆にそれくらいのパワーがなければアカンでしょう・・・鳳高校時代はクラシック音楽中心のオーケストラ部に所属していたのですが、それに飽き足らない先輩が突然「これからはジャズロックや!」とか言い出してクラブを飛び出し、音楽愛好同好会を創ってシカゴ(僕らに微笑みを)やキャロル(ファンキー・モンキー・ベイビー)のコピーを演りだしました・・・「カッコええなァ・・・」の一言です・・・残念ながらトランペットを高校から始めた私のテクニックはまだまだで、大好きなシカゴのブラスセクションに引き抜かれることはありませんでした(同級生は引っ張られましたが)・・・その時の悔しさや、自分に対する情けなさは一生忘れないでしょう・・・校内は前年までの学生運動が激しかった反動で、自由な雰囲気が満ち溢れ、校則はあってないようなもので、今では考えられない事ですが単車通学がOKだったりとか、遠足は各クラス何処でも自由で私服の現地集合現地解散で、一方フォークソングが大流行で、校内のそこらじゅうでギターを弾いていましたし、学生集会となると決まって五つの赤い風船の「遠い世界に」をみんなで何故か合唱していましたねェ・・・今思えば、国内外のイロンナ音楽にリアルに接し、また当時あまり好きではなかったクラシック音楽に部活で毎日接した事も決して無駄ではなかったと・・・ホント音楽的にイイ時代に恵まれたと思います・・・経済的にはオイルショックもあり日本経済も一時は大変で、混沌とした時代でもありましたが、まだまだ輸出を中心に日本経済に明るい未来がありました・・・当然、日本だけでなく世界の経済や政治が音楽にも影響を与える時代でもありましたので、歌詞の内容から「人生とは?」とかいう青春特有の「青い悩み」をかかえたのも、今となっては懐かしい思い出です・・・という事で、大瀧詠一さんはあまり知りませんが、ミュージシャンの山下達郎さんが所属していたバンド「シュガー・ベイブ」のプロデュースを行ったほか、1976年には伊藤銀次さんと3人で「ナイアガラ・トライアングル」としてオムニバス・アルバムも発表しているなかで「パレード」という曲が好きだったのです・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.01.21
コメント(0)
ザ・タイガース(野球ではなく、音楽バンド)が44年ぶりに再結成したそうです・・・タイガースと言えば、1967年結成して当時のGS(グループサウンズ)ブームに乗り、大人気のバンドになりました・・・小学生だった私も、「カッコええなァ・・・」と思ったものです・・・子供心に「好きとか愛しているとか、キスとか一生懸命歌う大人たち(人間)というのは、結局スケベやなァ・・・」と冷静な目で見ていたオマセな子供だったのです・・・(笑)一連のGSブームが基礎となり、その後中学生で洋楽にハマったのだと思います・・・そして洋楽にハマらなかったら、その後のハードロック、ジャズ、ソウル、R&B、フュージョンもなかったでしょう・・・もちろん高校のオーケストラ部でトランペットを吹く事も、大学生でバンドでドラムをやる事もなく、人生が大きく違っていたかもしれません・・・GSブームで特に好きだったバンドが、オックス、スパイダース、カーナビーツ、ジャガーズ、ゴールデンカップスでしたねェ・・・GSブームが過ぎ去って、大学生の頃よく行ったミナミのライブハウス「ルイ」に、カーナビーツのドラム&ボーカルの故アイ高野さんが店長でおられた時は、ホンマ嬉しかったです・・・よくギタリストのチャーが来て、彼の得意のベンチャーズをカブリつきで聴いたのも懐かしいです・・・まァ、小学生だった当時は高度成長期の真っ只中で、良いも悪いも含めて日本全体に勢いがあったイイ時代でした・・・子供時代にそういうイイ時期を過ごせて、本当に幸せだったと思います・・・先日のクラス会の2次会のカラオケでも、そのイイ時代を思い出し、GSサウンズも歌いまくりました・・・(笑)今年の夏、いつものように強風のマーブルビーチでエキサイティングなウインドサーフィンを楽しんでいると、同じ年代くらい(60歳くらい?)の中国人のオッサンが岸から私に向かって、何やら興奮して叫んでいるではありませんか・・・何か文句があるのかと思い「ナンじゃ?ワレ!」と喧嘩を買おうか?と思い岸に戻ったら、どうやら「何で?