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ガシャ、ガックンッ。夜10時7分、先頭にいる電気機関車1両が長ーい客車たちを引っ張った。発車ベルの音もなく、誰かに見送られることもなく、空っぽの列車はまたゆっくりと走り出した。 途中、車掌以外の顔を見掛けることはなかったが、出発から1時間ほど経つと、オレンジ色の水銀灯で照らされた古都ローマ、テルミニに無事到着した。だけど、駅周辺には評判通りのヤバそうなジプシーたちがウロウロしている。この国で独りでいることにまだ全く慣れていない私は、背負ったリュックのベルトを両手でガッシリ掴み、いまにも走り出しそうな早足でホテルへ向かった。途中、「初日だけは取っていった方がいいですよ」そう言ったHIS(旅行会社)の人の顔を思い出した。「高いでしょ、別にいいですよ」と気のない返事をしていた私も、最終的には、彼の強い勧めで、『D’Este』というホテルを予約していた。「確かにな…」。予定よりも2時間半も遅れてこんな深夜に到着してみると、なるほど納得感があった。そんなことを考えながらコロッセオ方面へ坂を下り、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を左に曲がってしばらく行くと、『D’Este』の看板は現れた。 チェックインを済ませて案内された部屋へ。フロント脇の階段を数段上るとすぐのその部屋は、こぢんまりしているけど天井がグンッと高くていい部屋だった。バスタブは無いが、ちゃんとお湯の出るシャワーも付いている。ただ、明らかに前傾したタンスの頭の上にポッカリ空間ができているのは、ちょっとひょうきんな感じがした。荷物を下ろしベッドに腰掛けると、安心したのか急に力が抜けてきて、しばらく何も食べていないことに気がついた。そう言えば来る途中のリストランテでは、皆何か旨そうなものを食べていたなぁ…。そんなことを考えながら、どうやらすぐに寝てしまったようだ。 それからどれくらい経ったのだろうか、のびやかに、そして実に気持ち良さそうに大声で歌い上げる誰かの歌声で目が覚めた。天井近くまで延びた縦長の窓からは、明るい日光が差し込んでいた。昨夜は暗くて気がつかなかったが、窓のすぐ下には白いコットンのパラソルが並んでいて、さらにその下では、初老の夫婦や小さい子供を連れた母親たちが静かに朝食をとっていた。私は日本を立ってから初めて、これまでとは明らかに異なった、緩やかな時間の流れをそこで感じていた。 『D’Este』(デステ)ちなみに私が宿泊した部屋はここで紹介されているものとは全くの別物。
2002年07月31日
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今年の誕生日は残念ながら?日本で。ここは代官山に居ながらNapoletano(ナポリ人)になれる店。渋谷の街明かりが夜空を煌々と照らしていた。 ※ちなみにここのピッツァは格別でございます。
2002年07月30日
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テルミニ行きの列車がでるホームは、Leonard da Vinci空港、通称『Fiumicino』の到着ロビーから延々と続く動く歩道の先にあった。しかも、辺りを見回してみても、列車はおろか自分以外に人の気配すらない。駅員も…、乗客も…。時刻はまもなく夜の10時になろうかというところだった。いやな予感が頭をよぎり、初日から駅宿泊も覚悟したが、旅客機のそれのようにパタパタと列車の発着時刻を表示するボードでは、1本だけだったが、これから出発する列車を見受けることができる。イタリアは、列車も例に漏れず時間にルーズだということを以前から話に聞いていたので不安もあったが、他に選択肢も見当たらない私は取りあえず切符を買って待ってみることにした。 ホーム手前に立っている券売機と思われる機械の画面には、国旗が6つ並んでいて各国語で表示できるようになっていた。「さすがヨーロッパ!」と感心したのも束の間、見慣れない用語の混じった選択肢が多いうえに階層が深くてよくわからない。どうしようかとひとりで困っていると、後ろからひとりの日本人男性が現れた。助かった。早速私は「切符の買い方、わかります?」と訪ねてみた。すると彼は無言で画面のフランス国旗に触れると、スパ、スパ~っと、なにやら5~6回ボタンを押した後、ニコッとこちらを見た。画面に金額が表示されていたので、私も黙って機械に紙幣を差し込むと、下からスッーと馬鹿でかい切符が出てきた。その後、私は何語でお礼を言ったのか憶えていない。彼はどこの人だったのだろう?そもそも、何も言っていないのに、なぜ彼は私の行き先がわかったのだろう??? そんなことがあって、しばらくすると、どこを旅してきたであろうか、といった汚れた風貌の『FS』と書かれた電気機関車が牽引する最終列車が、ゆっくりと、そして大きな音を立てながら、そのホームに滑り込んできたのだった。 果たして私はこの切符を持って無事テルミニに向かうことができるのだろうか。そして、ジプシーの多い駅周辺を突破してホテルまでたどり着けるのだろうか。まるで公園の鳩のように狭い価値観のなかで傷ついてしまった私の、「渡り鳥生活」初日がこうして終わろうとしていた。 『Fiumicino』(フィウミチーノ)ローマ中心部から南西35kmに位置する。『FS』(エフ・エス)イタリア国鉄;Ferrovie dello Statoの略。
2002年07月29日
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3年前の今日、私はイタリアでの独り旅の終盤をイタリアのヴェネツィアで過ごしていた。宿泊していたところは客室が15室しかない小さなホテル『Lisbona』。サンマルコ広場から近いのはいいが、建物の中は薄暗く不気味で、小さなベッドを置く場所以外はほとんど居住スペースの無い客室だった。さらに床は傾き、置き場所の無いテレビは天井から吊ってあった。(いま、いろいろ調べていたら、最近は綺麗になったという情報も発見!)まぁ、そこが世界の観光地ヴェネツィアであるにも関わらず、夜の7時にサンタ・ルチア駅前の公衆電話から予約が取れてしまうホテルなんてそんなものだろう。それでも、自分には充分すぎると感じる場所だった。 既にお気づきの方もいらっしゃると思うが、私は20代最後の日をイタリアでの独り旅のなかで迎えた。その頃は、公私ともに「我が人生最大の苦難」の連続で、日常の生活の中では支えきれなくなった自分をなんとかするため、早ければその日にパスポートが新しく交付されるだろうという日の翌日の飛行機を予約して、殆ど身ひとつに近い状態で飛び出して行ったのだった。その時の自分には物事を正常に判断をする力など残っていなかった。 しかし、そんな無計画な旅だったにも関わらず、なぜか出発早々からいろんな人が自分に近づいてきた。まずは、行きにミラノのマルペンサ空港でローマ行きへの乗り継ぎ線を待っていた時。人気の少ないロビーで手荷物のリュックを抱えてぼんやり座っていると、同じく独り旅らしき女性が話しかけてきた。話を聞くと、彼女は年に何度かローマにいるイタリア人のボーイフレンドに会いに来るらしい。イタリア語を習ったことのある私は、イタリア人に対する偏見はあまりない方だと思うが、彼女みたいな子が、遙々ここまで会いに来るのだから、きっとイケメンのプレイボーイなんだろう、と勝手にイメージを膨らましてしていた。しかし、ローマに着いた時に彼女を迎えに来たのは、背が低く、ちょっと頭も薄い「オジサン風」の男性だった。私は、その「オジサン風」に怪訝な顔をされながら2人を見送った後、また独りでテルミニ行きの列車の出るホームへ向かった。<続く> 『Hotel Lisbona』(ホテル・リスボーナ)あれ、HPで見るとなんか綺麗で立派だなぁ。Via XXII Marzo 2153 Tel:041.528.67.74
2002年07月26日
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左:恐ろしいほどに長々と延びる大きな影は、新宿副都心の超高層ビル群。右:山々の向こうに富士山を望む。手前の建物はオペラシティ。10階建てくらいの建物が平屋に見える。※ちなみに某所バスタブからの風景でございます。
2002年07月25日
