全11件 (11件中 1-11件目)
1
テスト生の外国人選手のネルソンとデラロサが来日しました。 中日のここ最近の「ドミニカンは年俸も安いし育成枠もあるからとりあえず獲っとけ」的な補強方針からして、恐らく2人とも獲るんじゃないかとは思いますが、特にデラロサは「五輪で荒木・井端が抜けた時の穴埋め」という重要な役割を期待されているので、採用はほぼ確定ではないでしょうか。 以下、スポーツ報知に載っていたデラロサの簡単な経歴。◆トーマス・デラロサ(Tomas De La Rosa)1978年1月28日、ドミニカ共和国生まれ。29歳。96年にエクスポズと契約。00年7月にメジャーデビュー。オリオールズ、ブルワーズを経て、06年にジャイアンツ入り。昨季は1年を通してマイナーでプレーしたが、メジャー通算49試合で打率2割8分9厘、2本塁打、10打点。178センチ、82キロ。右投右打。 「De La Rosa」!! La Vie en Roseみたいでかっこいいですなぁ~。個人的には名前が3つに分かれているのが素敵だと思いますが、ユニフォームに入るネームは「DELAROSA」と普通につながっちゃうんでしょうかね? それとも忠実に「DE LA ROSA」? それとも「D.L.ROSA」? 忠実に「DE LA ROSA」と入って背番号が52とかだったら、ユニ作るかもしれません(笑)。 しかし、もし仮にこの2人が入団したら、タイロン、ビョン、クルス、チェンも含め外国人選手は6人となり、一軍確定のタイロン、ビョンを除く4人で残り2つの一軍外国人枠を争う形になるわけです。 ただ、中日の場合、特に投手は若くて素質のある選手が沢山いるので、無理に外国人を使う必要もないわけで、そう考えるとクルスもチェンも残り2つの外国人枠を狙うというより、一軍に入れる力があるかどうか、というところが肝心になってきます。自主トレ、そしてもうすぐ始まるキャンプで頑張ってもらいたいですね。 …まあ自分は、たとえクルスが一軍枠に入ることがなかろうと、ユニは作りますけどね(笑)。 早くユニの受け付け始まらないかな~。
2008.01.26
コメント(4)
駐車場に車を停めた時のこと。おおおっ、ナンバーが2台とも52(笑)! 思わずケータイで撮ってしまいました。 最近は車のナンバーを任意で選ぶ人が多いそうですが、大抵は誕生日だったり何かの記念日だったりします。でも、1ケタとか2ケタの番号の車を見ると、自分なんぞは野球ファンなので「誰かの背番号から取ったんか?」とか思ってしまいます。 例えば51ならイチローファンかなーと思ったり、地元愛知で見かけたなら57なら英智ファンかなとか、25なら新井ファンかなとか。19とか24とかなら「あ、巨人ファンか」とか思いますし(上原、由伸)、53なら「赤星か」とか思っちゃいますね。そうやってナンバーを見ながら走っていると楽しいです(1ケタとゾロ目はなかなか取れないらしい)。 で、52ですが。 仮にこの2台の持ち主が野球ファンだとしたら、ホークスの川崎ですかね。2台とも色も黒だし。まあ愛知県内なので中日色が強いということで、春田ファン、あるいはその前のギャラードファンという可能性もないことはないですが、背番号52の中では唯一の全国区の選手ということで、可能性としたら川崎ファンの可能性が高いのかな。いや、やっぱり春田ファンかも! っていうか野球ファンの川崎さんとか春田さんとか赤松さんとかが、ナンバーを選ぶ時に自分と同姓の選手の背番号にあやかって選んだのかもしれませんね(笑)。 まあ妄想ばかりしていても真実は分かりませんので、こんくらいにしておきます。ただ「52」のナンバーをつけた車が2台並んでいたのが嬉しかったというだけです(笑)。
2008.01.20
コメント(4)
補償は岡本でしたか…。これは意外な結末でしたね。和田獲得当初、ネットや周りの中日ファンの間では「井上じゃないか」と言われていましたが、時間が経って西武側の希望が投手、そして中継ぎ、と判ってくるにつれ、佐藤充や中里らが本命視されていましたし、自分もそうではないかと思っていました。しかし、何しろ落合監督のことなのできっとプロテクトも予想外の人選で、西武に選ばれる人も意外な人になるんじゃないか、という思いもありました。それでもまさか岡本を出すとは予想外でした。 一番驚いたのは岡本本人でしょうね。「えっ、俺かよ!?」みたいな。落合監督になってからは4年連続50試合以上投げてて、中継ぎでは一番頑張ってたのに…。「去年だって62試合投げて防御率2点代だったのに、それでダメなら一体どんな成績だったらプロテクト入れてもらえたんだよ!?」って感じでしょうね。 勿論、プロテクトはチーム事情が大きく左右するので、成績が良ければ入れるわけでもないですが…それでもなぁ…。 ネットなんかの反応を見てても、岡本って中日ファンにはあまり人気がないんですよね。印象の悪い打たれ方(去年ならアジアシリーズでの韓国戦での同点被弾とか…)するしダメな時は全然ダメで自滅するし。契約更改もいつも揉めてますしね。でも、落合監督になってからセットアッパーとして重用されていましたし、落合・森コンビのお気に入りの1人だと思っていたので意外でした。 でもそんな岡本が獲られても、落合監督からしたら「痛い」ということはないんでしょうね。中日ファンからはあまり信頼されていなかった岡本ですが、他球団を見ても毎年これだけ投げて結果を出してる中継ぎはそうはいませんよ。相手側から「中継ぎが欲しい」と伝わってくる中で岡本クラスをプロテクトから外したら獲られるのは当たり前。というかむしろリストを差し出しながら「岡本獲っていいよ」って言っているようなもんです。なのにそういうことをしたということは、落合監督の中には岡本が抜けても何とかなる、という構想があるってことでしょうから。 …しかし、発表前に一部スポーツ紙に情報が漏れていたのはいただけませんな~。どうも西武側から漏れたようですが、球団からの連絡前に新聞で事態を知ったであろう岡本の心境を察すると、いたたまれません。 自分も含めてプロ野球ファンというのは、とかく自分の贔屓チームの選手には厳しいので、中日ファンの多くは岡本が獲られた事に対しても結構冷静な目で見ている節がありますが、でも現実にその穴を埋めるピッチャーを育てるというのは大変なことだと思いますよ。落合監督はセットアッパーに浅尾やクルスの名を挙げていたようですが、ファンが期待する中里ら若手も含め、皆実績と言えるものはないので、期待は出来てもまだ計算までは出来ないはずです。 ただ、岡本が抜けたことで、昨年一軍と二軍を往復していたようなピッチャー達は必然的に一軍で投げるチャンスが増えるはずなので、そういう点では若い力、未知の力を発掘出来るかもしれませんし、我々ファンとしたら落合監督がこういう時によく言う「誰か代わりが出てくるもんだ」を信じるしかないですね。 ともあれ、痛い失敗も多々ありながら、その何倍もの試合でチームを救ってきてくれた岡本にはありがとうと言いたいです。こういう形での移籍は精神的にショックだとは思いますが、西武には正ちゃんもいるので、共に頑張って西武投手陣を支えて欲しいものです。 頑張れ、岡本!
2008.01.19
コメント(8)
落合監督はガンダム好きですか…(爆)。冷血なイメージの落合監督が、少し身近に思えた話でした。特に「試合に勝った日に観るガンダムは最高だ」って…(笑)。自分はガンダムは初代しか詳しくないんですが、初代のキャラのイメージだと……まあルックスとか年齢は関係なしであくまでイメージでっていうことだと、落合監督はシャアっぽいようなイメージですね(ってことは夫人はララァ?)。なんていうか、頭の回転が速くて勝負勘があって負けず嫌いで自分以外の人は下って思ってる節があって少し強がってるところとか。 まあそれはいいとしまして(笑)、西武への人的補償もそろそろ決着しそうな雰囲気ですが、とりあえずデコドラは今回も書き溜め記事の中から、ユニ遍歴をアップしておきます(笑)。---------------------------------------------------------------------------- ユニ遍歴#3は久慈ユニ。 もうですね、久慈ユニについては語り尽くせないくらいの思い入れと思い出があるんで、何から書けばいいのか分からないんですが。 久慈さんについての思い入れは『久慈記』を参照頂くとして、とにかく'98年にドラゴンズに移籍してきた久慈さんの華麗な守備を見て惚れた自分は、'99年の大活躍で一気に久慈ファンになったんですが、ユニに興味を持ち出した'01年は久慈さんは登録名を「テル」にしていたため、自分が初めて買ったプロモデルユニにも背ネームは「TERU」と入っていました。しかしやはり「KUJI」の方がかっこいい…と思っていたので、久慈さんが翌年登録名を本名に戻すと知った時には「うおお、念願の「KUJI」が着れる!」と大興奮したものでした。勿論、レプリカなら「KUJI」と入ったユニはいつでも作れたんですが、プロモデルでないと意味がなかったのは言うまでもありません。 青ユニが好きだったので最初に頼んだのはこの年から新しくなったビジターユニでした。届いた時には感動し、感涙しながらのたうち回ったものです。当時は観戦も数多く行っていたので、その年だけでも結構このユニは着ました。肝心の久慈さん自身は、4月末に故障で抹消されてからはずっと二軍暮らしだったので、このユニを着て久慈さんを応援することはありませんでしたが…。 初夏くらいになって、「どうも久慈が退団するらしい」という情報が入ってくるようになりました。詳しいことは言えませんが、関係者筋からの情報だったので信憑性は高く、ベテランでありながら故障でずっと二軍暮らしでは危ないかも……と覚悟はしていましたが、いざ現実的な話になってくるとやはりショックでした。しかし、退団となると当然もう久慈ユニは作れなくなるわけで、自分は慌ててホームのユニも注文したのでした。通常プロモデルの納期は1ヶ月半~2ヶ月くらいなんですが、この時は何故か1ヶ月で届いたため、久慈さんがまだドラゴンズの選手であったシーズン中に何度か観戦で着ることが出来ました。 そしてその年のオフ、予想された通り久慈さんはドラゴンズを退団。後の週べのインタビューで、久慈さんは「故障が治っても上(一軍)に呼ばれない。自分はもう必要ないんだと思って、退団を直訴」していたそうです。当時の記録を探ってみると、当時監督だった山田監督は久慈さんを「必要な戦力」と言っていたようですが、久慈さんの意思は固く、退団となったようです。