アンタそんなオッサン(年とってるのに)やのに、ウインドサーフィンできるのか?」と言っているようでした・・・(笑)ほっといてくれ、大きなお世話や、ですねェ・・・(笑)それに対して「昔から、ヤッテるさかい・・・」みたいな返事を、日本語が少しわかりそうな一緒に来ていた中国人の若者に言うと、「俺には、そんな青春はなかった・・・」みたいな事を言われて、たいそう羨ましがられました・・・そりゃ、40年前の中国は世界から閉ざされた共産主義国家でしたから、スポーツも音楽もかなり規制されていたのは言うまでもありません・・・同じ60歳くらいでも、日本人と中国人では青春時代の中身が全く違うのだと、その時初めて悟りました・・・そりゃ今では、中国人でも日本人と同じように電話はスマートフォンを使っていますが、我々日本人は過去50年の間に、電柱が立ってダイヤルなし電話 → ダイヤル電話 → プッシュフォン → コードレス電話 → デカ携帯&ポケベル → 極小携帯 → 折り畳み携帯 → スマホ という長い「歴史」を辿っていますが、中国はいきなり電柱を立てることなくスマホみたいなものですから、その過程での「苦労」をあまり知らないと思います・・・いま世界中でブームになっている日本のアニメも、我々子供の頃から馴染んできた手塚治虫、藤子不二雄、赤塚不二夫 、石ノ森章太郎といった漫画家が基礎となっているように思うのです・・・やはり、何でも歴史の積み重ねと言うのは、大きな意味があるように思います・・・ザ・タイガースは40年もブランクがあり(実質4年だけ活動)、日本では殆ど100%のバンドが短命ですが(アルフィーだけ?例外)、海外を見ると一度も解散もせずに長期間活動を続けているバンドがいくつもあります・・・ローリングストーンズ(51年)、シカゴ(46年)、フォリナー(37年)、ヴァン・ヘイレン(41年)、アース、ウインド&ファイヤー(44年)、クール&ギャング(44年)・・・何なんでしょう・・・この差は?各メンバーの演奏技術の基本がシッカリしているのと、作詞作曲を「外注」することなく、全てメンバー内で作り、決して商業主義だけに走らず、自流を貫いているといったところでしょうか・・・ビジネスの長期間継続するのと、何故か?ダブっているような気がします・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.12.02
コメント(0)
音楽が趣味と言うには、あまりに言葉が軽すぎます・・・音楽はもう完全に、日常生活の一部になっています・・・音楽なしでは、生きられないという事です・・・物心がついた頃には、すでに音楽を聴いていました・・・テレビでは美空ひばり、小林明、三田明、園まり、小川知子、・・・といった歌謡曲、家ではクリスマスソングや三波春夫、鉄砲光三郎といった親父の浪曲のレコードが始まりでした・・・その後、小学校4,5年頃からスパイダース、タイガース、テンプターズ、カーナビーツ、オックス、ジャガーズ、ゴールデンカップスといったGS(グループサウンズ)ブームになり熱中しましたねェ・・・それまでは趣味と言えば、当時流行っていた切手や古銭の収集やプラモデル、変ったところで鳩の飼育でしたねェ・・・小遣いを握りしめて、よく貝塚のグランドストアや岸和田の模型屋に買いに行ったものです・・・中学に入ってから深夜ラジオの「ヤングリクエスト(通称ヤンリク)」の洋楽にハマってしまったのです・・・マッシュマッカーン、ショッキングブルー、ドーン、スリードッグナイト、シカゴ、カプリコーン、ルークリスティ、CCR、レッドツエペリン、GFR、Tレックス・・・それから、小遣いの多くをレコードに費やしました・・・これが音楽を趣味としてのスタートでしょうか・・・今考えればカワイイもので、当時シングルレコードが350円くらいで、1ヶ月の小遣いが500円くらいでしたので、2ヶ月に1枚くらいのペースで買っていきました・・・1枚選ぶのにイロイロ2時間くらい視聴して、やっと決めました・・・貝塚駅前の唯一のレコード店「エコー」の兄ちゃんには迷惑をかけました・・・しかしまだまだ、1枚2000円以上するLPレコードは小遣いも足りませんでしたし、第一立派なレコードプレーヤーもなかったので、買えませんでした・・・高校に入ってから小遣いも増え、ソニーのオーディオコンポーネントも買い、やっと念願のLPレコードを買えるようになりました・・・ブラスロックのシカゴに憧れ、オーケストラ部に入ってトランペットも始めました・・・しかし部活ではクラシックと映画音楽、家ではロックとちょっとアンバランスなようでしたが、今となっては偏らずに「バランスよく」イロンナ音楽を聴いたり演奏したりで、自分の「音楽人生」にプラスだったと断言できます・・・面白いことに、私のだんじりの大太鼓はディープパープルの影響を強く受けました・・・昔から地元では「カミナリ太鼓」で有名らしいですが、あの「ドコドコドーン」の4番太鼓(駆け足)のイメージは、burnやhighwaystarそのものです・・・(笑)まァ、藏でいつも大音量でロックをガンガン聴いていると、よく親に怒られたのも懐かしいです・・・2階の自分の部屋で音を鳴らすと村中に聴こえるので、蔵の土壁の防音がよく効いてヨカッタです・・・しまいには、父親も「トオルもついに気が狂ったか?」と諦めたようです・・・(笑)大学生になってからは、高校の友人のバンドに「コンガ」として参加したり、中学の友人らとロックバンドを組みドラムも始めました・・・ヤマハの中古ドラムセットを天王寺の楽器店で買い、蔵で空手のサンドバッグと交互に練習しました・・・(笑)ただ我流でドラムを始めましたので、1年半で挫折してしまいました・・・その苦い経験が、今回のドラムの再チャレンジや音楽スタジオ経営へのパワーになっているのです・・・車を運転するようになってからは、1分1秒でも音楽を聴きたかったので、カーステレオに懲りましたねェ・・・まだ「8トラ」主流の時代で、カーステレオはパイオニアが日本で初めて出した頃でした・・・当時は家の車だけでなく、軽トラックにも無理やりカーステを取り付けました・・・狭い空間なので、音響はバッチリです・・・(笑)ディスコに通うようになってから、ロック以外にソウル、R&B、ファンクなどブラックミュージックに傾倒していきました・・・アース、ウインド&ファイヤーを筆頭に、チャカ・カーン、クール&ギャング、コモドアーズ、スタイリスティックス・・・そしてその派生として、サンタナ、高中正義、ナベサダ、ネイティブサン、シャカタク、シーウインド、ウイリー・ボボ・・・といったラテン系フュージョンやジャズやボサノバ、テナーサックスやトロンボーンの音にも興味を持つようになり、ミナミのライブハウスにもよく通うようになりました・・・サラリーマンになってから、自分の営業車にもちろんカーステレオがなかったものですから(設置不許可)、自分のCDラジカセとカセットケースを車に持込み聴いていました・・・運転中ずっと聴いていたものですから、電池切れに難儀しましたねェ・・・ということで、未だに車や家、事務所でもずっと「音楽と一緒」の生活が続いています・・・人生を振り返って、学生だった小中高大・・・結婚生活(家族5人)31年間・・・仕事で就職、転職、転業・・・趣味のドラム、空手、ウインドサーフィン、映画、旅行・・・いつも音楽と一緒でした・・・キザな言い方をすれば、思い出は音楽と共にあったのです・・・という事で、最近も64ギガのiphoneは2000曲近く入れてもまだ70%の空きがありますから、トテモ重宝しているのです・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.09.22
コメント(0)
明日、泉佐野駅前にあるライブハウス「音楽倉庫(おとらくそうこ)」で、R&B歌手「上田正樹」さんのライブがあります・・・ 未だに、あの上田さん独特のシャウトが健在のようです・・・ 名曲「悲しい色やね」の歌詞に、心ウルウルした方も多いと思います・・・ 大阪のカラオケでは、誰かが必ず歌う曲でもありますねェ・・・ ぜひ生のライブを聴きたかったのですが、生憎明日は絶対外せない用事があり、行けないのが残念です・・・ ライブと言えば、最近はもっぱらキタばかりです・・・ ミナミのライブハウスも、我々が聴くようなロック、ジャズ、R&B,ソウルをヤルようなところが減りましたから・・・ そういう最近の音楽環境で、目と鼻の先の泉佐野に有名アーティストが来てくれるのですから嬉しい限りなのですが・・・ 今回の上田さんのライブの話、もう何カ月も前に、たまたまライブハウスの社長と芸能プロモーターの打ち合わせの時に、偶然私も店に居合わせました・・・ 「商談」が終わってからのニコニコ顔の社長に、「社長、何かエエ事あったんけ?」