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映画好きなら『Stanley Kubrick』という映画監督の名前を一度は聞いたことがあると思う。アメリカとソ連が競って宇宙を目指していた1960年代。彼らが思い描いた未来「21世紀」。そんな時代に『Stanley Kubrick』は、最先端の情報をNASAから入手し、最先端の撮影技術を駆使して、1968年に『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey、アーサー・C・クラーク原作)を完成させた。暗黒の宇宙で、宇宙船のコンピュータ「HAL」(一文字ずつ後へずらすと“IBM”になることは有名)はいつしか意思を持ち、宇宙飛行士に反乱する。SFさながらのシーンが次々と現実のものとなっていった当時、際限のないテクノロジーは希望であり、恐怖でもあった…。 今日はこの映画に登場した小物たちにフォーカスする。 まず、宇宙ステーションの待合室にたくさんおかれていた椅子『Djinn Chair』。「Djinn」とは、人間や動物の形をして人間をコントロールする超能力を持っている精霊の意味だそうだが、人間の意志を持ちつつも、人間のカタチを持たず、人間にコントロールされ続けたコンピュータの「HAL」とは対照的だ。そして、もうひとつは、宇宙食を食べるのに使われていたスプーン『AJ Cutlery』。 殆ど直線に近い滑らかな曲線が、モノを食べるという極めて日常的な行為を、非日常的な違和感へ見事に置き換えていた。しかし、それらのデザインは、当時としてはかなり未来的であったろうにも関わらず、2001年を過ぎたいま見ると、まさに60年代デザインの象徴に見えるから不思議だ。 この現代、冷戦は終わりテロが日常化するなか、映画の世界でも、まるで底なし沼に落ちていくような宇宙の神秘やテクノロジーの可能性を感じされる未来はあまり描かれなくなった。しかし、私はもう一度、未来の「武器」や「戦争」ではなく、「日常的な生活の姿」というものを観てみたいと強く思う。それを思い描くのがデザイナーの役割でもあるから。『Stanley Kubrick』(スタンリー・キューブリック)1926年7月26日、アメリカ・ニューヨーク生まれ。1999年3月7日、イギリス・ロンドンの自宅で死去。70歳であった。ちなみに私と同じ誕生日で、生きていれば今度の金曜日で76歳を迎える。『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey)1968年、アメリカ作品。この作品公開の翌年、アポロ11号に乗って、人類がはじめて月面に到達した。(1969年7月20日午後4時18分)(画像)『Djinn chair』(ジン・チェア)デザイナーは、フランスの「Olivier Mourgue」(オリヴィエ・ムールグ)。『AJ cutlery』デザイナーは、北欧デザインの巨匠「Arne Jacobsen」(アルネ・ヤコブセン)。アントチェア、セブンチェアはあまりにも有名。
2002年07月24日
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梅雨も明けて日に日に暑さが増していくこの頃、残念ながら、まだこの辺りでは蝉の声も鈴虫の声も聞こえない。そもそも土や緑のある場所が公園や皇居のようなところに限定されるから、運良くそこから誕生した彼らにとって、そこから外に出るということは、=子孫が途絶える、という厳しい仕打ちを受けることになる。東京の夏は、目に見えない檻の中にあるのだ。 だけど、タイトルにもした通り、花火だけはココでも観られる。ココだけの話だが、しかも人混みを避けて特等席から…。ということで、今日は人には教えたくない「ココでも観られる花火」を紹介していきたいと思う。(ニヤッ) まずは、部屋を暗くして、これから観て頂きたい。情報が間に合わなくて恐縮だったが、先週の土曜日に行われた横浜の花火大会だ。私も以前、地元の友人がチャーターした漁船から、つまり、海上から見上げるかたちで、ここの花火を鑑賞したことがあるが、これは、もう少し沖に停泊したクルーザーからの眺めといったところだろうか。→『極秘資料1』 さて、根気よくつき合って頂きたい。次に紹介するものは、まずは、スピーカーの音量を上げて頂きたい。これは、最新の技術を駆使した手持ち花火だ。実は、この情報は「ひよこ」と名乗るエージェントから入手したばかりだ。手を動かすと、その動きに合わせてメロディが流れるようになっている。これは鳥肌モノだ。→『極秘資料2』 以上、ここまでお付き合い頂いた諸兄は、そろそろ本物の花火が観たくなった頃ではないだろうか。クーラーの利いた部屋でパソコンにばかりかじりついてばかりいないで外に繰り出そう。もしかしたら懐かしい虫たちの声も聴けるかもしれない。『FLASH花火大会』ちと、しょぼい。ほのぼの。『OnScreen Art Project』(オンスクリーンアートプロジェクト)「極秘資料2」が紹介されているページ。但し、素晴らしいものはリスクも伴う。アプリケーションの終了方法だけは良く読んでおかないとパニックに!