この辺りの話は当時マスコミには出なかった情報ですが、久慈さん退団後にドラゴンズが同タイプの内野手である酒井をロッテから獲得しているところから見ても、この話の信憑性は高いように思われます。 もう少し詳しく書くと、球団は当初久慈さんに引退→二軍コーチの道を打診したようですが、久慈さんは現役にこだわりこれを拒否。その後球団側はトレードを模索したようですが釣り合う相手が見つからず、結局自由契約に。そして久慈さんは、恩師である島野氏の助言もあって、星野阪神に入団し、'03年の優勝をスーパーサブとしてバックアップしたのはご承知の通りです。 自分はというと、久慈さん応援したさににわか阪神ファンになり、2003年から久慈さんが引退する2005年まで、ナゴドの阪神戦ではタテジマの久慈ユニを着て阪神を応援していました。とは言え、心情的には中日ファンであるため、阪神戦以外の試合を観戦する時は相変わらず中日の久慈ユニを着て観戦していました。 自分は久慈さんがドラゴンズを退団した時に、「久慈がいなくなっても俺はこの久慈ユニを着てドラゴンズを応援しよう」と決めていました。しかし今はアレックスやら春田やら様々なユニフォームを着ています。これは別に野球選手久慈を好きだった気持ちがゆらいだわけではなく、2004年にドラゴンズのユニフォームが一新されて、だんだんと「新しいユニも欲しいな」と思うようになってきてしまったからです(笑)。 さすがに現在では久慈さん在籍時のこのユニを着ている人も少なくなってきましたし、新しいユニに見慣れたせいもあり、デザイン的な面でも時代遅れの感も否めなくなってきました。それでもだいたい年に一度は久慈ユニを着ています。着てないと、なんだか着たくなってしまうんですよね。それだけ久慈照嘉という野球選手が好きだったということでしょう。 久慈さんは2005年に引退しましたが、この年の秋に生まれたばかりの自分のジュニアに久慈ユニを作り、これを着て一緒に日本シリーズや好プレー集などをテレビ観戦したりもしてました。 あ、あと久慈さんが2005年限りで現役引退した後、2006年にタイガーズのビジユニ(レプリカ)も買ってます(笑)。 …アレックスも春田も大好きでしたし、そのユニも大のお気に入りですが、久慈ユニとはもう「好き」の次元が違うんですよね。自分にとって久慈さんは孤高の存在であり、他の選手と比べることの出来ない存在なので、当然そのユニももう別格なんです。だから、選手が退団したら着なくなるユニが多い中でも、中日時代の久慈ユニだけは、未だ現役なんです。 ……もし仮に、ですが、この先久慈さんがドラゴンズのコーチとして復帰してくれたら。…その時は迷わず60000円用意してホームとビジターのユニをオーダーするでしょう(笑)。そして、球場ではそのユニしか着なくなるんじゃないかと思います(仮に阪神のコーチでもユニは作るだろうな~)。 久慈ユニはドラゴンズ時代の物だけで上記した2着(TERUは除く)とスポーツショップで作った漢字ユニ(失敗作)がありますが、買わずに後悔しているユニが2つあります。それは2001年まで使われていたグレーのビジターユニ(背ネームはKUJIのやつ…2001年はTERUなので実質2000年まで)と、同じ2001年まであった青のトレーニングユニ(同上)を買わなかったことです。共に自分がユニフォームに興味を持つより以前の物なので、後悔というか、欲しいと思った時にはもうどうしようもなかった代物ですが、今でも共に欲しくて欲しくてたまらないユニです。 まあそんな感じですので久慈ユニはこの先も着続けますよ。その時は毎回井端の「6」のリストバンドをつけて…(笑)。 あ、2005年に、ナゴドで井端ファンの後輩と撮ったこの写真もお気に入りです。撮影してくれた巨人ファンの友人が我々の後姿を見て、「おおっ、背番号6の名ショート師弟コンビ!」と喜んでくれたのもいい思い出です(笑)。 今回載せた全ての写真も含め、このユニ遍歴で載せている写真はいずれも当時撮ったものばかりです。こうやってみると、ユニが届いた時に撮った写真や球場などで撮った写真だけでも1冊のアルバムが出来そうだなぁ…。
2008.01.16
コメント(5)
ふーん、またピッチャーを獲るんですねぇ…。ともあれ、ネルソンって綴りはNELSON? だったら背中はかっこいいかも。しかし、Sラミレス、Rラミレス、クルス、グラセスキ…とドミニカばかりから獲るのはどうなんでしょうね。とりあえず上記4人は顔覚えてません(笑)。ってあれだけ贔屓にしてるクルスもかよ!って話ですが、だってみんな似てるんだもん(欧米人はアジア人を見てそう言っている)。 しかし、これでタイロン、ビョン、チェン、クルス、ネルソン…と外国人選手は5人になったわけで、一軍確定の野手2人を除く3人の投手の中で、まず一軍枠を巡る競争がキャンプから始まるわけですが、ドラゴンズファンに馴染み深いチェン、そして新外国人ということで話題になることも多いであろうネルソンに比べると、2年目のクルスはいまいち分が悪いなぁ~(印象度で)。一応今のところクルスが今季のユニ制作第一候補ですが、キャンプでアピール出来ず、ネルソンにお株を奪われるような状態になれば変更するかもしれません(笑)。まあクルスユニの場合は先述した「クルーズの呪い」の件があるので多少のことでは買うのはやめませんが(たとえグラセスキのようにシーズン途中で退団みたいになろうとも…笑)。 ユニと言えば、以前記事にした岡崎・安城のスポーツ店でユニを買うつもりで買えなかったので、その資金を使って別のとこでユニを購入することを検討中です。現在いくつかのスポーツショップとやり取りしていますが、細かいところにうるさい自分の注文を全て聞いてくれそうなところがあれば、そこで試しに作ってみようかと思います。進展があればここで報告します(笑)。 あ、前ブログ時代に登録していたブログ村にこのデコドラも登録しました。宜しくです。 コレ↓