と聞くと「上田正樹が来るんや」と・・・これにはホント驚いたものでした・・・ という事で、音楽倉庫でのライブ、今回を機にボチボチ有名アーティストが来演できるようになればエエなァ・・・と思います・・・ しかし、悲しい色やねと歌われる「大阪の海」も(多分大阪市内の北港とか南港でしょう)、私がウインドサーフィンをやっている泉州の海(マーブルビーチ)は、キレイでウレシイ色ですよ・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.04.06
コメント(0)
音楽ついでに、次は大阪のR&B・・・ ミナミの難波駅近くに、「サウスサイド」というブルースのライブハウスが、かつてありました・・・ かつてミナミには、ジャズとかロック、ソウル、フュージョンとかジャンル別にライブハウスがかなりあったのです・・・ このサウスサイドは、良心的な料金で、チャージの割に良質でチープなライブで、料理もそこそこ美味しかったのでよく行きました・・・ 泉州にレゲエがよく似合いますが、大阪全体で言えば、ブルースが合いますねェ・・・ 代表的な歌で言えば、上田正樹の「悲しい色やね」、BOROの「大阪で生まれた女」、もんたよしのりの「ダンシングオールナイト」、ファニーカンパニー(桑名正博)の「スイートホーム大阪」・・・ そしてもうひとり、日本のブルースギタリストの第一人者だった塩次伸二さん・・・残念な事に、桑名正博さんと同じくすでに亡くなられましたが、サウスサイドの「ハウスバンド」的存在で、よく聴かせていただいて「ブルースもエエなァ~」と感動したものです・・・ やはり音楽なくして、人生は語れません・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.02.16
コメント(0)
大阪の南部、いわゆる大和川以南の「泉州」のまたその南部の「大阪のDEEP SOUTH」と言われる「泉南(岸和田市以南、岬町まで)」は日本のレゲエの本場と言われています・・・40年前の日本の「第1期サーフィンブーム」では、当時大阪の多くの高校生大学生は、和歌山の磯ノ浦にサーフィンをしに行きました・・・当時、日本の歌謡曲に飽きた日本の若者は、プログレシィブロック、パンクロック、ハードロック、サザンロック、ソウル、ディスコといった洋楽に魅了されていました・・・その中に「レゲエ」というジャンルもあり、結構全国的に流行っていたのです・・・サーフショップが雨後の竹の子のごとくあちこちに出来ていました。当時ウインドサーフィンのやりかけで、それまでバーミューダを履いていたのですが、それがカッコ悪く感じ始め、1人でトランクスを買いに行くにも恥ずかしく妹について行ってもらって、ボブマーリーやサードワールドといったレゲエが店内にガンガンかかっているショップに行きましたました。それが旧26号線泉佐野の北中小学校の前に、日本最先端のサーフショップ「ライトニングボルト」の直営店があったのです。いつ行っても、サーファーでごった返していた大繁盛店で、行くだけで当時のファッションや音楽の「NOW」を感じることがデキて嬉しかったですねェ・・・いつの世も、若者は流行に敏感で、影響されない訳がありません・・・まだ今の国道26号線が出来ていなかった頃で、大阪から磯ノ浦に行く途中の道でしたので、よく流行っていたのでしょう・・・という事で、当時の泉州の若者に「サーフィン」と「レゲエ」というスポーツと音楽がワンセットで受け入れられたのでしょう・・・大阪市という日本第2の都市と、和歌山の磯ノ浦というサーフポイントに「挟まれた泉州」という立地の成せる業でしょう・・・そしてその10年後に訪れるチョッとカラーが違う「ウインドサーフィンブーム」で、泉州の「レゲエ文化」が延命し、静かに定着したように思います・・・そういった歴史的背景と立地条件が重なって、泉州ではレゲエが根付いているのでしょう・・・今は音楽が多様化して、ひとつのジャンルが「大流行」というのは考えられませんが、未だにレゲエが泉州で定着しているのは、4,50歳を超えた多くのオッサンが未だにサーフィンやウインドサーフィンをしたり、レゲエを聴いたりしているからでしょうか・・・イヤ、泉州は昔から温暖な気候に恵まれ自然災害も少なく、結構ノンビリしている農耕文化で、偉人と言われる人もあまり輩出していません・・・そういう意味で、レゲエのようなスローテンポが受け入れられたのかもしれません・・・【オススメの関連記事】ありそうでなかった「和太鼓~レゲエ~タヒチアン(フラメンコ)」まで集うスタジオ0724 ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.02.16
