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身を乗り出して。風を浴びて。ただ黙って。向かう先だけをじっと見つめている。3年前にここを訪れたときは、確か自分もそんな風だった。その時に訪ねたホテルの従業員は、私のパスポートを見るなり言った。「あした、誕生日だね!」。「…えっ?」忘れていた。 次回は、その3年前にベネツィアで思わぬ人からもらったバースデイカードを紹介します。 写真:ぎりぎりまで身を乗り出しながら、静かに向かう先を見つめていた犬
2002年09月27日
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ここは透き通ったカーペットの敷かれた部屋。ガラスのように冷たく静まり返ったその部屋に、若いカップルが靴を脱いで入る。ふたりは透き通ったカーペットに波紋を落としながら歩き回り、辺りには笑い声とバシャバシャという不思議な足音が響き渡る。そして椅子に腰掛けた彼女はゆっくりと足を組んで微笑みかけた。 写真:ベネツィアビエンナーレ、オーストリア館の展示
2002年09月26日
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書きかけだったにも関わらずコメントを頂いていた、8月31日の日記「ふたつのリアル」を更新しました。是非ご覧下さい。 さて、この写真もまた、ベネツィアビエンナーレでの展示です。左右ともサンマルコ広場の映像なのですが、左側は動いているものの残像だけを赤い色で捉えています。人や犬、ハト等、生きものによって、画面が真っ赤に染められていく姿は、なぜかショッキングでした。 写真:イギリスの展示だったかな
2002年09月25日
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先日、列車の中の出来事を書いたが、彼はその時の男の子。つまり、鼻やくちびるを窓ガラスで変形させて笑わせてくれた、あの女の子の弟だ。彼の好奇心旺盛なその大きな目には、映るすべてのものが興味の対象だ。 写真:前出の女の子の弟は「ドラゴンボール」が大好き
2002年09月24日
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昨日の『亡霊』は、重た~い話&長~い文章だったので、ちょっとここらで一休み。「ふぃ~っ。」土曜日だけど更新。「やっ!」 旅の3日目、列車でローマからフィレンツェへ移動した時、2等で座席指定をしなかったら、なんと、どこの席も一杯!席を探すことは諦め、廊下の壁に仕込まれている補助椅子を開いて腰掛けた。すると、向かいのコンパートメントに座っていた、ちょっと恐そうな表情のご婦人が、ちらっとこっちをにらんだ後、ガラス越しのカーテンをシャーッと閉めた。「なんか、感じ悪~い。」私は、目の前の景色が黄色いカーテンだけになってしまって、とっても退屈だったので、仕方なく上半身をねじりながら、窓の外を眺めていた。 あるとき、ふと視線を感じて振り向いてみると、さっきのコンパートメントの中で、ご婦人に連れられていた男の子が、さっきのカーテンの隙間から、ジーッとこちらを覗いている。なかなか目をそらさないので、私は声を出さずに、口まねで「ブォンジョルノ(こんにちは)」とか「チャオ!(やあ!)」と言ってみる。男の子はニコッと笑った後、カーテンの向こうへ引っ込む。そして、また顔を出す。誰かに真似してみせているようだ。それを何度か繰り返しているうちに、今度は、反対側から女の子が顔を出した。それからというもの、2人のテンションは上昇の一途で、シートの上で飛び跳ねたり、大声を出したりして大はしゃぎ。私は、さすがにヤバイと思って「しっー。」と合図を送った。しかし、それも真似されるだけ。ついに、男の子によって「ドラゴンボール」の人形が登場。女の子は、鼻やくちびるをガラスに押しつけて思いっきり変な顔をしてみせている。可愛い顔が台無し。でも、いつまで経っても続けている。とうとう、さっきのご婦人がひっぱたいて2人を叱って、再びカーテンが閉められる。「ほ~ら、ね。」しばし、沈黙…。しかし、その沈黙は、3分と続かない。叱られても一向に懲りない子供達のようだ。そんなことが2時間くらい続いて、すっかり、こちらは疲れてきた頃、ようやく列車は、フィレンツェS.M.N.駅のホームに滑り込んだ。 写真:「クアンティ・アンニ・アイ?(何歳?)」「セッテ(7)」とっても可愛いかった、この女の子も、いつか、逞しいイタリア女性に成長してしまうのだろうか…