2002年07月22日
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『物欲日記』を書き始めてから、もう2週間目が経った。(そう、週末はお休みです。ごめんなさい。)読んでくれている方々は気付いているだろうか、私はトップページの看板下に小さい字でこんなことを書いている。「気に入ったデザインってなかなか見つからない」よくそう思っていたのですがそれは、見た目のことではなく感性に訴えかけてくるストーリーをそれが背負っているかいないかで決まることが最近判りました。いまさらなのだが、これが、このページに書くことの一貫したテーマだ。しかし、これまでこの言葉についてちゃんと説明をしたことはなかった…。 「デザイナーとは、色や形を整える人のことだ」よくそう思われている。その通り、間違っていない。デザイナーとは、まずその辺りのバランス感覚に秀でていなければならない。しかし、世界一「デザイナー」という肩書きを簡単に手にできる、この日本で起こっていることは何だったのだろうか。それは「色や形しか整えていないもの」の氾濫だ。景気がどうと言われようと、年々加速度を増して進化し続ける科学・技術。それに同調して、これまた目まぐるしくデザインという名のパッケージングが生み出され続けている。そこには、モノが世に誕生する以前、母の「胎内」で長い時間を掛けて形成・育まれるはずの「何か」が見当たらない。これがその未熟さの所以なのだ。そして現在、その状況はそのままに、デザイナーの関心事は「性格の形成」に移行しつつある。つまり「ソフトウェア」のデザインである。 今年の3月にモデルチェンジされた、日産『March』というクルマがある。パッと見、まずディズニーのキャラクターのような可愛いエクステリア(外観の)デザインが目に飛び込んでくるが、実は、今回のモデルチェンジで最も注目すべきところは、このクルマのエクステリアデザインでもインテリアデザインでもない。『インナー(内面的な)デザイン』である。ショウルームやウェブサイトでのプレゼンテーションを見ていると、最小回転半径に始まって、動力・安全・環境性能…と、クルマ屋さんにはお決まりの退屈な?説明が一通り終わった後、『インナーデザイン』に関する説明がある。『March』のそれは、「ただポケットに入れておくだけで、ドア・ロックの開け閉めから、エンジンのOn/Offまでしてくれる“気が利く”鍵」だったり、「届いたメールを読み上げてくれる、“おしゃべりな”カーステ」だったりする。そう、デザイナーの遺伝子操作によって、モノが我々のパートナーとして真摯なキャラクター(人格)を持って生まれ始めたのである。『March』(マーチ)目玉がキョロキョロするTVコマーシャルが楽しかった3代目。このクルマのモデルチェンジサイクルは10年!なので、他の工業製品と違って満を期して生まれてきた感がありますね。『インナーデザイン』著者が、いまの時代の気分にあわせて考えた新語。モノの人格形成から考えた、内面のデザイン。※都合によりアップが遅くなりました。ゴメンナサイ!
2002年07月19日
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以前、『気分はスパイ』でご紹介した『CHANEL』"Summer Colour Collection 2002"の"Artist Palette"を買っちゃいました!使い心地は判らないけれど、なかなかの出来。でも、『FSP』のトータリティにはちょっとかなわないかな? ※ちなみに自分で使ってみる予定はありません。
2002年07月18日
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いやぁ、昨日の台風には参った。朝、渋谷行きのバスを待っているときに、ひとつ傘をバラバラにされてしまった。でも、そんな突然の事態を救ってくれるのがコンビニで売っているビニール傘、通称『ビニ傘』である。これの登場によって「雨宿り」を強いられる機会は極端に減ったのではのではないだろうか。困った顔をしながら商店の軒下で雨宿りをしているマスオさんを、傘を差した波平さんが拾っていく姿が懐かしい。(こういうときマスオさんは、たいてい飲み屋に連れて行かれるケースが多い) ところで、この『ビニ傘』。デザインを比較したことはあるだろうか。どれも同じように見えても、実はコンビニごとに微妙に異なっているのだ。中でも私がこだわって使用しているのは『LAWSON』のもの。『LAWSON』では、現在、他店よりもひとまわり大きな60cm長のもの(350円)と、ジャンプ傘になっている65cm長のもの(480円)の2種類を販売している。大柄な男性などにはちょっとつらい55cm長が主流のなか、肩を濡らさなくて済むサイズというだけでもかなりありがたい。また、60cm長のものは、乳白色でサラサラッとした素材感が特徴だ。あの、何度か使うとペタッとくっついて、差すときに手こずってしまう透明のものは、やっぱりスマートではなかった。 品川にある『SONY』本社のエントランスにある傘立てには、乳白色の『ビニ傘』が、整然と数百本も常備されていて圧巻だ。しかも、それぞれにブルーで『SONY』のロゴ入りである。これは、来客者が打ち合わせ後、突然の雨に遭遇しても濡れて帰らないようにとの配慮なのである。たかが『ビニ傘』。されど「気兼ねの要らない一流の心遣い」。何とも粋な計らいである。 『ビニ傘』ビニール傘のこと。近年、環境面への配慮から、素材は塩化ビニルからポリエチレン素材へ移行。(「LAWSON」の「ビニ傘」を輸入している、日用雑貨品の卸「Paltac」(パルタック)が歩んだ100年の歴史が面白い)『LAWSON』(ローソン)1975年に1号店「桜塚店」(大阪府)をオープンして以来、現在では7631店舗。(2002年6月現在)玄米おにぎりや、産地直送無農薬野菜などを扱った実験店舗「フレッシュローソン」を自由が丘をはじめ4店舗オープンしている。『SONY』(ソニー)お、本社の外観を紹介しているページがあったゾ!