コメント(0)
今ジムのスタジオプログラムで「ズンバ」を楽しんでいますが、そのBGMにはサルサミュージックが多く使われています・・・ サルサは「ラテン」ミュージックで、何故か私のDNAに組み込まれているのか、血肉湧き踊るのです・・・ もう10数年前に、日本にサルサブームが起きました・・・ そのキッカケになったのが、米ビルボード誌ラテンチャート11週連続1位となった日本のサルサバンド「オルケスタ・デ・ラ・ルス」なのです・・・ サルサブームのお蔭で、ミナミに南米レストランや、サルサバーが沢山出来て、よく遊びに行きました・・・帝国ホテルにサルサライブバーが出来たのもこの頃です・・・ サルサブームが去っても、私はこの音楽が「本当に好き」なので、私の心からまだまだ去っていませんし、時々聴いているのです・・・ 音楽は流行に左右されなく、ドンドン私の心に「蓄積」していくのです・・・ ある意味、お金と一緒で大事な「財産」なのです・・・ なので、音楽がなければ、生きて行けないのです・・・ このサルサ、バンドの中でトランペットなどの管楽器もありますが、コンガやボンゴといった打楽器もあります・・・ 実は大学生の頃に地元の中学同級生らとロックのバンドも組んでいましたが、一方で高校の同級生らとフォークソングのバンドで、コンガもやっていたのです・・・ しかしこのサルサも、子供の頃から身に染みついている地元泉州の「盆踊り」と「だんじり祭」のノリに似ていない事もないか・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.com※地域最安値!月額5250円岸和田市東ヶ丘町「月極駐車場」にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.01.04
コメント(0)
昨日の「長くシンドカッタ」宅建の法定講習が終わってから、梅田のビルボードライブでハジケマシタ・・・ 全盛期のアース、ウインド&ファイヤーを支え、世界的大ヒット曲「セプテンバー」「シングアソング」「ファンタジー」の作曲家でも知られる伝説のギタリスト・・・「アル・マッケイ」率いる、「アル・マッケイオールスターズ」のライブに行ってきたのです・・・ 1970年代から1980年代初めのアースの全盛期のヒット曲オンパレードで、嬉しい事に「完全コピー」です・・・ まるでタイムマシンで20代に戻り、アースのライブに来ているようでした・・・ 今回やはり50代のオッチャンオバチャンが中心で、ライブの半分以上踊っていました・・・ 私も含め、ちょっとオールドスタイルのダンスでしたが・・・ でも、そんなの関係ねェ・・・です・・・ イヤー、楽しかったです・・・生きててヨカッタ・・・ホンマ・・・ ライブ終了後、アル・マッケイさんが観客席まで来てくれまして、私とツーショットを撮ってくれました・・・ 感謝感激・・・ という事で来年も、もちろん行きまっせ・・・ 34年前のアース全盛期の映像、アル・マッケイさん!自作曲「セプテンバー」でギターを弾いてアップで映っています・・・※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.com※地域最安値!月額5250円岸和田市東ヶ丘町「月極駐車場」にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.12.27
コメント(0)