2002年09月21日
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今回の旅の目的のひとつに「la Biennale di Venezia」日本では、通称「ベネツィア・ビエンナーレ」と呼ばれている、そのイベントを観に行くということがあった。今回の展示は「建築」に関して。毎回、世界中のクリエイター達が、ベネツィアの端にある、本来の役割を終えた大きな倉庫などを利用した会場で作品を競わせる。(2002年9月8日~2002年11月3日) 私は3年前の夏にもベネツィアを訪れた時、当時「アート」に関して行われていた、このイベントに初めて触れ、五感に向けて強烈な印象を訴えかけてくる、そのクリエイティビティに圧倒された。そして今回、テーマは違うが、再びその会場にやって来た。日本からも、安藤忠夫氏や磯崎新氏らが参加していたが、今回ここで取り上げようと思うのは、期間中、昨年のテロから1年目を迎えたアメリカのブースで展示されていた「A New World Trade Center: Design Proposals」についてだ。 あのワールドトレードセンター跡地「グランドゼロ」に何を建てるかという提案を、世界に名だたる建築家たちに依頼したら、どんなアイデアや設計を見せてくれるのだろう?今年の初め、そんな夢のような企画を実現してしまったギャラリーがあった。マックス・プロテッチというところである。しかも、これは招待の設計コンペではない。短期間の上、費用は作家持ちであったにも関わらず、依頼した120人中、60近くの作品がが集まった。それだけ「グラウンド・ゼロ」復興への関心、もしくは突如現れた世界の一等地への関心が強いということだろうか。 アメリカのブースで観ることができたのは、まさにその作品群だったわけだが、イラストから実際の写真にCGを合成したものや模型など、設計条件がなかっただけに、表現手法は実に様々だった。一方、その内容はメモリアル的な意味合いとして、ビルを再建するのではなく、光のモニュメントを提案しているものから、さらなる力と技術の粋を集結したような、奇抜なシンボルまで、こちらも実に様々だった。 これらを眺めながら、一刻も早い復興を願う人は多かっただろう。しかし、私は、奇抜な方のそれらを観ているうちに、だんだん冷めていく自分の気持ちに、ふと気が付いた。「こんなものを建てたら、また突っ込まれるだけだ…。」奇抜なかたちをして誇示している姿が、実に寒々しく亡霊のように見えた瞬間だった。(2002年5月1日に発表された、FEMA/アメリカ連邦緊急事態管理庁と米国土木学会の構造部会が組織した調査チームによって取りまとめられた報告書では、「最大規模の航空機衝突に耐えうるような、信頼性の高い建物を設計することは不可能だ」と既に指摘している。) 最後に、後日ミラノの公園で出会った老婆が言っていたことを追記しておきたい。「昨年アメリカで起こった同時多発テロでは多くの市民が犠牲となった。しかし、その後ブッシュはアフガニスタンで多くの市民を殺した。かつて、あなたの日本でも広島や長崎の原爆でたくさんの市民が死んだだろう?」※参考ニューハンプシャー大学経済学部のマーク・へロルド教授の集計「A Dossier on Civilian Victims of United States’ Aerial Bombing of Afghanistan」によると、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの死亡者数の3,234 人に対して、2001年10月7日~2001年12月10日までのアメリカのアフガン攻撃で、アルカイーダでもタリバンでもないアフガニスタンの一般市民が殺された数は、アメリカを上回る3,767人。但し、これはあくまでも様々な反論や非難を考慮に入れて意識的に過小評価された見積もりであることを、マーク・へロルド教授自身が認めている。実際に、空爆で負傷した後に亡くなった人、空爆によって援助が途絶え飢えや凍えで死んだ人、戦闘行為で死んだ兵士、捕虜はこれに含まれていない。また、かつての原爆での死亡者数については、広島市、長崎市の各ホームページで確認できる。広島:約140,000人、長崎:約74,000人。(~1945年) 写真:Daniel Libeskind(ダニエル・リーベスキンド)の尖塔はシルエットが美しいが、あまりに挑発的だ