2008.01.11
コメント(5)
広島、アレックスと再契約=プロ野球 広島は10日、アレックス・オチョア外野手(35)と再契約したと発表した。1年契約で、年俸6400万円プラス出来高。一昨年まで中日でプレーしていたアレックスは、昨年途中で広島入り。73試合の出場で打率3割、7本塁打、31打点の成績を残した。 新外国人4選手の背番号も決まり、阪神に移籍した新井貴浩内野手の穴を埋める活躍を期待されるスコット・シーボル内野手は、新井が付けていた「25」。コービー・ルイス投手は「11」、ベン・コズロースキー投手は「34」、マイク・シュルツ投手は「70」となった。金額は推定。 [ 時事通信 2008年1月10日 20:01 ] いやー、やっと契約の報に接することが出来ました。ずっと心配してたんですよ。シーズンオフになってからも「契約する見込み」という情報だけで、具体的な話が全くありませんでしたから。でも、こうして無事契約が済んだようでホッとしました。 昨年は生オチョアを観れなかったので、今季はやっぱり球場でカープのアレックスユニを着てオチョを応援したいですね。カープ戦ならレフト外野2階席も取りやすいですし、スクワットも、1イニングくらいならやってみたいし(笑)。あ、でも、オチョアがドラゴンズを退団するのが決まった時に記念(思い出)として買ったドラゴンズのアレックスユニもよく考えたら球場ではまだ一度も着ていないんですよね。先日の写真撮影の時と、B.デニーさん宅でのドラファンの集まり(下写真)の時に着ただけで。 でもまあこれは計画通りなんですけどね。ユニを買ったのは2006年オフでしたが、2007年シーズンは敢えて球場で着なかったんです。何故か? それは、2007年はまだオチョが退団して1年目。球場ではまだアレックスユニを着ている人が多いだろう…と予測したからです。それならば、敢えて2007年1年はこのユニを寝かしておき、2008年シーズンから着よう…と考えていたのでした。 なので、今年はこれを着て観戦することが増えるのではないでしょうか。勿論、久慈ユニ、春田ユニ、そして新たに作るであろうユニも着ますけど。…ってことは最低4回は観戦に行かないといけないわけだな。いや、その倍の8回くらいは行きたいっすね。無理かな……。 あ、和田の補償のリストが西武渡辺監督の手元に渡ったみたいですね。噂によれば中継ぎ投手の可能性が高いとか。早く誰なのかを知りたいけど、かなりドキドキもんです…。
2008.01.10
コメント(4)
最近の自分には珍しく怒涛の記事更新ですが、これもお蔵入りになっていた記事。昨年9月に書いたものです(笑)。--------------------------------------------------------------------------- ユニ遍歴#2は、正津ユニ。 ちゃんと「HARD PLAY HARD」のワッペンも入ってます。 これをオーダーしたのは2001年10月。職場のドラファンの先輩が、この年限りで引退することが決まった今中のプロモデルを買っておきたいと言っていたので、ユニの説明がてらいろいろ相談に乗っているうちに自分も新しいユニが欲しくなってしまい、一緒に衝動買いしてしまった物です。 ちなみに当時球場で撮った写真でこの今中ユニの人と正津ユニのツーショットを探したもののありませんでした。一緒に写ったのはあったけど…。ってこれ、もう6年も前なの!? 写真よく見るとすげー若いし痩せてるし(笑)。時の流れは無常ですなぁ…。 ちなみにこの今中ユニと正津ユニが、ここから2年後の2004年のB.デニーさんとの出会いを因縁付けてくるのですが、それはまた追い追い…(笑)。 2001年シーズンは先述したテルユニを着て観戦していたわけですが、この青ユニが気に入っていたのでこの正津の時もまた青ユニにしました。テルはOサイズでしたが自分には少し小さかったので正津はXO。現在のプロモデルはXOでも体にぴっちりフィットする感じですが、この頃のプロモデルはXOともなるとそれなりにダボっとした感じでいい感じに羽織れたので好きでした。 そして、何故正津にしたか。当時正津は通常の中継ぎ業務の他に、ローテの谷間の先発、先発が早い回に崩れた時のロングリリーフ、はたまた敗戦処理までこなすというまさに万能中継ぎ右腕として地道にチームに貢献しており、岩瀬や落合英みたいに目立つ場面での活躍はなかったものの、逆にそんな「縁の下の力持ち」的な姿に好感を持っていて好きな選手だったのでした。 