昨日はビルボードライブ大阪に、往年のソウルグループ「スタイリスティックス」のライブに行ってきました・・・ 今回も右ステージから2メートルの「かぶりつき」です・・・ この「右(ステージに向かって)」というのがポイントです・・・ アーティストは右から出入りしますので、握手やハグがデキます・・・「左」よりお得です・・・ 一言で、ヨカッタです・・・サイコーでした・・・ 結成が1968年で、メンバーチェンジを繰り返していますが、もう44年も活動している事になります・・・ ちょうどメインボーカルのラッセル・トンプキンズがいた中高大生の頃が全盛期で、全世界を彼のファルセットボイスが魅了したのです・・・ 現在のメンバーは、オリジナルのエイリオン・ラブとハーブ・マレルに加え、メインボーカルのイーバンとジェイソンの4人です・・・ イーバンのファルセットボイスも、かつてのトンプキンズに負けず劣らずです・・・ アンコールのラストのディスコ大ヒット曲「愛がすべて」では、私も含め多くのオッサンオバハンのディスコのダンスタイムで、大いに盛り上がりました・・・ しかし往年の多くのヒット曲を抱え、40年経った今でも世界中に多くの固定ファンを持ち、未だに世界中を「どさまわり」で稼げるなんてスゴイですねェ・・・ もっと言えば、スタイリスティックスが全盛期だった70年代に社会主義や共産主義国だった国の人々には、当時の西側の洋楽が満足に聴けなかったので、「今、生のライブを聴きたい!」という潜在需要もありそうです・・・ 今回のライブで、エイリオンの「誓い」のシビレるようなボーカルを聴けたのが何よりヨカッタです・・・これをカラオケで歌えたら、サイコーなのです・・・ 今回ライブハウスの前で、バッタリ小学校の同級生の女の子(オバチャンですが)に会ったり、ライブの1つ前の予約番号が、偶然名越出身のよく知っている女の子(これもオバチャンですが)に35年ぶりに出会ったりとか、偶然に偶然が重なって驚きました・・・ 世間って、ホンマ狭いですねェ・・・ 将来的には仕事の売上をもっと伸ばして、見栄やハッタリで車に金をかけるより、3ランクくらい車格を落として、ビルボードの法人会員になって、もっと頻繁に接待などで利用するといった「実利」に金をかけたいですねェ・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.com※地域最安値!月額5250円岸和田市東ヶ丘町「月極駐車場」にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.12.18
コメント(3)
来月ビルボードライブ大阪に、往年のソウルボーカルグループ「スタイリスティックス」が来ます・・・ 早速ライブを予約しました・・・ スタイリスティックスと言えば、マンハッタンズ、コモドアーズと並んで、男性ボーカルソウルグループとして、70年代一世を風靡しました・・・ もうだいぶオッチャンですが、枯れたボーカルもまた深みも増してイイんじゃないですか・・・ 今回のライブはディスコのダンスタイムは少なく、オッサンオバサンのチークタイムになるでしょう・・・イヤ、そこにオネエチャンとオニイチャンが「微妙に」混ざるか・・・ しかしデビュー当初、リードボーカルのラッセル・トンプキンスJrの当時常識破りの「裏声(ファルセット)」には驚きました・・・ その後アース、ウインド&ファイヤーのフィリップベイリーもファルセットで歌って、ごく「普通」になりましたが・・・ いずれにしろ、ホント楽しみです・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.11.06
コメント(2)
ロックバンドの「デフ・レパード」のドラマー、リック・アレンは交通事故で左手がありません・・・ リック・アレンはデフ・レパードのオリジナルメンバーで、バンド活動中に左手を失ったにも拘らず、サポートを一切受けずに「自力」で、短期間のうちに片腕で従来と殆ど遜色のないドラム技術をマスターしたようです・・・ ドラムは両手両足の4つで叩きますが、普通右利きのドラマーにとって、左手は「ビートの要」であるスネアドラムを叩きますので、生命線です・・・ この生命線を失ったにも拘らず、希望を失わず努力をして、ハンデを克服したなんて、本当に凄すぎます・・・ 今年から30数年ぶりに再開しようとするドラムも、彼の爪の垢を煎じて飲むくらいの気持ちで、望みたいと思います・・・ 子供の頃から、親父から「目と口があるやろ!」とよく言われ、背中を押されていましたが、長期間心臓病を患っていた親父でしたので、妙に説得力がありました・・・ 家から工場まで100mほどでしたが、親父は時には自力で歩けないほどシンドカッタのに、「自転車を杖代わり」に押してまでも工場に行っていた親父の姿が、未だに思い浮かびます・・・ 今でも天国から「目と口があるやろ!」と背中を押してもらっていますが・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.08.09