2002年09月20日
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これはベネツィアのリアルト市場にいたワンちゃんたち。イタリアでは犬を繋がないで歩いている人が多いけれど、中でもベネツィアの居住地区では特に多い。人と犬の格差など無く各々が気ままに散歩しているみたいだ。ベネツィアは交通をほとんど船に頼っているせいで、車や路面電車が走っていないのでとっても安心。犬たちも自由な身である分、仲間同士や猫と出会っても自然にちょうどいい距離感を保つ習慣ができているようす。しかし、この写真の中の繋がれているワンちゃんは、すごい勢いで尻尾を振って、心穏やかではなさそう。(笑)写真:ベネツィアのリアルト市場で立ち話をするご婦人のワンちゃんたち
2002年09月18日
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私が何度もイタリアに行くようになったきっかけ。それは、確か6、7年前のことだったと思う。 当時の職場で出来ることの限界を感じて、何が気にくわない、この会社を辞めたい、と不満ばかり漏らしている頃、父親から「おまえはデザインをやっているんだったら、イタリアでも行くといいんだ。」と言われた時があった。最初、私は「判らないでもないけど、今時デザインだからと言ってイタリアとは安直だなぁ。」と思って聞いていた。 少し父の話をしよう。彼は建築家なのだが、仕事に対する考え方には、子供の頃からずっと影響を受け続けてきた。彼はいつも実にいい住宅をつくる。施主とは時間をかけて話をし、職人のように手作業で図面を引き、新築の時から人の温もりを感じる家をつくる。身内だから甘い目で見ているのではない。身内だからこそ普段よりも厳しい目で見て、いつまでも追い越すことができないことに尊敬しつつ嫉妬しているのだ。しかし、そんな父と私は、3時間以上話をしていると必ずけんかになる。私が20歳の頃に私と家を置いて都内に引っ越してしまって以来、決して遠くない距離にいながらも、たまにしか会わない生活でお互いがちょうど良い距離感を保ってきていた。 そんな父が私くらいの年の頃に、何度もヨーロッパを旅して建築を見て回ったことは知っていた。でもそれは、環境的に恵まれていたからだ。しかし、次に彼の口から出てきた言葉はそんな話ではなかった。「準備もお金も要らない。話せなくたって、住むところがなくたって、何とかなるだろう。のたれ死にしなければいいんだ。」さすがに予想もしなかった言葉に唖然とした。しかし、小さなことにこだわって不満ばかり漏らしていた私の背中にのしかかっていた物がスゥーっと軽くなるのを感じた瞬間だった。 結局、すぐさま無一文で日本を飛び出すなんてことはしなかったけれど、それからというもの、その国を訪れる時は、決まって自分にとっての大きな岐路となる時と重なり続けている。「生きていてくれれさえすれば何をしたっていい。」 何よりも強い言葉だった。写真:ミラノの地下鉄駅でたむろするハトたち
2002年09月17日
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14日の昼過ぎにミラノのマルペンサを発った旅客機は、2倍の速度で時計を進めながらユーラシア大陸を横断し、今朝ほど成田空港へ着陸した。今回のイタリアは3年振り3度目。これまで、大きな節目となる時に訪れてきたイタリアだったが、今回も私の心に堅固な節目を築いてくれそうないい旅だったと思う。 それから、先月や留守中に、更新が滞っているにもかかわらず、このページを訪れてくれた人や、書き込みをしていってくれた人に感謝の言葉を忘れてはならない。「本当にいつもありがとう」これからも、あったこと、思ったこと、伝えたいことをここに記していくので、どうぞよろしく。写真:ベネツィアの水上バスに乗って心地よい風を浴びる
2002年09月15日
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