しかし、自分はどうもこの頃から既に背番号や背文字の並びを気にするようになっていた節があり、ユニを頼む時に正津と共に候補に挙がった大豊(背番号60)、神野(同54)、波留(8)ら、好きな選手の名前のローマ字表記と背番号を紙に書いて並べてみて、一番しっくりきた「SHOHTSU 21」にした、という経緯がありました。こういったことは同じユニフォーマーのB.デニーさんもユニを注文する時にしたりしているそうなので、ユニフォーマーにとっては至極当然の行為(端目にはおかしいらしい)と言えましょう。 個人的には背文字が6文字で背番号が2桁というのが一番背中がきれいに見えてかっこいいと思うのですが、正津のように7文字2桁のパターンも好きです(NOGUCHI 47とか)。 そんな感じで作った正津ユニですが、初めて公式戦観戦で着たのは2002年の開幕戦。いや、オープン戦だったな。フォルダ探してみたらこの時(2002年3月)のドームの外で撮った写真がありました。 若っけー…。まあそれはどうでも良いのですが、この頃はまだお客さんもユニを着ている人が少なかったため、その中で正津ユニなんぞ着ていると「あっ、正津だ」「正津着てる」と非常に沢山の人たちから声を掛けられたものです。 以後、正ちゃんがドラゴンズを退団する2004年いっぱいまで、この正津ユニは本人のチームでの役割同様、久慈ユニやアレックスユニの「谷間」に着ていました。 このユニの思い出というのが3つあり、1つ目はユニを買ったばかりの2001年12月に、当時自分が主宰していたドラゴンズのミニコミの表紙用の写真を撮るため山へ登って、モンテコックリ君とユニ姿で夕陽の中で写真撮影をしたことでしょうか。この写真は、我々のユニ写真の中でも5本の指に入る名ショットだと思っています。 ちなみにこれ。 2つ目の思い出は、先ほど話にも出た2002年の開幕戦を観戦した時のこと。開幕前、監督に就任したばかりの山田監督が、「正津は勝っている場面で使う」と明言。「これまでの「いつでもどこでも投げる」役割から、勝利の方程式へ編入されるのか!」と、今までの正津の苦労を想い、感激にむせび泣いたものの、この開幕戦で、いきなり劣勢の場面で正ちゃん登場。ガクッ…。結局以後も「どっちかっていうと負けている時用」の中継ぎとして投げることになったのは今さら言うまでもありません。 3つ目は、2003年の観戦で劣勢の場面で正ちゃんが出てきて、試合を決める2ランを打たれてしまった時のこと。正ちゃんをなじる野次や怒号が飛び交う中で、正津ユニを着ていた自分は縮こまっていたのでした。この時、「打者は4打席のうち1打席ホームラン打ったら褒められるけど、投手は1回打たれると悪く言われるんだな…というのを痛感しました。 正津は2004年オフにトレードにより西武に移籍しましたが、現在も中継ぎで頑張っています(2007年の成績は26試合登板で防御率1.59.勝ち負けナシ)。正津は今でも好きで陰ながら応援していますが、この思い出のたくさん詰まったドラゴンズ時代の正津ユニはもう手元にはありません。 正津は落合監督になった2004年にはまったく一軍で使われることなく、オフにトレードで放出されてしまったわけですが、2004年1年だけは現行のユニを着ています。自分は今ごろになってこの現行ユニの正津ユニを作っておけばよかったと後悔しています。去った選手のユニを着たり欲しいと思ったりする感覚は普通の人にはあまり理解されませんが、それはその選手が最後に着たユニ(プロモデル)を持っておきたい、そしてたまには球場で着たい…と思ってしまうくらい好きだった、ということなんですね(自分の中で今これに該当するのは、久慈、アレックス、春田。正津はその次くらいかな)。 ああ、なんか青ユニを手放したのもちょっと後悔(笑)。
2008.01.08
コメント(5)
阪神にFA移籍した新井の人的補償、赤松ですか! 赤松は阪神では高橋光、下柳、桧山、秀太らと並んで応援していた選手(赤松を応援するようになったきっかけは背番号が52だったからですが…笑)でしたが、まさかその赤松がこういう形でカープに移籍することになろうとは…! びっくりだけど、今はにわかカープファンなので、好きな選手がカープに移籍してくれて、正直めっちゃ嬉しいです(阪神の赤松ファンの方、すみません)。ブラウン監督やフロントの人達もいい人選をしたと思います。阪神側も「うわっ、獲られた!」って感じじゃないですかね? 中日ファンの自分から見てももったいないな~と思ってしまいますから(まあ新井とは比べられませんが)。 …しかし、今まで大抵FAの補償と言えばそこそこ実績のある選手が選ばれていたのに対し、今回は一軍での実績がほとんどない赤松が選ばれたということで、今までにない新しい形の補償になりましたね。期待料込みというか。カープとしては新井の年俸1億2300円の1.2倍の1億4760万円を取るか、プロテクト外の選手+新井の年俸×0.8倍の9840万円かを選べたわけですが、この差額の5000万円弱が言い換えれば赤松の期待料みたいなもんです(ちなみに赤松の今季年俸は960万円)。赤松自身はショックでしょうが、カープ側のこの期待を真摯に受け止めて頑張って欲しいなぁ~。足も早いし打撃も非凡なものがあるし、きっと阪神時代よりは出場機会は多くなると思うので、活躍は出来るのではないかと思います。 …しかし、中日に続き阪神も52番が空きましたね。今季は空き番かな…?