コメント(0)
伝説のハードロックバンド「ディープパープル」のキーボード奏者、ジョン・ロードさんが亡くなられたそうです・・・御冥福を祈りたいと思います・・・ ディープパープルと言えば、我々50代のオッサンが中高生の頃(1970年代前半)、全世界の音楽業界に激震を起こした伝説のプログレスロックバンドでした・・・ 当時世界の音楽界は、ビートルズの末期だった一方、シカゴやBS&T、チェイスなどのブラスロックも流行ったり、イロンナスタイルの音楽が入り乱れていました・・・ スティービーワンダーなどのソウル、ブラックミュージック、ディスコミュージックもまだまだ少数派で、日本では演歌・歌謡曲に代わり、若者の間では五つの赤い風船、吉田拓郎、井上陽水などのフォークソングが全盛を極めていましたねェ・・・ しかし今でも、家や車や事務所でも、ディープパープルをよく聴きます・・・グループで言うと、シカゴ、EW&Fと同じくらいよく聴いているのでは・・・ 情けない話、この年になると、よっぽど気に入った曲でないと、最新の曲はもう私のハートは受け付けないですねェ・・・ 音楽はハートで聴くもので、ハートが固まるのもティーンエイジャーから20代半ばまでですから・・・ だんじりの大太鼓の一番速いテンポの「4番」を叩く時の頭の中のイメージは、実はディープパープルの「BURN」だったのです・・・ 音楽好きのオッサンだけのカラオケの時に、ディープパープルを歌って、間奏が長い時の余興に「ギター・・リッチー・ブラックモアー!・・・キーボード・・ジョン・ロード!・・・」とか言ってよく遊んでいましたねェ・・・ しかし今年に入って、ホイットニー・ヒューストン、尾崎紀世彦、ロビン・ギブ、ドナサマー、ジョニー吉長、ボブ・ウエルチ・・・と私の青春時代に活躍したミュージシャンが続々と亡くなっています・・・60代、70代とちょっと早い気がするのですが・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.07.18
コメント(0)
昨日は歌手の尾崎紀世彦さんの訃報が届きましたが、このところ世界で往年の大物アーティストが続々と亡くなって寂しい限りです・・・ 尾崎紀世彦さんと言えば、ちょうど私が中学生の時に、新人からいきなりレコード大賞を取ったという、「和製トム・ジョーンズ」と呼ばれるくらい声量も歌唱力も抜群でした・・・ テレビで見ているだけで、迫力が茶の間にビンビン伝わってきたのが、未だに忘れられません・・・ その後の日本の歌謡界で、「うまいなァ」と思ったのが、朱里エイコ、松崎しげる、上条恒彦くらいか・・・しかし尾崎紀世彦以上はいかなかったですねェ・・・ しかし海外では、ソウルクイーンと呼ばれた「チャカ・カーン」と「シェリル・リン」は共に、未だ現役バリバリの姿を見せてくれています・・・ 特にチャカ・カーンはルーファス時代からのファンで、20年前の結婚10周年記念に、心斎橋パルコにあったライブハウス「クラブクアトロ」に聴きに行きました・・・ それはもう感動モノで、歌の上手さに涙が出そうになりました・・・ ライブ中に、チャカがマイクを最前列の観客に向ける場面があったのですが、その日本人と思しき女の子がまたウマい!・・・たぶん、10代の「ミーシャ」だったのではないかと未だに信じているのですが・・・ シェリル・リンはライブには行かなかったのですが、大好きなトトの「ジョージポーギー」のバックコーラスから、大ファンになりました・・・ という訳で、二人にはあと10年は頑張ってもらいたいと思います・・・ビルボード大阪にもたまに来られているようなので、是非一度行ってみたいと思います・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村
2012.06.02
コメント(2)
全117件 (117件中 1-50件目)