2002年07月17日
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今日は、ここデザインスコープのオフィスをご紹介します。場所は代官山駅のすぐ近くにある「パーフェクトルーム」の7階。元々は東京オリンピックの頃に外国人用のレジデンシャルホテルとして建設された建物らしいです。素朴なシステムキッチン?が泣かせます。蛇口を捻ると茶色い水が出てきます。(苦笑)※ちなみに賃貸ですが、大改装しちゃています!
2002年07月16日
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素敵なデジカメを使っていますか?しかも首から下げたりなんかしてみてもパチリと決まっちゃうような。まあ、海外から見た日本の風刺画ではないので、いま時カメラを首から下げるかどうかは別にしても、昔のカメラはカッコ良かった。いや、知らない人は銀座の中古カメラショップに行ってみれば判るが、いまだから、まさにカッコ良いのだ。いまのデジカメにそんな道具としての魅力はあるのだろうか…。 1950年代まで、日本ばかりでなく世界中のカメラメーカーは、あるひとつのメーカーがつくるカメラの完全なコピー品に己のブランドを冠して製造・販売していた。いま考えればまったくおかしな事態ではあるが、その当時、それ程までにそのメーカーのカメラの技術力と価格は他を寄せ付けないアドヴァンテージを持っていた。そのメーカーのカメラとは、ご存じドイツの『Leica』である。 しかし、その後1959年を機に事態は一転する。日本光学(現在「ニコン」)が『Nikon F』を発表したのだ。『Nikon F』は、それまでは脇役としてしか使われていなかった一眼レフ方式を採用したものだったが、そのころ報道関係を中心に高まっていた「より望遠を」「より明るく」といった時代の声に見事にフィットした。また、そのオーバースペックとも言うべき安定性と信頼性を買われ、世界はおろか、NASAのアポロ15号を皮切りに「スペースカメラ」として宇宙まで制覇した。また、もうひとつ忘れてはならないのは、そのデザインに多大な影響を与えた、日本を代表するグラフィックデザイナー『亀倉雄策』。緊張感のある直線、鋭角的なデザインは、『Leica』やそのコピー品達とは明らかに異なる表情で、まさにトガった存在感を醸し出していた。 操るものに「知識」よりも「情熱」や「経験」を要求し、それを満たせなければ容赦なく「レベルの違い」を思い知らされる。それは、ストイックなスポーツカーのようなものかもしれない。そして時代は変わり、我々はステアリングさえ切ればスルスルと曲がってくれる中年スポーツカーのようなカメラを操って、いい気になってはいないだろうか…。 『Leica』(ライカ)世界中のファンを熱くさせるライカ。そのカリスマ性は不動のもの。『Nikon F』(ニコン・エフ)1959年に発売され、なんと1974年まで15年間も販売が続いたロングセラー。いまでは考えられないライフサイクルだ。(参考文献:「月刊日本カメラ92年1月号」)『亀倉 雄策』日本を代表するグラフィックデザイナー。1991年に文化功労賞を受賞し、1997年に没するまで国内外多数の賞を受賞。カメラの代名詞「Nikon F」の特徴的な三角のペンタカバーも氏の発案によるもの。
2002年07月15日
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今日は金曜日。いつものようなデザインにまつわる話とはちょっと趣向を変えてみようと思う。そう、いまは、独り渋谷にある雑居ビルの中華屋で、生ビールに五目焼きそばを食した帰りのバスの中。こんな時は、その超乱暴な運転が、またいい具合に心地よかったりするものだ…。 学生の頃からずっと親しんできた渋谷の街。「人が多すぎて嫌い」とか「センター街が恐い」などと言う人がいたりするが、私は一向にそういうことを感じたことはなかった。確かにそれはそうかもしれないが、何がヤバイか判っていれば回避できるし、むしろ、「欲しいものはここですべて揃う」、「生活する上で必要不可欠」、私にとって渋谷とはそういう街だった。 それが最近、実はそうでもなくなりつつある。なぜなら、「ハチ公前で、時代遅れの中年ロックンローラーが街宣車の屋根で無責任な政治批判をしている」、「109前に乱立するドラッグストアの店員達が競ってメガホンで叫ぶ」、「ハンズまで急いでいるのに、人が多すぎてまっすぐ歩けやしない」、「前を歩いていた男の吐きだした煙が突然顔に掛かる」、「駅構内で浮浪者がズボンを脱いでニヤついている」…。