2008.01.07
コメント(2)
今回は、昨年記事にするつもりだったもののアップする時期を逸してお蔵入りになっていた記事と写真などを載せようと思います。 まずはこちら。 先日の記事でも書いた、昨年の春先、しょうさんに教えていただいた、愛知の某スポーツ用品店にて販売されていたというドラゴンズのオリジナル・レプリカユニです(写真提供は全てしょうさんです。転載の許可をもらっていながらアップがこんなに遅れてしまい申し訳ありませんでした)。 出来がいいでしょう? この写真を見る限り背文字の大きさなど一緒だし、公式サイトで販売されているレプリカよりはるかに良い出来で一瞬プロモデルと見間違うほどです。多少文字の弧が急かな?とも思いますが、大して気になりません。これで1万弱なら買いだと思います。 こちらは上のホームタイプとは違う店のユニ(系列店)。青ユニで「C DRAGONS」と入っています。このタイプのユニは球場でプレゼントされたりしていましたが、結構な人気のようで、以前オークションなどではかなり高額で落札されたりしていました。しかし配布品はサイズがM-Lしかないため、自分には小さく、さらに背中には何も入っていないため、これを手に入れても刺繍屋に持ち込んで刺繍をしてもらう手間がかかりましたが、ここで買えばサイズも選べる上に刺繍もしてもらえるので非常にポイント高いです(これが欲しかった)。 これらのユニは店頭に並んでいる既製品の販売の他、選手を選んで好きな背番号などを入れてもらえるとのことで、ネットでブログなどを見ているとここで作ったユニを披露している人もいました。また、ドームでも妙に出来のいいレプリカを着ている人がいたりすると、「あ、この店で作ったんかな」とか思ったりもしていました。先日見かけたATSUSHIユニもここで作ったのかな? このユニは是非ゲットしておきたいので、またシーズンが始まったら訪ねてみることにします(ちなみに過去記事にも書いた通りこれらのユニは現在売られていません。春になって販売が開始されれば店名等も公開するつもりですが、現時点では店名を出すのはやめておきます。「どーしても…」という方は、私信を下さい)。 お次は9月17日のファームの試合を観戦されたB.デニーさんから送って頂いた春田の写真。 自分が春に観に行った時も元気にプレーしていましたが、もうこの頃には腰痛が悪化していたのかも…と考えると切なくなります。 あと、写真と併せてこの日の観戦の様子もメールで頂いていたのですが、こだわりユニフォーマーのB.デニーさんらしく面白い内容だったので、許可を得て一部抜粋して転載します(許可を得たのは随分前ですが…遅くなってすみません)。 野球観戦と言えば『ユニチェック』なんですが(笑)、断トツに多かったのが新井でした。普通に「ARAI」だったり「R.ARAI」だったり「新井良太」だったりで8~9人の新井を見ました。 昨日の観衆が4000人で4万人のドームの観衆に換算すると80~90人の新井を見た事になります(笑)。しかも女性ばっかりで、帰宅後その事を踏まえて嫁に「新井ユニは? 女性に大人気!」って聞いたら「それだけの理由じゃあ、ただのミーハーになるだけじゃん」とユニフォーマーの嫁らしい(?)答えが帰ってきました。でも実際、新井は熱くていい選手なのでオススメなんですけどね・・・。 因みに「新井良太」ユニの彼氏は44の「TYRONE(綴りはこうでしたっけ?)」ユニでした。 あとは、堂上弟・平田がチラホラで浅尾を着た40代後半ぐらいのオッサンや中村公を着たヤンキー兄ちゃんを見ました。 で春田ユニなんですが、多分、斜陽さんがナゴヤ球場で見た人と同一人物だと思うわれるプロモデルの春田ニットがいました。写真を拡大したのを添付しましたが、背番号の刺繍が毛玉だらけで「もったいない」って感じでした。洗濯が雑なんでしょうね(笑)。 他にも春田ユニは、女子高生っぽい子が、ベンチ前で春田君本人にかざしていたり、幼児がお母さんの手作り春田ユニを着ていたりと3人確認しました(^^) 春田君本人は最終回に代打で出てきてレフトフライでしたが、快音を残したかなりのいい当たりでしたよ。 そうそう、親子で来ていた小学生の子どもは春田君のファンらしく、グランド整備の時アップに出てきた春田君を見てズボンがかっこいい(そのときは膝まで裾をあげたイチロースタイルでした)とかピッチャーの代わりにネクストに出てきた時も「あっ!春田だ。でもヘルメットじゃない、帽子だよ~」とか凄い春田君に反応してました。最終回は違う場所で観ていたので分かりませんが、代打で出てた時には喜んでいたでしょうね(^^)。お父さん、春田ユニ買ってあげるといいのに・・・(笑)。 プロモデルは、毛玉の春田ユニだけであとはみんなレプリカでした。ただ、中村公だけはプロモデル候補にあがった事があったので素直に「レプリカだけど56番かっこええ~」って思っちゃいました。あと春田のプロモデルの中日新聞ワッペン見たら、自分も同じくホームが欲しくなりました(笑)。