日々始まり

日々始まり

2011年10月16日
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カテゴリ: チャネリング

高次元の世界は光の世界だと言われています。
確かに瞑想などでイメージを感じる時は、光が見えてくることもあります。
ですが、高次元ほど、闇の世界のように思えてなりません。
チャネラーや霊能者が深い闇を経験している人が多いように、
闇の力は、高次元の力そのものだとも思えます。



産土殿
【よろしくお願いします。絶望、苦しみという感情が創造のエネルギー源になるとすると、
神界や高次元の空間は、創造の空間と言われますが、
苦しみのエネルギーで満たされているとなります。
勿論、心の持ちようであり、苦しみなどないとしても、そのエネルギーは存在していると思います。
高次元は光の世界ではなく、闇の世界でしょうか。
宇宙人が言う光の世界とは、創造が消えていく世界となります。】


闇とは生きる力ではない、そう思っておるのであれば、それは違うとなろう。
闇に捕らわれた時、抜け出そうと誰もがもがき苦しむ、そうして絶望を感じていくものじゃ。
だが闇を生み出したのは誰じゃ、もがいておるのは誰じゃ。己ではないのか。
独り相撲ということじゃ、気づいた時、どこにも苦しみなどなかった、闇などなかったとなるのじゃ。
闇も光もないものを、そこにあたかもあるように仕向けておるのが、人であろう。

己で作り出す闇の力、それがないというわけではない、
闇と感じるように仕向けられておるということじゃ、
闇と知らぬのであれば、どういう力なのかと、思いをはせることもできるであろう。
創造の力と最初から言われておればどうじゃ、もうとうの昔に使いこなしておるやもしれぬな。
否定した時より、闇となるのじゃ。疑念と同じもの、疑うということ、それを闇だとは言わぬであろう。
だが信じることを正しいとするものからは、疑念さえ、闇となり、疑うことを悪とさえ言うものじゃ。

そうして己の真の創造の力を否定し、否定したが故に、苦しみは破壊のエネルギーと変わり、
もがくこととなる。疑うとは否定することではない、否定とは背けることじゃ、
疑念とは前を向くことじゃ。背を向けたままでは、真の姿は見えぬ、いうまでもないがな。

【この世は、闇と人が呼ぶエネルギーで満たされているということですか。】

宇宙そのものが、そうであると言われておるであろう。
人はそのエネルギーを生み出す、人とは創造者となろう。
創造とは意識の創造を言う、何も、物事を創造するのではないのじゃ。
いうなれば、命を創造するのじゃ、創造の力は、過去を変え、未来も変えていく。

光しかない世界、そこは、同じ光しか重ならぬ、重なり合うことで揺らぐこともない、
創造の力がない世界じゃ、もう消えておるということじゃ。

闇を闇と感じ続けておれば、力は巨大になり、手が付けられぬようになる。
自ら作り出した力に負ける時じゃ、そこに微かな希望があれば、また進むこともできよう。
希望とは今を疑うということじゃ、闇を感じておる己は真の己ではないと疑うことじゃ。
疑った時より、真の己を探すようになる、それが希望というものじゃ。
希望は社会にあるものでも、誰かが導くものでもない、ましてや神も決して導かぬ。
前を向くとは、決して否定することでも信じることでもないのじゃ。






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Last updated  2011年10月16日 19時09分20秒
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