そういう状況ひとつひとつに目をつぶりたくなってきたからだ。「ああ、用事さえなければ代官山から出たくない…」。あの懐かしい『代官山アパート』が『代官山アドレス』に建て替わって以来、すっかり原宿化が著しい代官山だが、その緑の豊富さと、居心地のいいカフェと、可愛い子率の高さ(笑)は、渋谷に比べとても魅力的だ。 でも今日は、飲んだ生ビールにもてあそばれてか、そんな渋谷のノイズの中に、自分の中にスゥーっと入ってくるものを感じた。それは、駅前で演奏していたあるバンドだった。いつものことなので、すっかり耳が慣れてしまって、さして気にもとめていなかったのだが、さっきハチ公裏の暗がりで大音量で演奏している彼らの音は明らかにレベルが違っていた。残念ながらそばに行ったときには、お巡りさん達に止められてしまい、その続きを聴くことはできなかった。(よって、ここでそのバンドのことを具体的に紹介することはできないことを、読んでくれている方にはお詫びしないといけない) しかし、見回してみれば、そういうやつらが周りにもいっぱいいるではないか。自分が学生だったときと変わらない、このノイズだらけの街の中で、腐らず何かをやろうとしているやつらが。お巡りさんが業務として止めても無駄だろう。そのノイズは大人の出す汚れたノイズとは明らかに違っていた。 『代官山アパート』正式には「同潤会代官山アパート」。「都市基盤整備公団」によると、現在その一部を八王子の研究施設に移築復元して、一般に公開展示しているそう。青山の同潤会アパートも来年同じ運命をたどる。『代官山アドレス』旧同潤会代官山アパート36棟の建替え事業として計画され、2000年8月完成した。※ちなみにデザインスコープはこの向かいの一角にある。
2002年07月12日
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2回も同じことをすると怒られるかもしれませんが…だって、「またまた発見してしまったのだ!」 ※ちなみに、立ち上げ早々ですがこういう部分も必要かな、と…。
2002年07月11日
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私がはじめて化粧品を買ったのは3年前の夏のことだ。とある休日、当時バイトに来ていた大学生とふたりで近所のドラッグストアの一角にしゃがみこんだ。女性客を退けてあれこれ迷う男2人の後ろ姿はさぞ異様に映っただろう。ここまで書いて一応断っておくが、私にその趣味があった訳ではない。私たちが夢中になって見ていたのは化粧品の容器の方だった。(それも趣味だろ、と言われればその通りだが) その化粧品のブランドは『FSP』。容器のデザインは、「理科の実験のときに登場する未知の薬品が入ったボトル」といった感じだった。同時期、渋谷などでも大々的にプロモーションが展開されており、『ZERO Halliburton』のスーツケースに整然と納められたその「未知の薬品」は男性にとってもかなりクールな印象だったのだ。ちなみにキャッチコピーは「世界を征服せよ」。「未知の薬品」を持って秘密裏に世界を飛び回るスパイの気分だ。ちなみに当時のウェブサイトは「空港」、商品カタログは「偽造パスポート」だった。 そしていま、それを思い出させるような商品がまた売られている。それは『CHANEL』の"Summer Colour Collection 2002"の"Artist Palette"だ。絵の具のチューブそのものといった感じのそれは、最高の洒落と(お洒落?)色選びの楽しさを連想させる。 しかし、だからといって油絵のように絵の具を重ねすぎないようにして頂きたい。キャンバスの素材感ある白も素敵だから。『FSP』(エフエスピー)ブランディングの都合からか、メーカー名は一切伏せられていたがバックは資生堂だった。『ZERO Halliburton』(ゼロハリバートン)1938年、アメリカで生まれたゼロ・ハリバートンは、1969年にアポロ11号で月から石と砂を持ち帰った。『CHANEL』(シャネル)シャネルが手がけるまでは、ジャージは下着素材、黒のドレスは喪服にしか使われなかったという。
2002年07月10日
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偶然、私の自画像にそっくりな人を発見しました!ので、ちょっと『物欲日記』をお休みして掲載させて頂きます。 ※ちなみに、立ち上げ早々主旨に反することなので近く削除するかも…?