来年、買えることになったらホームの中村公にするかもです(^^)。豊橋ではサヨナラ打で、昨日もタイムリー打ったしでユニ値が大きくなりました。でも56番ってまだ「レスラー藤立」の印象が強いんですよね(笑)。 結構、場所を移動しながらの観戦でブルペン前で観ていた時はオタクっぽい奴らが「デニーは終わりだよ。もういいだろ、優勝もしたし」って会話してたのを聞いた時にはカチーン!でしたね。自分でも来年は・・・って思いますけどなんかやたらとムカつきました。 と、なんかダラダラ書いてしまいましたが11年振りのナゴヤ球場は照明もなくなりスタンドは小さくなり寂しくなってましたね(涙)。色々と懐かしかったですが、当時は気にならなかった椅子の座り心地や通路の狭さなどひどかったんだなぁって思っちゃいました。ドームの快適さも改めて知りましたよ。なんだかんだでドームもいいなって。来年はナゴヤ球場にも一緒に行きましょうね(^^) あっ!お目当てのデニーはいませんでした(ーー;) ナゴヤ球場もユニフォーマーが増えている様子が分かりますね。自分が初めてファームの試合を観に行った2001年頃は、せいぜい子供がTシャツを着ているくらいで、ユニ着てる人は全然いなかったもんなぁ~。そう思うと、ナゴドよりナゴ球の方がマニアックユニの宝庫で、自分達にとっては見ていて楽しいかもしれません(笑)。あ、でも新井ユニとか中村公ユニの人とかは、その選手が一軍に昇格すればナゴ球には来ずにナゴドに行っちゃうんかな。 また、ネットとかで見ていても意外と春田ファンが多いのは知っていましたが、このメールを見ても球場にファンが結構いたのが分かります。自分もファンの1人ですが、まさかこの頃はオフに任意引退なんてことになるとは誰も思っていなかったと思うので、この時球場に来ていたファンの子供達も、その報に接した時はショックだったでしょうね…。春田ユニを着ていた人のうち、何人かでも今年もナゴドでユニを着てくれてると嬉しいんですが。 あ、そうそう、「毛玉の春田ユニ」ですが…(笑)。メールにはその写真も添付されていましたが、確かに背中の文字の縁などに白い毛玉がたくさん付いていました。これはきっとタオルとかと一緒に洗濯しちゃったんでしょうね。ダメですよ~、ユニはデリケートなんですから(笑)。まあ洗わないでそのままにしている人より、着用する度にちゃんと洗っている人の方がユニを大事にしているっていうことなんでしょうけどね。 ちなみに自分はユニはどんな時でも一度着たら毎回洗ってます。ネットに入れて、出来ればユニだけ単独で洗っています。ヘンリーネックやTシャツと違ってプロモデルは色落ちすることはありませんから、皆さんも着たらちゃんと洗って、いつまでもキレイなユニを保ちましょう(笑)。
2008.01.05
コメント(11)
※この記事は4日夕方にアップしましたが、時間のない中で慌てて打ったため文法上のおかしいところや誤字脱字、更には事実誤認も何箇所かあったため、4日夜に写真を追加して訂正版として再アップしました。----------------------------------------- 昨日(3日)はドラファン仲間のB.デニーさんと岡崎~安城まで行ってきました。何をしに行ったのか? それはですねぇ、実は去年の春頃なんですが、こだわりユニフォーマーのしょうさんから、「岡崎と安城の某スポーツ用品店にオリジナルのドラゴンズのユニが売られている」という情報を頂いていたんですね。その時送っていただいた画像を見ると非常に出来が良いレプリカだったので「これは是非見ておかねば!」と思っていたんですが、行く機会のないままあっという間に時間が経ってしまっていたんです。 その話を同じこだわりユニフォーマーのB.デニーさんにしたところ、B.デニーさんも興味があるようだったので正月休みを利用して2人で行くことにしたというわけです。久々に会ったB.デニーさんも元気そうで、車内はずっとドラゴンズの話題に終始。まずは春田の話題から始まり、その後はプロテクトの話や契約更改の話、今季の話、そして一番盛り上がったのはやっぱりユニの話(笑)。お互い持ち寄ったユニを比べていて、プロモデルでもホームとビジターでは背文字の線の太さが違うことが判明(笑)。確かに、同じ春田ユニでもホームとビジターではホームの方が文字がでっかく見えてたんですよね。文字の幅は一緒なのに。新たな発見です。 そんな有意義な話をしながら、まずは遠くの安城店の方から行こう…ということになりナビに従い車を走らせていたんですが、安城の手前あたりの交差点で、どうしたことか自分がナビの指示とは違う方向に曲がってしまいました。でも「まあいいか、そのうち元の道に戻るやろ」ってな感じで無視してそのまま道を進んで行ったんですが、しばらく行くと助手席のB.デニーさんが進行方向左手にある住宅展示場を見て、「何だあの凄い人だかり…。あっ、英智トークショーって書いてありますよ!」と言うので自分も「えっ? えっ?」という感じでとりあえず急遽左折(笑)。 車を降り、会場入り口の掲示板を見てみると、「中日ドラゴンズ・蔵本英智選手トーク&クイズショー」と書いてあります。たまたま道を間違えたら、偶然英智トークショーに遭遇してしまったというわけです。しかもその時の時刻は12時47分で、トークショー開始が13時から。これは英智が我々を呼び寄せたとしか思えませぬ…(笑)。 ともかく、これはラッキー!ということで早速我々も会場(屋外)へ。既に席は埋まり、立ち見の客で会場は溢れかえっていました。 我々も最後列に陣取ると、間もなく英智登場。細っそいな~。背も高い。そしてオシャレだ…。内容はまあよくある感じのトークショー&クイズ大会でしたが、終始英智節全開で楽しい話が聞けました。 質問コーナーでは我々も「背番号が57から24に変わったことをどう思ってるか聞いてみよう!」と話していたんですが、コーナーが始まってすぐに最前列にいた男性がすぐ質問してくれました(笑)。同じこと考えてる人がいるんだなぁ~。この人もこだわりユニフォーマーか(笑)? 英智のこの質問の返答については今日の中スポにも載っていたのでご存知の方も多いと思いますが、落合監督に「お前ケガが多いから背番号変えるぞ」と言われ、「何番がいい?」と聞かれたそうです。英智は「分かりました。番号はお任せします」と答えたそうですが、数日後、山田キクマネージャーから「24になったから」と連絡があり、その後自分でスポーツメーカーに電話したみたいです(道具って言ってたからグラブとかに入る番号の変更のことかな…って、こういうのも選手が自分でやるんだ!?)。 その背番号24についての印象は、「コンビニも24時間やってるし、24日は給料日の前の日で嬉しいし、クリスマスイブは24日だし…とても強い番号だと思うので気に入っています」と答えていました。24を付けていた堂上弟にも「ごめんねー、いい番号取っちゃって」と話したそうですが、堂上弟はもっといい番号もらってますから…(笑)。 あと嬉しかったのは、アレックスが話題に出たことですね。司会の人から「福留さんがメジャーに行きますけど英智さんはどうですか?」みたいなフリがあって、それについての返答で「アレックスが日本に来た時に、「英智、おまえの肩はメジャーに行っても守備要員で通用するぞ! メジャーに行けよ!」と言われて「嬉しかった」そうです。アレックスが日本に来た時というと2003年ですから、英智が一軍に定着し出した頃ですね。まだまだ駆け出しだったその頃の英智にとって、メジャーリーガーだったアレックスのこの言葉は嬉しかったでしょうね。 …アレックスと英智が仲が良いのは以前から言われていますが、この時もそうですけど2人は何語で喋ったのでしょうか(笑)。 英智はメジャー挑戦については「まずは日本でレギュラーを獲らないと」と言っていましたが、英智はアメリカでもなんだか普通に生きて行けそうな気がするので、打力さえもう少しつけば田口壮みたいにスーパーサブとして活躍出来るんじゃないかなーとか自分的は思っとります。 クイズ大会は1問しか分からずサイン入りグッズはゲット出来ませんでした(笑)。くっそー、事前にこういうイベントがあると知っていたら予習してきたのになー。 1時間あまりのイベントでしたが、終わってみて英智がかなり好きになりました(笑)。司会のお姉さん(ナゴドのウグイス嬢らしいです)との息もピッタリで楽しいトークてんこ盛りでした。このイベント前までは「英智の24番って微妙だよなー」とか思っていたんですが、英智がかなり気に入っていると聞いてからは「じゃあこれはこれでアリかな」と思えてくるから不思議です。 あと気になったのは、会場で背番号4のユニを着ていたお姉さん。背ネームはATSUSHIと入っていたので藤井ファンだと思うんですが、公式のレプリカと比べて文字バランスが異様に良いユニでびっくり。ちゃんとチドリ刺繍だったし。B.デニーさんと「どこのユニですかね? どっかで作ったんですかね…」と話していたんですが謎でした。また、お姉さんが何故ここで藤井ユニなのかも謎でした(笑)。 その後、会場を後にして本来の目的であるスポーツショップへ……行ったんですが、オフシーズンだからか実物は置いてなく、注文は出来るとのことでしたが実物を見ないで頼むのも恐かったので今回はやめにしました。具体的に誰にしようかとか考えて来てたんですけどね~。残念。ちなみにその候補は福田、金剛、高橋聡……そして英智でしたが(笑)。 地元に帰って来て、ブログに使うためのユニ写真(テーマは「夕陽」とか「慕情」とかそんな感じの切ないヤツね)をB.デニーさんと撮影。寒かったけど、出来は良い出来で満足。写真はまた後日公開します。 …結局本来の目的は果たせませんでしたが、英智トークショーに偶然出会えたおかげで岡崎まで行ったのが無駄にならなくて済みました。ありがとう英智! そしてB.デニーさんお疲れ様でした。またユニトークしましょう(笑)。
2008.01.04
コメント(6)
2008.01.01
コメント(10)
全11件 (11件中 1-11件目)
1