2002年07月09日
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「いま、ペットボトルのデザインが凄いんですよ」そんな話を聞いたのは、近所にあるインテリア雑貨ショップ『collex』を訪れたときのことだった。 白とシルバーを基調に世界中から集められた、優れたデザインプロダクツが素晴らしい。入り口近くにあった『Paul Rand』のロゴが可愛いTシャツから始まって店内をくまなく見て歩いた後、ペンとカードケースも持ってレジを待っているとき、ふと一番奥のガラスの棚の上の方を眺めていると、透明な容器が3本並んでいることに気が付いた。さっきは見落としてしまったそれに、急に好奇心がわいて途中だったレジをよそにその棚へ近づいて見ると、それはカメラのレンズのように美しいペットボトルだった。 「スタルクのデザインしたミネラルウォーターです。」青山の家具屋の知人に似たとても丁寧な話し方をする店員さんは言った。彼の話によると、少し前からヨーロッパのミネラルウォーターメーカー各社は、フィリップスタルクのような著名なデザイナー達のデザインを次々と採用して話題のようだ。考えてみれば、これまでのペットボトルは、ビンに負けないための強度や効率だけが優先されたかたちに派手なラベルデザインといった業務的な容器だった。 『collex』には、もうひとつ美しいペットボトルがあった。流れ落ちる水の一瞬の姿を切り取ったようなボトルデザインの『TyNant Spring Water』。これを見ると、それまでラベルデザインによって中身の味をイメージしていたのが不自然なことに気付く。新しい『TyNant Spring Water』は、ボトル全体で新鮮で美味しいであろう水の姿を表現しているのだ。 自然界にはデザイナーの手によって整えらることの限界を超えた美しさというものがある。優れたプロダクトデザインや建築もその多くは時間と共に朽ちる。朽ちて価値を増すことが出来るようなものは全体のほんの一握りだけだ。つまりゴミになるものを生み出しているなんていう乱暴な言い方もできるだろう。デザイナーの『Ross Lovegrove』はこれまでも、滑らかな曲線を描くオーガニックデザインを行ってきたが、どちらかというとSF的なイメージも強かった。しかし今回のこれはまさに人の手が入り込めない普遍性を思い知らされるデザインだった。もはや「形態」のデザインを越えて「状態」のデザインである。『collex』(コレックス)東京都渋谷区猿楽町28-2 スピークフォーB1F 11:00~20:00 無休 03-5456-8890コレックスとは、「コレクション」と「エキシビジョン」という2つの言葉からなる造語とのこと。『Paul Rand』(ポールランド)アメリカを代表するグラフィックデザイナー。IBMのロゴデザインで知られる。1996年に没した。『TyNant Spring Water』(ティナントスプリングウォーター)占い師が水源を掘り当てたというミネラルウォーター。ちなみにcollexでは展示のみ。『Ross Lovegrove』(ロスラブグローブ)1958年ウェールズに生まれ。1998年、ジョージ・ネルソンの名作「DAF CHAIR(Swaggeg-Leg)」のリデザイン「RLチェア」で知られる。TyNant Spring Waterのボトルデザインはプールで思いついたという。『宝商事』03-3256-6911TyNant Spring Waterを輸入している。Ross LovegroveがデザインしたTyNant Spring Water Bottleはまだ国内未発売だが、8月からは販売が開始される予定とのこと。※雑誌『Pen』7/1号にも、ミネラルウォーターのボトルデザインが紹介されていました。
2002年07月08日
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